『和』の精神とは…その2
(その1の続きです)
さて、そうして渡来系の人々が敬愛してやまなかったヤマト民族の「心」「魂」「文化」とはいったいなんだったのでしょう。
それはまさに「縄文のスピリット」だったのだと思います。縄文はそれこそ世界史的に唯一無二の文化でした。文明ではなく「文化」です。1万年もの間、近代的な意味での「成長」はなかったかもしれませんが、しかし、深く深く「成熟」していった文化でした。
あの時代は、自然との共生、他者との共生という意味で、本当に世界に誇るべき1万年間でした。
世界の四大文明の例を挙げるまでもなく、一般には人は豊かになっていくと、その豊かさのレベルを上げることにのみエネルギーを使うようなっていきます。その結果、自然とのバランスを崩し、ほとんどの場合森林が砂漠化し、そして自滅の道を歩んでしまいます。
その文明的な生き方が現代の世界を覆い尽くしているのは言うまでもないでしょう。私たちは森林のみをエネルギー源とするのではなく、農耕を進め、地下資源を開発し、そして原子力にまで手を出してしまいました。
その点、かの1万年以上に及ぶ「縄文時代」は、ある意味人類の理想形を具現化していた時代だとも言えますね。
そして、その分厚い歴史の上に形成されたヤマト(ヤマトの語源については今日は割愛)に渡来人たちがやってきた。そこで彼らが見たものは、まさに「文明」ではなく「文化」だったのだと思います。
それまで大陸や朝鮮半島から日本は「倭」と呼ばれていました。この言葉にはたしかに卑下の意味合いが含まれています。「倭」という文字は「低姿勢で従う」という義を持っています。たしかに上から目線であったことでしょう。
しかし実際に「倭国」に来てみた彼らは大きな衝撃を受けたものと思われます。それこそ大きな「カルチャーショック」だったことでしょう。
近代的な意味においては全く未開で未発達な生活ぶりだったかもしれませんが、しかしそこには違う価値における豊かさがありました。賢い渡来人の有力者たちは、きっと早い段階でそれに気づいたものと思われます。
そして、そこに敬愛、親しみの気持ちが芽生え、結果として言語や生活様式の強制というようなものは行われませんでした。
そんな時登場したのが「和」という漢字です。「わ」は「わ」でも同音好義である「和」を用い始めたのは、間違いなく渡来人の側です。なぜなら、最初に書いたように、もともとの日本人は「和」で表されるような概念は全く持っていなかったからです。
すなわち、原住日本人にとっては、1万年もの間、それはずっと自然に培ってきたモノであり、決して意識化されるコトではなかったのです。だから、言葉(名称)はいらなかった。
そうして渡来人が日本の「文化」を取り入れつつ、また大陸や半島の智恵や技術も加えながら創り上げていったのが、今の日本文化の礎石の部分です。大きな安定した大地の上に築かれた礎石です。
その礎石や、のちの日本文化を語る上で無視することができないのが、仏教という外来の思想・哲学です。江戸の国学者たちは何を勘違いしたか、仏教を排する姿勢に固執しましたね。あれは大きな間違いです。おそらく「和」の本質を知らずに「和」を語ってしまった結果なのでしょう。
仏教は決して、よく学校で教えられるように国家統治の手段として利用されたのではありません。啓蒙のための、それこそ「方便」として積極的に用いられたかもしれませんが、それまでの文化を上書きして仏教国家を作るためだったと言うのは明らかに言いすぎです。
聖徳太子をはじめとした渡来人たちが、日本に来て最も驚いたこと、それは、当時彼らが世界の最高叡知だと頭で理解していた仏教の教えを、原日本人が言葉(教典)や行動規範(行)なしに実行していたことだったのです。
仏教の教えの基本には「自他同一」「不二」という考え方があります。簡単に言えば、自己も他者によって縁起する存在であるゆえ、最終的に「自他」の区別はできないということです。
それを実生活で実現することは、たとえば私たち近現代人にとってはほとんど不可能になっています。いや、私たちだけでなく、世界史上においてほとんどの文明国では、それはある種の修行という形、あるいは出家という形で社会から隔離されないと不可能なことでした。
それを社会の中で自然体で実現していたのが縄文人だったのです。もちろん、全てにおいてそうだとは言いませんが、概してそういうことが言えると、最近の私は両方を学んでいる中で感じることが多くあります。
そんな姿を見て、大陸半島系の人々はこれは「わ」は「わ」でも単に卑屈になり、妥協し、従順にふるまう「倭」ではなく、全体とおだやかにまじりあう「和」であると感じたのでしょう。
そして、聖徳太子が憲法に「和」の文字(概念)を使用し、のちに渡来人たちも「倭国」を「和国」と表記するようになり、そして、さらに進んで「ヤマト」という訓に「大和」という字を当てるようになったものと思われます。
このような歴史的な流れ(もちろん推測ですが)を見てみますと、今私たちが復活させようとしている「和」の精神とは、まさに縄文的な生き方であり、それは言葉では表せない、あるいは表しているようでは充分ではないような本質的な性質なのではないかと感じます。
近代において、大和魂という言葉に、より間違った概念が与えられた時期もありましたが、本来の「大和の魂」は今でも生き続けています。
たとえば、先日の「なでしこジャパン」の戦いぶり、あるいはこの前お話をうかがった「惑星探査機はやぶさ」にまつわる秘話、また震災における被災者の皆さんの行動、原発事故に立ち向かう人々の努力に、私たちは「大和魂」を見たような気がしますね。
これらも、仏教的に言えば、まさに「自他同一」の考え方、いや感じ方の象徴です。ただ自分一人の問題だと考えれば、いつあきらめてもいいことを、折れない心と絆によって実現していく。これが教育とか道徳とか、そういう次元でなく自然にできるところに、日本人の魂の崇高さがあると思います。
これはある意味では、西洋的な価値観、たとえは経済や科学や個人主義とは正反対にあるモノかもしれません。コトの対極にあるモノだということです。
こう考えてくると、私たちは自らの天命、そして日本人としての使命がなんなのか気づくことができるような気がしますが、いかがでしょうか。
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コメント
なかなか面白いお話ですね。
「和を貴しと為す」という言葉が儒教・論語にあるようですね。
十七条の憲法四条で礼の精神を重んずべきことが書かれていることを考えても、十七条の憲法は儒教の思想にかなり裏打ちされてますよね。
それでいて仰るように、互いが互いの因となり果となるというようなことを既に日本人は体得していたのかもしれませんね。
儒教と仏教は本質的には矛盾するところもありますが、日本人はうまく融合させてきたのでしょうね。
個人的には南伝仏教の経がもっと日本に浸透してほしいと思っています。
投稿: こち | 2012.03.09 02:21