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2012.03.10

3.9と3.11の間に何が起きたか。

 日は3.9に発生した「前震」を忘れるなという記事を書きました。今日は、その「前震」のあと「本震」が来るまでの間の地震について考察します。これまた意外に忘れられている部分です。
 なお、ここでの考察はおそらく「科学的」ではないでしょう。なにしろ1000年に一度と言われる現象ですから、ほとんど再現可能性を追求できません。実験を含めた経験が不可能だということです。ですから、私たちは、まずは事実を記憶するしかないわけです。そういう観点での記事となることをご承知おきください。
 さて、3.9のM7.3からあと、どういう地震(有感地震)が記録されているか確認してみましょう。気象庁のデータを羅列します。ちなみに気象庁は発表当時のデータをそのままにしていますので、3.9はM7.2、3.11はM7.9となっていましたが、その二つだけはこちらで修正しました。

2011年3月9日

11時45分 三陸沖 M7.3
11時57分 三陸沖 M6.3
12時2分 三陸沖 M5.2
12時8分 三陸沖 M5.9
12時19分 三陸沖 M5.3
12時59分 熊本県熊本地方 M2.8
13時1分 熊本県熊本地方 M3.1
13時3分 熊本県熊本地方 M2.6
13時6分 三陸沖 M5.5
13時32分 三陸沖 M5.1
13時37分 三陸沖 M6.1
13時46分 三陸沖 M5.1
15時12分 三陸沖 M4.6
15時14分 三陸沖 M4.7
15時25分 三陸沖 M5.1
16時14分 三陸沖 M4.8
16時56分 三陸沖 M5.0
17時2分 三陸沖 M5.2
17時55分 三陸沖 M4.6
19時13分 三陸沖 M4.7
20時28分 三陸沖 M5.2
21時3分 三陸沖 M4.6
23時24分 三陸沖 M4.6

2011年3月10日

1時58分 岐阜県美濃中西部 M3.3
1時59分 三陸沖 M4.7
3時16分 三陸沖 M6.2
3時45分 三陸沖 M6.1
6時1分 三陸沖 M4.8
6時24分 三陸沖 M6.6
8時37分 三陸沖 M5.1
8時58分 三陸沖 M4.8
10時20分 三陸沖 M4.7
17時8分 三陸沖 M5.7
17時59分 三陸沖 M4.7
18時2分 三陸沖 M5.2
20時21分 三陸沖 M5.1
20時30分 三陸沖 M4.5

2011年3月11日

1時55分 三陸沖 M5.3
3時14分 宮城県北部 M3.5
6時41分 茨城県南部 M3.4
6時50分 三陸沖 M4.5
7時44分 三陸沖 M4.8
14時46分 三陸沖 M9.0

 さあ、ざっと見ていかがでしょうか。数字と文字の羅列で分かりにくいですね。まず、文字として目立つのは、やはり「三陸沖」ですよね。これを気象庁も科学者も我々も3.9の余震だと考えてしまったわけです。今考えると、M7.3の余震にしてはやや規模が大きすぎるなとも思いますが…。
 それから熊本での地震にも注目すべきです。科学的には全く別の地方の地震がたまたま起きたと考えることでしょう。しかし、地球や日本列島を我々と同じ生命体だと考えれば、経絡というものがあって、全く別の部位で異常が発生することはありえます。いちおう記憶しておいた方がいいでしょう。
 そういう意味では、岐阜県美濃も注目です。前兆の一つと言えるラドン濃度や湧水量の変化は中部地方で顕著でしたので。
 さらに注意すべきは「前震」の発生時刻でしょう。一連の三陸沖の地震が3.9の余震だと考えると、10日の10時台から17時台までの約7時間の空白は、いわゆる「収束」と捉えられたに違いありません。私もそう思うでしょう。地元の人たちも当然そうです。揺れなくなったねと。
 そして11日になり、宮城県北部と茨城県南部の地震が発生します。これも今思えば、あの巨大な震源域を暗示するかのような地震です。特に茨城のそれは、3.11後の余震域と重なっていますが、3.9の余震、あるいは誘発地震と言うのには無理がありそうです。
 さあ、そしてついに最も注目すべき「前震」の現象が起きます。ご覧のとおり、7時44分の三陸沖の発震のあと、丸々7時間「沈黙」があって、1000年に一度の超巨大地震が発生したわけです。
 これもまた、その時は誰しもが「収束」のサインだと受け取ったことでしょう。しかし、それは全く違いました。
 「嵐の前の静けさ」という言葉が古今東西で使われてきたことの意味がここで問われるわけです。様々な自然現象において、このような事実があるからこそ、それをなんとなく感知してきた私たち人類はこの言葉を使い始め、そして使い続けてきたわけですよね。それは科学ではないかもしれませんが、真理を語り継ぐ一つの知恵であったと思います。
 それを実感していだくために、次の動画をご覧下さい。タイトルやBGMにはある種の悪意を感じますが、それを抜きにすれば優れた「語り」だと思います。沈黙や経絡に注目してご覧下さい。

 ちなみに、阪神大震災(兵庫県南部地震)の前震現象にも「嵐の前の静けさ」がありました。地震前日の16日午後6時半項ごろ明石海峡付近でM3.3か発生し、その後同日午後11時50分頃までに3回の小規模地震があって、そして約6時間「沈黙」し、午前5時46分に本震が発生したのです。
 世界の巨大地震の前震について調べたわけではないので、これを一般化することはできませんが、「嵐の前の静けさ」には注意しなくてはなりません。それはまた「天災は忘れた頃にやってくる」と同義だとも言えますね。油断や思い込みが想定外を生むというわけです。
 私たちはあらゆる意味で先人の経験や知恵、そして言葉に学ばなければなりませんし、自らのそれらも忘れてはいけないのです。

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