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2011.03.22

霊界物語より 『地震の神』 (出口王仁三郎)

Onis にあやしい話ではありません。ことの本質に迫る内容です。
 自然災害は仕方ないと考えるとか、大阪の誰かのように他人事として語るとか、科学的な態度を軽視するとか、もちろんそういうことではありません。
 逆に起きてしまったこと、今起きていること、これから起きるであろうことを我が事としてとらえ、自他不二の境地になって、苦しみも悲しみも共有できるだけ共有した上で、あえてこの文章を掲載させていただきます。
 ここ数日書いてきた、日本の宗教観、いや宗教ではない、神観、自然観を端的に表す文であると信じます。私たち日本人がどうやってこうした苦難を乗り越えてきたか、自然災害をどのようにとらえてきたか、一つのヒントとなるに違いないと思います。
 この文章を書いた出口王仁三郎は、日本の歴史、文化、哲学、宗教、芸術、言語全てを呑み込んだ、近代日本の巨人でした。単なる宗教家というにはあまりにスケールの大きな活動をした人物でした。
 出口王仁三郎は、その代表的な著書「霊界物語」の中で、様々な予言を書き残しています。最近で言えば阪神淡路大震災やオウム事件も予言していたと言われています(こちら参照)。
 あらかじめそれが人に知られなければ予言の意味はないと言われそうですが、実は自然そのものがそういうモノであり、その解読方法として、たとえば科学があったりするわけで、しかしその最先端の科学の粋をもってしても「想定外」だったと。それと同じように、近現代的な価値観だけでアプローチすると、この「モノガタリ」の中に潜む情報は読み取れないということなのでしょう。
 信じる信じないという次元の物語ではありません。ずっとずっと日本人が持ってきた、そして継承してきたモノについてのカタリです。こういう感覚を私たちはいつの間に忘れてしまったのでしょうか。
 私たち現代の日本人には耳の痛い言葉も出てきます。ある意味この予言は的中してしまったとも言えますね。
 これを読んで、「何言ってんだ?」と思うも結構。「なるほど…」と思うも結構。こういう世界には近づきたくないと思うのも自由ですし、こんなことを知っても何も解決しないと思うのも自由です。とにかく一度皆さんの心の中にこの物語を通過させてみてください。お願いします。

 霊界物語 第一巻 霊主体従 子の巻    第三篇 天地の剖判 第二一章 大地の修理固成より

 …人智は乱れ、情は拗け、意は曲りて、人間は次第に私欲を擅にするやうになり、ここに弱肉強食、生存競争の端はひらかれ、せつかく神が御苦心の結果、創造遊ばされた善美のこの地上もまた、もとの泥海に復さねばならぬやうな傾向ができた。
 しかるに地の一方では、天地間に残滓のやうに残つてゐた邪気は、凝つて悪竜、悪蛇、悪狐を発生し、あるひは邪鬼となり、妖魅となつて、我侭放肆な人間の身魂に憑依し、世の中を悪化して、邪霊の世界とせむことを企てた。そこで大国常立大神は非常に憤りたまうて、深い吐息をおはきになつた。その太息から八種の雷神や、荒の神がお生れ遊ばしたのである。
 それで荒の神の御発動があるのは、大神が地上の人類に警戒を与へたまふ時である。かうしてしばしば大神は荒の神の御発動によつて、地上の人類を警戒せられたが、人類の大多数は依然として覚醒しない。そこで大神は大いにもどかしがりたまひ伊都の雄猛びをせられて、大地に四股を踏んで憤り給うた。そのとき大神の口、鼻、また眼より数多の竜神がお現はれになつた。この竜神を地震の神と申し上げる。国祖の大神の極端に憤りたまうた時に地震の神の御発動があるのである。大神の怒りは私の怒りではなくして、世の中を善美に立替へ立直したいための、大慈悲心の御発現に外ならぬのである。
 大国常立尊が天地を修理固成したまうてより、ほとんど十万年の期間は、別に今日のやうに区劃された国家はなかつた。ただ地方地方を限つて、八王といふ国魂の神が配置され、八頭といふ宰相の神が八王神の下にそれぞれ配置されてゐた。
 しかるに世の中はだんだん悪化して、大神の御神慮に叶はぬことばかりが始まり、怨恨、嫉妬、悲哀、呪咀の声は、天地に一杯に充ちわたることになつた。そこで大国常立大神は再び地上の修理固成を企劃なしたまうて、ある高い山の頂上にお立ちになつて大声を発したまうた。その声は万雷の一時に轟くごとくであつた。大神はなほも足を踏みとどろかして地蹈鞴をお踏みになつた。そのため大地は揺れゆれて、地震の神、荒の神が挙つて御発動になり、地球は一大変態を来して、山河はくづれ埋まり、草木は倒れ伏し、地上の蒼生はほとんど全く淪亡るまでに立ちいたつた…
  (大正一〇・一〇・二〇 旧九・二〇 谷口正治録)

 苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え、助け合う…まず被災された方々自身が力強く復興してゆかれることを心からお祈り申し上げます。

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コメント

> 信じる信じないという次元の物語ではありません。

私もそう思います。

>ずっとずっと日本人が持ってきた、そして継承してきたモノについてのカタリです。

私にはそういう次元の物語とは思えません。

>こういう感覚を私たちはいつの間に忘れてしまったのでしょうか。

まるで教育神話のようです。日本人が共通意識を持ち、それを継承してきたなんて幻想でしょう? 実際、個人個人には様々な考えと行動様式があって、それを地域単位、国単位の集団で見たとき、漠然と共通した方向性が見えてくるだけの話でしょう。私も日本人の端くれですが、出口王仁三郎さんのような感覚は微塵も受け継がれていませんし、俄に感銘を受け、語り継ぐ気にもなれません。「人心乱れた時、天災がやってくる」なんてよく聞く話、「この壺買わなきゃ不幸になるよ」と、どう違うのか? 不信心な私のような人間が今回の大災害を引き起こし、天罰を受けたのは当の私ではなく被災者方だと言うことですかね?

むしろ天災に遭遇したからこそ、人は「怨恨、嫉妬、悲哀、呪詛の声」を発しているのでしょうよ。

投稿: LUKE | 2011.03.23 18:58

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