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2011.12.18

初めての第九に思う

Img041 は第九を生で「聴く」のは初めてでした。もちろん舞台の上で演奏する「喜び」もある曲ですが、こうして客席で聴きますと、まさに瞬間瞬間が発見であり、あっという間に終わってしまったような気がしました。たしかにこれはすごい曲だ。そして素晴らしい演奏でした。
 音楽という「縁」の不思議さ。今日もそれを痛感しました。面白いですね、音楽というのは。自らが人生経験を積み、他者との豊かな縁を実感して初めて気づく「音どうしの縁」というものがあるのです。
 人類がどんどん複雑な音楽を作るようになったわけが、なんとなく分かったような気がしました。歴史は常に堆積し、我々の奏でる和声もどんどんぶ厚くなってきたのでしょう。
 というわけで、いきなり結論的な感想だけを書いてしまいましたね。今日は我がホームグランドとも言える都留市のうぐいすホールで行われた「市民第九演奏会2011~響け!歓喜の歌~」に生徒たちを連れて行ってきたです。
 きっかけは実に不思議なものでした。今、我が中学の弦楽合奏部のコーチとして、神奈川フィルのヴァイオリン奏者の方に来ていただいているのですが、なんとその方がたまたまトラとして今回の舞台に乗るというではありませんか。なんで…よりによって都留へ…。
 もともとその先生とは、私はなんの縁もありませんでした。人づての人づてで紹介していただき、私も初めてお会いしてみてビックリ。ご本人とはそれこそ初対面でなんの接点もなかったのですが、話していくと驚愕の事実が…。彼女のお母様とは、古楽関係であまりにピンポイントな接点がありまして、共通の知り合いがずいぶんいて驚くというか何と言うか。
 で、そっちの話は置いておいてですね、今回の第九の指揮をされる方が、神奈川フィルのヴィオラ奏者の方だったんですよね。そう言えばそうでした。そこに気づいてやっと分かった!そっか!
 私が都留の学生の時分から、その方がオケの指導にいらしていたんです。私は管弦楽団には所属せず、なぜか箏曲愛好会におりました(笑)が、時々エキストラで舞台に上がっていたので、よく存じ上げていました。
 そんな不思議な縁のことを、コーチが指揮者に話してくれたところ、私を含め弦楽合奏部の生徒たちを招待してくれたのです。なんとも不思議すぎるご縁であります。ありがたや、ありがたや。
 タイミングと言えば、こういうこともあります。合唱には都留文科大学の合唱団の一部も参加しています。ここのところ同合唱団の活躍は目を瞠るものがあります。今年も全国大会で金賞ですからね。その合唱団に今年の春我が高校を卒業した生徒も入団しておりまして、今日も舞台で歌っておりました。また、その合唱団の指導をされている先生も古楽祭でお世話になり(宴会芸なども一緒にやり)、よく存じ上げ、かつ尊敬している方です。
 まあ、もっと昔の話をすれば、その合唱団のメサイア公演で古楽器オケを編成しコンサートマスターをやったこともありましたっけ。そうだ、あの時はたまたま帰国中だった赤津さんも飛び入りでヴィオラを弾いて下さったんだっけ。
 さらに合唱団で歌われている方、ホールで運営をしている方、聴衆の方、多数の知り合いがいまして、とにかくたくさん挨拶しましたね。これこそ音楽の結ぶ縁であり、そして音楽の本質であり、音楽が象徴しているモノなのでありましょう。
 いつもは自分の演奏活動が忙しい時期でなかなか聴きに行けなかったのに、今年はどういうわけか、ポッカリこの日は空いていたというのも不思議と言えば不思議でした。たぶん今年というタイミングが最高だったのでしょう。
20111219_08_1 さて、改めてベートーヴェンの音楽をじっくり聴いてみまして、彼が天才である理由というのもよく分かりました。たしかに彼は歴史を踏まえ、そしてそれを破壊し、新たな生命を生みだしていました。バロック音楽の全盛期からたった100年でここまで芸術音楽は変わったのかと思いましたね。
 いつも書いているとおり、天才とは、歴史を全て知り尽くし、自分のモノにしつつ、それを破壊する勇気を持つ者のことを言います。破壊という言葉には一種の過激さや悪意が感じられますから、そうですねえ、別の言葉で言うなら、更新というかヴァージョンアップというか、部分的な進化というか、つまりは、我々生命が「縁」によって遺伝子を継承しつつ更新してきたような、そんなイメージでしょうかね。
 ベートーヴェンの音楽には、当時で言えば最も新しかった古典派はもちろん、その古典派が否定した(破壊した)バロック、そしてそのバロックが更新したルネサンス、さらにはそれらが破壊しきれなかった民族音楽(民俗音楽)の要素もたくさん聴かれました。
 あそこからまたロマン派やら印象派やらジャズやらロックやら、いろいろなモノたちがベートーヴェンを更新していって今があるわけですよね。そんな壮大な歴史という「縁」の流れを感じることができた70分でした。
 昨日のコーラスも、そういう意味では非常に「縁」を感じる素晴らしいものでした。演奏ばかりしていないで、こうして生の音楽に身をまかせることも大切だななんて、そんなことも改めて感じる昨日と今日でした。
 音楽、すなわち「縁」がこの世に存在することこそ「喜び」であります。
 それにしても指揮者の吉田さん、私のことをよくぞ覚えていてくれました。「髪の毛モジャモジャだったのに…」と笑っておられました(笑)。

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