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2011.05.31

日暈と環水平アーク

 日は忙しかったなあ!
 創立記念式典→壮行会→河野太通臨済宗妙心寺派管長猊下に謁見→弦楽合奏部発表→PTA総会→保護者会→役員懇親会
 気を遣う行事が多かったのでグッタリ。そんな中、今日はとんでもないものを見ることができました。これは非常に幸運でした。
 ずばり見たものとは「日暈(にちうん・ひがさ)」と「環水平アーク」。それもその二つを同時に!
 今日に限ってデジカメを家に忘れてきてしまいまして、iPhoneのカメラで撮影したんですが、それが逆に良かったのかもしれません。なかなかいい写真が撮れました。見た印象に近い描写となっています。
 それにしても珍しいですね。日暈も時々見かけますが、ここまで鮮明というか、環の内がこんなに黒く(!)なっているのは初めてです。正直気味の悪いデザインでした。
 時間は11時半から正午くらいまで。最初はこの日暈だけだったのですが、それが薄れるとともに今度は南の空、富士山の上に環水平アークが現れました。これも珍しい。
 ともに上空に氷の粒子が漂っていてプリズムの役割をして起きる現象ですが、ここまで鮮明に、そして同時にというのは本当にめったにないと思います。
 日暈は、中国では白虹と言われ凶兆とされています。環水平アークも一部では地震の予兆ではなどとも言われていますが、まあ気象現象としてはですね、富士山の笠雲と同様に天気が下り坂になる兆候なんですね。
 まあそれにしても珍しい現象でしたから、生徒にも見てもらおうと、ピンポンパンポーンと校内放送を入れちゃいました。「授業中失礼します。今太陽の周りに美しい虹の輪が見えております。皆さん空を見上げてみて下さい」…すぐに校舎に歓声が響きましたから、きっと生徒も感動してくれたのでしょう。
 というわけで、撮影した写真を全て掲載しておきます。クリックして見てください。

↓日暈
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↓環水平アーク
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↓日暈と環水平アークと富士山
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2011.05.30

『完訳 日月神示』 岡本天明(書)・中矢伸一(校訂) (ヒカルランド)

Photo 日の記事にも出てきた「日月神示」。最近ブームですからご存知の方も多いことでしょう。その完訳版が今月のはじめに出ました。このタイミングでの発売はなんとも因縁めいていますね。
 この本の校訂をなさっている中矢さんとは、昨年の12月に初めてお会いしました。そこにも書いたとおり、顔に似合わず(失礼)とっても柔和なお人柄で、そしてまた考え方にも柔軟性がおありで(ある意味ユルい)、大変魅力的な方でした。
 その中矢さんの研究の一つの到達点がこの「完訳版」でしょう。日月神示は不思議な文字の羅列であり、一般の人にはなかなか読みづらいものです。それをこうして読みやすい形で、こういうタイミングで世に出すことこそ、中矢さんの天命であったと感じます。
 私は実のところ、この「日月神示」についてはあまり詳しくありませんでした。もちろん興味はありましたが、これを正しく理解するには、やはり近代日本史や思想史、宗教史などをしっかり知っていなければならないし、出口王仁三郎の「霊界物語」などをまずは読みこなしておかないといけないなと思い、後回しにしていたんですね。
 しかし、最近、昨年くらいでしょうかね、ちょっと考えが変りました。「日月神示」はその書記方法は難解ですが、文体自身は読みやすく、また内容も比喩がストレートで真意が理解しやすいのです。つまり、壮大かつ複雑な比喩の総体たる「霊界物語」を、分かりやすく翻訳したものだとも言えるのではないかと思い始めたのです。だとしたら、こちらから入るのもいいのではないかと。
 ちょっとここで確認です。誤解されたくないので。
 私がよくとりあげる出口王仁三郎の「霊界物語」やこの「日月神示」、それらともリンクしている地元の古文書群「宮下文書」、そして昨日の「をのこ草紙」など、なんか一般の(?)方からすると、単なるオカルトや宗教じみた話のように思えるかもしれませんね。
 実際そういう部分もなきにしもあらずですけれども、私はそういう興味よりも、それ以前の私たち近現代日本人に眠る潜在意識を探る資料として、そして昨日も書いたとおり、戦後の教育が隠蔽してきた「モノガタリ」として、これらとつき合っているつもりです。案外冷静で客観的なんです。
 これらの文献に対して、原理主義とも取れるような態度を示す方もたくさんいらっしゃいます。それはそれで自由ですから、私がとやかく言う問題ではないのですが、とりあえず私はそのあたりとは一線を画していると自負しています。また、そういう自負を持っていないと大変危険な領域でもあるわけです。
 もちろんそうした世界に思わず逃げ込むこともありますよ。このブログでも時々そういう私がいるじゃないですか。特にあの巨大地震を目の当たりにして、そういう気持ちが発動してしまいましたね。それでもそっちに行きっぱなしではなくて、ちゃんと帰ってこれるのは、そういう冷めた自分もいるからです。かと言って、そっちの世界を完全に否定もできない。そのへんのバランスの中に、自分の本質を見ているとも言えましょうか。
 と、自分自身のためにも書いておいて、話を元に戻します。
 この「日月神示」は、昭和19年、鳩森八幡宮で宮司をしていた岡本天明に国常立尊という神が降りて以来何年もわたって自動書記させたものです。岡本天明は昨日の友清歓真と同様、元大本の信者であり出口王仁三郎の薫陶を受けている人物です。
 結局のところ、昨日も書いたとおり、あの当時の独特の危機感と末世感によって、我々日本人の潜在意識が滲出してきたわけでしょう。そして、明治以来西洋化しつつあった日本が、さらに西洋に蹂躙され占領されるであろうその寸前にあって、大きな「モノガタリ」が噴出したと。その幽閉された潜在意識の象徴がクニトコタチであったと。
 実は、そうした「本来の神の復権」の物語というのは、近現代のいろいろな次元に発見することができます。たとえば、近代文学=小説という特殊なジャンルも、ほとんどが究極的にはそこをテーマにしているとも言えるのです。
 あるいは左翼運動なんかもそうですかね。戦後の政治闘争や思想闘争もそんなところがうかがえます。さらに進めれば、日本初のマンガやアニメにさえ、そういう影を見ることもできます。
 それから、先ほど名前を挙げた「宮下文書」ですね。あの、とってもローカルかつグローバルなトンデモ地方史も、「本来の神の復権」の物語そのものです。
 昨日も書いたとおり、あの震災や原発事故があって、私自身の潜在意識が滲出しはじめている感じなんですよね。だからこそ、今までの私の人生や運命の総決算として、こうした「物語」を冷静に客観的に読んでいきたいと思っているんです。そこだけを見るのではなく、全体の中でとらえたい。
 結局はそこから未来の自分、未来の日本のあるべき姿についてのヒントを得たいのでしょうね。この「物語」の基本にあるのは、「今」とそこにつながる「近い過去」が間違っているという感覚なのかもしれません。
 何が正しいのか、何が間違っているのか。自分の子どもや教え子たちが生きる世の中はどうあるべきなのか。そういうことを考えるためのヒントの一つとして、私はこういう「物語」を読んでいきたいと思っています。
 そしてそして、私が恐れ多くも住まわせていただいているここ「富士山」の意味。「日月神示」も最初から最後まで「富士」「富士」の連呼です。「霊界物語」も「宮下文書」も。富士山を中心としたネットワーク「web0.0」とは何なのか。私のライフワークです。

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2011.05.29

をのこ草紙

Imgres 日はアヤシイ「予言書」を紹介しましょう。数年前、テレビ番組「ビートたけしの超常現象スペシャル」でそれらしく紹介され、一躍注目を浴びることになったこの文書。震災や原発事故を経て、最近また一部のマニアによって紹介されるようになりました(「当たってる…かも」という論調が多い)。
 私はこの分野は専門と言えば専門なのですが、この「をのこ草紙(草子)」については、ネットで流布している情報以外何も知りません。
 いちおう、ネット上には次のように解説されています。

 江戸時代八代将軍徳川吉宗の頃(享保の改革の頃)巷に流布していたという予言書であり、その時代から250年後の未来を予言していると言われている。
 原本の所在、著者名も不明は不明。昭和5年、古神道研究家で宗教家であった友清歓真が、ある人物から雑誌の切り抜きとして「をのこ草紙」の一部を見せられ、自らの書『神道古義地之巻』に引用した。

 もうこの時点で胡散臭さ満載ですね。原本の所在が分からず、「著者」も「ある人物」も「雑誌」も名前が分からず、ですから。
 ちなみに友清歓真についてはある程度知っていますよ。出口王仁三郎の弟子だった人です。大本内ではけっこう重要なポジションで活躍していた人物ですが、ある時反旗を翻して独立し、最終的には宗教団体「神道天行居」を設立します。
 まあ、よくある話ですね。大本からそうして独立して宗教団体や研究団体を起こした人物は多数います。そして、その脈はさらに枝分かれして今でもたくさん存在していますし。
 この「をのこ草紙」の内容もまた、王仁三郎自身の世界観や、やはりそこから枝分かれし、こちらも脚光を浴びている「日月神示」の論調と似たところがうかがえます。つまり、あの時代(戦前)の未来観や「日本中華思想」のまんまだとも言えます。
 まあとにかくネット上に流布している原文をコピペしてみましょうか。せっかくだから縦書きしてみよう。

 今より五代二五〇年を経て、世の様変わり果てなむ。切支丹の法いよいよ盛んになって、空を飛ぶ人も現れなむ。地を潜る人も出て来べし。風雨を駈り、雷電を役する者もあらん。死したるを起こす術もなりなん。さるままに、人の心漸く悪くなり行きて、恐ろしき世の相を見つべし。妻は夫に従わず、男は髪長く色青白く、痩細りて、戦の場などに出て立つこと難きに至らん。女は髪短く色赤黒く、袂なき衣も着、淫りに狂ひて、父母をも夫をも其の子をも顧ぬ者多からん。万づ南蛮の風をまねびて、忠孝節義は固(もと)より仁も義も軽んぜられぬべし。斯くていよいよ衰え行きぬる其の果に、地、水、火、風の大なる災い起りて、世の人、十が五は亡び異国の軍さえ攻め来りなむ。此の時、神の如き大君、世に出で給い、人民悔い改めてこれに従い、世の中、再び正しきに帰らなん。其の間、世の人狂い苦しむこと百年に及ぶべし云々

 仮名遣いが現代仮名遣いである点に難がありますが、(友清の写した?)原文がどうなっているか私は確かめていないので、そこはいいとしましょう。
 文法的にはほとんど間違いはありません(最後の方の「帰らなん」は「帰りなん」の写し間違いではないでしょうか)。そういう意味では江戸期の擬古文の体裁をとっていると言ってもいいかもしれません。それなりの学のある人が書いたことは間違いないでしょう。ちなみに私の研究している古史古伝「宮下文書(富士古文献)」は文法も仮名遣いも漢字もメチャクチャです(笑)。
 全体的な印象としては江戸期のものとしてもギリギリ許されるかなという感じですね。もちろん、明治以降に書かれたとしても不思議ではありません。
 先ほど書いた内容的な面もふまえて、友清自身が書いたという可能性ももちろん否定できませんね。証拠はありませんけど、私は彼が書いたものだと考えます。
 この時代というのは、現代の(戦後の)私たちが想像する以上に不思議な時代でした。日本の近代は西洋化とともにある種の病理を生み出していたのです。そのへんについて最近私は興味を持っています。というのは、その反動が戦後教育につながっているとも言えるからです。
 とってもストレートに書いてしまうと、あの時代はエロ・グロ・ナンセンス・オカルト満載だったんです。日常生活にはもちろん、政治や文学や科学、そして軍事にまで、そうした影が色濃く反映していました。
 そして、戦後はそれらを全て否定するように教育がなされました。つまりワタクシ流に言うと「物語」を消し去るように日本が動いて行ったということです。もちろん、世界的な風潮もそうした方向に流れていましたがね。
 しかし、たとえば今回のような自然災害や人災が発生し、目に見えない「モノ」の存在に気づき恐怖する段になると、急に「物語」が復活してくるわけです。
 ある意味私のように今までもそうした「物語」に積極的に接し、免疫をつけていた変な人はこうして冷静でいられるわけですが、多くの人たちは妙な過剰反応をしてしまいますね。特にそっち系に暴走してしまう人たちには注意です。たとえば陰謀論とか、人工地震論だとか。
 現代の「物語」ですね。それを真に受けるなら、貞観あたりの一連の天変地異もHAARPのしわざだということになってしまう(笑)。ま、当時は「怨霊」とか「物の怪」のせい(つまり陰謀)だと考えていたんですけどね。
 それは戦前も同じだったんですよね。今よりもずっとドラスティックでドラマティックな変化にさらされていたわけですから。戦後がある意味では平和すぎたのかもしれません。
 さてさて、そんなわけで、この「をのこ草紙」も現代に復活してきたわけですよ。たしかに内容的には現代の(平成の)日本を予見していたようにも感じますね。そう思おうとすればそう思えないこともない。
 しかし、冷静に見ると、これが江戸期に書かれたものだとしても、あるいは友清自身が書いたものだとしても、ある意味では凡庸な未来予想図であるとも言えます。多少の想像力のある人なら、数十年後、あるいは数百年後の世界をこんな程度に描くことくらいは難しくないでしょう。
 結論的に言えば、友清が王仁三郎の立替え立直し説に影響を受け、当時すでにあった世の乱れや戦争の予兆をやや誇大妄想的に描いたというのが正解ではないでしょうか。
 しかし、たしかに現代的な意味で面白い「物語」だとも言えますね。まあ、たとえばこれが本物の「予言書」だったとしても、今となっては面白がるしか方法がないわけですし。

