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2011.11.30

末の松山波越さじ…

20111201_180755 さんご存知の百人一首。この歌集の特殊性(決して名作集ではないということも含めて)については、このブログでもぼちぼち言及してきましたし、たしかどこかで全訳(真訳)するなんて豪語した覚えもあるのですが、実際にはここのところ全く興味を持っていませんでした。
 しかし、かの大地震と大津波によって、ある一つの歌については、期せずして深い理解をする結果となりました。
 それはこの歌です。清原元輔、すなわち清少納言のお父さんの作品です。縦書きでどうぞ。

                                                                                                   
 契りきなかたみに袖をしぼりつつ
        末の松山波越さじとは

 訳…約束したよな。互いに涙を流しながら。
     末の松山を波は越さないだろうとね。
     (俺たちの愛は永遠だよな!ってさあ)

 「末の松山」は宮城県多賀城市の松の立つ小山に比定されています。その目立たない小山がなぜ歌枕となり、そして現代によみがえったのか。
 この歌はもともとは「後拾遺和歌集」に収められていたものです。後拾遺集は1086年に完成した勅撰和歌集ですが、元輔は990年に亡くなっていますから、この歌自体は10世紀に詠まれたことになります。
 東大の地震学者ゲラーさんも何かでこの歌を紹介していましたね。そう、地震学者の中ではこの歌はある意味有名なものだったのです。
 つまり、この歌の「波」とは津波の波だと考えられるのです。平安時代、東北地方を襲った津波と言えば、869年のあの貞観の大津波です。貞観の大地震と大津波の記憶は、このたびの震災によって再び歴史の彼方から呼び戻されましたね。
 おそらくは今回と同程度の規模であっただろう貞観の津波で、現多賀城市近辺は大きな被害を受けたものと思われます。しかし、その中で「末の松山」だけは当時も奇跡的に無傷で残った。その逸話が遠く平安の都まで伝わったものと思われます。平成の陸前高田の奇跡の一本松のように。
 そして、様々な苦難や障害があっても未来永劫変わらないものの象徴として「末の松山」は歌枕となっていったと考えられます。特に永遠の愛のイコンとして。
 そして、このたびの震災ではどうだったか。
 そう、今回もまたほとんど奇跡的に末の松山には津波が押し寄せなかったのです。ほんの数メートル下った市街地はことごとく津波に呑まれてしまいましたが、この高台はたしかに被害を避けられたのです。
O0430024211474018939 この地図の赤いところは津波が押し寄せたところです。見事に末の松山を避けていますよね。
 皮肉なことですが、こうして、この歌の「波」がやはり津波の「波」であったことが証明されたわけです。
 ちなみにこの歌は本歌取りです。そして、百人一首の撰者である定家はさらに本歌取りをして、この歌枕を歌い継いでいます。

本歌(古今集…読人不知)

 君をおきてあだし心を我がもたば
       末の松山波も越えなむ

 訳…あなたを置いて浮気心を私が持ったとしたら
    末の松山を波も越えてしまうだろう
  (絶対に越えない。私も絶対に浮気をしない!)

(藤原定家)

 思ひ出でよ末の松山すゑまでも
       波こさじとは契らざりきや

 訳…思い出せよ 末の松山はいつまでも
     波は越すまいと約束しなかっただろうか
  (いつまでも心変わりはしないって言ったじゃん!)



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2011.11.29

『上下のしきたり』 友常貴仁 (三五館)

この本が上司だ!
S 道家でもあるワタクシの上司が貸してくれたこの本、いやあ勉強になりました。そして、何かスカッとしましたね。気合いが入りました。
  大和古流廿一世当主である友常さんの言葉は、切れ味のいい刀のようで、ある意味心に鋭く突き刺さりますが、それが不思議と心地よかったりもします。
 たしかにこういう言葉を発する上司だったら心から敬服するでしょうね。男として惚れるというか。
 なるほど、「しきたり」とは「為来」かあ。長いこと「してきた」ことには深い深い意味があるということですね。単純な「マナー集」とははっきり言って全然重みが違う本です。そこに歴史が詰まっているからでしょう。
 集中して一気に読み終えた、その最後に添えられた「あとがき」が秀逸。全てを語っています。まさに我が意を得たりでした。あえて全文紹介します。

  百年に一度の経済恐慌を克服せよ

 とうとう化けの皮がはがされ、百年に一度の経済恐慌がやってきた。
 アメリカ的なる考え方の敗北なのである。現場の実働を重要視せずに、金融に力を注ぎ、世界中の経済を支配してきたそのツケが、二十一世紀のはじめの十年で噴き出したのである。
 本書がこうした現実の中で誕生したことに、喜ばしくも意義があると思っている。
 資源のない国日本が、アメリカの真似をして生きてきた。合理主義、成果主義ともっともらしく叫び、人間の優劣をつくりだし、富の格差を助長してきた。そこには日本特有の人情も思いやりもあったものではない。
 日本人なら、そのおかしな考え方にもう気づこう。基底に思いやり・節約・勤勉を、もう一度とりもどし、新しい経済活動の扉を開くときではないか。
 二十一世紀は、組織という名の集団に身を置かねば生き残れない時代となった。志のある集団が力を合わせないと生き残れない。
 日本の戦国時代がそうであった。個人の戦力では必ず滅ぼされた。一族郎党が力と知恵を増強し、生き残ってきたのである。まさに今、経済戦国時代がはじまった。
 生きるか死ぬか……組織にいて生き残る道を見いだそうとする者にとって、新しい意識改革が求められている。それは、組織の中で生き残っていく闘い方でもある。
 この本の読者にはどんなことをしても、生き残り、出世し、幸せになっていただきたい、と念じている。

  天然の鯛

 最後にあたり、過去からの伝言を、現代の叡知として活用する秘伝をお伝えして締めくくりとしよう。当家の家系につながる楠正成が尊んだ精神「まこと」、それをわが老師がわかりやすく、次のように私に諭してくれたものである。

 うまいものは、なぜうまいのか。それは「まことがこもっている」からうまいのである。例を示せば、天然の鯛はうまい。養殖の鯛は劣る。天然の鯛は、「まことがこもっている」からうまいのである。養殖の鯛は、まことではない。だから劣る。
 人生、「まこと」を貫きたいものである。まことのこもった者と付き合いたいものである。歴代が、先祖が、「まこと」をもって生き抜いたように、おまえも「天然の鯛」を貫け。

 そうだ。どんな仕事も、「まこと」をこめたいものである。「下」にとどまることなく、まことの「上」になり、周囲を輝かせていただきたい。
 百年に一度の経済恐慌は、あなたにとって好機である。今やっている仕事を見直し、その中で自分がどうすればほかの人に貢献できるのか考えさせてくれたチャンスなのだから。
 うまくいかないからといって土俵を替えてはいけない。うまくいかないときこそ、耐え忍び、工夫することである。技術を積み重ねた、熟練の技を身につけなければいけない。そして、「まこと」のこもった仕事のできる自分を築いていくのである。
 一所懸命、熱心にやることである。熱い心で、朝から晩まで時間を忘れて、懸命にやることのできる「一所」をみつけたなら、あなたは必ず勝つ。
 そんなあなたを応援するために、本書はある。


 
 今日はこの本を読んで気合いが入りました。さっそく若手十数人を連れて職場の近くに飲みに行きました(笑)。たまにはハメをはずしてストレス解消も必要です。
 若いパワーを存分に活かしてやりたいと、いちおう上司である私は思いました。
 そして私は何を思ったか、飲み屋をあとにして、家まで歩いて帰りました。距離にして15キロ、標高差400メートル。3時間弱で帰宅。やればできる!若い者にはまだまだ負けていられませぬぞ!
 そんな力を与えてくれる本でした。

Amazon 上下のしきたり

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2011.11.28

大阪都構想から「東京都」の歴史を振り返る

Pn2011112701001326 阪W選挙、維新の会圧勝でしたね。東日本が疲弊している今、西日本から大きな波が起きるのは悪いことではありませが…橋下さんの唱える「大阪都構想」は、ある意味微妙なタイミングです。
 歴史上、前回大阪遷都が叫ばれたのは、1923年(大正12年)のことです。ご存知のとおり関東大震災が発生し東京は壊滅。大阪で遷都論が湧き上がりました。それを受けて宮内省があえて「東京ハ帝国ノ首都ニシテ」との文言を入れた詔書を発表しました。
 今回は東日本大震災の直後に(遷都論ではありませんが)「東西二都論」が大阪で叫ばれたわけで、これはもちろん偶然ではありません。
 当然、国家の危機管理システムとして「サブ首都」があるのは悪いことではありませんし、実際天変地異の多い日本においては、そのような「首都拡散論」が長いこと唱えられてきました。
 今回の橋下さんの「大阪都構想」に対しては、石原東京都知事が「天皇陛下がいらして国会があるところが都だ」という実にまっとうな「詔書」を発表しましたね。
 今の東日本の疲弊と、橋下さんの(維新の会の)勢いからすると、本当に「都」を乗っとる「維新」が起きないとは言いきれないわけですから、お仲間の中からそういう釘を打ってくださるのは、我々東日本の人間からすると助かります(笑)。
 ま、もちろん、前の「維新」は西日本から「都」を奪い取ったわけですよね。それを返してもらおうというのは、それこそ歴史のパターンとしてはありうることです。
 そうそう、前もどこかに書きましたよね、江戸を東京に改称しようというアイデアを最初に唱えたのは、今の秋田県羽後町出身の佐藤信淵です。文政6年(1823年)のことですから、ずいぶんと先見の明のあった人物です。今、私は彼の業績の再評価を試みています。なかなか面白い人物ですよ。
 正式に「東京」の地名が採用されたのは、明治元年(1868年)のことになります。「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」が発表されました。
 ちなみに明治の初めの頃は、「トーキョー」という発音と同時に「トーケー」という発音も一般的でした。漢字も古くは「東亰」だったんですよね。
 「トーキョー」という読みが定着したのは、当時の教科書に「トーキョー」と表記されてからです。「トーキョー」ですよ、実際に。ぜひこちらをご覧下さい。明治はとっても「今風」ですよ(笑)。そうそう、この記事にもあるように、当時は「トーキョーシ」だったんですよ。。
 1889年(明治22年)に東京府内15区を東京府から分立して東京市としました。ちなみにその時の東京市長は府知事が兼務したそうで、今で言えば、大阪府から大阪市を独立させて、府知事が大阪市長も兼ねたということですから、まるで今回の橋下さんの動きのようですね。
 そして、1896年(明治29年)に東京市を東京都に改めて、府郡部を「武蔵県」とする法案が出されましたが帝国議会で否決されました。
 その後も何度か「東京都構想」があったようですが、そのたびにポシャり、実際に「東京都」が生まれたのは、1943年(昭和18年)のことです。戦時体制の強化という目的があったのでしょうね。1月に政府の「東京都制案」が可決され、7月1日に東京府と東京市が廃止されて「東京都」が誕生しました。
 その翌年、昭和19年から20年にかけて、ご存知のとおり「東京都」は大空襲に見舞われ、再び焼け野原になってしまいました。なんとも皮肉なことと言えば皮肉なことです。
 しかし、その後再び「東京都」が復活したのは言うまでもありません。なかなかすごい歴史を持った「都」なんですよね。
 将来、首都圏直下の大地震や房総沖の大地震も避けられません。あるいは戦争や東京に大きな影響のある原発事故も起きるかもしれません。しかし、そんなことがあっても、「東京」は再び立ち上がるのでしょうか。
 私も何度か書いているように、東京は政治や経済や文化だけでなく、「霊的」な意味においても不思議な都です。たとえば大阪がその部分まで乗っ取れるかというと、ちょっと疑問でもあります。
 そういう意味で、私はまだしばらく「東京都」の価値は下がらないと考えています。橋下さんには、ぜひとも「東京都」の(裏表の)歴史を勉強していただきたいと思いますね。

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2011.11.27

『暴力団』 溝口敦 (新潮新書)

