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2011.08.31

ibisMail 振分メーラ (iPhone・iPad用メールクライアント)

Mzlczexfdzd320x48075 日はいろいろな意味でエネルギーを使ったので、今日は当たり障りのない記事にしましょう。
 最近のご多分にもれずワタクシもiPhoneを使っています。本当にいろいろな使い方をしており、今や人生になくてはならないアイテムとなっています。
 いずれこういう日が来るであろうことは15年くらい前から予感しており、当時教室でよくそういう話をしていたことを思い出します。いわゆるスマートフォンというようなコンセプトとスペックを持った端末をみんなが持つようになるだろうと。
 当時はケータイやPHSが生徒たちにも普及し始めた頃でしたので、私の話はまるで夢の未来のような感じで受け取られていたことでしょう。
 それが今では中学生までiPhoneを持つようになった。これには私もビックリしています。そして、今後はクラウド化と無線高速ネットの拡大によって、さらにこうした端末の需要は増えるものと思われます。
 前も書きましたが、iPhoneとiPadの中間の大きさというのが、日本人には好まれると思うんですがね。具体的に言うと新書サイズ、B40ということです。B系というのがいかにも日本的ですよね。日本人の手の大きさからすると、このくらいが持ちやすいし、生活感にもマッチする。片手で持てるというのがいい。また、この大きさなら電話として構えてもギリギリ違和感がない。もちろん、電子書籍端末としても適格です。
 おっとまた話が本題からずれちゃった。ええと、今日はiPhoneとiPad用のメールクライアントのおススメでした。
 iPhoneのデフォルトメールソフトは、まあシンプルで使いやすいと言えば使いやすいのですが、やっぱりシンプルすぎるとも言えます。パソコンのメールを仮に見るためのものととらえれていた頃は、ああ便利だなと思っていたものですが、今やパソコンで打つよりもiPhoneで打つ機会の方が多いくらいになりましたから、パソコンのメールソフトくらいの機能はどうしてもほしくなってしまいます。
 特に振り分けと検索ですね。いずれも古いメールを探す時に有用です。私は複数のアドレスを持って、アドレスごとに使い分けるようなクールな現代人ではないし、だいたいがあのアドレスは家族共用ですので、カミさん宛てのメールもみんな来るわけですよ。
 そうしますと、まあたくさんのメール、それも公私混同、自他混同のメールがジャンジャン来るわけですよね。その中から必要なメールを探し出すのは、まあ面倒と言えば面倒だったわけです。
 その点、このibis Mailは前述のフォルダ振り分けと検索ができるので非常に重宝しています。検索ができるようになったのはつい最近のことなんですが。これで私にとってはほぼ完璧なアプリということになりました。
 あとですね、地味に、しかし非常に嬉しかったのはですね、デフォルトの「メール」では、なぜかニフティのメールの読み込みが非常に遅くイライラしていたんです。それがこちらでは瞬時に取得できるようになったのでストレスがなくなりました。
 そうそう、それからいちいち個々のメールを開かなくても一度に既読にできるというのも地味にうれしいですね。
 私はフォルダ分けと検索しか意識的に使っていませんが、もともとこれはiPhoneで「世界初でPOP/IMAP/SMTP対応のメールアプリを作る!」という目標のもとに開発されたものなので、マニア的にはほとんどパソコン上のメールクライアントと同じことができると考えていいのでしょう。
 今回のヴァージョン・アップでもちょっとバグがあったようですが、それでもけっこうよく頑張ってユーザーの声を反映してくれていると思います。
 私としては、フォルダに保存できるメール数をもうちょっと増やしてほしいでしょうかね。1000なんてすぐに到達してしまうので。
 ちなみにこのアプリを開発しているのは日本の会社です。こちらで読める若い社長さんの言葉には夢を感じますね。特に教育観の部分はウチの学校でも使える考え方です。ウチもある意味中小(ベンチャー)企業でして、完全にOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)ですので。横断組織の中での「教育委員会」というのはいいアイデアですね。さっそくウチでも考えてみたいと思います。現状その辺がとっても弱いので。
 
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2011.08.30

野田佳彦首相誕生、そして…。

ついにメインイベンターとしてリングイン!
2011083000000393reu0001view やあ、全く想定外なことが続きますねえ。
 まず、野田さんになるとは思いませんでした。読みが甘かったとも言えましょう。
 野田さんと聞いて、私はいくつかのことを想起しました。
 おっ!野田さんと言えばプロレスの大ファン!それもかなりのマニアです。昭和のプロレスから平成のプロレスまでけっこうよくご存知ですし、生観戦していらっしゃいます。
 そんな関係で馳浩さんとも交友があり、よく二人で政局をプロレス用語で表して会話しているようです。
 そして、なんと言ってもうれいしのは「ジャンボ鶴田最強論」支持者だということです。私たち夫婦と共通認識をお持ちです。こんなうれしいことはありません。
 続いて、頭に浮かんだのは、これもプロレスなど格闘技とも関係していますけれども、あの「後藤組」のことです。
 私の中では、野田さんと後藤忠政さんとは太いパイプでつながっていることになっています(あくまで妄想ですが)。
 そう考えてみますと、まあモノガタリ的には面白いことになりますね。これって誰も指摘していませんけど。
 「後藤忠政を怒らせた島田紳助が引退を余儀なくされ、後藤忠政と親密な野田さんが首相になる」
 組長、お坊さんになって世を捨てたと思いきや、いまだに強大な力を発揮しているんだなあ…。おそらくこれは「院政」でしょう。政界、芸能界、格闘技界、宗教界に圧倒的な影響力があるわけですから。ふむ、現代の院政かあ。すごいな。
 と、それは妄想ということにしておきまして(笑)、次に思ったのは…なんか順番が人と違いますけど…今このタイミング、野田さんのような保守は適任だなと。
 このような国難の時、実は国内のことにばかり気が行きがちですが、実際は内憂外患なのです。内憂の時には必ず外患が起きます。考えてみればそれは国際競争社会においては当たり前ですね。
 そんな時重要になってくるのは「国家観」です。国家観なくして外交はできません。その点、野田さんは、民主党の中では比較的しっかりした国家観をお持ちだと認識しています。その点では自民党の協力も得やすいでしょうし、期待していいと思います。そこは救いでしたね。
 そして、そして、もう一つの想定外。おいおい、マジかよ!?というのは、もちろんあの男のことです。
 輿石東幹事長…ふぅ、ニュースを見た瞬間、溜息しか出なかった…。
 なんで受諾するかなあ。最後に欲が出たか?山梨の、いや日本の恥をさらしたくないですよ〜。もう自らがスナイパーとなりたいくらいです(もちろん比喩的表現ですよ)。
 と、私はなんでこんなに輿石を嫌悪しているかは、たとえばこちらの記事をご覧下さい。
 彼は教育者を騙って子供たちを食い物にして成り上がった男です。今でもその中枢にいる男です。結果として、山梨県はこんなことになってしまい、さらには日本もこんな国になってしまいました。教育が腐れば国が腐る。国を腐らせるには教育を、子どもたちを腐らせればいい…恐ろしいことです。
 本人の意識がどんなところにあるのか、それは全く知りませんが、結果として現実としてそうなっているのは事実であって、そこを許すわけにはいきません。
 前掲の記事にも書いたとおり、私は現場の先生方個人を責めているわけではありません。まさに原発ムラと似た構造になっている「利権集団」のシステムとそのドンを憎んでいるのです。
 そして、そんなことを全く知らないで純真に学校生活を送っている子どもたちの未来を憂えているのです。
 彼が幹事長になったというニュースを聞いた時は、たしかに溜息しか出ませんでした。あの男が170億円入っている財布の紐を握り、さらに人事権にも大きな力を持つ…。
 しかし、今はまた違う気持ちになっています。そう、「闘魂」がメラメラと燃えてきました。敵が強大であればあるほど燃えるのが本物の「闘魂」です。
 野田さんも辛いところだったのでしょう。苦汁の決断だったと思います。自らが首相であるためには民主党が存在しなくてはならないわけですから。
 民主党はもともとメチャクチャな寄せ集め集団です。政策も国家観もバラバラ。端的に言えば極右から極左までが同居する集団です。つまり、単なる「反自民党」でしかありませんでした。それが実際に政権をとってみると、予想通りこのザマなわけです。リビアだって同じですよね。反カダフィが結束してクーデターを起こしても、さあその先一枚岩でいられるかというと、絶対にそんなことはあり得ない。
 さあ、これからの日本はどうなっていくのでしょうか。今年から来年にかけて、世界経済においても大きな変革が起きることは間違いがありません。国内でもさらなる自然災害に襲われる可能性もあります。
 そんな時、私たち日本人が、綿々と受け継いできた本当の「和の精神」を発揮し、世界の平和と幸福に資することができるのか。国のリーダーの責任はますます重くなってきています。
 今後の展望については、また閣僚人事など決まってから書こうかと思っています。
 


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2011.08.29

折り紙 『口(唇)』

↓ちょっと顔色が悪い?
110830_6_55_26_1 日は疲れた〜。
 この独特の疲れはなんか懐かしいぞ、と思ったら、十数年前のことを思い出しました。それは初めてカミさんの実家に行った時のことです。つまり、嫁にもらいに行った日ですね。
 あの時、まあ本来の目的は案外にスムーズに完遂できまして、いよいよ酒でも酌み交わそうという段になって、私は生まれて初めてのこの独特の疲労感を味わうことになったのです。
 そう、喜んでくれたカミさんのおじいさんとサシで呑むことになったのであります。そして、「日本語が分からない」という初体験(笑)。
 いやあ、あの時は半分は驚きでした。ここは日本であるはずです。そして、私は日本語を専門に勉強してきたはずです。なのに、全く分からない。3%くらいしか分からない。それでも2時間以上いちおう会話を続けました。
 興味深かったけれど辛かったなあ…特に質問されるとね。トピックだけは分かるんです。なんとなく。しかし、細部はこちらが想像して物語を作るしかない。それが当たっていればいいのですが…。
 というわけで、今日何があったかといいますと、ニュージーランドから18人の訪問団を迎えたのです。これは中学校が依頼されたものだったので、基本私が出迎えからお見送りまでの面倒を見ました。
 私はそんなに英語が得意ではありませんが、なんというか突撃力やハッタリ力だけはありますので、こういう仕事はそれほどイヤではありません。今回も通訳や英語科の先生は基本付かないということだったので、逆に燃えてるような部分もありました。それが間違いだった…。
 結論から言いますとね、ニュージーランドなまりの英語が全然聴きとれなかったのです!オーストラリア英語にはまあまあ慣れているのですが、NZ英語は実は初めて。けっこう辛かったですねえ。
 特に校長先生の英語は全然分からなかった。逆に教頭先生の英語は妙に聞きやすい。と思ったら、教頭先生はイギリスの方でした。彼は私と話す時はクイーンズ・イングリッシュ(?)を、生徒と話す時はNZイングリッシュを使っていたようです。
 しまいには校長先生の英語を教頭先生が英語で通訳してくれる…おお!これはおじいさんの日本語(秋田弁)をカミさんが日本語(標準語)で通訳してくれた、あの状況と同じだ!w
 まあ、私にとっても生徒にとっても、そういう意味でとっても勉強になりました。一言で「英語」と言ってもいろいろありますよね。当たり前のことですが、それを一挙に体験する機会はあんまりありません。
 今日はALTのアメリカ人の先生もいましたから、私のジャパニーズ・イングリッシュも含めれば、4種類の英語が飛び交ったということですね。
 さてさて、今日私が担当した授業では、折り紙を一緒に折りました。何を創ろうか、動物や鳥などいろいろ考えたのですが、今日はあえてこれにしました。「口」です。これって国を問わず老若男女が喜んでくれる作品ですので、皆さんもぜひ折り方を覚えて下さい。
 いわゆる現代的な創作折り紙ですので、日本の伝統的な折り紙の作法とは違いますが、だからこそ西洋の方にも取り組みやすいとも言えます。なかなか折り図が手に入らないこの「唇」。ありがたいことに動画がありましたので、紹介しておきます。実はこういう「折り線」式の折り方は私も初めて知りました。
 ちなみに今日の授業では途中折り方を間違えてしまいパニックに陥るという失態をやらかしました(笑)。


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2011.08.28

告知!『キャンプ場プロレスリング・オム旗揚げ戦』

昨年のキャンプ場プロレスの様子↓

 日は100人を超えるプロレスラーたちの多様な人間性と人生を楽しませていただきました。
 で、今日はプロレスの多様性の最たるモノを紹介しましょう。来週の日曜日に行われる「キャンプ場プロレス」です!
 昨日のALL TOGETHERの第1試合でも、とんでもないインパクトを与えた、現IWGPジュニアヘビー級チャンピオン飯伏幸太選手が山梨県は道志村のキャンプ場で大自然相手に暴れまくる!!考えてみると信じられない状況ですよね。
 このキャンプ場プロレスは、実は私の教え子が仕掛け人です。そう、DDTファンならご存知であろう、あの双子は私の教え子であります。両方担任しました(笑)。
 ちなみに彼らのお父様は、そのキャンプ場のオーナーであり、かつなんと道志村の村長さんであります。
 この世界で唯一のキャンプ場プロレスも、さすがにそのお父様の逆鱗に触れたのか、昨年で最終回ということになってしまいました。
 いちおうその歴史を記事で復習してみましょうか。
2008年第1回
2009年第2回
2010年最終回
 そして、最終回だった昨年、試合終了後に飯伏幸太選手から爆弾発言が
 「キャンプ場プロレスリング・オムを旗揚げします!」
 冗談かと思いましたが、ホントでした(笑)。ついに世界初(当たり前)キャンプ場プロレス専門の団体が発足するってことですね。
 その旗揚げ戦が9月4日日曜日に行われるということです。プロレスが大好きな人、何かにつまずいている人、人生の突破口がほしい人、大笑いしたい人、そしてヒマな人(?)はぜひおいでください。私ももちろん行きます!
 対戦カードも発表されました。豪華4WAYマッチです。現IWGPジュニアヘビー級チャンピオン飯伏選手はKO-D無差別級チャンピオンのKUDO選手とタッグを組みます。もう、これだけでもすごいことですよねえ。そして、個人的にはキャンプ場プロレス初参戦の澤宗紀選手の暴れっぷりが楽しみです。引退を発表した彼が最後にどこまで弾けるのか。
 以下、DDTから発表されている内容を掲載しておきます。お問い合わせなどはそちらへ。

