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2011.06.29

『食う寝る坐る 永平寺修行記』 野々村馨 (新潮文庫)

20110630_71157 400ページ一気に読んでしまいました。こういうのを面白いと言ってしまっていいのかは微妙なところですが、正直面白かったなあ。
 この本は何ヶ月か前にある人にすすめられて購入したのものです。先週、向嶽寺でプチ修行体験をしたのを機に読んでみたら、まあ面白いこと面白いこと。
 そのある人とは、まさに永平寺で修行した人です。教え子です。
 彼は、高校時代はまあとんでもないダメ生徒でした(笑)。登校するのも一苦労、学校に来ても瞑想(睡眠)するばかり。そのくせ、悪さは人並みにしたりして…。
 ま、曹洞宗の寺の長男ということで、ある意味生まれた時から自分の人生が設計されているという不条理に対する彼なりの抵抗だったのでしょうね。
 で、彼が数年間にわたる永平寺での修行から帰ってきまして、比較的最近呑んだんですよ。その時の彼の話がめちゃくちゃ面白かった。非常に興味深いリアルな修行の話を聞くことができたのです。
 そして、この本がそれこそものすごくリアルなので先生ぜひ読んでみて、とおススメされたわけです。それですぐに買ったと。
 しかし、すぐに買ったけれど、すぐには読まなかった。そう、最近読書のタイミングの勘がさえてるんですよね。これは今ではなく、もう少し寝かせておこうという勘が働く。
 今回もその勘が当たりまして、購入後、修行専門道場での座禅体験の話が舞い込んできた。非常に幸運でした。
 道場での雲水さんの生活については、たとえば映画ファンシイ・ダンスを観たり、学校行事で真似事をしたり、それからお坊さんの知り合いや教え子(けっこういる)からいろいろ聞いたりして、ほんの少しだけれども一般の人たちよりは知っていたつもりでした。
 ただ、それは非常に表面的なことで、一番大切な部分、「蘊奥」たる部分、すなわち雲水さんの「心の変化」はなかなか分からなかったわけです。
 そのヒントが教え子の言葉と、そしてこの前のプチ道場体験と、この本の中にあったような気がします。
 すなわち「発心」。正確にいうと「発阿耨多羅三藐三菩提心」ですね。その本質までは当然分からないけれども、それが生じるための「修行」という完成されたシステム、スタイルはなんとなく理解できたような気がする。
 徹底的に形式にこだわり、ある種の暴力性をもって、自己を滅していくそのプロセスは、実体験するのは大変ですから正直イヤですけど、こうして疑似体験するのは実に楽しいし、すっと腑に落ちるものがあるんですよね。
 私の得意の言い方をすれば「コトを窮めてモノに至る」こそが「修行」であるということです。
 徹底的に細部にこだわり、伝統というある種の「無意味」「不条理」を真似し、たとえば雑巾という他者になりきることによって、見えてくる「世界」「宇宙」そして「自己」。
 お釈迦様は、たしかに究極の方法を思いつきましたね。すごいことです。
 教え子の彼はこう言いました。「もうイヤでイヤでしかたなかった。逃げたくてしかたない毎日、いや瞬間の連続だった。でも、ある時、急に悔しくなった。それが発心というものだったのかも」…ううむ、こういう境地に至ったというだけでも、弟子は師を超えている…。
 彼の話にも、この本の話にも当然でてくる肉体的な苦痛…それはシャバでは「暴力」「体罰」と言われる…にも、何百年、何万人もの言葉や論理を超えた「体感」がこもっているのです。それはとんでもなく尊い「感覚」だと思います。
 こういう時代、こういう社会だからこそ、実はこういう修行道場のような世界が残っていることに、安心すらします。
 私はとてもとても何年もあの生活を続けられそうにありませんが、たまに「禅」の風に触れてはいきたいと思っています。ま、ずるいですよね。野狐禅にもなってやしない。
 でもせめて、今日もこの暑さの中、様々な不条理に耐えつつ修行に励んでおられる全国の雲水さんたちを応援していきたいとは思っています。そして実はちょっとうらやましい。私も仏の弟子になりたいな。楽してなれる裏口とかありませんかね?w
 

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コメント

ごぶさたしております!
遂に 富士吉田駅が「富士山駅」になってしまいますね~。
だめなんですかね~。
富士吉田駅じゃ・・・。
さて、ワタシも富士山の麓の巨大宗教施設の近くで育ち
母はそこで売店を経営している、という環境で育っているので
「お寺」
は身近な存在だったように思います。
高校時代にめぐり合った「ファンシイダンス」
何度も何度も見ました!
所作が美しいんですよね。
かとおもえば、下界に下りてお酒を(爆)
出演者(モックン・・・年齢がばれる!、鈴木保奈美、竹中直人、田口浩正・・・)
音楽(プリプリの「恋に落ちたら」は傑作です。スカパラの「若者たち」・・・でしたっけ?)
どれもすばらしい~。
いまだに、一番好きな映画です。
修行体験を専門学校入学時にしましたが、いちばん辛かったのは「私語一切禁止」でしたね~。

長文失礼いたしました!

投稿: sao | 2011.06.30 23:08

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