20111128_64737 日、某刑務所で「放免迎え(出所迎え)」というのに参加しました。もちろん初めての体験です。そして、もちろん「フィクション」です。
 何のことかは、来年の夏になれば分かるでしょう。ある意味夢が叶ったとも言える貴重な体験でありました。皆さんもきっと驚く(いや、大笑いする)でしょう。けっこう大物とにらみ合ってますから(笑)。
 ちょうど今週の朝まで生テレビは「激論!暴力団排除条例と社会の安全 "暴排条例"とは何か?! 」だったようですね。ウチはテレ朝が映らないのでネットでその様子を読ませていただきました。だいたい想定したとおりの討論になったようです。
 このブログには、文化論の、あるいは宗教論の対象としての「ヤクザ」がたくさん登場してきましたよね。ワタクシ流に言えば「モノ(もののけ・もののふ)」としての「ヤクザ」肯定論、必要論でした。
 たとえば、同じ溝口敦さんの著書『新版・現代ヤクザのウラ知識』に関するこちらの記事には、私の「ヤクザ論」が端的に表れていると思います(ぜひお読みください)。
 そして、戦後のヤクザ、暴力団、特に山口組を丁寧に検証してきた溝口さんの最新著書であるこの本。ある意味非常にショッキングな内容でした。
 今までの研究の集大成であるというだけあって、非常に分かりやすく、幅広い内容です。しかし、一方では新書という縛りや、初心者にも読んでもらいたいという意図もあって、それほど深みはありません。
 ですから前半なんか、私たちのように興味を持っている者にとっては、あまりに常識的なことが多くて多少眠くなるところ、飛ばしたくなるところがありました。
 まあ、それはしかたないでしょう。溝口さん自身も書いているとおり、それほどに我々庶民というか、日本社会での「暴力団」や「ヤクザ」や「任侠道」や「仁義」というものの存在価値、存在感が薄まってしまっているのですから。
 この本はタイミング的に、あの「島田紳助引退劇」で「?」と思った方対象の企画だと思います。そう、「ああ、そう言えば暴力団ってあったっけな。どういうヤツらだっけ」と思った方が手にするケースがほとんどではないでしょうか。
 まさにそうした暴力団、ヤクザ文化の衰退こそが、この本のテーマであり、そういう意味での「不必要論」が痛々しく展開されているわけです。
 この本の後半、そのリアルな「痛々しさ」…すなわち、彼らの居場所がどんどんなくなっていく、あるいは日本に千年以上にわたって息づいていた文化が消滅していく現実の、ある意味「迫力」に私は気圧されました。
 海外のマフィアや国内の半グレ集団にその場を奪われ、あるいは馬鹿にされ、これまで持ちつ持たれつだった最大の仲間警察にも目の敵にされる。ワルはワルでも、どこか愛嬌があったり、あるいは任侠映画のように憧れの対象であったはずの彼らが、とうとう「人間として失格」「割が悪い」「かっこわるい」というだけの存在になってしまう哀しさ。
 おそらく人一倍そうした世界に「愛情」をも持っていらした溝口さんでしょうが、この本では、ある意味非情に徹しています。暴力団やヤクザは今の日本にはもう必要ないから退場願うといった論調で一貫しています。そこには私の期待したセンチメンタリズムのかけらもありませんでした。
 それでも、最後のセンチメンタリズムを捨てきれない私は、きっと溝口さんもこんな本を書かねばならないことに、言いようのない哀しさと辛さと怒りを持っていると信じたいのです。そして、今日そんな気持ちをもってヤクザになりきったつもりです(馬鹿と思っていただいてけっこうです…苦笑)。
 先日、あるNPOの代表の方の話を聴きました。震災ボランティアをなさっている方です。私は彼の言葉の端々にある種の「仁侠」を感じました。それは現代においては胡散臭さとも言えるのかもしれません。しかし、私はどこかノスタルジーを感じたのも事実です。
 今、たしかに震災特需という面もあるようです。人の命に関わる重大事、あるいは普段は幽閉秘匿されている現実、または白黒といったデジタル思考で割り切れないことに対処するのが、彼らの仕事だったと思います。今からそれらを誰が担当するのでしょうか。それも「カネ」の世界、あるいは「グローバル」な世界に取り込まれていくのでしょう。
 神(宗教)も死んで久しい。ヤクザもそのうちに絶滅するでしょう。私たち凡夫の「悪い心」を抑えてくれる存在がどんどん消えていきます。あるいは「良い心」を芽生えさせてくれるきっかけも消えてゆきます。
 私はそうした現実の流れに、一抹の寂しさとともに、決して小さくはない恐怖を感じています。

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2011.11.26

NuKME (着る毛布)

Refdp_image_z_0 くなってきましたねえ。ここ富士山の朝はマイナス5度くらいまで下がるようになってきました。
 昨年から我が家では床暖房禁止条例が施行されまして、小型ファンヒーター2台のみ稼働可ということになっております。
 そのおかげと言ってはなんですが、震災の停電時にも寒さに慣れていたため、それほど苦痛に思わずに済みました。
 この家を建てた十数年前と比べると、灯油の値段はほぼ倍になっています。あの頃は床暖ガンガンたいても、それほど大きな金額にはなりませんでした。一回飲みに行くのを我慢すれば払えるくらいだった。
 しかし、今は二回我慢しなければなりません!だったら寒い中でチビチビ酒飲んで内燃した方がいい。
 というわけで、お酒の量は増えている今日この頃です(もしかして灯油の方が安いかも?)。
 これから本格的な冬を迎えるわけですが、私が一番寒さを感じるのは寝ている時なんですよね。
 なぜなら寝室は冷凍庫のように寒いからです。床暖連動のヒーターしかないのです。暖房がないし、陽当たりがよくないので、とにかくよく冷えています。キンキンです。
 ですから、布団をたくさん掛けてもけっこう寒い。寒くて目が覚める。特に肩口がヒンヤリし出すと眠れない。
 そして、なんと言っても「頭」ですね。頭が凍ります。なぜなら私スキンヘッドなので。
 そんな頭は100円ショップで買ってきたフリースのキャップをかぶってカバーします。これはなかなか暖かくて気持ち良い。耳まで覆います。
 で、肩口ですが、今年はこれを買って着てみました。いわゆる「着る毛布」です。なんだか、最近テレビショッピングで盛んに宣伝されてますよね。ま、私もついついそれにつられて買ってしまったのです。
 私のことですから定価で買うわけはなく、近所の婦人服安売り店で、最新ではなく一つ前のヴァージョンつまり型落ちで、かつ「難あり」商品を950円で買ってきました。ちなみに家族全員分購入。
 ふむふむ、たしかにこれは暖かい…いや、「ぬくい」!
 正直震災があったからですね。こんな毛布を着たままリビングで生活し、そしてそのまま布団に潜り込むことができるなんて。通常時でしたら、なんだかいけないことをしているような感覚でしょう。
 節電、節約という観点を重視すると、こういう「不埒」なことをしても許されるのですね。それも家族全員で。不埒というか無精というか。
 朝なんか特にそう思いますよ。寒いとなかなか布団から出られないじゃないですか。それでダラダラしていること自体が不埒で無精だったはずです。
 しかし!この着る毛布といやつはスゴイですねえ。だって布団に入ったまま起きることができるわけですから。実際今も朝でして、私は毛布にくるまったまま帽子もかぶってMacのキーボードをたたいています。
 で、ファンヒーターをつけてある程度部屋が暖まったところで、さっそうと毛布を脱ぐわけです。これがなかなかいい。寒い部屋で起きて着替えるって、けっこう人生の難事の一つじゃないですか(笑)。
 休日なんかいけませんね。一日中毛布を着たままだったりする。それでピンポンとお客様が来たりすると、さあ誰が出るかでもめる(笑)。
 ま、しかしですね、たしかに災害時なんかにも非常に役立ちそうですし、冬場の車中泊なんかにも活躍しそうです。これはなかなかいい。
 冗談抜きで、国民みんながこれを着てすごせば、暖房費はかなり削減できるような気がします。皆さんもぜひ。そのうち街にこれ来て歩く人が溢れたりして(笑)。

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2011.11.25

房総沖大地震はいつ起きるか?

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20111126k0000m040073000p_size6 府の地震調査委員会は24日、東日本大震災を受けて見直しを進めていた東北沖の地震発生確率を改定し、長期予測として発表した。大震災の震源域の東側にあたる東北沖合の「三陸沖―房総沖の日本海溝寄り」では今後30年以内に、大きな津波を伴うマグニチュード(M)8以上の地震が30%程度の確率で発生するとした。50年以内では40%程度に上がる。大震災以前の確率からそれぞれ10ポイント程度高まった(日本経済新聞)。
 …とのことです。一番上の図は朝日新聞、その下は毎日新聞のものです。同じ発表に基づいているのになんだかずいぶん違った印象を与えますね。報道というか情報というものはそういうものです。
 見出しも朝日では『M9級地震「30年以内に30%」』、毎日では『三陸から房総沖M8以上「30年内に30%」』ということで、やはり印象が異なります。M8とM9では、ご存知のとおりエネルギー量は32倍違います。
 これら地震調査委員会の試算は、それなりに評価できる点もあります。しかし、あのM9の大震災を全く予見できなかった(平成21年の発表)ことを考えれば、ここで示された数値もどこまで信用していいか分からないというものです。
 特に、私の感覚からすると重要な三陸沖中部が「評価なし」だったり、宮城県沖が「不明」だったり、三陸沖南部海溝寄りが「M7.9ほぼ0%(M7.7前後最大90%)」だったり、ある意味何も言っていないに等しいといいますか、あまり参考にはならないような気がしますね。三陸沖北部が10%というのもなあ…。
 さらに言えば、私をはじめ多くの方々が「喫緊」としてとらえている「房総沖」に関しては、「三陸沖北部から房総沖の海溝寄り」としてしか言及されていません。
Void0 読売の図を見ると「評価なし」となっていますね。ということは、改めて試算する気もないということでしょうか。
 先日、BSフジプライムニュースに東大地震研の纐纈さんが出演され「敗北宣言」をしていらっしゃいました(動画はこちら)。番組の一番最後に、被災者である視聴者の方に励まされ涙されていたお姿が印象的でしたが、彼が語っていたように、地震予知は「経験科学」である上に、タイムスケールが大きすぎるために、その「経験」が異様に少ないのが実際です。「経験科学」の「経験」がないわけですから、結果として「科学」となり得ないということを、間接的に纐纈さんは認めた形となっていました。
 しかし、房総沖の地震はけっこう記録や痕跡が残っているんですよね。なのになぜ「評価なし」なのか、正直よく分かりません。
 詳しくは書きませんが、地下構造や過去の震源からして、私は房総沖の地震の震源域は5種類に分けられると考えています。
 1、銚子沖 2、東方沖 3、南東方沖 4、南方沖 5、はるか東方沖(海溝寄り)
 東日本太平洋沖地震の震源域に南接する地域として、このいずれもが不安定な状況にあると考えられます。場合によってはこのうちいくつかが連動することもあり得ますし、比較的短い期間の中で連発する可能性もあります。
 問題はそれがいつ起きるかです。今いろいろな人たちによっていろいろな兆候が観測、観察されています。私の観察においても、3.11の前と同じような傾向が確認されており、可能性としては今日起きてもおかしくない状況であると言えます。
 私は「科学」をやっているわけではないので、確率などという数字では表すことができません。あえて言えば「房総沖大地震が起きる確率は100%」ということでしょう。これは絶対に当たりますよね(誰でも言えるし当てられる)。
 先の番組の中で、纐纈さんは「西日本大震災(南海・東南海・東海連動型大地震)は私が生きている間に起きるかもしれない」とおっしゃっていましたが、房総沖に関して全く触れておられませんでした。やはり「科学的」であろうとすると何も言えないのでしょうか。
 私も西日本の大地震(ヨコの地震)も数十年の間には必ず起きると思いますが、それより先に房総沖だと予感しています。
 もしいずれかの震源域で大規模な地震が起きれば、津波も発生します。その時は東海第二原発も危険ですね。3.11でもあと30センチ津波が高ければ間違いなく全電源喪失していたのですから。
 東京も震度6になる可能性があります。首都圏直下よりも大規模な被害が出るかもしれません。
 はっきり言ってしまえば、早ければ年内、遅くとも3年以内に発生するものと考えています。国としても都県としても個人としても、それなりの準備と覚悟が必要でしょう。

ps その他の地震については6月に書いた予想と変わっていません。
 富士山は…今朝久々に直下型地震で飛び起きましたが、基本安定していますので心配していません。
 
参考…「フライデー」2011年12月9日号より
予想される地震について(2012.1.5)

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2011.11.24

『無知との遭遇』 落合信彦 (小学館101新書)

