『角力』 辻魔首氏(太宰治)
今日は高校の一般入試。今年度は作問に全く関わりませんでした。考えてみると去年は、中学で2問、高校で4問も作ったんだよなあ。よくネタがあったな、自分(笑)。
で、今年の高校の問題に太宰の「角力」が出ていました。これって、その短さからけっこう定番教材になってますよね。
しかし、これ、太宰治の作品としてはあまり知られていない方だと思います。全集にもないし、青空文庫にもない。それもそのはず、これを書いた時の津島修治はまだ「太宰治」ではなかったからです。
なんと、この時修治はまだ16歳。旧制青森中学3年の時でしょうか。ペンネームは「辻魔首氏」でした。上の写真はその翌年のものです。最近発見された「16歳の太宰治」ですね。
読むと、もうしっかりすっかり太宰治しているのに驚きます。独特のリズム感もすでにありますね。
それにしても、面白いのはその内容。八百長問題花盛りの今、ここにはいろいろなヒントがありそうです。
太宰は「角力」や「力士」のことをいくつかの作品に書いていますが、それを読むだけでも、力士がほとんど侠客であったことがよくわかります(こちら「富士吉田…古き良き時代」の記事もぜひどうぞ)。
では、「角力」を縦書きでどうぞ。ただし、現代仮名遣いです。栴檀は双葉より芳し。
「兄さん、もう一回やってみましょう」「もうごめんだよ。若いものは勝ちに乗じて何回もやりたがるものだなあ」「何でもいいからやりましょう」「それじゃあ、やろう」
あたりで見ていた誠二の友達はどっちが勝ってもいいような様子をして、二人に声援をしていた。誠二は兄と取り組んでからはほとんど夢中と言ってよいくらいであった。ただ膝頭がガクガク震えているのばかりが彼にはハッキリわかっていた。それでも、「もういいだろう」と言うことが夢中になっている誠二の頭に浮かんできた。誠二はゴロリと横になった。それは自分ながら驚くほど自然にころんだのだ。友達はこの意外な勝負を見てワッとばかり叫んだ。兄は得意そうに微笑んでいた。そしてたおれている誠二の脚を彼の足先で一寸つついた。誠二はだまって立ち上がった。
彼の友達はがやがや騒ぎだした。中にはこんな声もまじってあった。「そら見ろい、あの通り誠ちゃんが負けるんだよ。誠ちゃんのお兄さんがわざとさっきは負けてやったんだよ。誠ちゃんが泣くといけないから」「そうだとも。一回で止めとけばよかったに、勝ったもんだから癖にして、またやったらこの始末さ。アハハハ」誠二はだまってこの話し声を聞いていた。誠二の心は、先回とちがって、寂しさを通りこして、取り返しのつかない侮辱を受けて無念でたまらないような気がしてならなかった。兄の方を見た。兄はまだ喜んでいるようだ。誠二は兄のその喜んでいる様子を見てもちっとも嬉しくはならなかった。ますます頼みがいのない兄だというなさけない思いがしてきた。ああ、負けねばよかった。また勝ってやればよかった。誠二は深い後悔の念が堪えられないほどわき出たのであった。
もう友達はだいぶ彼の家から帰って行った。兄も誠二の部屋から去った。誠二はこうかいの念に満ちた心を持って部屋の窓から空を見上げた。どんより曇った灰色の空は低く大地を包んでいた。風もなかった。誠二には太陽の光もないように思われた。
誠二の肩をたたくものがある。信ちゃんであった。誠二のたった一人のホントの友達の信ちゃんであった。信ちゃんは快活に、「今の勝負、ありゃあ君がわざと負けたのじゃないか」と言った。誠二はこれを聞いてうれしくってたまらなかった。そして自分をホントに知っててくれる人は信ちゃんであると思った。誠二は急に微笑を浮かべて信ちゃんの手を固くにぎりだまって頭を縦に振ってみせた。信ちゃんは、「そうだろう、なんだかおかしいと思った。あんなにたやすく兄さんに負けはしまいと僕は思っていたんだ。だがなぜ兄さんに勝たせたんだい」と聞いた。それを聞いて、誠二はハッとしたようにしてだんだん暗い顔色になってきた。
やや沈黙が続いた後、信ちゃんはトンキョウな声を上げて、「ハハアわかった。誠ちゃん、君えらいね。兄さんに赤恥をかかせまいと思って負けたんだね、そうだろう」と叫ぶように言った。誠二はそれに対して「そうだ」と言うことがどうしてもできなかったのは無論である。
あたりで見ていた誠二の友達はどっちが勝ってもいいような様子をして、二人に声援をしていた。誠二は兄と取り組んでからはほとんど夢中と言ってよいくらいであった。ただ膝頭がガクガク震えているのばかりが彼にはハッキリわかっていた。それでも、「もういいだろう」と言うことが夢中になっている誠二の頭に浮かんできた。誠二はゴロリと横になった。それは自分ながら驚くほど自然にころんだのだ。友達はこの意外な勝負を見てワッとばかり叫んだ。兄は得意そうに微笑んでいた。そしてたおれている誠二の脚を彼の足先で一寸つついた。誠二はだまって立ち上がった。
彼の友達はがやがや騒ぎだした。中にはこんな声もまじってあった。「そら見ろい、あの通り誠ちゃんが負けるんだよ。誠ちゃんのお兄さんがわざとさっきは負けてやったんだよ。誠ちゃんが泣くといけないから」「そうだとも。一回で止めとけばよかったに、勝ったもんだから癖にして、またやったらこの始末さ。アハハハ」誠二はだまってこの話し声を聞いていた。誠二の心は、先回とちがって、寂しさを通りこして、取り返しのつかない侮辱を受けて無念でたまらないような気がしてならなかった。兄の方を見た。兄はまだ喜んでいるようだ。誠二は兄のその喜んでいる様子を見てもちっとも嬉しくはならなかった。ますます頼みがいのない兄だというなさけない思いがしてきた。ああ、負けねばよかった。また勝ってやればよかった。誠二は深い後悔の念が堪えられないほどわき出たのであった。
もう友達はだいぶ彼の家から帰って行った。兄も誠二の部屋から去った。誠二はこうかいの念に満ちた心を持って部屋の窓から空を見上げた。どんより曇った灰色の空は低く大地を包んでいた。風もなかった。誠二には太陽の光もないように思われた。
誠二の肩をたたくものがある。信ちゃんであった。誠二のたった一人のホントの友達の信ちゃんであった。信ちゃんは快活に、「今の勝負、ありゃあ君がわざと負けたのじゃないか」と言った。誠二はこれを聞いてうれしくってたまらなかった。そして自分をホントに知っててくれる人は信ちゃんであると思った。誠二は急に微笑を浮かべて信ちゃんの手を固くにぎりだまって頭を縦に振ってみせた。信ちゃんは、「そうだろう、なんだかおかしいと思った。あんなにたやすく兄さんに負けはしまいと僕は思っていたんだ。だがなぜ兄さんに勝たせたんだい」と聞いた。それを聞いて、誠二はハッとしたようにしてだんだん暗い顔色になってきた。
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