『東京大学のアルバート・アイラー - 東大ジャズ講義録・歴史編』 菊地成孔・大谷能生 (文春文庫)
仕事上急に必要になって一気に読破しました。
評判がいい本だったのでいつか読もうと思っていたんですよね。それをこうして生徒のおかげで読むことができるなんて、まあいい仕事ですね。
そして、たいがいそれらの本は面白いから得した気分になりますね。人様のおかげでこんなに楽しめるなんて。
このブログで紹介してきた本は、実はほとんどそういう必要と強制によって読んだ本がほとんどなんですよね。私読書苦手なんで(笑)。
この本もメチャクチャ面白かった!ある意味では私の知っている、あるいは感じてきたジャズの歴史と同じであったわけですけど、実際の曲(聴けませんが想像することはできます。あとネットで聴こうと思えば聴ける)の絶妙のセレクトが楽しかったし、そのおかげで「歴史」を体感することができました。
菊地さん、私と同世代の方ですから、ちょっとした言葉(つまり世の中の切り取り方)が、なんというか妙に納得できるといいいますかね、思わずニヤついてしまう瞬間がたくさんありました。
たとえば、彼は最初から「ジャズ史に限らず、およそ人間が編纂する歴史は総て偽史である」と宣言して、実に立派な偽史を開陳して見せてくれています。実に我らの世代的な姿勢ですね。
あと、ちょっと変かもしれませんが、私が一番ウケたのは、次の一節です。十二音平均率とバークリー・メソッドの上に展開されていた(楽譜に記された)プレ・モダンからモダンへの変遷を説明しているところです。
「ノーマン・グランツっていうプロデューサーはさ、ジャム・セッションっていう、ミュージシャンにとってはいわばスパーリングみたいな演奏に目をつけて、『大物同士のガチなスパーリングは金になる』ってことで、それまでアンダーグラウンドで行われてたバトルを立派な興行に仕立て上げることに成功した人です…大所帯で巡業する『伝統的な団体プロレス』が、スパーリングの商品化である『総合格闘技』に駆逐されていくっていう、近年の格闘技界の流れを思い起こさせるって話もありますね!(笑)」
そっかあ…ジャズ界ではこの流れが1950年代にあったんですね(笑)。ま、今やその総合格闘技とやらも絶滅の危機に瀕し、再び「プレ・モダン」たるプロレスが復興してきていますからね、その後さらに「フリー化」していったジャズと格闘技とでは同列に扱えないということですかね。でも、たしかに、一点の現象としては上記の比喩はなかなか的を射ていると思いますよ。
ここで私はいつも生徒に言っていることを書きます。極端な論かもしれませんが、結局菊地さんや大谷さんの言いたかったことになるかと思うからです。
ドレミファソラシドの音楽、つまりクラシック音楽、言い換えれば西洋近代芸術音楽は、「ジャズ」を生み出すための準備に過ぎなかった。
私はいつも書いているように、いわゆるクラシック音楽は、「科学」と同様、ある面においては人間の叡知の極点であって、それはそれで素晴らしい「物語」「幻想」であったと思っています。神不在となった近代に、人間の妄想としての、つまり人間の脳内で構築された「コト」としては、それこそ疑似的な神世界を創造するまでに至ったと考えていますが、しかし、それはあくまで人間の脳内の仕業であったとも思うんです。
その象徴が西洋近代楽器たちです。ほとんど工業製品ですよね。楽譜というデータと工業製品によって、どんどん(人間の価値観の上で)純化していったのがクラシックと言われる分野です。
ジャズのすごいところは、そのカウンター・カルチャーである黒人文化が、その白人文化を駆逐することなく、逆にその楽譜と工業製品を使って発達してしまったことにあります。皆さんご存知のように、ジャズはアフリカをはじめとする民族音楽のリズムや音階への回帰を目指しつつ、しかし使用する楽器はモロに欧米近代楽器ですよね。
そここそがジャズの魅力であり、価値であると思います。対立ではなく融和、いや対立している(それぞれそのままの姿である)のに、見事にアウフヘーベンされていく。それはそれまでの民族音楽やクラシック音楽ではなしえなかった境地です。
民族音楽は自然発生的にどこにでもあり、今もこれからも生き続けます。しかしクラシック音楽は人工的な欲求から生まれた部分も多い。そして、それはジャズというより高次でいまだ完成せず変化し続ける、つまり常に「モダン(現代的)」でありうる音楽を生み出すのに不可欠な要素だったわけです。
だから、あのヨーロッパというちっぽけな空間で300年くらいというちっぽけな時間の中で精緻を窮めていったクラシック音楽というのは、世界の、地球の音楽史において非常に特殊であり、かつ重要な役割を果たしているのです(だから、私は演奏するのです)。ちなみにそれが「高級」であるとは全く思っていませんが(笑)。
「コード」と「モード」…これはまさに近代と前近代、ヨーロッパとその他のせめぎあいの象徴です。いや、せめぎあいではなくなったのかもしれません。ジャズの100年近い歴史を通じて、地球の音楽は次のステップに入ったと言えるかもしれません。
ちなみにこの本ではMIDIをもって最先端の「現代」を語っています。まあそれはそうですね。この講義が行われたのは2004年ですから。
私は、そうした電化・磁化、あるいは情報化・数値化の上に、最近またとんでもない革命が起きつつあると思っています。それは「初音ミク」です。「科学」を下敷きにした「アニマ」の復権だと、私は本気で思っています(笑)。
なんて、こんな感じの私的な「偽史」を妄想してしまうほどに、この本は刺激に満ちておりました。青に続いて次は赤「キーワード編」も読んでみようっと。
Amazon 東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編
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コメント
菊地成孔さんのバークレーメソッドの文庫本を読み始めたら、いきなりバッハどころかシュッツで驚きました。しかし、ジャズの門外漢の私には難しいのでちょっと読んで止まってしまってます。
あと、NHKBSの番組、「私が子供だった頃」の菊地成孔さんの回は、とても面白かったです。この方を育てた時代を感じさせてくれました。
投稿: 貧乏伯爵 | 2011.10.03 08:29
気違い。
投稿: sr | 2013.08.27 13:40