41ivhacrzgl_2 際ジャーナリスト落合信彦さんの本。
 まあ可もなく不可もなくといった感じでした。落合さんの立場からすればたしかにこういう内容、すなわち日本人に国際感覚がない、日本人は英語がへた、日本人は日本を知らない…等々になるでしょうね。
 しかし、私たち庶民のほとんどは国際的に活躍する人間ではありませんから、これらの「無知」は「無知」のままでも基本問題ありません。
 英語に関する記事で何度も書いてきたとおり、こうした「無知」に関して憂慮されるべきは政治家や国際企業のエリートたちです。それはおそらく日本国民の1%にも満たないでしょう。
 私たち庶民がそのような「無知」を知れと責められ、また「無恥」を恥じろと責められると、単なるコンプレックスの塊になってしまいます。戦後おそらく我々はずっとそう言われ続けて萎縮してきたのではないでしょうか。
 そう考えると、アメリカ(GHQ)はなかなか巧妙な戦略をとったのだと気づきますね。表面的には日本を植民地化、あるいは属国化しなかったわけですし、あの天皇制までを残したわけですけど、実際には非常に長い時間をかけて我々を無力化することに成功しました。結果として日本はアメリカの一つの州のような存在になってしまいました。
 それを全て悪いことだとは思いませんが、とにかく感心さえするほどに巧妙な戦略だったというのは事実でしょう。つまり、教育と文化で日本人の本来の力を封印してしまった。特に言語力、日本語についても英語についても、その学習の機会を巧妙に奪ったのは事実です。
 もちろんどこまでがアメリカの戦略(陰謀)かは分かりません。そんなことまで考えていなかったかもしれません。しかし、結果として日本人は見事にこうなりました。
 英語が苦手で、日本語での論理的思考や表現も苦手。はっきり物が言えず、あいまいでノーと言えない。それが日本人だし日本語だということをいつのまにか教えこまれ、本気でそうだと思い込んでいますよね。実はそうした根拠のない思い込みこそが「洗脳」の結果だと思う今日この頃です。
 仮にそうした一般論が正しいとして、そんなにいい加減な思考や表現しかできない日本人ばかりの日本が、どうしてこれほどの文明国になり、工業国になりえたのでしょう。落合さんが異様にプッシュする(笑)「ウォシュレット」のような繊細な技術は「論理的」な思考と、その基礎となる「明晰」な言語がなければ絶対に成立しません。
 というわけで、最近の私にとっての「日本人の無知」とは、そうした戦後教育のあり方や、本当の日本人、日本文化、日本語に対する「無知」であります。そこに気づかねば我々はいつまでたってもアメリカから独立できない「子ども」のような国のままでしょう。
 このような考え方をしている私からしますと、この本は今までの「無知」から脱していないと言えます。たまたまそういう洗脳に乗らなかった個人の、ちょっとした自慢話のようにも感じてしまいました。
 全編に英語のジョーク(日本語で書かれていますが)がちりばめられています。たしかに面白いけれども、どうでしょうね、本当にそれがないと国際舞台で活躍できないのでしょうか。もっと大事なことがあるような気もしますが。
 ちなみに「無知との遭遇」と言えば、こちらの方が面白いかも。これこそ日本人らしい、しかし国際的にも通用するユーモアかもしれませんよ(笑)。

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2011.11.23

追悼 バイソン・スミス & 立川談志

 んということでしょう。まさか今日このお二人の訃報を聞くことになろうとは。
 プロレスラーのバイソン・スミスさん、ついこの前20日には札幌のノアのリングで元気な姿を見せていたのに。信じられません。まだ38歳。プロレスラーとしてはまさにこれからという時でした。
 第17代・20代GHCタッグ王者ではありましたが、三沢さんの最後の試合の相手であったり、パートナーが来日できず王座を返上したり、この前のシリーズ、グローバル・リーグ戦では、小川選手に大けがを負わせてしまったり、なんか暗い影を感じていたのも事実です。そして、まさかの急死。プエルトリコで心不全を起こしたとのこと。
 日本を主戦場とし、また純粋に日本を愛してくれたレスラーに心から哀悼の意を表します。
 彼の日本での評価を上げた一戦、2007年の三沢光晴さんとのGHC戦を紹介します。お二人ともこの世にいないなんて…本当にプロレスは命懸けの仕事ですね。

 そして、すぐあとに立川談志師匠の訃報も届きました。ずいぶんと体調が悪い、声が出ないという話は聞いていましたが、まさかここ3週間意識がなかったとは。
 また昭和の天才がこの世を去ってしまいましたね。この世の荒廃とは対照的にあの世はどんどん充実していきます。皮肉なことです。
 「立川流」というと、私は「真言宗立川流」を先に思い出すほどですから、それほど談志さんに興味があったわけでもありませんし、彼の落語のファンというわけでもありませんでした。しかし、彼の言動にはなぜか惹かれる部分があり、また、どこか「この人は孤独なんだな」というような一種の哀愁を感じていたのは事実です。
 いわゆる天才であり、だからこそ敵も多く作る人だったようですね。彼自身「落語は非常識の肯定、人間の業の肯定」と言っていましたが、つまりは談志さん自身が落語に救われていたわけでしょう。
 そう、どんな分野でも、天才というのは、彼らの生み出す作品に彼ら自身が救われているという部分があるのです。
 実は天才の主体は本人にあるのではなく、彼らの生み出した作品にあるのです。また、逆に言えば、結果として他者に救われる才能を持っているのが天才だとも言えます。
 この世は「純粋」な者にとっては実に住みにくい構造物です。だから私たちはその構造物に合わせてどんどん「不純」になっていくのですが、一部その「純粋」さを持ったまま正しく生きることが許される人たちがいます。それが「天才」たちです。社会的な意味での免罪符を与えられているんですね。
 それが与えられるのにももちろん条件が必要です。それは「伝統」と「歴史」を理解することです。談志さんについては言わずもがなですね。「古典」を知り尽くし、愛し尽くし、結果としてそれらに愛されて守られるんです。
 天才と称されるにはエポックメイキングな業績が必須です。エポックを作るということは、それまでの「伝統」や「歴史」や「古典」を破壊して、新しい価値観を創造することだと思われがちです。もちろん表面的にはそのとおりなのですが、破壊をするには、破壊すべき対象を理解し、自分のものにしていないいけません。
 そういう意味では、天才の仕事自体が、他者の存在に基づくものであり、無数の他者に守られているものなのです。
 世の中と戦い、伝統と戦うということは、実は世の中に愛され、伝統に愛されるということなのですね。
 彼の名演はたくさんありますが、今日はこれを紹介します。この話術、教員としても学ぶところ満載です。
 75歳。天才としては決して「短命」ではなかったかもしれません。いや、天才は何歳で亡くなっても、やはり我々にとっては「短命」なんでしょうか。全て天才の死は残念です。


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2011.11.22

本日の富士山と雲(2011.11.22)

 ローズアップ現代でやっていた「現代型うつ」について教育者の立場から書こうかと思いましたが、考え始めたら複雑化してきたのでまた後日。そう簡単に語れる内容ではないな。
 というわけで、昨日に続き、本日の夕刻の富士をご覧いただきましょう。今日は雲が主役です。
 こういう富士山はなかなかお目にかかれないでしょうね。ポスターやカレンダーにはなりませんから。でも、実際のところ雲のかからない富士山という方が、私たち地元民にとっては非日常なのであります。
 そして、こういう見えそうで見えない(?)富士というのが最も妖艶で魅力的なんですよ。
 ちなみにこれらは地震とは関係ありません(たぶん)。すなわち私にとっては「自然」な造型だということです。簡単に言うと「怖くない」ってことで、全く科学的ではありませんね(笑)。
 1秒ごとに変わる形や色は、とても写真では捕らえきれませんが、少しでもそのダイナミックさを感じていただければと思います。カメラはGEのX-500。モードは全てオートです。では、どうぞ。

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2011.11.21

富士山の落日(2011.11.21)

 日はちょっと珍しい富士山の写真をお見せしましょう。地元ならではの風景だと思います。
 ちなみに山頂からの雲は強風時に現れる山旗雲です。決して噴煙ではありませんのでご安心を(笑)。
 地平線に日が沈み、富士山の標高の高いところや雲にだけ夕日が当たってきれいですよね。

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 そうそう、今日広島で震度5弱の地震がありました。珍しい場所です。ここ数日の地震雲の「結果」の一つでしょう。
 昨日ツイートもしましたが、北杜市から見て富士山の東側に気になる帯状の雲がありました。車のサイドミラー越しに撮った写真をどうぞ。

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 しばらくは大きな揺れに注意ですね。この前書いたように、大震災の震源域南部に隣接するあたり、茨城沖から千葉沖までのアスペリティがはがれる危険性が高いように感じられます。
 そう言えば、昨日に続き今日も、夕刻、丹沢方面に積乱雲が発生していました。神奈川や東京では異様な空模様だったようですね。気をつけましょう。

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2011.11.20

由紀さおり&ピンク・マルティーニ 『1969』

31jyobcxh8l れは素晴らしいアルバムですね。今、世界中で評判の1枚です。
 由紀さおりさんについては、こちらで『う・ふ・ふ』を紹介しました。日本を代表する歌手の一人ですね。
 由紀さんの歌のうまさ、声の美しさはもう言うまでもありません。このアルバムでも驚異的な歌唱力を存分に発揮しています。
 もとはと言えば、アメリカの人気ジャズオーケストラ「PINK MARTINI」のリーダー、トーマス・M・ローダーデールが由紀さんのLPをレコード屋さんでジャケ買いし、それを聴いてその歌唱力と楽曲のレベルの高さに驚いたところから始まった縁だそうですね。
 由紀さんのレコードをジャケ買いするアメリカ人もすごい…いや、アメリカのトップミュージシャンを魅了してしまった由紀さんと日本の歌謡曲がすごいってことでしょうか。
 このアルバム、とにかく驚きでした。何がって、ある意味全然ジャズじゃなかったからです。まんま歌謡曲なんです。
 「PINK MARTINI」のイメージからは全く程遠いからビックリしたわけですね。まさに日本の歌謡曲アレンジ。文句なしの昭和歌謡。
 もちろん、このブログで何度も強調してきたように、日本の昭和歌謡は本当の意味でのワールドミュージックであり、またその伴奏は日本を代表するジャズのビッグバンドが務めてきたわけですから、大きなくくりでは「ジャズ」と言えなくもありません。
 しかし、ここまで「まんま」だとは。普通日本人が歌謡曲のジャズカバーをやれば、「ああいうふうに」なるじゃないですか。ジャジーにね。ところが、これはまんま歌謡曲だった。
 アメリカのトップジャズミュージシャンが、ここまで日本の昭和歌謡のアレンジを研究してくるとは。いかにも演歌風な部分もあって、ちょっと笑っちゃいました。
 もしかすると、昭和歌謡が世界的なブームになっていくのかもしれません。実際このアルバム、イギリスをはじめとしたヨーロッパやアメリカのチャートを席巻しつつあります。
 あらためて歌謡曲のバックオーケストラを聴きますと、ゴージャスかつ歌を引き立てるアレンジという意味では「イタリア」を感じますね。オペラの歴史です。もちろんそこから流れるヘンリー・マンシーニのような映画音楽やムード音楽の世界。
 まあホントにワールドワイドな音楽ですわ。いかにも日本文化らしいですね。博覧会状態でありながら、やっぱり「日本」なんですよ。すごいなあ。
 これをきっかけに、世界中に昭和歌謡やJ-POP、J-ROCKのブームが起きるといいなあ。そのまた集大成であるフジファブリックの楽曲なんか一番ウケそうですし。期待しましょう。

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2011.11.19

「やばい」の語源

20111120_73637 、外はかなり「やばい」ことになっています。季節外れの大雨。
 ウチの近く、山梨県富士山西部で1時間に90ミリの記録的な大雨が降ったとのこと。まるで台風の真っただ中のようでした。
 そして、公私ともども忙しすぎて「やばい」。いや、楽しすぎて「やばい」とも言える。
 この「やばい」という言葉、現代人にはなくてはならない言葉になっていますね。若者がなんでも「やばい」というのを眉をひそめて聞いている立派な大人もいるかもしれませんが、まあ日本語の歴史、いや言葉の実態なんてそんなものです。
 平安のものなんか読んでも、それこそなんでも「をかし」だったり、「いみじ」だったり、「いと」を多発したり…ま、枕草紙の話ですけどね(笑)。
 そうそう、最近の「やばい」は、先ほどの「楽しすぎてやばい」のように、いい意味にも使いますね。「おいしすぎてヤバい」とかとかね。そういう意味では古語の「いみじ」や「ゆゆし」のように「絶対値が大きい」「非常事態」を表す語になったとも言えます。
 さらに最近では「ヤバス」や「やばぽよ」などのように、派生変形も使われるようになっています。
 今日はこの「やばい」の語源を探ってみましょう(単に個人的に気になったからですが)。
 「やばい」が文献に現れるのは、実はそんなに古いことではありません。19世紀末の「日本隠語集」に「ヤバヒ…危険なること則ち悪事の発覚せんとする場合のことを云ふ」とあるのが最初です。
 しかし、「やば」という語はもう少し前から使われていました。18世紀末の歌舞伎の台本などに「やばな」という形容動詞連体形として残っています。つまり、形容詞「やばい」よりも先に「やばなり」という形容動詞が一般的に使われていたということですね。さらに形容動詞の成立パターンから言えば、「やば」という名詞が存在したということも想像できます。
 さあその「やば」ですが、これも文字として残っているものはいわゆる隠語(盗っ人言葉)であり、「看守」とか「刑事」を表す言葉です。やばり江戸の後期から使われていたようですね。しかし、それ以前に遡ることはできません。
 そこで思い出したのが、山梨の方言です。山梨のある地域では獣を捕るために猟師が隠れている場所のことを「やば」というのです。
 これはおそらく山梨固有のものではなく、いわゆる「山人」「サンカ」「マタギ」などの用語ではないかと思います(調べていませんが)。
 猟師が獣を捕らえるのを、看守や刑事が盗人を捕らえるのに重ねたのでしょう。なんとなく分かりますよね。あそこには刑事が隠れているから「やばい」という感じ。これは私の憶測にすぎませんが、たぶん正解だと思いますよ。
 「危険や不都合が予測されるさまである。危ない」が現代において発展し、「非日常。すごい。驚くべき」という意味を持ち始めたということでしょうね。
 しかし、「やばぽよ〜」とか言ってるギャルたちは、そんな語源、つまり盗っ人言葉だったことなんか全然知らないでしょうね。おい、それってヤクザ言葉だぜ、その前は熊捕ってる猟師の言葉だったんだぜ…なんて言ったら、「ゲッ、ヤバッ!」とか言うんでしょうかね(笑)。