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2011.05.28

活版アートのチカラ展

感じ入ることが多かったので長いですよ〜。
Img_2459 日、ある広告業界の方と話をしました。これからは「マス」対象の一方通行的な「発信」の時代は終わる、本来の双方向的なコミュニケーションが帰ってくる、真の理解者を募るための広告、デザイン、経営方法に力を入れるべきだ、そういう意味ではグローバルよりもローカル、都会よりも田舎の時代が来る…こんなような話を私はしました。
 震災後、東日本の人たちは、たしかに「何か」に気づきつつあります。幽閉された何かを復権させつつあります。
 たとえば「想定外」のモノたる地震への感性。目に見えない放射線への感性。これらは実は今までもずっと私たちと一緒にあったはずのモノです。しかし、それをほとんど忘れていた。それがドラスティックな出来事によって半ば強引に意識されるようになったわけです。
 それらはある意味極端な例であって、「モノ」ゆえの恐怖感を伴うものですが、実のところ私たちの生活の中で、そのように忘れられている感覚というものがたくさんあります。感覚とはセンス。センスとは意味です。私たちはたくさんの意味を見失っているのです。
 デザインや広告とは、そうした「意味」に気づかさせるためのメディアであるべきだと思うんです。ただ、情報を伝えたり、相手を心地よくさせたり、受け手の購買意欲を高めるだけのものではないはずです。
 たとえば、地震や放射線、あるいは人々の「絆」や、それ以前に「命」というモノ、それらの「意味」を突きつけられて、私たちは初めて自分の存在や人生の「意味」を考え直すことになりました。それと同じように、いやそんな大きなスケールでなくとも、何か日常生活にさざ波を起こすような、「これってなんだろう」とか「そう言えば…」とか、そういう感覚を取り戻させるためのモノであるべきなんですね。
 というわけで、また前置きが長くなりましたが、今日は教え子もデザイナーとして参加している「活版アートのチカラ展」に行ってきました。
 デザインの現場で個性的な活動をしている彼とは話が合います。私のワケのわからん「モノ・コト論」の良き理解者でもある彼は、いわゆる「モノ」にこだわる仕事をしています。デザインにおける「想定外」や固定化されていない個々の「質感」にこだわっているわけですね。
 活版印刷…まさに私たちが忘れてしまった「質感」「意味」を残す技術です。いや、活版印刷自体忘れられている「モノ」か。
 オフセット印刷隆盛の現代において、こうしたアナログでアナクロな「モノ」が懐かしさを超えて、何か大切なモノを思い出させてくれるということはよくあることです。
 そう、よく考えるんですよね。たとえば、活版印刷という「現代技術」が発明された時には、それまでのマニュスクリプト的世界からすると、それはとんでもなく工業的であって、それこそ「モノ」を排除する「コト」的なアート(技術)だったわけじゃないですか。それが、この時代になると芸術たるアートになりうるという、そういう時代の不思議ってなんだろう。
 そう、今まさにウチの娘たちが偽ファミコンであるファミエイトで遊んでいます。この8bitのスクエアな世界がなぜか今になるとアーティスティックな産物に見えてくるという面白さ、おかしみですよ(笑)。
 おっと話が逸れそうだから戻します。
 現代の表現は明らかに「視覚」と「聴覚」に片寄りすぎています。ですから、これからのデザインは「触覚」と「嗅覚」、それに加えて「味覚」と「第六感」に訴えるべきだと思いますね。まずは「触覚」でしょうか。
 ご存知のように活版印刷は原始的な版画、ハンコ、スタンプのようなものですから、そこに凹凸という三次元的空間が現出します。それは手にした時の独特の「触感」を生み出します。そこから広がる、視覚や聴覚を超えた「物語」こそが、先ほどから言っている私たちが忘れかけている「モノ」への入り口になりうると思うんですね。
 それって、「子ども」の感覚だとも言えます。子どもはまず触ります。触って対象を感じ、受け入れたり拒否したり、あるいはそれを分解したり組み立てたりして「物語」を紡いでいきますね。
 そういう意味で教え子はとてもいい仕事をしていたと思います。これはひいき目ではなく客観的にそう感じました。
 会場にはたくさんのデザイナーによる活版印刷を使ったポストカードが並んでいましたが、明らかに教え子の作品は他と違っていました。他の作品が、まさに完結した(よくある)グラフィックアートとなっていたの比べ、彼の作品は非常に挑戦的でもあり、しかし一方で実に他力的であり、双方向的なものでした。
Gedc0780 ご覧下さい。この3枚が彼の作品です。一見何もないただの紙のようですね。よく見ると賽の目のような模様が見えます。これは、透明のインクで活版印刷した意匠です。これがたとえばオフセット印刷だったら、何も見えないのでしょうが、活版は先ほど書いたように凹凸を生みます。それが光を受けて影を生じ、無限のパターンを持った意匠に生まれ変わります。
 しかし、その可能性は視覚だけにとどまりません。ご想像のとおり、これを手に持った時の「触感」が素晴らしいのですね。特に裏側に回った指先に伝わってくる感覚。これだけでも、かなり引き込まれます。真っ白な世界から何かが立ち上がってきます。
Gedc0782_2 さらに面白いのは、実はこのデザインの中には文字が仕組まれていることです。左の画像をクリックしてみてください。見えるかな?
 そこに仕組まれたのはコトたる情報です。ある角度から光が当たるとコトたる情報が浮かび上がる仕組みになっています。
 入り口としての「触覚」から、「視覚」の代表格である文字情報への誘導が見事。というか、実に楽しい。あぶり出しのような「秘密感」と、それを解き明かした時の「優越感」。まるで少年の日々を思い出すようなデザインですね。
 私は彼の作品に大きなヒントを得たような気がしました。思い入れとは手間ひまに比例する…。
 広告にしても、期限が過ぎればゴミと化してしまうフライヤーではなく、何か捨て難い、すなわち思い入れを抱かざるを得ないよう表現が必要なのではないでしょうか。それは、広告や印刷物に限らず、全ての「仕事」に言えるのかもしれません。
Img_2457 私も生まれて初めて活版印刷機を操作させてもらいました。うわっ、これってフォルテピアノの感覚に近い!つまり楽器だ。指先や腕や肩に伝わる「質感」。これを巧みに操作できる人は、職人であり演奏家に違いない。
 過度にデジタル化され、オートメーション化された現代において、こうしたアナログでアナクロな「モノ」たちがどう蠢き出すのか。とても興味があります。もちろん私の仕事「教育」はいつの時代にもそういう「モノノケ」相手の仕事ですけどね(笑)。
 活版印刷における「エッジのにじみ」の意味についてもいろいろ考えました。ファジーでマージナルな「ゾーン」が存在することで、私たちはどれだけ安心できるか。人生そのものだよなあ…。パソコンの画面やそこから生まれる印刷物のトゲトゲしさに疲れ気味な私です。
 うん、非常に充実した1時間だったなあ。また、彼とゆっくり話をしたい。
 29日まで開催しているので、興味を持った方はぜひ行ってみてください。

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2011.05.27

あの曲のヴィオラ・バートの秘密(?)

250pxbach ほど「演奏会案内!」をアップしましたが、6月4日に横浜の開港記念会館講堂で演奏をいたします。
 昨年も6月に演奏しましたね。こちら「バッハ vs みのるちゃん」です(笑)。そう、昨年半ば強引に実施してしまった我が中学の「遠足&芸術鑑賞 in 横浜」を今年も実施しちゃいます。いちおう好評だったのかな…?よくわかりませんが、まあ教頭先生出演のコンサートとなれば、生徒たちにとっても、多少眠気覚ましにはなるでしょうね。
 で、今年は昨年に負けず劣らずなかなか豪華なプログラムであります。弾く方もけっこうハードですね。昨年はバロック・ヴィオラのみでの参加でしたが、今年はバロック・ヴァイオリンがメインでの参加になります。
 ヴィオラを弾くのは1曲だけ。バッハの2本のリコーダーとチェンバロのための協奏曲ヘ長調。これは皆さんご存知のとおり、あのブランデンブルク協奏曲第4番のバッハ自身による編曲版ですね。ヴァイオリンのソロ・パートをチェンバロ用に編曲したもので、よく言われているように、これはバッハ自身が独奏・指揮したと言われるヴァージョン。すなわちコーヒーハウスでの演奏会用に、新曲を作るのは手間がかかるということで、自らの作品を転用したという作品です。
 バッハがよくやったようにこの曲も原曲のト長調からヘ長調へと全音分低い調に移調されています。私はこのヴァージョンを弾くのは初めてですかね。原曲はたぶん今までにヴィオラで4回、ヴァイオリンで1回演奏していますが。
 で、今回弾いてみて感じたことはですね、なんで微妙に変えるかな?ということです。面倒くさくて自曲の転用をしたのなら、ヴィオラのパートなんかそのまま1音下げて書けばいいのに、なんだか原曲と微妙に違うんですよ。そのせいで時々つまずいてしまう。原曲への慣れがあるからでしょうね。参った。
 それにしても、その微妙な修正というか変更の意図がさっぱり分からんのですよ(笑)。気まぐれじゃないかなと。あるいは、原曲の時には思い浮かばなかったアイデアが浮かんだとか。とすれば、こちらの方がより完成版に近いということかなあ。
 ところで、この曲(原曲も同様なんですが)の秘密をご存知ですか?いや、普通は知らないでしょうね。いくらこの曲やブランデンの方をよく聴いておられてもご存知ないでしょう。実際演奏してみないと分からないことがあるんです。それもヴィオラパートを弾いたことのある方でないと気づかない秘密…。
 それはですねえ…あの3楽章は、そう、ヴィオラで始まるフーガですよね。ヴィオラ奏者の数少ない聴かせどころ、実においしいところです。あの時代、いやあの時代からずっとヴィオラが主役,ソロになることなんかほとんどないわけですよ。縁の下の力持ちというか、実に目立たない役どころなんです、ヴィオラってやつは(音楽的には実においしいところを受け持っているんですがね)。
 で、この編曲版でもチェンバロを帯同しているとはいえ、ほとんどソロであのかっこいいフーガのテーマを弾くわけですよ。その後の対旋律も含めてヴィオラの音域を目一杯使って聴かせちゃうわけです。もう最高の気分ですね。
 しかし!なんとなんと、あの壮大なフーガ風楽章の中で、あの主題をヴィオラが弾くのは、その冒頭のただ1回なのです!!ご存知なかったでしょう。第二主題は2回弾きますが、あの第一主題は最初に弾いておしまい。
 あとはなんだかゴチャゴチャ意味のあるんだかないんだか分からない(失礼)動きをしたり、和音をビシッと決めたりして終わります。
 これって、バッハの洒落じゃないかと思うんですよね。シャレっていうか、ある意味ブラックジョーク。最初に超カッコいいことさせといて、あとはまた本来の地味な役割に没頭させる…。ほかの楽器は何度もテーマを弾くのになあ。
 というわけで、あの冒頭のテーマって一世一代の大舞台なんですよ、ヴィオラにとっては。ここでこけるともうリベンジできないんです(笑)。
 今回はいつもと調が違ったりするんで、より緊張を強いられます。でも頑張るぞ!皆さん私の一世一代の大ばくち…いやいや大舞台をよ〜く聴いて下さいね。
 演奏会に来られない方のために、動画を貼っておきます。これ、珍しい演奏ですね。チェンバロでなくてフォルテピアノで演奏しています。音はあんまりよくありませんが、なかなか面白い演奏です。ヴィオラに注目して聴いてみてください。


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2011.05.26

運命の写真(?)

7 日は遠く神戸から、フジファブリックの、そして志村正彦くんのファンだという方が、わざわざ私を訪ねてきてくれました。
 フジフジ富士Qで富士吉田を初めて訪れてからすっかりこの街を気に入って下さって、その後も何度か当地を訪れているとのこと。そういう人がたくさんいらっしゃって、なんともうれしいというか恐縮であります。
 正直富士山しかない死んだような街なのですが、こうして全国の皆さんが新たな魅力を発見してくださって、そしてそれを地元の方々がしっかり受け入れて発展させていけば、未来がないわけではないと思います。地元に関わる人間として頑張りたいと思いました。
 そして、なんと言っても志村くんに感謝しなければなりませんね。地元の人たち、もっと彼のことを知ってくれ!(あまりに知られていないのです)
 富士吉田の未来と言えば、7月1日に改称されてオーブンする「富士山駅」のデザインが発表されましたね。たとえばこちらで見ることができます。まあ、賛否両論ありそうですが、機能的な面での改善も含めて今よりは確実にいいと思いますので、その効果に期待しましょう。地元もみんなで盛り上がりましょうよ。そうそう、富士吉田って身内に対する愚痴ばっかりで、ちっとも行動しない街なんですよね(愛あるからこその厳しい言葉)。
 さて、この改称についして昨年「富士吉田駅」→「富士山駅」という記事を書きました。そこの最後に、

PS  実は「富士吉田駅」には私にとって特別な記憶というか記録があります。ここに住んだり勤めたりするなんて思ってもいなかった私が小学生の時の不思議な記録です。近いうちに実家からそれを探し出して、紹介しようと思います。運命はあの頃から決まっていた?!

 と書いてありますよね。その運命の写真が見つかったので紹介します!…って私の個人的な写真なので、皆さんにとってはなんの感慨もないでしょうけど(苦笑)。
20110502_15_11_49 ジャーン!これです。たぶん昭和50年の3月です。私は5年生が終わって4月から6年生という時ではないでしょうか。当時は東京の大田区雪谷大塚に住んでいました。そして、家族旅行で富士五湖を訪れたというわけです。
 当時の私にとっては、この「ふじよしだ」駅、そして富士吉田市は、それこそ富士山・富士五湖観光の玄関口というか経由地に過ぎませんでした。全く縁がなかったわけです。ウチの親たちにとってもそれは同様で、たしかに静岡出身の父母ともに祖先は甲斐の国からやってきたらしいのですが、それもどちらかというと甲府盆地方面であって、こちら郡内とはなんの縁もありません。
 ですから、この時の私は、まさかここに住んだり勤めたりするなんて夢の夢にも思っていなかったわけです。
 で、この写真、ただ「ふじよしだ」駅の駅名看板の前での記念撮影しただけだと思われるかもしれませんが、実は私にとってはとっても不思議な記録となっているのです。
 左にいるのは姉です。右の、大洋ホエールズの野球帽をかぶっているのが私です。なんだか手を伸ばして何かやってますね。何を触っているのかというと、「ふじよしだ」の隣の駅の「げっこうじ」の「こ」のようです。何を意図して何をしているのか、全く記憶がないのですが、とにかく「ふじよしだ」や「ハイランド(当時は富士急ハイランド駅ではありませんでした)」ではなくて、「げっこうじ」になんらかの興味を持ったようです。
 そして今、私は巡り巡って「月江寺」を母体とする富士学苑中学・高等学校に奉職しているのです!35年前、こんなところに住むようになり、「げっこうじ」で働くようになるなんて、もちろんもちろん夢にも夢にも思っていませんでしたし、家族も当然そうですよね。
 全く不思議です。不思議としか言いようがありません。私の運命は、実は35年前のこの時に決定した!?
 ま、なんとでも物語を作ることは可能ですけど、それにしてもこれがこうなる確率としてはけっこう低いと思いますよ。
 この富士吉田市に勤めようと思ったきっかけは複合的です。まずは受験に失敗して都留市の大学に行くことになったこと、そしてたまたま大学内でヴァイオリンを持って歩いていたところ知らない人に声をかけられて、オーケストラの練習にうかがった場所が月江寺幼稚園だったこと、そこの当時の園長先生と天文の話で意気投合したこと、そこから就職先が同じ学園内の富士学苑高校になったこと、また、富士吉田市の明見地区に残るアヤシイ古文書「宮下文書(富士古文献)」に異常に惹きつけられたこと、そこから出口王仁三郎に出会ったこと、富士山の洞窟探検が趣味だったこと、太宰治が好きだったこと…まあこんなふうに考えていくと、これは偶然というよりも必然ですよね。
 そして、今新設の中学校の教頭となって、富士吉田の教育の一翼を担わせていただくようになりました。さらに、志村正彦という天才との接点…まったく不思議です。
 これはもう天命であると覚悟して、この街のために自分の人生を捧げましょう。そして、こういう時代だからこそ、富士山から世界に何かを発信していかねばならないと強く感じています。

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2011.05.25

『失敗学のすすめ』 畑村洋太郎 (講談社文庫)

Photo 日もまた、学校という現場で強く実感しました。人は失敗や苦痛がないと学ばない生き物であると。
 もちろん、成功や快適さから学ぶことも多々ありますけれど、革命的なドラスティックな人間的成長というものは、「痛い目にあう」ことによって向こうからやってくるもののようです。
 その人からすれば、それは「産みの苦しみ」と言ってもいいかもしれません。成長とは生まれかわりだとすれば、私たちはその苦しみを避けて通るわけにはいかないのです。
 私の学校では、ある意味生徒たちが「思いっきり失敗できる」「安心して悩む」ことのできる環境を整えているつもりです。生徒の失敗を叱責したり、処罰したりして終わりにするのではなく、そこで生じた苦痛や懊悩を生徒自身が乗り越えて行くための後押しを忘れないようにしています。
 それはもちろん自分自身にも言えます。私も毎日が失敗の連続でして、いろいろな方にフォローしてもらっています(笑)。ホント、私は懲りない人間でして…皆さんすみません、なかなか成長しなくて。
 さてさて、この本がにわかに脚光を浴びていますね。著者の畑村洋太郎さんが福島第一原発事故の事故原因を究明する第三者機関「事故調査・検証委員会」の委員長に指名されたからです。
 私は何年か前に人にすすめられてこの本を読んでいました。たしかにこの本を読んで、自分の生き方が変わったかもしれませんね。先ほど書いた学校の方針も、もしかしたらこの「失敗学」の影響を受けているかもしれません。
 日本人というのは、「失敗」を恥だと感じ、それを隠蔽したり、人のせいにしたりする傾向があります。今回の震災や人災についても、いろいろなところで自らの失敗を認めない発言が飛び交っていますね。
 日本は「真似」の上手な国です。それは他国の失敗から学んで前轍を踏まないということを意味しているとも言えますが、自ら起こした失敗に対しては有効な対処ができないということをも意味します。
 その対処ができないから、失敗の事態は悪化していきます。その悪化がさらに「恥」を増長してゆき、「大本営発表」のようなウソ(タイミングも含めて)がはびこります。
 この期に及んでそんなことばかりを繰り返している日本は、今世界中に「恥」をさらしています。日本国内では通じるウソも、世界標準ではバレバレです。
 そして、そういう状況に対して、何も言わない何も言えない国民(自分も含めて)にも情けなさを感じますね。これは歴史上稀に見る「国難」です。どこに責任があるとかないとか、あるいは神の仕業だとか、そんな馬鹿げたことを言うのではなく、我々が自らの問題として責任としてとらえていかねばならないはずです。
 失敗とは成功や想定内の逆ですから、そこに想定外や危険が伴うのは当たり前。自分を守るのは自分。大切な人を守るのも自分。そのために情報を集めて最終判断をするのも自分。そういう意識こそが「失敗学」の原点ではないかと思います。

