秋入学?
東大がいきなりぶち上げた「秋入学」構想。野田首相も賛意を表したとの報道がありました。早慶も基本的に同調する姿勢を見せました。
正直全く理解できません。あえて「全く」と言いましょう。あえて売国行為だ!と言いましょう。あえて極論を述べさせていただきましょう。
国の最高学府の頂点に立つべき東京大学がこういうことを言い始めたら、もうおしまいですよ。本当に頭がいい人たちというのは困ります。
そこまでして優秀な留学生がほしいのでしょうか。外国人に頼らなければ東大の復権はありえないのでしょうか。誰のための国立大学なのでしょうか。
外に頼る前に中身をなんとかしようと考えないのでしょうか。いや、もちろん考えているとは思いますが、それをなんで先にアピールしないのでしょうか。がっかりです。
たしかに日本の受験文化は特殊であり、国際化とは正反対の価値観にあるとも言えます。
前も書きましたとおり、この極寒の季節に人生を決する入試を行うのは、たしかに変なことです。どう考えてもおかしい。
センター試験に雪の影響があること一つとっても、絶対に地域による不平等が生じていますよね。インフルエンザが猛威をふるう最盛期でもあります。もっといい季節に最高の条件で受験させるべきです。
しかし、しかし、それが崩れなかった理由には、とっても根深い文化的な側面があります。
厳しい冬を乗り越えて、そして春の萌す頃に合格が決まり、桜咲く頃に入学する。まさに人生の縮図のような体験をするのが、日本文化としての受験です。
それがたしかに国際的な価値観からするとナンセンスだというのも十分理解できますけれども、やはり日本人が、理論や理屈や科学的見地や経済性をも無視してきた「文化」には、それなりの意味、言葉にはできないかもしれないけれども、もっと深いところでの意義があったのだと信じます。それをいとも簡単に崩すのはどうかと。
いや、それ以前に、このたびは入試の季節は変えずに入学だけ秋にするところから始めようとしていますよね。それ自体とっても不自然なことです。人生の重要な半年間をどうするんですか。今挙げれられているようなアイデアのためだったら、とんでもないムダな中途半端な期間となってしまいます。最近増えている推薦入試やAO入試で合格してしまうと約1年無駄になりますよ。
最終的には全てが欧米流になって、秋入学、秋入試、秋卒業、秋入社のようになれば良いと考えているのかもしれませんが、たとえそうだとしても、あまりに自己中心的というか、独善的というか、唐突というか…。
そうして論議を巻き起こそうとしているというのも分かりますがね。しかし、もう少し「頭の良い」アピールの仕方というのがあるでしょう。がっかりしました。そこに私学の雄や首相までも迎合するこの国の情けなさたるや。
秋入学文化への社会全体への移行ということになれば、これは国家の大計とすべき重要問題です。一大学の思いつきのような発言に惑わされることなく、国民全体で本質的な論議をしなければなりません。
個人的に私は「国際化」のブームは去ったと思っています。グローバリゼーションという名の「顔の見えない」専制、中央集権化が進めば進むほど、再び「顔の見える」ローカルの時代が来ると予感しています。
そういう時代を迎えるからこそ、今は私たちは自国のアイデンティティを守るべきだと考えています。
時代遅れ、頭の硬い保守と言われようとかまいません。実際には時代の先の先を読み、柔軟に発想していると自負しているからです。
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コメント
日本語には時制 (tense) はない。
過去・現在・未来のそれぞれの世界を脳裏に描くことは難しい。
前世・現世・来世に関するインド人の教えも、日本語脳では定かでない。
「我々はどこから来たか」「我々は何者であるか」「我々はどこに行くか」といった哲学的命題は考えられない。
理想 (ideal) は、未来時制の内容である。
意思 (will) も未来時制の内容である。
理想がなければ、未来社会の建設計画もない。
意思のないところに方法はない。(Where there’s a will, there’s a way).
意思はなくても恣意 (self-will) はある。
建設的な話はできなくても、出来心はある。
問題解決の能力はなくても、事態を台無しにする力だけは持っている。
政治は遅々として動かない。人々の頭を閉塞感が襲う。
英語のリスボンシビリティ (responsibility) は応答可能性であり、自己の意思により現実対応策を考えて行使するものである。
責任は、自由意思により果たすところが大切なところである。
意思なくしては、責任は果たせない (責任はとれない)。とかく、この世は無責任となる。
ところが、日本人には意思がない。子供・アニマルと同様である。
場当たり的な行動にでるしかない。
未来時制の内容に確信は持てない。不安ばかりが募る。
ただ目的の遂行だけを求められるならば、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶことになるのは必定である。
以前マッカーサ元帥は、日本人を12歳と評したことがある。
日本人は彼の評に立腹こそすれ、その意味を深く掘り下げることはしてこなかった。
我々は、浅薄である。秋入学の動きは、浅はかである。だから、留学生は、我が国を避けて英米に行く。
知的な人になるためには、英米の高等教育が必要である。これは国際的な判断である。
英米の高等教育は、奥の深い大人になるための更なる英語の勉強である。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
投稿: noga | 2012.03.08 20:19