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2011.09.22

『日教組』 森口朗 (新潮新書)

10610397 によくできた本です。「よくできた」とは褒め言葉なのか、それとも…。
 たぶん、両面あるでしょうね。というのは、この「日教組」問題というのは、戦後イデオロギー闘争(論争という方が正しいか)の中核をなしてきたとともに、平成の世におけるその残滓という風情があるからです。
 なにごともそうですが、時間の経過という、イデオロギーを超えた「モノ」を重ねると、イデオロギーなんていう「コト」世界は単なる形式になってしまい、その本質はモノたる歴史的文化になってしまいます。
 ですから、現在の日教組は、森口さんの言うように、昔の元気だった頃の面影は全くありません。一つの伝統文化、伝統芸能のように成り下がって(成り上がって)います。
 特に我が山梨県は、この本にも書かれていますとおり、加入率は100%に近くとも、いわゆる「ひのきみ(国旗・国歌)」問題なんか昭和の昔からずっとほぼ100%ありませんし、いわゆる伝統的な(?)左翼思想を持っている先生なんかには、今までたった二人しか出会っていません。
 もちろん、その伝統文化化してしまった「組合」には、それこそ江戸的な利権構造ができあがっており、特に輿石東を担ぐための集票&集金装置としては、現在では見事なまでの「組織力」を誇っています。
 しかし、それはあくまで文化であって、決してイデオロギーに基づくものではありません。山梨の公教育の現場に「最も近い外部」にいる私はよく分かっています。
 それを、たとえば、この前紹介した「決定版 民主党と日教組」などのように、保守側から一面的にとらえて批判することも可能ですし、実際、今までのイデオロギー闘争は、互いをそうして批判、罵倒して行われてきました。
 そうした闘争者、あるいはこの本に出てくるような「飲み屋論壇」には、森口さんの日教組論はなんとも骨のない、つまり魅力のないものかもしれません。
 しかし、今の私は、とりあえずは山梨県の文化としての山教組の歴史と伝統、そしてシステムに大変に興味があります。もちろん、それを良しとしているのではなく、子どもたちのためには基本的にいつか解体しなければならないと思っているのですが、それにしても、どうしてこんなに「完璧な」システムが出来上がったのか、非常に興味があるのです。まるで一つの非近代的国家のようですから。
 そういう視点からしますと、この本は画期的だと思います。よくぞここまで「どちらにもつかず離れず」批判と分析を行なったなと。今の私はなるべくそういうスタンスを取りたい、たとえば、ここまで日教組を愛のムチで「育てた」自民党の責任も問いたいですし、その反対勢力としての共産党や社会党、そして現在その「伝統文化」を政治に独占利用できる立場になっていい気になっている民主党をも批判的に見ていきたいのです。
 ある意味そうした玉虫色、あるいは日和見主義、いや風見鶏にならなければ、根本的な改革も不可能だと感じるくらいに、その伝統文化は強固なものなのです。相手も懐柔策を取ってきますから、こっちもそれにしっかり応じていかないと。つまり、ある程度ヤクザ的な手法も必要なのです(苦笑)。
 そうそう、ヤクザ的と言えば、そういう昭和の自民党のような芝居風な政治手法を、森口さんは「プロレス」と称して揶揄していますね。なんとなくその意図するところが分かる反面、熱烈なプロレスファンとしてはちょっと悔しいというか、「プロレス」にも本物と偽物がある、「プロレスごっこ」にも上等なものとそうでないものがある、と言いたくなりますが、そんなことを言い出すのは野暮ですよね(笑)。レトリックですからね。レトリックに食い付くと原理主義になっちゃいます。
 まあ、いずれにせよ、この本は勉強になりました。昭和39年生まれの私は、いわゆるノンポリ世代であって、イデオロギーとは無縁に生きてきましたので、戦後、こういう生々しい闘争(論争)があったということを知るだけでも、とても勉強になりました。
 そんな歴史がいまでに息づくこの教育という世界は、ある意味どれだけ保守的なんだ!?ということでしょうね。そして、自民党的であり、共産党的であり、社会党的であり、平和主義を訴えながら軍国主義の名残だらけだし、人権尊重とか言いながら、本当の人権なんて学校にはなかったわけだし、まあ、なんともこの日本の教育というのは、教育ではなくて、まさに日本的な文化そのものという感じすらしますね。これもまた「和の精神」であるとも言えるでしょう。
 私もその一翼を担う私立学校の教員ですから、こうした歴史・文化を鳥瞰することも必要です。というか、公私関わらず全ての教員が読んで、自分たちがどんな「文化」の中に生きているのかを知るべきかもしれませんね。そして漠然とでもいいから、その中における自分の立ち位置を確認することも大切でしょう。自分の立ち位置がなければ、教育なんてできません。多様な座標に立った多様な教員がいることこそ、健全な学校と教育の条件であると信じます。
 比較的公平な歴史の読本として、そしてみんなが中性になりつつある時代のリトマス試験紙として推薦書です。

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