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2011.07.31

『没後150年 歌川国芳展 江戸の奇才浮世絵師』 (静岡市立美術館)

110709_img_01 まりに豪華なご馳走で気持ちが悪くなってしまった。そんな感じです。
 ちょうどそう、3D映画を見終ったような疲労感。それなりに楽しめたのだが、なんというかもうちょっと違う観賞法で見てみたいというか。
 見終って私はすぐにつぶやきました。

「国芳おそるべし。詳しくはブログに書こう。しかし江戸の絵画をああやって美術館に並べてみんなで鑑賞するのはナシだな。一枚を自分の懐に入れて持ち歩き、時々出しては独りニヤニヤ愛でるのが正しいやり方だろう」

 つまりそういうことなのです。いわば江戸小唄と浄瑠璃と歌舞伎をごっちゃにオペラハウスで鑑賞したような感じですね。
 いかに国芳が西洋絵画の影響を受けていようとも、やはり「近世日本」は「近代ヨーロッパ」とは相容れません。国芳も苦笑していることでしょう。
 しかしすごいと思ったのは事実ですよ。すごすぎて圧倒されたとも言えましょう。何がすごいって、まあ言い出せばキリがないでしょうから、一つに絞りましょう。
 先ほど3Dという話が出ましたよね。そう、私の絵画観賞法は必ず独眼流立体視の術用います。
 何年か前、山梨県立博物館で北斎と広重を見ました。その時の記事に、北斎と広重二人の、3Dを2Dにする方法に関する考察を書きました。
 では国芳はどうだったか。それが面白かったんですよね。基本国芳は広重流だと思いました。しかし、そこにある意味北斎流も混入している、というか融合されているように感じました。そして、それこそが「疲れる」流だったのかもしれません。
 西洋の遠近法は、実際に人間の眼で見た遠近感を理想とします。つまり一眼レフカメラ用レンズで言えば、90ミリあたりのパースペクティヴですね。広重はそこに根ざしている感じがします。広重をずっと見ていても疲れないのは、そのあたりに理由がありそうです。
 広重を評して「遠近法が強調されている」というのは、実は正しくありません。彼の強調とはあくまでステレオ写真における前景と背景の配置の工夫であって、決して広角レンズ風な「パースペクティヴの強調」ではありません。
 では国芳はどうであったか。これこそ今流行りの3D映画のような露骨なエンファシスだと感じました。
 3D映画の遠近法というのは、そのシステム自体の自己主張のために、いかに現実的な3D感(自然で日常的な無意識的な風景)と違うものを見せるかを意図しています。
 しかし、一方で3D映画が北斎のような空間の歪みを表現したらどうでしょうか。たぶん、「失敗」「下手くそ」と見なされることでしょう。つまり論理的な遠近法と空間座標の中でのリアリズムではないと「不自然」になってしまうのです(逆に言うと、北斎は脳内のリアリズムに徹した)。
 国芳はまさに西洋的な遠近法の中で、様々な交換レンズを使って「遠近感を強調」しているなと感じました。それも一つの画面の中にいくつもの焦点距離を持ってきている感じ。それはまさに現代の3D映画の技法と同じです。ある部分だけ突然飛び出したりする。
 だから疲れたのだろうと思います。広重は論理的に自然、北斎は脳内感覚的に自然だから疲れない。国芳はあまりに現代的なのです。おそるべし天才。
 ところで、もう一つ昨日のつぶやきを。

「3D、3Dって騒ぎすぎだな。だってこの目の前の現実が完全に3Dだもん。だから、たとえば映画なら4Dである(過去も未来も見せられるという)点について騒ぐべきだろう」

 そういう視点で言うと、国芳は2Dでありながら、思いっきり4Dでしたね。時間を封じ込め、止まっているのに動いている。過去も現在も未来も全て「静止」の中に放り込んである。時間軸が究極に自由なんですね。だから四次元。
 いや、5Dかもしれない。いやもっと多次元かも。発想の自由さとユーモアは現実世界のあらゆる次元を軽く超越していますからね。それをあれだけ見せられれば、そりゃあ疲れるわ。
 ぜひとも1枚、お気に入りを入手して、懐に入れて持ち歩きたいものです。そして時々取り出しては独りニヤニヤしてみたいものです。
 おそるべし国芳。彼の高笑いが聞こえてきそうです。

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2011.07.30

リニアモーターカーという「愚かな夢」が現実に

110115_1 震災後、いつか書こうと思っていたことを、この前週刊朝日に書かれてしまいました。そういう意味では少し遅ればせとなってしまいましたが、ずっと思っていたことを書かせていただきます。
 幼い頃、リニアモーターカーに憧れを持っていました。科学雑誌に夢の超特急として紹介されてきたからです。私と東海道新幹線は同級生ですから、少年としてその先の技術に憧れるのは当然ですね。
 レールの上を走るのではなく、空中に浮上して走るなんて、まさに少年の心を踊らせるものでした。
 今考えると、そうした雑誌などに、原子力発電についても書かれていましたよね。夢の技術としての原子力。もちろん「鉄腕アトム」がはたした役割も見逃せません。
 そんな少年の夢の一つ原発は、大人になった私たちを大きく裏切ることとなりました。
 その夢の技術は本当に必要だったのか。原発抜きの電力行政はあり得なかったのか。
 たしかにあの頃は深刻なオイルショックがあって、石油に頼らないエネルギー政策が急務とされていました。今なら太陽光発電などの代替発電システムを考えられますが、当時はそこまでの技術がなかったのも事実です。原子力(核力)は世界的に見れば、かなり歴史のある科学技術でしたから、あの時の国民の決断をただちに糾弾することはできません。
 ただそれを無反省、無批判に続けてきたこと、そして「裏の危険」が「表の利権」を生んできたことに問題があるのです。
 そして、もう一つの「夢」であるリニアモーターカー。これはどうなんでしょうか。
 私はリニアモーターカーこそ、原発以上の「愚」であると思うようになりました。
 まず、オイルショック時の原発のような、喫緊の「必要」があるのかということ。これは絶対に「ない」と言えます。
 現行の東海道新幹線の稼働率が下がり続け、空席が目立つ中で、はたして新たな中央新幹線が必要なのか。実際に国民の97%がリニアは必要ないと感じているんです。当時の原発に対する世論の比ではありません。
 時速500キロで地中を走行する列車に誰が乗るのでしょうか。速度が高ければ駅は多く作れません。いちいち減速、加速していては、超特急の意味がなくなるからです。だったらより速い従来の飛行機で移動した方がいいでしょう。運賃が半額になるなら話は別ですが、おそらくそうはなりません。
 なぜなら、この一大アホプロジェクトの総開発費と総工費は合わせて10兆円にはなるからです。そして、1列車あたりの電力使用料は現行新幹線の3倍とも言われています。また、根本的な構造上、現行の新幹線よりもかなり少ない乗客数になります。
 いったいこれで何をしようとしているのでしょうか。理解できません。
 また、今回決定した南アルプス貫通ルートに恐ろしさを感じない人はいないでしょう。糸魚川静岡構造線と中央構造線という2大メガ断層帯を突っ切って地下40メートルを走る超高速列車。想像するだけで恐ろしいことです。特に両構造帯は東北の巨大地震以来活性化の傾向を呈しています。
 ご存知のように、地震動は地表よりも地下の方が小さいので、ある程度までは地下の方が安全だという面もあるのですが、なにしろ構造帯周辺に発生する地震は10メートル規模で動く新たな断層を生む可能性を持っています。地下トンネルが一気にその規模で破断されたらどうなるか、子どもでも想像できると思います。
 原発もそうだったのですが、結局「少年の夢」というある意味「愚かな夢」を、大人になりきれない「永遠の少年」たる「科学者」や「政治家」たちが実現しようとしているとも言えますね。
 私が少年の頃には「末は博士か大臣か」などと言われました。結局どっちにもなれませんでしたが(苦笑)。ある意味よかったかもしれません。少年の夢をそのまま持ち続けることは、愚かなまま権力を持つということになるからです。
 私の住む地域には「リニア実験線」があります。閑静な山里に突如現れる化け物のような構造物。違和感を抱かずにはいられません。
 先日も甲府盆地の方に行った際、「リニア」という表示をしたトラックが無数に土を運んでいました。私たちが反対するいとまもなく、「夢の超特急」「日本を元気にする」リニアモーターカーという「愚」が着々と動いています。
 脱電力、節電の流れに逆行し、原子力発電所を増設する理由にもなりかねないリニア。工費はぜひとも東北の復興に回してもらいたい。こう思うのは私だけではないでしょう。
 総延長の8割近くがトンネルになると言います。山に穴を空けるということの宗教的な意味も考えねばなりません。特に、南アルプス。有史以来誰もが無言で避け、迂回してきたあの山脈に大穴を空ける時、何かが起こるような気がしてなりません。


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2011.07.29

『賢いスポーツ少年を育てる』 永井洋一 (大修館書店)

みずから考え行動できる子にするスポーツ教育
1336595187 日は学生スポーツでたくさんの感動をいただきました。
 まずは我が中学校の女子バスケットボール県総体。本校は開校2年目ですから最高学年2年生のチームですが、見事ベスト4に入って決勝リーグを戦いました。
 1戦目は優勝候補校に惜敗。しかし残り2勝すれば県2位となって関東大会への出場権が得られます。今日はその2戦目、3戦目が行われました。
 2戦目、全体に動きが固く、ファウルも連発、なかなか自分たちのリズムに持ち込めず第4クオーター開始早々に20点のビハインド。さすがにダメかと思いましたが、そこからがウチのチームの真骨頂でした。
 あきらめない心、折れない心と、それを支える、圧倒的な練習量に裏打ちされたスタミナで一気に追い上げ。残り19秒で1ゴール差、マイボール。
 しかし結果は…そのまま試合終了。最も悔しい形での負けとなってしまいました。その時点で全敗ですから最下位です。誰もがあきらめかけた時、もう一つのコートで優勝候補校が逆転負けを喫したのです。
 最終の2試合を残して、2勝が1チーム、1勝が2チーム、そして本校が2敗という状況になりました。
 ということは、2勝しているチームが次の試合で1勝のチームに勝って全勝優勝し、ウチがもう一つの1勝のチームに勝てば、2位は1勝2敗で3校が並ぶということになります。そうなれば得失点差での順位決定となります。つまり、本校にも関東大会出場のチャンスがあるということです。
 対戦パターンを考えれば、その可能性もないとは言えません。まずは自分たちが最後の試合で大勝し、お隣のコートで全勝校が勝ってくれれば計算上ウチが2位になる可能性が、少ないながら残されているのです。
 そして結果は、まさにその最高のパターンになりました。最下位から一気に2位に!創部2年目、2年生チームでの関東大会出場という画期的な結末となりました。
 いやあ、興奮しましたね。感動しました。あきらめずに無心で点を取りに行き、そして最後は「他力」。まさに「人事を尽くして天命を待つ」という感じでした。
 いろいろな条件や偶然が重なって、ピンポイントでの逆転劇となったわけです。勝った生徒たちは、そんな細かい得失点の計算などしていませんから、試合に勝っても自分たちが関東大会に出られるとは思っていなかったようです。
 その感動の合間には我が高校の女子バスケットボール部の快挙の報も入ってきました。高校生は県大会で優勝し、今北東北のインターハイに出場中です。そして今日は2勝目。全国のベスト4を目指して旋風を起こしています。私が赴任した四半世紀前には、県内で1勝して泣いて喜んでいたチームがここまで来ました。感慨深いですね。
 さらにバスケ終了後には、我が母校の甲子園出場決定のニュースが。今日は本当に学生スポーツに興奮させられた1日でした。
 こうした学生スポーツ、少年少女スポーツは、日本ではずっと「素晴らしいもの」とされてきました。しかし、その実情は「勝利至上主義」「指導者至上主義」「先輩至上主義」「根性至上主義」「親の自己実現の道具」「肉体の酷使」など、いろいろな弊害をもはらんだものです(そのほとんどが軍国主義の名残です)。
 その辺に関しましては、今までも「スポーツは「良い子」を育てるか」や「少年スポーツ ダメな指導者 バカな親」の記事の中で述べてきたつもりです。
 そうした点もしっかり把握した上で、あくまでも「教育」としての「スポーツ」「部活動」を構築していかねばなりません。それは私たち部外の教師の役割です。
 本校の場合は全ての活動のベースに親や教師の「圧倒的な愛」があるつもりなので、前述のような弊害は最低限に抑えられていると信じていますが、これから子どもたちがどんどん強くなり、活躍するようになると、私たちが望まぬ「敵」が現れてくることも覚悟しておかねばなりません。その「敵」とは「大人の事情」であることが多いのですが(今回も実は少し感じました)。
 そうした弊害を防ぐだけでなく、より「スポーツ」「部活動」が生徒にとって教育的にプラスになるよう導くにあたり、この本は大変参考になります。
 そしてこうした価値観と実践は「スポーツ」「部活動」に限らず、全ての教育活動や子育てに適用することができると感じます。
 指示待ちではなく、自ら考えて行動する。想定外の状況にも冷静に対処できる。そういう「賢い」生徒を育てていきたいものです。
 私たちは子どもたちからこんなに感動をいただいています。そこに満足することなく、彼ら彼女らに何を還元できるか、常に考えていくのが大人の役割でしょう。

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2011.07.28

10in1 マルチ充電 USBケーブル (上海問屋)