 キャンプ場プロレスリング・オム旗揚げ戦のお知らせ
飯伏幸太が代表を務めるキャンプ場プロレスリング・オムの旗揚げ戦が決定いたしました。詳細は以下になります。

【興行名】キャンプ場プロレスリング・オム旗揚げ戦(仮)
【日時】9月4日(日)12:30開場 13:30開始
【会場】山梨・ネイチャーランド・オム 山梨県南都留郡道志村5964
※雨天決行(但し台風などにより国道通行止めの場合は中止となります)
【会場アクセス】(車に限る)中央自動車道相模湖インターから45分
国道20号で上の原方面へ。日蓮入り口交差点で県道76号左折して青根方面へ進み、
国道413号を山中湖方面へ。JR橋本駅より約70分。山中湖インターより約25分
都留インターから約30分
【チケット料金】3000円(当日3500円)

※バスツアー等の詳細は追って発表いたします。
※8月13日会場先行発売予定、8月14日ローソンチケットにて一般発売開始予定

 キャンプ場プロレスについて重要なお知らせ
<キャンプ場プロレスチケット追加発売について>
キャンプ場プロレスのチケットが8月21日(日)10:00 ローソンチケットにて追加発売されます。

<バスツアーについて>
キャンプ場プロレスのバスツアーに関しまして、19日(金)よりご注文順に返信いたします。ご注文いただいたお客様はDDTからの連絡をお待ちください。
返信が届かないお客様は、メールが届いていない可能性が考えられますので、再度申し込みをお願いします。

なお、今回のバスツアーには、観戦チケットは、含まれて降りません。観戦チケットは、お客様自身でご用意して頂いております。バスツアー申し込みでのご用意は、できませんのでご了承ください。

 9月4日キャンプ場プロレスカード決定
9月4日に行われるキャンプ場プロレスリング・オムの対戦カードが決定しました。
○4WAYタッグマッチ
飯伏幸太&KUDO vs 高木三四郎&澤宗紀 vs 佐藤光留&中澤マイケル vs 木高イサミ&大家健

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2011.08.27

震災復興プロレスイベント 『INOKI GENOME』 & 『ALL TOGETHER』

『INOKI GENOME ~Super Stars Festival 2011~』&『ALL TOGETHER』
Bt11082801ns300 成の隅田川決戦と言われた同日同時刻プロレス興行。今回は両者ともに東日本大震災の復興支援という目的がありましたから、昭和の隅田川決戦とは違った意味で大いに盛り上がりましたね。
 この時代に合計3万人近い人々がプロレス興行の会場に足を運んだのですから、これはすごいことですね。世間にプロレスの力を見せつけたというか、現代社会、特にこうした困難な時代にプロレス的な世界が必要であり、また実際にそれが有効な力を持っていることを示せたのではないでしょうか。
 カミさんは両国国技館のマス席でスネークピット仲間たちとIGF「猪木ゲノム」を観戦してきました。私は仕事のために東京へは行けず、ちょっと悔しい思いをしたのですが、まあある意味いい世の中になりましたね、両国はニコニコ生放送で無料観戦(途中追い出されてプレミアム登録しましたけど)、そして武道館のATはCSのPPVで観戦いたしました。
 ニコ生の視聴者数も最終的には10万を超えていました。ネットでの放送を観るという積極的かつ現代的なプロレスファンがこれだけいるということだけでも、正直うれしい事実でしたね。
 ATのPPVがどれくらいの数売れたかは分かりませんが、こちらもそれなりの数になっていたのではないでしょうか。
 プロレスの世界は昭和の興行形態を比較的維持する保守的な業界でした。しかし、地方でのどさ回り興行が種々の事情により難しくなり、また昭和のプロレスと共に支え合っていたテレビ文化がここまで沈滞してしまうと、なかなか世間での認知度が上がらず苦戦するという状況が続いていましたね。
 しかし、こうして現代の新しいメディア戦略を立てていけば、また大きなうねりを作ることができるのではないかと強く感じました。
 震災という悲劇があったおかげとは言えませんけれども、昭和のプロレスも元はといえば敗戦の困難の中から生まれた文化現象だったわけですから、今回の二大イベントはプロレス新時代へのきっかけになる可能性があると言ってもいいでしょう。
 そう、プロレスというのは「人生の縮図」なのです。苦しみや痛みから逃げず、正面からぶつかっていき、そして倒されても倒されても何度でも起き上がる…。
 勝ち組負け組という言葉に象徴されるような、現代的デジタル社会とは違い、勝った者にも負けた者にも同じように拍手が送られる世界。敗者にこそ人々の応援の声が集まり、そして忍耐と精進、成長と復活の物語が紡がれていく。
 こういう世界こそ、たしかに今必要なものでしょう。私は教育者として青少年たちにこそこういう世界を知ってもらいと思います。
 たとえば、今日両国には60歳を超えたアントニオ猪木とタイガー・ジェット・シン、70歳前後のアプドーラ・ザ・ブッチャー、ミル・マスカラスが登場し、往年の抗争を彷彿とさせる闘いの姿を見せてくれました。また、武道館には80歳のザ・デストロイヤーさんも登場しました。
 そこに私たちは涙するのです。もちろん偉大なる実績を持つお年寄りを尊敬するという気持ちもありますが、自分たち自身の過去に愛情を持つという意味もそこにはあるのです。
 たとえばこういう映像を観て、茶番だと言ったり、どうせ八百長だろと言ったりする、そういう貧困な心を若者には持ってほしくない。真剣にそう思います。
Bt11082804ns300 それにしても、今日の二大興行は、見事に対照的な内容でしたね。猪木ゲノムは全てがシングル対決、そして異種格闘技戦が多く、独特の緊張感がありました。一言で言うなら、やはり昭和の新日本プロレスの雰囲気でしょうかね。
 一方のATの方は、往年の全日本プロレス的だったと言えるでしょう。全てがタッグマッチ。闘いは闘いでも、そこには「アンサンブル感」がある。安心して観ていられる一種の「あたたかさ」がありました。
 そのどちらが良いとか悪いとか、そういう次元ではないのです。先ほど書いたように、プロレスは「人生の縮図」です。多種多様な人間がいて、多種多様な人生があって、そのそれぞれの中に必ず「闘い」があるわけですから、これでいいのです。
 実際、両大会の中にも、様々な闘い模様がありましたから、さらに多様で複雑な世界を形成していました。逆に言えば、一面的な闘い模様しか表現できないジャンルになってしまったら、もう「プロレス」ではないのです。
 私は音楽をやっているので、そのあたりのことをいつも体感しています。つまり、あるバンドや合奏団で演奏する際、他者を刺激し、他者と闘い、自分が目立たねばならない時と、相手に合わせて「場」を作る瞬間とが、絶妙に共存して、初めて音楽になることを知っているのです。
 と、いろいろ抽象的なことばかり書いてきましたけれど、両大会から、私自身もたくさんの勇気と元気をいただきました。きっと被災者の方々はもっとたくさんの「力」をもらったのではないでしょうか。
 いつの時代でも、困難な現在に必要なのは、過去と未来を結ぶ「物語」なのでした。プロレスや歌…今私たちに必要なのは、「全ての人間や人生を慈しむ心」と、「折れない心」なのではないでしょうか。私はそれこそが「和の精神」だと思っています。
 本当は各大会の試合内容についても触れるつもりでしたが、まあそれは他の人もたくさん書いているでしょうから割愛します。
 さて来週はこれまたプロレスの大切な一面の表現である「キャンプ場プロレスリング・オム(代表飯伏幸太)旗揚げ戦」に行ってきます!ああ、私の人生にプロレスがあって良かった。

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2011.08.26

新しいヴィオラにニスを塗っておりますが…その2

110827_9_17_57_hdr ょっと時間がないので、ヴィオラの現状報告など。
 今日は火祭りに行く予定だったのですが、なぜか急遽職場の飲み会が(笑)。よって今年は火祭りについては書きません。
 さて、この前書いたように、今ヴィオラにニスを塗っております。
 まずゴールデン・ブラウンという色のニスを塗ったのですが、なんともムラムラなテカテカになってしまったので、紙やすりをかけたり、わざとキズをつけたり、墨汁(!)を使って渋味を出したりしてみました。
 それが功を奏し(?)さらに妙なことになってしまったので、今度はダーク・ブラウンという色のニスを購入して、恥と嘘の上塗りに挑戦中です。今日も飲み会に行く前に一塗りしました。
 写真だとまあそれらしく見えますよね。でも実際には…笑。まあ私は外見というものを全く気にしない人間ですので、ちゃんとした音が出ればそれでいいのです。音はけっこう良くなったような気がしますよ。
 やはり、ニスは薄いと音がまとまらないというか、耳もとではよく鳴っているように感じるのですが、遠くで聴くとなんか拡散してしまうというか、そういう感じがあるんですよね。
 全く不思議なものですね、ヴァイオリンのニスというのは。実際科学的にもよく分かっていないんですよね。たとえばストラディバリのニスも成分からして解明されていない部分があります。
 たとえばギターなんかは、ほとんどニスについては意識されていません。せいぜい色としての好き嫌いくらい。他の楽器もそうです。ピアノなんか今ではほとんど黒々ピカピカだけですよね。もっとヴァリエーションがあっていいような気がしますがね。
 この前、個の花道場に参加してみて、ある意味自分のニスがはがされたような感じがしたんですけど、もしかすると人間にとっても、案外ニスも大切なのかもしれません。裸の音と、しかるべき薄衣をまとった音とは違うような気がします。
 本当の自分って、けっこう純粋に不純だったりするじゃないですか。それにソフトフォーカスをかけることも必要なのではないでしょうか。
 地デジになって、アナログ時代よりも映像が数段鮮明になりました。そのおかげでなんかテレビを観ていると疲れます。ノイズがなさすぎるんですよ。
 そういう観点での「ニス」の意味に興味があります。人間やこの世の二重構造ですね。
 ちなみに写真の右に2本のバロック・ボウが並んでますよね。左は今までずっと使ってきたスネークウッドのヴィオラ弓です。最近外側にそってきてしまったので、熱を加えてまっすぐに戻しています。
 右の弓は最近買った中国製のものです。バロックとしては弓の先が重すぎるので、削ったり磨いたりしてバランスの調整をしています。これもまた安い買い物だからできることですよね。左の弓とは1ケタ違うので。
 いずれこれらも本番で使うことになると思います。演奏会においでの方は、あああの楽器かと観察してみてください。
 


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2011.08.25

『みくせん』 (志満秀)

瀬戸内発! 初音ミク の ネギ入り えびせん 『みくせん』 Powered by ピアプロ users
110826_6_51_05_hdr 日、志村正彦くんのファンという方とお会いしました。ご夫婦で我が村にお泊まりになっており、明日吉田の火祭りなどを堪能されるとのこと。
 その方々は遠く香川県よりわざわざお車でいらっしゃったとのことで、富士山住人としてはうれしいかぎりですね。富士山も雲の間から顔を出してくれました。
 いろいろとお土産までいただきました。恐縮です。その中で、インパクトという意味では最高だったのがこれ。これは素晴らしい。素晴らしすぎて食べられない(苦笑)。
 ご覧のように初音ミクのえびせんです。しかし、よくあるようにパッケージだけキャラクターデザインで、本体はまあせいぜいそれらしいレリーフというようなのとは大違い。あまりにクオリティーが高くて飾っておきたいくらいです。
 箱を開けると真ん中にQRコードがプリントされたえびせんが堂々と鎮座しております。これは当然本物のコードでして、さっそくiPhoneのアプリで読み込んでみますと「ミクモバ」に飛びました。
Gn2009071904 ほかのせんべいにはそれぞれ違ったミク(&関係者)のかわいいイラストが美しくプリントされています。ホント、紙にプリントされているがごとく鮮明です。この印刷技術もすごいよなあ。なにしろベースが「せんべい」ですからねえ。
 そのミクたちはさすがにパリッとかガリッとかできませんので、まだ抵抗の少ないQRコードをさっそく賞味してみました。
 これがまたおいしいのです。さすが老舗のこだわり商品です。ちゃんとネギも入っている(笑)。
 ここまでのこだわりミクせんべいが存在するとは私は知りませんでした。たまにアキバとかでも売っているようですが、基本はやはり地元香川のお土産として販売されているようです。てか、ミクと香川って何か関係あるんでしょうか(笑)。
 自分で食べるもよし、コレクションするもよし、お土産にもよし。ある意味とても日本らしいこだわり、職人技を感じる商品ですね。おススメです。アマゾンで買えますよ。

みくせん公式

Amazon みくせん

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2011.08.24

『東電・原発おっかけマップ』 鹿砦社特別取材班 (鹿砦社)

Neobk989357 れはなかなかすごい本です。そのうち発禁になるでしょうから、今のうち手に入れておくとよいでしょう。すでにアマゾンでは取り扱われていません。
 鹿砦社の「おっかけマップ」シリーズと言えば、ジャニーズやタカラヅカのメンバーの自宅住所や地図を載せて出版差し止めになったことで有名です。
 この本も基本そういうコンセプト。まあ、上記のシリーズとは違って本気で「おっかけ」をする人はいないと思いますけどね。
 ここで思いっきり自宅(原発御殿)の住所、地図、そして写真を公開されているのは60名以上。知っている人もいれば、知らない人もいますが、彼らは全て「原発推進派」あるいは、「原発推進加担者」です。
 私はもちろん彼らの自宅データには興味はありません。しかし、彼らの知られざる行状については大変興味深く読みました。
 昨日の紳助引退のところに書いたように、この情報化の時代は私たちに「自由」をもたらした一面もありましたが、一部の悪意ある人々にも「自由」を与えました。
 このたびの大震災と大事故がなければ、ここに描かれてある彼らの情報は、ほとんど人の目に触れずにいたかもしれません。そういう力が働いていたからです。あの天災と人災はそうした「構造」をもぶち壊したのです。
 それでも、まだその構造物を守ろうとする力は働き続けています。ですから、この本も近いうちにこの世から消されてしまうかもしれません。
 それにしてもですね、この本を読むと、戦後の日本でとんでもないことが秘密裏に続いてきたのだなあと、ある意味感動すらしてしまいます。
 よくぞここまで我々をだまし続けたなと。私はけっこう世の常識や権威や教育内容を疑ってかかるタチですが、それでもここまでの事実は正直知りませんでした。
 人の命を引き換えにカネに魂を売った人々。私にはとてもできないなあ。勇気がありません。この世では栄華を極めても、あの世で地獄に落ちたくないですから。
 この本、まあそういうA級戦犯ならぬ「永久戦犯」の罪状を知るためにも有用ですが、それ以上に、間に挿入された善良な人々の談話がとっても勉強になります。その善良な人々の名前を挙げておきましょうか。

