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2011.12.08

宍道湖=真珠湾??歴史的アナロジーの不思議

Pearlcolor111c5904 日は歴史的特異日。特に真珠湾攻撃から70年ということで、ニュースなどでも当時の映像がたくさん流されていましたね。
 あの戦争の全体像にいてはもちろん、この真珠湾攻撃についてさえ、日本ではしっかり検証されていません。アメリカはアメリカの立場で一つの結論を得ていると思いますし、その他の国では一定の歴史的な意義(文脈)が与えられていると思います。本国は何をやっているんでしょうか。
 私自身、あの戦争を「太平洋戦争」と呼ぶべきか「大東亜戦争」と呼ぶべきか、あるいはそれ以外の呼称が適当なのか、それさえも判断できませんからね。最近そんな自分がとても情けなく思います。
 だから…というわけではありませんけれども(苦笑)、今日はこの真珠湾攻撃に関するある意味「トンデモ」な「事実」を紹介したいと思います。たとえ偶然であろうと、これは「事実」です。面白い符合として読んでください。
 まずは昭和10年の12月8日のことです。この日、ある大きな歴史的な事件が起きています。国家による宗教団体に対する大弾圧です。
 かの出口王仁三郎率いる大本は、大正10年の第一次大本事件にもめげず(懲りず)、さらに勢力を伸ばしていました。
 モンゴルで一芝居演じたり、中国の新興宗教団体と手を組んだり、エスペラントを普及させたり、ある意味非常に国際的な活動を繰り広げる一方で、右翼の巨頭、頭山満や内田良平らと深くかかわったり、あるいは軍部や皇室にもそのシンパを獲得するなどして、どこか不穏な空気の漂う日本に不思議な存在感を示すようになっていました。
 その全てが、正しい神の名のもとに「みろくの世」という平和な世界を創るという最終目的に結びついていたからでしょうか、当時戦争へ突き進もうとしていた国家(軍部)にとって、大本と王仁三郎は実に厄介な存在となっていったのでした。
 特に内田良平と組んでの「昭和神聖会」の設立は、国家当局にとって看過できないできない出来事であったと思われます。なにしろ、当時明らかなだけでも800万(「やおよろず」ですね)の賛同者を得ていたというのですから。
 「大本を地上から抹殺する」…結局、昭和10年12月8日未明から、当局は狂ったような大弾圧を敢行しました。まさに狂気の沙汰です。Wikipediaの記事を引用しましょう。

ほぼすべての幹部・関係者、主だった信徒の逮捕拘束(治安維持法違反と不敬罪)
裁判前の全建物・施設のダイナマイトによる徹底的な破潰
教団所有の土地を旧綾部町・旧亀岡町に強制売却
全ての教団印刷物の発禁
がほぼ同時に行われた。教団の解体を意図したものであり、事実上、消滅した。
一部の信徒は発狂するほどの拷問を受けた。
王仁三郎が1942年(昭和17年)に保釈されるも、全活動を封じられたままで、結局、1945年(昭和20年)に日本が敗戦し、弾圧が解消され、自由が回復するのを待たなければならなかった。日本共産党弾圧と並ぶものである。高橋和巳がフィクション小説の題材として取り上げている(『邪宗門』)。

Img_1510706_63515556_51 共産党弾圧のために作られた治安維持法が、この時初めて一宗教団体に適用されました。王仁三郎という一個人の影響力を国家が躍起になって押しつぶそうとしたと考えると、いかにこの事件が世界史上においても特殊で稀有な事件であったかが分かりますね。まあ、それだけ王仁三郎が大化物だったというとこです。
 ちなみにこの日王仁三郎は教導のため松江の宍道湖にいました。王仁三郎は抵抗することもなく、押し寄せた警官隊によって捕縛されました。
 それからちょうど6年後の同日未明、真珠湾攻撃が始まり日本は泥沼の戦争に突入していくことになります。「しんじこ」と「しんじゅわん」のアナロジーは、まあ偶然の語呂合わせと片付けるとして、お釈迦様のお悟りになった12月8日に、このような智恵を失ったような事態が起きたのは皮肉と言えば皮肉です(もちろん、のちの平和活動家ジョン・レノン暗殺も)。
 ちなみに先述の昭和神聖会は、昭和9年の7月22日に九段の軍人会館で発足しました。そのちょうど6年後、昭和17年の同日、第二次近衛内閣が発足しています。この近衛内閣は同年同じ九段の軍人会館で、かの大政翼賛会を結成しました。
 そうそう、その軍人会館(現九段会館)も、東日本大震災でついにその役目を終えてしまいましたね。いよいよ戦後も終わりなのでしょうか。精算しないまま終了…。
 さてもう少し、「6年後」の符合を見ていきましょう。
 弾圧を受けた大本の綾部と亀岡の聖地は、昭和11年4月18日に国家権力によって接収され、それに続いて全国の大本の施設は次々と破壊されました。そのちょうど6年後の昭和17年4月18日、いわゆるドーリットル空襲を嚆矢に、アメリカによる本土空襲が始まり、日本は焦土と化していきました。
 また、昭和20年9月8日、王仁三郎はが大審院において不敬罪無罪を言い渡され、大本事件はようやく実質的な終結を見ることになりました。そのちょうど6年後昭和26年9月8日、サンフランシスコ平和条約が締結され、第二次世界大戦における連合国諸国と日本との戦争状態はようやく終結しました。
  こうしたある種「トンデモ」とも取れるような不思議な数霊的符合は、たとえばこんな所にも現れています。
 第二次大本事件における王仁三郎の勾留期間は6年8カ月(昭和10年12月〜17年7月)ですが、連合国軍による日本の占領も、昭和20年の9月の正式降伏からサンフランシスコ条約発効までの6年8カ月でした。
 実は大本では、こうした数の符合は本当に枚挙に暇ないほど確認できるのだそうで、これもまた空間的な「雛型」(たとえばこちらの雛型地図参照)に並ぶ時間的な「雛型」だと言えるでしょう。
 こういう世界観についてこれない方もいらっしゃるとは思いますが、別に私はこれらを真剣に信じているわけではありません。こうした符合はいくらでも作ることはできるとも思っています。
 もともと「相似」や「類推」という意味の「アナロジー」は「アン+ロジック」つまり「反ロゴス」「反論理」ということですから。
 しかし、こういう世界を楽しむことによって見えてくる、あるいは初めて見る機会を得ることができる歴史の真相というのもあると考えています。特に歴史はそうです。非常に論理的ではない「人生」の集合体ですからね。皆さんもぜひ真珠湾攻撃70年のこの日に、日本と世界の歴史を振り返ってみてください。

Amazon 大本襲撃―出口すみとその時代

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