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2011.02.28

無財の七施

↓雑宝蔵経の一部
20110301_91059 日は高校の卒業式。あいにくの冷たい雨ではありましたが、卒業生たちは明るく未来へ元気にはばたいてゆきました。
 我が校らしい厳粛な式典。手前みそながら非常に素晴らしいと思います。2時間半の間、まさに水を打ったように静謐。日頃は元気すぎて手に負えない生徒もいますが、こうしてやるべき時にはやれれば、社会に出ても大丈夫でしょう。日頃の先生方の教育の賜物だと思います。
 さて、式典中、いくつかの祝辞で心に残るものがありました。まずは、名誉校長先生(正眼寺山川宗玄老師)の「請務其本」についてのお話。直接そういう話はなかったのですが、根幹を知るためには枝葉末節も知らねばならないなと思いました。根幹もまた相対的なものであり、また、実際の樹木で考えても、枝葉末節がなければ根幹も朽ちてしまいますよね。あらためて深い言葉だと感じた次第です。
 そして校長先生の「無財の七施(むざいのしちせ)」のお話。皆さん、この「無財の七施」御存知ですか?
 インドの古い仏典を、5世紀の中国で翻訳したものに「雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)」というものがあります。日本にも渡ってきて、日本の仏教説話のみならず、昔話などにも影響を与えました。
 光明皇后もそれを写しています。比較的分かりやすい因果応報譚が多いためでしょうか、その内容は宮中はもちろん民衆にも広く伝播していたようです。
 その第六巻「仏説往昔母迦旦遮羅縁」に、この「無財の七施」が出てきます。いわゆる「布施」の方便(具体的方法)を紹介しているのですね。「布施」は言うまでもなく、智慧などともに菩薩への必須条件です。
 私たちも「布施」と言いますと、つい「物品」や「金銭」や、せいぜい「知識」を施すことだと思ってしまいますね。しかし、お釈迦様は「財力や智慧がなくとも布施はできる」と教えます。すなわち、次の七つの具体的布施です。一般に言われているものとは少し違うかもしれません。原典を読んでのワタクシ流の解釈です。

一 眼施(げんせ)
 慈しみにあふれる優しい目で相手を見てあげる。

二 和顔悦色施(わげんえつしきせ)
 眉をひそめたりせず、おだやかな顔で相手に接する。

三 言辞施(ごんじせ)
 慈愛に満ちた柔らかい言葉を使う。

四 身施(しんせ)
 礼儀正しく相手に接する。

五 心施(しんせ)
 一から四までをするに当たって、善の心、和の心が伴っていなければならない。
 
六 床座施(しょうざせ)
 席を譲る。自分の立場を譲る。

七 房舎施(ぼうしゃせ)
 自らの家に相手を招く。

 一般にはもう少し現実的、現代風に解釈されていますが、原典には基本このようなことが書かれています。ここからそれぞれがさらに具体化していけばいいのでしょうね。校長先生ももっと分かりやすく具体的にお話されていました。
 このように、私たちは「持っているもの」がなくとも、自分の存在と行動だけで「布施」をすることができるのですね。
 ニュージーランドの地震を受けて、本校でもさっそく募金活動などをしております。現実的な物品や金銭や技術が、被災者を救うことはもちろんですが、私たちにはまず「心施」が必要なのかもしれませんね。すなわち、祈りや願いです。

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2011.02.27

マニアック家族旅行 in 東京湾岸

20110228_64108 日は久しぶりに家族で東京へ。こんな旅をする家族もそうそうないでしょうな(笑)。
 まあ、いつもこんな感じではあります。前回はアメ横(カレー)→北千住(バトラーツ)でした。
 今日は『新木場(スターダム)→銀座(博品館)→汐留(白井晟一)→築地(寿司)』であります。
 実は今日もバトラーツに行こうかと思っていたのですが、出かける段になって急遽変更。いちおう娘たちの意見を取り入れまして…ホントか?私も四半世紀ぶりの女子プロレス生観戦です。
 夢の島に行くのも何十年ぶりでしょうねえ。私のイメージではゴミの島なんですが、今となっては逆に自然が豊富な運動公園であります。そこの駐車場に車を停めて、いざ新木場1stリングへ。
 プロレスファンでありながら、新木場1stリングも初めてです。おお、工場や事業所に囲まれて、なかなかいい風情ですぞ。
 スターダムは今年1月旗揚げされたばかりの団体。しかし、代表はロッシー小川さんですし、GMはあの風香、そして選手の先頭に立つのは2010年女子プロレス大賞受賞の高橋奈苗ですから、きっとそれなりの興行をやってくれるものと期待していました。
20110228_63800 実際、旗揚げ興行、2回目の興行をテレビで観まして、家族で涙を流しながら感動したんですよ。なんか、プロレスというエンターテインメントの基本を見せられたような、感情移入できる興行だったんです。そこで、今回さっそくその3回目の興行を生観戦と相成ったわけであります。
 まず結論、非常に楽しめました。家族みんな満足です。当日券があと2枚しかなく、選ぶまでもなく最前列での観戦に。子どもはそれぞれ膝の上です(笑)。
 けっこうプロレス観戦慣れしているウチの娘たち(小5&小2)ですが、やはりこういう小さい箱の最前列というのは迫力があってビックリしていたようです。ただ、残り物チケットということで、プロレスファンなら分かると思いますが、コーナーポスト脇、リングの対角線上というのは、実は最もリングを観にくい位置なんですよね。まあ、それはしかたありません。
 しかし、タッグではすぐ目の前に、控えのゆずポンのお尻があるし(笑)、セコンドの選手との触れ合いもあるので、やっぱり特別な席ですな。テレビ観戦とは全く違う臨場感です(当たり前)。
20110228_63709 さて、試合について、あるいは各選手について、いろいろ言いたいこともありますが、紙面の関係上ごく簡単にかいつまんで。
 全体としては、エンタメ性と一生懸命性(?)の両方のバランスがとれたいい興行だったと思います。プロレスの基本はそこですね。女子プロレスは総体としての壮大な花相撲とも言えますが、そこに見え隠れする「精神性」…すなわち、倒されてもやられても立ち上がっていく折れない心や、女の情念でしょうかね、そういうものが実によく伝わってきました。そして、痛み、苦しみも美しいまでに表現されていました。
 ただ、どうでしょうね、ちょっと観ていて心配な場面もありました。受け身の取りそこねや、技のかけそこねは大けがにつながります。そういう場面が若手に多く見られました。そういう意味では、まだまだ素人の域を出ていない選手もいます。体もとてもレスラーとは思えない子もいて、技のダメージが心配でした。
 そう、この団体の選手には、現役の小学生(2年生)、中学生、高校生、大学生もいるんですよね。それは非常に新しい魅力であるとも言えるのですが、親であり教師である自分としては、ちょっと心配にもなりました。
 その点、エース候補の美闘陽子選手や愛川ゆず季選手は、適度に肉付きがよく(笑)受けるにせよ攻めるにせよ、迫力と余裕が感じられました。もちろん、高橋奈苗選手や夏樹☆たいよう選手は観ていてある意味安心できる、素晴らしい肉体と技と経験を持っていました。やっぱり鍛え上げられたものを観たいですねえ。学生プロレスとは一線を画してもらいたいところです。
 さて、全5試合、それぞれ見どころがありましたが、やはり美闘選手とゆずポンにはスター性を感じましたね。経験が浅い割には、「プロレス的なるもの」をしっかり見せてくれたと思います。体にも心にも恵まれていると思いますので、ぜひ精進して一般社会をも惹きつける表現者になってほしいと思いました。
 ほかの選手たちも、しっかり練習して、また自らのキャラクター作りに邁進して、スターへの道を歩んでもらいたいと思います。親心ですかな(笑)。
 それにしても、小学2年生の夢(はるか)ちゃん、可愛いしいいですねえ。試合後、ウチの小学2年生とご対面しました。ウチのも入団させようかな。なんて、運動神経イマイチですし、すぐ泣くし、全然ダメでしょうね。美闘選手に「プロレスどうですか?」なんて聞かれちゃいましたが。
Img_0488 さて、そんな熱い闘いを観たあとは、とりあえず子どもの欲求も満たさねばということで、家族で初銀座です。今日は東京マラソンがあって、なかなか思うように車を走らせることができず大変ではありましたが、無事目的地に到着。目的地とは銀座博品館です。
 私は高度経済成長の東京で育ち、毎月家族で銀座のデパートに出かけるというような、まあいかにもステロタイプな少年時代を過ごしたのですが、カミさんは秋田の山奥で育ちましたし、娘たちも富士山の中腹で育ちましたから、なかなか銀座などという別世界には行く機会がありませんでした。
 しかし、そんな昭和の銀座の栄華も昔の話。今はずいぶんとひっそりしていますね。山から出てきた女衆は口を揃えて「静かだね」と申しておりました。あと中国人が多くてびっくり。
 さて、そんな銀座のおもちゃ屋さん博品館に入った子どもたちは、興奮するのかと思いきや、あまりの夢の世界に圧倒されてしまったのか、結局、数百円の地味な文房具やシールだけを購入しておしまい。ゲームコーナーの4階に至っては「行かない…」と、上がらずじまいでした。
 3DのDSとか、全く興味がないようです。母親が「この世界全部3Dじゃん!」とか言ってるからでしょう(笑)。DSやるなら、プロレス生観戦ですな。超3Dでしたよ。
20110228_64328_2 さてさて、続きましては、子どもを大人の趣味につきあわせます。パナソニック電工汐留ミュージアムで行われている「建築家 白井晟一 精神と空間」展です。
 いやあ、すごすぎました。白井晟一については、たとえばこちらこちらにも書いたように、ワタクシは不思議な縁があるんですよねえ。そして、不思議な共鳴がある。
 子どもたちには退屈かと思いきや、やはり稲住温泉で実際にその建築に触れたりしていますから、けっこう興味深く観ていました。
 それにしても、女子プロレスと白井晟一を続けて興味深く観る小学生ってどうなんでしょう(笑)。
 ううむ、昭和の天才おそるべし。建築の発想がぶっ飛んでいるのはもちろん、その設計図自体が立派な美術作品ですし、書や彫像の素晴らしさ、そしてなんと言っても文章のうまさ…。もう何をか言わんやです。なんでもできて当たり前。哲学者であって当たり前。昭和の天才は当たり前に多才です。裾野が広いから素晴らしい独立峰となる。まさに富士山と同じです。まいった。
Img_0504 最後は築地のお寿司屋さんでシメです。いつも回転寿司にしか行かない私たち、さすがに本場江戸前のお寿司には大感動。全然ネタが違う…と思いきや、娘たちここに来てまで頼むのは「納豆巻き」と「卵焼き」。魚食えよ!ww
 おなかもいっぱいになったところで、東京の夜景を見ながら帰宅の途につきました。富士山の中腹に帰ってきたのは夜9時前。なんだかんだ、1時間半で着いちゃうんですよね。近いものです。また、今度は別のスポットでマニアック東京旅を実施いたします。