 小出裕章(京都大学原子炉実験所・助教授)
 奥平正(『政経東北』主幹・編集発行人)
 高野孟(『ザ・ジャーナル』主幹)
 吉岡斉(九州大学副学長)
 西尾漠(『はんげんぱつ新聞』編集長)
 山口一臣(『週刊朝日』前編集長)
 今中哲二(京都大学原子炉実験所・助教授)

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2011.08.23

島田紳助引退の裏に何が…

B_04399274 田紳助さんについては、実は全く興味もなく、好きでも嫌いでもない芸人さんでしたが、さすがにこの電撃引退の裏には何かあると感じて、あえて記事にいたします。
 なんでこのタイミングなのか、そこが問題です。世の中の人もみんな、会見で話された内容が全てであるとは思っていないでしょう。えっ?その程度のことで…というのが実感ではないでしょうか。
 それはその通りだと思います。私もずいぶんと「ヤクザと芸能界」の研究(?)をしてきました。このブログでもそのあたりについてはけっこう書いてきましたね。
 私の論調としては、「芸能もヤクザ稼業もマツリゴトの一つであり、表社会から見ると必要悪的な部分がある。それをアメリカ的な意味づけでこの世から消そうとして、今のこの世の中を作ってしまった」という感じでしょうか。
 その考えというか実感というのは今でも変わりありません。
 そうしますと、今回の紳助の引退はどういう意味があるのか、当然気になるところであります。
 いちおう会見を全て見ましたけれども、まず感じたのは「典型的」だということです。あの会見の内容は、ご覧になった方ならお感じになったとおり、紳助にはほとんどキズのつかない内容でした。
 数年前のヤクザとの親密なメール、それも芸能界のルール以前に人間としての「仁義」を通した内容でしたから、我々聞かされた一般人としては、「なんだ、そんなことくらいで引退するのか。そんなこと言ったらもっとひどい奴らたくさんいるだろ。後輩たちにしめしをつけるとか、恩に報いるとか、人間としては間違っていないじゃないか。それに、渡辺二郎にしても、その知り合いにしても基本紳助のことを思って骨を折ったわけで、いい奴らじゃないか」と思ってしまうのも当然です。
 つまり、そういうふうに世間が感じるように、見事に設計された、しかし一方でコテコテの浪花節的な一世一代の大芝居が打たれたということです。
 では、なぜそのような芝居を打つ必要があったのか。
 一般に大物芸能人の突然の引退には二つのケースがあります。一つは、芸能人本人がとんでもないことをしでかしてしまい、それを隠蔽するために、引退を条件にヤクザさんが裏で手打ちに持ち込むというケースです。
 つまり、今回で言えば、紳助自身が何かとんでもないこと(暴力事件以上のこと)をしでかしてしまった、あるいはヤクザ関係の大物を相当に怒らせるようなことをしでかしてしまい、それをそういう形で解決したということです。
 もう一つのケースは、芸能界とは一見違う世界で何か大きなことが起き、あるいはこれから起きるとして、世間の目をそらすために、大物芸能人のスキャンダルが利用されるということです。
 つまり、紳助にある世界の超大物が「今後の生活の保証をするから引退してくれ」という取引を持ち込んだということです。
 そんなことあるの?とお思いになる方も多いでしょうが、実際こういうことは昔からあります。世間をだますために、世間に一番近いところで事件を起こすのは、ある意味世界中の政治家やフィクサーが行なってきたことです。目先をそらす、めくらましをしかけるということです。
 では、今回はどちらのケースなのでしょうか。
 今の段階では、あまりに情報不足なのでなんとも言えませんけれど、あの美談的な会見内容、すなわち紳助にも渡辺二郎にもBさんにもほとんどキズのつかない内容を見るかぎり、後者のケースではないかと感じます。
 前者の場合には、会見内容は自己の責任問題に終始し、涙涙の会見になることが多い。しかし、今回は明らかに違いました。具体的な他者も登場し、具体的な内容も明かされているからこそ、お芝居がかった感じがしました。
 そうしますと、今回の引退の裏で、何か大きなモノがうごめき、重大なコトが進行する可能性が高いということになります。それはいったいなんなのでしょう。
 今私の頭の中にはいくつかのことが浮かびますが、おそらくこれらは正解ではないでしょう。そんな誰でも分かるような簡単なことではないような気がします。
 こういう時こそ、私たちは自らのミーハー野次馬精神を抑えて、冷静にその裏で何が起きているのか注視していかねばなりません。
 表で国民(衆愚)を煽動しておいて、裏で秘密裏に重大事が進行するということが、過去日本史において何度も繰り返されています。
 現代の情報社会、私たちはなんでも知ることができると勘違いしがちです。原発に関する情報の例を挙げるまでもありません。私たちにとって「自由」な時代とは、悪意を抱く者にとっても実に「自由」な時代なのです。

ps こちらで後藤忠政組長に小チンピラは言われていたのは、まさに島田紳助でした。

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2011.08.22

フジファブリック 『STAR』 (楽曲)

20110808_fujifabric3_v あいよいよ再起動。フジファブリックは走り続けます。その確かな第一歩となるアルバム「STAR」が来月発売になります。
 先日、そのタイトル曲となる「STAR」のPVを観ました。その前にある方がわざわざFMでの初オンエアの音源をお送り下さっていたので、純粋に音としてはもう少し早くから聴いていました。
 そして今日、ある教え子が久々に学校を訪ねてきたのきっかけに、この記事を書くこととしました。彼は、今大学生で作業療法士になるべく頑張っています(五十肩を診てもらいました)。
 彼とは、彼が在学中から本当によく一緒にフジファブリックのライヴに行きました。今思えばほとんど一緒だったかもしれません。あの市民会館ライヴでも、ちゃっかり私についてきて(あの時は私もちゃっかりだったのですが)、萼や楽屋で生フジファブリックに会ったりもしています。
 そんなふうにフジファブリックをかなり深いところで共有してきた彼が、先日のROCK IN JAPAN FESTIVAL 2011に行き、生で新しいフジファブリックの音を聴いてきた感想を伝えてくれました。
 ずばり、「フジファブリックだった!」。
 この言葉を聞いて、私もこの記事を書こうと決心した次第です。彼と私の感想は完全に一致していたのです。
 志村正彦くんは、間違いなく世界に誇る天才であり、100年に一人の逸材であることは間違いありません。フジファブリックの中心人物であったことも事実です。
 そんな彼が突然いなくなってしまって、いったいバンドはどうなってしまうのか…皆がそう考えるのは当然でした。私たちファンの動揺は別として、メンバーたちの懊悩はいかばかりだったか、それを想像するのは簡単なようで実はとても難しいことです。
 彼らはプロであり、それでメシを喰っているのですから、単なる悲しみとか迷いから再出発するというのとは次元が違うんです。
 ファンはいろいろと勝手なことを言います。私もついついいろいろ想像してしまいました。特に志村くんのいないフジフジ富士Qでメンバーの奏でる「フジファブリック」そのものの音を聴いた時は、複雑な心境になったものです。
 しかし、彼らはさすがプロでした。この「STAR」を聴いて、私は安心したというか、非常に納得させられました。プロはすごいなと。
 私はこの曲を聴いて、まず、私も大好きであり、志村くんのCDコレクションの中でも大きな存在感のあったELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)を思い浮かべました。
 アルバムのオープニングとしての Intro から疾走感のあるコンセプト・ナンバーへの突入感など、完全にELOです。そうですねえ、ELOをご存知ない方にはたとえば、この2曲なんかどうでしょうか。

プロローグ→トワイライト

シークレット・メッセージ

 こういう新しい世界への期待感というかドキドキ感、まさに宇宙(STAR)への飛翔感はELO的だとお思いになりませんか。
 違った意味でも、ELOはフジと重なるところがあります。ELOも一世を風靡したバンドでしたが、リーダーのジェフ・リンが天才であり、彼の楽曲とヴォーカルがELOの全てだと思われていたふしがありました。しかし、ある時期からジェフは尊敬するビートルズのメンバーたちと交流を始め、しまいに彼らと共演し彼らをプロデュースするにまでなり、ジョン死後のビートルズのニュー・シングルを制作するまでになってしまいました。
 そして、彼は自分のバンドELOから去ってしまいました。ジェフ抜きのELOなど存在できないと誰もが思いましたが、結局その後残されたメンバーはELO part2として過去の楽曲をライヴで演奏しつつ、また自分たちのオリジナル楽曲もたくさん作ってアルバムを発売したりしました。私はそのpart2も大好きなのです。
 当時「ああ、ELOの音ってメンバーみんなで作っていたんだ」と純粋に驚いたことを思い出します。バンドというものの本質を考えればそれは当然なのですが。
 そう、私はそういう経験からしても、また自らのバンド(楽団)経験からしても、そのあたりはよく分かっていました。つまり、フジファブリックの音はメンバーみんなで作り出しているものであって、たしかに志村くんの天才的な作品がベースにあるとしても、それをあの完成された「フジファブリック節」に仕上げているのは、メンバーみんなであると。
 バンドの編曲というのはどういうふうになされるかご存知ですか。メンバーがある意味では対等にアイデアを出し合わねばバンドは成立しないのです。
 だから、あの数々の印象的な、そして実に「フジファブリック」的なイントロたち一つ一つをとっても、あれはほとんど志村くんが作り出したものではないんです。
 もう一度言いますが、志村くんは、もうこれはどうしようもないほどに天才です。それは事実です。しかし、彼だけがフジファブリックを作っていたのではありません。当たり前ですが、彼がフロントマンで、他のメンバーが彼のバックバンドではなかったのです。
 そういう点において、あの「CHRONICLE」は少し異常事態だったかもしれません。あのアルバムは間違いなく志村くんの強い意思が全面に出た作品でした。
 だからこそ、ということもないかもしれませんが…あえて言わせていただくなら、今回の3人によるニュー・アルバム「STAR」は、よりフジファブリック的になるのかもしれません。「うるさい、わがままな志村がいないから伸び伸びできるよ!」(笑)。
 それもありだと私は思います。そういうことはいくらでも世の中にあります。だからこそ私は今までのフジファブリックも愛し続けますし、今後のフジファブリックも愛し続けるつもり、いや、つもりではなく愛さずにはいられないと思うのです。
 とにかくアルバムの発売が楽しみです。楽曲「STAR」について分析的に書くつもりが、ちょっと違う感じの記事になってしまいましたね。でも、これでいいような気がします。今、私が言うべきことはこれだったのでしょう。


フジファブリック - STAR @ ROCK IN JAPAN FES.2011 投稿者 mafu5

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2011.08.21

個の花道場(2日目)

80612799 あ道場二日目、最終日です。
 40人の魂を一つにつなぐことで掴む皆の志と天命。
 初日の段階で、かなり自分自身に対しても他者に対しても、つまり「世界」に対して違った視点を持つことができるようなった気がします。それはまさに「気がする」という体感です。理屈ではありません。
 禅との大きな違いもはっきりしてきましたね。禅は「心」の領域を修め、収めて、さらに自己の魂の部分まで透明にすることを目指します。野狐禅師(?)としては、その領域があることを予感するところまでは行っているわけです。
 そして、それはそれでたしかに究極の世界観の入り口だという気もします。人間の存在すら滅却して、完全に宇宙と一体化するわけですから。
 しかし、それはある意味において、現代の現実社会とは完全に遮断されないと実現しない世界観です。ですから、そういう「悟り」を得たとしても、我々は生きるために、また現実社会に戻ってこなければならないわけです。
 私はお釈迦様のおっしゃったことは完璧な宇宙の「真理」ですが、人間の処世術としてはあまり実用的でないと思っています。
 その点、この神道的な魂のネットワークと、言霊力のテクノロジーは、人間的な智恵のように感じましたね。
 禅が孤独を徹することによって全体に所属することを目的とするのに対し、こちらは他者とつながることによって、多が一に帰していくことを目的としています。「自他不二」という意味では、究極的に同じですけれども、そのプロセスが違うなと感じました。
 そして、禅では人間であることの喜びは排除されますが、こちらは人間であることの喜びをベースにして宇宙に自らの存在を還元していく感じがあります。
 どちらが正しいとか、どちらが優れているというようなことは当然言えません。目標は同じですから。
 さて、そんなプロセスを初めて体験してみまして、いろいろ驚いたことがあります。
 単純に、全くの他人同士が昨日の朝に40人集まって、実質20時間ほどでこれほど一体感が得られるものかという驚き。これは理想の教室のあり方ですね。教育もこうした深いレベルで関わり合いが必要でしょう。大変勉強になりました。
 そして、昨日も書きましたが、私の中に潜在、沈潜していた「モノ」。それは全く意外なことに「怒り」という形で、私の心の領域に現れました。「怒り」は私の日常においては、最も忌避すべき感情の一つだったはずです。
 それがなんに対する怒りなのかと言いますと、非常にシンプルです。
 「人の魂と魂はこんなに互いに引き合っているのに、なぜ現実世界ではそれを引き離す方向に力が働くのか。その力とはなんなのか。その力の主とはなんなのか」
 そういう「怒り」です。なぜか、その力の主に猛烈に戦いを挑みたくなったのです。これは本当に驚きでした。
 これもまた、ある面においては、禅的世界で幽閉されてきたことですね。怒りを無視するというのも禅の修行の大切な要件ですから。
 というわけで、あまり言葉にすると、私の奥深い体験が「嘘」になってしまいますので、このくらいにしておきます。
 私の天命は「間違ったもの乱れたものを糺すために闘う」ということです。正すのはみんなやらねばなりません。まずは「糺す」ために闘いたいと思います。
 人の魂と直結し、人の心の中を見ることができるようになるということは、そのまま自分の心の中をのぞくことができるようになるということです。
 そうして見てみた自分の心の中は、半世紀近く思い込んできた自らのイメージとはずいぶんと違うものでした。
 ほかにもいろいろ書きたいことはありますが、やはり書くことの危険に省みてこのあたりでやめておきます。
 とにかく体験しなくては真理は掴めない。これは世界の全てに共通していますね。
 本当に素晴らしい道場でした。見事なかじ取りをしてくださった光さんはじめ、後見人の方々、スタッフの方々、そして、40人の同志の方々に心から感謝いたします。ありがとうございました。
 ここでつかんだモノを、実生活で、特に教育の現場で活かしていくことが、この恩に報いることになるでしょう。