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2011.11.18

2011.11.18 富士山と不思議な雲

 日(17日)、文化祭の準備でドタバタしている中、市民会館のガラス窓から久々に富士山上空の地震雲を見つけました。とにかく忙しすぎて写真も撮らずツイートもせずに終わってしまいましたが、その後、福井県で震度3、4が連続してありましたね。
 実はここのところ、地震雲だけでなく、3.11の巨大地震前と同じような兆候が複数観測(観察)されています。私はこれを巨大地震に伴う最大余震としての房総沖地震の前兆だと思っています。
 早ければ年内に大地震(最悪の場合M8以上)が発生するのではないかと感じます。それなりの準備と覚悟をおすすめします。
 ただ、これは私の薄っぺらい経験に基づいたものなので、もちろんどの程度の信憑性があるか自分でも全く分かりません。自分でも半分は信じていないのですから(笑)、皆さんのご判断も全くの自由です。
 しかし、以前も書いたとおり、気になることを言わないで後悔するのだけは避けたいと思っているのです。
 やはり、3月13日に後出しで紹介した3月3日の前兆(地震雲)についていち早く言及しなかった自分に対する後悔からはなかなか逃れられません。
 昨日の雲についても同様です。後出しでいろいろ言ってもしかたないのです。
 だから、今日撮影した写真もなるべく早く公開しておこうと思います(と言いつつ今はもう19日夜なのですが)。
 天気が崩れることは分かっていましたので、富士山頂の笠雲や東方の吊るし雲、レンズ雲などは想定内なのですが、その形状や質感、そしてそのバックに見え隠れする雲のデザインが異常に気になりました。ちなみにこちらのようなすさまじい風景は「自然」です。「不自然」には感じないのです。
 富士山は特異な独立高峰ですから、まさに想定外の雲を生み出す存在です。ですから、これらの写真を「うわぁ、気持ち悪い」とか「うわぁ、きれい」とか「うわぁ、面白い」とか、いろいろな感想をもって見ていただいて構いません。
 ただ、この土地に住んで富士山を見飽きるほど見ている生徒や職員室の大人たちもみんな、今日は変だねと言っていました。ある意味感激もしていましたが。では、どうぞ。
 2011年11月18日14時頃の空です。
↓鳥が飛んでますね。
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↓ずいぶんモコモコした笠雲ですね。東斜面にもかなり漏れ出しています。
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↓複雑な構造。まさに複雑系の産物。
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↓全体に赤身を帯びているのが不気味。
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↓強いエネルギーの流れを感じます。
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↓天頂付近までのデザイン。
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↓西の空にも怪しいデザインが…。
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↓180度パノラマ写真。
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↓手前の雲よりもバックの直線が気になります。
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↓幻想的ではあります。
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↓崩れた吊るし雲の上にレンズ雲。
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↓これは「自然」です。
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 いずれにせよ、自然はすごいですね。自然は芸術の母。芸術は宗教の母。神の存在を信じたくなりますね。

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2011.11.17

初めての文化祭大成功!

オープニングは「夜明けのBEAT」にお神輿!
20111119_191152 の中学は開校して2年目。全校生徒たった38名ですが、だからこそ非常に濃密な教育活動が実現しています。私としては理想の教育ができているのではないかと自負しています。
 そんな環境の中で日々成長してく生徒たちのエネルギーを正しい方向に導くのが私たち教師の仕事です。
 そういう理想を追求すると、たとえば単なるカリキュラムとか年間行事予定などでは対処しきれないことばかりです。逆に言えば、特に縛りの強い公教育(特に大規模校)ではなかなか理想は実現できないということにもなります。
20111119_192406_2 今回の文化祭も、実は3週間ほど前に私が思いついて実現したものです。そんなことを言うと、なんといういい加減な学校なんだ!と目くじらを立てる方もいらっしゃるかもしれませんが、「今ここ!」という最良のタイミングを見極めるよう努めると、自然このような唐突なことにならざるをえないのです。
 これはちょっとまじめに考えればすぐに分かるはずのことですが、私たちは「学校」という固いがんじがらめの、反復性の強い「文化」に洗脳されているので、どうしても正しい思考と行動とが阻害されがちになります。
 昨日の音楽(文化)の話と同じなのです。一番大切なのは個々の「今」です。もちろん子どもの成長にはある程度の規則性があります。しかし、それを「学問」として理解したところで、実はほとんど価値はありません。
20111119_192506 まあ子育てをしてみると分かりますよね。自分の子どもでさえも、上の子と下の子とでは、同じことが全く通用しないじゃないですか。教室には他人の子どもが数十名単位でいるわけですからね。毎年同じ授業や行事をやって、たとえばそれがうまく行っても何の自慢にもなりません。それはこちらの経験値は高くなりますから「うまく行く」可能性も高くなっていくでしょう。そんなことは当たり前で、別に教師というプロでなくともできることです。
 結局は昨日の記事にも出た「一期一会」をいかに生きたものにするかということです。相手も自分も常に変化する「生き物(生物・ナマモノ)」なわけですから。
20111119_192539_2 というわけで、私の思いつき、そしてその他の教員や職員の同意も正しかったということを、生徒たちが証明してくれました。そう、こういうライヴな教育活動というのは、終わってみないと「うまく行った」かどうかは分からないのです。だから昨日まで、いや今日の今まで毎日ドキドキでした(笑)。
 この短期間に私たちの意図をくみ取り、そして想定以上の結果に昇華してしまう生徒たちの素晴らしい能力、可能性に感謝するととともに驚嘆せずにはいられません。ありがとう!すばらしい!
20111119_192604_2 1年生の演劇は、今回の文化祭での発表を想定したものではなく、特別活動の一つとして比較的早くから準備をしていました。これこそが今回の思いつきのきっかけだったんです。ある公立の先生に定期的に指導していただいていたのですが、ここへ来て非常にクオリティーが上がり、また生徒たちのモチベーションも上がってきていたので、これは絶対に舞台を用意してあげたいと思ったのです。
20111119_191838_2 2年生の方も、授業で地元出身の天才、フジファブリックの志村正彦くんの作品を扱う中で、彼の、まさにこの地に根ざした「音楽」「詩」「思い」というものに共感し始めていたので、彼をこの地で伝え続けていくという意味でも、ここがチャンスかなと思いました。
 「銀河」でのフォーメーション・ダンスでは心から体から湧き上がるエネルギーや思いを、「若者のすべて」の合唱とオリジナルPVでは、子どもから大人への階段を上る中で抱く夢や悩みを表現しました。
20111119_192137_2 お客様の中には志村くんのお母様もいらっしゃいました。終演後わざわざ私たちの所においでになり、ありがたいお言葉をかけてくださいました。
 「オープニングのモテキから感動しました…中学生の皆さんに歌っていただけるなんて…正彦にも見せたかった…本当にありがとうございました」
 お礼を言わねばならないのは私たちの方ですね。生徒たちは志村くんの歌から本当にたくさんのことを学んでいます。彼らの正しい成長を志村くんは後押ししてくれているのです。私は感謝と尊敬の気持ちをこめて、こうして地元の天才志村正彦の偉業と遺志を伝えていけたらいいなと思います。
 生徒数はたった38名ですが、結果として230名以上のお客様に来ていただき、会場は立見も出るほどの盛況でした。ありがとうございました。
 さあ次は何をしかけようかな。2年生には高校進学も意識させたい時期です。1年生はそろそろ大人への入り口を開けてもらいたい。とりあえず来週は地域の奉仕活動(落ち葉拾い)と文化祭の反省会(焼き芋&お好み焼きパーティー)だな(笑)。
 これからも生徒たちと、そして職員室の皆さんと一丸となって生きた教育活動、学習活動をしていきたいと思います。皆さんよろしく!


ps 今回の舞台富士吉田市民会館小ホールと同じフロアにあるギャラリーで12月23日、24日「志村正彦展」が開かれるそうです。

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2011.11.16

本物の音楽は「命」そのもの

(19日に書いています)
Gedc1776 考えてもなんともぜいたく過ぎる時間でしたねえ。
 中学校は明日初めての文化祭ということで、とんでもなくてんやわんやしておりましたが、その合間をぬって芸術鑑賞。昨年に続いてこの季節はバロック・アンサンブルです。

 バロック・ヴァイオリン…赤津眞言
 リコーダー…ピーター・ファン・ヘイゲン
 ヴィオラ・ダ・ガンバ&バロック・チェロ…武澤秀平
 チェンバロ…岡田龍之介

 日本人のお三人だけでも充分にすごいメンバーなのですが、ヨーロッパを代表するリコーダー奏者であり研究家、教育者でもあるヘイゲンさんが、こんな田舎に来てくれるなんて…。本当に音楽のご縁というのは面白く素晴らしいものです。
 日本ではリコーダー(たて笛)と言えば教育楽器。ある意味全国民が一度は演奏したことがある楽器であります。逆に言うとですね、そんな国は日本くらいしかないのです。
 本番ヨーロッパでもこんなことはないそうです。リコーダーと言えばやはり古楽器。日本で言えば尺八みたいなものですからね。日本人が尺八を吹けない、吹いたことがないのと同じなのかな。
 ちなみに日本でなぜに学校文化としてのリコーダーがこれほど一般化したかと言いますと、これはちょっと暗い歴史の話になります。
 ほら、よく私書いてるじゃないですか、教育現場に残る軍国主義の話。高校野球やブラバン、体育座りから運動会、ランドセルまで…。そういう負の文化の一つとしてリコーダー教育があるのです。
 ナチスはリコーダーを教育に取り入れ、ヒトラーユーゲントの少年少女たちの鼓笛隊にも使われました。ナチスの宣伝に利用されたのですね。1936年のベルリン・オリンピックでも使われ、そこを訪れた視察団によって日本にも導入されたと言われています。
 ですから、日本の学校ではいまだに「ドイツ式(ジャーマン式)」という妙ちくりんな指使いが教えられています。
 ま、それはいいとして、というか、そういう文化としてのリコーダーしか知らない生徒たちにとって、ヘイゲンさんの奏でるリコーダーの音と音楽は驚きだったようです。これほど豊かな表現ができるとは…。
Gedc1789 夜は本校の母体となっているお寺の本堂にて無料コンサートが行われました。このコンサートも今回で29回目。実は第1回もバロック音楽でした。その時は私がヴァイオリンを担当しましたが、20年近い歳月を経て、赤津さんのヴァイオリンにグレードアップ!
 今回はオール・テレマン・プログラム。トリオソナタからソロソナタまで、本当に多様な編成と内容でしたね。テレマンの偉大さ、テレマンの親しみやすさ、テレマンの「新しさ」をたっぷり楽しむことができました。
 それにしても、アンサンブルのすごさには、もう涙が止まりませんでしたよ〜。まさに至上のアンサンブル。一人一人の楽器の技量だけではない、合奏力というのは、これは本当の音楽家かそうでないかの分かれ目ですよ。
 今回の四人は間違いなく本物の音楽家でした。生徒もお客様も私も、その楽曲、音色、技術とともに、アンサンブルの素晴らしさに感動したのだと思います。まさに言葉以前の「息」の世界。「息を合わせる」ということの意味がよく分かりました。
 「息」とは「生く(生きる)」の名詞形です。つまり、「息が合う」ということは「命が共鳴する」ということなのです。
 それから、今回は演奏者の皆さんとのお話の中にもいろいろ考えさせられることがありました。
 開演前、赤津さんと武澤くんと話したんですが、音楽家、芸術家、いや教員もですね、私たちは常に「新しい発見」をしていかねば、人に何かを伝えたり、人を感動させたりすることはできないと。
 テレマンはまさにそういう作曲家だったのですね。だから3000曲も作ってしまった。時代が求める音、あるいは時代の先を行く音を追求しないではいられない人だった。そういう部分がこうして時代や国を越えて生き続けているのに違いありません。
 赤津さんもまたそういう音楽家です。常に新しいテーマを見つけ、新しい曲を発掘し、実際に音にしていく。そういうご自身の探求心、好奇心、そして驚きや感動が、聴き手に伝わるんですよね。武澤くんもそれを目指したいとのことでした。
 音楽家でも、まるで(腐った)公務員のような活動しかできない人もいるそうです。教員でもそうですね(苦笑)。毎回同じことの繰り返し…いったい何が楽しくて仕事してるんだ。
 また終演後、岡田さんのおっしゃったことも心に残りましたね。こういう地方のコンサートの良さの話です。音楽に限らず、全ての文化には「場」や「風土」が不可欠であると。情報としての音楽の価値も認めるが、やはり本物はその瞬間、その場、その空気やそこに染み込んだ歴史によって生まれるものだと。
 これもよく分かりますね。cultureがcultivateから発しているということですね。その土地を耕すことこそが文化なのです。そういう意味で、彼らにとっても、あの富士山を仰ぎ見て、この冷たい空気に包まれて、そして何より阿弥陀如来の前で、天蓋の下で演奏することの「一期一会」こそが、音楽であり芸術であり文化であるということでしょう。
 本当に素晴らしい体験でした。演奏者の皆さんありがとうございました。そして、このコンサートを実現してくださった理事長先生(月江寺住職)に感謝です。
 本物の音楽は命そのものでした。