893630 近ちょっと飛ばしすぎたか、やや体調不良。こういう時は猫みたいにじっと寝ているのが一番です。
 というわけで、昨日につづき軽い記事にしましょう。頭を使わなくていい「商品紹介」記事です。実はこういう記事の方が読者の方には評判がいいんですよね(苦笑)。
 さて、今日紹介するのは先日買った充電ケーブルです。なんでこれを買ったかと言いますと、こちらのBluetoothスピーカーの充電ケーブルがどこかに行ってしまって、ずっと使用不能になっていたんですよ。
 ウチみたいにやたらといろんなケーブルがあると、どれかが必ず流用できるものなのですが、このスピーカーの端子は小さすぎてどれも使えない。いったいなんなんだ、この特殊なプラグは、と思って調べてみたら、NOKIAの携帯端末がこのタイプ(2mm)だということが分かりました。
 ではそれをネットで探して買えばいいと思ったのですが、USBタイプはこれまた全然見つかりません。あってもけっこう高かったりして。
 それでもあきらめず調べていたら、あったあった、これこれ。安いのがあった。
 ところが、どうですか!?ご覧のようにほとんどギャグのような製品なのであります。一つのUSBから10の端子がニョキニョキ、というか、ボサボサというか、とにかく生えている。
 変なもの好きの私はさっそく注文してしまいました。いや、これしかないのだからしかたありません。
 商品が到着して開封してみて、思わず笑ってしまいましたよ。なんすか、これ(笑)。
 だいたいこの10種類を全部使う人っているんでしょうか。海外ケータイマニアくらいかな。

Nokia 2mm端子
Nokia 3,5mm端子
microUSB端子
Sony Ericsson wide端子
Samsung端子1
Samsung端子2
LG端子
miniUSB端子
Sony PSP 端子
iPhone端子

 ちなみに私は、Nokia 2mm端子、miniUSB端子、iPhone端子しか使いません。あとの7本は無駄に生えています。
 それでもたとえばiPhoneと例のBluetoothスピーカーを同時に充電できたり、けっこう便利ですよ。
 よくある先っちょの端子の部分だけはめ替えるタイプだと、その端子自体をなくしてしまうことが多かったのですが、これだと絶対なくしませんね。必要ないのをバッサリ切ってしまうというのもありかもしれません(笑)。
 ま、いずれにせよ、ようやく眠っていたスピーカーが使えるようになったので良しとしましょうか。

海外ケータイにぴったり 10in1 マルチ充電 USBケーブル

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2011.07.27

中山式快癒器

Ii 山く〜ん、頼む!
 歳をとってくると、親に似てきたなあと思う瞬間が増えてきますね。鏡に映った自分の顔を見て、あれ?オヤジに似てると感じたり、子どもに対するちょっとした物言いがおふくろに似てると感じたり。
 まあ似て良かったと思うこともないわけではないのですが、変なトコが似ちゃったなあと思うこともけっこうあります。
 その一つが肩凝りですね。これは母親から受け継ぎました。父親は、肩凝りとはどのようなものかすら分からないほど肩が凝らない人間です。そして母親はどうしてこんなに凝るのかというくらいの「凝り性」です。医学的に二人はどう違うのだろうか。
 で、残念ながら私は、これに関しては母親に似てしまい、毎日けっこう苦しんでいます。特に寝ている時に肩や首が凝って熟睡できない、朝起きた時背中から頭にかけてガチガチになっている、寝れば寝るほど疲れるというような感じで、人生の3分の1を損しているような気さえします(カミさんは人生の3分の1の睡眠こそ至福の時というタイプ)。
 そんな私がいつも一緒に寝ているのがこの中山くんです。こいつのいない夜は考えられません。はっきり言ってホモです(笑)。
 ご存知ですか?中山式快癒器。これはシンプルだが、非常に優れた健康器具です。
Photo そう、私が小さい時、まさにこれが家にあったんですよ。母親が愛用していました。この箱、この箱。これだ。実に懐かしい。これって昭和22年発売の1号機だったんだ。へえ〜。たぶん実家にはまだありますよ。
 小さい頃の私は、さすがに肩は凝らなかったので、これをやってみると痛くて仕方なかった。大人って変だなあ、こんなのが気持ちいいなんて…とか思っていました。それがいつごろからでしょうかね。たぶん20代の頃からだと思いますが、必需品になってしまった。
 今ウチにあって一緒に寝ているのは、2球式の一番安いヤツです。K型っていうのでしょうか。上の写真のヤツです。
 これはある意味画期的な製品ですよね。コペルニクス的発想の転換でしょうか。まさにそれだな。
 これって指圧をひっくり返したものですよね。普通指圧で肩凝りを治療してもらうには、私はうつぶせに寝て、上から施術者が自らの体重をかけるわけでしょ。それが中山くんの場合は、私は仰向けに寝て、肩の下に彼が入り込み、私自身の重みによって指圧効果が得られるわけですから。
 そして一般的な指圧よりも優れているのは、自分で自分のツボを見つけられるということです。中山くんは動かず、私が動くわけですから、まさに天動説から地動説へという感じですな(笑)。
 あるいは指圧の強さを調整できるという点。これはある意味高度なテクニックです。中山くんはけっこう固いのでストレートに彼に乗っかると大人でもかなり痛いものです。そこでいろいろ工夫するわけですよ。
 中山くんの下にクッションを入れたり、上にタオルを乗せたり、逆に圧が足りないと思ったら自分の筋力で押しつけたり。非常にシンプルな構造だけに、工夫の仕方によって無限の可能性があるんですよね。
 というわけで、今日もまた中山くんと一緒に寝ようと思います。もしこの世に中山くんがいなかったら…そんな人生とても考えられません。いちいちカミさんや子どもに頼んだり、マッサージに行ったりしてたら大変だろうなあ。
 「凝り性」の方、ぜひお試しあれ。最初は「えっ?ただこれだけ?」と感じるかもしれませんが、工夫すればするほど彼の良さが分かってきますよ。そして、いつの間にか彼がいないと生きていけない体に…笑。
 中山くんを発明してくれたホンモノの中山武欧くんに感謝です。

中山式オンラインショップ

中山式産業


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2011.07.26

爆裂エレキングダム収録

7_19002000_250022002300 夜も不思議な音楽の出会いがありましたが、今日もまたなかなか楽しい遭遇がありましたぞ。
 ここのところジャンルを問わずプロのミュージシャンの方と絡むことが多いですね。長く音楽を好きでやっているといいことありますよ。
 ということは、これからもっともっと楽しい出会いがあるんだろうな!…と非常に楽観的な結論を書いてしまうこのおめでたさ(笑)。
 さてさて、結論はさておいて、今日はどんな方々だったかというと…ロック・ミュージシャンです。イェ〜!
 今日本校にいらっしゃったのは、ホフ・ディランのワタナベイビーこと渡辺慎さん、OKAMOTO'Sのオカモトレイジくん、SISTER JETのワタルSくん、Champagneの庄村聡泰くん、そして司会進行のエレキコミックのお二人。
 なんでウチの学校にエレキングダムが?…決してワタクシが呼んだわけではありません。ウチのジャズバンド部って全国的に有名じゃないですか。日本一の学生バンド、いや浅草ジャズコンテストでグランプリだから学生に限らずジャズバンドとして日本一になったこともあるわけですから。
 そのジャズバンド部にオファーがあったようです。夏の富士五湖地方と言えばスペース・シャワーTV主催のSLSがありますから、その関係もあってこちらが選ばれたのでしょう。
 そんな話を聞いて、もともとJ-Rockファンであるワタクシは飛びついたというわけです。なかば無理矢理、我が中等部弦楽合奏部を投入させていただきました。
 今、中学校の方は開校2年目で、最高学年が中二じゃないですか。まさにロックに目覚める中二病の季節であります。こんな時に、生でプロの中二病の大人に会えるなんて、最高の機会じゃないですか!ま、私もいまだに中二病ですけど(笑)。
 というわけで、若手(一部除く)ロッカーとジャズ中高生の共演や、各種ゲームで交流をさせていただきました。
 まあ、なんというか、プロのエンターテイナーはすごいですね。エレキコミックのお二人はお笑い芸人さんですから当然ですけど、他のミュージシャンたちもまあテンションが高く、というか、テンションのスイッチがちゃんとあって、本番になるとガンガンアゲアゲでアドリブバンバン面白いこと言うしやるし、うわぁ、さすがだなって思いました。こうして生徒を圧倒できる先生になりたい!(もうなっているというウワサも)。
110726_13_12_52_1 中学の弦楽合奏部から選ばれし出演者3名の中二病男子と同じチームになってくれたのは、Champagneの庄村聡泰くんでした。ごめんなさい、私、勉強不足で彼らのこと知りませんでした(苦笑)。あとでYouTubeで見たら、うん、なかなかいいロックやってるじゃないですか。今年SLSに初出演だそうです。
 彼ともいろいろ話しましたけど、やっばり中二病のまんまだとのこと。大人になりきれない大人。いいですね。憧れです。私なんかこんな職業だからすっかり大人になってしまいましたよ、と言ったら、生徒にツッコミ入れられましたけど(笑)。
 彼には、生徒たちにロックの魂を叩き込んでもらうようお願いしました。ロックの魂ってなんでしょうね。迷わず前に進むことでしょうか。本当の自分を信じることでしょうか。社会に迎合しないことでしょうか。男らしく生きることでしょうか。いや…究極は「もてたい!」でしょう!
 高校生のチームは女子がけっこういたんですけど、中学のチームは男3人。これは私としては当然のことです。彼らに「もてたい」魂を体感させたかったのです!
 そうそう、庄村くんに、ここはフジファブリックの志村くんの生まれ育った所なんですよ、という話をしましたら、彼もフジが大好きだそうで、思わず二人でしんみりモードに入ってしまいました。そう、ロックってこういう「切なさ」もあるんですよね。
 この季節になるとやっぱり「陽炎」をよく聴くという庄村くん。あの歌詞の舞台はこのすぐ裏の道ですよと言ったらいたく感動していました。ロッカーにとって、ここはやっぱり聖地なんですね。ファンだけでなく同業者にとっても。
110726_13_11_14 あと私がお話させてもらったのは、オカモトレイジくん。
 というのはですね、収録中に突然、実の姉からメールが来て、「キャー!レイジくんのサインもらって!」とのこと。
 えっ?ウチの姉ってオカモトズのファンだったの?最近ではバンプの藤くんやHilcrhymeのおっかけやってるだけかと思ったら。
 あとで聞いたらOKAMOTO'Sの中でも特にレイジくんが大好きだとのこと。こんな偶然はない、いや偶然ではなく運命だと思ったらしく超興奮してしまったらしい。ちなみに今年51歳になります(笑)。あれもある種の中二病だな。いや、ミーハーなオバサンだろうか。
 というわけで、彼にサインをもらい、そして一緒に写真など撮りまして、それを送ったら、もう大興奮、大感謝。私は幸せな女だと叫んでおりました。まあ幸せだよな。何歳になっても好きなもの、熱中できるものがあるっていうのはいいことです。
 そんなこんなで、お仕事としても、またプライベートな趣味としても、非常に楽しい時間を過ごさせていただきました。いやはや楽しい想定外の毎日であります。いろいろ勝手に舞い込んでくるんだからなあ…ありがたや。
 ちなみにオンエアは8月5日金曜日夜の7時からです。私は観客ですから、まあ時々映り込んでいるかもしれません。てか、私はどうでもいいので、生徒たちの頑張りを観てやってください。ホント痛々しいほどに頑張ってますから!
 どんな編集になっているか。そうそう、中学生はちょうど「編集」の勉強をしたところだったので、今回の収録もとってもいい学習の場となりました。ありがとうございました。

爆裂エレキングダム公式


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2011.07.25

瀬戸龍介さん夫妻来訪…

110725_23_12_13 〜む、またまた信じられないことが起きました。
 なんでウチの和室にこのような方がいらっしゃるのか…意気投合して一枚の写真に収まっているのか…。
 瀬戸龍介さん、知る人ぞ知る世界的カリスマ・ミュージシャンです。彼の偉業は1963年のニューフロンティアーズ結成にまで遡るでしょう。
 ニューフロンティーアーズについてはこちらのサイトに詳しい。日本のフォーク界を牽引した伝説のバンドですね。のちにアメリカに渡り「EAST」を名乗って活躍。彼らのファースト・アルバム「EAST」はエルトン・ジョンのアルバムと並んで、ビルボード10位の快挙であったと言います。とんでもないことですね。
 アメリカ生活ののち「本物の日本」に気づき日本人としての表現にこだわり始めます。小澤征爾や武満徹らとの親交を持ちつつ、琵琶の大家鶴田錦史氏のお弟子さんとなりました。
 その後、商業音楽の世界からは距離を置き、真に人のため地球のためにある音楽を追究されています。
 シロウトながら、いちおう東西の音楽をやってきた私としては、瀬戸さんの経歴や作品というのは、まったく憧れや尊崇を超えた領域にあります。
 とは言え、私は失礼ながら最近の活動についてはあまり存じ上げていませんでした。やはり私の中の印象としては、ユーミンのアルバムで12弦ギターを弾いている方というイメージだったのです。
 そう、皆さんよくご存知、あの「魔女の宅急便」のエンディング・テーマ、荒井由実の「やさしさに包まれたなら(アルバム・ヴァージョン)」で12弦ギターを弾いていらっしゃるんですよね。これです。

 ちなみにこの名曲が収録されているユーミン2枚目のアルバム『MISSLIM』のバンド・メンバーは以下のとおりです。す、すごい。すごすぎ。

キーボード:松任谷正隆
ドラム:林立夫
ベース、カウベル:細野晴臣
エレクトリック・ギター:鈴木茂
パーカッション:林立夫、斉藤ノブオ、細野晴臣
フラット・マンドリン:松任谷正隆
フルート:清水万紀夫
アコースティック・ギター:吉川忠英、瀬戸龍介
12弦ギター:鈴木茂、瀬戸龍介
ペダル・スチール・ギター:駒沢裕城(コマコ)
コーラス:荒井由実、Sugar Babe、吉田美奈子、山下達郎、鈴木顕子、大貫妙子

