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2012.01.06

『雲堂』 (iPhone用坐禅アプリ)

Mzlcngilkor んとも仕事がドタバタしているので、ゆったりとしたおススメを。
 iPhone用のアプリです。あの「彼岸寺」さんが作った坐禅アプリ。
 これ、なかなかいいですよ。本格的です。坐禅が身近になりますね、きっと。
 いちおうワタクシ、エセ坊主、野狐禅いや野狸禅の修行者として、一般の方よりは坐禅に親しんでいる方だと思います。とは言っても、たとえば毎日座っているかというと、全然そんなことはありません。
 我々在家者は仕事はもちろん社会的雑務をもしなければならないので、日常生活自体が修行ということになります。そして、実はそれが一番よい修行法であったりします。
 たとえばこうして毎日ブログを書いているのも、公案と格闘しているようなものですしね。つまり、我々はいつでもどこでも仏教の修行はできるわけですし、考えようによっては、全ての生きとし生ける者が修行中であるとも言えます。
Mzlhbqfsdmt しかし、そうした日常的な「意識」から「意識的」に離れるために、「意識」を捨てる「坐禅(座禅)」をすることは面白いものです。
 ある意味最も手軽で最もお金がかからないレジャー、あるいはレクレーション(re-creation)かもしれません。
 実際に出家して雲水となったり、日曜日にお寺に参禅したり、そういう特別なことをすること自体が「意識」であり、「装置」であるわけです。
 ですから実は、坐禅というのは、それと最も遠い世界であると思われがちなインターネットやiPhoneという「装置」と、とっても親和性が高いんですよね。
 だいいち、インターネットやクラウドという「網」や「雲」は、ある意味自然に近い構造をしていますし、ある意味目に見えない「神仏」世界と似ているとも言えます。
 また、ネットによって生まれる無限の「縁」は、まさにブッダが悟り得た宇宙観であるとも言えます。このアプリにある「Around the world」機能は、本来極私的であり、個の行いであるはずの坐禅を、世界中で何人とか何回とか示すことによって、相互に「意識」の上で結びつけてしまうという、ある種禅的なパラドックスですよね。面白い。
Mzlqsfdbtcy そこなんですよ、今までの禅が限界として抱えていた問題は。つまり、禅は「自他不二」や「縁起」を感得するためのものでありながら、個の問題として語られすぎ、またそういうメソッドとして発達しすぎたのです。
 それをまるでマジックのように、現代のテクノロジーが本来の姿に戻してくれる可能性があると感じますね。
 私の禅語に(?)こういうのがあるじゃないですか。「コトを窮めてモノに至る」。コトとは「意識」そのものです。「装置」そのものです。そこを窮めていくと、いつのまにかモノ(無意識や自然)に還っていくんです。
 そういうアイテムとして、あるいはアプリケーションとして、この「雲堂」は新しいけれども古い禅のスタイルを提案してくれかもしれません。
 「application」という言葉は、本来「一点に没頭すること」という意味を持っています。まさに「執着」の装置です。それを窮めていくと、いつのまにか一点は無限に小さくなって「無」に近くなっていき、その補集合は無限に大きくなって、いつのまにか、二つは一つになり、結果「空」が生じる…。
 なんて、いかにも野狸禅らしく言葉を弄しているワタクシでありますが、そんな理屈は抜きに、この「雲堂」は普通に解説もよくできているし、音もリアル(本物をサンプリング)ですし、とっても有用なアプリです。
 さあ、皆さんもこのアプリでどんどん「意識的」に坐禅してみましょう。世界が変わる、すなわち自分が変わる…かも。それにしても「undo」とはうまい名前をつけたものですな。

雲堂

彼岸寺

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