惟神霊幸倍坐世…言霊とは
神(自然)の猛威と加護の前では、人間の言葉、特にこうして無制限に拡散していく言葉があまりに無意味で無力であることに茫然としています。
いや、言葉の力で救われる方もたくさんいらっしゃるでしょう。もちろん、それはよく分かります。
ただ、自分の言葉に関しては、何を言っても何を書いても、なにか空しいばかりなのです。
悪態をついても、美しい言葉をはいても、それらは所詮「偽悪」だったり「偽善」だったりする気がするんです。それはどちらも「自己満足」でしかない。もしかすると「嘘」を言っているのかもしれない。
今、Twitterにもmixiにもブログにも掲示板にもテレビにも、そういう、社会言語に見せかけた個人言語が跋扈しているような気がします。自分の発言、表現も含めて、それらに対しふと気持ち悪さに襲われる瞬間があるのです。
ごめんなさい。まさに「不謹慎」な言葉だったかもしれませんね。でも、一瞬でもこうして正直な自分になりたいような気もするのです。
なんて、これもまた「自己満足」に過ぎないのでしょうか。ただ、「言葉」を超えた、「言葉」に依存しない、「祈り」や「願い」や「物忌み」もあると思うんです。おそらく、古来日本ではそうやって神の怒りのおさまるのを待ったのでしょうし、神の慈悲を待ったのでしょう。
惟神霊幸倍坐世…こういった祝詞や呪文やお題目というのは、もしかすると「毒をもって毒を制す」、つまり私たちの語りすぎ、話しすぎ、しゃべりすぎ、つぶやきすぎ、書きすぎを、「言葉」によっておさえこむ智恵だったのかもしれません。
「言霊」とは、偽の言葉すなわち自己満足の言葉を封じ込める、真の言葉の力のことなのではないでしょうか。そんな気がしました
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コメント
色んなことを頭の中に詰め込みすぎて理論的になりすぎてるのではないでしょうか?
理論より感情が先に動く時もあるんですよ、人は。
あなたのこの文章からは 被災地から人が生きようと叫んでいることさえも無駄だと吐き捨てているような怖さを感じ、悔しさが込み上げてきました。
投稿: 失礼します。 | 2011.03.15 09:18
意図が全く逆に伝わってしまったようですね。
誤解を生んで不快な気持ちにさせてしまったこと、素直に申し訳なく思います。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2011.03.15 13:40
不快な気持ちにさせてしまったのは私の方です。顔が見えないコメント欄を使ってとても卑怯な事をしてしまい反省しています。失礼な数々の言葉を一方的にぶつけてしまい本当に申し訳ございませんでした。コメントで書いてしまったような事を思っている訳がないのに、文章の中に気になる言葉があり、それに必要以上に反応してしまいました。
毎日地震が続きますが、どうかご無事で。
投稿: 申し訳ございませんでした。 | 2011.03.16 23:18
とんでもありません。おかげさまでいろいろ考えさせていただきました。
やはり、言葉には、それも対面ではない書き言葉には限界がありますね。
私の意図がどうであれ、それを受け取る側には無限にいろいろな事情や感情があるわけですから。
どうか、お気になさらないでください。
おそらくは、私たちは根っこのところでは同じ心を共有していることと信じます。
ありがとうございました。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2011.03.17 12:31