 なんすか、これ!…ですよね。その中のお一人です、瀬戸さん。
 そんな偉大な方がなんとワタクシなんぞに会いたいとおっしゃっている、と聞いたのは先々週のこと。まったく人生は想定外であります。
 なんでワタクシなんぞに…というところは、今日はすみません、ちょっとナイショにさせてください。あまりにスケールの大きなお話なので…。
 とにかくとにかく、たくさんたくさんお話しましたが、まったく時間が足りませんでした。また近いうちに再会することを約束しました。
 しかし、本当に縁というのは不思議です。不思議すぎます。今日瀬戸さんが我が家にいらして、そうして初めて知った驚愕の事実もありました。瀬戸さんにとっても我が家は想定外のとんでもなさであったようです。
 私という人間、なんか自分が思っている以上に変わっているというかなんというか…。
 これから大きな動きがあると思います。いろいろな意味で。もう少し具体化したらこのブログでも紹介していきたいと思います。
 本当に縁をとりもってくださった方々にも感謝。富士山にも感謝。恩に報いるよう頑張らねば。

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2011.07.24

スターダム 『STARDOM X~高橋奈苗デビュー15周年記念試合~』

Photo2 夜は飲んだので東京で1泊。朝早く起きて武蔵野散歩などしてから都心へ車を走らせました。
 昨日は音楽三昧でしたから、今日は美術館にでも行こうかな…と思いきや、私の足は水道橋へ。
 ま、ある意味「芸術鑑賞」ですかね。生きた「美」、動く「美」を鑑賞しましょうか。ということで、向かったのは聖地「後楽園ホール」(笑)。
 そう、今日は今のりにのっている女子プロレス団体「スターダム」の、初めての後楽園ホール大会が行われるのです!
 スターダムについては、今年2月に「マニアック家族旅行 in 東京湾岸」の一環として生観戦していました。
 それがとても面白かったし、ある意味での未熟さから生まれる期待感というのもありましたので、はたして今回この聖地で、聖地にふさわしい戦いができるのか、非常に楽しみにしていました。
 この団体、ドンである高橋奈苗さんをはじめとして(笑)、とにかくカワイイ、あるいは美しい選手を集めています。そうした美しい者どうしが、ある意味傷つけ合うところが、なんとも不思議な魅力になっているとも言えます。
 たとえば今日も、グラビア・アイドルでもある愛川ゆず季選手(ゆずポン)が、顔を腫らして、そして肌を真っ赤にしている様子は、ある種のセクシーさと、そしてある種の宗教的な敬虔さの両方を感じさせずにはいませんでした。
 面白いですね。高橋選手の言う「パッション(情熱)」が、キリスト教的な「パッション(受難)」のイメージとも重なってくるこの感覚。これは非常に新しいエンターテインメントだと感じました。
 昨日の「宗教なき時代の宗教」「神なき時代の神」の具現化の一つの方法が、こうした美女たちによる戦いなのかもしれませんね。
Photo1 今日特に印象に残ったのは、第5試合「ワンダー・オブ・スターダム王座決定戦」愛川ゆず季 vs 世IV虎と第6試合「ハイスピード選手権試合」Leon vs 夏樹☆たいようでした。
 世IV虎の新人離れした存在感はすごいですね。私は正直ゆずポンよりも彼女の方がカワイイと思います(笑)。実際会場の人気も互角でしたし。
 夏樹選手の試合では、思わず感動して泣いてしまいました。彼女の持って生まれた運動神経は並みではありません。そして、練習と試合経験の賜物としか言いようのない試合の組み立て、スタミナ、そこから来る技の的確さ、美しさは抜群。あらためて素晴らしい選手だと思いました。もちろん精神力も。あの小さな体で一生懸命戦う姿に感動しない人はいないでしょう。今日は百重さん直伝のコスチュームで可愛さも倍増していましたし(笑)。
 それに比べますと、他の選手の練習&経験不足は否めませんね。とにかくスタミナ切れがひどく、後半になるとどんどん技が雑になります。受け身も充分でなくなり、見ていてヒヤヒヤしたり、思わず失笑したり。
 若い団体であり、新しいコンセプトを試験中ですから、ある程度はしかたないとは言え、さすがにプロとしてどうだろうかという気持ちにもなりました。
 それこそ全女時代だったら、どう考えても練習生(雑用係)で、リングにも上げてもらえないような子が、後楽園ホールの大舞台で試合している。今日はたくさん全女OGが集まっていましたが、皆さんどういう気持ちで彼女らの試合を見ていたのでしょうか。
 もちろん、高橋奈苗選手は別格ですよ。百戦錬磨、昨年のプロレス大賞受賞者ですから。しかし、今のこの団体には彼女といいプロレスができる選手がいません。その点、もったいないと思います。
 メインの美闘選手との試合も、正直消化不良でした。デビュー間もない美闘選手には、まだまだ後楽園ホールのメインは荷が重すぎたのではないでしょうか。高橋選手に関してはマルチネス選手との試合の方がずっと魅力的でした。
 あっそうそう、9歳小学3年生の夢(はるか)ちゃんとケニー・オメガ選手との試合は面白かったな。プロレスは幅広く奥が深い。底が丸見えの底なし沼とはよく言ったものです。ケニー実にGJでした。
 実を言うと私は、あまり女子プロレスを見てこなかったのですが、ここへ来て俄然その歴史にも興味が沸いてきました。男子のプロレスとは全く違う「文化」や「宗教」をそこに感じるからです。
 近々出る、私も参加させてもらった歌集「希望の河」で、歌人の藤原龍一郎さんに解説を書いていただきました。ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、藤原さんは全日本女子プロレスとは切っても切れない深い関係のある方です。まったく不思議なご縁です。
110724_11_02_23 最後に、今日は地上アナログ放送最後の日でした。その瞬間を、ここプロレス放送の聖地後楽園ホールで迎えることになるとは、なんとも運命的だなあと感じました。
 プロレスや後楽園ホールには「アナログ」が似合います。プロレス的世界は二元論ではとても片づけられない複雑さと豊かさがあります。グレーゾーンだらけです。
 全てがデジタル化していくこの時代だからこそ、こうした「神話的」「物語的」な世界が大切になっていくのではないでしょうか。
 私はそれを愛し続けていこうと思います。まさに「阿修羅原 夢をありがとう」ですよ!


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2011.07.23

「歌」とは…そして、なぜ音楽をやるのか

武久源造 『バルダキン・オルガンの世界』
Vol 郷教会でのバッハカンタータ演奏会、いや演奏会というよりも「礼拝」ですね、参加させていただいた私も大変に感動いたしました。やはりああいう場所でああいう形で演奏すべきものです。
 それにしても、まあなんでまた…そう、またやらかしてしまいました。というか、やられてしまいました。
 午後富士山から東京へ車で向かったのですが、いつも間違えない道をなぜか間違えて、気がついたら三鷹の禅林寺前。あららまた導かれてきてしまった。ということで、ついでに太宰治の墓参りをしました。
 皆さん、覚えていらっしゃいますか?太宰の墓参→演奏会と言えばこれ。
 「参った」…太宰治のいたずら(!?)
 エロイカ本番演奏中「弓が折れる」という信じられない事態が起きた奇跡の(?)一日でした。
 で、今回もまたやられましたよ。あり得ませんよ。本番チューニング中にヴィオラの弦が切れた…のではなく、「抜けた」!テールピースの穴に引っ掛けてあって、ずっと大丈夫だったのになんで本番中に…。
 おかげでまた皆様を待たせることに(苦笑)。弓の時もスペアをたまたま持っていたので、なんとかしのげましたし、今回も切れちゃったのならスペアがないから諦めるしかなかったのですが、「抜けた」だけなのでなんとかなっちゃうわけですよね。だから、「いたずら」なんですよ。
 まったく不思議というか、いったい太宰は私にどんな恨みがあるのでしょう(笑)。まあとにかくいろいろな意味で太宰とは縁があるのは事実です。まったくぅ。
 さて、そんなこんなで演奏会は無事(?)終了。打ち上げとなり、皆さんで盛り上がっていました。
 宴のたけなわの頃、登場しました!チェンバロ・オルガン奏者であり作曲家である武久源造さんです。
 前回の打ち上げの時、初めてお話させてもらい、大変に面白かったので、あれ?今日はいらっしゃらないのかとひそかに落胆していた(皆さんは安心していた)ところに、遅れて登場。
 今回の指揮者である淡野太郎さんのお母様淡野弓子さんの歌の伴奏をなさってきたそうで、弓子さんも一緒に合流いたしました。お弟子さんの山口眞理子さんもいらっしゃいます。
 さあて、そこからは恒例の武久節満開でした。まあ面白いですね。とっても刺激的な話でした。
 今、「万葉集」に曲をつけているということでした。私はたまたま最近短歌をやっているので、「当時の歌はまさに歌で、テキスト(文字)がない代わりにメロディーで語り(歌い)継がれた」という話をしました。そう、ホントは短歌も節をつけて作るべきなんですよ。
 ですから、今彼がやっている万葉集の歌に節をつけるというのは実に理にかなった行為なのです。そして、オリジナルの(奈良時代の)メロディーが記録されない分、その時代時代に変わってもいいものなので、現代において彼が西洋の音楽理論で作ってもなんら問題ないわけです。
 あと面白かったのは、武久さんや淡野さんらが「なんでドミソのミ(3度音)」を忘れた(気づかなかった)時代があったのかと、いわば近代西洋的な視点で不思議がっていたのに対して、私は得意の日本音楽的(実はグローバル)な視点で、「いや、ドミソのミこそ不協和音、不快和音だった」という話で対抗(?)したところですかね。いろいろな視点があると実に豊かな議論になります。
 そして、最後には究極の問い。「なんで音楽をやるのか。やっているか」というそもそも論になりました。これは音楽に携わる者ならば、本当なら一度は必ず考えなければならない問いですよね。
 皆さんそれぞれ納得のいく答を提示しておられました中、私は概略次のような解答をしました。
 まず日本音楽の視点からすると、もともとは「招霊」のため。「もののね」ですね。これは西洋でも中世まではそのようなものだったということです。
 そして、近代西洋音楽では、宇宙の大法則を感じるため。これは、「西洋音楽史」にも書いてあったように、「宗教なき時代の(疑似)宗教」としての音楽、「神なき時代の(疑似)神」としての音楽ということで言えば、まあ神との一体化ですから、これもまた「招霊」とも言えるのですが。
 さらに演奏者としては、こんな話をしました。演奏者との一体化です。いきなり抱きついたら「セクハラ」になるか、「ホモ」とか言われちゃうじゃないですか。でも、一緒に楽器を演奏したり、歌を歌ったりすることで、疑似的にそういうことが可能になるんです。私はそれが楽しくてやっている部分があります。
 ちなみにロックだと「もてたい」…それだけですね(笑)。
 まあ、そんなこんなの話を、それぞれプロ、アマいろいろ話したので、とっても勉強になりました。楽しい楽しい夜を過ごすことができました。ありがとうございます。
 ちなみに一番上の画像で紹介した武久さんの新作レコーディング。これは非常にいいですよ。武久さん作曲の小品がまたステキです。ぜひぜひお聴きください。

Amazon バルダキン・オルガンの世界
 


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2011.07.22

演奏会案内!

 う明日のことですが、以下の演奏会に出演いたします。東京の方はぜひどうぞ!

 2011年7月23日(土) 18:00〜
Soli Deo Gloria<賛美と祈りの夕べ> Vol.269
 聖書朗読:廣田登 本郷教会牧師

[曲目]
H.シュッツ:「宗教合唱曲集」より
  第11曲 <わたしはイエス・キリストの御許へ>
J.S.バッハ:カンタータ第177番 <われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ>
  [三位一体祭後第4日曜日のためのカンタータ]
J.S.バッハ:カンタータ第192番 <いざやもろびと、神に感謝せよ>
  [用途不詳(宗教改革記念日のため?)のカンタータ]
H.シュッツ:「宗教合唱曲集」より
  第12曲 <神はそれほどまでに世を愛された>

[会場] 日本キリスト教団 本郷教会礼拝堂(東京・上荻)
[時間] 18:00 開演 (17:30開場)
[料金] 入場無料
[出演] 《BWV177》
ソプラノ 柴田圭子
アルト 羽鳥典子
テノール 依田卓

《BWV192》
ソプラノ 神山直子
バス 小家一彦

器楽:ユビキタス・バッハ

オーボエ 後藤望実/宮本忠昌/早川俊英
コーラングレ 早川俊英
ファゴット 森本敏嗣
ヴァイオリン 奥村琳/二宮昌世/若尾紀子/大野幸
ヴィオラ 山口隆之/谷口勤
チェロ 中尾晶子
コントラバス 松永秀幸
オルガン 石原輝子

合唱:ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京 & メンデルスゾーン・コーア 有志

S 今村ゆかり/神山直子/古武沙織/櫻井尚子/柴田圭子/巽瑞子/
  玉井千恵/中野利子/大和美信
A 秋山百合子/石塚瑠美子/影山照子/栗川三千子/小西久美子/佐藤道子/
  田畑玲子/戸井恵子/中村光子/羽鳥典子/松井美奈子
T 星野正人/依田卓
B 石塚正/小家一彦/中村誠一/細川裕介

指揮 淡野太郎

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2011.07.21

『HAYABUSA - BACK TO THE EARTH - 帰還バージョン』 (上坂浩光監督作品)

Hayabusa 月、生徒たちと一緒に「はやぶさプロジェクト」の川口淳一郎さんの話をお聞きする機会がありそうなので、事前にいろいろ勉強をしておこうと思って購入しました。
 昨日はトンデモななんちゃって映像作品を紹介しちゃいましたが、こちらはその対極にあるような、ていねいに作り込まれた作品ですね。
 ご存知のようにこの作品はプラネタリウム用の全天型CG映画です。渋谷のプラネタリウムで上映されて、大ヒットとなりました。私、春休みに観に行こうと思っていたのですが、震災で上映中止になってしまいました。まだ再開してないのかな。
 この小惑星探査機「はやぶさ」は度重なるアクシデントを乗り越えて無事地球に帰還しました。そしてごくごく微量ながらイトカワの岩石を採取してきたことが分かりました。
 その不屈の精神が人々の感動を呼んだんですよね。もちろん、それは川口さんらスタッフの執念とも言えますが、国民のシンパシーはどちらかというと「はやぶさ」自身に向かっているような気がします。
 その証拠に、この映画には人間が登場しません。登場するのは擬人化された「はやぶさ」一人です。そこが面白いところなのでしょう。
 なんでも映画会社3社がこぞって「はやぶさ映画」を制作中とのこと。こういう時代だからこそ励まされたい人がたくさんいるのでしょうね。それにしても機械に励まされちゃう日本人って…。
 そう、今回この作品を観て、私、「走れメロスじゃん!」って思っちゃいましたよ。私の「走れメロス」観はこちらに書いてありますとおり、「ありえない物語」「実は大失敗の話」ですので、まあそういう意味です。
 川口さんやはやぶささんには申し訳ありませんが、このプロジェクトって考えようによってはアクシデントの多すぎる「プロジェクト╳(ペケ)」ですよね。結果によっては噴飯ものの大失敗劇となりかねません。
 そこに「神風」が吹きまくって感動的な逆転劇になる。「走れメロス」そのものじゃないですか。あるいは「なでしこジャパン」(笑)。
 ま、そんなところがいかにも日本的な感動を呼んだのでしょうし、実際のところ「なでしこジャパン」のように、「大和魂=絆&折れない心」が、天を動かしたとも言えますね。
 原発事故なんかもそうですが、日本人はそういう失敗をカバーする奇跡に対して感動こそすれ、反省しない傾向があるのは困ります。「走れメロス」をいつまでも友情や誠の感動物語だなんて読んでいるようじゃダメです!
 ま、こんなこと川口さん本人には言えませんな(笑)。ありがたくお話聞いてこようと思っています。
 そうそう、このCG映画も紹介されていたNHKのクローズアップ現代『傷だらけの帰還 探査機はやぶさの大航海』(こちらではワタクシもはやぶさくんに感情移入してますな)の動画があったので貼っておきます。こちらは人間ドラマですし、本質的な問題点にも触れているいい番組だと思います。

[高画質で再生]

クローズアップ現代「傷だらけの帰還 探査機はやぶさの大航海」 [アクセスランキング]

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2011.07.20

実写(プレスコ)版「うる星やつら」第二弾!