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2011.05.24

七つの社会的大罪…ガンジー

Img_1036753_27578206_0 都大学の小出裕章さんは、かなり早い段階から「本当のこと」をおっしゃってきました。原子力に関して素人である私は、基本彼の発言を参考に思考し行動してきたと言えるでしょう。
 当初は見えない力によって表立った発言を抑えられていた感のあった小出さんも、ようやく表舞台に出てこられるようになりました(それでもテレビにはなかなか出ませんが)。
 彼の発言についてはこちらによくまとめられているのでぜひ参考にしてください。
 表舞台と言えば、昨日小出さんは参議院の委員会に参考人としてお立ちになりました。たった15分間であったとはいえ、事故発生後2ヶ月経って、ようやく国会という場が彼を招いたのは一つの進歩だったのでしょうか。いやいや、いかにも遅きに失したという感がありますね。逆に言えば、もうのっぴきならない状況だということなのでしょう。いや、あの日からすでに進退窮まった状況だったのですが…。
 ニュースにもあったように、1号機のみならず2号機3号機でもメルトダウンが起きており、それどころか、溶けた高温の燃料が圧力容器を破壊し、格納容器の底に達する「メルトスルー」も起きている、いやさらに格納容器の底にも穴を空け、汚染された冷却水が大量に外部に漏れ出している可能性が高い。
 もうこれは正直なところ手の施しようがないということです。小出さんも、地下から全て石棺で覆うしかないというような話をされていましたが、それはあくまで理想論であり、現実論としては、そんな大規模な作業を非常に危険な環境の中で短期間のうちに実施するのはほとんど無理でしょう。
 ではどうすればよいのか。大難を小難にするにはどうすればよいのか。日本人は大きな試練を迎えています。今こそ智恵を結集するしかありませんね。もちろん世界中からの智恵を。
 我々一般国民にもできることはあります。あらゆるケースを想定して構えておくことです。そして喫緊の状況にある人たちを、余裕のある人たちが守ることです。あとは「祈る」ことでしょうかね。
 「祈る」というのは、もちろん事態収束へ向けての作業の進捗を祈るという意味もありますし、作業員の皆さんの安全を祈るという意味もあります。
 そしてまた、福島第一原発付近で大きな地震が起きないことを祈るということも大切です。福島沖、あるいは内陸でM7以上、震度も6に達する地震が発生する危険性は非常に高いと言わざるをえません。それが発生するタイミングの問題です。それを我々はコントロールすることはできませんが、大難を小難にという意味で「祈る」ことの意味は大きいと思います。
Ghandi さて、昨日の参議院委員会で小出さんはガンジーの言葉を引用したと言います。覚えていらっしゃいますか?皮肉なことにこの言葉、昨年の鳩山総理の施政方針演説で使われた言葉ですね。
 ガンジーの慰霊碑に刻まれているというこの七つの言葉。資本主義市場経済への忠告と言えます。もちろんそれに乗っかって驀進してきた日本への忠告とも受け取れます。
 もう一度、皆でこの言葉を味わってみましょう。日本語訳はいろいろありますので、やはり英語の方を重視したいですね。本当はヒンディー語の原文が一番いいのでしょうが。日本語訳は参考までに。
 「人格なき教育」というのはどうでしょうかね。直訳して「個性なき知識」とかでいいような気がしますが。平均化され無個性化されていく洗脳教育社会への警告にも受け取れます。

Politics without Principle 「理念なき政治」
Wealth without Work 「労働なき富」
Pleasure without Conscience 「良心なき快楽」
Knowledge without Character 「人格なき教育」
Commerce without Morality 「道徳なき商業」
Science without Humanity 「人間性なき科学」
Worship without Sacrifice 「犠牲なき宗教」


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2011.05.23

五百旗頭・班目・菅(苗字考)

 「目氏はデタラメ委員長」…いかにも亀井さんらしいオヤジギャグですね。
 まあ、たしかに班目委員長だけでなく、保安院も首相も五十歩百歩のデタラメです。言った言わないを言ってる場合じゃないですよね。まったく国の命運よりも自らの保身が大事というエライ人ばかりで困ります。
Dms1104151129004p1 そうそう、五十歩百歩と書いて思い出したので、先にこれを書いておきます。五百旗頭真復興構想会議議長(漢字がたくさん並びましたな)もトンデモ発言連発のデタラメ人間?右も左も保守も革新も超えた大人物とも言えますが、なんでまた彼に復興を任せるかな(苦笑)。
 それにしても、「マダラメ」だ「イオキベ」だ、最近ニュースに珍しい苗字の方々が登場しますね。
 先にイオキベの方から片づけましょう。これはもともと九州の五百木部氏でしょうね。「イオキベ」という姓は日本書紀にも見える由緒ある姓です。ちなみにそこでの表記は「廬城部」。なんだかわかりませんが、「いおき」を司った一族なんでしょうね。朝鮮半島系でしょうか。
 では、なんで「五百旗頭」なんていう変な漢字になったかと言いますと、五百旗頭真さん自らがおっしゃるには、「もともと五百木部だったのを、戦国時代に勇ましい五百旗頭に変えた」そうです。まあ防衛大学長にふさわしいエピソードとも言えますね。
20110524k0000m040049000p_size5_2 さて一方のデタラメ…じゃなくて「マダラメ」ですけど、私最初「班目」は間違いで「斑目」じゃないのかと思いました。書き間違いじゃないかと。
 だって、「まだら」と読む漢字は「斑」ですよね。「班」の訓読みは…あら分からんわ(苦笑)。と思って調べてみましたら、分からんどころか「わかつ」と読むんだそうです。なるほど「班」って分けた結果ですよね。
 じゃあますます「マダラメ」は「斑目」のはずだと思ってさらに調べてみたら、まあよくあることですけど、中国語っていい加減ですよねえ、同じ読みの漢字は相通ずとしてごちゃまぜに使う。この「班」と「斑」もそうらしいのです。
 で、たとえば中国では白髪の混じった頭を「班白」と言ったりするようで、日本でもその影響か、あるいは単なる書き間違いか知りませんけど、「班」を「まだら」と読む…というより、「マダラメ」を「班目」と表記するようになったようです。
 相模の国南足柄に「班目」という地名があります。「班目氏」はそこの出身だとも言われていますが、現在神奈川には「班目」姓がほとんどないことを考えると、どうもそれは違うような気もしますね。
 で、「班目」姓はどこに多いかというと、なんと!圧倒的に福島県なのです。ううむ、なんとも因果な話ですねえ。もしかしてデタラメ委員長、福島の出身なんでしょうかね。そして、福島から飛んできた放射性物質のおかげで足柄茶が出荷停止に…。これは単なる偶然なのでしょうか…偶然でしょう(笑)。
 ちなみに「斑目」の方は、どうも出羽国が出自のようです。つまり東北日本海側ですね。仙台藩主に仕えた記録もありますから、福島の「班目」はその亜流だと言えそうです。けっこうあるんですよね、亜流であることを示すためにあえて漢字を微妙に変えることが。
 いずれにせよ、「班目」にしても「五百旗頭」にしても、かなり珍しい苗字であることは確かです。私なんて「山口」ですからね、なんともシンプルというか重みがないというか、「山」も「口」も両方最も単純な象形文字、つまり「絵」じゃん!という苗字です。ま、いかにも私らしいので嫌いじゃないですけど。1秒で書けるし(笑)。
Plt1105231620004p1 そうそう、菅直人の「かん」というのもちょいと珍しい苗字ですよね。ウワサ話では、ルーツは済州島だとか中国山東省だとか、はてはジンギスカンだとか(ということは源義経か?ww)いろいろありますが、まあホントのところは美作菅氏でしょう。つまり菅原道真の系統です。藤原氏を藤氏というのと同じですね。やはりそれなりの血筋ということです。
 こういうことを書くとデタラメ言うなとか言われそうですが、一見読めないような難しい漢字の苗字の一族は、やはりそれなりの血筋であることが多いようです。
 明治になって初めて姓を得た人々は、全国的に有名な苗字か、書きやすく読みやすいシンプルな苗字を選んだに違いありませんから。地名というより地形やランドマークとの位置関係からの苗字も多いですし。 
 最後にもう一つ。「デタラメ」って「いでたらめ!」が語源です。つまり「出てしまえ!」、「口から出まかせ」ということですね。

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2011.05.22

NHK特集 スポーツドキュメント 『江夏の21球』

↓投球場面だけのダイジェスト。これだとドラマじゃないもんなあ…。

 れを観るのは何度目かなあ。また泣いてしまった。球史に残る名勝負1979年の日本シリーズ。広島初優勝のドラマ。天才江夏豊が起こした奇跡。
 そして、その実際の21球、30分弱の攻防を、まるで小説のように文学化したのが、山際淳司さんのノンフィクション「江夏の21球」です。
 そしてそして、その原作および現実を超えるとも言って良い映像作品に仕上げたのが、このNHK特集「江夏の21球」であります。
 今回は、その番組の中で実に冷静に、そして知的に解説をしている野村克也さん自身が「NHKアーカイブス」の第1弾としてセレクトして再放送されました。
 1979年、私は15歳。おそらく転校のため中学の野球部を辞めていたとは思いますが、野球少年であることには違いはなく、この試合をリアルタイムで興奮して観たことを覚えています。いちおうピッチャーやってましたしね(信じられないでしょう?)。
 NHK特集「江夏の21球」の初回放送はその4年後。1983年ですから、私はもう大学生でした。多少野球熱は下がっていたものの、この番組を観て思わず部屋の中でシャドーピッチングをしたことを記憶しています。
 それほどのドラマがあるんですよね。つまり、まるで巨人の星などの野球アニメのように、たった21球の中に様々な人間の様々な「思い」を織り込み、スローモーション、ストップモーション、リバース、回想シーンなどを駆使して、私たちをその奥深い「神の領域」に連れ込んでいくのです。
 もちろんそこには大いなる演出の力が働いているわけですが、たしかにプロのスポーツの最高の技や精神性を表現するという意味では、この演出もまた放送のプロの技であると言えますね。
 山際さんも含め、プロ中のプロのコラボレーションがこの奇跡の番組を生み出したわけです。
 それにしても江夏豊という投手、いや人間はとんでもないですね。まさに昭和の天才、怪物です。この番組の中でも、タバコをふかしながらふてぶてしい態度でインタビューを受けています。今ならありえない光景ですね。しかし、誰も文句を言えない。
 その天才的な怪物が、あの奇跡的なドラマを作り出したその過程には、あまりに多くの「偶然」が関与しています。それがこの作品のキモとなっています。たとえば江夏が全てをコントロールしていて、江夏の思い通りに試合が進んでいたら、こんな感動的なドキュメンタリーにはならなかったでしょう。
 同点延長になった場合、江夏に打順が回ってくること。三塁手が衣笠でなはなく三村だったこと。そして、あの19球目…。
 あの運命の1球、石渡のスクイズをはずしたあのカーブは「偶然」だったのか。江夏が故意にはずしたのか、それともたまたまカーブがすっぽ抜けたのか。
 そこに最終的に「謎」が残るところが、この番組の感動的なところです。そして、その答えを知っているであろうはずの本人が、最終的に「偶然」「神業」と言ってのけてしまうところが、まあ江夏の天才的怪物たるところですね。おそるべし。
 いや、ちょっと待てよ。今まさに、なんとなく自分なりにその謎が解けたような気がしたぞ。ああ、なるほど!
 もちろん間違っているかもしれませんけど、あの時、江夏は近鉄ベンチの動きや石渡の表情から、スクイズが来るとを察知し、最初からあのカーブのウエストでバント失敗を誘おうとしていたのではないか…。
 それをのちに謎化、ドラマ化、奇跡化、神業化したのは、実は江夏豊という天才的怪物自身なのではないと。そこまでやりかねないほどの大化物なんですよ、彼は。
 …とまあ、今回自分が大人になってみて初めてこのように感じたわけです。こうして何度観てもその時々の感想やアイデアが浮かぶところが、この作品の「文学」たるゆえんでありましょう。いずれにせよ、あっぱれ。
 今回は「今の」ノムさんの解説も加えられていました。リーダーとして部下をどう育てるかという話は興味深かった。「革命」…「進歩とは変ること」。それを促すのが上司の役目かあ。
 その「革命」という発想もそうなんですが、まあ昭和のプロ野球はなんだか「武士の真剣勝負」みたいでしたね。もともと野球には、単なる集団スポーツを超えた「一対一」の精神的な駆け引きのような部分が色濃くあります。その目に見えない心の戦いを見せてくれたのがこの番組なんでしょうかね。
 結局、江夏が近鉄の選手全てを呑み込んでいたということになりましょうか。いや、広島の古葉監督をさえ。そして、なんと言っても衣笠選手、彼はこのドラマを裏の主役でしょう。怪物を操ったのは、実は彼だけだったのですから。


追記

 この記事に関して知り合いから熱いメールをいただきました。当日このシーンを生で観ていた方の貴重な証言です。ご本人の了承を得まして掲載させていただきます。ぜひお読みください!

