スポーツかそれ以上か(八百長問題について再び)
大相撲春場所が中止…。その前に福祉大相撲も中止、トーナメントも中止、巡業も中止。いったいどうなっているんでしょうか。相撲界、というより、日本。
八百長問題について「再び」というのは、以前、「今こそ『八百長』の精神を!」という記事を書いているからです。また、その1年後に「さまざまなスポーツ(?)に思う。」という記事も書いています。そこにもあるように、私は、世間一般で使われている「八百長」という「言葉」が嫌いです。そういう「言葉」を持ち出す人間こそが「野暮」であると思います。私たちが求めているもの、そして私たちの存在、世の中の意味というのは、そんな次元で優劣を決めるものではないと信じていますし、そう実感しています。
それを、まさに市場経済の原理で「結果」としての勝敗のみを問題とし、また、「機会の平等」という美名のもと、他者(相手・敵・観客等)に対する思いやりや尊敬の念なしの「ガチンコ」だけを求めるとしたら、それは究極的に「戦争」になってしまいますよ。
「八百長」問題はそうした無粋で非文化的な思考と行動の象徴です。世の中がそんなふうになってしまうのは、非常に危険なことです。前の記事にも書いたとおり、慣れ合いの行きすぎはもちろんいけませんが、それを根底からなくしてしまうというのは、もっといけないことです。蓮舫の発言なんか、古事記の時代から始まっている「すまひ」の文化の重みを全く無視した、とんでもない、ほとんど犯罪に近いものです。お前のお父さんは誰のお陰であそこまで富を築けたか忘れたのか!
八百長問題とは少し違いますが、昨年書いたこちらの記事もご覧ください。柏戸、大鵬、北の富士拳銃密輸事件です(笑)。マスコミも国民もみんな大人だったんですよ。柏鵬や北の富士には、八百長疑惑もずいぶんありました。例の「暗殺」疑惑にもつながっていきます(恐)。
これもちょっとはずれますけれど、海老蔵事件を発端とする歌舞伎界へのバッシングもそうですね。あの時「かぶき者」という記事を書いています。初代市川團十郎は刺殺されてるんですよ(笑)。
とにかく、こういう「必要悪」に対して、「偽善者」ぶってバッシングをして恥ずかしさを感じない世の中に、私はとても恥ずかしさを感じます。大人、それも教養ある(?)マスコミがみんなそういう論調。これはもうほとんどファシズムです。魔女狩り、ユダヤ人虐殺に近いですよ。そんな日本でいいのでしょうか。
今日、我が中学校の女子バスケットボール部が、初出場(今年度開校したので)の県1年生大会で見事優勝しました。日々の努力を見ている私たちとしては、本当にうれしいことですし、何よりひたむきに純粋に頑張り、ある意味ガチンコで勝利をつかんだ彼女たちの姿に感動しました。これこそ「スポーツ」の素晴らしさです。
しかし、あえて書かせていただきますが、準決勝でのレフェリングは誰がどう見ても不公平なものでした。それでも、それを乗り越えて結果として圧勝したので、全然いいのですが、いわゆる「スポーツ」の世界でも、こうした「人間の意思」が介入して「機会の平等」は実現できないのです。
生徒たちは、県内敵なしになった高校生たちに教えられていますから、本当の強さが、そうした逆境、逆風を乗り越えなければ得られないものであることをよく知っていますので、我々外野よりもかなり冷静にその事態を消化していました。立派です。
ここは教育現場ですから、本当はそういうことを疑われるような状況というのは避けねばならないと思います。しかし、これもまた、彼女らにとっては、ある意味「学びの場」であり、「成長の糧」なんですね。つまり、「スポーツ」以上の何かがあるということです。
今日は、そのバスケの応援から帰って、夜には、昨日行われたIGFプロレスリングGENOME14をテレビで観戦しました。プロレスは、まさに「キング・オブ・スポーツ」。つまり、「王」ですから、国民とは違う世界なのです。「スポーツ」を超えた、それ以上の世界ということです。単なる勝敗を超えた世界。
