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2011.05.26

運命の写真(?)

7 日は遠く神戸から、フジファブリックの、そして志村正彦くんのファンだという方が、わざわざ私を訪ねてきてくれました。
 フジフジ富士Qで富士吉田を初めて訪れてからすっかりこの街を気に入って下さって、その後も何度か当地を訪れているとのこと。そういう人がたくさんいらっしゃって、なんともうれしいというか恐縮であります。
 正直富士山しかない死んだような街なのですが、こうして全国の皆さんが新たな魅力を発見してくださって、そしてそれを地元の方々がしっかり受け入れて発展させていけば、未来がないわけではないと思います。地元に関わる人間として頑張りたいと思いました。
 そして、なんと言っても志村くんに感謝しなければなりませんね。地元の人たち、もっと彼のことを知ってくれ!(あまりに知られていないのです)
 富士吉田の未来と言えば、7月1日に改称されてオーブンする「富士山駅」のデザインが発表されましたね。たとえばこちらで見ることができます。まあ、賛否両論ありそうですが、機能的な面での改善も含めて今よりは確実にいいと思いますので、その効果に期待しましょう。地元もみんなで盛り上がりましょうよ。そうそう、富士吉田って身内に対する愚痴ばっかりで、ちっとも行動しない街なんですよね(愛あるからこその厳しい言葉)。
 さて、この改称についして昨年「富士吉田駅」→「富士山駅」という記事を書きました。そこの最後に、

PS  実は「富士吉田駅」には私にとって特別な記憶というか記録があります。ここに住んだり勤めたりするなんて思ってもいなかった私が小学生の時の不思議な記録です。近いうちに実家からそれを探し出して、紹介しようと思います。運命はあの頃から決まっていた?!

 と書いてありますよね。その運命の写真が見つかったので紹介します!…って私の個人的な写真なので、皆さんにとってはなんの感慨もないでしょうけど(苦笑)。
20110502_15_11_49 ジャーン!これです。たぶん昭和50年の3月です。私は5年生が終わって4月から6年生という時ではないでしょうか。当時は東京の大田区雪谷大塚に住んでいました。そして、家族旅行で富士五湖を訪れたというわけです。
 当時の私にとっては、この「ふじよしだ」駅、そして富士吉田市は、それこそ富士山・富士五湖観光の玄関口というか経由地に過ぎませんでした。全く縁がなかったわけです。ウチの親たちにとってもそれは同様で、たしかに静岡出身の父母ともに祖先は甲斐の国からやってきたらしいのですが、それもどちらかというと甲府盆地方面であって、こちら郡内とはなんの縁もありません。
 ですから、この時の私は、まさかここに住んだり勤めたりするなんて夢の夢にも思っていなかったわけです。
 で、この写真、ただ「ふじよしだ」駅の駅名看板の前での記念撮影しただけだと思われるかもしれませんが、実は私にとってはとっても不思議な記録となっているのです。
 左にいるのは姉です。右の、大洋ホエールズの野球帽をかぶっているのが私です。なんだか手を伸ばして何かやってますね。何を触っているのかというと、「ふじよしだ」の隣の駅の「げっこうじ」の「こ」のようです。何を意図して何をしているのか、全く記憶がないのですが、とにかく「ふじよしだ」や「ハイランド(当時は富士急ハイランド駅ではありませんでした)」ではなくて、「げっこうじ」になんらかの興味を持ったようです。
 そして今、私は巡り巡って「月江寺」を母体とする富士学苑中学・高等学校に奉職しているのです!35年前、こんなところに住むようになり、「げっこうじ」で働くようになるなんて、もちろんもちろん夢にも夢にも思っていませんでしたし、家族も当然そうですよね。
 全く不思議です。不思議としか言いようがありません。私の運命は、実は35年前のこの時に決定した!?
 ま、なんとでも物語を作ることは可能ですけど、それにしてもこれがこうなる確率としてはけっこう低いと思いますよ。
 この富士吉田市に勤めようと思ったきっかけは複合的です。まずは受験に失敗して都留市の大学に行くことになったこと、そしてたまたま大学内でヴァイオリンを持って歩いていたところ知らない人に声をかけられて、オーケストラの練習にうかがった場所が月江寺幼稚園だったこと、そこの当時の園長先生と天文の話で意気投合したこと、そこから就職先が同じ学園内の富士学苑高校になったこと、また、富士吉田市の明見地区に残るアヤシイ古文書「宮下文書(富士古文献)」に異常に惹きつけられたこと、そこから出口王仁三郎に出会ったこと、富士山の洞窟探検が趣味だったこと、太宰治が好きだったこと…まあこんなふうに考えていくと、これは偶然というよりも必然ですよね。
 そして、今新設の中学校の教頭となって、富士吉田の教育の一翼を担わせていただくようになりました。さらに、志村正彦という天才との接点…まったく不思議です。
 これはもう天命であると覚悟して、この街のために自分の人生を捧げましょう。そして、こういう時代だからこそ、富士山から世界に何かを発信していかねばならないと強く感じています。

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コメント

過去の自分に思いを馳せると、可能性という分岐点が多すぎて、今の自分に至ることが奇跡のように思われます。でも、今の自分が確定した現時点から振り返ってみれば、まぁ必然ですよねぇ。その道筋を通らなければ、今の自分では無いわけですから。
いやあの、庵主様のご決意に水を差したいわけでは無くですね、何となく言ってみたくて言ってみました。だって自分の存在を必然と定義してさえも、何も天命を感じられない茫漠とした自分と庵主様の対比がですね、全く面白すぎる。

投稿: LUKE | 2011.05.27 13:21

どうも、中二病少年です。

先日の立ち話(!)、オモシロかったです。
ああいう突っ込んだ話、大好きです。
もっとしたかったなぁ。

写真、すごいですねぇ。
偶然では片付けられないと思います。
運命ですかね〜?

p.s. 最近、フジファブリックの「黒服の人」が志村正彦さんからのメッセージに思えて仕方がない、偶然では無いと思える今日この頃です。

投稿: 中二病少年 | 2011.05.27 20:35

お久しぶりです。


やだぁ~。
先生ったら、かわいらしいо(∀≦☆)○〃ムフフw


しかし不思議!


投稿: ノリ | 2011.05.31 23:10

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