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2011.02.26

スズキ アルトG4

20110227_80943 ととい昨日と、山梨・静岡を行き来した富士山ナンバーの車はこいつです。昨年の12月に購入しました。基本カミさんの車ですが、私もいろいろな条件で運転してみましたので、今日おススメします。
 8年ほど乗ったシボレー(スズキ)クルーズが、走行距離10万キロを超えたあたりから、なんだか急に調子が悪くなって(駆動系)、走行中不安を感じるまでに至ったので買い替えました。クルーズけっこう好きだったんですが。
 職場の若い先生もクルーズ(白)に乗っていまして、全く同じような症状に襲われ、同時期にある車に買い替えました。この希少車が駐車場に並んでいるのは非常に珍しい光景だったのですが…。同時に消えまして、同時にチョコ色の車に変りました(笑)。
 クルーズの走破性の高さは本当にジムニー並みでした。しかし、最近では珍しいパートタイム4WDのため、ウチのカミさんもその先生も、四駆に切り替えないでずっと走っていたみたいです(笑)。カミさんはそれで雪道でスタックして救助されました。見たら2駆で走ってた。その先生もその話を私から聞いて「え?そんなボタンあるんですか?」という調子。ふむふむ、女は平和ですな。それでも、けっこう雪道ではよく走ったと言いますから、なかなかの車でしたね。
 というわけで、ウチは寒冷地かつプチ豪雪地帯なので、新車も四駆は必須条件です。カミさんはオートマ免許なので、マニュアルというわけにはいきません。で、お金がないので、とにかく一番安く買える四駆のCVTということでアルトになりました。
Imgres 私にとっては、ええと、約30年ぶりのアルトです。初めて乗った車が初代アルト。初代と言っても、47万円の2サイクルではなく、たぶん52万円の、4サイクル(F5A)版(白)でした。大学の時、父親から譲り受けました。
 これがとっても素晴らしい車でした。軽自動車史に残るというより、世界の自動車史上に残る名車ですよね。燃費も平均21キロくらいでした。サスペンションが固かったので、それをいいことに富士山のオフロード(岩場とか)も平気で走ってました。ま、大学生ということで無謀だっただけですけど。
 しかし、ある日高速道路走行中、プラグが1本抜けまして(笑)、3気筒550ccが2気筒366ccになってしまった。それでエンジンがブッ壊れました。2気筒でトロトロ走って、いつもの車屋さんにたどりついたら、「よし、今ちょうど事故車を引き取ってきたから、エンジンを積み替えてやる!」とか言って、その場で新エンジン(走行1万キロ)になりました(笑)。いい時代でしたねえ。
 おっと、今日は初代アルトの紹介じゃなかった。えっと、これは7代目です。2009年に発売されたHA25S型です。それぞれの代のアルトもそれぞれなかなかの名車だったんですけどね、初代に匹敵する名車の予感がするのがこの7代目でしょう。デザインもなかなかユニークかつオーソドックスですよね。よくできています。
 最近はトールタイプの軽がはやりですけど、私はどうもあの重心の高さがあんまり好きじゃなかったんですよね。純粋にデザインとしても異常です。軽の枠外で、あのデザインはあり得ませんよね。それに、車重は重くなるし、空気抵抗も大きいし、つまり燃費が悪くなる。
 それでも四駆CVTのG4は800キロ以上もあります。初代が500キロ台だったことを考えると、いったいこれで軽と言えるのかとも思います。まあ、安全のためにはしかたないんでしょうかね。
 そんな感じですから、燃費も悪くなるのかと思いきや、今回総計300キロくらい走りまして、燃費は初代と同じ21km/lでした!ちなみに高速は使っていませんから、全て一般道です。そして、標高差1000メートルを往復ですね。けっこういい数値ではないでしょうか。
 この30年の技術の向上を体感しましたねえ。660ccの自然吸気とは思えない力強さ。たぶん、CVTがいいんでしょうね。トルクをうまく引き出している感じです。以前、フィアットプントでCVTを経験していましたが、よりCVTのメリットを実感できるという感じです。プントはとにかく回転数を低く抑える感じだったんで、ちょっとアクセルワークとトルク感が一致しないイライラがあったんですけどね、こちらはマニュアル的な感覚で操れます。
 上り坂でもホントよく走りますね。ウチのランディや前のクルーズ(両方とも1300cc)よりも、よく登ります。中央道の談合坂付近でも余裕で加速できますからね。ランディなんかヒーヒー言って減速していきますから。
 その他、電動ドアミラーとかシートヒーターとかキーレスとか、あっ電動ウィンドーもだな(笑)、初代では考えられないような装備、機能が満載で、まあとにかく時代はずいぶんと変ったなあと思いますね。もちろん、価格も2倍以上になっちゃってるわけですが。
 私はいわゆるEV(電気自動車)の未来に関しては非常に悲観的です。それについては、また近いうちに書こうと思っています。結局一般化しないと思っています。ですから、このような旧来の化石燃料を燃焼させるエンジンタイプの自動車の技術革新はまだまだ進むと思っています。
 少なくとも、向こう30年は完全電気自動車化は「絶対」無理です。予言しておきます。
 だから、軽自動車を廃止するんではなくて、全自家用車を軽自動車化することを望みます(笑…いや、マジで)。というか、軽を1000ccまで拡大すればいいんですよね。いろいろなバランスを考えて。そうすればもっと燃費もよくなりますよ。普通にリッター30キロ行くでしょう。そうすれば、妙なハイブリッドとかにする意味はなくなります。