Vlcsnap2011072106h44m42s69 年の学園祭に続き、本年も中学1年生は「実写版うる星やつら」を出品。大変な好評を得ました!それを今年も超小画面でご覧いただきましょう。
 今年パロディー化したのは、昨年の「さよならの季節」に続き、これまた名作「買い食いするものよっといで!」です(笑)。
 原作をご存知の方はお分かりになるでしょう。「うる星やつら」特有のダイナミックなドタバタ劇です。はたしてあの躍動感をシロウト役者たちで出せるか心配でしたが、まあなんとかなりました。
 なにしろ1週間しか時間がなかったので、それこそドタバタの撮影、編集でしたねえ。おかげでだいぶカットしたシーンもあります。再現不可能な部分もけっこうあったので。でも、とにかく楽しかった。その楽しさが作品にパワーを与えるのだと思います。生徒はもちろん、先生方も楽しんでくれました。
 今年も大活躍、ウチのおじいちゃん先生。元公立のカリスマ校長だった方です。自ら衣装や小道具をどんどん準備し、サイドカー「ウラル」も久々に登場。殉職シーンも見事な演技でこなしてくれました(笑)。
 おそらくオリジナル「うる星やつら」の制作スタッフもこんなノリだったのでしょうね。押井守さんはじめとして、みんな学園祭の延長だったのでしょう。
 あの時代、古き良き時代の映像作品に力があるのは、結局そういうことなのです。今のアニメみたいに、外注外注、セルの枚数どんどん減らして、CGで楽をする…では、とてもこんな作品作れません。
 ものまねと一緒で、こうしてパロディーをしてみますと、その本質がよりよく分かります。特に編集してみると、すごく勉強になりますね。
 もちろん声優さんのすごさにも驚きます。生徒たちもこうしてやってみて、声優さんの偉大さや、アニメーターさんたちの苦労、そして「編集の魔術」を実感できるようです。テレビの見方も変わるでしょうね。もちろん、それが教育的な狙いなわけです。いちおうメディア・リテラシーの授業ですから。
 それにしても、この「プレスコ(逆アフレコ)」というのは楽しいし、お手軽ですねえ。なんで皆さんやらないのでしょうか。原作がしっかりしていれば、多少こちらがなんちゃってでも、それなりの作品に仕上がりますよ。生徒たちにとってもいい思い出の作品となるでしょう。
 そうそう、ある意味オマケ的な要素ですけど、フジファブリックファンの方々にとっても今回の作品はお宝映像満載なのかもしれませんよ。
 ウチの中学は志村正彦くんが生まれ育った場所にあります。今回のロケも学校の周辺で行いましたから、彼の見た風景が満載です。彼の住んでいたところや、通っていた保育園、遊んだ公園、歩いた路地などなどがたくさん写り込んでいます。きっと志村くんも爆笑してくれていることでしょう。ぜひご覧下さい。
 それでは、今年も超小画面フラッシュムービーにしてみましたので、クリックしてお楽しみください。ああ、楽しかった!
 まあ、考えようによってはバカな学校ですね(笑)。てか、バカな教頭先生です…。いや、こういうバカ力こそ学校現場に必要なのです。先生は生徒にバカに関して負けてはいけない!なんちゃって(笑)。
 ちなみにオープニングは今日の本番でのダンスになっています。そうそう、昨年はラムちゃん役を柔道部の男子がやりましたが、今年は面堂役が柔道部の女子です(笑)。ちなみに私も2ヶ所出演しています。では、どうぞ!

フラッシュムービー 買い食いするものよっといで!


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2011.07.19

追悼!原田芳雄 『原子力戦争 Lost Love』 (黒木和雄監督作品)

0825harada01 た一人、昭和の男逝く。
 俳優の原田芳雄さんが亡くなりました。田園に死す、祭の準備、さらば映画の友よ インディアンサマー、ツィゴイネルワイゼン、陽炎座、さらば箱舟、生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言…私の好きな映画にはいつもかっこいい原田さんがいました。
 まさに昭和の漢。肉食系男子の総帥のような方でしたね。力強さと繊細さ、強さと弱さ、怒りと優しさ、本当にいろいろな男の顔を見せてくれました。ご冥福をお祈りします。
 それにしても、本当に因縁めいていますね。私も大好きだったATGの映画「原子力戦争」。ここで彼は福島第一原発にアポなしで潜入を試みます。このシーンは芝居ではなくてドキュメンタリー・タッチとなっています。黒木さんらしい演出ですね。
 福島第一原発で重大な事故が起きたのではないかと疑う記者、それ取り囲む反対派、推進派、学者、そして…。
 この作品が公開されたのは1978年です。原作は当時反原発の先鋒だった田原総一朗。今はどうなのかな?ww
 YouTubeにダイジェストがあったのでご覧下さい。
 

 病床の原田さんは今回の事故をどのように見ていらっしゃったのでしょうか。あれから30数年。映画の中で想定された「チャイナ・アクシデント」は今言う「チャイナ・シンドローム」です。
 当時は、アメリカの原発で炉心溶融(メルトダウン)が起きると、炉心が地球を突き抜けて中国まで達すると言われていました。それを受けて1979年に米国で「チャイナ・シンドローム」という映画が公開されて一般化した言葉です。それまでは、「チャイナ・アクシデント」と呼んでいたのでしょう。この映画の原題も「原子力戦争 チャイナ・アクシデント」でした。
 この映画、ぜひ今見直してみたいのですが、なかなか手に入らないようですね。私は映画館で観たのではないかと思うのですが…。DVD化を望みます。

Amazon 原子力戦争(田原総一朗)

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2011.07.18

なでしこに見た「大和魂」

Photo う皆さん、誰もが感動し興奮したであろう「なでしこジャパン」のワールドカップ優勝。
 選手の皆さん、スタッフの皆さん、本当におめでとうございました!そして、ありがとう!
 こういう「本物」の感動には言葉はいりません。いや、言葉は無力になりますね。
 それにしても、実に日本らしい戦いであったと思います。70年前のことを持ち出すと顰蹙を買いそうですが、正直私はそれを思い出してしまいました。
 サッカーというスポーツは、肉体的なハンディ、あるいは個人的なテクニックの差を、作戦と組織力と精神力でカバーできる競技です。そこが面白いところですね。特に試合終盤になればなるほど、それが顕著になるから面白い。
 今回は昨年の男子ワールドカップの時に書いたサッカーの起源(呪いのシャレコウベ)なんていうバカみたいなことは全然思い出す余裕がありませんでした(笑)。それくらい自分も試合に集中していました。
 ただ、その記事にも書いた「大和魂」という部分では、やはり共通したモノを感じましたね。
 「大和魂」=絆と折れない心
 このたびの震災でも、やはり同様のことを感じました。これは日本の誇るべき美徳であります。
 そして、その魂を持ち続けていると「神風」が吹く。それはたぶん日本人の心が神の世界とつながっているからだと思います。怪しい意味ではなくて、単純に「人事を尽くして天命を待つ」ことができる民族だということです。
 しかし、あえて書くなら、これがまたある種の欠点にもなっているんですよね。たとえば、震災・人災後の政府や東電の対応は、被災者の「大和魂」に甘えているところがある。どんな境遇でも我慢できてしまう庶民を見て、上の者がケアや変革を怠ってしまうということです。
 世界標準なら、この状況で暴動やデモが起きないわけがない。しかし日本ではそれが起きない。それどころか、「なでしこ」の健気な姿を見て、さらに個人の精神力と全体の忍耐力を高めていってしまう。保守のエネルギーというのはそういうふうに醸成されていくのです。
 それにしても、これでまた「女の時代」が一歩進んだような気がしますね。こうなったら、政治の世界も女性に任せた方がいいんじゃないでしょうか。男にカリスマ性がない時代です。カリスマ性の源泉は「闘魂」。闘魂のない男は、生きている意味がありません。今、ニュースに登場する男どもに「闘魂」を感じますか?
 今日、ひょんなことから、フジファブリックファンの方にお会いして話をする機会がありました。今考えれば、志村正彦という男は、「音楽」という天職に命懸けで真っ向勝負した「闘魂」の男でしたね。外見とか性格とか、そんなレベルではなくて、天命に対峙する魂の部分で戦う男であったと。
 そう、古き良き日本では、サムライが闘魂と死を受け持ち、なでしこが調和と生を受け持って、それで全体として「大和魂」を形成していたと思うんです。それが、今や男は腑抜けてしまい、女が闘魂まで担当するようになってしまった(苦笑)。頑張れ!男子!
 夜、IGFの宮戸優光GMからお電話をいただき、まさにそういうお話で盛り上がりました。本物の「怒り」とは何か、表現ではなくて内側から湧き上がってくる感情とはなにか。「本物」と「術」との違いは何か。どちらがベースにあるのが正しいのか。
 プロレスの話というより、「禅」や「教育」の話でした。非常に刺激的な会話でした。本物は言葉では伝えられない。本物は体験でしか得られない。その体験は究極の状況にしか生まれえない。頭で考えていても分かりっこない。自他同一、不二の境地になるには、抜き差しならない背水の陣に身を置かねばならない。それは修行であり練習であると。
 男の世界に「闘魂」や「大和魂」や「本物」が不足しているとすれば、それは私たちの世代の責任です。昭和の男たちにはそれらがありましたから。カリスマがいろいろな分野にたくさんいましたから。そんな話をしました。
 「なでしこ」という言葉は、実は女性を表す言葉ではありません。古い用法を見ますと、男にも使われています。「可愛い子ども」というニュアンスです。
 また、源氏物語で玉鬘が撫子に擬せられてからは、「みなしご」というイメージも定着しました。頼りにするものがなくとも健気に生きているものの象徴となったのです。
 我々男子も「なでしこ」にならねばならない時代を迎えたのではないでしょうか。まずは自分自身が「なでしこ」の精神で頑張っていこうと思います。たとえ孤軍奮闘となろうとも、「闘魂」や「大和魂」をもって、「本物」を伝えていけるよう日々研鑽いたします。


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2011.07.17

『日本を脅かす! 原発の深い闇』 (別冊宝島)

東電・政治家・官僚・学者・マスコミ・文化人の大罪
20110718_71828 日紹介した『改訂版 これから起こる原発事故~原発問題の専門家から警告』の別冊宝島、最新刊。原発利権の深い闇を告発する内容となっています。
 原発利権というか、電力利権ですね。政界、官界、財界、学術機関、メディア、闇社会(マフィア)たちが、どのようなシステムでどのくらいのカネを手にしてきたか。
 ざっと読んでみましたが、おそらく8割方は実際こんな感じだろうなと思わせる内容でした。あとの2割は検証不足とか間違いだとかではなく、まだ見えない部分があるだろうという予感の領域です。
 こうしてこのタイミングで提示されると、どれも納得がいく構造なんですよね。天下り、献金、スポンサーなど。しかし、それが巧みに隠蔽されてきた、というよりも、私たちがあまりに無関心でありすぎたのです。
 こういう構造というのはよくあることです。何千万、何億の人間がいても気づかれないこと。
 もちろん、世界的な「マネー」の世界もそうですね。つまり、私たちは、こと「インフラ」世界に関してはどういうわけか鈍感になってしまうのです。
 インフラ、すなわち全ての国民の生活のベースになっている部分ですね。電気、水道、ガス、道路、電話、テレビ、教育、そしてマネーなどなど…。当たり前という「空気」が私たちの感覚を麻痺させてしまうのです。
 そう、ちょっと話がそれますが、もうあと1週間に迫ってしまった「アナログ放送終了」「地デジ化」なんかもそうなんですよ。私はずいぶん前から孤軍奮闘(?)してきましたが、もうとてもそうした空気の流れを止められませんよね。
 私のような反対論者は「変わり者」扱いされますし、いくらいろいろなところに訴えても無視されるばかりです。
 そして、しまいにはいやがらせまで受けることになる。具体的には書けませんが、地デジ一つとってもそういうことがあるんです。
 地デジ化は戦後最悪の暴力的な施策であり、あの2秒ものタイムラグのために、そしてデジタルの欠点であるモザイク・ノイズ(つまり見えない、聞こえない)のために、我々1億数千万の国民の生命が危険にさらされるんです。たとえば災害時、全ての情報が2秒も遅れるというのは致命的です。
 そういう意味で、ぜったいにラジオだけはデジタル化してはいけないと考えています。もしそういう話が進んだら、私は命懸けで阻止しますよ。
 今日、Twitterでもつぶやきましたけど、あの震災でですね、たとえば地デジによって2秒遅れて津波の情報を確認し、海岸近くに住む親戚に注意を促す電話をかけたとするじゃないですか。その相手の家がナンバーディスプレイのデジタル回線を使っていたとすると、呼び出し音が鳴るのに最大7秒の遅延が生じます。合計10秒近い遅れです。この10秒が生命を奪う可能性があることは誰でも想像できますよね。
 そういう危険の部分は何も伝えられず、いいところ(実際は大したメリットではないが)だけを宣伝していく。特に各分野でのデジタル化は、利用者の利便性よりも供給側の経済効率が優先されていることが多いのですよ。
 この前、原子力ポスターコンクールを紹介しましたよね。原発はまさにそういう構造の象徴のような装置です。そしてそれを助長していたのが教育界だったというわけです。
 文部科学省のみならず、教育現場にも電力利権から多くのカネが流れていたものと思われます。もちろん我々下々の者には何も回ってきませんがね。
 そして、我々には見えない「モノ」であった、しかし実は一部の人間によって巧妙に作られてきた「コト」が、自然(神)の怒りによって一気に露呈したと。「モノガタリ」ですね。モノが語られてコトになるチャンスです。
 しかし、またそれを再隠蔽しようとする動きも出てきています。せっかくの改革のチャンスを私たちはまた逃そうとしています。ピンチでもあるのです。
 私たちは今こそ想像力を働かさねばなりません。こういう構造というのは原発利権だけではないんですよ。あらゆるところにあるんです。それを「空気」のように「当たり前」として何も感じずに生きるのではなく、見えない「モノ」を見ようとする努力が必要でしょう。
 たとえばこのムックを読むことによって、そうした想像力を鍛えるきっかけにしたいですね。ただ驚くとか怒るということではなくて。
 