PS 6月に初めてお会いした上杉祥三さんと、今回偶然一緒に魂の探求をすることになりました。ご縁ですね。二人で闘って行こうと誓いました。素晴らしい同志を得てうれしい限りです。

Amazon 人の心が手に取るように見えてくる

個の花道場

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2011.08.20

個の花道場(1日目)

80612517 立文字、「分かる」のではなく「掴む」というこの道場のことを言葉で説明するのは非常に難しい。
 だから、あえて今日は語りません。とりあえず、今日のテーマはコロコロ変わり常に波打つ「心」と不動なる「魂」とをしっかり区別すること。
 感情や理性ではなく、もっと奥深いところにあるモノで感じる。人の目を見て、その人の魂を見る、聴く。
 私たちは、感情や理性の領域では「コト分け」されていて孤独な存在ですが、魂という「モノ」的な領域の領域で一つにつながっているということを「実感」しました。
 そして、いろいろな人に私の魂を見ていただきましたが、そこには全く予想外のモノがありました。それは、言われてみれば、確かに親から受け継いだ避けられない属性だったので、ある意味驚き、ある意味納得させられました。
 そうした意味で、他者とつながり、特に親を始点する先祖と確実につながっているということを体感できただけでも、今日の成果はあったと思います。
 この道場は決して自己啓発セミナーではありません。また経営セミナーでも、(アヤシイ)宗教セミナーでもありません。一般的に想定される、「栄養剤的」あるいは「麻薬的」な効果は一切期待しない方がいいかもしれません。
 もっと「生」の根源の部分での発見を促す「道場」です。そしてその発見の道筋や方法を体感する「稽古」です。
 この道場には、出口王仁三郎の曾孫であり、現代社会の人間ベースの新しいインフラとして「氣脈ネットワーク」を創造しようとしてる出口光さんから、ずっと誘われていました。
 土日で行われることの多いこの道場には、仕事の関係でどうしてもなかなか参加できずにいたのですが、あの大震災があったために、夏の音楽祭が中止となり、その結果としてこうして参加できることとなりました。
 私はこういうタイミングや「期せざる機」というのを大切にしたいと思っている人間ですので、流れにまかせるままに参加することとしました。決して期待せず、かといって過剰に懐疑的にもならず、自然体で臨んでいるわけです。
 それが、この道場のベースになっているであろう、日本古来の「惟神」…かむながら(自然に身をまかせる)の大道と上手に響き合う唯一の処し方だと思うのです。
 私はずっと「野狐禅」を窮めようとしてきました(笑)。野狐であっても、まあ「禅」は「禅」です。仏や人間には分からないだろう「野狐」なりの禅の妙道というのがあると、それこそ馬鹿みたいに信じてきたわけです。
 その「禅(的世界)」と、この神道的な「魂」の領域と、いったいどういう関係があるのかというのも、また今回の体験から感じたい部分であります。
 二日目に大いに期待をしております。
 一日目の道場の内容は、基本、光さんの名著「天命の暗号」に即したものでした。興味を持たれた方は、まずこの本を読んでみてください。

Amazon 天命の暗号

個の花道場

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2011.08.19

福島県沖でM6.8(2011.8.19)

Large 日予想したとおりM6以上の地震が発生しました。
 もちろん「偶然」ということも視野に入れなければなりませんけれども、逆にますます富士山での雲の観察というのが重要なのではないかと考えるに至っております。
 また、その後、これは体感的あるいは勘そのものなのですが、この中規模地震の影響で北関東と千葉の内陸北部が不安定になっていると感じたので、Twitterで「今日から明日の朝まで、関東北部、千葉内陸まだ注意が必要です」とつぶやきました。
 今(20日の早朝)起きて確認したところ、20日0時52分に群馬県北部で、また5時13分に千葉県北西部で小規模ながら発震があったようですね。双方ともやや珍しい場所だったので、これを感じていたのかもしれません。
 それ以外にも日本各地でずいぶんとたくさん揺れていたので驚きました。この傾向はしばらく続くと思われますので注意するに越したことはないでしょう。
 ところでM6.8と言えばかなり大きな地震と言えますよね。しかし、あのM9の巨大地震の余震としてはまだまだ小さい方です。いまだM7.5以上の大きな余震は発生していません。それがここ2〜3年以内に発生するのはたしかだと思います。そのことを決して忘れてはいけません。
 それも青森県沖から千葉県沖までの地域で複数発生してなんの不思議もありません。その際には沿岸部は震度6になり、また中規模の津波も発生するでしょうから大変に危険です。
 M9という1000年に1度あるかないかの巨大地震のために、私たちの感覚はだいぶマヒしてしまっているように感じます。震度5ではそんなに驚かない、騒がない国民っていったい…苦笑。
 いずれにせよ、私たちは常日頃、物心両面において様々な準備をしておく必要があるでしょう。そして、自然からのメッセージを受け取ることを忘れず(もともと万人に備わった能力だと思いますので)、少しでも被害を小さくできるよう努力するべきだと感じます。
 ただ、昨日の記事のような内容をこうして公にするのには、それなりのリスクも伴います。書く側としてもそれなりの勇気をもって書かねばならないというのも事実です。
 そのあたりの難しさを理解した上で、それでも後悔しないために、私なりに情報を発信していきたいと思っています。そして、そのためには、ますます自分の感覚を研ぎ澄まさねばならないなと痛感しています。これはある意味修行ですね。
 夜、臨済禅を研究されている中国の方が我が家を訪問され、かなりコアな会話をさせていただきました。そこで出た「自然(外界)と一体化する」「自他不二」の境地と、地震を予知する境地とは、もしかすると近いものがあるかなと感じました。まさに修行ということですか。
 宗教のみならず、科学もまた、目指すべきところは実はそういうところにあるのではないかと思う今日この頃です。


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2011.08.18

本日の地震雲(2011.8.18)

 日は地震活動が活発でしたね。そんな中、富士山にやや気になる雲が出ていたので撮影し、ツイッターで紹介しました。
 それをここにも再掲しておきます。というのは、現在(19日朝)の段階では、対応する大きな発震は認められないからです。つまり、ここ数日の間にM6以上の地震が起きる可能性がまだ残っているということです。いちおう注意を喚起しておきます。
 まず午前中に撮影した写真です。私がこのようなことを時々言うからでしょう、生徒たちは私の顔を見るなり「先生、今日地震ある?」とか「あれ地震雲じゃない?」とか質問してきます(笑)。私は予言者でも科学者でもないので、「分からない。あるかもしれないしないかもしれない」と言ってはぐらかしますが、なかなか納得してもらえません。
 おそらく私なりに富士山上空の雲をよく観察し、最終的には自分の感覚を信じて、「今日は大きめの地震がありそう」と言っているんでしょうね。それがけっこう的中するものだから、生徒たちはこういうふうに聞いてくるのでしょう。
 狼少年みたいだったら、「ああまた言ってら」とか「ウソつき」とか言われておしまいでしょうから。案外私の勘も信用されているということでしょうかね。
 で、今日も生徒のおかげで空を見る機会がありました。職員室でたまった仕事をやっつけていると、生徒数名が来て、先ほどのような質問を私に投げかけてきました。そして、窓から空をのぞくとこんなふうな景色が。

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 この写真のどこが地震雲なのかとお思いになる方もいらっしゃるでしょうね。こちらに詳しく書きましたように、私の地震雲に関する考え方はある意味科学的な態度を超えていますので、なかなか理解されない部分もあります。
 しかし、たとえばこの写真で言えば、富士山上空北西側に広がったうす雲は、そうそうしょっちゅう見られるものではありません。そして、その南端がきれいな直線状になっているのも気になりますね。
 続いて午後3時頃に撮影した写真です。

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 これはもっと全体を撮影しておくべきだったと後悔しています。富士山の北東方向です。こうしたいわゆる龍体型の雲が弧を描いていました。これはその中央付近です。つまり南北に伸びているということですね。
 富士山上空に限らず、一般にこうした棒状、縄状、筋状の雲は、偏西風の影響を受けて東西方向に伸びることが多くあります。今日も基本そういう空だったのですが、この富士山の北東方向だけは南北方向に伸びる雲が多数見られました。
 これだけでも、私としては「デザイン」的に「いやな感じ」がするのです。そして、今までの経験からTwitterでこうつぶやきました。
 「朝から東にも気になる雲があります。今も地震活動が盛んですが、関東含めしばらく注意が必要と思われます」
 その後も東北から関東にかけての地震活動は活発で、19日の0時39分には茨城県南部を震源とする震度3の地震も発生しました。
 しかし、この地震はM4程度ですから、心配される中〜大規模地震とは言えません。そういう意味でももうしばらく注意が必要かなと思います。私たちはついつい震度で地震を計り、記憶してしまうものですが、実際にはマグニチュードで判断するのが正しいのは言うまでもありません。
 なお、最も最近で「当たったね」と言われたものはこれです。11日の午後に撮影しTwitterにも載せたものです。

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 ご存知のように12日の明け方3時22分に福島県沖を震源にM6の中規模地震が発生しました。ワタクシ的にもM6レベルかなと周囲に言っておりましたので、結果としては「当たった」ということになるのでしょうか。
 ただ、いつも書いているように、私はこれを「地震予知」だとは思っていません。3月11日の予兆であったかもしれない3月3日の地震雲を記録、掲載しなかったことに対しての反省に基づく行動ですので、皆さんも「当たる」「当たらない」という次元でお考えにならないようにお願いします。
 最後にもう一つ確認。なぜ富士山上空で、他の地方で発生する地震に関連する雲が発生するのかということですが、私としては、やはりここが4枚のプレートの接合点であるということに理由があると考えます。
 これを非科学的に言うと、富士山は日本という龍体の丹田にあたる、ということになりますでしょうか。まあ、こういう言い方をすると嫌悪感を抱く方も多いのですが(苦笑)。

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2011.08.17

『数学ガール フェルマーの最終定理1』  (MFコミックス フラッパーシリーズ)

S_2 日はワタクシの誕生日でありました。
 いつもはだいたい都留音楽祭の合間にあたっていたりして、自分でもこの日を忘れてしまうようなことが多かったのですが、今年は同音楽祭が震災の影響で四半世紀ぶりに中止となったので、珍しく家でゆっくり味わいました…と言っても、別に家族が祝ってくれるわけでもなく、自分で何をするわけでもありません。
 ただネット上の知り合いの皆さんがお祝いのメールやメッセージをくださりまして、なんとも不思議な気持ちになりました。こういう言い方はなんですが、誕生日というデータはリアル世界よりもネット世界の方に流布しており、そして、それが旧来の「社会性」を継続するきっかけになっているということですよね。
 まったくパソコンやらインターネットというのは不思議な世界を構築したものです。
 一方、パソコンのおかげで、半日かけて1万字にわたって書いた秋田の旅日記(このブログの記事)が一瞬で消えました。気合いを入れて集中して文章を書いていると、「保存」を忘れるんですよね。そうこうしているうちになぜかChromeがフリーズし、ついには落ちてしまうという悲劇が…。
 ショックで立ち直れなくなりました(苦笑)。書いたことは覚えていますけれど、それをもう1度再現するというのは、全く新しい文章を書くよりもずっとストレスフルなことです。これはどういう心理なのかなあ…。
 というわけで、秋田関係の記事、すなわち13日から16日までの記事は写真の羅列にすることにします(手抜き)。その中で重要なものはのちに単独でとりあげます。
 さて、そんな妙な誕生日、ある方がお祝いの言葉とともに「今日のGoogleはフェルマー」と教えて下さいました。へえ〜、フェルマーの誕生日が8月17日という説があるんだ。知らなかった。
 フェルマーと言えば、もちろんフェルマーの最終定理ですよね。それを題材にしたコミック「数学ガール」が発売中です。私も借りて1巻を読みましたけれど、今回もなかなか面白そうですね。
 私は「数学」はからきしダメですけど、「数学的世界」と「数学にとらわれた人々」は大好きです。たとえば以前こちらの天才数学者の本やこちらのポアンカレ予想に関する番組などを紹介しました。
 そう、私にとっては、数学とは完全なる「コト世界(脳内の概念世界)」。そこに没頭する人々は、すなわち「オタク」に見えるわけです。現実世界からどんどん隔絶して脳内の情報処理に終始していく姿は、ある意味とても魅力的です。
 私は基本「モノ世界(外界・リアルな自然や脳内で処理しえない世界)」を重視していますよね。しかし、一方で、「コトを窮めてモノに至る」ということも認めています。たとえば数学を極めるとどんどん宗教と似てくるということです。
 どこか天才数学者たちは哲学者、あるいは宗教家然としていますよね。そこが逆説的に好きなわけです。
 しかし、私は数式は全くダメな人間。ですから、こういうコミックは大変助かります。理解はできないけれど共感や予感はできるからです。
 数学ガールの第1弾についてはこちらに書いていました。読み返してみますと、なるほど自分面白いこと言ってますねえ(全然書いたことを覚えていない)。青春と数学の相似点…一意性の不条理と残酷さかあ。なるほど(笑)。
 こちらフェルマー編もそういうような展開になるんでしょうかね。そっか、数学者って永遠の中二病かもしれんなあ。
 そうそう、フェルマーと青春で思い出しましたが、フェルマーの最終定理を証明したアンドリュー・ワイルズが参考にした谷山・志村予想で有名な、日本が誇る天才オタク、いやいや天才数学者である志村五郎さんですけど、彼が一般化したものに「クロネッカーの青春の夢」というのがありますね。
 内容はチンプンカンプンですけど、このネーミングはいいと思います(笑)。クロネッカーが中二の時(?)妄想した定理があったわけですね。それって、やっぱり「彼女はオレのこと好きに違いない」という妄想に近いものがありますよ(笑)。
 だからおそらく天才でなくとも「○○の青春の夢」というのは必ずあるわけで、そうポアンカレ予想を証明したペレリマンもそうでしたが、その夢の対象が「女」ではなく「数学」に向かってしまうことはあるわけですね。
 数学まで行かなくとも、今で言うなら「2次元」でしょうかね。やっぱり、マンガやアニメのキャラに萌えるというのと数学に燃える(いややっぱり萌えるだな)のは、四捨五入すれば同じ世界のような気がします。
 ま、だからこそ、こういうコミックが企画され発売されヒットするんでしょうし。
 ちなみに、クロネッカーはのちに懐疑派と呼ばれるほどの変わり者(偏執的オタク?)でした。彼のイジメにあって、かの集合論の祖カントールはノイローゼになって精神病院行きになってしまいました。「お前の好きになった女のどこがいいんだ!?あんなの化け物だ」って言い続けたってことですよ(笑)。
 それでもなんとなく私はクロネッカーが好きです。この言葉は「実感」として共感いたします。
 「自然数は神が創り給うた。他の数は人間が勝手に作ったものである」