(以下引用)

「江夏の21球」拝読。熱いものが蘇ってきました。

実はこの試合,私,生で,それも三塁側応援席で見ていたのです。(生き証人)
ちょうど,大阪へ転勤になった年で,仕事の関係もあり,第1戦と第7戦のチケットを買っていました。
このシリーズは,ご存知のとおり「内弁慶シリーズ」と言われ,自分のフランチャイズでしか勝てない,それで第6戦まで3勝3敗。であの試合となったわけです。

試合開始前から,異様な雰囲気でした。
大阪球場(近鉄フランチャイズの日生球場は狭い,藤井寺はナイター設備がない)は, 3万数千人の観客の9割が近鉄ファン。3塁側は3000人程度で,周りにも近鉄ファンが大声出していると言う状況。試合前に広島応援団前に,近鉄応援団が古葉監督の張りぼてを持ってきて,5寸釘(もちろんおもちゃですが)を打ち込むパフォーマンスをやるという,ただならぬ雰囲気でした。

あの試合はまさに9回裏に,いろんなものが凝縮されていますが,山口さんのおっしゃる,衣笠が主役と言うのは正に名言。
対江夏だけのことでなく,私はこの試合で9回のこと以外で,今でも覚えているのは7回裏だったか,衣笠がサードを守っている時に,ファールフライをエビゾリになって 掴んだ守備です。
また肩の骨を骨折してしまうのではないかというほど,そっているように見えました。
あの守備にカープの絶対に勝つという執念を見ました。

あの番組でも北別府,池谷のリリーフ準備のことが取り上げられますが,その場にいた 私には,まったく違和感は感じませんでした。
まあ,大阪球場のブルペンは3塁側で丸見えですから話にあんな尾ひれがついたんだと思います。
多分江夏自身のその後の言動も本当はそのことが原因では無かったんだと私は思います。

結果論として,0点に抑え優勝したという結果から見ると,あの江夏の発言になるのでしょうが,その場で応援している立場としては,0点に抑えてという願望と,現実論1点は仕方ない,心の底では逆転サヨナラという不安も持ちながら,見ているわけです。
だから延長なら御の字という気持ちもある。今と違いロングリリーフですから,その先を考えるのは当たり前。

また佐々木のサードぎりぎりのファール,江夏は絶対にヒットにはならない球といいますが,少なくとも,肝を冷やしたのは事実。
ただ,西本監督も仰木サードコーチも抗議しなかったのは,あまりに淡白すぎたかも。
ロッテの有藤や大沢親分なら,抗議で中断という場面かもしれません。
しかし,3塁側スタンドから見たあの西本監督の表情は,今でも鮮明に覚えています。

あの日の応援団の旗や,チケット,翌日の新聞は今でも大事に持っています。
その前も,その後もいろんな試合を見てきましたが,あれだけ感動した試合はありません。
やはりベストゲームです。


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2011.05.21

地震雲(2011.5.15)と龍神

 のブログでは「地震雲」を何回か掲載してきました。もちろん「地震雲」などというものが実際に存在するのか、するとすればどのようなメカニズムで発生するのか、正直よく分かりません。
 ただ、「天変地異」という言葉が象徴しているように、天に変化があって(気象のみならず天文現象も含む)そして地異が起こるというのは、古今東西において人類が経験し、そして記録してきたことです。
 それが現代の科学で証明されなくとも、歴史に倣ってそれをしっかり記録し、将来の人類の研究に資するのは私たちの義務でもあるでしょう。
 どうも私はその記録が遅いようで、いわゆる「後出し」になってきました。反省も含めて復習してみましょう。

2010.11.30…11.30小笠原沖の地震の地震雲?

2011.3.3…3.11東北地方太平洋沖巨大地震の地震雲?

2011.3.14…3.15富士山直下地震の地震雲?

 記事の中にも書いてありますとおり、私は「直観(直感)」でそれぞれの雲を撮影しました。普段から比較的空をよく見ている方だと思いますが、実際に写真に撮るのは、ある種の「直観」…いやな感じとでも言いましょうか…があった時だけです。毎日撮っていて、後出ししているわけではありませんよ(笑)。
 今、3.11以降何回目かの地震活動の「山場」を迎えつつあります。地震活動は大きな波と小さな波を繰り返しながら次第に収束していきます。その中に突発的な大きな波が来ることがあり、それがのちに最大規模の余震や誘発地震と呼ばれることになります。
 実際のところ、M9のあの巨大地震の最大余震や最大誘発地震はいまだ発生していないというのが私の見解です。ここ数日の地震活動の活発化、つまり「波」の中で、突発的なピークが発生する可能性も考えておかねばなりません。もちろん、今回の地震に似ているスマトラ島沖の地震の例もありますし。
 というわけで、今回は先に「いやな感じの雲」の写真を掲載しておきます。撮影したのは15日、東京からの帰りの車の中です。あの日は非常に風が強く、ただでさえ変った雲が多く見られたのですが、やはりそれにしてもちょっと変すぎる(全然科学的ではない表現…笑)と思い、車を運転しながらiPhoneのシャッターを切りました。そのため、ピンボケしてたり、ブレていたり、ガラスの汚れが写り込んでいたりしてますが、とりあえず全部アップしておきます。

↓中央道国立インター付近からです。
Img_2346

↓東にカメラを振ってみました。
Img_2348

↓南方面。
Img_2350

↓もう一度東方向。
Img_2352

↓上野原付近で北西方向の空。これは珍しい雲ですね。
Img_2356

↓西桂町付近北西方向。
Img_2358

↓富士山に帰ってきて異様な色の夕焼けを撮影。
Img_2362

 これらの雲が一般的な気象現象なのかそうではないのか、論理的には判断できませんが、「直観」からすれば、やはり特殊だと思います。
 仮にこれが「地震雲」だとして、では、これが発生した地域に大きな地震が起きるのかというと、そうとも言えません。3.3のあの富士山上空の「天変」が3.11の東北の「地異」につながっていたのだとすれば、8日後に遠く離れた地域で起きるであろう地震と対応していたことになります。
 私の経験からすると、地異の規模が大きければ大きいほど、天変のスケールも大きくなる傾向があるようです。つまり、時空ともにより広範な呼応が起きるので、ある意味日常的な感覚では気づきにくくなるわけです。
 これも非常に無責任な「直観」に基づくので、あまり言葉にしたくはありませんが、この日のこれらの雲は、ちょっと3.3に感じたあの「いやな感じ」に似ているような気もしないでもないのです。ですから、今日あえてアップすることにいたしました。そろそろ1週間ですし。
 ところで、私はこのたびの巨大地震に関する記事の中で「龍神」という言葉を何度か使ってきました(たとえばこちら)。龍神というと、宗教や神話の世界の話だと思われる方も多いでしょう。実際私もそういう意味で使ってきたこともあります。
 しかし、一方では、実は「自然現象」を表現する言葉でもあるのです。地震雲と言われる雲の多くは、いわゆる「龍体」というデザインをとることが多い。すなわち、古代から人々は、天変たる地震雲を「龍」に見立ててきたのです。そして、それが現れた後に地異が起きたとすれば、当然「龍が地震を起こした」という「物語」が産み出されますね。
 実際、過去に大きな地震を発生させた断層がある地域には「天竜」や「竜王」といった「龍」にまつわる地名がついていたりします。
 これ一つとっても、我々の宗教心や神話へのシンパシーと自然科学とは直接結びついていることが分かりますね。現代においては、そういったマクロな視点も必要だと常々考えています。
 さあとにかく、私の直観が大いにはずれて、何事も起きず、あるいは事が起きても小難ですむことを祈ります。ただ、いつも書いているように、注意するに越したことはありませんから、昨日の記事の内容も含めて皆さまの頭の片隅にこの映像も留めておいてもらいたいと思います。


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2011.05.20

とりあえず…地震に注意

Photo ょっと時間がないので、先に結論だけ書いておきます。また改めて詳しく書きます。
 やや地震活動の活発化が見られます。これから福島県内陸南部から茨城県内陸北部、東北地方から関東地方の太平洋沖を震源とする大きな地震が起きる可能性がありますので注意をしましょう。
 これから…というのは明日かもしれないし、数ヶ月後かもしれないし、数十年後かもしれません。地域的にも時間的にもずいぶんと広い範囲ですが、3.11が巨大すぎたのでしかたありません。
 ただ、ここ数日〜来月にかけて一つの山がありそうな気がする(あくまで「気がする」程度の判断です)ので、気をつけましょう。
 私は予知や予言をしているのではなく、可能性を述べているにすぎません。「忘れた頃にやってくる」という教訓から「忘れない」ように書いているだけです。当たったとかはずれたとか、そういう次元で読まないで下さいね(苦笑)。
 加えて、3.11の破壊域に南接する地方、つまり千葉県の内陸や沿岸、太平洋沖、さらには地震空白域である千葉県南方沖まで注意が必要です。
 またここ数日で気になったのは、なかなか収束しない秋田県内陸南部の地震の震源が、やや西に移動しはじめているということです(つまり沿岸南部になっている)。それが何を示唆しているのか、正直なところ全くわかりませんが、今までとは違った傾向にあることはたしかです。三陸沖大地震のあとの陸羽地震という経験があるので、これも注意して注意しすぎることはありません。
 たまたま今日のニュースに米研究グループ「大地震の恐れ」茨城沖、ひずみ蓄積かというものがありました。福島県沖、茨城県沖、千葉県沖はまだアスペリティが残っています。かなりストレスを溜めている状態ですので、数十年の間にはそれらが連動して第二の巨大地震が起こる可能性もあります。
 そうそう、今日はとんでもないニュースも飛び込んできました。与謝野馨氏の発言です。「原発事故は神の仕業」…呆れて開いた口が塞がりません。こういう不適切な言霊が、再び「神の怒り」を引き起こさないといいのですが。とりあえず鎮爆の祝詞でも上げておきましょうかね。ふぅ…。
 では、とりあえず明日も気をつけて。


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2011.05.19

「熱中スタジアム〜赤塚不二夫後編」に出演しました!

Vlcsnap2011052007h50m42s17 週に続き「熱中スタジアム〜赤塚不二夫」に家族で出演しました。
 前回は「天才バカボン」に特化した回でした。今回はその他の作品やキャラクターの特集。つまり私たち家族にとってはあんまり得意でない分野ということもあって、予想通り先週ほどは映りませんでしたね(笑)。
 下の娘の一言を拾っていただいたおかげをもちまして、家族全員の声もオンエアされたということになります。
 下の娘、あの一言を言うのも大変だったんですよ。もともと話すのがそんなに得意じゃない上に、山本監督が「テレビは映るだけじゃだめ!」とかお説教してくれたものだから(笑)、けっこう表情が固まってましたね。
 それにしても、赤塚先生の生み出すキャラはすごいですねえ。私、イヤミを「戦後日本人」と言いましたが、そういう「共感」があるから愛されるんでしょうね。どのキャラにも愛すべき性格が存在する。その愛すべき性格とは、私たち自らの中にあるとっても「日本人的」な部分だと思うんです。
 義理人情に厚く、そして忍耐強くて、主張はしないけれど矜恃のようなものを持っている。そして、常に前向きで笑いを忘れない…そんな、古き良き日本人が生きていますね。もちろん、それは赤塚先生そのものであったとも言えましょう。
 今回、このような機会を頂戴し、ウチではますますバカボン熱が高まっております。無印に続き、「元祖」のDVDボックスも買いそうな勢いです。そして、他の作品についても、とりあえず文庫全集を揃えようかな。
 他の出演者の皆さんにくらべ、ウチはまだまだ愛情が足りないと痛感しました。本当にいい意味で、今回の出演者の皆さん、みんな赤塚キャラのような感じでしたよね(笑)。素晴らしい。
 家族としても、とても良い思い出ができました。番組スタッフの皆さんにも感謝です。

 放送内容…熱中スタジアム公式


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2011.05.18

わくわく原子力ランド(?)

20110519_64615 日、ウチの中学では「タイヤ交換」の実習をしました。こんなことやるのはウチだけでしょう(笑)。女子もジャッキからトルクレンチまで、いろいろな道具を使って頑張っていました。
 ウチの学校では、私や名物おじいちゃん先生らの趣味…いや、教育方針でそういう実生活に即した実習を多く行なっています。本当の意味での「生きる力」を育てたいんですよね。
 ただタイヤが交換できればいいということではないんです。いろいろな「モノ」から得る感覚を体験してほしいんですね。昨年度末の模型飛行機製作&飛行大会もそうなんです。今の子どもたちは「モノ」から学ぶことが極端に少ないんで。
 実は今日の実習ではアクシデントもありまして、私の車のタイヤを固定するあのボルトが一本ねじ切れました(笑)。しかし、それもまたいい勉強です。こんなに太い金属でもこんなにきれいに切れちゃうんだということを実感したことでしょう(笑)。
 で、こちらはその対極にあるような話。ちょいと忙しくてあんまりとうとうと語れませんけど、とにかく日本の教育界、いや戦後日本を象徴するような「教材」なので、ぜひご覧ください。
 つまり、「原子力の素晴らしさ」と「原発の安全性」を小学生に叩き込むための副教材なんです。これが昨年の11月ごろ全小学校に配られました。
 あの事故があってから、文科省のホームページからはダウンロードできなくなっていますが、こちらにはまだ残っていたので紹介することとしました。こちらも近いうちに消える可能性大なので、今のうちに他のもの(中学生用とか)も含めてダウンロードしておきましょう。
 繰り返される「地震対策は万全である」みたいなくだり(特に教師用)には、もう怒りを越えて哀しみやおかしみさえもおぼえてしまいます。
 これでは、戦前戦中の教育と何ら変わりありませんね。国家的な洗脳です。そして、今も毎日のように政府や東電や安全・保安院や御用学者による「大本営発表」によって洗脳は続いています。
 私はもちろんこんな教材が送られてきても配布もせずゴミに出していましたが、問題は原発だけではありませんからね、本当に教師として教育者としていろいろと反省をしなければならないなと痛感しています。
 学校で教えていることを鵜呑みにするな、教科書を信じるな、オレも疑え、というのは勇気のいることですけれど、そういう言葉を発するのでなくとも、自分の中にそういう意識を持つことは非常に大切だと思います。
 教師はお山の大将になりがちですし、それ以前に世間に出たことのないボンボンや優等生が多いのが実際ですから。私は教師である以前に人間としての良心でそういう危険を回避したいと思います。
 いったい何が「わくわく原子力ランド」なんでしょう。今や「わなわな(ガクブル)原子力ランド日本」ですよね。
 しかし考えようによっては、これらの副読本たち、原子力の是非の判断以前に、原子力についての知識を得るためにはなかなか有用です。今回ニュースで初めて知ったような言葉がほとんど出てきていますね。特に中高生向けのものは大人が読んでちょうどいいくらいの詳しさです。
 ある意味これを使って原子力の危険性を教えていれば、このような世の中にはなっていなかったかもしれません。ただあの日以前には、私も「国の言うことは信用するな」とは言えませんでした。原子力に関しては正直無知、無関心でした。やはり人間はコトが起きてからでないと何も気づかない生き物なのですね。
 世の中にはほかにもこうした知らないコト、起きていないコトがたくさんあるのでしょう。私たちの日常や平和というものは、そういう危うさの上に成り立っている、まさに砂上の楼閣なのでした。
 では以下のリンクからごゆっくりどうぞ。

なるほど!原子力AtoZ パンフレット・副読本

 そうそう、このサイトの耐震安全性のページもぜひご覧ください。「安全」「万全」「想定」…今となっては虚しい言葉がたくさん羅列してあります。

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2011.05.17

クリストフォリ(最古のピアノ)で遊ぶ…その2(調律編)

