科学の限界
地震の話ばかりですみません。私自身も自分がこんなに地震に興味があったのだなあと驚いています。
前も書いたとおり、この傾向は小学生の時から始まったものです。自分は間違いなく理科の先生になると思っていましたからね。小学校時代、理科教育の巨人坂本茂信先生に可愛がってもらいまして、理科の先生に多大な憧れを持っていました。
そして、中学で国語教育の巨人大村はま先生の教えを受け、理科と国語、どちらにしようかなあと迷っていたところ、大学入試で大失態をおかし、運命的に国語のセンセイになってしまいましたが、潜在的にはどこかで地学のセンセイに憧れていた部分がありました。
ついでにあともう一人、私にとっての負の巨人(失礼)向山洋一先生と対立していたことも、現在の私を確立する大きなきっかけとなっています。生意気な小学生ですよねえ(笑)。
こんなすごい巨人たちに直接指導していただいた私は幸せですねえ。人生にとって先生の影響が大だということで、私も気持ちをひきしめて仕事しなければと思います…なんて、今さら遅いよ!という声が聞こえてきそうですな。
実際、卒業生のほとんどが、私が授業中大地震や富士山噴火についての話ばかりしていたと言いますからね(笑)。困ったものですなあ。
しかし結果として、私は国語のセンセイになってよかったと思っています。なぜなら、理科が教えるべき科学には明らかな限界があるからです。
ワタクシのモノ・コト論では、広い意味での科学を「コト」と定義しています。すなわち自然科学、社会科学、人文科学は人間の脳内での出来事だとしているわけです。そして、それ以外を全て「モノ」としています。
そのへんについては、何度も書いてきた(バラバラでまとまっていませんが)のでここでは詳しく解説しません。とにかくそういう定義です。
そうしますと、コトは内部に閉じたものであり、モノは外部に開いたものであることになります(飛躍してますかね)。とにかく、コトは限定的であり、モノは無限なのです。
今日も地震予知連絡会か何かがあって、偉い学者さんたちが「我々もいろいろ研究してきたがM9の巨大地震は想定できなかった」と言っておりました。つまり、彼らや私たちが「(たぶん)わかった!」と思っていることこそが「コト」であり、「科学」と呼ばれるものなのです。そして、実際に起きたのは想定外の「モノ」であったと。
実は「地震予知」という言葉自体が自己矛盾をはらむ言葉です。なぜなら、科学は未来を予知できないからです。未来を予知することを目標に科学が発達してきたのも一つの事実ですが、実際には、科学が進歩すればするほど未来は予知できないことが明らかになってきました。
科学では再現可能性が重視されます。再現可能でないモノは研究対象になりません。そこが実は科学がはらむ限界の原点です。再現とは「過去の事象をもう一度繰り返す」ことにほかならない。すなわち、その時点ですでに「過去」そのものと「過去のコピー」しか対象にできないのです。
そうすると、未来はある程度経験則的に「予想」はできるかもしれませんが、100%「予知」することなど到底不可能であることが分かります。
毎年毎日日常的に経験し、過去をどんどん積み重ねて研究対象としている気象(天気)でさえも、せいぜい「予報」しかできません。それもかなり確率の低い「確率」で表現する程度のものです。昨日、今日もずいぶんと天気予報がはずれています。
私たちは、たとえばこの天気予報が代表的・伝統的な「科学」であることを意識しなければなりません。科学者は科学者であるからこそ「科学の限界」をよく知っています。だから専門家の発言ははっきりしないし、後手後手に回ります。それはある意味「科学的良心」から生まれる当然の行動です(もちろん「悪意」…たとえば「保身」などによってそういうことになる場合もありますが)。
天気で言えば、ここ富士山麓での多様な「言い伝え」の方が、ずっと正確に未来を予知してくれます。「言い伝え」は科学だとは意識されていません。実際には再現可能性も高いですし、科学的な説明もある程度可能ですが、「言い伝え」を言う人も聞く人も、そういう意識では扱っていませんね。
私は国語のセンセイというおいしい(?)立場なので、そのあたり、いわば「科学」の範疇に入らない「モノ」的領域…場合によってはそれは「エセ科学」とか「疑似科学」とか「物語」とか「妄想」とか呼ばれることもある…に気軽に踏み込んで行けます。だからある意味では思いっきり発言することもできるわけです。
今日の地震予知連絡会で「30年以内に99%の確率で発生すると評価していた「宮城県沖地震」の想定震源域が、今回の大震災によって破壊された可能性が高い」という発表がようやくありました。ずいぶんと「科学的」な物言いですけど、要は「宮城県沖地震が発生した」ということですよね。
私は4月7日に「宮城県沖地震発生」と断定的に書きました。気象庁はその時「これは巨大地震の余震だ」と言い張りました。結局私の妄想の方が正しかったということでしょうか。いやいや、予知連は「ただし今後、この想定震源域で地震が起きないとは言えないとし、改めて評価する必要がある」とこれまた実に「科学的」な(科学的良心に基づいた)言葉を足していますから、結局わかりませんね。
いずれにせよ、この地球の歴史の中でもかなり強く記憶されるだろう超巨大地震でさえ「予知」できなかったのです。これが「科学」の現実です。
副会長の「M7.3が起きた時点で最大地震だと思ってしまった。実はその後にもっと大きなものが控えているとは、私は予見できなかった」という言葉が全てです。良心的発言ですね。もちろん私も予見できませんでした。
私たちの近現代は科学とともにありました。科学こそが明るい未来を切り拓いてくれると信じていました。そう教育し、そう教育されてきました。もちろん、その一部は正しかったと思いますが、しかし一方で、科学万能主義の行きすぎがあったのも事実。原発問題もその一つでしょう。
それはまた私たちが何か大切な「モノ」を忘れてきた歴史でもあるのです(国語のセンセイにありがちな結論ですが…苦笑)。
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