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2011.08.16

秋田の旅の最後は「あっぱれ能代商業!」

M0011233750_2 やはや、本当に感動しました。
 甲子園でここまで感動したのは久しぶりですね。それも秋田で応援できましたから最高でした。
 戦前には「最弱」とのウワサもあった秋田県代表の能代商業高校。たしかにここ十数年秋田は勝ちに恵まれませんでしたし、昨年この能代商が15対0で負けていることもありましたからね、まあそういう予想をされるのはいたしかたありません。
 しかし、本当に野球というのは分かりませんね。まだ甲子園は続いていますが、ある意味日本国民の心を最もつかんでしまったのはこの能代商業だったのではないでしょうか。
 特にピッチャーの保坂くん。彼の投球フォームを見て、少し野球をかじったことがある方なら、うわっと思ってしまったことでしょう。
 いわゆる手投げです。下半身も上半身もフルに使わず腕だけで投げるという、まあ、いうなればシロウトの投げ方の典型です。これだけ見ればたしかに「最弱」の要件を備えていると言えましょう。
 しかし、まず1回戦で昨年大敗した鹿児島の代表に逆転勝ちしてからは、ずいぶんと評価が変わったと思います。
 彼の球速は平均110キロ台、たまに130キロ出ると歓声が上がるほどです(笑)。私も中学まで野球部でピッチャーをしてましたが、当時でもまあ110キロくらいは出ていました(ノーコンでしたけど)。
 彼のような投げ方をしていると、今なら早いうちに矯正されますね、絶対。それが矯正されなかったところが秋田のすごいところかもしれません。
 私の義弟は秋田の中学野球界ではちょっと有名な監督(先生)なのですが、保坂くんのことはほとんど知らなかったと言います。普通甲子園出場レベルのピッチャーなら中学時代から鳴物入りというのが通常です。
 今の時代、高校生でも140キロは当たり前、甲子園では150キロ台もよく見るようになりました。当然、甲子園に出るような強豪チームはそうした剛球投手対策をしてきますから、保坂くんのような軟投派というか、球速はないけれども抜群のコントロールとコンビネーションで打たせて取るタイプは苦手とすることが実はよくありますね。
 ウチの高校もやられる時はだいたいそういう投手の時です。打てそうで打てない。いつか攻略できるだろうと思っているといつのまにか終盤。焦って大振りになってくるとますますドツボにはまるというパターンです。
 こういう「柔よく剛を制す」的な試合は、「柔」の方から見ているとヒヤヒヤはしますが、勝つと非常に気分爽快になりますね。
 で、2回戦も強豪相手に見事な完封勝ち。そして、3回戦。もう言うまでもありませんね。負けはしましたが、まさにチーム一丸となって戦う、野球の醍醐味のような奇跡的な試合でした。
 彼のようなピッチャーが活躍すると、全国の地味な中学生投手たちは自信をつけるでしょうね。そういう意味でも彼が甲子園に残したものは大きかったと言えるでしょう。 
 プロ野球選手に限らず、昭和の偉人たちって、変なフォームの人が多かった。今は学校教育の段階で、その子どもの個性を殺して、一般的な平均的な形に矯正しちゃいますよね。それは強制でもあります。
 教育先進県、いや、いい意味で古典的な教育が行われている秋田に学ぶことが多くありました。
 それにしても、秋田ってホント純朴ですね。監督さんから選手から応援団まで、なんとも言えない雰囲気、ある意味「新しさ」さえ感じました。だって、誰も眉毛そって整えたりしてないんだもん(笑)。ただでさえ縄文やアイヌの血が濃くて眉が立派なのにね。都会のチームはこじゃれててダメですな。
 いや、本当にいい投手、いいチーム、いい試合でした。秋田よ、本当に今年の夏はありがとう!
 あっそうだ、保坂氏って典型的な甲斐源氏ですよね。能代市にはけっこういるようですが、どういう事情があってあちらに行ったのかな。調べてみます。

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2011.08.15

秋田の旅(2011.8.15…龍神編)

 続きまして15日。14日の鳥海山に続いて、出口王仁三郎とも縁の深い十和田湖へ。いろいろ不思議な出会いがありました。まさに「龍神の旅」。
↓十文字佐賀会にある小さな小さな「龍神社」から出発。なぜか山梨のもも味ハイチュウ購入。
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↓美郷町六郷は湧水で有名な町。中心にある諏訪神社にお参り。
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↓建御名方神は「みなかた」から水を連想させますね。宮司さんによるとこのあたりの屋敷神の7割は龍神様だとのこと。
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↓神社横にある六郷湧水群の一つ「諏訪清水」。富士北麓の湧水と似ていますね。ちなみに3月の大地震で湧水が増減したり濁ったはなかったとのことです。
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↓なにげなく寄った大曲の「和合神社」。すぐ横には巨大ショッピングモールが。
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↓和合とはいい名ですね。地名が和合です。祭神は不明。
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↓大仙市(旧協和町)の唐松神社に参拝。見事な杉並木の参道。
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↓お祭の準備が進んでいました。とてもいい気に溢れた神社です。
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↓いたる所に龍神が。
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↓ここにも。
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↓奥田酒造店。なんとこれが白井晟一作品なのです!
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↓中にお招きいただき、奥様の貴重なお話をお聞きしました。詳しくは別記事で!
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↓田沢湖へ。辰子姫が龍神に変身した場所に立つ祠。
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↓偏光グラス越しに見る瑠璃色の湖水。相変わらず美しい。
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↓この美しい色の玉川毒水によってかのクニマスが絶滅しました。
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↓水不足だというので龍神様に雨乞いしたらいきなり雨が。
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↓玉川ダムはかなりの渇水状態。
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↓男神山。
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↓世界最強の温泉、玉川温泉のビジターセンター。
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↓八幡平神社大鳥居。
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↓無料の足湯でゆったり。
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↓浸かっていた部分が真っ赤に!健康な証拠だそうです(笑)。
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↓1年ぶりの十和田湖。おひさしぶり。
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↓なんか空間が歪んでますね。
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↓湖畔に着くと、突然光の階(きざはし)が!神々しい!
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↓波が高目でした。昔早春に十和田湖に来た時、まさに鏡のような湖面を見ました。あれはすごかった。
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↓十和田神社への参道沿いにある洞穴群。これは「金の神」。金神ですね。
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↓手水の龍。このあたりの空気の匂いが富士の樹海と同じだと感じましたが、それも当然、同じ時期に噴火して形成された樹海だからですね。
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↓十和田神社の本殿へ参拝。
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↓南祖坊ゆかりの占場に向かう途中青龍神社が。
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↓占場へのハシゴは途中で落石のため立ち入り禁止に。残念。
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↓しかしそこから見る中湖の青さといったら…。
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↓なるほど「青龍」だ!自然の色とは思えません。
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↓湖畔に座り、地震の沈静化と雨乞いをお願いしていると、いよいよ龍神様のおでまし!
Img_3211
↓いたる所に龍神が…昔の人々もこういう雲を龍神だと考えたのでしょう。
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↓小さな神様(雲)もたくさん現れました。舞うように変化していきます。
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↓光と雲のハーモニー。
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↓龍体が手前にせり出してきました。
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↓こちらにも一本立ち上がってきました。
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↓うろこも夕焼けに輝いています。
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↓そろそろ帰らねば。
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 実はこのあととんでもない豪雨に襲われ、車を走らせるのに難儀するほどでした。龍神様の霊験はすさまじいですね。その後数日間秋田は大雨が続き、水不足もだいぶ解消したようです。災害も起きてしまいましたが…そのあたりが日本の神様(自然)の「ものものしい」ところですね。
 いい旅でした。奥田酒造店(白井晟一作品&お酒ほか)については改めて記事にいたします。たくさん写真を撮らせていただいたのでお楽しみに。


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2011.08.14

秋田の旅(2011.8.14)

 づいて14日です。この日も親戚一同で秋田県南の旅。
↓由利本荘市(旧矢島町)の花立牧場へ。残念ながら鳥海山は雲の中。
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↓続いてにかほ市の土田牧場へ。ここの風景は最高ですね。
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↓人の分まで食べ尽くすカミさん。たしかにカレーがうまかった!
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↓セントバーナードがたくさん。暑くて大変そう。
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↓うさぎと戯れる子どもたち。うさぎも大変だ(笑)。
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↓ジャージー牛。
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↓鳥海山の全貌は見えずとも雄大なエネルギーは感じます。
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↓仁賀保と言えば風力発電。頑張れ!
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↓帰宅後、夜は大宴会。この日もまたレアな話満載。おそるべし秋田。湯沢の酒もうまい。
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 いちおう記録として。この酒の席での話の内容。Twitterから転載。

ゲンゴロウを煮て食べる話 in 秋田なうw
次はカタツムリを焼いて食べる話なうw
バンドリ(ムササビ)をバットでぶん殴って焼いて食べる話なうw
続いてヤマドリを先生が食べてしまった話なうw
続いてカラスヘビは食べないという話なうw
アブラヘビは捕まえると臭いという話なうw からまれると冷たくて気持ちいいらしい。
ひいおばあさんがツバメの巣を襲ったアオダイショウを惨殺した話なうw
畑でネズミを捕まえたがシッポが切れて逃げられた話&庭で捕まえた大蛇が守り蛇ではないかという話なう。噛まれると歯が指に残っていたらしい。
アオダイショウの恩返しの話なう。蛇だけでこれだけ話が続くという感動w 都会育ちの私は正直うらやましい。
鶏の首をクリンとひねる話byばあちゃん。
クリスマスに七面鳥をクリンとやる話なう。
カラスヘビは空中を水平に飛ぶらしい。図鑑にも出ていないというが…。いいなあ、こういう物語世界。
サンショウウオは心臓の薬ということで踊り食いした by 義妹
農業と畜産のプロである義父と話す。農産物や肉牛で言えば放射線より農薬(特に昭和の時代)の方がずっと危なかったはず。

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2011.08.13

秋田の旅(2011.8.13)

 今回の秋田行についてたっぷり文章を書いたのですが、なんとパソコンがフリーズし全て消えてしまいました!ガ〜ン。
 こうなると書いたことを覚えているだけによけいに再現するのが億劫になります。私は、基本どんな時もアドリブな人生を送っていますので、2度同じことを書くのは、本当に本当に辛いというか、不快でしかたないのです。ごめんなさい。
 というわけで、もう開き直って、時系列に従って写真の羅列をするだけにします(手抜き!)。一言ずつだけ説明を加えます。
 大切な内容については、後日独立させて記事といたします。
 では、13日の写真をどうぞ。ちなみに全部iPhone4の内蔵カメラで撮ったものです。きれいですね。
↓この日はまず親戚一同で小安峡へ。火山のエネルギーを感じます。
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↓近くに上の岱地熱発電所がありますが、とにかくこの熱を使わない手はない。
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↓ものすごい勢いで100度近い噴気が岩の割れ目から。
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↓侵食力発電ってのもできないかな?
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↓橋の上からのぞくと…ガクブル
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↓ぜひ秋田には地熱、風力、水力、雪力(?)でエネルギー独立国を目指してほしい!
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↓お昼は増田にある佐藤養助商店直営の「養心庵」へ。漆蔵資料館を兼ねています。
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↓ここは今や韓国ドラマ「IRIS」のロケ地として有名。
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↓蔵もすごいが、なにげに置いてある佐藤家のお宝群がすごい。地方名士おそるべし。
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↓私は昼から増田の銘酒「まんさくの花大吟醸」を。おいしいのなんのって。
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↓稲庭うどんは天皇家も好む高級料理。吉田うどんや讃岐うどんとは世界が違います。
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↓食後は近所の満福寺へ。曹洞宗の寺院。
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↓お地蔵さんに蝉の髭が。
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↓立派なお寺です。南北朝期の曹洞宗ですから南朝系でしょうか。
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↓続いて、久々に増田の「まんが美術館」へ。仮面ライダーメモリアル展やってる!
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↓旅の恥はなんちゃら。
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↓ここの無料常設展はすごい!そうそうたる漫画家さんの原画がぞろり。聖地だ。
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↓羽後町の美少女関係グッズ複数購入。企画者の山内さんは白井晟一研究者でもあります。
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↓カミさんの故郷羽後町軽井沢へ墓参りに。
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↓ここにはいまだ仏教がちゃんと伝来していない。神道です。奥津城です。
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↓お供えの餅は子どもが食べると縁起がよいとか。他人の奥津城のお供えも食べていいらしい…。
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↓先祖の女性の名前がすごい。「津波」に「雪女」!!江戸から明治にかけての方々です。
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↓別当さんのお宅へ。「鎌鼬の里」田代地区です。土方巽もこの夕景を眺めたか。
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↓「旦金森(だんきもり)」は石切り場だったとか。「イスキリ」信仰との関係はいかに…。
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↓心が落ち着きますね。本当にいい村です。
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2011.08.12

1年ぶりに秋田へ!