20110517_21_11_03 1ヶ月ぶりに娘のレッスンに帯同。こちらに書きましたとおり、娘のピアノの先生というか、歌謡曲バンドの仲間というか、最近では古楽の仲間というかの方のお宅に、世界最古のピアノクリストフォリのレプリカが来たんですよ。
 で、今日もそれをいじりに行ってきました(って娘のレッスンはどうなってるんだ?)。
 まずは調律。そうそう、私、鍵盤楽器は基本弾けませんしほとんど弾きませんが、調律は大好きなんです。
 ピアノの調律って、普通は専門家まかせじゃないですか。これってある意味特殊な状況ですよね。だって、自分の楽器を自分で調律しないなんて、ほかの楽器じゃありえない。まずチューニングができてなんぼです。
 これはピアノという近代兵器(!)の特徴でもあります。つまり工業化しているということですね。ブラックボックス化です。人任せという意味では極端な話、原発と同じようなものです。
 それも調律師の調律と言えば基本「平均率」ですよね。私はあんなつまらん調律はしませんよ(笑)。かと言って、ベルクマイスターとかヤングとかミーントーンとか、そういう古典調律をするわけでもありません。
 では、どういう調律をするかと言うと、「適当」です(笑)。「適当」というのは「テキトー」という意味でもあり、「適切」という意味でもあります。
 つまり、今から演奏するであろう曲のイメージに合わせて調律していきます。たとえば今日は、モーツァルトのピアノとヴァイオリンのためのソナタのハ長調かト長調を演奏しそうだったので、それに合わせて響きを作って行きます。
 たとえば、同じト長調でも曲調によって、また共演する楽器によって当然調律は変わります。今回は自分が弾くバロック・ヴァイオリンと合わせますからイメージしやすかった。
 音楽的なことを詳しく書くといろいろ出てきますけど、たとえば当該曲は途中同名調のト短調に転調する部分がありますから、DとEの間にある黒鍵をどう処理するかというのがミソになります。つまり、D♯として使う時とE♭として使う時とがあるので、どう辻褄を合わせるか、というか、どう折り合いをつけるか、あるいはどこまで妥協するかというのを考える(感じる)わけです。
 それで和音を鳴らしたり、音階を弾いたりしながら最終的に調整していく。そう、和音を優先するかメロディーを優先するかも大切なポイントですね。
 隣で娘がモダンピアノでレッスンしている横でこの作業をやってしまう私はもしかして天才?ww
Vlcsnap2011051808h06m26s237 まあ耳で合わせるというより、指先の振動で合わせるんで問題ないんです。もちろん、チューナーなんていう悪魔の道具は全く使いませんよ。
 世の中のピアニストには、どれくらいこういう感覚があるんでしょうかね。ちなみにキース・ジャレットはコンサートの最中、自分でどんどん調律してました。
 しっかし!困ったことが。ハ&ト長調用に調律したクリストフォリで、娘がニ長調の曲を弾くことになった!急きょEだけちょっと調整したんですけどね、ニ長調のところはまあいいのですが、5度転調してイ長調になったところでは、ゲゲゲッという響きが(笑)。ああ、やっぱり平均率(それも1年くらい平気で狂わない)はすごいな。
20110517_21_17_21 娘の演奏が終わりましたら、さあいよいよモーツァルト時代の響きの再現です。なにげにこれってすごい光景ですよね。この片田舎で久保田さんのクリフトフォリとルビオのバロック・ヴァイオリンの共演が実現するなんて(演奏の巧拙は別として)…。
 前回はモダン・ヴァイオリンを持って行ってしまったので、全然音が溶け合わず今一つ演奏も乗り切れませんでした。しかし、今回はさすが同時代の楽器。音量的にも音質的にも絶妙にマッチしていた…はず。
 いやあ楽しかったな。大人たちがキャーキャー盛り上がっている間、娘はヒマそうにiPhoneでゲームをやっておりましたが(苦笑)。
 というわけで、皆さんも鍵盤楽器の調律という楽しみをぜひ体験してみてください。

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2011.05.16

トリフィールドメーター100XE(電磁波測定器)

Photo_2 日東京に持っていった、というか、たまたま車に載せてあって連れて行ったのがこの機械。ちょうどいいとばかりに、これを持って朝の東京を散歩しました。なんともアヤシイ姿ですね(笑)。
 きっとすれ違った人は、私がガイガーカウンターで放射線量を計測しているのだと思ったことでしょう。今だったらそういうふうに思うのも自然です。
 いや、これはガイガーカウンターではなくて、ガウスカウンターです。つまり、電磁波測定器です。
 さすが東京は富士山よりもずいぶんと電磁波が飛び交っていますね。自宅周辺ですと、高感度のモードにしてもほとんどゼロのあたりを時々ピクピク動く程度ですけど、東京では常に0.2〜0.5ミリガウスくらいのあたりを指しています。
20110515_7_07_11 ちなみに、Twitterに載せたこちらの写真は、ある普通の街の路上でのメーターの様子です。一番感度の高いモードで計測しています。1ミリガウスくらいでしょうか。これは電柱の上にある変圧器と、マンションの屋上にある携帯電話用の送信アンテナの影響だと思います。
 しかし、電磁波が人間の体に与える影響も、放射能と同じくらい「気分」に左右されると考えていますので、それほど気にしていません。長時間極端に発生原因に近づかないかぎり問題ないでしょう。光だって立派な電磁波ですしね。十把一からげに「電磁波は危ない!」というのはどうかと。
 だいいち、私は電磁波の実態がよくわかりません。電場とか磁場とか、はっきり言って勉強してもよく分からないのですよ。よくわからないかこそ恐いというのもありますが、まあとにかく電気が流れると必ず電磁波は生じるわけですから、私たちは毎日電磁波と仲良く暮らしているとも言えるわけです。
 いろいろ家の中などを測定してみますと面白いですね。電気製品は電源が入っていなくても、コンセントにつながっていると結構電磁波を発生させています。そういう目に見えないモノを数値というコトに置き換えてくれるのがいいですね。世の中には目に見えないモノがたくさんあるということを認識させてくれるだけでも有用です。
 機械(製品)によっては、電磁波対策がしっかりしていて、作動中もあまり発生しません。特に常に人体の近くにあるものですね。たとえばパソコンや携帯電話はしっかりシールドしてある感じです。あまり心配しなくていいでしょう。
 その点、ウチで言えば、ずいぶん昔に買った韓国製の格安電子レンジなんか、作動してなくても結構強い電磁波を出しています。作動するとまあ大変。さすがに窓から中をのぞくのが躊躇されるようになりました。安い外国製品はたいがいそういうところで手を抜いているようですね。あとは家電では電気器具は概して強い電磁波を出しています。警報器とかセキュリティー装置だとか分電盤だとか。
 あと、びっくりしたのは、まさにこの機械が積んである車。エンジンをかけると車内にとんでもない電磁波が発生します。高感度モードだと完全に振り切ってしまいます。
 特に私の車、いわゆるキャブオーバータイプですから、お尻の下にエンジンや電気系統があるわけですね。たしかにあれだけ高電圧の放電を繰り返しているわけですから、私のお尻は電磁波をかなり強く受け続けていることになりますね。だからと言って痔になったりはしていませんから、その影響がどんなものかは分かりません。便通はいいかも(笑)。でも、正直次はキャブオーバー型はやめようかなあと思っています。普通のフロントエンジン車ではその数値はかなり下りますから。
20110508_15_05_22 ちなみにウチのすぐ近くにあるテレビ局の送信所で計測してみますと、30メートルくらい離れていても、それなりに高い数値になりますね。すぐ近くに別荘などがありますが、他人事ながらちょっと心配ではあります。もちろん、高圧電線の近くでも同様かそれ以上の電磁波が測定されます。
 さてさて、本題に入ろうかと思います…いや、長くなるので、そちらはまた後ほど書くこととしましょう。このガウスメーターを購入した理由です。実は身近な電磁波を測るためではなくて、もっと大きな規模での電磁波の変化を測定しようとしているのです。それが「地震予測・噴火予測」につながる可能性があるからです。では、また後日。

 【ご予約注文】【円高還元セール特別価格】世界NO.1ガウスメーター(電磁波測定器)トリフィ...

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2011.05.15

新宿御苑

20110515_9_25_27 夜はなんとも素晴らしい体験をいたしました。達人の舞と謡によってパワースポットが活性化したという感じでしたね。
 今日は今日でまた違った意味でのパワースポットでまったりいたしました。新宿御苑です。皆さんいらしたことがありますか。案外東京の方も利用されないのではないでしょうか。
 私も東京に住んでいた少年時代にはこんな所があるなんて知りませんでした。実は私、今回が2回目だと思います。
 まあ今どきの若い人は、隣接するいわゆる都会の喧騒の中に身を置くことはあっても、わざわざお金を払ってこの森には分け入りませんかね。
 でも、変な話、たったの200円ですよ。200円払って丸一日ここでまったりできるのなら、ずいぶんと安いレジャーだと思います。
 もちろん桜の季節や紅葉の季節に身近な観光スポットとして利用される都民の方もいらっしゃるでしょう。しかし、実はそういう特別の時ではなく、たとえば今日のような普通の日の朝にこそ、ここの魅力は倍増するというものです。
 今日は私、9時の開門と同時に入場券を買って森に入りました。ほとんど誰もいません。あの広大な皇室のお庭を独占できるのですから、こんな贅沢はありません。
 いつも富士山の樹海の近くに住んで、森の妖精、いやいや森の仙人のような生活をしているくせに、なんでわざわざ都会のど真ん中の森に行くのかと不思議に思われる方もいらっしゃるでしょう。
20110515_9_11_49 もちろん、富士山の森は、それはそれで世界でも特別なパワースポットですよ。しかし、たとえば新宿御苑はそれとは全く違った意味での特別さを持っていると感じるのです。
 あのような高層ビル群に囲まれて、電車の音がや車の騒音が聞こえる、あの中にあるからこそでしょうか、人間の活動のエネルギーをも含めた大きな気の流れを感じます。
 森自体も大変によく人間の手が行き届いています。「手入れ」ですね。そうした部分にも人間と自然のコラボレーションを見ることができそうです。
 それはそれで私は魅力的な自然だと感じるんですよね。そうそう、いつか書きました。東京の自然は「自然」で、実は田舎の自然は「不自然」だと。こちらですね。まあ、これはやや極端な意見ですけれどね。ただ、自然の姿を保つための「手入れ」と、自然を利用するための「管理」では、やはり大きく意味が違うと思うんですよね。
 あの文では「手つかず」と表現してしまいしたが、それはあくまで「主体」が汚されないという意味での「手つかず」であって、「手入れ」もなにもしていないということではありません。
 広い意味では、人間も自然ですよね。自らの生命も含めての「自然」を守ろうとする時に生じる「手入れ」の発想と行動は、それはそれでやはり「自然」の一部だと考えるわけです。
 昨夜の芸能もそうでしょう。それこそが実は人間の仕事なのかもしれませんね。自然を生かす、そして活かす。それこそが自らをも生かし活かすことになるのではないでしょうか。
 そんな、日本人と自然との関係を象徴するのがこの森ではないでしょうか。もちろん、皇居や明治神宮にも豊かな森は存しますけれど、やはりそれが完全に自由な形で国民(一般大衆)に開かれ、そして参拝など他の行動を強制しないという点において、この新宿御苑は格別に貴重な存在であると思います。
 大正天皇と昭和天皇の大喪の礼が行われたのもこの御苑です。日本国(国家としてというよりも、文化、歴史としての日本)の象徴たる天皇が、人間としてのその役目を終え、まさに自然に還っていく場がこの森であったというのも、またなんとも意義深いことだと私は思います。
 そして、日本庭園のみならず、イギリス式、フランス式の庭園もあり、また台湾風な建物もあったりして、それらがまた不思議と調和し、グラデーションのごとく一体化している。まさに多様性の極みのような公園でもありますね。
20110515_9_50_47 今日は入園後、ゆっくり一回りしまして、日本庭園のほとりの一つのベンチを占拠させていただきました。いろいろ感じながら歩いて、これぞというスポットだったからです。この松の巨樹には天空から太い気が流れ込んでおりました(ま、私の直感なんであんまり信憑性はありませんが)。
 そこでしばしぼんやりしたり、まどろんだりしていましたが、実に気持ちよかった。次も朝早く来て、あのベンチに腰かけたいなと思います。
 皆さんもぜひ、特に東京にお住まいの方はぜひ、早朝の新宿御苑でこの木を探してみてください。
 こういう自然と人間の関係を体感しますと、たとえば原発のような「人工の自然」はやはり不自然だと痛感しますね。「科学の火」などという第二の自然を創り出すなど、なんと傲慢なことなのでしょう。

公式ホームページ

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2011.05.14

大宮八幡宮薪能〜隅田川

Ohmiyatakiginou_h23 並の大宮八幡宮で薪能を堪能してまいりました。
 この薪能にはここのところ毎年行っております。教え子が野村四郎先生の弟子となり、この薪能に出演するようになったからです。
 彼女、今年は舞囃子「養老」の地謡と「隅田川」の作り物の出し入れを担当しておりました。舞が見られなかったのは残念ですが、地謡では声がよく通っており、精進の様子がうかがえました。大変な世界で頑張っていて偉いなあと思いました。
 さてさて、本日の番組は「養老」と狂言「清水」、そして能「隅田川」。「養老」と「清水」も充分楽しめましたが、なんと言っても「隅田川」の素晴らしさには、これは変な表現ですが「身の毛がよだつ」ほどでした。
 子を失った狂女を演じた四郎先生にはまさに「鬼気」が迫っておりました。能の本質「モノマネ」を見たような気がしましたね。
 つまり、「モノマネ」とは「モノ(霊)」を「招く」ということなのです。まあ簡単に言えば憑依ですね。演者自体が媒体となって霊界とつながる…それこそが能の、いや芸能全般の本質なのです。
Img_2312 大宮八幡の神気とも相俟って特殊な空間が現出していたように感じました。そのせいか、途中スタッフの方が突然大きな音とともに倒れるというアクシデントもありましたが、なんというかそのせいで興が醒めるというようなことはなく、逆にさもなりなんと思ってしまいました。
 私はいつものように、あえて椅子に座らず立って観賞していました。その方が体全体で空気を感じられるし、実際よく見えるからです(眠くならないというのもありますが)。観世の時代、社や市で行われていた能では、おそらくこうして立って観ていたのではないかな、などと思います。能楽堂などでまるでクラシック音楽を聴くかのように行儀よく座って(寝て?)いるのも結構ですが、こうしてスタンディングで演者と一体化するのもいいかと思います。実際、四郎先生の動きに連動して体が微妙に動きましたからね。ライヴだなあと感じました。
 この隅田川は、死んだ子どもに対する弔いの意味が大きい作品です。子どもの死というのは、当時としてはけっこう日常だったと思いますが、このたび大震災があって、子どもも含めて多くの命が失われたことを思うと、あの「南無阿弥陀仏」の念仏の合唱は、まさに霊界への呼びかけであったと思います。
Img_2315 念仏の中に子どもの声が聞こえるシーンでは、思わず涙が溢れ出てしまいました。まるで空から聞こえてくるような、あのぽっかり浮かんだ朧月から聞こえてくるような、不思議な感じがしました。
 そして、この能の作者である元雅と父世阿弥の「子方」論争の部分…最後に亡くなった子どもの亡霊を登場させるべきか否か…ですが、今回は登場しない形をとっていました。つまり、世阿弥の解釈を採用したということです。
 これは私は正解だったと思います。このたびの震災のように不特定多数の方々が亡くなった事実を受けるならば、あの物語における子どもの霊は、私たちの想像力によって一般化されるべきだと思うからです。私たちはあの塚の後に、それぞれの「子方」を見ていたことでしょう。
 命に対する弔いにおいては、日常語や日常の生活動作は全く力を発揮できません。私も今回それを実感しています。そんな時、この気持ち、いや気持ち以前の魂の震えのようなモノを表現できるのは、結局こうした芸能であり、物語であると思います。
Img_2325 芸術や芸能の価値とは、実はこういうところにあるのではないでしょうか。期せずしてそれを痛感することになりました。
 それにしても、能はすごい。14、15世紀にすでにあんな、西洋のオペラをしのぐ歌舞や表現が完成していたわけですからね。何かを際立たせるという意味ではバロック的な表現でしょうか。しかし、根本は引き算の発想です。削ぎ落として削ぎ落として、そしてこちら側の想像力と創造力を最大限に発揮させ、大胆な表現を実現している。それを当時の庶民までが楽しんでいたわけですから、日本恐るべしです。
 ううむ、もう一度あの空間で観たい。本当に特別な経験をさせていただきました。ありがとうございます。


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2011.05.13

今日の富士山と雲(2011.5.10&13)

 日はこれから15年くらい前に卒業させたカワイイ教え子たちと飲み会です。教え子たちと飲むのって最高の幸せです。彼らも当時の私の年齢よりも上になっているわけで、なんとも不思議な感じですよね。
 でも、彼らも私も集まると高校時代にすぐにタイムスリップしてしまうから面白い。あのクラスは個性豊かで事件ばっかり起こしてたけど、妙に気の合う連中なので今日も楽しみです。
 というわけで、明日の朝もたぶん時間がない(寝ている)ので、今日は富士山と雲の写真だけ載せます。
 せっかくですから10日に撮影した写真も見てもらいましょうか。