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2011.07.16

『世界が私を待っている・前衛芸術家 草間彌生の疾走』 (NHK BSプレミアム)

1 「魂」…草間彌生さんはまさに戦う女でした。うん、たしかにレスラーの目だ。
 水玉模様で有名な前衛芸術家草間彌生さんの番組を観ました。3時間に亘る長編でしたが、あっという間に感じられるほど引き込まれました。
 ふむふむ、私の知っていた草間彌生はほんの一部にすぎなかったのだな。自分のことを「天才」「神」と言い、子どものように自由に描いている彼女を「幸せな人だな」と思っていましたが、実際は命懸けで「今」と戦っている、死と隣り合わせでギリギリのところを行っている人なのだと、今日初めて知りました。勉強不足を恥じます。
 時代がようやく彼女に追いついてきたのでしょうかね。「前衛」というのは常にそうです。しかし、実際のところ「前衛」を名乗っていても、結局時代が追いつかない、というか、時代がそちらに向かってこない場合もあります。いやほとんどがそうなんです。つまり、結果として「前衛」でなかった場合がほとんどなんですよね。
 今、存命にして「前衛芸術家」を自ら名乗り、そしてそれを誰もが認めているのは、もしかして世界中でも草間彌生さんだけかもしれません。
 それにしても、ちょっと意外だったのは、草間さんがある意味非常に「他力」であるということです。
 もしかすると、「自力」だった頃は苦労なさったのかもしれませんね。芸術家は基本「自力」を旨として活動を始めます。しかし、そこで何か大きな壁にぶつかるものです。
 もちろん、それは芸術家に限ったことではありませんね。私のように普通の仕事をしている場合も全く同じです。ただ、芸術家は個人で戦ってかねばなりませんから、その壁にぶつかった時点で精神的に、あるいは経済的に断念を余儀なくされることが多いわけです。
 しかし、それをある種の「智恵」で乗り切り、「他力」の感覚をつかむことで本当の成功をつかみとることができる人がいます。それが「天才」と言われる人であったりしますね。
 現在の草間さんにはたくさんのサポーターがいると感じました。スタッフに「これどう?」とか「こうしたらどうかしら?」と何度も聞いていましたし、自らの作品が世界中に広がるために、ギャラリーやバイヤーの力を借りていました。
 その点、芸術というより、やっぱり現代的なアートだなと感じましたね。本来芸術と貨幣経済(マネー)とは相容れないものであったわけですが、アートはマネーの力を借りてパワーアップします。コマーシャリズムとの共存が現代アートの一つの生き方であります。
 草間さんはまさにその最先端を行っているなと感じました。84歳にしてその先端性。おそるべき「闘魂」の持ち主ですね。今を否定するのは簡単です。否定するのではなくて、相手の存在を認めてともに戦っていく姿勢。見習わねばなりませんね。
 毎日、精神科の病院から自らのアトリエに通う草間さん。私たちが知りえない苦悩もたくさんあることでしょう。自殺願望も常にあると言います。ある意味「死」と常に戦っているとも言えます。
 あの水玉模様は素粒子なのでしょうか、それとも星々なのでしょう、いや、もしかすると宇宙そのものかもしれません。
 そして、草間彌生さんは素粒子の、星々の、宇宙の一生を体現しているかもしれないと、ふと思いました。

ps 草間さんのデザインしたあの犬(リンリンなど)、なんとなくウナギイヌを彷彿とさせますな。

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2011.07.15

赤津さん武澤くん Duo in 月江寺

Gedc1030 とといの記事で告知しておりました赤津眞言さんと武澤秀平くんによる二重奏コンサート、盛会のうちに無事終了いたしました。
 富士吉田にしてはとても蒸し暑い中、100人近いお客様にお集まりいただき、ありがとうございました。
 そしてなによりこういう機会を与えて下さった理事長先生と月江寺関係の皆さま、またお忙しい中おいでくださった演奏者両名にも感謝いたします。
 音楽というのは本当に素晴らしいですね。音楽は縁を生み出す魔法です。
 こうして、ここでこの二人の演奏が聴けるなんて、数年前に誰が想像したでしょうか。私が想像していなかったのだから当然ゼロですよね。まったく不思議です。
 今回のコンサートの内容は18世紀後半ロンドンで演奏されたであろう隠れたデュエット曲たち。公開コンサート草創期ということで、聴く耳だけでなく、観る目も楽しませるような作品たちが並んでいました。特にチェロの名人芸はあの時代に特有なものですね。人気があったのでしょう。
 アンコールでは恐れ多くもワタクシも加わらせていただきバッハのAirを演奏いたしました。私はセカントとヴィオラの折衷パートを急造しての参加。最近あんまり緊張することがなくなったワタクシも、さすがに弓を持つ手が震えました(笑)。でも、楽しかった!今を楽しもう、この空気や息を一期一会として自分もしっかり味わおうと思いましたから、まあそこそこ満足のいく演奏ができたと思います。ありがとうございました。
 練習では赤津さんがラ・プティット・バンドのコンサートでブランデンの6番を演奏したバルト・フィッサーのヴィオラを弾かせていただきました。感動。さすが豊かな音がする楽器でした。演奏者であるワタクシが楽器に負けていましたね(苦笑)。もっと出していいよと言われましたが、ワタクシにはあれが限界です。
 フィッサーと言えば、武澤くんのチェロも彼の作品です。低音から高音まで豊かで、かつ繊細な音がしていましたね。
 それにしてもお二人のアンサンブルの妙は、単なるテクニックを超えて、とんでもなく深く楽しいもので、誰もが初めて聴く曲ばかりだったと思いますが、感動のあまり涙を流している方もいらっしゃいましたよ。おそらく作品自体に感動するというより、アンサンブルの妙なる世界に共鳴したのだと思います。私も何度もゾクゾクしました。
 また、休憩中には意外な方からお声掛けいただきました。その方がある有名な音楽家を紹介してくださるということで、これまた不思議な出会いとなりそうです。いったい縁の糸はどこまで続くのか。どんどん増殖していますね。音楽に限らず何事も長く続けていると、そして発信し続けていると、必ず何かが実りますね。
Gedc1033 最後は聴きに来てくれた生徒たちと記念撮影。あれ?なんか私が小さく見えますね。お二人大きいんですよ。
 それにしても生徒たちも幸せです。昨日はあるプロオーケストラのヴァイオリニスト二人が遊びに(指導に)来てくれました。そして、今日はこの二人ですからね。生徒本人たちはよく分かってないと思いますけど、実はとんでもないことなんですよ!
 しかし、こうして皆さんが集まってきてくれること、私自身も本当に幸せに思います。ありがとうございます!
 赤津さん、武澤くん、また秋にお願いします!

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2011.07.14

原子力ポスターコンクール

↓文部科学大臣賞作品。見事なブラックジョーク。
Fidtsumiyama20101129111944pimage のブログでも何度も指摘しているように、学校現場では基本的に「原子力教育」というのがなされてきました。
 というよりも、ほとんどの教員は意識せず、それを行なってきたとも言えます。なぜなら、文部科学省が原子力推進派なので、教科書や各種教材を使ってまじめに授業をすれば、自然と「原子力教育者」になってしまうからです。
 私のような変わり者教師は、教科書なんか信じるなとヘーキで言えますが、普通はなかなかそうはいかないでしょうね。
 学校では原子力発電推進の理由を「日本は資源が少ない国」「温暖化の原因物質であるCO2を削減できる」という、二つの大嘘で説明します。
 もちろん、私は両方否定してきました。ここでいう「資源」は、発電のための原料という意味ですから、本当は逆です。火山国で島国である日本は、水力や地熱や潮力、潮汐力、風力など、非常に「資源」に恵まれている国です。そんなの常識です(いや非常識か)。
 温暖化については、いつも言っているように「暖かくなって二酸化炭素が増えると光合成が盛んになるので植物が喜ぶ。植物が元気だと草食動物が喜ぶ。草食動物が元気だと肉食動物が喜ぶ」ので、大いにけっこうです。というより、二酸化炭素だけを温暖化の原因物質として名指しするのは教育的ではありません。
 ま、これらはずいぶんと極端な説であり、皆さんは「これはこれで危険な教師だ」と思うかもしれませんね(笑)。
 これを押しつけるわけじゃないんです。こういう視点も与えつつ、こう言われたらあなたはどう考えるかという「選択の機会」を与えるという意味です。
 そういう「選択の機会」を奪うのがいわゆる公教育の持つ性質です。その良い例がこの「原子力ポスターコンクール」でしょう。
 今年はさすがに中止になったとのこと。私としては今年こそぜひやってほしいと思っていたんですが。文部科学省(&経済産業省資源エネルギー庁)の方針を貫かないと国民(子ども)は動揺してしまいます。やめるなら「すみません、今まで皆さんをだましていました。洗脳しようとしていました」と言うべきです。
Fidtsumiyama20101129111946pimage ここで大切なことを書いておきます。これらのポスターを一生懸命描き、立派な賞をとった子どもたちにはなんの罪もありません。逆に可哀想ですね。今回このような事故が起き、こうして原子力に対する逆風が吹きまくることになったわけですから、彼ら彼女らの今の気持ちを考えると実に胸が痛くなります。
 そのうえで、そういう残酷なことをしてきた日本の教育界を糾弾するために、あえて作品を掲載させていただきます。批判もあって当然です。そのくらいの批判は受ける用意はあります。
 子どもたちが可哀想だからこそ、この現実を皆さんに知っていただき、文科省、教員、大人たちは猛反省をしてほしいのです。もちろん私自身も。
 このコンクールに対する文科省の考えはこうです。
 そして、このコンクールの昨年度の募集要項はこちらです。
 募集要項にある作品制作のヒントをよくお読み下さい。5重の壁で放射線漏れを防いでいる…!?
 つい最近まで、娘の小学校でも募集のポスターが貼ってあったそうです。昨年から貼りっぱなしになっていたのでしょうか。もしかすると違う種類のものかもしれませんが、入賞者は原発見学に行ける!という内容だったとか。
 歴代の入賞者には福島県の子どももいました。今、彼女はどういう気持ちで自分の作品を眺めているのでしょうか。大人の責任は重大だと思います。
 私のような立場で仕事をしていると、毎日毎日「○○ポスターコンクール」「○○作文コンクール」の募集案内が届きます。それらも一つ一つしっかり検討すると、中には非常に洗脳的なものを見つけることができます。子どもはそのあたりの判断はできません。全国の先生方、ぜひ子どもの代わりに「選択」をしてあげてください。

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2011.07.13

告知! 赤津眞言・武澤秀平デュオリサイタル in 月江寺

2011715

 うあさって(15日)のことですが、急遽こちら富士北麓でぜいたくなコンサートを企画いたしましたのでお知らせします。お近くの方はぜひどうぞ。
 先日、我が学園の理事長先生が「旭日小綬章」を受章されました。それを記念いたしまして、学園の母体であり、理事長先生の住職をお勤めになっている水上山月江寺の本堂で、18世紀イギリスの高雅な響きが再現されます。
 演奏してくださるのは、私の古くからの友人であり、今や日本を、いや世界を代表するバロック・ヴァイオリニストとなった赤津眞言さんと、比較的最近いろいろとご縁のある若手チェリスト(&ガンビスト)武澤秀平くんです。
 この二人のデュオがこの富士吉田で聴けるなんて!本当に貴重な機会だと思います。
 赤津さんは先月今月と、世界最高のバロック・オーケストラ「ラ・プティット・バンド」の主要メンバーとして来日公演を大成功裡に終えまして、そののちも日本に残り、各地で演奏会や講習会などを開いています。
 たまたまこの15日にスケジュールの空きがあったということで、我が理事長先生の栄誉を祝う演奏会を打診いたしましたところ、二つ返事で快諾してくださいました。ありがたいことです。
 お二人は昨年我が中学でこちらのぜいたくな芸術鑑賞会を催してくださいました。今回もそのご縁があってのことです。本当に縁(グッド・タイミング)というのは不思議で面白い。
 非常に珍しい曲目ばかりですし、私自身も非常に楽しみにしております。
 お近くの方、いや遠くの方もぜひおいでください!


