『人はなぜ数学が嫌いになるのか−好きと嫌いは紙一重』 芳沢光雄 (PHPサイエンス・ワールド新書)
これは昨日の続きです。禅と数学、とっても似ています。
これまたずいぶん前に数学の先生からお借りしておりまして、一度通読して面白いなと思ったにもかかわらず、記事にするのはなぜか躊躇しておりました。やっぱりタイミングを読んでいたんでしょう。変な能力だな(笑)。
というわけで、このタイミングでのこの本の価値とは…。
まず、先ほど書いた「自己を滅却する」という禅的な意味における数学世界。
昨日書いたように、禅の修行では「コトを窮めてモノに至る」という方法をとります。つまり、微細な作法という「コト」世界を窮めていって、最終的に自己への執着を捨て、全体を客観的にとらえることを目指しています(たぶん)。
数学の世界も完全に客観ですよね。徹底的にというか、完全に主観を排したところにしか存在し得ない世界です。そして、おそらく数学の究極の目的も、宇宙という全体の把握だと思います(たぶん)。
その点で両者は非常に似ていると思うわけです。ただ道筋が違う。具体的な方法が違う。
具体的には違いますが、しかし、モノ・コト論的には全く同じとも言えます。「作法」や「伝統」や「教典」というのは、人間の脳内で創られた「コト」世界です。一方、数や式という「記号」もまた脳内の約束事、すなわち「コト」世界ですから。
寸分ぶれない「コト」世界を目指すうちに、「モノ」という全体に至ってしまうところが面白いわけですし、それが人間の本能を刺激して、それで数学を中心とした学問の世界や宗教の世界というのは、私たちを魅了してきたわけです。
それから、タイミングということで言えば、こういう意味も見出せます。
今、私は国語の教師として今「論理力」育成ということに力を注いでいます。もちろん出口汪さんの影響ですし、もっと根源的なところで言えば、恩師大村はま先生の影響です。
この時代だからこそ、言語の持っている客観や抽象に向かうベクトルを重視したいのです。従来の国語教育では、言語の持っている主観や具象に向かうベクトルの方が重視されてきました。それはそれで大事なことなのですが、あまりにそちらに傾きすぎてしまった。特にこういう国際化、情報化の時代には、それは大変危険なことです。
ですから、最も純粋な人工言語である「数学」の世界にも、その大きな役割があると感じているのです。
実は私は「数学が嫌いにな」った人間でした。ですから、正直ここ30年くらいはあえてその世界を避けて生活してきました。あるいは忌避していたとも言えましょう。
数学的な世界を否定することで、自らの「人間的」なアイデンティティーをどうにか保とうとしていたのです。そして、そうして一生を終えるものだと、なんとなく予感していました。
しかし、ここへ来て、俄然数学的な世界に興味が出てきました。と言っても、相変わらず「苦手」ではありますが、しかし、「嫌い」ではなくなりつつあります。どちらかというと「好き」になってきたかもしれない。
ですから、この本で大いに語られる「苦手と嫌いは違う」という論に勇気づけられますし、それ以前にこの本でたっぷり紹介される「嫌いになる理由」のほとんどが、自分に当てはまっていることに救われます。つまり、自分のせいじゃなかったのかもしれないという安心(笑)。
まあ、そこは半分は自分のせいだと諦めるとしてですね、しかし、一方でもっと根源的な「嫌いになる理由」というのがあるのではないかとも予感し始めたのも事実です。
それはまさに「禅の修行は嫌い」「禅の世界は好きだけれど、修行はしたくない」というのと同じ理由です。
そう、ほとんど暴力的に「自我」「自己」「主観」を捨てさせられるところに対する反発ですよ。
私が数学を「嫌い」になったのは、思春期の頃でした。つまり、「自我」に目覚め、「自己」に夢を抱き、「主観」で世の中を「好き」と「嫌い」に峻別し始めた時期だったのです。
この歳になって、そのことにはっと気づきました。そうか、もうあんまり「自我」や「自己」や「主観」に興味がなくなった今なら、数学も抵抗なく勉強できるかもしれない!
この大切なことに気づかさせてくれたのがこの本でした。
実に面白いことに、この本の最後には「仏教の智恵」が出てきます。「三慧」の発想です。
「聞慧(もんえ)」「思慧(しえ)」「修慧(しゅえ)」…著者は「日本の教育全体が、修慧の段階まで昇華することを祈りつつ」という言葉でこの本を締めくくっています。これは偶然ではないでしょう。
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400ページ一気に読んでしまいました。こういうのを面白いと言ってしまっていいのかは微妙なところですが、正直面白かったなあ。
今日は暑かったですねえ。ここらでも真夏日となりました。
最近お会いした方シリーズ第6弾。薬を使わないうつ治療を実践されている精神科医さんです。
昨日夕刻から一泊して行われた我が校の「接心」という行事。無事終了いたしました。
で、そんな大変な行事があるのに、ジャズバンド部所属の中学生は前日の練習を差し置いて接心に参加していたわけです。本校の教育の主幹たる「心の教育」の、これまた中心にある接心ですから、何よりも優先されるということですね。
実は今日私も一つ大事な本番がありました。なななんと、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の伴奏(オケのヴィオラ)をしなければならなかったのです!