スズキ公式

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2011.02.25

静岡と山梨…富士山を挟んで

県境からの富士山…大沢崩れは両県間の亀裂の象徴?
Gedc0224 日は仕事のあと静岡は蒲原へ。静岡の志ある人々が集まる、とある会合に参加してきました。
 約70人の、いろいろな仕事をお持ちの方々が集まる中、選ばれてちょっとだけ皆さんの前でお話をする機会を得ました。
 せっかく富士山の向こう側山梨から来ているので、「富士山を日本の和の精神の象徴に。そのためにはまずは犬猿の仲(?)の静岡と山梨が仲良くしなければ」というような話をさせていただきました。
 まあ、犬猿の仲は大げさにしても、意外に交流がないというのは事実です。せいぜい、どちらの富士山がきれいか、富士山頂はどちらのものかというような論争くらいでしたね、ちょっと前までは。
 いや、もっとはっきり言うなら、豊かで暖かく平和な静岡に対する、山梨のコンプレックスという一方的な反感のようなものがありますねえ(笑)。これは若い人たちにも残っていますよ。この前も生徒たちとそんな話をしました。
 もちろん、静岡は東西に異様に長い県であり、伊豆、駿河、遠江で全く違う文化がありますので、それはそれである意味一体感がなく、東部、中部、西部それぞれが妙なライバル意識を持っているというのも事実です。
 一方、山梨は甲府盆地の国中と富士山麓の郡内とで、同様に妙ないがみあい(これもはっきり言えば、郡内の国中へのコンプレックスですかな)があったりして、こちらはこちらでとても面倒な歴史があるのです。
 特に富士北麓地方は、山梨の国中地方と静岡の東部地方とに挟まれ、つまり南北両方にある種の敵意(コンプレックス)を持たざるを得ないという、なんとも微妙な立場で孤立してきたんですね。
 どこかに書いた覚えがありますけれど、万葉集にある甲斐の国の枕詞「なまよみの」は、これは今の山梨県全体に対するものではなく、間違いなく富士北麓地方に対する修辞です(一般の説は間違っています)。つまり、富士北麓地方は昔から一種独特の雰囲気をもった「なまよみ(半分黄泉の国)」だったわけですね。
 実に微妙な土地柄なんですよ。富士五湖、富士吉田を中心とした地域は。外から来て住んでみると、ある意味で「悪い気」が流れているようにさえ感じるものです。根が深いんです。
 もちろん、そういうところだからこそ、様々な芸術や文化が育ったとも言えますがね。もちろん、志村正彦くんなんか、その代表です。
 そうそう、志村正彦全詩集を紹介した日、「富士山の日」だったんですよね。2月23日。私、富士山に住んでいながら(住所が富士山です)、この日のこと忘れてました。というか、誰もそれを話題にしませんでしたね。
 で、今日静岡の人に聞いて初めて知ったんですけど、あの日、静岡では県立学校はお休みだったんですってね。驚きました。ただ、地域によって富士山の日に対する温度差がかなりあって、県内でもいろいろと問題があったようですね。
 最近では「富士山を世界文化遺産に」を(いちおう)合言葉に、両県が協力しようとしています。両県の知事が会合したりして、なんとなく表面的には盛り上がっている、いや、盛り上げようとしているとも言えますが、どうもうまく話が進んでいないように見えます。まさに温度差でしょうかね。両県のと言うより、両県のそれぞれの地域の温度差。
 山梨県知事も静岡県知事も「富士山は生活の一部」というような発言をしていますが、麓に住む人間からすると、ご両人ともにちょっと「よそ者」っていう感じがするんですよねえ。遠く眺めている、特に山並みの向こうに富士を見ている人たちと、私たちとは正直富士山に対する感性がかなり違うような気がします。
Gedc0222 ただ、実際のところ、世界に誇る自然の造型であることはたしかですし、日本人の霊性、心性の象徴であることはたしかですから、基本世界にもっと開いていくべきだとは思います。そのためには、それこそお膝元の我々がもっと動かないといけませんね。お膝元どうし、仲良くできないようじゃどうしようもありませんからね。
 今日も私、富士山ナンバーで山梨から静岡まで行きました。両県をまたぐ一つのシンボルとして、この富士山ナンバーはとても価値のあるものだと思います。ま、こちらに書いたように、もっぱら山梨側の方がメリットを享受しているとも言えますが(笑)。
 私の家があるのは山梨県の鳴沢村の字富士山というところです。鳴沢は比較的古くから富士宮方面との交流があった地域です。今でも、農産物などは互いに県境を越えて行き来が盛んです。江戸時代には文化面での交流もかなりあったようですね。そういう理由があってか、客観的に見まして、性格や行動がやや静岡的なような気がします。明らかに甲州気質とは違います。
 両方に縁があり、両方の良さ、悪さをよく分かっている私としては、この両県の、ある意味対照的とも言える特性をうまく融合して、それこそ「和」の精神で活かし合って行ったら、どんなにいいだろうと思うのです。陽と陰、柔と剛、おおらかさと野心とでも言いましょうかね、互いにないものを持っているんですよ。
 物流立国を目指す静岡、環境立国を目指す山梨。ある意味対照的ではありますが、それもまた互いに補い合う関係だとも言えましょう。
 私は今まで、自分の生まれ故郷である静岡を、なんとなく避けていたような気がします。それこそ妙なコンプレックスがあったんでしょうかね。静岡で過ごした青春時代があまり明るいものでなかったからでしょうか(苦笑)。しかし、今日をきっかけに、両者の融和、和合を目指して活動していこうと決心しました。
 さて、まずは何から始めようかな。静岡の皆さん、ぜひご協力のほどよろしくお願いします。もちろん、山梨の皆さんも。

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2011.02.24

辰子姫の反乱?

Imgres ら、言ったとおりになった…と思ったら、このブログには私の予言(確言)書いてなかったか。残念。
 でも、一部の人にはそういう話をしていたので、ああ、当たった!と思ってくれていることでしょう(笑)。
 すなわち、大川きょう子の反乱であります。いよいよ龍になったか、幸福の科学大川隆法総裁に噛みついた。そして、永久追放に。
 もともとそうなると分かっていたんですよ。えっ?なぜって?それは当然です。私が、大川きょう子の霊言を聞いていたからです(笑)。
 ええと、きょう子さんについては、こちらに書いていますね。家族で田沢湖に行った時の記事です。そこで私、
 『きょう子さん、自らを文殊菩薩やナイチンゲールの生まれ変わりとおっしゃってますが、ひそかに「辰子姫」の生まれ変わりだとも思っているんでしょうね、なにしろ絶世の秋田美人ですから(笑)』
 と書いておりますな。ハハハ。いや、これは馬鹿にしているんじゃなくて、本当にそう思ったから書いたんですよ。
 今回の一件で、なぜかきょう子さんの過去世は、文殊菩薩・ナイチンゲール・アフロディーテから、「イエスを売った裏切りのユダ」になったようです(笑)。それもエドガー・ケーシー霊のリーディングによるらしい(こちらの公式発表参照)。
 おいおい、以前の霊言はどうなるんだ?という感じですけど、それにしてもエドガー・ケーシーもいい加減なものですね。ユダはないですよ。だいいちユダは裏切り者ではありません(こちらの記事参照)。
 だから、言ってるじゃないですか、辰子姫だって。辰子姫にもいろいろなヴァージョンがあるんですけど、きょう子さんに乗りうつっているのはプロトタイプです。自分が絶世の美女であることに気づいて、その美貌が年とともに衰えることを恐れ、菩薩に願をかけ、結果として報いを受けて異常な喉の渇きを覚えて龍になってしまった、そういう辰子です。
 ちなみに、龍になってしまった辰子に向けて母親が投げた松明が、あの「クニマス」になったとも言われています。
20110225_95935 ふむふむ、そう考えていくと、このご乱心というか、犬も食わない夫婦ゲンカというか、内紛には、クニマスの再発見が関係しているかもしれませんよ。大川総裁の前世はバカボンではなくクニマスだったとか(笑)。
 ドラッカーが流行れば、「ドラッカーの霊言」、坂本龍馬が流行れば「龍馬の霊言」…いつもそんな具合の総裁ですから、どうせなら「クニマスの霊言」でも出したらどうでしょうか(笑)。
 まあ、こういう内輪もめというのは、どの教団でもあることです。しかし、それをどう捉えるかということで、その教団がホンモノかニセモノか分かれるような気がしますね。実際には、単なる法難として互いに排除し合うことがほとんど。つまり、ほとんどの教団がニセモノです(ってか、教団という存在自体ニセモノですけど)。
 ここで思い出されるのは、やはり出口王仁三郎の大本のことですね。そうそう、幸福の科学も大本や王仁三郎から多大な影響を受けています。大川隆法は比較的初期に「出口王仁三郎の霊示集」という噴飯ものを出しています(ある意味「大川隆法の霊言」と並んで笑えるトンデモバイブルの一つです)。万教が入り乱れた教義なんかや、時代の最先端を行くシステムやメディア戦略をとること、あるいは政治に介入(乱入)してくるあたり、たしかに王仁三郎に似ていなくもありません。
 しかし、やはりホンモノとニセモノはあまりに違いますよ。王仁三郎と開祖なおの衝突や軋轢、殴り合いのケンカは有名な話です。それこそが経(たて)と緯(よこ)の紡ぎ合い、和合への道程であったわけです。ま、王仁三郎没後の大本の内輪もめはそういう次元ではありませんが。
 というわけで、この夫婦喧嘩、いったいどういう方向に進むのでしょうか。最終的には辰子は落ち着きますからね。しかし、隆法さんには八郎になるような度量はないでしょう。


