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2011.05.05

五月五日から…

瑞霊ミツバツツジ
Gedc0689

 やかな「こどもの日」。今日は時間がないので、日月神示の「五月五日」にまつわる部分を紹介するだけにします。また後日解釈などを記したいと思います。

 三月三日から更に嚴しくなるから用意しておけよ。五月五日から更に更に嚴しくなるから更に用意して何んな事起つてもビクともせん樣に心しておいてくれよ。心違ふてゐるから臣民の思ふことの逆さ許りが出てくるのざぞ。九月八日の仕組、近ふなつたぞ。この道はむすび、ひふみとひらき、みなむすび、神々地に成り悉く彌榮へ 戰爭つきはつ大道ぞ。一時はこの中も火の消えた樣に淋しくなつてくるぞ。その時になつておかげ落さん樣にして呉れよ。神の仕組、愈々世に出るぞ。三千年の仕組晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ。櫻花一二三と咲くぞ。三月十七日、ひつぐの神。

 日月神示 キの卷 第十四帖 (二七一)

 以下ニキータさんのコメントです。私が書きたいことが全部書いてありましたので、コピペさせていただきます。


 今年は日本も、そして世界も激動の年になりそうですね。。。
大難が小難になることを願って止みません。
そのためにも一人一人が出来る事をきちんとすることが大切なのかもしれません。

この日月神示の文章を見て、オニさんの霊界物語の一節を思い出しました。
三月三日、五月五日にはなんらかの神意があり、日本はその型を担っているのかもしれませんね。。。

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三月三日(みつきみつか)とは三(み)ツの御魂(みたま)なる月(つき)の神の示顕(じけん)が、天地人三体(てんちじんさんたい)に輝きわたる日(ひ)といふことである。日(ひ)は「カ」と読む、「カ」はかがやくといふことである。今まで三十年間男子(なんし)の筆先の真意(しんい)が充分(じゆうぶん)に了解され、また従道(じゆうだう)二十五年に相当する女子(によし)の御魂(みたま)の光が、そろそろ現(あらは)れることを暗示された神諭(しんゆ)である。二十五年間、周囲の障壁物(しやうへきぶつ)にさまたげられた女子の御魂(みたま)の神界経綸の解釈も、やや真面目(まじめ)になつて耳をかたむくる人が出現するのを「女子にとりて結構な日である」と示されたものである。あたかも暗黒の天地に、日月(じつげつ)の東天(とうてん)を出(い)でて万界(ばんかい)を照らすがごとき瑞祥(ずゐしやう)を、五月五日(いつつきいつか)といふのである。五(いつ)は言霊学(ことたまがく)上(じやう)「出(イツ)」であつて、五月五日(いつつきいつか)は出月出日(いつつきいつか)の意味である。二十五年の天津風(あまつかぜ)、いま吹き初(そ)めて経緯(たてよこ)の、神の教示も明(あきら)けく、治(をさ)まる御代(みよ)の五十五年《出神出念(しゆつしんしゆつねん)》、いよいよ神徳(しんとく)出現して、神慮(しんりよ)の深遠(しんゑん)なるを宇宙に現出(げんしゆつ)すべき時運(じうん)にむかふことを慶賀(けいが)されたる神示であります。
 月光(げつくわう)世に出(い)でて万界(ばんかい)の暗(やみ)を照破(せうは)す、これ言霊学(げんれいがく)上(じやう)の五月五日(いつつきいつか)となるのであつて、けつして暦学(れきがく)上の月日(つきひ)でないことは明白である。三月三日(さんぐわつみつか)と五月五日(ごぐわついつか)に、変(かは)つたことがなければ信仰をやめるといふ無明暗黒(むみやうあんこく)の雲(くも)が、遠近(をちこち)の天地を包むでゐるやうに思はれましたから、一寸(ちよつと)略解(りやくかい)をほどこしておきました。これでもまだ女子(によし)の御魂(みたま)の言(げん)は審神者(さには)をせなくてはいかぬと、唱(とな)ふる豪(えら)い人々が出現するかもしれませぬ。これが暗黒の世の中といふのでせう。

コピペしたら長くなっちゃいました(汗)


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コメント

今年は日本も、そして世界も激動の年になりそうですね。。。
大難が小難になることを願って止みません。
そのためにも一人一人が出来る事をきちんとすることが大切なのかもしれません。

この日月神示の文章を見て、オニさんの霊界物語の一節を思い出しました。
三月三日、五月五日にはなんらかの神意があり、日本はその型を担っているのかもしれませんね。。。

