« 科学の倫理 | トップページ | 『教育と魂の開発-東洋学的考察』 桑原昭吉 (文芸社) »

2011.09.14

追悼 リチャード・ハミルトン

↓「一体何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものにしているのか」
Hamilton ップ・アートの父と呼ばれたリチャード・ハミルトンが亡くなりました。少し前に高松宮殿下記念世界文化賞をもらった時、ああまだまだ元気だなと思ったのですが。
 こうして「モダン」がどんどん亡くなっていくと、次には何が来るのでしょうか。ポスト・モダンが幻想だったわけですから不安になりますね。
 そう、いつも歴史について語りながら不安になっていたんです。だって、「近代」とか「現代」とか簡単に言っていますが、100年後、1000年後はどうするんだろうって思いませんか?いつが「現代」なんでしょう。
 ということは、もしかすると、歴史を歴史として体系化した「近現代」で歴史は終わってしまうのではないかと。我々の歴史は「今」を体系の一部に位置づけた時点で終わってしまうのではないかと。
 そんな恐怖と闘ったのがポスト・モダンだったのかもしれません。しかし、彼らもやはり「今」のあとに「今」を構築できなかった。実は「今」はそんな空虚な時代なのかもしれませんね。
 「通俗的、一過性、消耗品、安価、大量、若々しい、しゃれた、セクシー、見掛け倒し、魅力的、大企業」…ハミルトンがポップ・アートを語った言葉です。彼はそんな空虚なポスト・モダンを予見していたかのようです。
 昨日の田中正造の言葉とはずいぶんと対極的ですよね。結局モダンな科学とやらは、こんなふうに「今日の家庭をこれほどにを変え、魅力あるものにし」たのです。
220pxbeatles_white_albumsvg そうしますと、ハミルトンがデザインしたあのビートルズの「ザ・ビートルズ」もまた非常に象徴的な気がしてきますね。科学技術に支えられたモダンでポップで豊かな世界の裏側にある極まった「空虚さ」に、彼は気づいていたのでしょうし、ビートルズのメンバーも気づいていたのでしょう。
 サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドやマジカル・ミステリー・ツアー、そしてイエロー・サブマリンにはさまれて、あの「ホワイト・アルバム」が屹立している意味は、「今」になってさらに深く大きくなっていると思います。
 そんな「今」という未来を予見していたハミルトンは、モダン以降の「今」をどんなふうに眺めながら生きてきたのでしょうか。いや、彼のことだから、さらなる未来を見ていたのかもしれませんね。それがどんな世界だったのか。最近の作品を私は知りません。探してみたいと思います。

|

« 科学の倫理 | トップページ | 『教育と魂の開発-東洋学的考察』 桑原昭吉 (文芸社) »

ニュース」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

美術」カテゴリの記事

自然・科学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 追悼 リチャード・ハミルトン:

« 科学の倫理 | トップページ | 『教育と魂の開発-東洋学的考察』 桑原昭吉 (文芸社) »