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2011.02.23

『志村正彦全詩集』 志村正彦 (PARCO出版)

20110224_72802 さに「文学」。「文学」はここに生きていました。
 おととしの聖夜に天に帰った志村正彦くんの遺した「詩」の全てが収載されているこの本。たしかにパブリッシュされた「音楽作品」の「詞」としては、これが全てなのかもしれません。しかし、実際にはもっとたくさんの断片や言葉の胚胎を残していますし、きっと今でも毎日のようにせっせと言葉と音楽を生み出し続けているでしょうから、「全」というのはあくまでも私たちこちら側の事情によるレトリックです。
 実は、こうしたレトリックを施されることこそが、「文学」の証であるとも言えます。「全集」が編集、発行されるということには、そういう意味があるのです。ある部分ではやはり哀しいことではありますが、こうして彼は永遠の芸術家となっていくわけですね。
 それにしても、この詩集を手にした人は皆驚くことでしょう。CDの歌詞カードの世界と、こうした装丁、構成、そして縦書きの詩集の世界と、あまりにその風景や、そこから聴こえてくるメロディーが違うということに。
 これはある意味、志村くんにとっても想定外の試練だったと思います。なぜなら、全てのロックの「詞」が「詩」たりえるものではないからです。
 こうした装いを与えられて、また、旋律を奪われた丸裸の言葉になって、その底の浅さを露呈してしまった例を、私はいくつか知っています。あのビートルズでさえも、そうした陥穽に見事はまってしまいましたからね。
 その点、志村くんの言葉は、本当にひいき目でなく、見事に「詩」となり、「文学」となっていたので、これは違った意味において非常なる想定外な事態でした。
 こうして、純文学になることによって、彼の言葉は一層輝きを増したとも言えます。ある意味私の最も得意とする「文学的解釈」をいくらでもすることができます。解説を書けと言われれば書けますよ(笑)。
 そう、この本のより良いところは、解説すらもない全集だということです。彼の綴った言葉以外には、扉に彼の写真一枚と巻末に年譜があるだけです。
 これは、彼を心から愛し支えたスタッフの正しい判断だったと思います。彼にはこんな丸裸な言葉が似合います。彼自身は照れ臭いでしょうが。
Gedc0221 もちろん、そうした彼に近しい人たちの心をしっかり理解して見事な表現をした、装丁の名久井直子さんの素晴らしい仕事ぶりも賞賛に値します。このシンプルさ、文学らしさは、勇気のいる仕事です。
 編集の杉田淳子さんの仕事も素晴らしい。特にページ割りの見事さに脱帽。よく練られていますね。
 もちろんそれぞれ、内容がそれに充分堪えられるものだったからできた仕事でしょうが。
 そうそう、見てください。詩以外にも一つ(いや、正確に言うと二匹)志村くんの作品が。「ヤクザネコ」です。表紙と年譜のところにいます。発行日が昨日2月22日「猫の日」ですから、ちょうど良かったですね(笑)。この絵がまた可愛いんですよ。猫マニアで特に猫の絵については非常にうるさいウチのカミさんが「カワイ〜イ!」と言ってましたから、この点でも志村くんは天才であったと(笑)。
 私は、このブログで何度も「文学は死んだ」というようなことを書いてきました。もちろん、それは三島の死とともに「近代文学=小説」は死んだという文脈でもありましたし、一方、純文学の才能が、それこそ音楽やマンガやアニメなどの分野に流出したという文脈でもありました。
 その両方の意味で私は、この詩集から何か大きな答をもらったような気がします。この詩集を手に取って、久々に「文学な気分」になりました。
 そのおかげでしょうか、夏前に発行予定の歌集(私個人のものではなく合同歌集です)に収録するエッセイを一気に書き上げることができました。ブログの記事とは違って、文学的な文章を書くのには、「気分」が非常に重要なのです。志村くんありがとう。またお世話になってしまいました。
 その歌集には、彼を追悼する歌も入れたいと思っています。
 夏には、学校の図書室の棚に、さりげなくこの詩集と私の歌集を並べて置かせてもらおうかな。

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2011.02.22

猫の日にちなんで

Photo_2_23_7_04_57 の日。毎年この日には、ウチの黒猫3匹の1年分のエサが届きます。これです。これで1年分。ま、時々ほかの物もつまみ食いしますが、基本このエサしか食べません。食卓の上の刺し身なんかを食べたがるのは、ノラ出身の末っ子ミーだけですね。古参の2匹は、ほとんど見向きもしません。
 これで、約8250円。1年で8250円かあ。まあ、1日20円強というところですかね。私が1日1食しか食べないので、その分そっちに回ってると考えれば、まあ安いもんだ。
 ところで、「猫の日」ですが、これって、このエサの会社も入っているであろう「ペットフード協会」が1987年に制定したものです。ニャンニャンニャンで2月22日と。
 1987年と言えば、おニャン子クラブが解散した年ですね。たぶん、そんな社会現象もあって、猫と言えば「ニャン」だったのではないかと思われます。
 日本語史的に言いますと、「ニャンコ」に「お」という接頭辞をつけたのは、たぶん「おニャン子」が初めてではないかと思われます。違うかな?もっと前からあったような気もするような…。
 いずれにせよ、当時「おニャン子」は、「目立ちたがりの女子高生」という意味で使われ始め、そのうち、一つのブランドのようになり、社会現象となり、また現在のAKBなどにつながる、「素人コンテンツ」の先駆けとなったのでありました。
 文化史的に考えますと、おニャン子の語源であろう「ねこ」は、長いこと芸妓や娼婦のことを差していましたから、ちょっとそういった若い女性の色気のようなものを、秋元康がうまいこと現代化したとも言えますね。
 「ニャンコ」という言葉自体は、たとえば1968年の「いなかっぺ大将」の「ニャンコ先生」を例に出すまでもなく、古くから使われていたと思われます。
 「にゃん」は、古くは17世紀江戸の書物にも見えますので、猫の鳴き声として、「にゃあ」とともにかなり昔から一般的だったのではないでしょうか。
 今でも「ネコババ(猫糞)」という言葉がありますが、江戸時代には「にゃんがばば」とか「にゃあがばば」とも言われていましたので、つまり、「ねこ」=「にゃん」「にゃあ」だったのでしょうね。
 そこに今でも東北弁などに残る、親愛を表す接尾辞「こ(子)」がついて「にゃんこ」と言われてきたのでしょう。
 もしかすると、「御ねこ様」と同様に、「おにゃんこさま」、あるいは「おにゃんこ」のような言い方が、もう江戸時代にはあったかもしれませんね。
Gedc05491 「ねこ」という言葉自体の語源も、おそらくは鳴き声の擬音「ね」+愛称の「こ」だと考えられます。源氏物語の若菜の巻に、「いといたくながめて、端近く寄り臥したまへるに、来てねうねうといとらうたげになけば、かき撫でて、うたてもすすむかな、とほほ笑まる」とあります。「ねうねう」の当時の発音は明らかではありませんが、「にゃう」に近いのではないかと思われます。
 ですから、「にゃんこ」という言葉は、基本「ねこ」のなまった形、いや、本来の形に非常に近いということになりますね。
 先ほど書いたように、「ねこ」には、色っぽい女性を表すような用法もありました。「寝子」というイメージと、猫自体が持つ、甘え上手だったり、またちょっと悪女っぽい様子、そしてしなやかな姿態が、そういう連想をさせたのでありましょう。
 ウチの3匹の黒猫。上の2匹(弥右衛門と新之介)は元男性(去勢済み)ですので、まあニューハーフというかオカマというか、そっち系ですね。新参者のミーは女性ではありますが、脊椎損傷のため下半身不随で、いつまでたっても大きくならず、今もやんちゃ盛り。まあ、「おニャン子」みたいなものですかね。なぜか、私はそのおニャン子に嫌われております。父親に対する反抗期なんでしょうかね(笑)。

