原発問題…事霊と神風
東電から今後の工程が発表されました。努力目標という感じで具体的な印象がなく、なんとも頼りないと言えば頼りない内容でしたが、ぜひとも日本のために、いや世界のために頑張ってもらいたいと思います。
原子力政策とその顛末ですが、こういう喩えは良くないかもしれませんけれども、太平洋戦争(大東亜戦争)の過程と結果に似ていますね。どう考えても負け戦になるに違いなかったのに勢いで突入してしまい、一部の上層部の体面と保身のために情報操作が行われ、国民もそれに躍らされているうちに、案の定大変なことになってしまった。ともに残念極まりないことです。
戦後処理もどうせならアメリカなど諸外国に頼んだ方がいいんじゃないですか?と言いたくもなります。
しかし、日本というのは不思議な国です。あれだけ初動に不備や遅れがあり、その後も多くの試練があったにも関わらず、ギリギリの状態とは言え最悪の状況だけは避けられている。これはもう奇跡としか言いようがないのかもしれません。
事霊(ことたま)と神風…こんな言葉を使うと怒られるかもしれませんが、実際日本はそうやって、ある意味他力で国難を乗り切ってきてしまった歴史を持っているんです。だからこそ、論理的な反省ができないのだとも言えます。
ちなみに「ことたま」という言葉、いつも言っているように、私は一般とは違った解釈をしています。それは一般が明らかに間違っているからです。江戸時代の国学者が無責任に言ってしまった「(日本)の言葉には不思議な霊力があって、その力によって日本は栄えてきた」というような説明は、私には到底受け入れられません。
実際、古い文献ほど「言霊」ではなく「事霊」と書かれていることが多い。ことは「言葉」に関わることではないのです。一般では「往古は事と言とは同じことを意味した」なんていい加減な説明がされていますが、それも根本的に間違っています。「コト」という大きな概念があって、その中に「事」も「言」も含まれているというだけの話です。
つまり、ワタクシ流に言えば、不随意・自然・外部を表す「モノ」という存在の反対語として、随意・人工・内部を表す「コト」があるということです。単純です。
たとえば、今回の巨大地震や大津波は「モノ」に近いものでした。だから「想定外」という言葉が跋扈するわけです(実際には「想定内」のコトに収めることも可能でしたが)。そして、原発が制御不能になった。制御可能なコトだと思っていた原発が、突然制御不能なモノになった。物の怪になって襲ってきたわけです。
しかし、なんとかなっているというのが、まさに「事霊」なのです。万葉集にある「志貴島の日本(やまと)の国は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」というのはそういうことなんです。異論ないでしょう。なんだか知らないけれど、最後は「神風」が吹いてなんとかなってしまう国だということです。
「言霊」という文字が使われるのは、そうした「思い通りになる」「脳で処理できる」ということの象徴が「言葉で表現できる」ということだからです。
逆に、言葉で表現できず、ただただ嘆息するしかないことを「もののあはれ(モノのAh!)」と言うんです。分かりやすいでしょう。
だから今回も結局「神風」が吹いてなんとかなるような気もしてしまうのです。いや、そうあってほしいと望むのです。もうここからは人間の脳内の「コト」領域だけでは処理し切れないと思います。ある意味「モノ」たる神仏(自然?)の力を借りるしかない。モノコト両者のコラボレーションでなんとか乗り切るしかないと思うんですよね。
しかし、さすがに今回は論理的な「反省」が必要でしょう。もちろんそれは東電や国だけの問題ではありません。国民みんながこの国難、悲劇を無駄にしないようにしなければなりません。もう今からそういう気持ちでいなければ。
そうしないと、また別の分野で同じようなことが起きてしまいますよ。
そうそう、現代のコペルニクスと言われる(自ら言っている?)武田邦彦さんが今日、自身のブログで興味深いことを暴露してくれています。ぜひご覧ください。武田さん、ちょっと行きすぎな時もあるみたいですけれど、基本私は彼のスタンスは嫌いではありません。以前にも「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」や「偽善エコロジー」を紹介しましたね。
とりあえず原発深層流002 危険な原発? 安全委員会速記録(1)と原発深層流003 危険な原発・登場の瞬間をお読みください。原子力安全委員会が出した「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」の驚愕の事実が明かされます。
あと、それから言論統制ということで言えば、今日本のメディアよりも外国のメディアの方が正しい情報を発信していますよね。日本語で書かれたものには多くのバイアスがかかっている印象です。
面白いのは、東京電力のホームページです。日本語のページよりも英語など外国語のページの方がずっと詳しく報告されています(苦笑)。たとえばこちらをご覧下さい。ずいぶんと具体的な惨状を見ることができます。いったいどうなっているんでしょうか。
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コメント
こんにちは。いつも興味深く拜読しています。
>太平洋戦争(大東亜戦争)の過程と結果に似ていますね。
全く。方針転換の契機(今後、するかどうかは未定ですが)がともに「核」である点が共通していることも、象徴的です。
>戦後処理もどうせならアメリカなど諸外国に頼んだ方がいいんじゃないですか?
結局そうなるかもしれません。そして時が経ったら、「アメリカや国際社会任せの‘押し付け原発処理’は国の恥だ! 他国に遠慮せずに安全基準を練り直せ!!」と、また同じことをやろうとするかも。似そうです^^。
>…それも根本的に間違っています。「コト」という大きな概念があって、…
この辺は、考えようによって、間違いとも、そうだとも言いうるのでは、なんて。
「コト」=「言」とあてると「言葉」ですが、E.カッシーラーが言った「記号(表現) Symbol」と考えると「事」も「言」も「シンボル」だと言えなくもなさそうな…ズレは残りましょうけれど。
それに「言」としての「コト」にも制御不能な側面があることも重要ですし、「情報操作」、「言論操作」…利益や力の流れで操作されてしまうことも多々。
少し話題が変わりますが、今回の大震災の犠牲者数は恐るべきものですが、ここ10年来、この大震災が毎年1回起こっている以上の自殺者を出していることに言及するものは、寡聞にして見ません。
これもこの国の現実なのです。
>さすがに今回は論理的な「反省」が必要でしょう。
2度の核被弾についても、あまり「論理的な「反省」」をしなかった(=しないように情報操作を凝らした)わが国びと、“喉元過ぎれば熱さ忘れる”、よきにつけ悪しきにつけ、忘れ、水に流す伝統の持ち主です。
しかし、このたびは、「天地不仁」の仁ならざる自然=モノが、「すぐに忘れる君らだから、すぐには消えないようにしてやるぞ」とばかり、とどまってくれている観さえあります。
「喉元」(=甲状腺)に暫くとどまってやるから、忘れずに考えろ、とか。
投稿: へうたむ | 2011.04.18 18:58
福知山線事故の時、私もブログで「この失敗経験をどう継承するかが大事。」なんてことを書いた記憶があります。でも、今回のような規模の震災の場合、一体どこまで対処したら良いのやら。
五百年ないし千年に一度の規模の大災害まで「想定内」として準備をすることは、ランニングコストはもちろんですが、それ以前にたかだか百年生きられない人間にとって現実的なことなのでしょうか?せいぜい数十年先を見て生きれば良い気がしますがね。
投稿: LUKE | 2011.04.18 19:11