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三月三日(みつきみつか)とは三(み)ツの御魂(みたま)なる月(つき)の神の示顕(じけん)が、天地人三体(てんちじんさんたい)に輝きわたる日(ひ)といふことである。日(ひ)は「カ」と読む、「カ」はかがやくといふことである。今まで三十年間男子(なんし)の筆先の真意(しんい)が充分(じゆうぶん)に了解され、また従道(じゆうだう)二十五年に相当する女子(によし)の御魂(みたま)の光が、そろそろ現(あらは)れることを暗示された神諭(しんゆ)である。二十五年間、周囲の障壁物(しやうへきぶつ)にさまたげられた女子の御魂(みたま)の神界経綸の解釈も、やや真面目(まじめ)になつて耳をかたむくる人が出現するのを「女子にとりて結構な日である」と示されたものである。あたかも暗黒の天地に、日月(じつげつ)の東天(とうてん)を出(い)でて万界(ばんかい)を照らすがごとき瑞祥(ずゐしやう)を、五月五日(いつつきいつか)といふのである。五(いつ)は言霊学(ことたまがく)上(じやう)「出(イツ)」であつて、五月五日(いつつきいつか)は出月出日(いつつきいつか)の意味である。二十五年の天津風(あまつかぜ)、いま吹き初(そ)めて経緯(たてよこ)の、神の教示も明(あきら)けく、治(をさ)まる御代(みよ)の五十五年《出神出念(しゆつしんしゆつねん)》、いよいよ神徳(しんとく)出現して、神慮(しんりよ)の深遠(しんゑん)なるを宇宙に現出(げんしゆつ)すべき時運(じうん)にむかふことを慶賀(けいが)されたる神示であります。
 月光(げつくわう)世に出(い)でて万界(ばんかい)の暗(やみ)を照破(せうは)す、これ言霊学(げんれいがく)上(じやう)の五月五日(いつつきいつか)となるのであつて、けつして暦学(れきがく)上の月日(つきひ)でないことは明白である。三月三日(さんぐわつみつか)と五月五日(ごぐわついつか)に、変(かは)つたことがなければ信仰をやめるといふ無明暗黒(むみやうあんこく)の雲(くも)が、遠近(をちこち)の天地を包むでゐるやうに思はれましたから、一寸(ちよつと)略解(りやくかい)をほどこしておきました。これでもまだ女子(によし)の御魂(みたま)の言(げん)は審神者(さには)をせなくてはいかぬと、唱(とな)ふる豪(えら)い人々が出現するかもしれませぬ。これが暗黒の世の中といふのでせう。

コピペしたら長くなっちゃいました(汗)

投稿: ニキータ | 2011.05.06 14:44

ニキータさん、ありがとうございます!
私が書こうと考えていたことを全部コメントしてくれました。
本文にコピペさせていただきます!

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2011.05.07 08:43

鳩森神社の富士山の一部が地震で崩れて全体が立ち入り禁止になっていたのに昨日初めて気づきました。それまでも何回かお参りに行っていたのですが。

投稿: 貧乏伯爵 | 2011.05.07 08:43

伯爵さま!マジですか!?
うわぁ、この前私も近くを通りましたが気づきませんでした。
いよいよですかね。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2011.05.07 08:46

やめて~!
そもそも何で日本が雛形である必要があるんですかね?
この間の日本に模した世界地図(あれ、南アメリカや南極はどうなってんですかね?)の気味悪さといい、無意識なんだか意識的なんだか知りませんが、「当然自分が中心である」感丸出しで、子供地味て映ります。
仕方がないのでしょかね。どこかの教会が天動説を間違いだと認めたのもつい最近のことですし。

投稿: LUKE | 2011.05.07 14:57

いよいよって、何がですか?何か起こるんですか?

投稿: ぽん | 2011.05.07 17:04

LUKEさん、いつもバランスとってくださってありがとう。
ちなみにこういう話は実生活では全くしませんよ(特に教室では)。
私にとってこういう世界観はバカボンに対するのと同じですのでご心配なく…いや、余計心配かも(笑)。
つまり実生活以外では子どもじみた感覚(ファンタジー or ギャグ)を大切にしたいということです。


ぽんさん、いやいやそんな恐ろしいことじゃありません。いいことですよ。
日月神示が降りた岡本天明という人は鳩森八幡の宮司をやっていたことがあるんです。
日月神示には世の中が変わる時に「富士が動く」という表現がよく出てくるものですから。
富士塚が動いて世の中が良くなるなら一番いいですよね。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2011.05.07 17:22

日月神示は直接的でなく、アナグラムというか言葉遊びが多いのでそのままでは分からないことが多いですよね。だからこそいろんな解釈が生まれて面白いんですが。霊界物語を読むと繋がる部分が多いように感じます。

僕も実生活ではこういう類いの話は全くしません。それこそキチ扱いされちゃうでしょうしww
でもこういう世界観を知って、今生きてるのが増々楽しくなるというか(十分危ないですねw)。少なくとも知って良かったとは思っています。
それにしても早く世の中が良くなるといいですね。

投稿: ニキータ | 2011.05.07 23:45

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