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2011.04.10

情報の樹海・情報の津波

↓貞観の噴火で流れ出た溶岩流の上に豊かな森が形成されました。
Gedc1402

 地震が起こり、大津波が起きてからというもの、私たちはまた違った意味での大きな揺れと波に襲われ続けていると感じます。
 それはすなわち「情報」の揺れと波です。
 今日も私は、東京電力の会見を見聞きしたり、石原都知事再選のニュースを見聞きしたり、それに対するネット社会での言説に触れたりしながら、なんとなく溜息をついてしまいました。
 高度情報化社会となり、私たちは様々なメディアから膨大な量の情報を得ています。得ているというよりも、まさにさらされている状態ですね。
 何度か書いてきましたけれども、情報というのは、ワタクシ流に言うと「コト」であり、自然たる「モノ」と違って永遠に不変な存在です。一度生まれると消えることも変化することもありません。
 それがこうしてどんどん発信され、コピーされていく。つまり、その総量が時々刻々と増え続けているということになります。モノとしての記録媒体が消されても、コトたる情報自体は、たとえば誰かの頭の中に残ったりしますから、やっぱり減りません。
 そのへんのことについては昔この記事に書きましたね。
 そう考えると、CO2とか放射性物質とか以前に、もうかなり地球での情報濃度は高くなっていて、もしかするといきなり爆発を起こすかもしれないし、ジワジワと私たちの健康を害するかもしれません。
 しかし、どうも情報というのは、物理的なエネルギー、すなわち物体とは根本的に性質が違うもののようですね。だからこそ怖いということもあります。
 目に見えない状態で充満しているわけですし(いや、充満という概念自体物理的感覚なのか)、どんな効果があるのかもわからない。情報の累積という意味では、「現在」の私たちは常に未知の事態に遭遇しているわけですし。
 そうすると、その状態というのは、ワタクシ流に言うところの未知・不随意たる「モノ」であるわけです。ハッキリさせたつもりが、よけいにボンヤリしてしまう。「コト」が積分されると「モノ」になるということですね。つまり、情報化が進むと、実は自然化が進むことになる。
 その逆のベクトル、すなわち「モノのコト化」=「自然の情報化」の最先端が「コトの端(は)」=「言語」です。それに基づいたシステムであるところの「科学」なのです。昔私がオタクや萌えの定義に使った「時間を微分して疑似的な永遠性を得る」というレトリックも、そういうことを表しています。人間の持って生まれたサガですね。
 本来外に向かって永遠にバラバラになっていく、ビッグバン後の星々のように、お互いどんどん離れて孤独になっていく、そんな状況に恐怖や哀しみや寂しさを感じて、人間はそれぞれのモノや瞬間を固定していこうと画策します。それが言語であり科学であり工業技術であり貨幣であり、全ての情報です。
 人々の考えはコロコロ変るではないか、情報もどんどん変化するではないか、と考えるかもしれませんが、その情報を発したり受け入れたりした瞬間は、やはり「固定」「安定」を望んでいるのです。変化とはその固定したい内容が変わるだけで、いわば「作品」としては単なる別物が出来上がるだけです。
 しかし実際には、自然界のエントロピーは常に増大していきます。時間軸の向かう方向は単一であり、その歩みは止まることもありません。無常です。それに伴って全てのモノは雲散霧消していきます。
 それを観じるのが「もののあはれ」の本質ですね。科学者やオタクと違って観念、諦念してしまうのです。仏教はそういう方向を目指しました。
 今、未曾有の大災害や大人災に直面し、私たちはそうした「安定」「安心」を得るために、様々な情報を発信し、また受信していますね。しかし、それがあまりに雑多になり、いったいどれが正しいのか分からなくなると、結局のところ私たちはまた「不安定」「不安」になってしまいます。
 つまり、先ほど書いたように「コト」の積分によって「モノ」に戻ってしまうということです。自然状態にさらされるんですね。
 これもいつか書いた(コト化した)と記憶していますが、インターネットはなんでもありの自然、ジャングルみたいなものなのです。私の身近なところで言えば青木ケ原樹海。あそこには美しい自然もあれば、食べられるキノコも毒キノコもあるし、落とし穴もあるし、腐乱死体まである。ネットもそういうところなんですよね。だから、実はそこでサバイバルしていくのもけっこう大変なんです。
 みんな「安定」「安心」を得ようとして言語世界、特にネット世界に駆け込むんです。でも、そこは実はとんでもなく多様で複雑で危険な世界。私たちは樹海の中で遭難します。
 私が漠然と恐れているのは、そうした情報(コト)の集積の先に、何か津波のようなモノが起きるのではないかということです。積もり積もった言葉が突然雪崩のように、山津波のように我々を襲うのではないか。そんな気がするのです。
 それはもちろん起きないかもしれませんし、起きるとしてもそれは何万年もあとかもしれません。全く分かりません。
 ただ、私たちが目に見える物(それは感知・理解・制御されているならコトなんですが)しか信じられなかったり、目に見えがたい地震や津波のエネルギーさえも「想定」できなかったりしたのは歴史的事実ですから、私の妄想もあながち完全否定できないのかもしれません。
 ではどうすればいいか。これは「節電」や「省エネ」と同じように、無駄に情報(言語)を弄さず、生産せず、消費せず、その「コトタマ」を大切に大切に使うしかないような気がします。あまりに簡単にコピペやリツイートをするのではなく、しっかり考えて発信・受信すべきなのだと思います。
 まあ、そんなことを言いながらこうして言葉をたれ流している私という人間がここにいるわけですが…。難しいですね。
 今日もこうして情報の小波を起こしているワタクシであります。

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