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2011.07.12

斉藤和義 & 吉井和哉 『LOVE & PEACE』

20110713_63108 っこいい!同世代のオヤジとして非常に刺激を受けます。
 今さらながらギターをやろうかな、仕事やめてロッカーになろうかな…なんて言ってたら、カミさんに「似合わない」と言われました(苦笑)。たしかに。
 無類のロック好きだったにも関わらず、中二病発症時にあえてギターを持たず、ヴァイオリンに行っちゃったあたりが、私のダメなところだったのでしょうね。たぶん「似合わない」を自覚していたのかもしれません。
 生まれ変わったら絶対にギターやります。ロックやります。
 それにしても、この写真が表紙に使われている「bridge」の対談、めっちゃ面白いですね。それこそ、同世代の自分が絶対に語れないことを二人とも語っている。悔しいです。ホントは同じこと考えてるのに変な常識や社会的地位に抑圧されている自分にウンザリです。
 なんて、こんなことパブリッシュしている教頭というのもあんまりいないか(笑)。実はけっこうロックしてたりして、自分。
 あの対談、まさに「永遠の中学生」という感じですね。下ネタばっかり(笑)。でも、それって絶対ベースにありますよ。
 志村正彦くんも最後に歌ったイエモンの「FOUR SEASONS」にありますよね。
 
 まず僕は壊す
 退屈な人間はごめんだ
 まるで思春期の少年のように
 いじる喜び覚えたて 胸が騒ぐのさ
 新しい予感 新しい時代…Come on

 男はこれを勇気や闘魂に変えて生きていかねばならないのです。
 今、中学生を教えるに至って、自らの人生をも顧みながら、このことを痛感しています。それこそ中学生に毎日刺激を受けているんでしょうね。自分にとってはとても幸運なことでした。
 さて、今日は社会的な立場から小学校周りの仕事をしました。その中でたまたま吉井和哉さんのゲノムに遭遇したりして、ますますロックな気持ちになりました。ホント私はいろいろなところからいい刺激をいただいています。
 そうそう、斉藤和義さんも吉井和哉さんも山梨にゆかりがあるんですよね。斉藤さんは山梨学院大学に通っていましたし、吉井さんはここ富士山麓に住んでいたこともあります。
 そんな二人が最近妙につるんでいるのは、実は志村正彦くんのおかげでもあります。
 対談でも語られていましたが、二人が急接近したのは、ちょうど1年くらい前のフジファブリック presents フジフジ富士Qがきっかけだったそうです。志村くんが二人の仲を取り持ったということですね。感慨深いなあ。
 あらためてあの日のせっちゃんのアクトを観てみましょうか。「地平線を越えて」です。志村正彦くんの天才ぶりを再確認できる名演ですね。斉藤さんもこの曲にぞっこんだとか。

 この対談のテーマは「LOVE & PEACE」です。もちろん、ジョン・レノンを意識しているわけですね。ロックの精神の根底にはこの「LOVE & PEACE」があり、しかし、そのためには何かを破壊しなければならないというロックの自家撞着がロッカーたちにはあります。
 その矛盾に目をつむらないのがロックな大人だと思いますね。私たち凡人は社会に取り込まれて、そして破壊することを忘れてしまっている。
 それにしても、この二人が偶然、いや必然的に作った「LOVE & PEACE」という歌、ある意味対照的でたまりませんね。
 まず斉藤さんの「LOVE & PEACE」を聴いてみましょうか。

 かっこいい!昭和歌謡のにおいもしまくり。このライヴは総くんは出てないのか。
 続いて吉井和哉さんの「LOVE & PEACE」を聴いてみましょう。

 震災後ということもありますが、吉井さんとしては新しい境地かもしれませんね。でも、やっぱりロックなんだよなあ。なんか悔しいっす(苦笑)。
 さて、最後に皆さんご存知の映像を。斉藤和義さんが自身の名曲「ずっと好きだった」と、その替え歌「ずっとウソだった」を歌ったものです。
 この行動はまさにロックそのもの。賛否両論当たり前。賛辞だけではロックになりえません。私は心から感動しました。私もこのブログではロックしていきたいと思います。賛否両論…Come on!

Amazon 月が昇れば(斉藤和義)

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2011.07.11

見事な反薄明光線(裏後光)

 災から4ヶ月。あらためて亡くなった方を追悼し、原発事故も含め被災され不自由な生活を余儀なくされている方にお見舞いを申し上げます。
 さて、今日11日、5月31日の日暈と環水平アークに続き、珍しい気象現象が観察されましたので紹介しておきます。
 Twitterで先ほど「地震雲」の可能性があるとツイートした写真ですが、正確には「反薄明光線」と言われる現象でした。
 ただ、その正体が分かった上で、いや分かったからこそ、あえて「地震雲」という言葉を使わせていただきます。大気が特殊な状況であるのはたしかであり、いわゆる「地震雲」の発生に関与するメカニズムと重なる部分があるからです。
 まずは写真から見ていただきましょう。西の空から順にどうぞ。

↓日没(19:04)直後の西の空です。
110711_19_12_40

↓北西方向。上の写真から伸びてきています。
110711_19_13_18

↓北の奥にも一筋。これは雲かもしまれせん。
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↓北東にまで伸びてきています。
110711_19_12_56

↓そしてちょうど太陽の反対側東の空。
110711_19_13_11

↓もう一度西の空。
110711_19_15_50

 これは太陽の沈んだ方向に発達した積乱雲があり、その頭が太陽光線をさえぎって影を作っているものです。
 基本太陽光と影なわけですから「直線」になります。そして太陽はほとんど点の光源ですからこれら「直線」は「平行」です。扇型に収束して見えるのは、単に遠近法的な原因です。
 日本のような緯度の平地で、こうして全天に亘る「反薄明光線」が観察されるのは珍しいと思います。
 光線と影がはっきり見えるためには、上空の大気が絶妙なスクリーンにならねばならないからです。
 おそらく今日の空には、いわゆるエアロゾルがちょうどいい具合に滞留していたのだと思われます。日没前までは快晴だと思っていたのですが、実際にはなんらかの粒子がかなり存在していたのでしょう。
 その「なんらかの粒子」が何なのかは分かりません。水蒸気か氷か帯電エアロゾルか塵か。もちろん放射性物質を核としたエアロゾルの可能性もあります。チェルノブイリの例もありますし。
 そう、5月31日のあの日暈と環水平アークの時と似た状況かもしれません。
 それにしてもその日暈や環水平アークや、今回の反薄明光線など、めったに見られない気象現象が多発しているのは、これはあの大地震と関係があるに違いありません。
 一般に、地震雲は大地の割れ目からある種の帯電物質が放出した際に発生すると言われていますので、あの日も今日もそうした天地の状況だったのだと思われます。
 ですから、あえて今日の反薄明光線も「地震雲」と言っておきたいと思います。その方が注意を喚起できると思いますし。
 反薄明光線は「裏後光」とも呼ばれているそうです。もしかすると、亡くなった方々のために仏さまが降臨されたのかもしれませんね。あるいは「天災は忘れた頃にやってくるぞよ」と注意を促してくれたのかもしれません。
 太陽活動起因ではない地磁気の擾乱も起きています。いずれにせよ、今日から10日間くらいは大きい地震に注意が必要だと感じます。

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2011.07.10

IGFプロレスリング 『GENOME16』

 7月10日です。2009年の聖夜に急逝したフジファブリックの志村正彦くんの誕生日。彼が存命なら31歳になっているはずでした。
 昨年の今日、彼のお墓参りを終えた私たち夫婦は、まったく意外なご縁に導かれてこんな夢のような夜を過ごしました。
 (彼からプレゼントをもらう理由はないと言えばないのですが…ずうずうしくも)これは志村くんからのプレゼントだと思っておりました。
 今年もまた私たち夫婦はある場所に出かける前に彼のお墓参りをしました。もうすでにたくさんの方々がお参りをしておられました。皆さんきっと遠くからいらしていたのでしょうね。
 お墓参りを終え、私たちが向かったのは水道橋の東京ドームシティホールです。そして今年も不思議なご縁に導かれて最後はとんでもないことに…。これまた志村くんからのサプライズ・プレゼント!?
 私たちは前回4月のGENOME15に続き、IGFプロレスリングの興行を観に行ったのですが、今回はもう一人一緒に行った人物がおりました。彼は世界的な格闘家です。
 まあ、なんとも不思議な縁ですよ。なんで、よりによってこの方がウチの学校の先生として赴任することになったのか…今日あらためてそのあたりの話をしましたが、やっぱり「不思議な縁」としか言いようがありません。
 その先生はこちらの柔道家。矢嵜雄大…先生というか、私からすると「選手」と呼んだ方がしっくりくるな。
 矢嵜先生も、まさか赴任した学校にこんなプロレス・格闘技マニアがいるとは思わなかったようで、お互いにただただビックリ…というか大喜び!ウチのカミさんも総合系の超マニアックな話で盛り上がれて超ハイテンション(笑)。
 いやあ、本当に不思議ですね。正直私たち夫婦は何かを呼び寄せる変な力があるような…だって、みんな向こうから来ちゃうんですから(笑)。
 で、私と矢嵜先生の一番の共通接点と言えば、やはり今日も出場したIGFの澤田敦士選手でしょう。彼は矢嵜先生の大学時代の後輩にあたります。そして、今日、先輩の前でIGF初勝利を収めました!おめでとう。
 いや、実際のところ、今までは結構澤田選手に関して厳しいことを書いてきました。それをご本人もお読みだったようで…苦笑。しかし、そういう耳の痛いことを言うのも、まあ教育的な愛情に基づくものであります!それが今回は功を奏したということになりましょうか。
 というか、今回の奇跡のお膳立てをしてくれたのは澤田選手だったのです。先輩経由でいろいろ気を遣っていただき、本当にありがとうございました。
 というわけで、今日の大会、とってもいい席で現役格闘家(柔道家)の解説つき観戦という、まあとんでもなくぜいたくな状況となったのであります。ありがたや。
 さて、いつものようにそれぞれの試合について短評を載せ…たいのですが、今、妙に忙しくてすみません。ただ一言言えるのは、私もカミさんも柔道家もけっこう楽しんじゃったということです。基本クラシカルな緊張感と、一寸先はハプニング的な未消化感が良かった。最近のプロレスってかみ合いすぎて、スイングしすぎて、たしかにある種の満足感はあるけれど、どうも型にはまりすぎているという部分もありますからね。
 というわけで、また試合の感想などは改めて。とにかく今はGM兼レフェリーとして大活躍で疲労困憊であったろう宮戸優光さんにMVPを贈呈します。試合中、試合後にも少しお話しましたが、また近いうちにゆっくりと宮戸さんとプロレス談義をしたいと思います。
 ここからは打ち上げで撮った写真を自慢気に並べて終わりにします(笑)。

モンターニャ・シウバ選手。優しい巨神兵。2.27m…でかい!
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藤原組長と。
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タカ・クノウ選手とはもう知り合いなので普通におしゃべり(?)
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ドラゴン藤波辰爾さんとは二度目ですね。
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ついにアントニオ猪木さんと!…感涙…。
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ジョシュ・バーネットはちょっとコンディションが悪そうだったような気が…。
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これはすごいスリー・ショット・ダーッ!ジョシュ・猪木さん・バンナ
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アレクサンダー大塚さんを見つけて。
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澤田敦士選手、火祭り頑張って!!
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明大柔道部先輩後輩コンビ。
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K-1の番長ジェロム・レ・バンナに帽子を取られた!!ww
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 最後に今日の結論。教育は「闘魂」だ!!

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2011.07.09

Anne Murray 『You Needed Me』

 年開校した中学も2年目。中学2年生の面倒を見るようになって、ますます思い出すことがたくさんあります。人生の大変革期、今で言うなら「中二病」の発症時期ですね(笑)。
 私も当時の少年のご多分にもれず洋楽などをたしなみ、ビルボードのヒットチャートをAMラジオを聞きながら記録するなどということをやっておりました。
 そして、お気に入りの曲があればFM雑誌で放送日時を調べてはエアチェック。オープンリールに録りためたものをカセットに落として編集…ははは、時代を感じますな。
 で、そんな中でのお気に入り、まあいろいろあったわけで、たとえばELOなんかについては、このブログでも書いてきましたね。そうしたロック系以外でもけっこう好きだった曲がありまして、この曲なんかもずいぶん繰り返し聴きました。
 これって今の中二の生徒なんかと比べると、かなり大人びていますよね。こんなのオレだけかな(苦笑)。いや、そうじゃなかったと思います。
 このアン・マレーの「辛い別れ」なんか、たぶん自分にも「辛い別れ」があったんでしょうね。かなり思い入れたっぷりに聴いていました。
 でも、今考えると、これって別に別れの曲じゃないですよね。大人になってみるともっと普遍的な意味がありそうな気がしてきます。
 音楽的には、当時はあまり知識がなかったので、どちらかというと単純な曲だと思っていましたが、いろいろ音楽について知ると、これがまたシンプルなようで、けっこう職人技で作られた「よくできた曲」であることが分かりますね。
 音楽の楽しみの一つは、こうして自分の歳によって聴こえ方、読み方が変わってくることでしょう。
 ビルボードで1位を獲得したこの曲。日本でも向田邦子ドラマのテーマソングになったりして、比較的知られている曲かもしれません。
 世界的にも何度かカバーされているスタンダード・ナンバーの一つと言えそうです。
 それでは、いくつかの動画をご覧下さい。アン・マレーという人、私はこの曲以外ほとんど知らないのですが、カントリー畑ではかなりの実力者なのですね。

アン・マレーのオリジナル・ヴァージョン(歌詞付き)

アン・マレーのライヴ・ヴァージョン

Boyzoneによるカバー・ヴァージョン

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2011.07.08

『改訂版 これから起こる原発事故~原発問題の専門家から警告』 (宝島社)

