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2012.02.05

『迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教 』 ネルケ無方 (新潮新書)

51fvctgyxll 日の話題「方便」も出てきました。へえ〜、僧堂ではこういうのを「方便」と言うのか。
 今日は東京にてマタイ受難曲の練習。鞭打ちのシーンの付点はもっと鋭く…と言われても、仏の慈悲心からかどうしても甘くなってしまう…いやいや、単に技術がないからです(苦笑)。
 実は練習の合間にこの本を読み進んでいたのですが、まあまたまた驚きの偶然、いや必然がその後起きました。
 練習が終わって、私は高円寺に向かいました。真のプロレスリング伝導者にして、IGFの現場監督(GM)宮戸優光さんに会いに行くためです。
 大晦日の「元気ですか!! 大晦日!! 2011」や2.17の興行のこともいろいろお聞きしたかったし、昨年はいろいろプライベートでもお世話になっていたので、お礼かたがたいろいろお話をしようと思っていました。
 私たち二人が話を始めると、ちょっと不思議な雰囲気になります。おそらく周囲の人たちはついてこられない世界ではないでしょうか(笑)。すなわち、プロレスや教育の話をするのですが、それが非常に「禅」的な内容とスケールになっていくのです。
 そして、なんとも摩訶不思議なことに、私は何も言っていないのに、宮戸さんの方からこの本の話が出たのには驚きました。それ、まさに今日読んでいる本ですよ!もうこれは偶然ではないですよね。あまりにマニアックにピンポイントすぎます。仏縁でしょう。
 いやあ、本当に宮戸さんは私にとって、アントニオ猪木という神(仏?老師?怪物?)の良き右腕としてのみならず、一人間として尊敬すべきプロレスラーであり指導者であり、そして、これはおこがましいかもしれませんが、良き修行仲間という感じがするのです。
 なかなか言葉では説明できませんが、互いに「仕事」や「鍛錬」を通じて、共通する「何か」の存在を予感し、いや確信しているんですね。そこに大きな共感があるんです。
 だから、今日のような不思議なシンクロが生まれるのでしょう。
 正確にいうと、この本が直接出てきたのではなく、この本で紹介されているオイゲン・ヘリゲル著「弓と禅」の話から、この本の話になったのです。まさに今日のお昼にその「弓と禅」が紹介されているところを読んで、私自身も「ああ、そう言えば『弓と禅』読んでないな」と思った矢先だったので驚いたというわけです。
 さて、そんなわけで、帰宅してからまずはこの本を一気に読み終えました。ものすごいスピードで読めたのは、宮戸さんとの会話のおかげで、この本に書かれている内容の理解が…いや理解ではないな…腑に落ち方が尋常ではなかったからです。
 これぞまさに「師匠」の力であり、「縁起」そのものでありましょう。ありがたいことです。
 そういう意味も含めまして、この本、今まで読んだどんな禅に関する本よりも、すうっと心に、いや体に入って来ましたね。「私が座禅するのではなく、座禅が座禅するのだ」…この境地は予感できます。いや、理屈や言葉によらずに「確信」できます。
 ネルケさん、いや無方禅師の、その境地まで至る過程もまたよく分かるものでした。
 私もかなり徹底した「野狐禅」「野狸禅」の実践者でして、最近ではいろいろな老師様とお話する機会をもいただいております。普通の雲水さんではとてもお話できないような方々ですよ。野にあるからこそ可能なことです。ずうずうしいだけとも言えますがね。また、上司や同僚、教え子や友人に僧堂での経験者が多いこともありまして、日本の仏教そのもののあり方や禅の修行の問題点や奇妙なところをけっこう知っている方だと思います。
 それをドイツ人であるネルケさんが実に客観的に、そしてある意味批判的に包み隠さず書いている点(もちろん仮名が使われたり、寺名は伏せられたりしていますが)、非常に貴重な「資料」だとも言えます。なかなか内部の人、特に日本人にはこうは書けませんね。
 そういう意味では、以前紹介した「食う寝る坐る 永平寺修行記」とも一線を画していると言えます。かの著者は日本人でしたし、僧侶になったわけではありませんから。
 「禅」に興味がある方はもちろん、東西の比較文化論に興味がある人、あるいは「迷える者」たちにもぜひ読んでもらいたい本です。
 最後に道元禅師による「現成公案」の一部を、著者が現代語訳したものを引用させていただきます。ここに禅のエッセンスが表されていると感じました。

 私たちの日常生活も、それをはるかに越えた宇宙全体も、様々な側面がある。しかし、私たちに見えているのはそのほんの一部分でしかない。それぞれの視野に収まる範囲の物事を見聞きし、各々が受けてきた教育や人生体験で処理しているだけだ。物事の本当のあり方が知りたければ、自分のメガネを通して物事に『◯╳』をつける以前に、物事にはこの頭で割り切れない側面のあることを理解しなければならない。周りの人々(山・川)にはまだ気づいていない徳もあろうし、自分が想像してもいない世界が他にもあるということを、よく承知していなければならない。これは他人事ではない、自分の足下の話なのだ。

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コメント

前略  薀恥庵御亭主 様

愚僧も仏教全般「素人」です。

それに・・・
大概において 「玄人」は
嫌われますね。笑

「素人」だからこそ・・・
許され愛され尊ばれるのかも
しれません。

私も完全無欠の
「素人野狐禅」です。笑

「玄人」は有頂天になり・・・
神仏の御加護を感じ難くなり
自惚れてしまいます。

愚僧・・・
先日「汚れなき悪戯」を
鑑賞致しました。

この名作は毎日「NHK」で
放映すべき価値があります。笑

「素人」ほど・・・素直に
「奇跡」を信じ それを
心から求めるのであります。

合唱おじさん    拝   

投稿: 合唱おじさん | 2012.02.06 21:31

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