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2011.02.21

フジファブリック 『地平線を越えて』& Kansas 『Portrait (He Knew)』ほか

 日、「プログレ」の話が出ましたね。私の音楽のルーツの一つは間違いなくプログレです。そう言えば私、一時期「プログレッシヴ・バロック」という古楽バンドやってましたっけ。ま、それほどそういう世界が好きだということです。
 プログレというのは面白いもので、本来アンチクラシック音楽(近代西洋芸術音楽)、民俗音楽回帰というところから始まったはずのロックが、「芸術性」すなわち「複雑さ」「構築美」(最初の変化が「好乳首」になってしまった…爆笑)を求めるという、ものすごい自己矛盾の上に成り立っているんですよね。
 ま、一絡げには言えませんけれど、いろいろな国にそれぞれの民俗音楽と芸術音楽があって、それらをそれぞれの国のロック・ミュージシャンたちが、なんとか融合しようと頑張った時代があったわけです。
 その結果、だいたいがまた新しい矛盾に遭遇することになりました。それは「難解さ」が生む「非大衆性」です。本来大衆音楽であったはずのロックがどんどん難しくなっていって、一度聴いても分からないような方向に行ってしまった。
 日本のプログレもそうだったんです。それはそれでマニアックなジャンルとして魅力的でしたがね。しかし、なかなか商売にはならなかった。自己矛盾は自己矛盾のままだった。
 私も、自分自身がそういう音楽を求めていた時もありますから、この分野に関してはかなりうるさい方だと思いますが、上記のいろいろな事情を考慮した上でですね、フジファブリックの「地平線を越えて」はすごい曲だと思います。
 つまり、そうした自己矛盾を見事に昇華しているということです。8分の12の複合拍子を基本に、変拍子やポリリズムなどを含むことや、また、特殊な転調や先の読めない展開、メロディーではなくパッセージ(リフ)の積み重ねなど、いわゆるプログレの王道をしっかり押さえつつ、メロディー的には日本古来の四七抜きと西洋音階を巧みに混合し、加えて、日本語の譜割りが実にお見事。開音節構造から生まれる単調なシラブルを羅列することによって、音楽的なポリリズムを意図的に無意味化しているところがあります(なんて、いかにもプログレな分析、解説でしょ?)。
 私は、この曲を初めて聴いた時、この志村正彦という男はいったい何者だと思いましたよ。こんな若者がいるのか!これは天才だ。その時は、まさか彼が富士吉田の青年だとは思いもよりませんでした。
 そして、この曲を聴いて、音作り的にはイエスなども想起されましたが、なにより私の印象と重なったのは、アメリカン・プログレの雄、カンサスのこの曲です。「ポートレイト」。
 ELOと並んで、私にヴァイオリンを始めさせたバンドの一つが、このカンサスです。中一の時、こんなのを盛んに聴いていたんですからね、ずいぶんとませたガキでした。てか、みんなこういうの聴いてましたよ、あの時代は。
 ええと、これはたぶん2002年のライヴ映像です。かっこよすぎですね。
 

 ついでにもう一曲。私はこの後奏のヴァイオリン・ソロを弾きたくてヴァイオリンを始めたようなものです。これはオーケストラと共演したライヴですね。けっこう最近のもののようです。こんな曲、どうやって作曲するんだろう。大人になっても不思議に思います。すごいな。

 さて、最後にもう一度「地平線を越えて」です。昨年のフジフジ富士Qでは、斉藤和義くんが歌いましたね。「志村君の曲めんどくさい。ギターは難しくて、メロディーはへんてこりんで。なんでメンバー止めなかったの?」って言ってましたね。それこそプログレじゃないっすか!!…なんて、もちろん、せっちゃんの言葉は愛情のこもったシャレですよね(笑)。ナイスなコメントでした、ホントに。

