無財の七施
↓雑宝蔵経の一部
今日は高校の卒業式。あいにくの冷たい雨ではありましたが、卒業生たちは明るく未来へ元気にはばたいてゆきました。
我が校らしい厳粛な式典。手前みそながら非常に素晴らしいと思います。2時間半の間、まさに水を打ったように静謐。日頃は元気すぎて手に負えない生徒もいますが、こうしてやるべき時にはやれれば、社会に出ても大丈夫でしょう。日頃の先生方の教育の賜物だと思います。
さて、式典中、いくつかの祝辞で心に残るものがありました。まずは、名誉校長先生(正眼寺山川宗玄老師)の「請務其本」についてのお話。直接そういう話はなかったのですが、根幹を知るためには枝葉末節も知らねばならないなと思いました。根幹もまた相対的なものであり、また、実際の樹木で考えても、枝葉末節がなければ根幹も朽ちてしまいますよね。あらためて深い言葉だと感じた次第です。
そして校長先生の「無財の七施(むざいのしちせ)」のお話。皆さん、この「無財の七施」御存知ですか?
インドの古い仏典を、5世紀の中国で翻訳したものに「雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)」というものがあります。日本にも渡ってきて、日本の仏教説話のみならず、昔話などにも影響を与えました。
光明皇后もそれを写しています。比較的分かりやすい因果応報譚が多いためでしょうか、その内容は宮中はもちろん民衆にも広く伝播していたようです。
その第六巻「仏説往昔母迦旦遮羅縁」に、この「無財の七施」が出てきます。いわゆる「布施」の方便(具体的方法)を紹介しているのですね。「布施」は言うまでもなく、智慧などともに菩薩への必須条件です。
私たちも「布施」と言いますと、つい「物品」や「金銭」や、せいぜい「知識」を施すことだと思ってしまいますね。しかし、お釈迦様は「財力や智慧がなくとも布施はできる」と教えます。すなわち、次の七つの具体的布施です。一般に言われているものとは少し違うかもしれません。原典を読んでのワタクシ流の解釈です。
一 眼施(げんせ)
慈しみにあふれる優しい目で相手を見てあげる。
二 和顔悦色施(わげんえつしきせ)
眉をひそめたりせず、おだやかな顔で相手に接する。
三 言辞施(ごんじせ)
慈愛に満ちた柔らかい言葉を使う。
四 身施(しんせ)
礼儀正しく相手に接する。
五 心施(しんせ)
一から四までをするに当たって、善の心、和の心が伴っていなければならない。
六 床座施(しょうざせ)
席を譲る。自分の立場を譲る。
七 房舎施(ぼうしゃせ)
自らの家に相手を招く。
一般にはもう少し現実的、現代風に解釈されていますが、原典には基本このようなことが書かれています。ここからそれぞれがさらに具体化していけばいいのでしょうね。校長先生ももっと分かりやすく具体的にお話されていました。
このように、私たちは「持っているもの」がなくとも、自分の存在と行動だけで「布施」をすることができるのですね。
ニュージーランドの地震を受けて、本校でもさっそく募金活動などをしております。現実的な物品や金銭や技術が、被災者を救うことはもちろんですが、私たちにはまず「心施」が必要なのかもしれませんね。すなわち、祈りや願いです。
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コメント
自分の住む街の多くの学校でも本日卒業式のようでした。
卒業証書をもって歩く少年少女。日頃学校でどのように過ごしていたのかわかりませんが、皆誇らしい顔をしています。そんな彼ら彼女らを見て、胸が熱くなって涙がこぼれそうになりました。(年をとった証拠でしょうか(-_-;))先生流に訳された「無財の七施」を自分の文字でノートに書き出してみて、暫し考えました。「「持っているもの」がなくとも、自分の存在と行動だけで「布施」をすることができる」…。何もない自分にこそできることなのかなぁ…。
投稿: eco | 2011.03.01 22:09
ふ~む、と唸ってしまいました。近頃ダライ・ラマのご本を読んでまして考えさせられます。
私にも出来るかな。まずは、やってみよう。
先生、いつもありがとうございます!
投稿: 能楽師(見習) | 2011.03.01 22:46