 は今日はもう17日なんですが、ここからは先週12日から本日未明までの秋田の旅の中身を、時系列的にご紹介します。
 個々の内容の中で、特に大切なものはまた後日改めて取り上げるといたしまして、とりあえずTwitterでつぶやいたものをまとめて…正直手抜きですな(笑)。
 秋田に行くのは1年ぶりです。3.11があって、春休みもゴールデンウィークも行くことができませんでした。ですから、ちょうど1年ぶりとなります。これほど間が空くのは、カミさんと結婚して初めてのことですね。だいたい年に2回〜3回は行ってましたから。
 ちなみに昨年は昨年でかなりすごかった。甲府で白井晟一関係者にお話を聞き、翌日白井晟一作品に稲住温泉で出会い、羽後町田代天神堂でお盆の秘儀を体験、翌日には運命の田沢湖・十和田湖訪問秋田こまちプロレスを観戦、そして最後は西馬音内盆踊りでした。
 今年もある意味これに匹敵するくらい濃い毎日でしたので、一つ一つ書いていると1年かかってしまう(マジで)。
 では、行きます!
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 富士山から秋田へ。私たちはいつものとおりの日本海経由コースで向かいました。今年はなんと軽自動車スズキアルトに4人と1匹を乗せての長距離ドライブです。
 よくこんな小さな車で…とお思いになることでしょう。しかし、面白いもので、ウチの家族はとにかく小さい車が大好きなんです。狭い空間にギュギュッと詰め込まれているのが好きという変り種なのであります。
 今やどの家庭もミニバンとは名ばかりのミニじゃない箱形バンで旅行をするものですが、ウチはとうとう、ホンモノのミニミニバン「エブリィランディ」でさえ大きいと感じるようになってしまいました(笑)。
 しっかし、最近の軽はすごいなあ。ランディよりずっと力あるし、静かだし、自然給気でこれだもんなあ。日本の技術力は素晴らしい。燃費はエアコンつけっぱなしで23k/l強でした!
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 ちなみに1匹というのは下半身不随ネコのミー(みい)です。排尿がままならないので、こうして年に何回か往復1400キロ近い移動をします。狭い車内で半日じっとしている娘たちも正直偉いと思うのですが、このネコも立派ですよね。
 今年は特に東北道の渋滞が大変でしたね。復興支援の車も多かったからでしょう。いとこ家族は栃木の足利から秋田の横手市まで14時間かかったそうです。
 彼らと同じ時間(朝の3時半)に出発したのですが、ウチは午後2時に到着。向こうは6時でした。いかに日本海コースが渋滞知らずかということですね。
 今回、1年ぶりということで、日本海東北道もずいぶんと伸びていてビックリしました。新潟市から山形の県境の朝日まで高速で行けます。しかもかなりの部分無料。いつもただ1ヶ所渋滞する村上市街も通らなくすむようになり、実質9時間の運転で到着することができました。1時間短縮ですね。
 いとこも帰りはこちらを回って栃木に帰りました。まさに急がば回れですね。
 具体的には、高速が終わったところから国道7号線を北上し、鶴岡から内陸に入って最上川を遡上、新庄から13号を北上して雄勝峠を越えて秋田県湯沢市に、というコースです。
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 途中庄内平野では風力発電施設を横目で見ながらのドライブ。いつもはあらぬ方向を向いて止まっていることが多いのですが、今日はちゃんと回ってました。頑張れ自然エネルギー!
 カミさんの実家は、もともと羽後町軽井沢という山奥にありました。しかし、いろいろ不便なこともあり、(ワタクシ的には残念ながら)横手市の十文字に越してきました。今、義父はここでブドウ栽培などの農業に従事しながら、某有名納豆メーカーでお豆腐を作っております。
 到着するとすぐに孫を連れて畑の中を軽トラクルーズ!最高のお出迎えですね。
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 今まではブドウと言えば我が山梨県でしたよね。しかし、温暖化の影響もあって、山梨のブドウ農家は最近苦戦しております。逆に秋田の南部がブドウ栽培適地になってきており、出荷額も伸びているとのことです。山梨も負けておられませんぞ。

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2011.08.11

新しいヴィオラにニスを塗っておりますが…

Img_2932 日は瀬戸龍介さんのスタジオで、本当に素晴らしいレーゼンドルファーを弾かせて頂きました。あの指先の感覚、忘れられませんね。
 そして、今日はまたまた指先でお仕事です。前も書いたように、今我が娘のピアノの先生にして、我がバンドのキーボーディストでもある方のお宅に、なんと世界最古のピアノ「クリストフォリ」のレプリカ(久保田彰さん作)が来ております。その我流調律をしてまいりました。
 信じられないかもしれませんが、今回も横では娘がグランドピアノでレッスンをしております。そんな音に紛れてしまうと、もうクリストフォリは聞こえっこありません。つまり耳が使えないので、仕方ない指先を使うわけです。
 それが楽しいんですよね。耳で聴くなんて、なんか禅的でいいですよね(笑)。
Img_2887 そして家に帰ってきてからは自分のヴィオラにニスを塗りました。下の娘といっしょに。
 そう、実はですねえ、今年の6月に急遽新しいヴィオラを買ったんです。いつも使っていたスズキのヴィオラが故障いたしまして、目の前の横浜のコンサート(遠足&芸術鑑賞)に間に合わないということで、いかにも私らしい方法で新楽器を手に入れちゃいました。
 結論から申しますと、中国製です。中国のオークションで落としまして、本番の前日に日本に届きました。それを翌日の本番で弾いてしまったというわけです。
20110817_144344 で、このヴィオラですねえ、4万円台で落札したんですけど、なかなかいい作りでして、特に表板以外はいわゆるバーズアイなんです。これがこんな価格で買えるなんて…皆さんの意見によりますと、たぶん1ケタ違うのではないかと(笑)。ま、それはそれでラッキーということで。
 ただですね、ちょっとニスが薄くて黄色いんですね。専門の製作家の方によりますと、これは最初の下塗りしかしていないのではないか、ちゃんと塗った方がいいということで、さっそくニスを取り寄せまして塗り始めたというわけです。
Img_2892 しかし、実際塗ってみるといろいろと難しい。上手に塗れると、それはそれでテカテカのピカピカという感じで、バロック楽器としてはイメージがしっくり来ない。で、わざとムラを作って塗ってみると、今度は不自然にムラっぽくなってしまいダメ。
 そうこうしているうちに、これはオールド風に仕上げてみるっていうのはどうだ?なんて考えも浮かびまして、ニスをぶ厚く塗ってそれにわざとキズをつけたり、汚れを演出してみたり…。
 な〜んてやってましたら、なんだかとんでもなく変な模様になってしまいました(笑)。
Img_2936 恥の、いや嘘の上塗りという感じでどんどんひどくなっていってしまっています。しまいにはもう少し濃いニスを調達しまして、上からフタをしてしまおうかと思っています。
 こんなことできるのも、安い楽器だからですね。ま、こうやって自分の楽器を自分で演出するというのも、また面白いというか…よくロックのギタリスト(というかギター少年)は自分流に(あるいは布袋流に)ペインティングして失敗するというのが定番ですよね。私も中二レベルってことでしょうか(苦笑)。
Img_3242 今はこのような状態で洋服と一緒に吊り下げられております。乾燥中です。この写真だとなかなかいい感じに見えますが、近くで見ると正直ヤバいです。
 なんか少年時代を思い出すなあ。父親の物とかに勝手に手を加えてにっちもさっちも行かなくなっていく…あの感覚。
 今思えば、そういうところからいろいろ学んでいますね。人生のゴマカシ術を(笑)。
 まあ、音はなかなかいい状態を保っていますから、もう少し楽しんでみようかと思っています。しまいにはストライプとか、ドクロの絵を描くとか、バロックじゃなくてロックになるかもしれません。お楽しみに!


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2011.08.10

瀬戸龍介さん宅(スタジオ)訪問

110810_18_24_32_hdr 当に不思議なご縁に導かれて、先日我が家にやってこられた瀬戸龍介さん。あの夜だけではとてもとても語り尽くせないモノがありました。
 瀬戸さんもそのように感じてくださったのか、今日は富士北麓某所にある瀬戸さんのご自宅兼スタジオにお招きいただきました。
 いやあ、本当に素晴らしいロケーションですね!テラスで尽きぬお話をさせていただきましたが、その間ずっと富士山が美しい姿を見せていました。
 最初は雲がかかっていましたが、話の核心に迫り、富士山の本質的な部分について語り始めると、いつのまにやら雲も霞も去って、恐ろしいほどに美しい姿を現しました。空も薄い茜色、日の光は金色に輝き、それはそれはこの世のものとは思えない神々しさです。
 きっと富士山が私たちの話に呼応してくれたのだと、みんなで感動しあいました。
 ちなみに話の内容はあまりに壮大でここには書けません(笑)。一つはこちらに書いた「和」がテーマだったかもしれません。瀬戸さんは私に「今すぐ本を書いて!」と言って下さいましたが、私の思いつきはとてもとても書籍にするような立派なものではありません。まあ、たしかに私しか知らないお話ばかりだったことはたしかですが。
110810_18_48_23_hdr いちおう私たち二人は、レベルはあまりに違うとは言え、音楽をやっている者同士なのですが、なぜか音楽の話はほとんどなし。しかし、それではあまりにもったいない…というばかりに、いよいよスタジオを見学させていただきました。
 うわぁ、これはたしかに日本一のスタジオですね。機材の素晴らしさという次元ではなく、やはりロケーションと、なんというか「気」ですかね、私のようなシロウトでも何か特別なインスピレーションが湧いてくる空間でした。
 スタジオというのは本来そういうアトリエであるべきなんですよね。ただ録音するだけの部屋ではありません。あくまで想像と創造の場であるべきです。そういう意味で瀬戸さんのスタジオは間違いなく日本一、いや世界一かもしれません。
 そんなスタジオのオペレーション・チェアに座らせてもらってパチリ!ここでも富士山が私たちを見下ろしてくれています。素晴らしい!
110810_19_03_43_hdr そして、演奏空間がまた素晴らしい。とてもナチュラルな雰囲気ですね。リラックスして音楽に没頭できます。
 そしてそして、ここに鎮座しているピアノがすごい!すごい!素晴らしい!素晴らしすぎ!
 ホントすみません、今までこのブログでも散々現代のグランドピアノの悪口を書いてきましたけれど(工業製品だとか、近代兵器だとか)、それは本物のグランドピアノに出会ったことがなかったからでした。
 瀬戸さん所有の30年もののベーゼンドルファー!これは…いったいなんなのだ!私のような鍵盤シロウトでもそのすごさは分かりました。
 そう、近代兵器には絶対にない、あの「指先で聴く」感じ。私の大好きなクラヴィコードや世界初のピアノクリストフォリと同様、鍵盤を叩いた…というか押した時の、あのストレートに伝わってくる弦の振動。それとすぐに共鳴する自分自身。「ピアノ(弱音)」の深さ。
 もうこうなると、普段ピアノなど全く弾かない私でも、溢れ出るインスピレーションによって、何時間でもアドリブで弾いていられます。実際、恐れ多くもずいぶんと長い時間弾かせていただきました。
 瀬戸さんとも話した「モノの音(ね)」としての音楽、そして「琴(コト)」としての楽器。人間は完全にメディアになります。自己表現ではなく、言ってみれば「神降ろし」ですね。素晴らしい。
 その後、お食事をしながら、また話は富士山、日本、世界、宇宙とどんどん広がっていきました。なんと素晴らしい美しい時間であったことでしょう。本当にありがとうございました。
 奥様のイレーヌさんも含め、皆さん謙虚で柔和で、愛と感謝の気持ちに溢れ、本当にそれだけでも私としては学ぶことがたくさんありました。
 さあ、これから瀬戸さんたちと壮大なプロジェクトが始まる予感がします。本当にご縁というのは不思議なものです。全てに感謝ですね。ありがとう!


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2011.08.09

TEKNOS 4電源対応 充電式多機能ミニ扇風機 (千住)

Refdp_image_z_0 こ二日、ちょっと難しい話を長く書いてしまったので、今日は軽く短く。
 980円の割にはけっこう使える、すなわちいい買い物(?)。
 節電の流れから扇風機が売れています。エアコン(クーラー)に慣れっこになっていた私たちは、扇風機のありがたみを忘れていましたね。
 まあ、ウチは富士山を3分の1上ったところにありますので、エアコンはもちろん扇風機もいらない生活を送らせていただいているわけですが、私はたまに趣味の車中泊をしますので、この季節はさすがに扇風機が恋しくなります。
 たとえば熱帯夜の東京で車の中で寝るなんていうのは地獄の沙汰です。窓を全開にしても、風がなければ全然涼しくないどころか、防犯上も危険です。
 かといって、エンジンをかけて冷房するわけにもいきません(気持ち的に)。そこで活躍したのがこれです。充電式のミニ扇風機。
 これ案外いいですよ。非常用に車に積んでおくといいでしょう。真夏に何かで被災した時のことを考えると、扇風機は案外重要だとわかります。被災というと「寒い」ことを想定しがちですよね。阪神も東北も寒い季節でしたから。しかし、たとえば地震は季節を選ばず起きます。
 車というのは一つの生活空間です。また、自家用の火力発電所であるとも言えます。ウチのように火山に住んでいる場合、噴火の兆候があったりすれば、とりあえず車で避難するわけですから、車の中で数日は生活できるように準備しておく必要があります。
 なのに私の車、今カーステが故障中でして、ラジオすら聴けません。これは困ったことですね。で、この扇風機にはAM&FMラジオもついていますので都合がよい。ついでにLEDライトもついています。それで980円ですからね。
 ちなみに4電源というのは、充電池、乾電池、AC電源(コンセント)、ん?あと一つなんだ?あっUSBか。
 充電池満充電で、扇風機は11時間動きますし、ライトは丸1日点灯します。ラジオの消費電力なんて知れたものですしね、けっこう重宝しますよ。
 980円だから…と思って今見たら、なんと2976円に値上がりしてました。やっぱり特需なんでしょうかね。皆さんもタイミングを見計らってぜひお買い求めください。

