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2011.04.13

地震予知はどうあるべきか

Nature10105i20 がいろいろ書いてきたことを、ようやく専門家が発表し始めています。
 再び三陸沖で大きな地震があるであろうこと。余震が余震でないこと。いずれ来るであろう房総沖の地震のこと。他地域での地震の活発化のこと。それから「想定外」のこと。
 これはもちろん、私が偉いとか予言者だとか、そんなことではありませんよ。当たり前のことを専門家はタイムリーに発表できないということです。責任問題があるから、分かっていてもなかなか語れないのです。
 それは政治家も一緒かもしれませんね。あるいは東電も。言葉なんてそんな程度のものです。
 私は専門家ではありませんから、ある程度自分の言葉の責任は軽くなります(もちろん無ではありません)。だからその責任の程度に応じたある種の勇気をもってこうして書けるわけです。
 そのへんの加減を理解しないで、ずいぶんと断定的なことを書く、いわゆる「予言者」のような方々もいます。最近、そういう人たちが、本来オープンであったはずの言論の場をクローズドに変えつつあります。つまり、一定の制限、資格を設けているわけですね。
 これは、宗教団体の成立過程に非常に似ています。誹謗中傷のみならず、反対意見をも封じ込め、ある意味積極的に「敵」を作って、その反対に「信者」を形成していくパターンです。それが社会から遊離して孤立していくと、オウムのようなことになるわけです。
 さて、それは私には関係ないのでこのへんで話を戻します。予言ではなくて予知の話です。
 今日の深夜、いつものとおりイギリスの科学雑誌ネイチャーの電子版を見ていたら、ある意味有名な東大の地震学者ロバート・J・ゲラーさんの論文が載っておりました。これです。
 簡単に言えば、「当たらない地震予知は害になるからやめろ」ということです。私の拙い英語力での読解ですので、かなり乱暴な言葉になってしまいましたね(苦笑)。
 上の画像をクリックして見てみてください。日本列島、濃く色付けされている地域ほど、地震被害に遭う確率が高いとされてきたところです。それに対して、グルグル渦巻き(同心円)のところが実際に起きた被害地震。
 全然当たっていませんよね。これが現実です。たしかに私が静岡で高校時代を送っていた頃から、明日来てもおかしくないとずっと言われ続けてきた東海地震。まるでそこを避けるように違う場所で大規模な地震が起き、被害が出ています。
 ゲラーさんはそういう現実からして、他地域にある種の「油断」を生んでしまっていると言いたいのでしょうね。そして、その油断が「想定外」を生む。
 論文の中には、「想定外“unforeseeable”」についても書かれています。私も全く同意見です。私が散々書いてきた貞観の三陸地震や津波、明治の三陸地震や津波のことも出てきますね。充分に「想定」されたはずだと。
 で、ゲラーさんは、こういう不毛な(百害あって一利なし…とまでは言いませんが)「東海地震の予知」は即刻やめなさい!と言っているわけです(たぶん)。
 では、もう私たちはどうしようもないのか。ただ手をこまねいていればよいのか。あるいは全てを運命と受け入れるだけでよいのか。または、みんなが科学技術や知識よりも「霊感」を磨いて「予言者」になればよいのか。
 これは実に難しい問題ですね。
 私は6年前、北九州で大きな地震があった時、こんなことを書きました。今でもこの考えに変わりはありません。ちょっと大事な部分を引用してみましょう。

 …今回の北九州の地震でも、専門家は空白地域だったと言い訳をしていますが、実際、宏観現象を捕らえたアマチュアもいるようですね。とにかく、そういった情報を集めて、地震発生確率を毎日はじき出して、天気予報の降水確率のように、あるいは花粉情報のように発表すべきだと思います。注意しましょう、傘を持って出ましょう、花粉対策は万全に、でいいのです。
 「明日の何時ごろ、どこそこでマグニチュードいくつの地震があります」…これは無理です。また、これをやったら、パニックを招くだけです。だから、今日は、これだけの数の人がこういう確率で注意を促しています、でいいと思うのです。
 天気予報もしょせん経験による個人的な確率論にすぎません。しかし、それを毎日やることによって、私たちのそれに対するスタンスが安定し、また精度自体も上がってきたのです。

 これですね。「忘れた頃にやってくる」地震というものを、日常の意識の中に戻すのです。
 もちろん、これによって逆に「狼少年」じゃなくて「狼が来た!と叫ぶ羊飼い少年」効果が起きる可能性もあります。つまり慣れや不信による「油断」です。
 しかし、「忘れている」よりはこの種の「油断」の方がまだましです。こういう考え方をするしかないと思うんですが、いかがでしょうか。
 そしてあとは何度も言っている「歴史に学ぶ」ということです。先人の苦難や命を無にしないことです。過去に対して傲慢ではいけません。常に謙虚であるべきです。
 


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