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2011.02.20

珍しく地上波を観ました…が

20elp 日は久々に一日家にいまして、珍しく地上波の番組をいくつか観ました。
 相変わらず地デジ化には大反対なワタクシ…というか、基本うるさい民放地上波はほとんど観ないので、結果としてまあどうでもいいという感じになっているんですが…娘たちも最近ポケモン熱が下がってきましたしね。
 ところが、今日はどういうわけか朝から東京のアナログ波にチャンネルが合わされていまして、普段見ない番組をつくか見ることになって、それで結構感動したり、腹が立ったりいろいろしたわけです(笑)。
 まず、本当に久々に「題名のない音楽会」を観て聴きました。これが、なかなか良かった。感動すらしてしまった。
 今日のテーマは「クラシックmeetsロック~新作!プログレ交響組曲」。EL&Pの「タルカス」を吉松隆さんがオーケストラ用に編曲したものを、佐渡裕さんの指揮で東京フィルハーモニー交響楽団が演奏。吉松さんの苦労のあとが痛々しいほどにわかる名演でありました(笑)。
 うむ、山田五郎さんも佐渡さんもプログレ・ファンだったんですね。私もそういう世代ですし、今まさにロックとクラシック両方に興味を持ち、両方演奏しているのは、たしかにあの時代のプログレのおかげであります。
 ですから、こういうロックをクラシック風にというか、オーケストラ用に編曲するというのは、案外私たちにとっては古典的なチャレンジであって、特に目新しいことではないんですよ。どちらかというと、その無理さ加減をよく知っているので、ちょっと気恥ずかしいくらいなんです。ですから、それ自体はそれほど感動ではありませんでした。もちろん悪くなかったし、生で聴いてみたいとは思いましたが。
20110220_203450 それよりですね、そう、元メガデスのマーティ・フリードマンのエレキギターによるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番第3楽章が良かった!素晴らしい!これこそ生で全曲聴きたいですねえ。
 これはかっこいいというより、結構納得でしたよ。ラフマニノフは19世紀から20世紀をまたぐロシアの作曲家です。彼の作風はもちろん西欧ロマン派のそれを逸脱するものではありませんが、一聴してわかるとおり、非ヨーロッパ的な独特のメロディー感覚を持っているのは事実です。それが、やはり非近代ヨーロッパ的な要素を内包する、つまり中世的とも言えるヘヴィメタと、実にすんなりとマッチしてしまったのですね。これは私にとって、実に大きな発見でありました。なるほどねえ。しかしまあ、マーティうまいわ。ギターも日本語も(笑)。
 そして夕飯時、ちょうどカミさんと英語教育論議をしているところでした。とんでもない番組が始まり、びっくり仰天、とういか呆れて開いた口が…。
 今日カミさんが教育評論家の尾木直樹さんの講演を聴いてきて、そしてちょっとした、というか、いつもの違和感を持って帰ってきたところだったんです。すなわち、とにかく日本人は英語をちゃんとやらなきゃダメだという話に対する違和感であります。
 子どものための英語教室をやっているカミさんは、世の英語(英会話)幻想と闘うためにあえて英語教室をやっているとも言えるのです。私も独特の英語教育観を持っており、それを中学校の教育方針の根幹の一つにしています。先日も学校を訪れたZ会の方に何時間もお説教しちゃいました(笑)。まあ、そのあたりについては、今までも何度も書いてきましたし、また近いうちに書くことになるでしょうから、今日は割愛。ま、とにかく、英語(外国語)なんか必要であればそれなりに必要なだけ身につくという簡単な理論です。
 逆に言えば、「英語」ができれば、国際人になれて、世界的に活躍できるなんていうウソに惑わされないでもらいたいという考えです。英語ができる…なら、全てのイギリス人やアメリカ人やオーストラリア人は素晴らしい国際人で世界的に活躍できることになってしまうということですよ。そんな簡単なことも分からなくなっている日本人はいったい…。
20110220_210616_2 そんなことを熱く語っていたら、ちょうどTBSで「夢の扉〜日本の未来を救う英語教育」が始まったんですよ。だものだから、それこそ噴飯してしまいました(カレーが噴出)。
 紹介されていたのは、地元富士河口湖町のマ○ア国際幼稚園。地元の同業者ですから、まあ裏や表や、いいところ悪いところ、いろいろ言いたいことはありますが、今日はただ一言だけ。これが全てを表しているでしょう。
 代表、インタビューで「選択肢」を「せんたくわざ」って言いましたね!!それも2回も!!おいおい、英語うんぬんより、まずは日本語をしっかりしなさい…ってか、小学生の娘でさえも呆れる教養のなさ。こんなところに我が子の教育をまかせらまれすか?私にはそんな勇気ありません。日本を救うですと?TBSさんもしっかり編集した方がいいですよ。はずかしいし、なんだか可哀想でした。
 この番組を観ていた静岡の両親からも嘆きの電話がかかってきました。「英語が公用語の国際教育村(英語漬けの国際村)」を作るなんて、まるでオ○ムやヤ○ギシ会みたいなことにならなきゃいいんですが…。まあ、山梨の困った公教育事情を考えれば、同じ私学として協力し合う必要があるとも思いますけど、これじゃあとりあえず無理ですね。
 おっともう一つ。「カリキュラムも時間割もない」って…あなた、認可取り消しますよ。それをやりたければ、私塾としてやってください!!
20110220_210701 そのすぐあと、興奮さめやらないうちになんだか変なバラエティー番組が始まったぞ。そして…おお!こちらには素晴らしい教育者が!ww
 「気合いだ!」を918回連続叫んだアニマル浜口先生。英語なんかより、こっちの方がずっと大切です。こういう「魂」を学んでもらいたいですね(なんて、これはこれでかなり偏ってるか…笑)。
 いや、冗談でなく、折れない心や義侠心、そして馬鹿になれる(純粋に一生懸命になれる、なりきる)こと、またユーモアこそ、国際人として必要なものではないでしょうか。
 ところでところで、この番組観ていて一つ面白かったことがあったので書いておきます。
 なんだか「このものまね芸人は実在するかしないか」みたいな、くだらない(面白い)コーナーがあったんですけど、そこで、「どんなときも槇原」という架空の芸人さんが「登場」した時(つまり、幕が開いたら誰もいなかったわけですが)、司会のロンブー淳が「いらっしゃいません!」と言ったんですね。
 おお、そうかぁ、実在しない「人物」に対しても「敬語(尊敬語)」を使うのか、日本人は!ww
 面白いですねえ。この感覚は英語にはないだろうなあ。日本語は面白い、日本人は面白い。つくづくそう思いましたね。
 たまには、こうして民放地上波を観ていろいろ考えるのも楽しいものです。しかし、あと数ヶ月後には、ウチでは、フジテレビ系、テレビ朝日系、テレビ東京系は観られなくなります。今のうち、たっぷり観ておこうかな…いや、もういいや。総務省と戦うのもちょっと疲れました(苦笑)。みんな逃げ回っていて、まともに話してくれないものでして。

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2011.02.19

「13歳のわたし」集会

Vlcsnap2011022008h18m04s39 、涙。
 生徒の前で泣いたことのない私が、今日はたまらず号泣してしまいました。
 今日、我が中学校で、保護者の皆さんに生徒たちの成長を見ていただく「13歳のわたし」集会が開かれました。これ、実は私の思いつきで急遽催されたものなんです。
 なんと、実施を決めたのは3日前。生徒は2日間しか準備の期間がありませんでした。普通に考えれば、このような無計画な教育活動は許されざるものかもしれませんが、「機を見てアドリブで臨む」を座右の銘にしているワタクシとしては、逆に大きなチャンスだと確信していました。
 それが、こういう形で、まさに大成功、大団円で終わるというのは、これはもう、わがままな教頭の突然の思いつきに「え〜!?」とも言わず、普通についてきてくれる、生徒、保護者、そして先生方のおかげですね。
 それにしても、いったいどういう13歳、中学1年生なんだ!?こんな、ある意味メチャクチャな「事件」を実に楽しみながら準備していってしまう。そして、ほとんどいきなり本番。アドリブあり、ハプニングあり、機転あり、ユーモアありで、全く予想以上の成果をあげてしまう。
 本人たちはそれほど意識していないかもしれませんが、正直、君たちはすごいよ!
 1時間にわたり、クラス、クラブ、勉強、その他いろいろな成果を一つ一つ発表していきます。全員が主役です。もう途中から、保護者の方々も、我が子の成長ぶりにハンカチを手放せなくなっていました。和やかな笑いと感動の涙、両方がうまくミックスされた素晴らしい時間と空間でありました。
 最後の合唱と応援では、その純粋な一生懸命な生徒の姿に、私もカメラを回しながら、ついつい涙腺から塩水が…。
 いつもお世話になっている大ベテランの先生にも大感謝です。私のとんでもないタイミングでの思いつきに心から賛同してくれて、そして、ほとんど全てのプログラムをそれこそ瞬時に作ってくれました。それも、全ての生徒が主役になれるように。経験のなせるわざですね。
 そのおじいちゃん先生もおっしゃっていました。公立で37年間熱い教育活動をしてきた方ですが、こんなすごい生徒や、こんな「いいかげん」な先生は見たことがないと(笑)。
 よくその先生とも話すんです。最近の教育現場は、事前のリスクヘッジにばかりエネルギーを使っていて、臨機応変さに欠けると。相手は生き物ですから、予定通り、予想通りいかないのは当たり前なのに、生徒たちをとにかく枠にはめて、安心・安全にことを進めることばかりに専念すると。
 今日、私も泣きながら生徒と保護者に話させていただきましたが、人間の成長には条件があると思うんですね。ベースに「安心」「喜び」「平和」があって、その上に「悩み」や「苦しみ」や「葛藤」や「衝突」があった時にのみ、人は成長できるのです。
 13歳と言えば、肉体的にも最も成長をする時期です。そこには、当然「成長痛」や「筋肉痛」が伴うじゃないですか。それと一緒で、心、精神面においても、「成長痛」や「筋肉痛」が必要なのです。
 しかし、世の中の大人、特に親は、そんな心の「成長痛」や「筋肉痛」にも、過度の心配や過度のケアをしてしまう。学校もそうした「痛み」が起きないようにリスクヘッジに奔走する。それはどこか間違っていますよね。
 私たちの学校では、そこに対しては、ある意味かなり昔風な教育を施していると思います。生徒が「痛み」を感じている時こそ、チャンスだととらえています。極端な言い方をすれば、「よしよし、いいぞ、いいぞ、もっともっと悩め!そして乗り越えろ!」と、そう考えて、ある程度の距離からサポートするのです。
 これは、親や自分たち教師においても同じなんですね。人生は常にそういうものでしょう。リスクをおかさねば新しい世界は開けません。虎穴に入らずんば虎児を得ず。
 実は、今回の思いつき、ちょっと前に紹介しました、アルボムッレ スマナサーラ長老の『13歳へ〜よい親も、よい先生も、あなた次第』からヒントを得たものです。そう、そして結果として、13歳の生徒たちのおかげで、私たち親も先生もしっかり成長させていただきました。ありがとう。
 まあ、それにしても、あの涙の連鎖をなんだったのでしょうね。特に、若い担任の先生の涙には、私も保護者も、そして生徒たちも驚いたのではないでしょうか。思わず「卒業式みたいじゃん!w」と言ってしまいました。それほど、「愛」をもって生徒たちに接しているということでしょうね。
 私も、高校の担任をしていた時には、卒業式でも全く泣けなかった(キャラ的なものもあるかな?)のですが、今回はなぜか涙を抑えきれませんでした。ふむ、中学の先生のやりがいや楽しさを、まさに生徒たちに教えてもらった気がしますね。本当にありがとう!
 また、来週から頑張ります。生徒に負けないように成長するぞ!


