『舟を編む』 三浦しをん (光文社)
先週、ふらっと神保町に行った時に買った本。買った後、これまたふらっと後楽園まで歩いていったんですよね。
そこでこの本を読み出したら、まんま神保町やら水道橋やらが舞台になっているのでビックリ。まあ、考えてみれば出版社の話ですからね。
さあ、ほとんど現代小説というのを読まない私が、この作品についてどういう感想を持ったか。小説という特殊なジャンルの時代はとっくに終わっていると豪語している(?)私に、そのアナクロな世界はどう響いたのか。
結論から言いますと、やっぱりこれが「小説」というメディアで発せられるべき情報ではないなと思いました。もちろん、面白かったし、なんとなく懐かしい感じもしましたから、別に不快というわけではなかったのですが、しかし、この内容ならば、やはり現代ならマンガやドラマ、そして映画というジャンルで発せられた方がより効果的ですし、多くの人に受け入れられたかもしれませんね。
別に小説世界や、いわゆる文学をバカにしているではありません。いちおう日本語の世界を教えることを生業にしていますから、ある意味では人一倍そういう世界を大切にしてきたとも言えます。しかし、逆にその世界だけ特別視する気持ちはさらさらありません。文学を神聖化したくないんですね。その弱点もしっかり把握していたいわけです。
そういう意味では、作者のそれなりの筆力をもってしても、やはり現代のメディアたち、特に視角を伴った言語世界にはかなわないなと思いました。
正直、なんとか読了できたのは、この「辞書編纂」の世界が私の興味対象分野の一つであったおかげです。これが別の仕事の話だったら、今まで同様途中で投げ出していたことでしょう。
ちょっと話が逸れますが、小説に限らず、マンガもドラマも映画もですねえ、「どの仕事を描くか」が勝負になってしまいましたね。
適度に身近で適度にマニアックという、いわば「盲点」探しの時点で勝負が決するということです。
実は「小説」が幸福だった時代というのは、「仕事」を通じて「人間」を描くということはあんまりなかったと思うんです。もっと誰しもが実感的に共有できる「実生活」の中に表現があった。
それができなくなってしまった時点で小説(私小説?)の時代は終わったと感じているのです。
ですから、この作品で言えば、辞書編纂という仕事を知るという意味では成功しているけれども、そこから「人間」を描くということでは、結局「よくあるレベル」…たとえばマンガやドラマのレベル…で終わってしまっているわけです。
私は文学(小説)の力はそんなものではないと信じたいのです。
いや、割り切ってしまって、マンガやドラマと同じようなエンターテインメント、あるいはトリビア的な、または「あるある」的なものだと思えば、この作品はお金を払っただけの価値はあったとも言えます。それなりの時間を過ごさせてもらいましたからね。
今はそれでいいんでしょうか。あるいは三浦しをんだからでしょうか。もっと深くて、しかし大衆性を失わない「現代文学」「現代小説」というものがあるのでしょうか。
では、最近発表された芥川賞作品でも読んでみましょうかね。
それとも、自分で小説書いてみましょうかね(笑)。
私はどちらかというと、小説を書くより、辞書を編纂する方が楽しそうだなあ。
その辞書編纂の話もいろいろ書きたいのですが、それは後日別のネタで。
Amazon 舟を編む
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