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2011.11.15

「money」という「monster」

S43b 日はもう19日です。だいぶ遅くなりましたが、頑張って追いつくように記事を書きましょう。
 まあここのところなかなか忙しい毎日でした。とても充実していて感動に満ち、それこそお金に換算できない幸福感を味わわせていただいています。
 そう、今日はその「お金」に関わるお話です。
 今までも何度か「お金」の悪魔性や記号性などについて書いてきました。今日はその総括的な話になるかもしれませんね。そして、ある意味未来の予言になるかもしれません。
 以前、どこだったかな…えっと…ああここ(モンスターのお話)だ。
『monsterの語源を遡ると、monēreに行き当たります。monēreは警告するという意味だそうです。やはりかの国でもmon-という音は、日本語の「モノ」と同様、不随意、想定外を表したのでしょうか』
 と書いてありますね。そう、これはそのとおりです。
 で、実はお金(貨幣)を表す英語「money」の語源も「monēre」だったのです。すなわち、moneyもmonsterも「警告」という意味から発しているのです。
 モンスターの方はなんとなく分かりますが、マネーが警告というのはどういうことなのでしょう。一般に言われている説を紹介します。
 ローマ神話には、Junoという結婚の女神が出てきます。Jupiterの奥さんです。ご存知のようにJunoは英語のJune(6月)の語源ともなっていますね。ジュン・ブライドもここから来ています。
 Junoは新郎新婦に結婚にあたって忠告(託宣)を与える役もしていました。そのためJuno Monetaとも呼ばれていました。Monetaはイタリア語で「警告する」「諭す」という意味だそうです。そう、このMonetaの語源もまたラテン語のmonēreなんですね。
 で、ローマの銀貨にはJunoの姿が描かれ、その周囲に「MONETA」の文字が刻まれていました。それがいつのまにか、「貨幣」「お金」自体を表す語となりました。今でもイタリア語ではmonetaは貨幣や通貨を表す言葉です。
 それがヨーロッパに広がり、英語ではだいぶなまって「money」となったというわけです。
 すなわち、英語のmoneyもmonsterも、その語源は「monēre」に至るというわけです。お金も化け物も「警告」「神からの託宣」という意味があるわけです。
 さらに私は日本語の「モノ」の語源もラテン語の「monēre」だと、いやいや「monēre」の語源と同じだと考えているわけです。まあ、これはさすがに行き過ぎ、トンデモだと言われそうですが(苦笑)。
 その真偽は別として、とにかく「お金」と「化け物」と「モノ(ノケ)」の語源が同じというのは、ちょっと面白くないですか?私には、それが実にしっくり来ますがね。
 本来「お金」というものは、神から与えられた警告であり、そういう意味では、私の言う「モノ(もののけのモノ)」であったわけですが、近代以降我々はそのモノを「コト化」してしまいました。自分たちの欲望を満たすための道具としてしまい、しまいにはそれ自体を売り買いする「マネー経済」にまで仕立て上げてしまいました。
 私は今年の終わりから来年にかけて、この馴致されていた化け物がとうとう暴れ出すと考えています。つまり、思い通りに、法則的に動くと思われていたマネーが、アンコントローラブルな存在になってしまうということです。
 それがギリシャやイタリアの財政・経済・金融危機から始まりそうだというのは、実に皮肉で興味深いことです。
 そうなった時、我々はいったいどうなるのか。どう対処すればいいのか。モノノケを調伏するために必要なモノやコトはなんなのか。
 モノがコトを経てモノに帰るということは、自然が人為を経て自然に帰るということです。コトは窮められるとモノに至るのです。このたびの大災害などを通じて、それこそが唯一絶対の真理であると、私は悟りつつあります。

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2011.11.14

Audacity(サウンド編集フリーソフト)

Audacitylogor_50pct 化祭が近いということで、とんでもないドタバタ劇を演じております。楽しいですね。大人になってからもビューティフル・ドリーマー気分を味わえるなんて(笑)。
 さてワタクシの主な仕事は映像や音楽の編集でしょうか。それは高校が主戦場だった頃となんら変わりありません。
 音楽関係の編集をする時、絶対に必要なのがこちらの無料サウンド編集ソフトAudacityです。とっても有名なソフトですから、今さらという気もしますけれど、日頃の感謝の気持ちをこめて紹介いたします。
 今回は生徒たちがフジファブリックの「若者のすべて」を歌いPVを製作するということで、まずは申し訳ないのですが、志村くんのヴォーカルを消してカラオケを作る作業をしました。
 ヴォーカルレスのプラグインがあるんですよね。こちらのページのCenter Pan Removerというやつです。
 これによって見事に志村くんにはお休みいただくことができました。まあ不思議なことにコーラスは全部ちゃんと残るんですよね。あと、志村くんについてはディレイ部分は残っていました。つまり、本当にメインヴォーカルだけ消えちゃうんです。
 こうしてみて初めてコーラスワークなどのアレンジの妙が分かりました。今まで聞こえなかったというか、意識されなかった楽器の音も聞こえてきたりして、なかなか勉強になりましたね。
 このプラグイン、名前からしてセンターの音をミュートするのでしょう。なかなかよくできています。ただ、それによって他の楽器の音にもいろいろ影響がありましたので、それもまたこのAudacityで編集しました。ホントいろいろ調整できますね。
 私は、このソフト、編集以外にもよく使います。録音です。たとえばこんな時。ダンス部のために音楽の切り貼りをよくするんですが、私はなんとiMovieの旧ヴァージョンを使います。感覚的に切り貼りできるからです。そして完成品をCD化する時にですね、iMovieから書き出すんではなくて、Macで鳴っている音を録音するわけです。その方が手っ取り早いので。
 こういう「Macで鳴っている音を録音する」ということで言えば、たとえばネットラジオやYouTubeなどストリーミングの音を録音する時こそ重宝しますよね。
 今やなくてはならないソフトの一つとなっております。今日はこのへんで。


Audacity公式

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2011.11.13

格安高性能ネオ一眼デジカメ 『GE X500』 その2

 日の続き。夜の部を紹介しようと思いましたが、今日たくさん富士山の写真を撮ってきましたので、それを紹介しましょう。秋晴れという感じではなかったのですが、適度にもやっていて、それはそれで美しい富士山を臨むことができました。
 まずは河口湖畔にて。いや、今日は河口湖北岸を通って若彦トンネルを越えてバスケの応援に行くつもりだったのが、とんでもない紅葉渋滞に巻き込まれ結局峠越えできませんでした。その代わり車を停めて写真を撮る機会を得たというわけです。
 なんかこういうコテコテにステレオタイプな「富士と紅葉」みたいな写真は撮りたくないんですが、しかたありません、これだけコテコテに目に飛び込んでくると(笑)。しかし、実際撮ってみると、コントラストの差が難しいですね。セミプロ的な熟年カメラマンの方々が大量にいらっしゃいました。皆さんどういうテクニックで撮影してるのかな。
 ちなみに昨日から600枚弱撮っているのですが、電池のインジケーターは四つのうち一つ減っただけです(笑)。いったいどんだけ持つんだ?
 さて、いきなりですがHDR処理済みです。オートだと少しアンダー気味な気もしてきました。

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 パノラマです。3枚合成なんですが、やっぱりちょっと不自然になりますね。これは色調も妙。

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 場所を移しました。ウチから車ですぐの穴場です。今日もほとんど誰もいませんでした。この素晴らしい景色を親子二人で独占です。

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 ウチに帰ってくるとネコたちが昼寝中。フレームモード。

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 スケッチモード。

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 やる気ねえ〜。

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 さて、久し振りに裏山(富士山)に登ってみました(車で)。基本、ウチの前の道をずっと行くと、1900メートルまで車で登れます。

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 寄生火山と青木ケ原樹海を臨む。すり鉢状の火口がよく見えますね。貞観の三陸沖大地震の少し前に噴火した跡ですね。

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 ちなみに富士山は落ち着いている状況です。気になるほどの動きはありません。今日はそれをしっかり体感してきました。

X-500公式

Amazon GE X-500

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2011.11.12

格安高性能ネオ一眼デジカメ 『GE X500』 その1

(たくさん写真があるので何日かに分けて紹介します)

 れはおススメ!日本人の盲点ですぞ。ちなみに15500円(!)で購入いたしました。手のひらに乗る、気持ちいいサイズです。色はワインレッド(日本特別仕様)。

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 電源を入れてみましょう。いわゆるネオ一眼です。見た目が一眼レフ風の「EVF(電子ビューファンダー)機」です。アメリカ製。それも福島第一原発の原子炉を作ったGE(General Electric)社製です。これでウチのデジカメは3台ともGE製になりました(参照…A1050C1033)。それも全部赤(笑)。

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 最近はTPPのこともあってアメリカ製品は粗悪だという声をよく聞きますが(リチャード・コシミズさんに限らず…笑)、案外いいものも作っています。まあAppleを見れば分かりますよね。
 今回買ったデジカメも非常によくできていました。もちろんカメラマニア日本人からすれば、トンデモ製品なのかもしれませんが、我々シロウトにとっては充分すぎるほどに高性能です。
 のちほどお見せしますが、まずレンズが良い。光学15倍ズーム(27〜405mm換算)の出来は抜群です。望遠端までズームしてみましょう。ニョキニョキと伸びます。けっこう控え目な伸び方です(笑)。

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 ストロボをポップアップして正面から見るとこんな感じです。もちろん乾電池仕様。私は完全な「単三厨」です(笑)。使うのはもちろんエネループ。静止画なら500枚以上、動画も試したら4時間以上持ちました。これはすごい。ただしファイルの4GB制限があるので640(30コマ/s)で44分30秒くらいで撮影は中断します。

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 1日使って唯一イマイチだと思ったのは液晶ですね。発色も解像度も視角も満足できません(EVFもおまけ程度)。2.7インチという大きさは充分だと思います。各種ボタンの配置、操作性もまあまあGEにしてはいい方ではないでしょうか。マニュアルなしでも使えます。

Img_3920

 というわけで、今日は東京九段で「実務者研修」がありましたので、昼休みと帰りの時間を使ってさっそくテスト撮影をしてきました。まだ使いこなせていないし、テキトーにパシャパシャ撮ってきたので、いわゆる「いい写真」はありません。あしからず。
 しっかし、敵国GE社製の初試し撮りが「靖国神社」って…笑。おかげですさまじい頭痛に襲われました。ゴメンナサイ。
 ちなみに私は変なこだわりがあって、ファイルサイズをKBレベルにするためにスペックダウンさせています。このX-500はいちおう1600万画素だそうですが、私にはそんなことは興味ありません。実際の撮影では500万画素レベルに解像度を落とし、さらに圧縮度を最大にしています。マニア的にはダメダメな画質でしょう。そこんとこよろしく。ではまずは処女撮影。靖国神社拝殿前景。オートです。

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 このカメラにはHDR機能がついています。ただし、iPhoneのカメラのHDRのように複数の露出の写真を合成するタイプではなく、ソフト的な画像処理を施すものです。これが案外いい。目で見たのに近いコントラストを再現してくれます。さっそくかけてみました。雲の描写はちょっと不自然になりますね。

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 HDRは何度でもかけられます。もう一度。こりゃダメだな。