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2011.02.18

Mew 『Live in Copenhagen』

 日の続きになりましょうか。
 フジファブリックの『CHRONICLE』を紹介した記事に、「同じ北欧のMewと似た印象でしょうかね。私好きなんですよ。こういうの。近代西洋音楽の理論からちょっとはずれたやつ。そのちょっとというのが難しいんですけどね」と書いて、デンマークの耽美派バンドMewの名前を出しました。
 昨年11月でしたでしょうか、久々に来日したんですよね。このバンド、日本でもあまり知られていませんが、たぶん世界的にもインディーに属しているのではないかと思います。
 その「近代西洋音楽の理論からちょっとはずれた」部分や、抒情的な雰囲気、予想できない展開など、けっこうフジファブリックの世界観とも重なる部分があると思います。
 今日は彼らのライヴ音源をぜひお聴きいただきたく、また映像としてもご覧いただきたく、ここに紹介いたします。私の好きなアルバム『Frengers』から数曲聴いていただきましょう。
 まず、これが代表曲でしょう。改めて聴いてみまして、これはやっぱりカッコイイと再確認。

Am I Wry? No

 続いて、シンプルだけれども、なぜか心にしみるメロディー。

She Came Home For Christmas

 次は、短調の美しい曲。非和声音の使い方は、レミオロメンやフジファブリックやバンプなど、J-ROCKにも通じるところがありますね。

Snow Brigade

 最後は、私の大好きな曲。理屈をどうでもいいのですが、長い後奏のコード進行は憎い。トニック→ドミナントが、いつのまにかトニック→サブドミナントになっている!単純ですが、実は「何気なく」が難しいテクニックです。近代西洋芸術音楽からフォークロアへの回帰ですね。

Comforting Sounds

 ちなみにこのライヴの全映像をこちらで鑑賞できるようです。

Amazon Live in Copenhagen [DVD] Frengers エッグス・アー・ファニー

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2011.02.17

フジファブリック 『Stockholm』

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 がようやく積もりまして、冬景色になったと思ったら、今日の夜から大雨の予報。やはり温暖化でしょうかね。本当にこの極寒地は住みやすくなりました。まったく温暖化万歳!であります(笑)。
 しかし、こうして真っ白い街並みと「濃い白」をかぶった富士山を見ますと、なんとも特別な感情が湧いてくるものです。
 痛いような、それこそ凍てついた空気や、人の歩みを妨げる雪が、人間的な温かさや活気をコーティングしてしまうからでしょうか。あるいは、人間の醜い部分や汚い部分をも覆い隠してくれるからでしょうか。どこかピュアな気持ちになるのも事実です。
 フジファブリックの印象的なアルバム『CHRONICLE』は、北欧スウェーデンのストックホルムでレコーディングされました。
 どのような理由があって、その地が選ばれたのか、詳しいことは分かりませんが、やはりこのアルバムにふさわしい場所であったと、今になると実感できます。
 音楽家にとって演奏する「場」「土地」「空気」というのは、非常に重要なものです。録音においては、その意味はさらに大きくなるというのも事実でしょう。
 このアルバムの独特の透明感に満ちた音は、間違いなくストックホルムの空気が作ったものであり、それは、ある意味ストレートすぎるほどの痛々しさに溢れた志村正彦くんの詩の世界と、絶妙にマッチしていたと言えるでしょう。
 ストックホルムと富士吉田。実際に両者には深い部分での共通点があるように思えます。体は北欧にあっても、心は富士吉田に帰ってきていたのかもしれません。
 彼の生まれ育った富士吉田の冬は、まさに彼の心の表面の部分を覆い、そして核心の部分をえぐり出すものだったのかもしれません。ここに住む者として、ここの冬の独特の厳しさと暗さ(実際には晴れて明るいのですが)と、不思議な純粋さについては、私も充分に理解しているつもりです。
 ストックホルムで志村くんが作った、シンプルでピュアな詩と曲『Stockholm』。この曲を聴くたび、私は、ストックホルムの冬景色ではなく、ここ富士吉田の冬景色と空気と気持ちを追体験するのでした。
 ニコ動に歌詞付きの動画がありましたので、どうぞ。

 静かな街角  辺りは真っ白    雪が積もる 街で今日も  君の事を想う

 誰かが作った
 雪だるまを見る

 雪が積もる 街で今日も
 君の事を想う

 私はこの曲のタイトルを勝手に「Fujiyoshida」に変えさせてもらいます。あまりにすんなりこの風景に溶け込む詩と曲だからです。
 そにれしてもですね、いちおう音楽や文学をやっている者として、このシンプルさは恐ろしくさえありますね。これをこのある種重厚なアルバムの最後に持ってくるあたりに、彼の究極の気持ち…それはたぶん「やりきれないほどの懐かしさ」であると思うのですが…を感じずにはいられません。
 帰ってきたかったのかなあ…。


Amazon 志村正彦全詩集


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2011.02.16

SugarSync(同期型オンライン・ストレージ)

Sugarsync_2 よいよ本格的なクラウド時代を迎えますね。
 クラウド・コンピューティングについては、2年半くらい前に「クラウド・コンピューティング」という物語という記事でいろいろなことを書きました。宗教と絡めたりして(笑)。
 まあ時代は予想通り動いていまして、そうですねえ、もうあと2年くらいで家庭用のコンピューター、すなわちパソコンはなくなるでしょう。
 で、私も部分的に「雲」のお世話になるようになっていまして、特に2年前に紹介した究極のオンラインストレージDropbox様には、本当にお世話になっております。お世話になるというか、もうほとんどそんな意識もないほどに人生の一部(それも重要な一部)になっています。
 その後、この究極の無料サービスに匹敵するものがなかなか出てこなかった(それだけDropboxが画期的だった)のですが、ここへ来て、ようやくそれに伍するサービスが登場してくれました。さっそく私もお世話になりはじめております。
 それがこのSugarSyncです。ある意味Dropboxよりも多機能ですし、日本語化されたこともあって、よりとっつきやすいかもしれません。そして、なんといっても、最近、無料で使える領域がDropboxの2倍以上の5GBになったことが大きい。
 とりあえず、Dropboxと合わせて7GB分、無料でバックアップ機能つきのオンライン・ストレージが使えるようになったわけですから、私のような一般ユーザーからすると、もういろいろな意味で充分な容量を得たことになります。
 神様に頼る「安心」が7GB分になったということですね。それもタダでその恩寵にあずかることができるわけです。まあ、ホント日本の八百万の神様みたいなものですよ。献金しなくていいんですから。
 こまかい機能や使い方については、ぜひ公式サイトをご覧下さい。いちいち説明はしません。なかなかよく出来ていますよ。Dropboxの方がずっとシンプルですが、慣れればSugarSyncの方が使えるかも。無意識と意識…そこでDropboxとの差別化を図ったんでしょうね。
 こうして無邪気に「神」に頼っている自分に、ちょっとした危機感や嫌悪をおぼえないでもないのですが、なにしろ便利で安心だものですから、こういう流れをなかなか止められないのですよね。もう信用するしかないというか、性善説に則って生きるしかないというか。
 まだまだ転送速度など、クラウド・コンピューティングには難題が山積しているのも事実です。しかし、もう本当に2年くらいの間にいろいろな問題が解決していくでしょう。
 あとは完全な無線化だけかな。今はクラウドとは言えども、その「雲」には、最終的には「ひも」を通じてつながっているわけですから。