お客さんも勝敗よりも内容を重視するのが、プロレスの特徴です。本来、相撲でもそうだったはずです。それが、今回のようなとんでもない事態を「世間」が作り出してしまった。プロレスが十数年前に味わった試練です。
それにしても、猪木さんがザ・プレデターとキース・ハンソンの試合中に激怒したのにはビックリ。ある意味、「八百長」を許さない、すなわち「心」とか「魂」の面での「いい加減」を許さないということでしょうね。
もうしばらく(たぶん10年以上)大相撲はダメでしょう。そして、皆さんも御存知のとおり、総合格闘技も大きな興行はもう終わりになりそうです。
どうせなら相撲界も「SUMO」と称して、柔道同様に完全スポーツ化したらどうですか。そういう方を公益法人にすればいい。ま、お客さん入らないでしょうけど。そして、全日本相撲協会か新日本相撲協会か大日本相撲協会か知りませんが(笑)、別の団体旗揚げしましょうよ。本来の相撲をやる団体を。
いよいよ、プロレス復興の時が来たのかもしれません。それは本当に素晴らしいことです。人間の「心」や「魂」排除する市場経済原理に対抗できるのは、「プロレス」的世界しかないからです。
私は今年のプロレス界に期待します。私自身も何かできることはないかと画策しています。人々が、「八百長」なんて言葉を口に出さない、そういう世の中を作るために。
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コメント
星のやりとりだけならここまで問題にはならなかったのでは?全ての勝負がガチンコだなんて思っている国民こそ少数派でしょう。賭博の対象が野球だけでなく、相撲の取り組みそのものに、暴力団との関わりがありそうだから、公にせざるを得なかったと。私などは八百長そのものより、それを携帯メールでやりとりするような、浅はかな行為の方が情けないというか...。そのくらいの知恵が回らなくてどうするんだよ、と。何が何でも発覚させない決意というか覚悟も出来てないオメデタさが、不気味であり哀れです。
海老蔵さんに関しては、擁護する必要など全く感じません。「これも芸の肥やしだ。」として当人が堂々と会見すれば良かっただけの話しでしょう。歌舞伎界で誰一人海老蔵さんを擁護したコメントを発した人はいなかったと記憶します。バッシングしている国民以上に情けない。
「偽善社会」が悪いなら、それに迎合している歌舞伎界は?相撲界は?
投稿: LUKE | 2011.02.08 02:42
こちらでビビッと共鳴したのは、懐の深い^^‘八百長観’のほうよりむしろ、
「「偽善者」ぶってバッシングをして恥ずかしさを感じない世の中」
へのご指摘です。
この「世の中」が実は二重になっていて、私たち下じもがウジャウジャいる「世の中」が、八百長力士なり海老蔵氏を「ヤジる」バッシングは、これはありなのでは、と思います。だからこその「かぶき者」ではないか、と。
問題はテレビを中心とするメディアとしての「世の中」。一種抗いがたい「正義」を構築した上でウムをも言わさず「世の中」(前者)に押しつけて異論を許さない状態を作り上げてしまうやり方は、目に余る、を通り越しています。
メディアに登場する「識者」も、これに同調することをロール・プレイするのみ。
力士が携帯で、手加減を、それも高額で売買するという事態が、どのように「神事」と切り結ぶかは、また少しょう議論を要するところかと思います。
ですが、ひたすら「正義」の側に立っていることを自身の存在理由とするメディアは、世のシステムの中で、「許されざる、下じもの八百長」の背後で、「何ぴとも指摘できない、支配する側の、大いなる八百長」を既得権として磐石なものにし続けてきた観深いものがあります。
話題を転じてしまいますが、その元凶? テレビは、地デジ化後、どうなるのか少し興味があります。
テレビ難民になるのは低所得層中心だから、影響はない、とテレビ側は踏んでいるようですが、どうも、あの池上 彰さんの自主的降板なんか、テレビ(の影響力)への三行半みたいに思えるのは、私の邪推、でしょうかねえ。
投稿: へうたむ | 2011.02.13 02:33