↓5月10日、富士山西側に現れた「だんご三兄弟」レンズ雲。
Gedc0733

↓東側の巨大吊るし雲。
Gedc0734

↓全体像をパノラマで。
Gedc0735

↓いろいろな形の雲がありますね。
Gedc0736_2

↓少しアップで。
Gedc0737

↓もう一度巨大吊るし雲。ディテールがこわい。
Gedc0740

↓今朝の富士山と富士吉田の街。
Gedc0741

↓アップで。北西斜面の雪が特に溶けてますが、その部分の地表温度が高いとかそういうことではありません。ご安心を。毎年のことです。ちなみにその部分に農鳥が現れてますが、今年はなんだか変な形。くちばしの先から何か噴射してますな(笑)。
Gedc0744

↓静岡方面から伸びてくる雲。地震雲ではないと思いますが…。
Gedc0745

↓パノラマ撮影失敗。地球が傾いています。
Gedc0747

↓偏光フィルターをつけて撮影しています。そしてHDR処理。
Gedc0749

↓ちょっと怪しい雲ですね。
Gedc0750

↓以下夕方の富士山と雲たちです。黄砂の影響かきれいな茜色に染まっていました。
Gedc0752

Gedc0753

Gedc0754

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2011.05.12

NHK BSプレミアム「熱中スタジアム〜天才バカボンナイト」に出演しました。

20110513_70530 カ田大学校歌を熱唱!いきなりオープニングから飛ばしております、我が家。
 ああ、夢が叶った!私の最終学歴は「バカ田大学」になりました。
 ちゃんと角帽被ってますよ〜。

 ひょんなことからNHK BSプレミアム 『熱中スタジアム』…集え!「赤塚不二夫」ファンに、家族で出演することになりました。そんなに詳しくないんだけどなあ(笑)。
 なんとなく恥ずかしいのですが、興味がある方はぜひご覧くださいませ。

 12日(木)23:30〜24:14 前編「天才バカボン」
    (再放送)18日18:00〜
 19日(木)23:30〜24:14 後編「その他の作品」
    (再放送)25日18:00〜

 …と告知しておりました番組が放映されました(収録の報告はこちら)。
 我が家族の発言が、思ったよりもたくさん使われており(オープニングにも!)、嬉しいやら恥ずかしいやら…(笑)。
 それにしても、ディレクターさんのおっしゃっていた「編集の魔術」とやらに改めて感心いたしました。非常に良い流れの番組に仕上がっておりましたね。
 赤塚先生をよく知っている人、よく知らない人、老若男女全てに響く内容になっていたと思います。
 裏舞台を知っているからこそ、「作品」としての「番組」の仕上がりに感激。もともとそうした「編集」に興味を持っていましたからね、本当に勉強になりました。
 特に、あの山本晋也監督の暴走(笑)をよくあそこまでうまくまとめたなあ。放映されていない裏話も満載だったんですよねえ。番組では結局一番いいことおっしゃってますね。
 「人を不快にしない」
 「これでいいのだ…ハードル高い言葉なんだよね」
 「赤塚先生の優しさそのまま」
 そしてそれを受けて泉麻人さんがおっしゃった「野仏」「地蔵」発言に、うんうんと大納得。
 赤塚先生の天才性とお人柄(のほんの片鱗)が上手にまとめられた素晴らしい内容だったと思います。
20110513_70403 おかげさまで(?)、私の「白雪先輩」や「忘れようとしても思い出せないのだ」に関する発言を拾っていただきました。ありがたいと思います。
 ホントは私の悪いクセで、もっと哲学的、宗教的な話をしたかったのですが、それだと独りよがりになってしまいますよね。話のしかた、コミュニケーションについてもいろいろと考えさせられました。
 ちなみに事前の打ち合わせの段階では、バカボン一家と赤塚先生を、日本神道古来の「一霊四魂」で解説する予定だったんです。しかし、直前になって「公共放送という性格もあるので、ちょっと宗教的なお話は…」ということでボツになりました。
 いちおう、ここには記しておきます。これは最近強く感じていることです。

荒魂(あらみたま)=勇=行動力があって世の中を動かす→パパ
幸魂(さちみたま)=愛=ありんこにも声をかける→バカボン
和魂(にぎみたま)=親=個性的な登場人物の調整役→ママ
奇魂(くしみたま)=智=賢くて冷静で論理的→ハジメ

 そしてそれらを統括する直霊(なおひ)が赤塚不二夫先生ということです。
 冗談抜きで、このバカボンワールドは出口王仁三郎の霊界物語に非常に近い世界だと思っています。
 そう言えば、赤塚先生直近の弟子、長谷邦夫先生を介して両者(赤塚&出口)は関係があると言えばあるんですよね(こちら参照)。
 というわけで、出演した私たちも充分に楽しめる番組でした。来週はバカボン以外の作品を取り上げます。正直、私たちはバカボン要員としてお誘いを受けましたので、来週はそれほど出番がないと思います。
 もし、興味を持たれた方は、今回の再放送が18日の18時からありますのでどうぞ。第2回は19日の23時30分からです。

放送内容まとめ(公式)

熱中スタジアム公式

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2011.05.11

天皇皇后両陛下が福島で「鎮魂」と「地鎮」

20110511025jd 日、あのようなことを書きましたが、なんとか無事に「11日」が過ぎそうです。
 ワタクシの中の「物語」的に言えば、これは天皇皇后両陛下のおかげであります。
 ご存知のように、今日両陛下が被災地福島をご訪問されました。昨日書いたことがあるので、私は内心心配していたのですが、それは全くの杞憂でした。
 ご覧下さい。今日福島県内陸と福島県沖に地震が発生した時刻です。

0時13分
1時14分
3時9分
7時15分
11時0分
11時9分
17時20分
19時23分
21時57分
23時8分

 ちょうど陛下が福島県内にいらした午前11時台から午後5時台まで、ぴたりと地震が止んでいるのがわかります。これは偶然なのでしょうか。
 実は、天皇と艮(日本の東北方面)の地震とは、切っても切れない因縁があります。そう、私も3年前こちらに書きましたとおり、以前は天皇が東北入りすると大地震が起きるという不思議なジンクスがあったのです。
 しかし、このたびはその逆のことが起こりました。私がある方面から聞いたウワサによりますと(あくまでウワサですが)、陛下は私の記事を読んで、宮中において東北の地霊を鎮める儀を行なってからの被災地訪問だったとのこと(ホントか?)。
 ま、私の記事を読んだかどうかは?ですが、あの記事に書いた意味での「地鎮祭」を急遽行なったのは事実のようです。
 この春は大相撲も八百長問題があって地鎮を怠りましたよね。それについてはたとえばこちらなどに書いてきました。ちょうど中止された春場所が行われているであろう日にあの大地震が発生したのです。もちろん相撲が本来地鎮の神事であったことは言うまでもありません。
 このたびの被災3県のご訪問には、もちろん「鎮魂」という意味もありますね。亡くなった方々への鎮魂はもちろん、避難されている被災者の皆さんの心を鎮めるという意味も大きい。もちろん、首相が何度訪問しても、また東電の社長がいくら土下座しても、天皇陛下の一言にはかないません。
 私、天皇の意味とか機能とかってこういうところにあると思っているんですね。決して「天皇陛下万歳」ではありませんが、しかし、その歴史的な存在を軽視する人のことは理解できません。
 この機能は一見宗教に似ているようですが、実は全く違うと思います。もちろん科学でもありませんし政治でも思想でもありません。そういう「コト」世界ではなく、やはり「モノ」世界なのです。物語世界ですね。それをなぜ「ミコト」と呼ぶのか…それについては、またいつか書きましょう(というか、こちらの記事にけっこう書いてありましたね)。
20110512_64302 今日のご訪問で、最も私の心を打ったのは、相馬市の沿岸部を視察された際、放射能を含んでいるであろう雨の降る中、自ら傘を閉じられて黙祷されたことですね。思わず涙が出てしまいました。言葉を介さずして、ここまでいろいろなメッセージを発信できるのは、やはり天皇皇后両陛下だけだなと痛感しました。
 天災や人災を防ぎ、あるいはそこから立ち直るには、やはりこういう「物語」の力が必要なのです。

追伸 現地時間の11日、スペインで大きな地震があり死者も出たようです。お悔やみ申し上げます。

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2011.05.10

地震活動の活発化に注意(地震と月)

Www47atwiki 日で東北地方太平洋沖大地震の発生から2ヶ月となります。
 その日を前に再び日本列島の地震活動が活発化しています。今日だけでM5以上の地震が3回起きました(4.9も1回)。
 地震の規模は大きくとも、揺れがそれほど大きくありませんから、緊急地震速報もなく、またテレビなどで速報されなかったかもしれません。しかし、地震活動として観察するには、まずはマグニチュードです。
 遠く南太平洋ではM7.1の地震も発生しました。言うまでもなく、地球全体からしますと、その地震と日本の太平洋側の地震は全く関係ないとは言えません。
 さて、1ヶ月前、4月の11日にも地震活動が活発化したのを覚えていますか?福島県浜通りを震源とするM7.1の大きな地震に驚いて「また11日か」と思った方も多かったことでしょう。
 上のグラフは4月中のM5以上の地震の回数です。いかがでしょう。やはり、11日から14日にかけて地震活動が活発化している印象がありますね。その4日間で4月の大きな地震の約3分の1が発生していることになりますから。
 そういう記憶もあってか、ネットなどでは、また5月11日に何か起こりそうだというウワサが広がっています。ひどいものは、9.11にもひっかけて、11日に何かを起こすのは誰かの陰謀だ!なんてものもあります。それらは言わばオカルト的世界ですから、ただちに信用したり心配したりする必要はありません。
 しかし、事実として地震活動に1ヶ月単位の周期がありそうだということは否定できませんね。
 興味深い例があります。2003年のことです。私はよく覚えていますが、皆さんはいかがでしょう。

5月26日 三陸南地震(宮城県北部沖地震、東北地震) M 7.0 最大震度 6弱
7月26日 宮城県北部地震 M 6.4 最大震度 6強
9月26日 十勝沖地震 M 8.0 最大震度6弱

 ご覧のように2ヶ月おきにぴったり26日に記憶に残る大きな地震が発生しています。この年だけをとって一般化することはできませんが、不思議と言えば不思議です。偶然にしては低確率すぎます。
 実はこのような「月」単位の周期が生まれるのには、まさに「月」が関わっているのだと考えられます。何度も書いてきたとおり、私は小学生の時から地震と潮汐力の関係を考察してきました。30年以上前からやっていたのですから、そういう研究の先駆け的な存在だと自負しております(笑)。私に遅れること30年、ようやく2004年に防災科学技術研究所がこのような発表をしました。
 それでワタクシ的な結論を申しますと、潮汐力が最も強くなる新月と満月の時ではなく、月齢5〜8付近と20〜23付近、すなわち半月くらいの時に大きな地震が起きる傾向があるのです(その理由や理論は割愛…というか、よく分かりません)。
 ちなみに3月11日は月齢6.3でした。4月の11日は7.5、今日は6.8、明日11日は7.8となります。
 御存知のように、もともと時間的な「月」というのはまさに天体の「月」の運行から算出されていました。太陰暦ですよね。今は太陽暦ですから、いわゆる日付と月齢との間にズレがありますけれど、もともとは新月の翌日が「ついたち(月立ち=月が現れる)」=1日でした。そして満月(望月)の日が15日。新月が30日(三十日=みそか)でした。もちろん、年の最後の記念すべきグレートなみそかが「大晦日」です。
 実際の月の満ち欠けの周期は29.53日ですから、時々修正が必要で、それが閏日や閏月を生んできました(実際にはかなり複雜ですが)。
 ま、それはいいとして、とにかく地震の発生と月齢(つまり潮汐力)との関係があるとすれば、数ヶ月単位で見て、同じ日にちの日に地震が発生しやすくなることは、科学的にもありえることなのです(現段階ではあくまで仮定です)。
 実際ここ数日、私の観察している地震の前兆現象のいくつかに反応があります。やや心配です。
 いつも書いているように、自然(モノ)は全て「想定外」ですから、なるべくモノからのメッセージを素直に受けとって、最終的には一種の「勘」を信じて行動するしかありません。
 もちろん大きな地震などないに越したことはありません。人的被害はゼロであってほしいと思います。そういう意味ではM5レベルを多数小出しにしてストレスを解消してくれれば一番いいのですが。
 とにかく注意しておくことは必要でしょう。天災は忘れた頃にやってくる。いつものこの言葉を、まずは忘れないようにしたいものです。天災は「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉を忘れた頃にやってくる。

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2011.05.09

浜岡原発停止…我々は試されている

Photo 部電力が首相の要請を受け入れ、浜岡原発を全停止することを決定しました。
 たとえ一定期間であっても、とりあえずあの原発が止まることは、止まらないことよりも間違いなく良いことです。この期に及んでも止めないのが政府官僚のやり方だと思っていましたから、ある意味意外な気さえしました。
 しかし翻って考えると、根本的な問題解決になっていないことに気づきますね。
 まず、なぜ浜岡だけなのかということ。今朝、私はTwitterで次のようにつぶやきました。

 『予想上切迫しているからと言って浜岡だけを停止するのはおかしい。可能性よりも事実を優先すれば全原発停止だ。実際に浜岡よりも先に福島がやられたのだ。もうすでに歴史が生かされていない』

 浜岡原発がその震源域のど真ん中に位置している東海地震(もうその時点で?ですが)。その東海地震の発生確率は30年以内に87%でした(その試算方法も?ですが)。
20110510_70629 今回福島原発を瀕死の状態にまで追い込んだ東北地方太平洋沖地震は右のように予測されていました。
 どこに注目すれば良いかというと、まずは明治三陸型ですね。今回の大地震に比較的似ているからです。それは30年以内20%となっていますね。また、原発に直接関わりのありそうな福島県沖の単独地震では7%程度以下です。
 東電も福島県民も私たちもこれらを「想定」していたのです。いや、その想定すら知らなかったかもしれません。おそらくほとんどの人がそのリスクのことを忘れていたか、意識していなかったことでしょう。
 さらに実際に起きたM9に関しては、まさに「想定外」であったと。そう我々は、その発生確率は0%だと思っていたのです。地質学的に貞観の三陸地震などを研究すれば、津波の規模については想定内だったと、私は思っていますが。
 とにかく確率0%のところであれだけ甚大な被害を及ぼす大地震が発生したのです。それも87%よりも早く。
 原発はその性質上沿岸部に作らざるを得ません。そして、日本の全ての沿岸部は津波に襲われる可能性があり、事実歴史的に見れば大なり小なり津波の影響を受けています。
 今後、想定していない地域で、想定される東海地震以上の大きな地震や津波が発生する危険性がある(すなわち0%でない)ことが、つい2ヶ月前に証明されているわけですから、浜岡だけを止めるというのは実はナンセンスなのです。
 もしリスクをヘッジするという目的であれば、当然全ての原発を一時でも停止すべきでしょう。
 しかし、そうしないで浜岡だけを止めたのは、これは一つには先ほどの「確率」という数字に惑わされている(つまり2ヶ月前にあのような「想定外」を経験してないがら、「想定」がまだ通用すると勘違いしている)ことによります。
 また、政治的な意図も露骨に見えますね。浜岡原発停止の署名がずいぶんたくさん集まっていましたからね。世論は先ほどの数字を信じている、というより、そこに頼るしかないので当然です。そして、それを察して「勇断」を下した菅総理の演出はなかなかのものでした。
 当然ながら国民からの突き上げだけでなく、同盟諸国からの強力な圧力もあったことでしょう。同盟先進国のほとんどは原発推進国です。これ以上原発への信用が低下すると、それぞれの国策にも影響が出ます。外国からすれば、それこそ「数字」第一でしょうから、まずは「HAMAOKA」というのも分かります。
 特にアメリカにとっては防衛上の問題もありますからね。在日米軍に影響が出るのが一番困ります。そういう意味でも、早い時期に最大リスクの元を停止したかったのでしょう。
 さあ、それではここから我々日本人はどうすればいいかです。ある意味、私たちは試されているとも言えましょう。
 あの計画停電の時にも、我々はなんとか急場をしのぎました。ある意味それぞれが私欲を二の次にして頑張りました。産業界も、それまで忘れていた「智恵」を駆使して、大規模停電を避けるように努力しました。
 今回、中部電力管轄下には、日本を代表する企業がたくさんありますね。それぞれ大変な試練だと思いますが、たとえば我らが(?)スズキの社長が浜岡原発停止にいち早く賛同したのは大したものだと思います。
 日本人全員がこのピンチをチャンスにしたいですね。
 …浜岡原発を一定期間停止した。その期間日本人はいろいろ工夫して、結局原発なしでも充分にやっていけた。生活スタイル、経営スタイルを変え、エネルギー政策を転換し、代替エネルギーを積極的に研究導入して、結果として環境問題にも貢献した…
 こんなシナリオに期待したいところです。
 そういう意味で、日本はこれからの世界の雛型になり得るのではないでしょうか。日本から世界を変える…この震災、そして原発事故という未曽有の悲劇がそのきっかけになるのでなければ、多くの尊い命と今実際にご苦労されている方々の人生は報われません。
 今回の浜岡原発停止が、東北の方々の苦難を日本国民全員が分かち合い、そして共に乗り越える第一歩となることを願いたいと思います。そして、もちろん、私自身も自分の立場で精一杯努力したいと思っています。
 最後に山梨県民として提言。今日のつぶやきです。