51jhutu5pbl_sl500_ 2007年に出たこの本。まさかこの本の内容に匹敵することが、その数年後に現実化するとは、いったい誰が想像したことでしょう。
 私もその一人でした。この本を読んでもどこか、「まあ自分が生きてる内にはないだろうな」と漠然と思っていたのですから。
 私は教室の中で比較的こうした話をよくする教師でした。卒業生の中には、私が「地震」「噴火」の話ばかりしていたと記憶している者がたくさんいることでしょう。あと若い時は「霊」の話ね(笑)。
 しかし、そうしたクライシスを語っていても、それはどこか「ネタ」的な部分がありましたね。そういう話、生徒は集中して聞きますから。
 一方でそういう話をいつもしていると「ウソつき!」とも言われることになります。そんなに頻繁にそれらは起きないからです。だから「はったり教師」とか言われてきたわけですよ(笑)。
 それがこの3月からは多少評価が変わったところがあります。「ホントに起きたね」とか「先生の言うことはウソっぽいけどホントなんだね」とか。
 そう、この私と生徒の関係が世の中の縮図でもあるわけです。
 この本で多くのするどいシミュレーションを提示している小出裕章京都大学助教授なんか、まさにそういう扱いをされてきた人です。今や時の人、飛ぶ鳥を落とす勢いの小出さんは、ずっとずっと正しいことを言いながらも辛酸を舐めてきた方です。
 まさに臥薪嘗胆だったと思います。皮肉なことですが、小出さんが生きている内にこのような悲劇が起きて、それが報われてしまいました。
 皆さん、この本のAmazonレビューをぜひご覧ください。彼が「原発推進派」の人たちからどのように中傷され、活動を妨害されてきたかがはっきり分かります。「狼少年」ですからね(苦笑)。
 こちらのレビューです。
 このレビュアー「 菅谷梨沙子 "地球と自然を守りたい"」さんは、いったいどんな立場の方なのでしょう。「地球と自然を守りたい」とはまさに噴飯ものであります。まさか原発が温暖化防止に役立つと思っているのでしょうか。二酸化炭素は出さなくとも放射性物質を出す原発で地球と自然を守ろうとしていたのでしょうか。
 このレビューに対する最近のコメントにもあるとおり、結局「宝くじ1等」が当たったということですね(苦笑)。
 まあ、私もこうして強気で記事が書けるようになったのは、まさにあの日があったからこそであり、それまでは、小出さんほどの「本気」の危機感は抱いていなかったのも事実です。だからあんまり偉そうなことは言えません。
 それどころか、日本の教育界、つまり学校では、いわゆる「原子力教育」というものが行われてきました。そこでは基本的に「菅谷梨沙子 "地球と自然を守りたい"」さんと同じようなことが教えられてきたわけです。
 私の小学校以来の天敵(怨敵)向山洋一氏なんかも堂々と「原子力教育」をしてきた人物です。彼は「違う」と言うかもしれませんが、彼主宰の「エネルギー教育全国協議会」は文部科学省の「原子力教育」に基づいていることは間違いありません。
 「原子力」とは、実際には「核力」です。「nuclear power」は「原子力」ではありません。「nuclear bomb」は「核爆弾」です。
 唯一の「核爆弾被爆国」であって、今は「非核国」であるはずの日本が、なぜ今再び被爆(被曝)してしまったのか。その根底に、「原子力」という造語による洗脳教育があったのは否めません。我々教師の責任も重大なのです。

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2011.07.07

ストレステスト!?

Photo 「本の国土面積は世界の0.07%だが、ここに世界の全火山の7%があり、ここで全地震の10%が起きている。そして、ここに世界の原発の13%がある」
 私が何気なくつぶやいたこのフレーズが、リツイートを重ねて今日本中に拡散されています。こういうTwitter的体験は初めてなので、ますます言葉の重さ、責任の重さというのを感じています。ある意味恐ろしささえ感じます。
 言葉は情報であり「コト」ですから、永遠に消えません。放射線よりもタチが悪いとも言えますね。
 まあ、私の発言は一般人の独言として処理されるべきものですが、この発言はそういうわけにはいきませんよね。

 「再稼働の是非を判断するため全原発でストレステストを行なう」

 一国の首相や大臣や担当委員長の言葉です。信じられません。
 これはあらゆる意味でナンセンスな言葉です。まず、こういう実体の伴わない「カタカナ語」を使っている時点で「意味」がありません。ま、考えてみれば、我々は同様の「マニフェスト」なの造語にだまされたわけですけれど。
 一般に「ストレステスト」というと、金融機関などに対する、「想定外」「常識外」に誇張された数値によるシミュレーションのことを言います。経験的に「こりゃ、さすがにあり得ないな」という極度の恐慌状態などを想定して、コンピューターに数値を入力して行なう試験です。
 これはたとえば、銀行や証券会社の経営の健全性を確かめるには有効なテストです。なぜなら、「カネ」の出来事は人間による「コト」世界(概念世界)ですから、ある程度それをコントロールできるからです。
 しかし、いわゆる製品の「耐久試験」には違った側面があります。それは、相手が「自然」という「モノ」だということです。
 自動車の「ストレステスト」は、たとえば何十万キロ連続走行とか、衝突試験とか、ブレーキの1系統が壊れた際のシミュレーションだとか、そういうテストが行われますね。命に関わることですから当然です。
 ここでシミュレーションの対象となるのは「自然」現象がほとんど(人為的なミスも結果としてはそこから生じる物理現象)ですが、あくまでもその「自然」は「常識内」「経験内」で想定されます。
 しかし、皆さん思い出してください。あの大津波で自動車がどうなったか。そう、まるでおもちゃのように流されてしまいましたよね。ただ、それは自動車会社としては責任を負うべき次元ではありません。ストレステストのストレスの領域を超えているからです。
201107079229471n では、原子力発電所に対する「ストレステスト」はどのようにどこまでやればよいのでしょうか。実はそこにナンセンスの理由があるのです。
 今から政府が行なおうとしているのは、ヨーロッパの基準による「ストレステスト」だそうです。欧州流のストレステストが具体的にどういうものか私は知りませんが、間違いなく言えるのは、その中心となるのがコンピューターによるシミュレーションだということです。
 金融機関に対する、つまり「コト」世界に対するストレステストはコンピューター・シミュレーションでけっこうです。しかし、自動車や家電製品のような「モノ」世界では、必ずコンピューター・シミュレーションのほかに実際の製品を使って試験が行われますよね。
 はたして原発でそのような実際の製品を使って、そして想定される(経験した)最大値を超えるテストができるでしょうか。つまり、浜岡原発を震度7で揺すって、そして25メートル級の津波に襲わせることができるかということです。
 それ以前に、冒頭に載せた私の言葉を思い出してください。日本はそういう特殊な国なのです。ヨーロッパとはあまりに「自然」環境が違います。それなのに、欧州基準でテストして、なんの意味があるのでしょうか。まったくナンセンスとしか言いようがありません。
 こんな子どもだましで、かたや延命を図り、かたや原発再稼働を目論む。いいかげん国民をバカにするのもやめてもらいたいですし、国民もバカにされっぱなしにならないでもらいたいと思います。 
 今、日本は本当にピンチに陥っています。天災よりも複合的な人災によってです。恐ろしいことです。
 今本当にストレステストを課してその欠陥を暴露すべきは、首相自身であり、大臣であり、政府であり、政党であり、経済産業省であり、各種利権集団ではないのでしょうか。


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2011.07.06

『かわいい!かっこいい!美しい! 動物折り紙BOOK』 笠原邦彦 (朝日出版社)

Book 我が家ではちょっとした折り紙ブームです。
 私、以前こちらの記事に書きましたように、少年時代かなりの折り紙マニアでした。幼稚園の時からオリジナルな作品を考案して折り図とか書いてましたから(汗)。外で遊ばないで折り紙ばっかりやってた。もうその頃から男子の草食化が進んでいたのか。あるいはワタクシのオタク化が進んでいたのか(笑)。
 で、最近娘たちがようやく笠原折り紙の世界に目覚め始めまして、ワタクシもずいぶんと久しぶりに(40年ぶり!)にそれらを復習するようになりました。
 うん、やっぱり大人になってからだと、また違った世界が見えてくる。面白い。
 笠原先生は今でも旺盛に新たな作品や分野に挑戦し続けています。ユニットや長方形折り紙など新しい世界を開拓しています。しかし、それでもやっぱりそれぞれの作品は「笠原流」なんですよね。
 私はその根本的なデザインセンスが好きなんです。創作折り紙って最終的にはデザイナーとしての仕事が一番大事だと思います。デフォルメし省略し、それこそ「モノマネ」的なアナロジー世界を構築するわけじゃないですか。1枚の紙、基本直線のみという制約の中での究極の「らしさ」を表現しなければならないのです。
 その最後の(いや、最初の?)匙加減こそ、笠原流の醍醐味です。
 そして、その最近作がこの本。これは実にバランスがいいですね。笠原流を継承しつつ、新たな領域も加味され、そして子どもに適度な難易度であり、大人にとっても達成感と発見のある作品が並んでいます。
 40年前の、あの名作を彷彿とさせるものもたくさんありますし、時代の流れとでも言いましょうか、あの頃は「パンダ」という動物は日本では認知されていませんでしたからね、作品としてパンダやレッサーパンダはありませんでした。そして当然この近作にはそれらがあります。
110707_9_41_35 とりあえず一つ作ってみました。マンモスです。これもなかなか折り甲斐のある作品でしたね。慣れないと子どもにはけっこうキツイかもしれません。いや、ちょうどいいチャレンジ・レベルでしょうか。
 我が中学校の総合的な学習の時間、2学期は折り紙をやってみようかと思っています。真の国際化のための自国文化理解・体験、「自分を知ることは世界を知ること」がモットーですから、この素晴らしい伝統文化、そしてニュー・カルチャーとしての折り紙を子どもたちに体験させることは意味のあることでしょう。
 それにしても最近本業で「昔とった杵柄」がやたらと役に立ってますな。というか、ほとんど自分の趣味で学校を運営してるでしょ!っていう声が聞こえてきそうです(笑)。
 
オマケ…Twitterに載せた笠原作品を三つほど。

  『おりがみ せかいのとり』より、スズメとカラス

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 『コピー用紙で折る―「白のおりがみ」で、名人技にチャレンジ! 』より、クジャクバト。

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2011.07.05

和歌山県北部で震度5強

Photo 宅してすぐに和歌山県北部を震源とした最大震度5強の地震発生。なんか久々なような気がします。NHKのニュースの最中に緊急地震速報の「G-C-E-B♭-E♭→G#-C#-E#-B-E」聞くのは。
 中央構造線ということでいえば、松本のあたりも中央構造線と糸魚川静岡構造線の交差点ですね。また、千葉の北東部も中央構造線の東端です。それら和歌山と松本、そして千葉(茨城)の地震が全く関係がないかというとそうとも言えません。
 つまり、私としては、それらの地震は東北地方太平洋沖地震が引き起こした誘発地震であると考えているということです。
 6月23日の「今後の地震活動について」という記事に書いたとおり、東日本での大きな動きから生じた日本中央部のストレスを、スポンジ状のフォッサマグナが吸収してきたわけですが、いよいよそれが限界に達し、中部や西日本でも大きめの地震が発生するようになってきました。
 構造線自体は巨大な活断層とも言えます。しかし、そのスケールがあまりに大きいために、一度に全部が動いたりすることはありません。ただ、枝分かれした細かい断層や破断しやすい弱い部分は無数にあります。
 それらの一部が千葉や長野や和歌山で動いたということだと思います。それらは地表にまで顔を出しているわけですから、どうしても震源の浅い地震となるので、マグニチュードのわりに揺れが大きくなります。だいたいマグニチュードと震度が一致するくらいでしょうかね。
 ですから、それぞれの箇所で想定される最大規模M7が発生すれば、震度も自動的に7になるということになりますから、注意が必要です。昨日のようにほぼ同じ震源でM5.4と4.4が連続して起きて、震度5と4を記録するというのは幸運なことです。分散発震してくれたわけですから。
 大きな地震が発生するには、もちろん大地も大きく動かねばなりません。あのような固い大地が大きく広い範囲で動くのには、多くの条件をクリアしなければなりません。そういう意味で、実はM6以上の地震1回が発生するよりも、同じところで連続してM4が発生する確率の方が高くなります。全体が一度に動くには様々な抵抗がありすぎて、結局一部分だけがとりあえず動くという場合が多いわけです。
 特に内陸ではそういうことが言えるようですから、たとえばあの阪神淡路大震災を招いた大地震は特殊なケースだったと言えるかもしれません。
 気象庁によれば、今日の和歌山の地震は、東南海地震、南海地震とは直接関係がないとのことですけれども、3月15日の富士山直下の地震と東海地震の関係と同様、巨視的に考えるなら全く無関係とは言えません。
 以前書いたように、私は今回の東北地方での大地震によって、東海地震の発生確率は下がり、東南海と南海は上がったと見立てしています。よく体感で地震予知をされる方がおっしゃるように、人間の体と日本列島、いや地球とは有機的な関係があるようです。私が地震の見立てをする時にも、まるでお医者さんのような感じでとらえるんですよね。
 まあある意味では、自然と会話するといいますかね、そういう非科学的な感性ってとても大切だと思うんです。
 いや、私も右肩が五十肩になったら、それが腰にまで影響して、そのうち左の肩まで痛くなってきたりする。地球も生き物ですから、そういうことってあると思います。
 あまり局所的な診断に偏ると、それこそ痛い目にあいます。気をつけましょう。
 