本日より、臨済宗向嶽寺派大本山塩山向嶽寺にて接心を行ないます。
今朝岩手県沖で大きな余震がありました。
そういう意味で、先日21日に撮影したこの雲は、ちょっと気になります。房総沖というより、これは北東北という感じがしていました。それが今日の朝的中したのか、それともこれからもっと大きい地震があるのか…。
先日お会いした方シリーズ第5弾。
先日お会いした方シリーズ第4弾。出口汪さんの本です。
まあ、考えようによってはですね、他の教科があまりに「丸暗記」に偏ってきたので、それとのバランスを取るために、異様なほどに「暗記ではない」情緒的・感性的な「国語」という教科が出来上がったのかもしれませんが。
昨日の全日本プロレス両国大会メインイベントを最後に、名レフェリー和田京平さんが同団体を離れることになりました。
今日は桜桃忌でした。今年は日曜日にあたりましたし、本来なら近所の御坂峠の天下茶屋にでも行って太宰を偲ぶべきだったのかもしれませんが、どうにも忙しくそれも叶いませんでした。
先日お会いした方シリーズ第3弾。この本の著者とこのタイミングでお会いすることになろうとは。
歌物語というのは日本の伝統的文学形式です。散文に韻文がちりばめられることによって生まれる立体感というのは、なんとも格別な味わいのあるものですね。
特に私の「
今日も朝からいろいろと対外的な仕事がめじろ押しでした。午前中は教員志望の大学生とじっくり教育談議も。
私も後から小学生の様子を見ていましたが、ものすごい集中力で耳や目を働かせているなあと思いましたね。数百人の純粋な心の中に、なにか新しいモノが生まれる、光が輝くというか火がつくというか、そういう瞬間を目撃しました。
「(脱原発論について)あれだけ大きなアクシデントがあったので、集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かる」
2009年は私にとって大切な人が何人も亡くなってしまった年でした。自分の中でも何かが変わった年であったと言っていいでしょう。
人生を見せ、人々に勇気と感動を与えるのがプロレスの大切な要素。その点、この小橋建太という男は本当に素晴らしい表現者です。あきらめない不屈の精神と肉体の持ち主小橋建太。三沢光晴さんの遺志を継ぐ人物だと言えましょう。彼が欠場中に演歌歌手のみずき舞さんと結婚したのは、ある意味象徴的でした。
やることが溜まっているので、今日は軽めに…と言いつつ、いつも語りすぎてしまう私(苦笑)。
そう、あのペヤングソースやきそばのパッケージって、大量のカップ麺棚の中でも絶対的に目立つんですよね。周囲がド派手かつイメージ写真に偏ったパッケージになる中で、このシンプルさというか、潔さというか、リアルな昭和っぽさというのは実によろしい。
音楽のステージにはいろいろな種類があります。
結局ですね、何を言いたいかと言いますと…今日の4時間に亘る「発表会」の中で、真に「楽」だったのは、私たち夫婦のステージだけだったのではないか、ということなのです!ウワーォ、言っちゃった、言っちゃった(笑)。皆さん、ここは呆れるところですよ!ww
いやあ、感動した〜。感動しすぎて古傷の肩が外れた(痛)。
AKB48 22ndシングル 選抜総選挙『今年もガチです』…まったく、こんなご時世にこちらの「総選挙」の方が盛り上がるのだから、不思議な国です、日本は。
そのあたりを当然意識しての今回の「総選挙」だったと思います。秋元康という天才プロデューサーは、私たちのように政治に呆れてしまうのではなく、違った方向から強烈な批判と揶揄をしたとも考えられます。真っ正面からではいけれども、一つのダイナミズムを作り出すきっかけを投下したのかもしれません。
「げんぱつ あっかんべー!!」女川に立つ看板です。「止めよう原発!子どもたちの未来のために」…こういう当たり前な発想や意見が、なぜこの村では通用しなかったのか。女川だけでなく全国の小さな漁村が「原発村」に変わることを決意し、実際にそうなってしまったのはなぜか。
またまた不思議な出会いがありました。偶然にしてもあまりにピンポイントすぎる…。
それから、ええとええと、秋田音頭…ええっ?「秋田音頭」ですか?いきなりすぎる。それも三味線担当だそうです(笑)。民謡の三味線なんかできるわけないっす。というわけでこちらも得意のごまかしで勝負することにしました。
昨日は実姉のことを書きましたが、今日は義兄のことを少し。
まったく意外なところからバンプの「Smile」について記事を書いてくれと頼まれました。
ご来場くださった皆さんありがとうございました。おかげさまで大盛況の中、無事終了することができました。
いずれにせよ、バッハやヘンデルといった大家の作品は、どのパートを弾いてもやり甲斐があり、発見も多いわけです。アマチュアとしてこのような体験ができること、本当に幸せに思います。
むむ、この声は…もしかして!?松本梨香さん!?
劇団四季の素晴らしいモノガタリに感動している間に、すぐ近くのバカ田大学…いやいや国会議事堂の方ではとんでもない「茶番」が行われていました。
中学の芸術鑑賞で四季劇場へ。私にとっては十数年ぶりの「ユタ」。一度目の時とは全く違う感動を得ることができました。うむ、体験は体験を豊かにするのだな。
地震もなかなか収束しませんが、福島第一原発の事故はそれ以上に収束しません。
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