『我が山梨県、環境首都を標榜するなら日照時間日本一を生かして独自の太陽光発電プラントを建設してはいかがか』
 
 大難を小難に…それはこれから始まる日本の大事事業です。それぞれの場所でそれぞれの立場で大きなプラスの波を起こして行きましょう。

 追加のつぶやき。これあんまり言う人いませんよね。

『浜岡原発、新設の防波壁自体が破壊され凶器になる可能性がある。また破壊されなくとも、周囲からの引き波をもせき止めてしまう可能性が。つまり長時間水没という新たな事態』

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2011.05.08

跳ね上げメガネ購入

 ガネを買いました。
 おそらく15年ぶりくらいです。つまり今かけているメガネは15年くらいずっとかけてきました。
 まだ昭和の残り香があったんでしょうかね、メガネ屋さんで「昭和天皇と同じ眼鏡を下さい」と言って買ったものです。
Gedc0729 つまり、丸形でふちなしで鼻当てなしタイプです。このタイプの良さは、つまり昭和天皇的な良さなのですが、いかんせんシンプルすぎて私のような庶民にはいろいろ問題もありました。
 まず構造上弱い。天皇陛下のような生活をしているのならともかく(?)、その辺にメガネをほっぽり投げて寝て、朝起きて一番にそのメガネを踏んづけるというような下郎には、これはあまりに繊細すぎました。
 また鼻当てがないので、自然顔とレンズが近くなり、レンズに皮脂や汗や涙がつきます。それを放っておくと汚れが取れなくなってしまう。天皇陛下のように誰かが毎日拭いてくれればいいのですが、私にはそんな人はいません。
 あとは、そうですねえ、途中から私スキンヘッドになったので、ただそれだけでも「卵」とか言われるのに、さらにこの卵形のメガネをかけたりすると、もうマンガみたいな感じになってしまうんですよね。それも問題。
 あとこれは昭和天皇型に限らないんですが、プラスチックレンズは経年変化で濁ってくる。さらにお湯につけたりするとレンズが膨張して表面のコーティングにひびが入ったりする。で、ますます濁って曇る。
 と、メガネ自体もかなり消耗してきた上に、私自身もかなり経年変化を来しつつありまして、つまり、いわゆる「老眼」というようなものが進行しつつあって、中長距離はいいとして、短距離のオブジェクトに対応できなくなってきたのです。
 私は結構強度の近視ですので、メガネを外せば極近距離もよく見えます。だから、最近は頭にメガネをかけて近くを見る、すなわち卵に卵を載せて(?)細かい作業をしたりすることが増えたんです。
 しかし、卵に卵を載せるというのは、まさに「累卵の危うき」状態であります。よく滑り落ちました(笑)。また、頭皮の皮脂までがレンズに付着するという、おそらくはメガネ自身にとっても想定外の事態が起きておりました。
 じゃあ、もうこれしかないだろう!と狙っていたのが、「跳ね上げ式眼鏡」であります。
 なんとなく1枚のレンズ内で焦点距離を変える遠近両用のメガネには抵抗があったのです。もちろん自分から見た世界の歪みも気に入らないし、外から見た私の目周りの歪みも気に入らなかった。まあ、加齢に対する空しい抵抗とも言えましょうか。
 で、さっそくネットで調べました。そうしたら、跳ね上げメガネ研究会なるホームページを発見。ふむふむなかなか興味深いぞ。そして、その中の会員店の一覧を見たら、なんとウチから最も近いメガネ屋さんが、数少ない会員店さんではないですか!これは運命的だ!
 というわけで、先週行ってきまして、気に入ったフレームがあったので早速注文してきました。そして、今日それが納品と相成ったわけです。
606 こちらがそのメガネ。けっこう今どきなデザインですよね。昔の跳ね上げのイメージはありません。ハネアゲ部分がワインレッド、その他はブラックというツートンです。ちょっとオシャレですよねえ。
 フレームはもちろん日本製。そしてもちろん福井製。トピオという会社の「moBiLe'n(モバイルン)」というシリーズの606というタイプです。
Gedc0730 ここの跳ね上げフレーム、なかなか個性的でオシャレですよ。女性も含めましてかけたり外したりが多い方は、こういう跳ね上げ式もファッションとして選択肢に入れてみてはいかがでしょうか。
 とにかくメガネが新しくなると気分も一新ですよね。第一レンズの曇りや濁りがないし、度数も調整されていますから世の中がきれいに見える。あれ?世の中ってこんなにクリアーだったのか。いや、オレの心ってこんなに濁ってたのか(笑)。
 というわけで、さっそく明日からこれをかけて学校へ…いったい生徒たちになんと言われるか、楽しみであり、そして恐ろしくもあります(笑)。
 それから、このたび地元の老舗眼鏡店に行ったんですが、最近の格安量販店とは全く違う対応をしてくれまして、やっぱりこれからの時代はまたこういう個人商店が見直されるのではないかなあ、などと感じました。

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2011.05.07

往きて還らず…追悼 団鬼六先生

昨年10月小向美奈子を…
20110508_74207 心で一晩世間から離れておりました。そして帰還すると訃報が…。
 団鬼六先生。私が師と仰ぐ数少ない「昭和のバカ(天才)」の一人がまた幽なる世界に帰られました。残念でなりません。
 団先生への思いはこちら『快楽なくして何が人生』の記事をご覧下さい。「人生の課題図書」…もう一度読み直しみたいと思います。
 実際にお会いすることは叶いませんでしたが、不二草紙にもご訪問いただいたり、Twitterでフォローを返して下さったりDMを下さったり(もちろん皆さんにそうされているのでしょうが)、そんなところにも師匠の温かさを感じていたところでした。
 何事かを貫くことは、世間から見るとバカに見えたり、狂っていると思われたりするものです。そう思われても、肚を据え、肚をくくり、筋を通し続ける。そういう力が、平成の世の我々には欠けているような気がします。だから何も残せない。日々のリスクを避けることばかり考えているから、想定外の事態に対応できない。泰然と人生に対峙できない。それがまた潜在的な不安を生む。人も離れていく。
 団鬼六先生、そういう意味では本当に強靭な志を持った「狂人」でした。
Signature_light2 DMで送って下さった画像がこれです。「一期は夢よ ただ狂え」。
 遺作となった「死んでたまるか」にも象徴されている通り、先生の「生」への執着はすさまじいものがありました。
 接心すなわち仏教はそうした「執着」を捨てることを目標としているわけですが、お釈迦様自身もそうであったように、実際には「執着」や「煩悩」や「欲望」や「快楽」を極めなければ、それを捨てることはできないわけですね。
 そういう意味では団先生や赤塚先生は、今「ブッダ」になっているのでしょう。生きるのも死ぬのも「命懸け」でなければならないのです。見習わなければなりません。
 命しかない。けれど、命がある。これが希望である…団先生のブログの最後の記事、ぜひ皆さんにも読んでいただきたい。4月10日、隅田川で最後の花見をされたそうです。その日にお書きになった絶筆です。本当に最後まで「生」への執着を捨てない方でした。そして、それは御自身の「生」だけでなく全ての生命の「生」に対する執着だったのです。

団鬼六ブログ「徒然なるままに」より
 日本人は決してへこたれない、立派な国民だ。

Amazon 往きて還らず

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2011.05.06

2011年の富士山とフジザクラとミツバツツジ

 日から明日にかけて「接心」という行事が行われます。一泊して雲水さんの真似事をする学校行事ですが、言語よりも静寂、自由より束縛を重視するあの時間と空間の中での緊張と弛緩は、私たち普通の人にとって本当に非日常であり、自らや世界を省みる貴重な機会となります。
 というわけで、その準備などで忙しい(私なんかが礼法の講師をつとめたりするものでして…苦笑)し、今夜及び明朝更新ができないので、今朝通勤途中に撮影した写真を載せるだけにします。
 昨日の記事とも関連していますね。フジザクラはコノハナサクヤヒメの分霊ですし、ミツバツツジはそのまま瑞霊、富士山はそれ自体ご神体ですからね。三役揃い踏みといったところです。
 富士山と言うと、まさに晴れ渡った全景がはっきり見える、すなわち裾野までしっかり見えた姿を連想する方が多いと思いますが、実際身近に接していますと、雲間から現れる瞬間こそが最も神々しいと感じるものです。
 今朝はちょうどそんな感じでした。富士顕現の瞬間とでも言いましょうか。この感動は写真ではなかなか伝わらないものです。
 特に今日は花の咲いている前景がそれこそ花曇りの明るさだったので、富士山との光量の差がありすぎて肉眼での実感をうまく記録できません。iPhoneのHDRやら、レタッチソフトやらを使ってみましたが、とてもとても人間の目でとらえた感覚には近づきませんね。しかたありません。
 晴れていると、こんな感じこんな感じになるんですけどね。まあ、今年のは今年のでいい味が出てますかね。
 では、どうぞ。少しずつ姿を現す様子をご堪能ください。

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2011.05.05

五月五日から…

瑞霊ミツバツツジ
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 やかな「こどもの日」。今日は時間がないので、日月神示の「五月五日」にまつわる部分を紹介するだけにします。また後日解釈などを記したいと思います。

 三月三日から更に嚴しくなるから用意しておけよ。五月五日から更に更に嚴しくなるから更に用意して何んな事起つてもビクともせん樣に心しておいてくれよ。心違ふてゐるから臣民の思ふことの逆さ許りが出てくるのざぞ。九月八日の仕組、近ふなつたぞ。この道はむすび、ひふみとひらき、みなむすび、神々地に成り悉く彌榮へ 戰爭つきはつ大道ぞ。一時はこの中も火の消えた樣に淋しくなつてくるぞ。その時になつておかげ落さん樣にして呉れよ。神の仕組、愈々世に出るぞ。三千年の仕組晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ。櫻花一二三と咲くぞ。三月十七日、ひつぐの神。

 日月神示 キの卷 第十四帖 (二七一)

 以下ニキータさんのコメントです。私が書きたいことが全部書いてありましたので、コピペさせていただきます。


 今年は日本も、そして世界も激動の年になりそうですね。。。
大難が小難になることを願って止みません。
そのためにも一人一人が出来る事をきちんとすることが大切なのかもしれません。

この日月神示の文章を見て、オニさんの霊界物語の一節を思い出しました。
三月三日、五月五日にはなんらかの神意があり、日本はその型を担っているのかもしれませんね。。。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
三月三日(みつきみつか)とは三(み)ツの御魂(みたま)なる月(つき)の神の示顕(じけん)が、天地人三体(てんちじんさんたい)に輝きわたる日(ひ)といふことである。日(ひ)は「カ」と読む、「カ」はかがやくといふことである。今まで三十年間男子(なんし)の筆先の真意(しんい)が充分(じゆうぶん)に了解され、また従道(じゆうだう)二十五年に相当する女子(によし)の御魂(みたま)の光が、そろそろ現(あらは)れることを暗示された神諭(しんゆ)である。二十五年間、周囲の障壁物(しやうへきぶつ)にさまたげられた女子の御魂(みたま)の神界経綸の解釈も、やや真面目(まじめ)になつて耳をかたむくる人が出現するのを「女子にとりて結構な日である」と示されたものである。あたかも暗黒の天地に、日月(じつげつ)の東天(とうてん)を出(い)でて万界(ばんかい)を照らすがごとき瑞祥(ずゐしやう)を、五月五日(いつつきいつか)といふのである。五(いつ)は言霊学(ことたまがく)上(じやう)「出(イツ)」であつて、五月五日(いつつきいつか)は出月出日(いつつきいつか)の意味である。二十五年の天津風(あまつかぜ)、いま吹き初(そ)めて経緯(たてよこ)の、神の教示も明(あきら)けく、治(をさ)まる御代(みよ)の五十五年《出神出念(しゆつしんしゆつねん)》、いよいよ神徳(しんとく)出現して、神慮(しんりよ)の深遠(しんゑん)なるを宇宙に現出(げんしゆつ)すべき時運(じうん)にむかふことを慶賀(けいが)されたる神示であります。
 月光(げつくわう)世に出(い)でて万界(ばんかい)の暗(やみ)を照破(せうは)す、これ言霊学(げんれいがく)上(じやう)の五月五日(いつつきいつか)となるのであつて、けつして暦学(れきがく)上の月日(つきひ)でないことは明白である。三月三日(さんぐわつみつか)と五月五日(ごぐわついつか)に、変(かは)つたことがなければ信仰をやめるといふ無明暗黒(むみやうあんこく)の雲(くも)が、遠近(をちこち)の天地を包むでゐるやうに思はれましたから、一寸(ちよつと)略解(りやくかい)をほどこしておきました。これでもまだ女子(によし)の御魂(みたま)の言(げん)は審神者(さには)をせなくてはいかぬと、唱(とな)ふる豪(えら)い人々が出現するかもしれませぬ。これが暗黒の世の中といふのでせう。

コピペしたら長くなっちゃいました(汗)


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2011.05.04

バッハ 『幻想曲とフーガ(ヴァイオリン独奏版)』 テディ・パパヴラミ

 の中にいい意味での「バカ」がたくさんいて素晴らしいですね(笑)。最近、人生は一度きりなので、もう「バカ」になりきっちゃおうと決心しました。
 つまり何事も真剣に寝食忘れて…つまりは命懸けで…やっていると、世間からは「バカ」に見えてしまうようです。バカボンのパパなんかその代表でしょう。退屈するのも命懸け。赤塚不二夫先生ももちろんそうです。死ぬのも命懸けでしたからね。
 バッハもちょっとそういうところがあります。ちょっとじゃないな。当時の世間からするとかなりの「バカ(変人)」だった。もう人に理解されようがされまいが関係ないところまで行ってましたからね。人類が理解するのに100年以上かかってしまった。そして「天才」となった。
 「天才」と「バカ」は紙一重なのです。
 そういう意味では、このヴァイオリニストも「天才=バカ」ですね。まさかこの「大フーガ」をヴァイオリン1挺で演奏しようなんて…そういう発想をするだけでもかなりぶっ飛んでますね。つまり、世界で初めてのこと、誰も考えつかなかったこと、やらなかったことを命懸けでやってしまうのが「天才=バカ」なのです。
 この大フーガについてはこちらに書きました。私にとってもバッハにとっても心に残る作品です(笑)。
 たぶん編曲者、演奏者のテディ・パパヴラミは、あの「トッカータとフーガ(鼻から牛乳)」がヴァイオリン独奏曲であったという話を聴いて、そして実際に演奏してみて、こっちも弾いてしまおうと発想したのでしょう。
 私も鼻から牛乳は弾いてみましたが、さすがに大フーガもやってやろうとは思わなかった。私は凡人ですからね。
 さあ、さっそく聴いていただきましょう。いや、観て聴いていただきましょう。まずはあの変チクリンな幻想曲から。

 まるでオリジナル曲のように聴こえますね。これはなかなかいい編曲ですし演奏ですね。さてさて、いよいよフーガです。あの4声のフーガ、それもそれぞれの声部がかなりメロディックなフーガを、いったいヴァイオリン1挺でどのように弾いているのか!?