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2011.07.04

道志村(冥界)で蛍狩り

記事の下の方に動画があります↓
Vlcsnap2011070508h14m14s136 狩りに行ってきました。
 山梨県の東端、神奈川との県境にある道志村でホタルがたくさん出ているという情報を聞きつけ、家族で出かけました。
 今日は風が強かったですね。強風のため富士山の東側に発生した巨大な吊るし雲の下、山中湖を通って山伏峠を越え、途中少し雨に降られながら道志村に入りました。
 道志村に着いたはいいが、いったいどこが蛍ポイントなのかさっぱり分からず、どんどん道志川に沿って下っていってしまいました。
 とりあえず誰かに聞こうということになりまして、村の温泉施設「道志の湯」へ。受付のおっちゃんに聞くと、「この近くにも出るけんど、今日は風が強いからいねえよ」とのこと。
 まあ、これだけ風が強ければしかたない。じゃあ、せっかく来たからお風呂には入っていこうということになり、期せずして湯治をすることになりました。そう、私、4月から四十肩、いや五十肩が痛くてしかたなかったのです。
 閉館時間間近ということもあって、数人の地元の方以外はおらず、一人でゆっくり露天風呂を独占。おかげで腕の可動範囲もかなり大きくなりました。
 ひとしきり旅気分を味わって、じゃあ帰ろうかと車に乗り込もうとしたその時、小3の下の娘が暗闇の中誰かに話しかけられました。
 うわっ妖怪だ!(失礼)というような風情の地元のおじいさんです。妖怪の特殊能力なのでしょうか、ウチの家族が蛍を観に来たということがなぜかバレていて(笑)、娘に「おい、蛍見たいか。じゃあ秘密の場所を教えてやる」というようなことを言っています。
 なぜ下の娘が選ばれたかというと、たぶん、彼女がザシキワラシ風だからでしょう。妖怪通信といったところです。
 で、車に乗り込んできた娘に聞くと、なんでもこの道の先、山の中に蛍スポットがあるとのこと。
 そこで、その妖怪通信の記憶をもとに車を走らせましたら、あらら、なんだかどんどん山の中に入っていくぞ。そこら中でがけ崩れが起きている細い林道になってしまいました。
 どう考えてもこんな山の中には蛍はいないだろう。そして、今、活発な道志断層が動いたら、我々の軽自動車は確実に岩の下でペチャンコだな。などと夫婦で話していたら、娘たちはすっかり怖がってしまい、「もう帰ろうよ」と泣きべそをかきはじめてしまいました。
 やはり妖怪にだまされたのか…いや、言われるがままに行くと、そこは蛍の乱舞する冥界なのではないか…。
 怖い物知らずで無鉄砲な私たち夫婦もさすがに危険を感じUターンすることとしました。
 半ばあきらめて山を下っていると、先ほど登ってきた時には気づかなかった横道があるあるではないですか。
 もしかしてこっちかも!?と私がハンドルを切ると、娘達は更なる暗闇に恐れをなし、「もうホントにやめよう。帰ろう」と叫びはじめました。
 しかし、父と母は、せっかくたたまで来たのだし、ダメ元でとりあえず行ってみようと、持ち前の「踏出力」を取り戻し、娘の哀願を無視してズンズン山道を登っていってしまいました。
 しばらく行くと、行き止まりになりました。ああ、やっぱり今日は無理かと思いつつ、私は車を降りて目の前の漆黒をただ見つめるだけ。
 さすがに観念か。まあタヌキにでも化かされたと思って帰ろうとしたその瞬間、黒々とした私の視界に、ふわっと青白い光が舞い込んだのです。
 「蛍だ!」
 私たち家族は、そのたった一匹の蛍を追いかけ始めました。娘たちも、もうその時には、先ほどの恐怖は忘れてしまっています。
 私たちが、そのたった一つのともしびに導かれて歩んだその先には…。
 数百匹の蛍が森の中をふわふわと明滅している。決して乱舞ではありません。音もなくついたり消えたり、止まったり動いたり、全体としても強く弱く波打ちしながら、たしかな調べを奏でているのでした。
 ここで一首(実は昨年作ったものですか)。

 


                                                                                                          
 静寂にアルペッジオの消ゆるごと
       蛍の群れの闇に溶け入る

 
 
 

 いやあ、あの老爺は何者だったのか。ホンモノの妖怪だったのではないか…。
 夢心地で家に帰り、地図を広げてみたのですが、そんな脇道は載っていませんでした。あそこは本当に冥界だったのかもしれません。
 しかし、冥界でもデジタル機器は作動いたしました(笑)。ちゃんと冷静に感度を上げて、その冥界の蛍を動画でおさめてきましたよ。フラッシュにしてみましたので、ぜひご覧下さい。

ほたるの動画


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2011.07.03

『シリーズ原発危機 第2回 広がる放射能汚染』 (NHKスペシャル)

20110704_62754 島第一原発周辺の放射線量に関して、衝撃的な数値が紹介されていました。これは異常事態です。福島県に関しては緊急事態宣言を出して、強制的に退去を迫る必要があるでしょう。
 福島の方にお聞きすると、生きていくために結局普通に生活するしかないし、福島を離れることが許されない雰囲気があるとのこと。これはもう、国家権力によって強制的に国民を守るしかありませんね。
 なんとなくうやむやなまま被曝を続けることは大変に危険です。原発は今も放射性物質を出し続けているのです。
 あの原爆は一瞬の放射でしたから、数日後には残留放射線も急激に減少し、人体への影響はほとんどない程度にまでなっていました。
 この原発事故は事情が違います。そして、今後さらなる放射性物質が漏れ出す可能性が非常に大きいと言わざるをえません。
 私が権力者だったら、いかなる万難にも優先して疎開をさせますね。特に子どもたちは。
 ちなみに日本の原発がこれまでに生み出したセシウム137の量は広島型原爆100万発分です…。
 ところで、1ヶ月前に購入し使用しはじめたRADSticker(放射線測定ステッカー)、色が変化しないことを前提に「安心」のために買ったはずでしたが、たった1ヶ月で微妙に色づいてきました(苦笑)。目算では累積1mSvくらいですかね。まあ、ここ富士山は自然放射線の強い高地ですから、ある程度は覚悟していましたが。
 予想より倍くらい被曝しているようですね。これはやっぱり福島第一原発の事故の影響でしょう。
110704_7_12_13 今日のNスペでもシミュレーションされていたように、3月15日に大量の放射性物質が関東から中部にかけてばらまかれました。
 そのシミュレーションを見ると、その日、やはり富士山は大きな障害物として存在していたようです。東から移動してきたプルームは富士山の東斜面にぶつかり(上昇気流に乗り)、数時間淀んだ状態になっています。
 結果として富士山東麓や北東麓、南東麓にはやや多くの放射性物質が滞留しているものと思われます。もちろん、いわゆるホットスポットといわれる地域ほどではありませんが。
 私の放射線に関する考え方は上の記事に書いた通りです。放射線の影響は「気持ち」次第だと考えていますから、この程度の放射線は浴びた方が健康にいいと開き直っています(あくまで個人的な価値観です)。
 発ガン性に関して言えば、タバコや食品添加物、農薬などの方が怖いですし、実際確率論的に「被曝」量も多いでしょう。
 その他命の危険ということで言えば、交通事故や他の疾患などの方がずっと確率が高いですし、放射線だけを恐れるのはどうかと思います。
 今回の人工放射線に関しては、私たち日本国民のほとんどは、そこから選択的には逃げられません。だからこそ、必要以上に心配するのではなく、冷静に、そしてある程度は楽観的に対処するべきだと考えます。
 しかし、福島の現状は次元が違います。あそこで生活することを選択すべきではありません。権力者の皆さんの正しい権力発動を望みます。

Amazon RADSticker

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2011.07.02

『フジタイムG10モア(リンゴ酢)』 (富士薬品)

20110703_100329 やあ暑いですねえ…なんて、ここ富士山でそんなこと言ったら怒られちゃいますね。正直夜は寒いです。
 ま、それでもやっぱり温暖化でしょうかね。このあたりは真夏でも最高気温が30℃行くことはなかったのが、最近では普通に超えるようになりました。
 特に今年は電力危機ということで、職場でも冷房はなるべく入れないようにしてますから、けっこうこたえます。
 一日一食かつ普段あまり水分も取らない私が、どうやって暑い夏を乗り越えるかと言いますと、いくつかの健康食品(医薬品)のお世話になっております。
 以前紹介したニンニクエキスキヨーレオピンも夏の必須アイテムですね。これは効きます。効いてるような気がします。
 そして、水分の補給としては、昨年からこちらのリンゴ酢を愛飲しているのです。
 変なジュースとかビールをガボガボ飲むんだったら、これをガブガブ飲んだ方がずっといいと思いますよ。
 いくつかのリンゴ酢を飲んでみましたけれど、飲みやすさやコストパフォーマンスの点で圧倒的にずば抜けているのが、この富士薬品の「フジタイム」ですね。
 なんと言ってもおいしい。酢というとすっぱいイメージがありますが、実に上手にそのすっぱさをコントロールしてあります。もちろん適度にすっぱい(酢っぽい)けれども、口や鼻に残るような感じではなく、リンゴの独特の甘酸っぱさと相まって、正直「おいしい」と思えます。
110703_10_11_26_hdr そうそう、これって希釈して飲むわけですけれど、私は10倍でちょうどいい感じですね。無料の希釈用ポットが付いてくるので、目盛りに従って原液を入れ、富士山の水で割って冷蔵庫に入れておけば、いつでも冷たくておいしいリンゴ酢を飲むことができます。
 2010年のモンドセレクションで金賞をとったとのこと。このモンドセレクションというヤツは、昔から不思議な謎の賞ではありますが、ま、とりあえずまずいものはもらえなさそうですから、それなりにおいしいということですよ。
 なんでも2011年ヴァージョンは、今までのリンゴ酢、クエン酸、ローヤルゼリー、ギャバなどに加え、ヒアルロン酸も配合されたとのこと。はたしてその効果がどの程度あるのか、これまた謎ではありますが、まあ健康に悪いことはないでしょう。
 10倍に希釈すれば、18リットル飲める計算になりますから、1杯200ccとして90杯分ですか。1杯40円程度ということですから、けっこう経済的ですよね。
 今までは夕食の時とか、ついついお酒類をがぶ飲みしてしまう傾向があったのですが、リンゴ酢を飲み始めたらお酒の量も減りました。酢って醸造液ですから、案外酒の代用になるんですよ。
 ぜひ、皆さんも一度試してみて下さい。好き嫌いはあると思います。ちなみに私以外の家族はあんまり好きではないみたい。

楽天 2011年モンドセレクション金賞受賞!楽天ランキングNO.1のりんご酢!ヒアルロン酸をプラスしました

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2011.07.01

『~ものまねグランプリ特別編~ コロッケVS青木隆治 珠玉のものまねベスト10』 金曜スーパープライム(日本テレビ)

0000033 れまた一昨日、昨日の続き。禅→数学→ものまね。
 今日たまたまテレビをつけたらやってました。「コロッケ vs 青木隆治」。ものすごく面白かった。
 青木隆治さんに関しては、やっぱり美空ひばりの真似がいいですね。ほかのもそこそこ上手いというか、とっても上手いんですけど、なんというか、彼って超正統派じゃないですか。コロッケさんはデフォルメとネタで勝負ですから、ある意味邪道とも言えないこともない。
 しかし、「モノマネ」の面白いところは、単なる「声帯模写」や「形態模写」じゃないというところなんですね。
 この前俳優の上杉祥三さんとも話したんですけど、結局役者って全て「物真似」なわけですよ。もちろん、それは観阿弥・世阿弥流の「物学」ですよ。
 それを私は「モノを招く」と解釈しているわけです。つまり、「モノ=他者=外界=自然=霊」を自らの器に招くのです。招霊、憑依と言ってもいいかもしれません。自分が「ミーディアム(メディア)」になるわけです。
 で、たとえば今日の対決では、ワタクシ的には完全にコロッケさんの勝ちに見えるわけです。あの大げさで「やりすぎ」な方が、より本人らしい。逆に青木さんがコピー的精度を高めれば高めるほど、本物との違いの方が際立ってしまうというジレンマに陥ってしまう。
 これは実に面白いことだと思って観ていました。

 「他人の方が本人よりも本人らしい」

 不思議ですよね。しかし、ちょっと考えを変えて、一昨日の「禅」やら昨日の「数学」についての考察を思い出し、その本質を援用してみると、面白い真実に到達できるんですよ。
 それはこういうことです。

 「本人は自分へのこだわりがあるために自分自身になりきれない」

 お分かりになりますか?
 私たちは、他者(社会)によって作られたイメージに縛られて「自分」を演じています。たとえば、私だったら、中学の教頭先生という社会的なレッテルとイメージの中で自分を演じています。これは社会が規定した「コト」を憑依させているとも言えます。
Images もし、そうした無数の「コト」が自分から全てはがれ落ちたら、いったい自分はどういう自分になるのでしょうか。皆さん想像してみてください。「先生らしい」とか「男らしい」とか「日本人らしい」とか「父親らしい」とか、そういう「コト」を全部捨てるのです。
 これは、ある意味では「禅」的な境地とも言えますね。そして、唯一の「コト」として「数の法則」を残して、あとは全て捨ててしまうのが「数学」的境地です。
 そうして、なるべく裸になったところには「モノ」が残るわけですよ。それを一昨日、昨日と書いてきました。
 で、「物真似」って、その「モノ」の部分を「マネく」わけですから、より本人の本質的な部分が強調されることになるわけじゃないですか。その一つの形がコロッケさんの芸だと思うんです。
 だから、ご本人もたいがい喜ぶ。面白がる。本当はここまでやりたいけれど、いろいろな「コト」によって縛られてはっちゃけられない自分といつも一緒にいるからです。
 そういう意味で、昔からいるイタコや霊媒師や審神なんかの役割と、物真似芸人さんの役割って、案外近いんじゃないかとも思うわけです。けっこう、カウンセリングなんかにも使えるかもしれませんね。本当の自分と出会う…。
 というわけで、自分の物真似ができる人ってあんまりいないと思うんです。自分なんてマネしなくても自分じゃん!?と言われそうですが、上述した意味において、「本当の自分」を真似できる方いらっしゃいますか?
 天才アーティストとかスポーツ選手とかって、それができるのかもしれませんね。それはそれで辛いかも。
 そして、「ものまねグランプリ」が終わってすぐに「もののけ姫」が始まりました。「もののけ姫」について語り出すとキリがないのでこのへんで終わり。


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