結果はスタート(実=種)
昨日のバンプのゼロの記事でも、『終わりを描いて、しかしそれがスタート地点ゼロであるというのも、やはり、「今」の終わりが「未来」の始まりだという感覚に基づいたものでしょう』と書きましたね。
実は一昨日には、生徒にそんなような話をしたんです。それを今日はここに記しておきます。
本当のことを言うと、実はもっと前に一部の生徒には話していました。この日です。そう、バスケットボールの新人戦の開会式での挨拶です。
ところが一昨日バスケ部の生徒に確認したら、全然覚えてない(笑)。まあ、そんなもんですよね。大会前の(エライ人?の)挨拶なんて、誰も聴いてはいません(苦笑)。
きっと皆さんも「ふ〜ん」とか「へえ」とか思う程度、あるいは全く読まないかいずれかでしょうけれど、自分としては忘れたくないので書いておきます(自分も忘れたりして)。
ずいぶんと秋らしくなってきましたね。秋は実りの季節です。いろいろな実がなる季節です。果実が結ぶのですから、つまりは「結果」が出る季節ということですね。
これはもちろん植物界の話です。たとえば各種くだもの、そしてお米。たしかに実がなりますね。春に芽が出て、夏に花を咲かせ、そして実がなる。そういうイメージを私たちはたしかに持っています。
そうしたサイクルで考えれば、たしかに「結果」は最後のステージという気もしますし、実際のところ我々は、「結果」という言葉に「終わり」のイメージを重ねていますね。
原因があって結果があるとか、結果的にこうなったとか、結果を出せとか、結果が全てだとか、一連の物語の結末という感じはたしかにある。
しかし、よく考えてみると、「実」というのは「種」なんですよね。くだものも米も「種」です。それが地に落ち、寒く厳しい冬、氷や雪の下でじっと堪え、機を待ち、そうして春になって芽を出す。そういうものです。
ですから、「結果」というのは、ある意味では「終わり」であると同時に、ある意味では「始まり」であるわけです。おそらく、おそらくですが、植物は「果」に新たなスタートへの祈りをこめているのでしょう。だから、実は強く美しい。
これをそのまま人間にあてはめると、「結果」は出産(誕生)ということになりますが、実際にはそういう感覚を持っていない方がほとんどでしょう。人間は最も大切な仕事である「子孫を残す」ということともに、ずいぶんとたくさんの仕事を持ってしまっているので、なかなかそういう本当のところに気づきません。ついついテストの結果とか、試合の結果とかに一喜一憂してしまうんですね。
まあ、中学生にはそこまでは話しませんでしたが、とにかく「結果」のためだけに努力するのではない、「結果」は新たなステージへの第一歩なのだ、というようなことを伝えたつもりです。
「結果」という言葉自体が「実を結ぶ」意味だと捉えていなかった生徒がほとんどでしょう。「成果」もそうですよね。そうして何気ない日常の本質的なところに気づくことこそ勉強だと思います。
「結果」はスタートである…そうすると、やっぱり「結果」を出さなきゃ始まらないということです。別にたいそうな結果でなくともよいのです。負けでも失敗でも、それが「結果」すなわち「新しい時代への出発点」だと思うことが大切なのです。
「結果が出なかった」とか「結果が悪かった」とかいうことの方が多いのが人生。しかし、それもまた立派な「結果」であり、それが次のステップへの必然であったと考えれば、後悔したり反省したり自責したり、もちろん他責したりする必要は全くありません…なんて、いかにもワタクシらしい能天気な哲学でありますな(笑)。
でも、私はけっこう真剣にそう思っているんですよ。その「結果」がこういう私の人生なのです。どうです?見習った方がいいか、それとも…。
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コメント
こんにちは!
仏教でいう、因縁果報のことですね。うまく説明できませんが、因に働きかける縁があって、結果が生じる。
結果を生じたことは、何らかの影響を残し、それが因となり、縁が生じて結果を生む。そしてまたそれが原因となって・・・・、どこまでもどこまでも、その繰り返しですね。
投稿: kobayashi | 2011.10.22 19:01