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2011.08.20

個の花道場(1日目)

80612517 立文字、「分かる」のではなく「掴む」というこの道場のことを言葉で説明するのは非常に難しい。
 だから、あえて今日は語りません。とりあえず、今日のテーマはコロコロ変わり常に波打つ「心」と不動なる「魂」とをしっかり区別すること。
 感情や理性ではなく、もっと奥深いところにあるモノで感じる。人の目を見て、その人の魂を見る、聴く。
 私たちは、感情や理性の領域では「コト分け」されていて孤独な存在ですが、魂という「モノ」的な領域の領域で一つにつながっているということを「実感」しました。
 そして、いろいろな人に私の魂を見ていただきましたが、そこには全く予想外のモノがありました。それは、言われてみれば、確かに親から受け継いだ避けられない属性だったので、ある意味驚き、ある意味納得させられました。
 そうした意味で、他者とつながり、特に親を始点する先祖と確実につながっているということを体感できただけでも、今日の成果はあったと思います。
 この道場は決して自己啓発セミナーではありません。また経営セミナーでも、(アヤシイ)宗教セミナーでもありません。一般的に想定される、「栄養剤的」あるいは「麻薬的」な効果は一切期待しない方がいいかもしれません。
 もっと「生」の根源の部分での発見を促す「道場」です。そしてその発見の道筋や方法を体感する「稽古」です。
 この道場には、出口王仁三郎の曾孫であり、現代社会の人間ベースの新しいインフラとして「氣脈ネットワーク」を創造しようとしてる出口光さんから、ずっと誘われていました。
 土日で行われることの多いこの道場には、仕事の関係でどうしてもなかなか参加できずにいたのですが、あの大震災があったために、夏の音楽祭が中止となり、その結果としてこうして参加できることとなりました。
 私はこういうタイミングや「期せざる機」というのを大切にしたいと思っている人間ですので、流れにまかせるままに参加することとしました。決して期待せず、かといって過剰に懐疑的にもならず、自然体で臨んでいるわけです。
 それが、この道場のベースになっているであろう、日本古来の「惟神」…かむながら(自然に身をまかせる)の大道と上手に響き合う唯一の処し方だと思うのです。
 私はずっと「野狐禅」を窮めようとしてきました(笑)。野狐であっても、まあ「禅」は「禅」です。仏や人間には分からないだろう「野狐」なりの禅の妙道というのがあると、それこそ馬鹿みたいに信じてきたわけです。
 その「禅(的世界)」と、この神道的な「魂」の領域と、いったいどういう関係があるのかというのも、また今回の体験から感じたい部分であります。
 二日目に大いに期待をしております。
 一日目の道場の内容は、基本、光さんの名著「天命の暗号」に即したものでした。興味を持たれた方は、まずこの本を読んでみてください。

Amazon 天命の暗号

個の花道場

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