Amazon TEKNOS 4電源対応 充電式多機能ミニ扇風機 12cm BKL-M85 【内蔵充電池/AC電源/乾電池/USB】

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2011.08.08

『和』の精神とは…その2

Syotokutaishi (その1の続きです)
 て、そうして渡来系の人々が敬愛してやまなかったヤマト民族の「心」「魂」「文化」とはいったいなんだったのでしょう。
 それはまさに「縄文のスピリット」だったのだと思います。縄文はそれこそ世界史的に唯一無二の文化でした。文明ではなく「文化」です。1万年もの間、近代的な意味での「成長」はなかったかもしれませんが、しかし、深く深く「成熟」していった文化でした。
 あの時代は、自然との共生、他者との共生という意味で、本当に世界に誇るべき1万年間でした。
 世界の四大文明の例を挙げるまでもなく、一般には人は豊かになっていくと、その豊かさのレベルを上げることにのみエネルギーを使うようなっていきます。その結果、自然とのバランスを崩し、ほとんどの場合森林が砂漠化し、そして自滅の道を歩んでしまいます。
 その文明的な生き方が現代の世界を覆い尽くしているのは言うまでもないでしょう。私たちは森林のみをエネルギー源とするのではなく、農耕を進め、地下資源を開発し、そして原子力にまで手を出してしまいました。
 その点、かの1万年以上に及ぶ「縄文時代」は、ある意味人類の理想形を具現化していた時代だとも言えますね。
 そして、その分厚い歴史の上に形成されたヤマト(ヤマトの語源については今日は割愛)に渡来人たちがやってきた。そこで彼らが見たものは、まさに「文明」ではなく「文化」だったのだと思います。
 それまで大陸や朝鮮半島から日本は「倭」と呼ばれていました。この言葉にはたしかに卑下の意味合いが含まれています。「倭」という文字は「低姿勢で従う」という義を持っています。たしかに上から目線であったことでしょう。
 しかし実際に「倭国」に来てみた彼らは大きな衝撃を受けたものと思われます。それこそ大きな「カルチャーショック」だったことでしょう。
 近代的な意味においては全く未開で未発達な生活ぶりだったかもしれませんが、しかしそこには違う価値における豊かさがありました。賢い渡来人の有力者たちは、きっと早い段階でそれに気づいたものと思われます。
 そして、そこに敬愛、親しみの気持ちが芽生え、結果として言語や生活様式の強制というようなものは行われませんでした。
 そんな時登場したのが「和」という漢字です。「わ」は「わ」でも同音好義である「和」を用い始めたのは、間違いなく渡来人の側です。なぜなら、最初に書いたように、もともとの日本人は「和」で表されるような概念は全く持っていなかったからです。
 すなわち、原住日本人にとっては、1万年もの間、それはずっと自然に培ってきたモノであり、決して意識化されるコトではなかったのです。だから、言葉(名称)はいらなかった。
 そうして渡来人が日本の「文化」を取り入れつつ、また大陸や半島の智恵や技術も加えながら創り上げていったのが、今の日本文化の礎石の部分です。大きな安定した大地の上に築かれた礎石です。 
 その礎石や、のちの日本文化を語る上で無視することができないのが、仏教という外来の思想・哲学です。江戸の国学者たちは何を勘違いしたか、仏教を排する姿勢に固執しましたね。あれは大きな間違いです。おそらく「和」の本質を知らずに「和」を語ってしまった結果なのでしょう。
 仏教は決して、よく学校で教えられるように国家統治の手段として利用されたのではありません。啓蒙のための、それこそ「方便」として積極的に用いられたかもしれませんが、それまでの文化を上書きして仏教国家を作るためだったと言うのは明らかに言いすぎです。
 聖徳太子をはじめとした渡来人たちが、日本に来て最も驚いたこと、それは、当時彼らが世界の最高叡知だと頭で理解していた仏教の教えを、原日本人が言葉(教典)や行動規範(行)なしに実行していたことだったのです。
 仏教の教えの基本には「自他同一」「不二」という考え方があります。簡単に言えば、自己も他者によって縁起する存在であるゆえ、最終的に「自他」の区別はできないということです。
 それを実生活で実現することは、たとえば私たち近現代人にとってはほとんど不可能になっています。いや、私たちだけでなく、世界史上においてほとんどの文明国では、それはある種の修行という形、あるいは出家という形で社会から隔離されないと不可能なことでした。
 それを社会の中で自然体で実現していたのが縄文人だったのです。もちろん、全てにおいてそうだとは言いませんが、概してそういうことが言えると、最近の私は両方を学んでいる中で感じることが多くあります。
 そんな姿を見て、大陸半島系の人々はこれは「わ」は「わ」でも単に卑屈になり、妥協し、従順にふるまう「倭」ではなく、全体とおだやかにまじりあう「和」であると感じたのでしょう。
 そして、聖徳太子が憲法に「和」の文字(概念)を使用し、のちに渡来人たちも「倭国」を「和国」と表記するようになり、そして、さらに進んで「ヤマト」という訓に「大和」という字を当てるようになったものと思われます。
 このような歴史的な流れ(もちろん推測ですが)を見てみますと、今私たちが復活させようとしている「和」の精神とは、まさに縄文的な生き方であり、それは言葉では表せない、あるいは表しているようでは充分ではないような本質的な性質なのではないかと感じます。
 近代において、大和魂という言葉に、より間違った概念が与えられた時期もありましたが、本来の「大和の魂」は今でも生き続けています。
 たとえば、先日の「なでしこジャパン」の戦いぶり、あるいはこの前お話をうかがった「惑星探査機はやぶさ」にまつわる秘話、また震災における被災者の皆さんの行動、原発事故に立ち向かう人々の努力に、私たちは「大和魂」を見たような気がしますね。
 これらも、仏教的に言えば、まさに「自他同一」の考え方、いや感じ方の象徴です。ただ自分一人の問題だと考えれば、いつあきらめてもいいことを、折れない心と絆によって実現していく。これが教育とか道徳とか、そういう次元でなく自然にできるところに、日本人の魂の崇高さがあると思います。
 これはある意味では、西洋的な価値観、たとえは経済や科学や個人主義とは正反対にあるモノかもしれません。コトの対極にあるモノだということです。
 こう考えてくると、私たちは自らの天命、そして日本人としての使命がなんなのか気づくことができるような気がしますが、いかがでしょうか。

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2011.08.07

『和』の精神とは…その1

Gedc1105 日は明治記念館において「メキキの会15周年祝賀会」に参加いたしました。
 真の志を持った者同士の気脈(ネットワーク)を形成することが目的であって、現代的な意味でのメリット(それはほとんど即物的即時的経済上のメリット)が何もないこの会が、こうして長く続き、ますますその会員を増やしているのは、実に面白いことです。
 いわゆる損得勘定抜きでも、現代社会においてこうして濃密な人間関係というのが成立しうるのだという壮大な実験場でもあります。
 今回のテーマは「和の精神」。基調発題として船井総研の船井勝仁さんが「和の精神の基本はまず自律」というお話をされました。そして、出口光会長が大震災を体験した私たちが創り出すべき「大和(だいわ)」の国について語り、その一つの道具である「新世代ソーシャルネットワーク」を発表しました。
 またその間にメキキの特徴の一つであるテーブルシェア、すなわち各テーブルでの一人一人の発表がありました。テーマはもちろん「和」です。
 私もいろいろな分野からお話ができるなと思ったのですが、ほとんど初めての方々でしたし、実社会における経験という意味では、教師である私は何分心もとない存在なので、あえて外見から入りやすく(?)仏教の方からお話させていただきました。
 今日はそれをも含めて、私なりの「和」観を紹介しましょう。私は案外にも実証主義的な人間なので、どちらかというと「歴史的事実」のお話になると思います。
 「和」について語る時、案外忘れがちなことがあります。それは「和」という言葉が漢語であるという事実です。
 「和」というといかにも「日本」「ヤマト」という感じがしますよね。しかし、これって実は日本語ではないのです。外来語です。中国語ですね。
 つまり、「和」にあたる言葉というのは日本語(大和言葉)にはなかったのです。このことが何を意味するか。実はここがとても重要です。
 言語というのは「意識」そのものです。ワタクシのモノ・コト論で言えば、脳内で処理された概念「コト」の記号であります。
 ということは、「和」という言葉が使われる以前には、「和」という概念はなかった、意識されていなかったということです。
 では、いつ「和」という言葉が生まれたのか。すなわち「和」の内容が意識化されたのか。
 それは皆さんご存知の「十七条の憲法」においてです。つまり、西暦604年、聖徳太子が「為貴以和」と記してからなのです。
 このことがどういう意味を持つのでしょうか。聖徳太子はご存知のように渡来系の人物だと言われています。実際当時の政治の中枢は当時の先進国である朝鮮半島の方々がほとんどを占めていました。そして、もちろん彼らは先進思想である「仏教」を日本に持ち込みました。
 ここで大切なことを確認しておきましょう。彼ら外来の民は日本を占領しにきたわけではありません。圧倒的な文化力、生産力、武力を誇っていたわけですから、当然占領や植民地化という発想であってもおかしくなかったはずです。しかし、結果として全くそのようなことにはなりませんでした。
 いや、実質的には占領ではないのかという方もいらっしゃるかもしれませんが、よく考えてみてください。占領や植民地化の第一歩は言語の強制・統制です。しかし、当時の都でも地方でも、話されていたのは立派な「大和言葉」でした。つまり、外国から来た政治の中枢部がわざわざ彼らにとっての自国語を話さず、彼らにとっての外国語であるはずの「日本語」を勉強して使用したのです。
 これは世界史的にも非常に珍しい状況です。当時の都の人口の7割以上が渡来人だったとも言われています。普通そういう状況なら、当時朝鮮半島で話されていた言葉が標準語となっていてもおかしくありませんよね。
 では、なぜ日本語は消えなかったのか。それは私たちが想像してみるしかありません。
 私たちがある程度の優位性を持ってある土地に行ったとしましょう。その土地の言葉を勉強して話したり書いたりできるようになるには、自分がどういう気持ちである必要があるでしょうか。
 そうです。親しみはもちろん、ある種の「敬意」が必要ですよね。言葉の面で「郷に入りては郷に従う」という状況になるということは、文化的、人間的な意味で相手に優位性を認めるということにほかなりません。
 実はそのような事実、そして外来の彼らが持ち込んだ世界的な思想である「仏教」との親和性こそが、「和」の精神の根幹となっていると、私は感じているのです。(その2に続く)


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2011.08.06

教え子(村尾ひかる)出演のDHCのCM

20110807_71048 日はスペースラブシャワーTVの「爆裂エレキングダム」にて我が校を舞台にした企画が放送されました。
 今日は山中湖のスカジャンボリーに本校のジャズバンド部が出演しました。スカパラの一つ前のステージでした。
 残念ながら私は行けなかったのですが、現地にいた知り合いによると、大変盛り上がったとのこと。こうして学校の名前を知ってもらえることはうれしいですね。田舎の小さな学校ですので。
 さて、そんな在校生の活躍もうれしいのですが、卒業生もいろんな分野で頑張ってくれています。
 今日は昨年春卒業した女の子からメールが来ました。「福田沙紀さんメインのDHCのCMに出演させて頂いています」とのこと。
 さっそくDHCのホームページで観てみたのですが、最初気づきませんでした。というのはあんまりにも小さく映っている…のではなく、あまりにもアップだったので逆に気づかなかったのです(笑)。福田沙紀よりもデカイじゃん(笑)。
 ということで、YouTubeにもあったのでどうぞ。

 彼女「村尾ひかる」については、昨年初舞台を観にいった時に少し紹介しました。その後オスカープロモーションに移ってタレント(モデル)として頑張っています。
 最近どうしてるかなと思っていたところだったので、こうしてメジャーな場で顔を見ることになってうれしく思います。
 彼女のこれまでの人生は決して順風満帆ではなかったと思います。楽しいこと嬉しいことだけでなく、いろいろ悩みも苦しみもありました。だからこそ頑張れるものがあるのでしょうし、演技や表情にも幅や深みがあるのだと思います。
 それを見てきた私としては、彼女の夢の実現には全面的に協力してあげたいと思っています。この記事も彼女の許可を得て応援のつもりで書いています。
 業界の皆さん、ぜひ彼女を使ってやって下さい!ミュージック・ビデオなんかでもいい味出すんじゃないかなあ。たとえばJ-ROCKに必須な笑顔の裏の愁いのようなものを表現できると思うのですが。
 去年の記事にも書いた通り、とにかく厳しい業界ですから、人の縁を大切にぜひ頑張ってもらいたいものです。
 そうだ、CMを作る側で仕事してる教え子もいるので、そっちにも声かけてみよっと。結局は縁だからなあ。そしてその縁をつないだり動かしたりする人が必要なんだよなあ。これからは自分がそういうことができるようになりたいと思っています。今までは自分がそういう方々のお世話になりっぱなしだったので。


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2011.08.05

ステファン・グラッペリ 『Stephane Grappelli in Tokyo』

 の場に行かず、後悔したライヴというのが、いくつかあります。この1990年のグラッペリの東京ライヴもその一つです。
 最近、当時NHKで放映された番組の一部をアップしてくれた方がいらっしゃったので、皆さんと一緒に観賞したいと思います。
 グラッペリに関しては、私もいちおう非クラシック系ヴァイオリニストの端くれとして、このブログに何度も書いてきましたので、今日は特に語りません。とにかくこの「神」のプレイを堪能しましょう。
 古澤巌さんも頑張ってますけど、その差は残念ながら歴然ですね。というか誰もこのあとこの境地には達することができないでしょう。