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 続いて光学ズームのテスト。広角から望遠まで、とにかく収差が見事におさえられています。このお値段のカメラにしてはずば抜けた性能でしょう。ここに惚れました。

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 う〜ん、15倍ズームはすごいな。というより、27ミリという広角が気持ちいい。さて、次はその広角端で菊のご紋を撮影。

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 続いて桜の林。

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 HDRをかけてみましょう。おお、見た感じに近い近い。なかなか上手な補正。ちなみに5秒くらいかかります。元ファイルと処理後のファイル両方保存されます。

Gedc1408

 HDRの効果をもう少し見てみましょう。まず元画像。

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 続いて処理後。自然ですね。つくづく人間の眼の性能の良さを感じます。

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 もちろん、写真らしいコントラストの良さもあります。元画像。

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 処理後。好みや撮影意図にもよりますね。まあウチに帰ってソフトで補正すればいいだけの話ですが、なんとなくその場でできるのも面白いですよ。今見ている風景と比較できるので。

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 もう一度ズームのテストをしてみましょう。今度はデジタルズームもやってみます。

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 以上光学ズーム。光学式手ブレ補正onです。次はデジタルズーム。6倍までありますが、これはどのくらいかな?3倍くらい?このくらいなら使えますね。

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 いろいろなモードがある中で、GEお得意のパノラマモード。近い建物を広角で撮るとこんな感じに不自然になっちゃいます。実際はまっすぐな建物です(笑)。基本風景を撮るものですな。

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 魚眼風モード。広角端。

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 魚眼風モード。望遠端。

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 スケッチ風モード。遊べます。

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 遊就館のゼロ戦。27ミリの威力ですね。 

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 これは魚眼モードかな。迫力を出すには効果的ですね。

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 ゼロ戦、後から。尾翼の手前にピントが合っちゃってるな。AFはシングルモードです。マルチとどう違うのか、まだよく分かりません。

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 これも広角の魅力。室内(近距離)でもこういう写真が撮れますからね。

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 これは望遠端です。逆に近づけないものもこれだけ撮れる。

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 D51の一部。魚眼モードは立体感を出すのに効果的ですね。 

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 逆光ストロボ撮影。

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 ロビー全体をパノラマ撮影。パノラマがほとんど自動的に簡単にできます。便利。 

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 …というわけで、まだまだ夜の部がありますが、それは明日以降。とにかく面白いカメラです!

 けっこう使える長時間シャッター、夜景モードなど暗いところについてはこちらの記事をどうぞ。

X500公式

Amazon GE X-500

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2011.11.11

TPPに思う…その2

2011111100000086jijp0000view 日の記事を書いてから2時間ほどして、野田総理の会見がありました。TPPについて「交渉参加に向けて関係国との協議に入る」とのことです。
 これまたうまい言葉を使いましたね。この言葉を捻出するための1日延ばしだったのでしょうか。
 言葉の実質的な意味は「交渉に参加する」ということですが、党内の慎重派や反対派に対しては、離党をとどまる鶴の(神の)一声効果があります。こういうところが輿石東のうまいところでしょう。彼の調整力は山教組の頃からある意味高く評価されていましたから。
 こうして平成の不平等条約を受け入れる準備ができた今年は、皮肉にも幕末の不平等条約を自力で解消してからちょうど100年の年になります。
 1858年の日米修好通商条約などの不平等条約によって経済的な「開国」させられてから50年ほどかかって、1911年に日米通商航海条約を締結して、ようやく関税自主権を取り戻しました。それから100年で再び関税自主権を失うことになるわけです。
 私は日米修好通商条約とTPPは本質的に似て非なる部分があると思っていますから、まあこの物語は憂国の演出の一つにすぎないと受け取っていますが、ただそういう節目の年であって、それなりの記念祝事などが行われたのは事実ですから、なんとも皮肉は皮肉であります。
 そんな歴史を振り返り、私が注目するのは、そうして「開国」によって「売国」された「日本」を、新しい形で「買い戻した」エネルギーです。幕府(井伊直弼)によって売却された「日本」に対する「憂国」の気運は、その後明治維新を実現させ、そして「日本」を国際社会の第一線にまで押し上げました。たった50年でです。
 江戸時代の鎖国日本は、それはそれで安定した社会とも言えるし、そのままの状態を続けられるのなら、現在でも我々はちょんまげを結っていたかもしれません。しかし、世界という外圧はそれを許しませんでした。もともと地球上における国家というものは相対的なものであって、たとえば鎖国でさえも他国との関係性の中での、国家存続の戦略に過ぎません.
 これだけ世界中に物や人や情報や砲弾が自由に行き交う現代においては、もちろん鎖国なんていうことはできませんし、安全保障抜きで国家を考えることなど不可能です。
 今回のTPPにもこうした視点をもって臨むべきでしょうね。まずは安全保障上の問題を最優先し、あとはピンチをチャンスに変えるだけの大きな志を持てるかどうかということです。まずは政治家が維新の志士となれるか。
 私は「売国」という言葉があまり好きではありません。その行為自体にももちろん抵抗がありますが、言葉としてはもっと嫌いです。国を売るという言葉が生まれるということは、その言葉を作った(使った)人間に、そういう概念があるということです。
 このたびの反対派、特に保守の方々が、推進派をして「売国奴」(ある人はBKD48とか言ってましたね…笑)と呼ぶのは自由ですけれども、そういう言葉自体を口にして気持ち悪くないのか、国とはそうしてバイバイ…いや売買可能なものだと思っているのでしょうか。アメリカ化で魂まで抜かれてしまうほど日本はやわではないと思いますがね。
 まあ、売らなきゃ買い戻せないのも事実ですがね。どちらかというと「奪われた国の一部」を「取り返す」と言った方がいいでしょうか。いずれにせよ、たとえTPPがアメリカの策略であろうと陰謀であろうと、昨日書いたように「日本」を取り戻す「チャンス」となる「ピンチ」が世界を覆うことになりそうです。
 ああそうそう、昨日の記事に関して、リチャード・コシミズさんから「頭を冷やせ!」と言われました(笑)。私は彼をよく知っていますが、彼はとっても面白いいい人です。
 最後に今日のツイートを転載します。

 天龍源一郎プロレス35周年記念興行の録画を観た。プロレスはプロ野球とともにアメリカ化の道具として輸入されたが、両者とも結局立派な日本文化となり、逆輸出されるまでになった。歴史的に見ればTPPレベルのことはいくつもあったのだった。

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2011.11.10

TPPに思う

2011111100000019jijp0000view しくて更新が送れています。今実際には11日の18時です。
 もうすぐ野田さんが結論を出すんでしょうか。とりあえず10日は意志表明を先送りした形となりましたね。おそらく輿石さんの入れ知恵でしょう。国や国民のことよりも党内の事情と感じました。
 さて、そのTPPについてですが、私はどういう立場かと言いますと、短期的あるいは感情的に言うと絶対反対です。
 しかし、一方では長期的あるいは理性的に考えると、参加せざるを得ないかなとも思いますね。
 つまり単純な賛成反対二元論では片づかない問題だということです。
 両派の言い分は、それぞれの利益損失に基づくもので、どれもごもっともで間違ってはいないと思います。まあ、全ての政治的な選択はそういう種類のものですね。そして、そこを調整するのが政治家の役目です。
 国民や、それぞれの立場の受益者たちはつい感情的、すなわち利己的になりがちです。そこを長期的、理性的に調整するだけの智恵と度量と交渉術を持ち合わせていないと政治家は務まらないということです。はたして今の民主党、いや民主党だけではないな、全ての政治家はそういう力を持っているのでしょうか。
 ただ単に当面の政治生命をかけての判断だけで動かれてはたまりません。つまり選挙のことだけを考えて、感情的かつ刹那的な国民に迎合するだけではいけません。そういう政治家もいますからね。
 ところで、この一連のアメリカの動きは、たしかに利己的(利米的)であって、ある意味太平洋戦争前夜のアジア侵攻の雰囲気すらありますね。つまり、アメリカがグローバリズムと称するのは世界のアメリカ化ですよね。アメリカのスタンダードの押しつけ、我田引水であるのは間違いありません。
 しかし、アメリカを国家としてとらえるなら、それは別に間違った戦略でありません。また世界と同一化したアメリカが繁栄が、結果として世界の平和や繁栄を意味すると考えているとしても、別にそれ自体は責められません。
 問題は、日本という国家が、そこに巻き込まれて、あるいは積極的に参与していくのか、それとも全く違った価値観と方法で世界の平和を目指すのかということにあるでしょう。
 …と言いつつ、私はここで予言しておきますが(笑)、アメリカのその価値観は来年には全く意味のないものとなるでしょう。すなわち世界支配の道具としてのマネーの力は突如として失われる可能性が高いということです。
 ギリシャやイタリアの経済危機は、近いうちに大規模な金融危機となり、世界に大きな波紋を広げることでしょう。当然アメリカ経済も大打撃を受けますし、中国も大変なことになるでしょう。それをきっかけにしてマネー経済、いや資本主義経済も市場経済も一挙に破綻、ここ100年間世界を支配してきた価値観は大きな転換を迫られるのではないでしょうか。
 もちろん我が国にも大きな影響があります。ただでさえ震災や原発事故によるダメージが残る日本に、さらなる試練が訪れます。しかし、そういうピンチをチャンスに変えてきたのが日本の歴史であり伝統です。
 というわけで、私の妄想の中では、このTPPの交渉に参加しようがしまいが、実は結果はあまり変わらないと思っているのです(苦笑)。
 ある意味、私はもっと先を見ている…のでしょうか。


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2011.11.09

告知! ピーター・ファン・ヘイゲン・赤津眞言・武澤秀平・岡田龍之介 コンサート in 月江寺

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 週の水曜日の夜、富士吉田市の月江寺で大変ぜいたくな無料コンサートが行われます。
 日本を代表する演奏家であり、私の古くからの音楽仲間、そして昨年本校の芸術鑑賞で演奏してくださった赤津さん、岡田さん、武澤くんが再び富士山麓にやってきます(赤津さんと武澤くんは今年7月にも演奏に来てくれました)。
 そしてこのたびはヨーロッパを代表するリコーダー奏者であるピーター・ファン・ヘイゲンさんも一緒。なんともぜいたくな、いやぜいたく過ぎるひとときを味わえそうです。
 本当に音楽のご縁というのはありがたいものです。こんな日が来るとは、あの頃は夢にも思わなかったなあ…感無量。そう、まさに仏教の「縁起」の体現であるアンサンブルが、お寺の本堂に響き渡るのです。あらためて、演奏家の皆さんに、そして本校の理事長先生でもある月江寺ご住職に感謝です。
 特にこの四人のアンサンブル力は、それこそ世界の第一級であることは間違いありません。ぜひお近くの方はもちろん、遠方の方もおいでください。コンサート自体は無料(!)ですから、交通費をかけてもいらっしゃる価値ありですよ。
 生徒たちにはリハーサルの様子を観て聴いてもらう予定です。素晴らしい芸術が生み出される瞬間や過程を体験してもらいましょう。翌日、生徒たちは初めての文化祭の本番を迎えますから、ちょうど良い勉強、刺激になるのではないでしょうか。
 私もものすごく楽しみです。


