ロカテッリ クリスマス協奏曲
今日はクリスマスです。たぶん(?)仏教徒である私にとっては、仏教の伝道師としてのイエスのお誕生日をお祝いしましょう。
ずいぶん前にも書いたとおり、イエスが当時「東方」からやってきた新思想に触れていた可能性は大です。そして、触れたからには影響も受けていることでしょう。
ま、それはいいとして、今日はクリスマスにちなんで1曲紹介しましょう。
クリスマス協奏曲としてはコレッリのものが最も有名ですね。しかし、今日はコレッリの音楽的後輩である(ま、ほとんどのバロックの作曲家は彼の後輩ですが)ロカテッリの作品です。合奏協奏曲集作品1の第8番ヘ短調。
まずは聴いてみてください。いい曲です。
ロカテッリはイタリア人ですが、後半生はアムステルダムで過ごしました。ヴァイオリンの演奏技巧を発達させた功績は大です。
それにしても、なんで当時のクリスマス関係の曲は「暗い」んでしょうね。コレッリもそうですし、トレッリもそうですし、ビーバーやブクステフーデやバッハもそうです。
特に不協和音を強調するところが特徴ですね。つまり、イエスが誕生するまでの世界観が暗くて不協和なのでしょう。
そういうところに明るいスターが誕生するから価値があるのです。全て救世主というのはそういう存在ですよね。もともとの世が明るくて協和しているなら、メシアの出番はありません。
このロカテッリの曲でも、前半は上方飛躍の音型と半音進行を伴ったモチーフが繰り返され、不協和音を織りなしていきます。どんより重い空気が漂いますね。
そんな中、3楽章の5声のフーガは短いながらカッコイイですね。地味に派手な(?)転調してたりして、なんとなく不穏な感じが表現されています。
そして、最後はお決まりのパストラーレ。一気に明るく快活になって大団円。
そのあたりのコントラストこそバロックの神髄ですね。
今日はTBSの「報道の日」を観ていて、それこそどんよりな気持ちになってしまいました。こういう空気の中では、やはり我々は救世主を待望してしまうものです。
しかし、本当の救世主は自分の中にあるのだと思います。ただ待っているだけではいけない。変わるのは自分自身。その集合体こそがメシアの本体であって、たとえばキリストの物語というのは、バロック的な演出に過ぎないとも言えるのです。もちろんイエス自身もそう言っています。あくまで主体は自分自身であると。
今年の日本のクリスマスはいつもと違うはずです。実際のところどうだったんでしょう。いつものようにただ消費されただけだったら残念ですね。配慮とか自粛とか謹慎とか、そういう次元でなく違いがあって当然だと思うのですが。
そういう意味において、今日の「報道の日」は価値があったなと思った次第です。
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コメント
紹介してくださっているロカテッリ、初めて聴きました。
コレッリのクリスマス協奏曲はもちろん好きですが、それ以上に静かで心に沁み
入ってくる曲ですね。いいですね。
寂しさや侘しさを感じさせる曲は、本来日本人が好むものだと思っていますが、
近頃は、なぜかそういう曲調の音楽が減っているように感じます。
由紀さおりのような志村正彦くんのような歌人もいるのに、どうしてなんでしょうか。
投稿: kono | 2011.12.26 16:22