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2011.08.04

川口淳一郎さん講義 in「創造性の育成塾」

08040702 年の野口聡一さんに続き、またまた貴重な機会をいただきました。
 日本中の天才中学2年生が集う創造性の育成塾の特別講義、「はやぶさ」プロジェクトマネージャー川口淳一郎さんによる 「『はやぶさ』が挑んだ人類初の往復宇宙旅行、その7年間の歩み」を生徒たちと聴講させていただきました。
 非常にエキサイティングな内容だったのですが、まず最初に違った視点から苦言を一つ。育成塾のことではなく、地元富士吉田のことです。
 今回もこのような素晴らしい機会がここ富士吉田市に訪れ、そして担当者が地元中学校を全て回って誘っているにも関わらず、結局参加したのは我が校の生徒だけ。一部公立の先生方はいらっしゃっていましたが、それも小学校関係の方々でした。
 夏休みとは言えいろいろ公務が忙しいとは思いますが、このようなほとんどあり得ないような機会を逃すということが、私には信じられません。夜の時間帯なのですから万難を乗り越えて生徒を引率してくるべきだと思います。特に理科の先生。
 川口さんのお話を生で聴けるだけでもありがたいことですし、優れた頭脳と志と夢を持った同年代の子どもたちと同じ場を共有するということにも大きな意味があると思います。
 このような機会を生徒から奪うというのは、消防士が火事を見て見ぬふりをして通り過ぎるのと同じような罪だと私は思います。
 地元の子どもたちのためにあえてこのような苦言を呈させていただきます。私は大人の敵が何人できようと全然構いません。誰かがちゃんと言わないと、この地域の公教育は良くなりませんよ。
 さて、こんなことを言いたくなるくらいに、講義の内容が素晴らしかったわけです。私も生徒たちも非常に感動し、刺激を受けました。
 いちおう生徒たちにはこちらに紹介した二つの番組を見せておきました。予習ですね。それも奏功したかもしれません。
 しかし、こうした番組や、これから公開される三つの映画などでは、おそらく伝わらない、伝えられないことが本当にたくさんたくさん、川口さん自身の口から語られました。
 1時間というコマの中で話したいことがたくさんあったのでしょう、ものすごいスピードで、そしてある意味高度な内容でのお話でしたが、生徒たちは吸い寄せられるように聴き入っていました。
 科学の最先端の部分は実は「技術より根性」。これは実に面白いですね。講義の最初と最後、なでしこジャパンの話でしたけれども、まさにスポーツと一緒です。
 日本人はその精神性の部分が優れていると。逆境に負けず、いや逆境だからこそ生まれる「あきらめない心」と「集団の絆」に関して、なるほどと思わされることが多々ありました。
S これはオフレコなのではないかというようなコアでレアで楽しい話もありましたが、そんな中、ある意味私が一番心動かされたのは「ハッタリ」という言葉です(笑)。ハッタリストとしては世界レベルにあると自負しているワタクシとしてはうれしい言葉でしたね。この言葉がこんな立派な方からプレゼンに堂々と赤字で載せてくれるなんて…感無量です。
 ハッタリって大切ですよ。NASAや一般人やマスコミにいろいろ言われても「大丈夫です!」「できます!」「私たちには秘策があります!」と、ある意味科学的根拠はなくとも言ってしまうことは大切です。
 言ってしまえるということの裏には、実は別の次元での「根拠」があるのです。それは直感的、直観的な「根拠」です。私に言わせると、科学的根拠は「コト」、直観的根拠は「モノ」になるんですがね。
 今日の話の中で、「教科書には過去しか記されていない」というような言葉がありました。そこにとらわれていてはいけない、学びからの脱皮をしなければならないと。これも実は「ハッタリ」と通じます。
 過去は根拠のある「コト」ですが、未来は全てが根拠のない「モノ」なのです。科学は再現可能性ばかりを求めると、結局「コト」世界にとどまり、未来に関わることができません。そのことについては、「科学の限界」という記事に書きました。
 未来を切り開くには、想像力や直感力にもとづく「ハッタリ」が必要なのです。
 そうそう、こんな妄想をしました。「言霊」ってこういうことなのかなと。「ハッタリ」でも「大風呂敷」でも、一度言葉にしてしまうと、もう実現してしまうしかないわけじゃないですか。逃げられない。そこに「火事場の馬鹿力」が生まれる。で、「モノガタリ」が現実の「コト」(歴史)になる。
 私は「ことたま」とは言葉に限らず「実現のエネルギー」と解してきましたが、もしかすると、そんな高尚な言い方をしなくとも、私の大好きな「ハッタリ力」こそ「言霊」の実体なのではないかと。
 そうすると、私が半分冗談で「はやぶさの奇跡の帰還」と似ているとしたあの「走れメロス」の「大きな力」とは「ハッタリ力」なのかもしれませんね。
 こちらにその「大きな力」とは「文学の力」「物語の力」としましたが、ある意味メロスは「必ず帰ってきます!」という根拠のないハッタリを言ったからこそ、ああして走りきったと。なるほど。自分で納得。
 と、最後はなぜか科学ではなく文学の話になってしまいました(笑)。まあ私らしいですね。いずれにせよ、非常に勇気づけれらる講義でした。本当に素晴らしい機会をありがとうございました。
 この講義を聴いたか聴かないか…中学2年生の人生は大きく変わるでしょう。聴かせて良かった。
 今日の講義の内容の一部は次の本で読めますのでぜひ。

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2011.08.03

『こんなもんじゃ―山崎方代歌集』 山崎方代 (文藝春秋社)

4163219706 日は丸一日、来年度から全面実施される中学新教育課程の研修会でした。私は国語ではなく、なぜか音楽と総合の分科会に出席。その内容についても、研修自体についても言いたいことだらけですが、ここで書いてもしかたないので割愛しますね。国語に出ていたらもっとイライラしたでしょう(苦笑)。
 音楽も総合も、それから昨日行われた数学も特別活動もとにかく「言語活動」という話になりました。それって国語でやれってことですか?いやそうじゃないみたいです。それぞれの教科で「言語活動」をしっかりやれと。おそらく現在の教育界にバカみたいに流行しているPISA型学力の悪影響でそういう物言いになるんでしょうね。
 そんなことはPISA以前のことであって、今さら号令だけかけてもしかたないのです。ワタクシ的にはですね、極論すれば、芸術科目「音楽」「美術」などと並べて「文学」を作り、創作と鑑賞はそちらでやるべき、国語はがっちりと「日本語力=論理力」を鍛える内容にせよ!ということなんですよ。
 で、本校ではその辺はしっかり分けて考えていて、本当の国語力の部分は出口汪先生の「論理エンジン」でガッチリ力をつけてあげているわけです。
 おっと、結局そういう核心の部分を書いてしまった。今日は、「鑑賞」「創作」、つまり「文学」の話だった(もちろん、「文学」のベースになるのは「日本語力」なんですが)。
 さてさて、文学の話。甲府にある会場に行く途中、少し時間があったので寄り道して時間をつぶしました。旧中道町の右左口…なんと読むか分かりますか?普通に読んではいけません。なんと「うばぐち」です。なぜ…という部分を語り出すと長くなるので後日。
 ここ右左口は歌人山崎方代のふるさとです。歌人山崎方代については説明するまでもないでしょう。山梨を代表する文化人です。昨日話に出た山頭火とよく並んで評される人ですね。たしかに飄々と自然体で生きながら、だからこそ強い孤独感を抱いていた表現者です。
 歌を紹介しましょうか。縦書きで表示されるでしょうか。選ぶのが難しいので、有名歌人の皆さんのチョイスをお借りします。時節的に地震に関するものから行きましょうか。この地震の表現からして「やられた!」ですよね。

ことことと小さな地震ないが表からはいって裏へ抜けてゆきたり

六十になればなればとくり返し六十を越えてしまえり

焼酎の酔のさめつつうかがえばなべてあの世のかげばかりなり

うつし世の闇にむかっておおけなく山崎方代と呼んでみにけり

ふるさとの右左口郷うばぐちむらは骨壷の底にゆられてわがかえる村

沈黙をつづけて来たる石ゆえに石の笑いはとどまらぬなり

わからなくなれば夜露に垂れさがる黒きのれんを分けて出でゆく

おのずからもれ出る嘘のかなしみがすべてでもあるお許しあれよ

ちちははの墓のうしろに方代の名前も彫りて朱を入れている

春を惜しむこの国の人幾重にも幾重にも上野の山とりまけり

こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり

真っ黒く澄みたる馬の目の中に釜無川が流れている

欄外の人物として生きて来た夏は酢蛸を召し上がれ

私が死んでしまえばわたくしの心の父はどうなるのだろう

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

寒雀丸焼きにしてぎしぎしと頭も骨もかみしめておる

あさなあさな廻って行くとぜんまいは五月の空をおし上げている

さいわいは空の土瓶に問いかけるゆとりのようなもののようなり

羽白き鴉がさわぐ空の下女風太郎はみごもりにけり

息絶えし胸の上にて水筒の水がごぽりと音あげにけり

本当に泣いているのだ暗がりに威儀を正してめし食べている

そこだけが黄昏れていて一本の指が歩いてゆくではないか

袂より木瓜の実ひとつとり出してあなたの白い手にのせてやる

茶碗の底に梅干の種二つ並びおるああこれが愛なのだ

せきれいの白き糞より一条の湯気たちのぼるとき祈りなし

 う〜ん、こうして列挙しているうちに何も言いたくなくなった。「鑑賞」ってなんなんだ?「文学」なんて科目いらんわ(苦笑)。これもまた単なる日本語力なのかもしれない。
 最後に恥ずかしながら、右左口で理屈抜きに詠んだワタクシの歌を一首。まったくの蛇足ですが。

方代と思へば寄り来る野良猫とゆらり歩まむ右左口の坂

(この記事における作品の引用は私なりの考えに基づいたものです。本記事において著作権を侵害されたという方がおられましたらメールにてご連絡ください)

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2011.08.02

サカナクション 『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』

 日前、また一人の天才が才能を天に返しました。レイ・ハラカミさんです。
 この夏、一緒にステージに上がるはずだった矢野顕子さんも大きなショックを受けていることでしょう。
 彼もまた志村正彦くんと同様、プロ中のプロが認めるアーティストでした。もしかすると志村くんも間接的に影響を受けているかもしれません。もちろん金澤くんも。
 というのは、レイ・ハラカミさんは片寄明人さんと仕事をしたことがあるからです。「GREAT 3 SINGLES 1994~2002」の2曲のセルフカバーはレイ・ハラカミさんのプロデュースです。
 くるりも京都人としてレイさんとよく一緒にやっていましたね。
 そしてこのサカナクションは、より彼の影響を感じさせるサウンド作りをするようになりました。山口一郎くんのレイさんへの傾倒は尋常ではありません。
 レイさんが亡くなる1週間ほど前に発売されたこの作品も、どこか彼を彷彿とさせる空気を持っています。
 それにしても個性的な曲ですね。単純ですが、すぐに心を掴まれてしまいクセになる音楽と詩です。
 詩の世界観も不思議ちゃんです。寺山修司や種田山頭火が好きというのも分かりますね。言葉の組み合わせ、光景の切り取り方、ウソ臭さが詩的で美しい。
 しかし、タイトルは思いっきり散文的。ご丁寧に「。」まで付けていますね。そのあたりのセンスの良さも光ります。
 ところで、バッハ好きとしては、いったい夜に何を聴いたのだろうと考えてしまいます。そのヒントは、まずは歌詞にあります。「壁が鳴り痺れるチェロ」です。
 それだけ聴けば、無伴奏チェロかなあなんて思われるわけですが、曲を聴き続けると一瞬バッハの旋律が聞こえるところがありますよね。
 ちょいとマニアックな話になりますけど、PVでピアノによって演奏されているのは、BWV 1052 チェンバロ協奏曲ニ短調の第1楽章の中間カデンツァですね。
 この曲、私は高校時代にハマりましてね、それこそ毎晩聞いていました。それもチェロのパート(通奏低音)を全部覚えたくて歌いながら聴いていました。それでよく母親にうるさい、気持ち悪いと言われました(笑)。
 その辺のことについてはこちらに書いてありますので、興味のある方はどうぞ。
 ということで、ワタクシとしては、山口一郎くんと(苗字も同じですけど)かなり趣味が合うのであります(笑)。レイ・ハラカミ、寺山、山頭火、バッハ(それも1052)…。
 そうそう、今度秋にこのBWV 1052を演奏いたします。いや正確にいうと、そこから転用されたカンタータ(BWV 146)のシンフォニアを演奏いたします(案内はこちら)。サカナクションファンの方もぜひ原曲を聴きに来てください!
 下の動画はBWV146のシンフォニアです。バッハはここではチェンバロではなくオルガンを使用しています(たぶん自身で弾いたのでしょう)。4分10秒あたりが例のカデンツァです。しっかし、この曲変だよなあ。ロックだと思ったけど、もしかすると変態テクノかもね(笑)。

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2011.08.01

駿河湾でM6.1

20110802_71643 りぎり今日のことなのでここで書いておきます。
 今日はずっといやな体感があり、夜9時ごろTwitterで次のようにつぶやきました。

「う〜ん、東北から関東にかけて相変わらず前兆が観察されているなあ。いつどこでかは分からないけれどM7クラスの発震が近いような気がする。体感的にもずっといやな感じ。全く科学的な予測ではありませんが、いちおう書いておきます」

 そして11時すぎ、ふとんの中でどうにもイヤな感じに耐えられず「不穏な感じ」とついついつぶやいてしまいました。それから数十分後、駿河湾南部を震源とするM6.1の地震が起きました。
 すぐに静岡市の実家に電話をしましたが、特に被害はなかったとのこと。ちょうど富士登山中だった方々は怖かったでしょうね。今日も相当たくさんの人たちが富士山上にいたはずです。落石などなかったでしょうか。
 ある意味勘が当たったとも言えますが、質問に答える形で「東海震源域は特に心配していません」と言っていましたから、まあ半分ははずれたとも言えます。
 ただ、あそこはフィリピン海プレート内ですから、気象庁の言うとおり、厳密には「想定される東海地震の震源域」には該当しません。私としては、フィリピン海プレートというのは東海というよりも関東南部に大きな影響を与えるプレートという印象がありますから、そういう意味では当たったのかもしれませんね。
 いずれにせよ、科学的にも体感的にも、地震を予測することは非常に難しいということです。
 駿河湾を震源とする地震としては2年前の震度6弱が思い出されますね。この記事では、その地震が東海地震と関係があるというようなことを書いています。今の私は少し違う考えです。
 というのは、もちろんこの間に3.11があったからです。6月に書いた「今後の地震活動について」にもあるように東北での大地震によって東海地震の震源域のストレスは一部解消されたと感じるからです。
 ですから、このたびのようなフィリピン海プレート内の比較的大きな地震も、プレート境界域での地震の発生を早めると言うよりも遅らせる方向に働くという気がします。
 これはあくまでも私の勘ですが、東海地震はもう単独では発生しない、発生するとすれば、東南海・南海地震に連動する形だと判断します。
 メカニズム的には違うとはいえ、3.11に伴う4.7宮城県沖地震のような形になるのではないかということです。
 気象庁は相変わらず「東海地震はいつ起きてもおかしくない」と言っていますが、それはどの地震についても当てはまります。怖いのは東海地震にばかり気が行くことです。3.11東北地方太平洋沖地震がその危険性を雄弁に語っています。
 私としても、ここ数年、あるいは十数年の間に起きるであろう「東南海・南海連動地震」の方が差し迫っている感じがしています。
 なお、今日の駿河湾の地震が発生したのちも、いやな体感は変わりません。ということは、やはり私が強く感じていたのは、この地震ではなく、東北から関東にかけてこれから起きるであろうより大規模な地震なのかもしれません。もちろんそれには房総沖も含まれます。
 これからも日本各地で注意が必要だということです。
 最後にここのところ何回かつぶやいていることを転載しておきます。これは勘ではなく歴史的な事実ですから。

ここを見ると分かるようにM6以上の余震は増加傾向にある。大きく動くためには多くの時間を要するのだから当然だ。巨大地震後の余震はたいがいこういう経過をたどる。つまりここからは大規模な余震に注意の時期なのだ。3年間くらいは要注意だろう」
「こうした中規模の余震は3年は続く。その中でM8レベルの最大余震が起きると考えておいた方がよい」

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