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2011.11.08

親指シフト対応!デジタルメモ 「ポメラ」 DM100 発表

20111108pomeradm100_2 日のビッグニュース!
 オアシスポケット再降臨!…と言ってもなんのことやら分からない人がほとんどでしょうね(笑)
 いやあ、ワタクシ個人としてはですね、苦節15年を経て、やっとプロレス(IGF)が総合格闘技を呑み込んで大晦日に大きな興行をやってくれるのと同じくらい嬉しいニュースです。
 こっちもまさに苦節15年。富士通のオアシスポケット3を買ったのが、たしか95年だと記憶しています。それからずっと私のモバイル環境には「親指シフト」は基本存在しなかったのであります。
 そして、ついにこの日が来ました!なんと今度のポメラは親指シフトに対応したのであります。まさか、ここで復活するとは…。
 いったいどれだけ隠れプロレスファン、いやいや親指シフターがいるのでしょうか。どんだけ潜伏していたのでしょうか。
 親指シフト…ご存知の方はご存知でしょうか。詳しくは7年前に書いたこちらをご覧下さい(と言っても具体的な話は書いてありませんけど)。
 つまり私は一般的なローマ字入力もカナ入力も、あるいは「親指入力」も大の苦手なのです。今も、こちらの写真のように、MacBookに富士通製の親指シフトキーボードをつないで文章を書いています。
 そんなすっかりマイナーになってしまって、ほとんど難民というか、絶滅危惧種みたいになってしまった親指シフターのために、こんな素晴らしい製品を作ってくれたキングジムさん、本当にあなたは偉い!メーカーの鑑です。
 親指シフト抜きにしても今回のポメラを素晴らしい。2秒で起動。BluetoothでiPhoneやiPadのキーボードとして使える。縦書き表示ができる。単三電池で30時間稼働。その他いろいろ…。もうほとんど完璧ですね。
 筐体は小さくなれど、どんどん中身が重厚長大になり続けてきたデジタル機器の中で、このポメラくんはもともと異彩を放っていました。ある種の割り切りと、真の実用性の追求から生まれたニッチな名品でした。
 だからこそ、我々親指シフターたちは無理を承知で「ぜひ親指シフト対応を!」と願ってきたのです。実際そういう声はネット上などにずいぶん上がっていました。しかし、まさかその夢がこのタイミングで実現するとは…正直皆さん驚きでしょう。
 もうこれは買うしかない!?
F1f8d70caf453c23048870111118c26a_2 しかしですね、実を言いますと、ワタクシ、写真のオアシスポケットを2、3と二台購入したのですが、あんまり日常的には使わなかったんですよね(苦笑)。出先で文章書くことって、実はあんまりないのです。だから今回ポメラを買っても…いやいや、これはある意味記念碑的に手もとに置いておくべきでしょう。もしかすると、本当に記念碑的な作品になるかもしれません。
 これが本当に最後の純正親指シフト対応製品になるかもしれませんし、逆にここから再び「快適で快速な入力方法」として「親指シフト」が復活、繁栄していくかもしれないからです。
 前も書いたように、ローマ字入力の効率の悪さから来る、日本国の経済損失は膨大だと信じています。これはまじですよ。思考回路自体に影響を与えています。今、「日本を守れ!」ということが各所で叫ばれていますが,実はこういうところから始めるのも大切なのでは。
 ちなみに最近で言えば、勝間和代さんがさかんに親指シフトを宣伝してくれていました。今回の製品化ももしかすると勝間さんのおかげの部分もあるかもしれませんね。
 さ〜て、とりあえずは実機を叩いてみたいものです。私にとっては「演奏」に近い感覚ですから、いったいどういう「楽器」に仕上がっているか、そしてどんな素晴らしい響きを私の脳にもたらしてくれるか。非常に楽しみです。

ポメラDM100公式

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2011.11.07

追悼 鳴戸親方(元横綱隆の里)

Imgres 常にショックです。少年の私を支えてくれた恩人が突然亡くなりました。
 「隆ノ里」に出会ったのは小学生の時でした。私たちは休み時間となれば砂場で相撲ばかり取っていました。そういう時代でしたね。私も真剣に力士、いや行司になろうとしていましたっけ。
 「隆ノ里」は当時十両でした。全く注目されない一若手力士だったと思います。なぜ彼のごひいきになったかというと、本当に単純でして、私の名前にも「隆」の字が入っていたからです。当時その字を使っている力士は他にいませんでした。
 その後、彼は「隆の里」と改名し、節制と辛抱と精進を重ね、持病の糖尿病を克服して、昭和58年には第五十九代横綱となりました。そして新横綱として全勝優勝。その後もかの千代の富士の唯一のライバルとして大活躍したのでした。
 その間、私はどうだったかと申しますと、中学、高校になりますと、プチ神童だった(?)小学生の頃の面影はどこへ、なんだか節制も辛抱も精進もできないダメダメな人間になり、それこそ昭和58年には大学入試にも大失敗し、隆の里の横綱昇進は不本意にも山梨県の山の中の大学で祝うことになっていました。
 いや、「祝う」という気持ちすら湧かなかったかもしれません。当時の私にとっての隆の里の活躍は、私のダメダメさを浮き上がらせるまぶしさに過ぎなかったからです。
 本当にごく私的な世界での話ではありますが、このように私にとってはなんともかけがえのない存在であった隆の里関。まさかこういう時に、こういう形でこの世から去ってしまうなんて…。
 まじめな方だったからこそ、ここ数年の相撲界の騒動、そしてご自分の身に降りかかった問題に、強いストレスをお感じになっていたことでしょう。
 最近の一連の話については、私もかつての相撲ファンとして言いたいことがたくさんあります。いや、このブログでも何度も書いてきたかもしれませんね。鳴戸親方のまじめさ、真剣さが認められないような相撲界には、いや日本には何も期待できません。本当にお気の毒です。
 最後に弔意をこめて、以前スポーツは「良い子」を育てるかの記事の中で紹介した鳴戸親方の言葉に関する部分を再掲します。どうかごゆっくりお休みください。

 鳴戸親方(元横綱隆の里)は横綱になった時、「なぜ相撲を取るのか」「何のために相撲を取るのか」という哲学的な自問を繰りかえしたそうです。到達した答は…「それは愛だったね」。
 そう、隆の里関は、それまでお世話になった無数の方々への報恩こそが、相撲(自らの仕事)の本質であることに気づいたのです。これは実に仏教的な発想ですね。美しく重い言葉であります。

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2011.11.06

富士吉田市 もみじ祭り~心静かに紅葉を観る会~

2011momijiomote 葉の季節。それにしてはずいぶん暖かいですね。これではきれいに染まりません。私にはどうしても、温暖化ならぬ「寒冷化」が叫ばれていた頃の、すなわち25年ほど前の山梨の鮮やかすぎる紅葉が脳裏に焼き付いておりまして、どうもここのところの紅葉にはあまり感動できないでいました。
 しかし、今日はまた新たな紅葉の魅力を体験することになりました。
 夜、なんとなく思いついて、家族で富士吉田市の歴史民俗博物館で行われているもみじ祭り(ポスターでは「紅葉まつり」…表記を統一してほしいですね…笑)の夜間ライトアップに行ってきました。
 あまりの暖かさに、まだ緑の葉もたくさん残っている状況でしたが、それがまた不思議な錦を織りなす結果となり、予想以上に美しい光景を味わうことができました。
 それに、今日は富士山麓特有の濃霧が発生しまして、それがまた実に幻想的な効果となっておりました。これはこれで初めて見る美しさでした。というか、この季節にこんな霧が発生するのも温暖化のおかげでしょうか。
 iPhoneで写真を何枚か撮ってきましたので、ご覧下さい。雰囲気は感じていただけるのでは。温暖化のおかげで今週いっぱい見頃が続きそうですので、ぜひ。13日まで毎日、日没から9時までライトアップされます。霧の発生は保証しませんが(笑)。河口湖や山中湖の派手なライトアップもいいものですが、たしかにこうして「心静かに」鑑賞するのもオツですね。

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富士吉田市公式

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2011.11.05

Perfume 『スパイス』

 、2年生の教室ではフジファブリックの「若者のすべて」が響きまくっています。再来週の文化祭の発表に向けて練習しているのです。
 歌ってみるととても難しい曲であることが分かりますね。Twitterでも思わずつぶやいちゃいましたが、たとえばサビの最初の音は、コードをGとするなら、歌はF#とAになります。
 これはまあバークリー・メソッドで言えばGmaj9ということになるでしょうけど、中学生の音楽レベル(すなわち古典的和声の世界)で言えば、かなり過激な不協和音であり、特に歌では音程がとりにくい。ピアノがジャンとGの和音を押しているところにいきなり非和声音はきついですよね。中学の合唱曲ではそういう作曲や編曲はされません。
 そして、音域が高い。原調では最高音はG#です。中学生のソプラノとしては限界に近い。また、ご存知のとおりメロディーの抑揚が大きいので、それだけでも音程は取りにくいのです。
 ライヴなどで志村くんはかなり音程をはずしてましたが(笑)、実はとっても難しい曲を作ってしまったのです、彼は。
 コード進行的に言えばなんでもないサビなんですがね。ちなみに「Bye Bye」のサビも同じコード進行です。なのに全くそれを感じさせない二つの個性的なメロディーを作ってしまうところが、志村正彦の天才的な部分です。
 私、普通の曲を聴くと、まずコード進行で解釈してしまうんです。それで「またこれか」みたいに思ってしまうことが多い。しかし、フジファブリックの志村くんの曲やレミオロメンの藤巻くんの曲は、必ずメロディーから入ってくる。たまたま山梨の二人がそうだというのも面白いですね。
 そう、レミオロメンの楽曲解説のところでも、「不協和音」とか「非和声音」という言葉をよく使いました。なんなんでしょうね、この山梨旋律。コト(型)よりもモノ(感性)が優先しているんでしょうかね。
 おっと今日の本題からかなり離れてしまった。今日はPerfumeでした。この「若者のすべて」を聴きまくった、そしてカラオケで歌いまくったというPerfumeの3人。昨年末のフジテレビの音楽番組でこんなふうに語りましたね。
 
あ…「今年めっちゃ聴いた曲」ありますね。3人ともものすごい聴いてた曲が。フジファブリックの「若者のすべて」っていう曲。もうすごく大好きで、どんな時でも、なんか精神統一じゃないですけど、仕事の前の大事な時とかに「若者のすべて」を聴いて、じわ〜っとしてあったかい気持ちになって、「よし行こう」ってなったりだとか。
の…あの曲聴いてじゃないとならない感情みたいなのがあって、それもすごい良かったですね。
か…常に楽屋で聴いてたよね。
あ…「なんか聴こう」ってなったら、誰がかけてもその曲にするみたいな。
の…自然とね。
あ…あの〜、今年でしたっけ、「フジフジ富士Q」ね、イベントに行かせて頂いて、フジファブリックさんのイベントなんですけれども、志村さんの追悼イベントっていうことで。それからね。もうその前もね、すごいいいって言ってね、聴いてたんですけど。
の…めっちゃ聴いた。
あ…うんそうだね。 聴かれたことにちゃんと適してるね。
の…めっちゃ聴いた。
あ…めっちゃ聴いた曲ですね。はい。

 ある意味志村的世界とは対極にある音楽をやっている彼女たちから、こういう言葉が出るとは、なんともうれしい限りです。というか、志村くん自身とってもうれしいでしょう。けっこう彼、Perfume好きそうだし(笑)。
 そんなPerfumeの新曲が出ました。なかなかいい曲ですね。これもまたある意味「コトを窮めてモノに至る」かもしれないなあ。
 中田ヤスタカがしかける彼女たちの音楽は、非常に「意図的」に作られた「コト」です。だいたいが、生身の人間のボーカルにああいうエフェクトをかけてボーカロイド風にするという、まあ逆転の発想というか、とんでもないフィクションをやらかしているわけじゃないですか。
 しかし、不思議とそこに「人間」という「モノ」が立ち上がってくる。「若者のすべて」の話は、それを象徴するようなエピソードですね。
 このスパイスもよく聴いてみると、妙なコード進行や転調、しかし懐かしいペンタトニック調のメロディー、今までのパターン化した商業曲からはずれた展開、摩訶不思議な言葉の羅列など、実は志村ワールドに近いモノを感じることもできます。面白いですね。
 今となっては志村くんが彼女たちに楽曲提供することはできなくなってしまいましたが、既存の志村作品をハウステクノ風にリミックスするというのもありかと思います。彼女たちなら、きっと上手に、そして心を込めて、新しい命を吹き込んでくれるような気がします。中田さん、いかがでしょうか。

Amazon スパイス

 

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2011.11.04

iPod・iPhone用小型FMトランスミッター em-83 (星光産業)

H11051225 くて便利な製品を紹介します。実質1500円ですが、価格以上の価値がありますよ。
 まず最初に。メーカーさんは「iPod用」としていますが、iPhone4でも問題なく使えました。iPhone用と記した方がよく売れると思うんですが。
 ウチは夫婦でiPhoneを使っています。娘たちは、私のiPhoneはいじりませんが、家内のiPhoneは我が物顔で操作します。もちろん電話として使うのではなく、音楽を聴いたり、YouTubeを見たり、ゲームをやったり、つまりiPod touchのように使うということですね。
 で、娘たち、カミさんの車に乗るとすぐにiPhoneを取り上げて、アニソンなんかを聴き始める(歌い始める)んですね。そんな時のために買ったのが、このトランスミッターです。
 iPod・iPhone用のトランスミッターってたくさんありますよね。今までもいくつか買って使っていたのですが、それらはシガーライターから電源をとって、iPhoneのヘッドフォンプラグから音を拾うというタイプでした。
 そういう「有線」のタイプですと、娘たちが後部座席で操作できなかったんですよね。コードの長さが足りないわけです。
 その点、このタイプは無線でも使えるからいいですね。つまりiPhoneのドックコネクタに差し込んで、そこから給電してもらいながら使えるというわけです。車内、コードレスというのは何かと便利なものですよね…というかコードは常に厄介です。
H110512y125 一方で写真のようにシガーライターから給電して、つまりiPhoneに充電しながら使うこともできます。コードレスで使っているとiPhoneのバッテリーの減りが早くなるのは当然ですから、こういう機能があるのは助かります。単純にiPhoneの車内充電器としても便利ですしね。
 音質はまあまあ。車内のFMラジオで聴く分には全く問題ない程度です。ただ小型ということもあってか電波の出力は弱め。車内でも場所や方向によってはノイズが出ます。また、近くを大出力のトランスミッター搭載の車が通ると、一挙にジャックされてしまいます。すなわち全然違う音楽が聴ける(笑)。この前、横浜から富士山に帰ってくる2時間の間に5回ほど乗っ取られました。
 ちなみに私は自分の車ではこちらを使っています。あらためてこれはすごい音質です。特にピアノやチェンバロなどアコースティックの音の美しさはすごい。ホームオーディオやヘッドフォンでは味わえません。絶対に売れない隠れた名品ですね(笑)。

