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2011.08.21

個の花道場(2日目)

80612799 あ道場二日目、最終日です。
 40人の魂を一つにつなぐことで掴む皆の志と天命。
 初日の段階で、かなり自分自身に対しても他者に対しても、つまり「世界」に対して違った視点を持つことができるようなった気がします。それはまさに「気がする」という体感です。理屈ではありません。
 禅との大きな違いもはっきりしてきましたね。禅は「心」の領域を修め、収めて、さらに自己の魂の部分まで透明にすることを目指します。野狐禅師(?)としては、その領域があることを予感するところまでは行っているわけです。
 そして、それはそれでたしかに究極の世界観の入り口だという気もします。人間の存在すら滅却して、完全に宇宙と一体化するわけですから。
 しかし、それはある意味において、現代の現実社会とは完全に遮断されないと実現しない世界観です。ですから、そういう「悟り」を得たとしても、我々は生きるために、また現実社会に戻ってこなければならないわけです。
 私はお釈迦様のおっしゃったことは完璧な宇宙の「真理」ですが、人間の処世術としてはあまり実用的でないと思っています。
 その点、この神道的な魂のネットワークと、言霊力のテクノロジーは、人間的な智恵のように感じましたね。
 禅が孤独を徹することによって全体に所属することを目的とするのに対し、こちらは他者とつながることによって、多が一に帰していくことを目的としています。「自他不二」という意味では、究極的に同じですけれども、そのプロセスが違うなと感じました。
 そして、禅では人間であることの喜びは排除されますが、こちらは人間であることの喜びをベースにして宇宙に自らの存在を還元していく感じがあります。
 どちらが正しいとか、どちらが優れているというようなことは当然言えません。目標は同じですから。
 さて、そんなプロセスを初めて体験してみまして、いろいろ驚いたことがあります。
 単純に、全くの他人同士が昨日の朝に40人集まって、実質20時間ほどでこれほど一体感が得られるものかという驚き。これは理想の教室のあり方ですね。教育もこうした深いレベルで関わり合いが必要でしょう。大変勉強になりました。
 そして、昨日も書きましたが、私の中に潜在、沈潜していた「モノ」。それは全く意外なことに「怒り」という形で、私の心の領域に現れました。「怒り」は私の日常においては、最も忌避すべき感情の一つだったはずです。
 それがなんに対する怒りなのかと言いますと、非常にシンプルです。
 「人の魂と魂はこんなに互いに引き合っているのに、なぜ現実世界ではそれを引き離す方向に力が働くのか。その力とはなんなのか。その力の主とはなんなのか」
 そういう「怒り」です。なぜか、その力の主に猛烈に戦いを挑みたくなったのです。これは本当に驚きでした。
 これもまた、ある面においては、禅的世界で幽閉されてきたことですね。怒りを無視するというのも禅の修行の大切な要件ですから。
 というわけで、あまり言葉にすると、私の奥深い体験が「嘘」になってしまいますので、このくらいにしておきます。
 私の天命は「間違ったもの乱れたものを糺すために闘う」ということです。正すのはみんなやらねばなりません。まずは「糺す」ために闘いたいと思います。
 人の魂と直結し、人の心の中を見ることができるようになるということは、そのまま自分の心の中をのぞくことができるようになるということです。
 そうして見てみた自分の心の中は、半世紀近く思い込んできた自らのイメージとはずいぶんと違うものでした。
 ほかにもいろいろ書きたいことはありますが、やはり書くことの危険に省みてこのあたりでやめておきます。
 とにかく体験しなくては真理は掴めない。これは世界の全てに共通していますね。
 本当に素晴らしい道場でした。見事なかじ取りをしてくださった光さんはじめ、後見人の方々、スタッフの方々、そして、40人の同志の方々に心から感謝いたします。ありがとうございました。
 ここでつかんだモノを、実生活で、特に教育の現場で活かしていくことが、この恩に報いることになるでしょう。

PS 6月に初めてお会いした上杉祥三さんと、今回偶然一緒に魂の探求をすることになりました。ご縁ですね。二人で闘って行こうと誓いました。素晴らしい同志を得てうれしい限りです。

Amazon 人の心が手に取るように見えてくる

個の花道場

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コメント

はじめまして。突然のメールにて失礼いたします。私は学研パブリッシング発行の月刊誌「ムー」を編集制作担当しております少年社の本田と申します。
今回、同誌「富士古文献」の特集ページの制作にあたり、ネットで検索しておりましたところ、以前貴ブログに掲載されておりました「富士吉田市明見にある徐福祠」の写真を拝見いたしました。ちょうど本誌でも取材にまいりましたが、この場所は未見で、貴重な情報として本誌記事に資料図版として掲載できないかと存じます。
つきましては当写真の転載に御許可を賜ればと存じます。その際は、ご連絡先をいただけましたら献本させて頂きたいと存じます。また、ブログ名などを出典として明示させて頂きたく存じます。
勝手を申しまして誠に恐縮至極ですが、何卒ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。

少年社 本田不二雄 拝

投稿: 少年社 本田 | 2011.08.22 13:41

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