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2011.06.08

原発という麻薬

20110609_65903 「んぱつ あっかんべー!!」女川に立つ看板です。「止めよう原発!子どもたちの未来のために」…こういう当たり前な発想や意見が、なぜこの村では通用しなかったのか。女川だけでなく全国の小さな漁村が「原発村」に変わることを決意し、実際にそうなってしまったのはなぜか。
 そして、その「原発村」が実際に動き出し、実際に危険と隣り合わせになったにもかかわらず、その「危険」を意識しないかのように、1号機、2号機、3号機…とどんどんと「危険」が増殖していったのはなぜなのでしょうか。
 私たちのほとんど、すなわち「原発村」以外の住人は、福島第一原発の事故があって初めて声高に「原発反対」を叫び始めました。それ自体はたしかに私たちの当然の権利であり、正しい行動だと思いますが、しかし、こうしたコトが起こる以前にそうした発想というか感覚というものが停止してしまっていたのはたしかです。
 ある意味自分には関係ない。危険は自分には及ばないだろうし、結果としての「電力」を今までどおり、あるいは今まで以上に享受できればいいという程度の「無意識」しかなかったと思います。少なくとも私はそうでした。
 そうした日常の裏側で原発村では実はずっと「非日常」が日常化していたのです。
 その構造はまさに「麻薬」。危険だと分かっていたのだが、ある悩みから解放されたくてついつい手を出してしまった。そして、始めたら止まらない。後戻りできない。薬が切れると焦燥する。薬が切れることを恐怖する。そして次第に依存が深まり、薬の量が増えてくる。
 そうした構造を食い物にして稼ぎ続けていた、いわば暴力団のような存在が、政官財各界にたくさんいたわけです。おそろしいことですね。そしてこの期に及んでなお彼らは自らの延命を図っています。大連立なんていうのもそのための大義名分にすぎません。
 そのような「原子村」の現実を知るのに最適な文章がネット上に公開されましたので、今日はそれを読んでいただこうと思います。
 これはニューヨーク・タイムズの記事です。こうした内容が国内のメディアではなく海外のメディアから発信されるというのもまたなんとも皮肉なことですね。
 ではじっくりお読みください。

原発依存を助長する日本の文化


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