 う〜む、すごすぎる…。さすがにお見事です。多少の演奏のキズには目をつぶりましょう。なにしろとんでもないことをやらかしているので。
 これはですね、バロック・ヴァイオリンの技法を完全に超えています。鼻から牛乳の場合は、たとえばバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータで開発されたバロック時代の技法で演奏可能ですが、こちらはとてもとても無理ですね。
 つまり、近代ヴァイオリン技法、パガニーニやバルトークらが極めた技法に基づく編曲と演奏だということです。
 これには、さすがのバッハも驚きを隠せないでしょう。まさか自らのオルガン曲をこうしてヴァイオリンの無伴奏曲として演奏するとは想像すらしなかったのでは。
 つまり、バッハの無伴奏曲は、あくまで当時のヴァイオリン演奏技法の制約の中で作られているわけです。そして、トッカータとフーガはそうして作られた(バッハではないかもしれないが)ヴァイオリン独奏曲を拡張的な発想でオルガン曲に編曲したわけですよね。
 しかし、こちらはその反対の過程を経ているわけです。足鍵盤まで使ったオルガン曲をたった4本の弦、それもフレットを伴わない4弦で演奏するのは(人間工学的にも)当然至難の業となります。
 ある意味引き算の縮小的編曲をしなければならないという難しさもあります。そのあたりも近代的な演奏技法でかなり上手にクリアしていますね。正直この編曲は見事だと思います。ほとんど不自然に聴こえませんからね。
 パパヴラミの(あるいはバッハの)編曲オタク的な気持ちもちょっと分かります。ヴァイオリンという限定された楽器でいかにそれらしく演奏できるか。うまく行った時、いいアイデアが浮かんだ時ってけっこう快感なんですよねえ。私は高校時代にこの曲を弦楽四重奏のために編曲したわけですが、それだけでも結構恍惚とした記憶があります(笑)。
 こうして聴いてみますと、あらためてヴァイオリンという楽器の特殊な能力に気づくことができます。たとえば、あの深遠かつ深淵なるシャコンヌは、あの楽譜のままパイプオルガンで演奏しても全く説得力のない音楽になってしまいます。編曲するにはそれこそ拡張的に足し算をしなければなりません。
 ヴァイオリンというある意味原始的な性質を残す楽器が持つ力とはいったいなんなのでしょうか。最近それがとても気になります。バロック楽器を演奏しているからこそ、近代が忘れてしまったそういう「モノノネ(物の音)」的な魅力を、そして霊界との媒体たる「コト(琴)」的な魅力を見つけたい気もするんですよね。
 やはりヴァイオリンは悪魔の楽器なのでしょうか。
 ちなみにこの編曲と演奏、レコーディングもされています。

NMLで聴く

Amazon Bartk & Bach: Sonata for Solo Violin, Fantaisie & Fugue, Suite

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2011.05.03

ビンラディン殺害について

653fc8ee さんご存知のとおり5月1日にウサマ・ビン・ラディン氏がアメリカ国家に殺害されました。
 ノーベル平和賞受賞者オバマ大統領の指示でこの「殺人」が行われたこと、そして彼が「正義が成就した」と述べたこと、さらにそれを受けてアメリカ国民がもろ手を挙げて歓喜していたことに、ある意味自然災害よりも強い恐怖を感じました。
 ビンラディンを「ジャックポット」と呼んだり、作戦成功の暗号が「神と国のために、ジェロニモ、ジェロニモ、ジェロニモ」だったり、その作戦の一部始終をオバマらがホワイトハウス内のモニターで見ていたという段になると、もうなんだか哀しみや怒りを超えて情けなささえ覚えますね。彼らにとっては単なるゲームに過ぎないのでしょうか。
 このたびの大震災や今回のビンラディン殺害のニュースに後付けされていく、たとえば「人工地震説」や「陰謀論」など、全く噴飯ものです。そういう可能性が皆無ではないのも事実ですが、全てをそうした「コト」で片づけるのは、自然や人間という「モノ」世界への冒瀆です。窮状にそういう思考に逃避するのも人間のサガではありますが…。
 誰もが予想するように、これからは「報復合戦」が活発になってしまうでしょうね。「コト」特に「(聖典の)言葉」にとらわれる人間が増えるからです。ピンチにこそ「コト」が発動するのです。
 特に遺体を水葬したとなると、そのことへの反発は私たちが想像する以上のものがあるに違いありません。風習や儀礼も代表的な「コト」世界ですからね。
 オバマ大統領がノーベル賞を受賞した時、私はこのような記事を書きました。未読の方はぜひお読み下さい。オバマの存在はアメリカという国の矛盾の象徴のようです。
Imgres この記事の最後に私は「結局世界はアブラハムと非アブラハムに再び分かれるのでしょうか」と書いています。その前段階としてアブラハム系3派の中で大きなもめごとが起きる予感がします。いわば身内のケンカですね。イスラム、ユダヤ、キリスト各教の軋轢は永遠に消えません。近親憎悪、同族嫌悪は人間の本能ですから。
 出口王仁三郎も第三次世界大戦は世界の坤である中東エルサレムから発するというようなことを言っています。艮で天災が起き、坤で人災が起きる…まあ、こういう物語にとらわれるワタクシも立派に人間していますがね(苦笑)。
 ただ、残念ながら、私たちはこういうピンチに立たないと心や魂の立て替え立て直しができないのは事実のようです。
 多くの命を犠牲にしなければ、我々は気づけないのでしょうか。せめてそういう自分たちの愚かさに気づいて、そしてそれを忘れないようにしたいものです。
 それからもう一つ、国内の地震のことについて。先日Twitterで次のようにつぶやきました。

 そろそろ「忘れた頃」に入る。先週が余震のタイプの変わり目。ここからは大きめの揺れに注意したい。

 実際、新たな活動の兆候が複数観察されています。とりあえずこの1週間は要注意です。皆さんお気をつけて。特に東北太平洋沖、東北北部内陸、房総半島沖は注意です。


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2011.05.02

「ジラゴンノ」にてリゾート

Img_2110 年のゴールデンウィークは「ジラゴンノ」で過ごしました。本来なら昨年同様秋田に行く予定だったのですが、いろいろな事情から今年は断念いたしました。
 しかし、せっかくの連休です。少しは非日常を味わいたいと思い、静岡の両親と一緒にジラゴンノでリゾートとシャレてみました。
 いやあ、素晴らしい非日常でした。ホテルの特別室でゆったり。おいしいお食事とお酒とお風呂。最高ですね。
 ところで、ジラゴンノ…いったいどこの国でしょう。皆さんどこだと思いますか?ヨーロッパではないような…アジアかな?
 ハハハ、なんとジラゴンノは日本なのです。それも我が山梨県。そして我が鳴沢村なのでした(笑)。
 そう、今年のゴールデンウィークは村内でのリゾートなのです。まあ、村内と言ってもですね、富士山頂も我が鳴沢村ですからね。思いっきり観光地であるとも言えます。
 普通なら都会からこうした観光地に渋滞に巻き込まれながら何時間もかけていらっしゃるわけですよね。そういう方にはなんか申し訳ないのですが、ウチからホテルまで山道を行って約6分(笑)。信号は一つもありません。もちろん渋滞なんていうものはない。車とすれ違うことすらない(笑)。ストレスレスです。
 ところで、「ジラゴンノ」ってすごい地名でしょう。日本の珍地名の中でもけっこう上位に入りそうです。
 正式にもカタカナです。鳴沢村字ジラゴンノ。道の駅なるさわの周辺が古くからジラゴンノと呼ばれているのです。
 まるで恐竜かなんかが出てきそうな地名ですよね。ジラゴ…という文字の並びから、どうしても「ゴジラ」を想起してしまいますよね。
 この地名の由来についてはいろいろな説がありますが、いちおう日本語を専門に研究している私としてはですね、以下の説をとりたいと思います。
 「ゴンノ」はこの周辺に散在する「権野」や「根野」で間違いありません。溶岩流の荒れ野、草木のあまり生えていない土地を指す言葉です。実際このジラゴンノのあたりも溶岩だらけです。
Narusawa そうそう、この溶岩流はいわゆる青木ヶ原溶岩流。すなわち、こちらでも紹介した貞観の噴火の産物です。このたびの震災とよく似た貞観三陸地震&津波の5年前の噴火ですね。そういう意味ではちょっと複雑な心境にもなりました。
 写真はジラゴンノにある溶岩スパイラクル(溶岩水蒸気噴気孔)群です。世界的にも実に珍しい自然の造型です。ほかにも溶岩樹型も無数にあります。こういったものを見ますと、噴火や溶岩のスケールの大きさと恐ろしさを体感できますね。そして、1000年かけてまたこうした樹海が形成されるという、自然の生命力、復元力も感じます。まあある意味たしかに非日常的空間ですね。
 さて、「ジラ」はなんなのか。全国の方言として、つまり古い日本語の遺物として残っている「ジラ」は「盗賊」「盗っ人」、そこから転じて「嘘」「ふまじめな者」などの意味を持っています。
 もともとその「ジラ」は盗っ人を表す「白波」から来たと想像されますので、一部で言われているように「ジラゴンノ」とは「白っぽい荒れ地」を表すとも考えられます。たしかに溶岩流は波打っていますしね。
 しかし、私はもっと積極的に「盗賊」「盗っ人」の意味を取りたいと思います。以前紹介した奇書「富士霊異記」などを読みますと、この土地には戦後になっても近代化の波がなかなか押し寄せてこず、様々な「伝説的」な人々が住んでいたことが分かります。この伝説的の意味は、記憶に残るという意味でなく、本当に現実離れしているという意味です。
 そんな中、実際に街道から少し入ったところに「山賊」が住んでいたようですし、あるいは人をかどわかす妖怪(実際にはそれが「伝説的」な人間なのでしょう)が棲みついていたようです。
 ですから、「ジラゴンノ」とは、非常に直接的な意味で「山賊(盗賊)のいる荒れ野」という意味なのではないかと思うのです。
 もちろん近代化の波とともに、そうした「人間」は社会に取り込まれ、あるいは社会に疎外され消えていきました。そして「ジラゴンノ」の語源も忘れられていったと。そういうことではないかと思うのです。
 江戸の文書には「蛇野」と書いて「ジラゴンノ」とルビが振ってあるので、「ジラ」が「蛇」を表すのではないかという説もあります。実際あのあたりにはマムシやヤマカガシが多数いたと言います。しかし、「ジラ」が「蛇」を指したという記録も記憶もないようなので、ちょっと説としては無理があると感じます。まさか「蛇(じゃ)等(ら)」ではないと思いますが…。
 太郎を「タラ」と読むので、「ジラ」は次郎で「次郎権野」だという説にも無理があります。「太郎=タラ」の例は全国にいくらでもありますけれど、私は「次郎=ジラ」の例を寡聞にして知りません。開拓者の名前をつけるのはよくあることですが…。
 というわけで、今年のゴールデンウィークは富士の裾野、貞観の溶岩流上の「盗っ人の棲む荒れ野」でリゾートとシャレてみたわけです(笑)。
Img_2119 実際に宿泊したのは昨夏オープンしたばかりの「じらごんの森の館」でした(さすがにひらがな表記だな)。GW、特別室という一番高級な(?)お部屋の割にはお安い宿泊料金設定で、料理も充分満足、総部屋数が少ないので全体に落ち着いた空気に包まれている結構なお宿でした。
 皆さんもぜひ富士山観光の際にはこちらにお泊まり下さい。湖畔の宿もいいけれども、樹海の宿もなかなかヲツなものですよ。
 富士山は眺めるだけでなく、その懐に入り込んで初めて本当の魅力がわかるというものです。溶岩流から地球のパワーをもらっちゃいましょう。ついでに山賊のパワーも(笑)。

じらごんの森の館公式

参考 ジラゴンノの意味は?(鳴沢村公式ホームページより)


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2011.05.01

iPhone 4 ストラップ製作

Gedc0663 あて、iPhone3GS味噌汁の記憶も鮮やかなまま、iPhone 4 白を使い始めた私。さすがに新品ということで、かな〜り気をつけて持ち歩いております。なにしろまだ裸ですし。
 3GSが元気だった頃、特に新品だった頃は、たとえばこんな風にあんまり風体は考えずにとにかく落下させないことを考えておりました。
 去年の秋からは、謎のシールを貼ったので、それを機会にドックストラップで首にかけたりしてたんですけど、このストラップ柔らかい樹脂製なので歩くとビヨンビヨンはねるんですよ。それがちょっと気に入らなかった。
 しかし、これ以外にiPhone用のシンプルなストラップがないので、今回はどうしようかなあと思っていたのです。
 いいのがないなら作ってしまおう!
 ま、そういう単純な、というか私としてはフツーの発想をしまして、今日5分で作ってしまいました。それが上の写真のストラップです。
 材料は全部で1000円しませんでした。まずは、一番安いクリアタイプのTPUケースを購入。約500円。そしてホームセンターに行って、ネームプレート用のネックストラップを買ってきました。100円のもありましたが、いちおうデザイン性を考えて300円くらいのものを選択。
Gedc0664 TPUケースにカッターで切れ目を入れて、そこにストラップ(ひも)を通して終わり(笑)。本来名札を提げるクリップ部も少し細工しまして、ポケットなどにパチンと留められるようにしました。
 ケースの材質のおかげもあって、強度も全く問題ありません。思いきって振り回してみましたが(危ねえ〜笑)全然大丈夫。シンプルなので軽いですし、金属部品がないのでポケットにつっこんだりしても、本体にキズがつくことがありません。
 ストラップの長さもちょうどいいですね。ドックストラップはちょっと短くて、最近老眼気味の私にはやや画面が近すぎたんですけど、こちらはちょうどいい感じ。カメラとして写真を撮影する時の不便さもありません。
 布製の紐ですからビヨンビヨンすることもありませんね。ドック連結部に負担がかかることもありません。TPUの性質からして、ケースが本体からはずれる心配も皆無。なんの問題もありませんね。
 見た目的にも案外いいでしょ?大変満足です(自己満足)。これでiPhone4は味噌汁の具になって釜ゆで死したり、雪の中で凍死したりしないですむでしょう(苦笑)。
 だいたいですね、市販のiPhoneのケースとかって高すぎるんですよ。絶対原価50円くらいなのに2000円とかで売ってたりする。
 いや、一番最初に紹介したあの赤いシールドなんか、高かった割にすぐにひび割れが始まって、しまいにはストラップ穴のところがちぎれて本体が落下したんです。ひどいですよねえ。
 今回の自作品は安い割になかなか堅牢、そして機能的であります。これ、売り出せばきっと売れますな。原価100円くらいでしょうけど、3000円でも売れるんではないかな。もっかりまっせ(笑)。
 皆さんも、せひ自作してみてください!工作は楽しいですよ〜。

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