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iPodを車内のFMラジオからトランスミッター機能で聴ける!!星光産業 EM-83 FMトランスミッター2 BK

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2011.11.03

フィクションとリアル、デジタルとアナログ、コトとモノ

20071128120311 日は文化の日。私は原宿の東京中央教会にてコンサート。たくさんのお客様にご来場いただき気持ちよく演奏させていただきました。
 しかし、不思議なもので、これだけ経験を積んでいても、なぜか本番になると今まで間違ったことのないところで間違ったり、突然分からなくなったり、変なことが気になったりするんですよね。興味深い現象ですね。昔ならそういう状況に陥るとパニックを起こし、さらなる非常事態が発生するのですが、まあ年の功でしょう、そんな非日常な自分を冷静に観察できるようになりました(笑)。
 さてさて、今日はなんとなくまとまらないことをつらつらと書き散らそうと思います。文化の日なので(?)。
 けっこう前から「コトを窮めてモノに至る」という言い方をしてきました。なんだか分からないという方も多いと思いますが、たとえば、「型(カタ…コトと同源です)」にはまればはまるほど、どんどん個性が顕在化してくるというようなことありますよね。スポーツや芸術や禅の修行やファッションや、まあいろんなことにあてはまります。
 音楽なんかもそうです。私が今日演奏したバロック音楽なんかも、そういう「カタ(コト)」が力を持ち始めた頃の音楽です。和声や調性、対位法、拍子、数の象徴性や作品の構成などが、ずいぶんと固まってきた時期です。
 しかし一方で、神の世界に人間の感情がくいこんでいく時期でもあり、そういう「劇的」な表現が発達したとも言えます。カタ(コト)がはっきりしていく中で、人間や自然の中に存する何か(モノ)が表出されてきたわけです。
 ところで今日は文化の日。皆さん、文化の日は明治天皇のお誕生日だということ意識していますか?明治節です。明治時代なら今上天皇の誕生日ということで天長節。
 今日の会場は明治神宮のすぐ近くでしたから、あのいかにも現代的で非明治的であるはずの空間に、なにか不思議な空気が漂っていたのも事実です。まさにコーティングされた現代都市というコトに滲出する明治天皇の霊(モノ)。
 そう、今日会場入りする少し前、道路が工事で混んでいましてね、渋滞に巻き込まれたんです。約30分くらいノロノロ動いたり止まったり。で、私の車のすぐ後に、今日は明治節ということでしょうかね、右翼さんの街宣車がいまして、ずっと軍歌を流していたんです。
 おかげさまで、久しぶりにゆっくり軍歌を聴きました。なんかとても懐かしい気持ちになりました。これもどこまでがフィクションでどこからがリアルなのか、なんかよく分からない、それこそ「物語的」な世界になりましたね。モノガタリとはまさに「モノ」を「カタ」ることですから、本当のことを表現するために、あえてウソをつくことなんですよ。
 考えてみれば、明治天皇という存在、あるいはあの明治神宮という存在、あるいは右翼だ左翼だなんていう存在自体、フィクションと言えばフィクションです。だいたい、そういう右とか左とかいうデジタル的なものってフィクションなんですよね。絶対唯一の天皇自体、その補集合の存在を仮定せずにはありえないので、ある意味とってもデジタルな産物であります。しかし、そこを起点に多くの怪しいアナロジーが生まれたのは言うまでもありません。
Img_3867_2 それから、また話が飛びつつ一つに集約されていきますが、会場である東京中央教会はセブンスデー・アドベンチスト教会の施設です。SDAはいわゆるプロテスタントに属しますが、土曜日を安息日にするなど、ちょっと珍しい教えを持っています。プロテスタント自体が、まさにカトリックに対するプロテストという、ある意味左右みたいな発想に基づくデジタル的なコトですが、その中でもさらなるプロテストがあるわけでして、そうして行くうちに、なんだか実に多様なモノが現出してくるわけですね。たいがい宗教というフィクションはそうやって「自然(モノ)」に帰っていきます。
1e4a55ec ついでに、また飛びつつ戻ります。その教会の隣に、浮世絵の太田記念美術館を見つけましたので、せっかくですから本番前昼食の時間に(私は昼食は食べないので)行ってきました。これが実に面白かった。まさにフィクションのオンパレード。
 今展示されている企画は「浮世絵戦国絵巻〜城と武将」でした。江戸期は、たとえば絵本太閤記の事件が示すように、徳川家以外の戦国武将を扱うのがとても難しい時代だったじゃないですか。しかし、徳川家に不満を持つ江戸庶民はついついいけないモノに興味を持つ。
 だから皆さんご存知のように、この時代は検閲にひっかからないように、見え見えのウソを連発するわけですよ。浮世絵でも当然そうです。もっと古い時代の武将に仮託したり、名前を微妙に変えたりしてですね、私は徳川家の批判なんてしてませんよと。
 それが見え見えバレバレなのが面白い。つまり、ウソはウソだと分からなければ意味がないわけです。ウソだと分かるから、裏の真実が見えてくる。まさにコトがモノを生むのです。
 特に幕末から明治初期にかけて活躍した大蘇芳年(月岡芳年)の作品は面白かったなあ。いつのまにか彼を象徴することになった「血みどろ」とか「妖怪」とか、そういういかにも彼「らしい」という後付けのフィクション世界はほとんどありませんでした。あのフィクションは三島由紀夫あたりが作り出したものか?
 しかし、そういう物語は抜きにしても、あの激動の時代を見事なウソでホントを表現した天才ですね。ある意味師匠の国芳よりも才能あったかも。
 と、いろいろ語ってきましたが、自分でもよくわかりません。こうやって語ることも全てウソと言えばウソです。全ての歴史は偽史である。そういうことです。しかし、その集合体は結局、ホンモノに帰って行くのでしょう。だから、ウソはたくさんつくべきです。もちろんウソと言っても人に迷惑をかけるウソはいけません。皆さんも私の語ることを信じないようにしましょう(笑)。

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2011.11.02

「いつもの丘」で「若者のすべて」

 日は学校で秋の紅葉狩り遠足ならぬ「近足」。3時間目と4時間目だけ外に出かけました。向かったのはいわゆる「忠霊塔」。フジファブリックのファンの方には「いつもの丘」と言った方がよく分かるでしょうか。
 春にもここで缶蹴り&大縄跳びをやりましたね。お弁当を食べながらのこの行事はどうも恒例になりそうです。
 特に2年生は、ここのところずっと地元の天才志村正彦を授業で扱い、また17日の文化祭で彼の曲を歌ったり踊ったりするための練習を毎日やっているので、ここに来ることに特別な意味を感じているのでした。
 で、今日は行事の最後に、志村くんが眺めた風景を前に「若者のすべて」をみんなで歌おうということにしました。私にとっても感慨深いことです。
 今日は何人かのフジファンの方がこの丘(山)にいらっしゃっていまして、私たちの様子をご覧になったり、生徒や私とお話してくださったり、そういう出会いもありました。皆さん、ウチの生徒たちの異常なほどの(笑)純粋さに驚かれていました。たしかに、大縄跳びや缶蹴り(今日はドロケー?)や歌をこんなに一生懸命やっちゃう中学生は、日本中いや世界中探してもいないでしょうね…というか、そういう行事をやる学校がないのか(笑)。
 生徒も私もファンの皆さんも、なんとなく志村くんがそこにいるように感じていたのではないでしょうか。今日の記事ではそんな様子を写真で紹介します。彼も喜んでくれたかなあ…だといいな。

↓忠霊塔に到着。素晴らしいお天気。
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↓大縄跳び。男女対抗戦は女子が勝利(やっぱり)。
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↓空を見上げながらお弁当タイム。何を夢見る。
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↓缶蹴り(ドロケー)が始まります。異常な盛り上がり(笑)。
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↓志村くんが眺め、そして決意した風景。
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↓富士山に向かって「若者のすべて」を歌い始めました。
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↓歌い終わる頃には山頂も姿を現しました!
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 歌い終わると私と代表生徒3名は急いで富士吉田市役所へ。今日は「市長さんと話す会」というものがありました。まあ形式的な行事ではありますが、(問題点も含めて)いろいろ考えさせられましたね。富士吉田、本当に頑張らないと。
 地方からいらしたフジファブリックファンの方々には、必ず「本当にいい街ですね」と言われるここ富士吉田。たしかにいい街だと思います。だからこそ市民や関係者は頑張らないと。愚痴と悪口ばかりでは文化は芽生えません。
 特にこの街の未来を担う子どもたちを育てる私たちの責任は重大だな…そんなことをつくづく感じさせられた一日でありました。


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2011.11.01

WesternDigital WD Elements SE Portable 1TB (USB2.0対応 ポータブルハードディスク)

317o3ksnvxl しい時に限って職場の MacBook aluminium の調子が悪くなる、というのは今までもけっこうあったことです。
 もともと中古を買ったということもあってか、内蔵ハードディスクにトラブルが生じることが多く、ちょっとアヤシイなと思ったらとりあえず初期化して、Time Machine で復元するというようなことを半年に1回くらいやってきました。
 今回もアヤシイなと思って、まずは First Aid してみたのですが、別に問題はないと言われる。しかし、なんか動作が重いどころか、時々風車が回った状態で動かなくなってしまう。そこで、Tech Tool で調べると、やはり読み取りエラーが頻発していました。
 160GBの容量も手狭になってきたし、いよいよ換装しようかなと考えましたが、内蔵HDDというのは案外高いんですよね。今金欠なのでちょっと困る。そこで妙案を考え出しました。
 ってほどの妙案ではないんですがね。今 Time Machine として使っている250GBの外付けポータブルハードディスクが、けっこう調子がいい。読み書き早いし、音も静かなんです。おお、そうだ、こいつを内蔵にして、Time Machine 用にはもう少し大きな容量のものを買おう。そう考えました。中身が東芝製のSATAだと分かっていたからです。
 で、先にその結果を書いておきますが、それはなんの問題もなく換装できました。ただし、そのケースを分解するのが大変で、結局技術の先生にのこぎりでギコギコ切ってぶっ壊してもらいました(笑)。HDDは無事?摘出され、見事移植されたというわけです。
 で、新しい Time Machine 用に買ったのがこれです。一般的なポータブルハードディスクの500GBのお値段(Amazonで7254円)で買える1TBです!それもWesternDigital社の製品ですから、中身は当然WesternDigital社製でしょう。信頼性も高い。
111102_6_50_36_hdr ある意味非常にそっけない(エコな)パッケージに入っていて、店頭に並んでいると全く目立ちません。ポータブルハードディスクであることさえも分からないくらいです。日本語が全然ないんで。
 形自体「いったい何?」という感じです。日本製のものがほとんど、いかにも2.5inchSATAをケースに入れました的な形をしているに、これはいったいどんな形のHDDが入ってるんだ?という感じですし。
 こいつを分解した人の話によると、なんだか特殊な形状のHDDか使われているようです。だから、今回のようにケースをぶっ壊して摘出して移植するというような用途では使えないようです(ってそんな使い方あんまりしないよな)。
 実際使ってみると別になんの問題もなくフォーマットでき認識されました。音も静か。速度も普通。けっこう調子よさそうですし、形も意外に安定感があってよい。日本製のように薄くはないけれども、ちょうど手に収まるくらいの大きさでなんとなくカワイイ。それこそ日本製とは大違いで、なんの洒落っ気もないただの真っ黒な箱だけれども、それが逆にオシャレなような気もします。
 ただなんでUSBの端子があんな特殊な形なんでしょう。一般的なケーブルは使えません。謎だ。いざと言う時(ケーブルを忘れた時とか)ちょっと残念なことになってしまう。ま、私は据置きの代わりに使うので問題ありませんけど。
 というわけで、MacBookも安定しました。明日にはメモリも倍増する予定でして、なんとか今週末のプレゼンには安心して使えそうです。少しホッとしました。
 そうそう、調子の悪かったオリジナルのHDDですけど富士通製でした。しかし、よく見ると「Fujitsu Korea made in Thailand」って書いてありました(笑)。

WD Elements SE 公式

Amazon WesternDigital WD Elements SE Portable 1TB


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