SugarSyncに加入


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2011.02.15

雪の富士吉田

 しぶりに富士吉田の富士山をどうぞ。困った時の富士頼み…というか、本当にようやく大雪になりまして、いかにも冬の富士吉田らしい風景になりましたので。
 全国の富士山ファン、富士吉田ファン(っているのかな?)、フジファブリックファン、志村正彦くんファンの皆さんにお届けしましょう。
 まずは雪が降る前の写真から。仕事中時々こうして撮影してるんですよね。ふとした瞬間の美しさ、地元ならではの富士山というのがありますので。写真ではなかなか描写できない微妙な部分もあるんですが、なんとなく雰囲気でも感じてたいただければ。
 これは先月の末ですかね。プチ茜色の富士です。冬の夕焼けは案外地味なんですよね。空気が澄みすぎているからです。

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 次は2月の1日の富士。お昼過ぎ、ちょうど太陽が富士山の真上にある時間帯です。ほら、12月に紹介したじゃないですか、裏富士。あの頃は冬至に近く、太陽の南中高度が低かったので、富士山の北斜面は影になっていましたよね。それが2月にもなると、こうして日が当たるようになります。つまり、太陽もそれだけ高く上がるようになってきたということです。

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 続きましては2月2日の夕方。雲が幻想的でした。

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 続きまして2月3日。珍しく透明度の低い富士。まさにシルクの薄衣をまとったよう。

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 そして、今日。ようやく街も雪景色に。冬はやっぱりこれじゃなくちゃ。ま、道路がツルツルになって生活しにくいんですけどね。お昼と夕方です。

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 朝の気温もマイナス10度近くまで下っています。吉田の春はまだ遠い…。桜が咲く4月の中旬から下旬までは冬が続きます。去年は4月の末に大雪が降りましたっけね。

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2011.02.14

快挙!日本人4人グラミー賞受賞!

 れはさすがにびっくり。今まで歴代で4人だけですからね。ええと、言わずと知れた坂本龍一さん、シンセサイザーの喜多郎さん、太鼓の中村浩二さん、デザイナーの石岡瑛子さんですか。ちょうど今日、石岡瑛子さんのプロフェッショナル仕事の流儀、やってましたね。
 それがいきなり4人。それもいろいろなジャンルですし、私もよく知っている4人ということで喜びもひとしおであります。
 特に今回注目すべきは、それぞれが「共演」という形で受賞したことでしょう。4人ともに、アンサンブル力、即興性に優れているこということです。単なる「うまい」奏者としてではなく、本来の意味での「音楽性」を高く評価されたということは、なによりも素晴らしいことであります。
Photo B'zの松本孝弘さんについては、もう何も説明はいらないでしょうね。私も本来ならB'zのメンバーになるはずだったのですが(笑)、いろいろあって実現しませんでした(生徒にはそう言っています。とりあえず大学では稲葉さんと同級になる予定ではあった…)。
 松本さんのギターのうまさはたしかに国際レベルでしたからね。今回のラリー・カールトンとの共演アルバム、発売当初友人から借りて聴きましたが、たしかに二人の個性の融和と衝突のバランスが絶妙でしたね。
Photo_2 ピアニストの内田光子さんについても、もう何も言うことはありませんね。日本を代表するクラシック・ピアニストです。今回のクリーヴランド管弦楽団とのモーツァルト:ピアノ協奏曲第23番・第24番、まさに世界一のモーツァルト弾き、特にコンチェルト弾きの面目躍如といったところです。
 内田さんの演奏のいいところは、知性的なところですね。シェイクスピアを読み尽くしているという彼女、音楽もどこか文学的であります。日本人としての感性も忘れておらず、どこか武満徹につながる部分があるように思います。私もいくつかのモーツァルトの録音を持っていますが、どれも聴き飽きない魅力にあふれていますよ。ある意味、昨今のピリオド演奏の対極にある演奏家かもしれません。
Photo_3 ジャズ・ピアニストの上原ひろみさんについては、このブログでも何度か書いてきましたね。彼女も単なる達者な演奏家ではなく、基本的に歌心や即興性に富む優れた芸術家であると思います。若さという外に向かうエネルギーと、内省的な精神性のバランスが魅力的です。
 今回はスタンリー・クラーク・バンドのメンバーとしての受賞ということで、経験を積んでますますそのアンサンブル力に磨きをかけたようですね。特に近年のスタンリー・クラーク、レニー・ホワイトとのトリオは勉強になったでしょうねえ。しかし、考えてみるとすごいな、彼らとトリオ組むだけでも。フュージョンの大御所中の大御所ですからね。一度生で聴きたいミュージシャンです。
M20110204c さあ、今回、ワタクシ的に最も興味深かったのは、箏奏者松山夕貴子の受賞ですね。今回の受賞はポール・ウインターとの共演によるもの。ちなみに太鼓の中村浩二さんもポール・ウインターとの共演でグラミー賞を受賞しています。
 お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、ポール・ウインターの両作品は、MIHOミュージアムで録音されたものです。MIHOミュージアムと言えば、神慈秀明会。中村さんは秀明太鼓のリーダーだった方です。
 神慈秀明会は、まあいろいろあるにしましても、いわゆる大本系の宗教団体。私は出口王仁三郎の研究会に入っていたりしますから、いわゆる神事と音楽の関係、特に「琴」の機能について大変興味を持っております。
 今回、そのような環境で、全て即興演奏だったということですから、なんらかの神懸かり状態とも言えますよね。そういうことができる箏奏者、そんなにいませんから。松山さんは生田流の師範ではありますが、洋楽や現代音楽にもお詳しいようで、ある意味、硬直化、形骸化した邦楽界を飛び出していった方とも言えますよね。
 いちおう、山田流箏曲をやっていた私としましては、彼女のような活動を応援したくなるわけですね。私はちょっと道をはずれて、箏(琴)を宴会でしか演奏しませんが(笑)。ま、でも、箏でバロック音楽とかやってるわけで、多少は松山さんに通じるところがあるか…いや、ないか。
 こんな感じで、今回の4人の受賞者の皆さん、素晴らしいアンサンブルだったわけでして、本当にめでたいことであります。
 あっそうだ、考えてみると、内田さんと上原さんは静岡の出身ですね。静岡出身のワタクシとしては、これもまたうれしいことです。ちなみに松本さんと松山さんは大阪の出身です。
 
松本孝弘 with ラリー・カールトン
 TAKE YOUR PICK
内田光子 with クリーヴランド響
 モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番 第24番
上原ひろみ with スタンリー・クラーク
 The Stanley Clarke Band and Hiromi
松山夕貴子 with ボール・ウインター
 MIHO: Journey to the Mountain

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2011.02.13

満員御礼!山手の丘に香る≪コーヒーカンタータ≫

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 来場くださった皆さま、ありがとうございました。そして、それと同時にこのような素晴らしい演奏会の演奏者としてお誘いいただき、本当にうれしく思います。
 いやあ、コーヒーの香りもさることながら、横浜は山手のあの文化の香りは素晴らしいですね。正直、田舎とは違います。ここでいう「文化」というのは、ある種の「余裕」であり、それは開放から生まれるものであって閉鎖からは生まれないことを再確認いたしました。つまり、横浜には他者を受け容れる土壌があるんですよね。
Gedc0164 今回の演奏会はそうした横浜山手地区を中心に行われた「横濱・西洋館de古楽2011」のファイナル・コンサートで、歴史的な建造物であるべーリック・ホールで催されました。
 お客様には本格的なコーヒーを飲んでいただきながら、バッハの「コーヒー・カンタータ」を聴いていただくという洒落た企画です。プロの演奏家の皆様に交じって演奏させてもらう、それも声楽の方々との演奏は、本当に勉強になります。本当にありがたいことですね。
Asaoka2008 また、アナウンサーとしてプロ中のプロである、朝岡聡さんの軽妙かつ的確なおしゃべり(&演奏)にも感心しきり。演奏者にもいい影響があります。コンサートやライヴでのMCの重要性の再確認はもちろん、私の仕事へのヒントもたくさんいただきました。いずれにせよ、プロの皆さんはすごいですね。
 熱心なお客様の中にも何人かプロの方々が。特に、チェンバロ、フォルテピアノの御大渡邊順生さんとバロック・チェロのエマニュエル・ジラールさんが来られたのにはびっくり!とんでもないプレッシャーですぞ。こんな経験もそうそうできるものではありませんね。
Gedc0169
 今回の演奏会場となったべーリック・ホール(旧ベリック邸)ですけれども、私は二回目でしょうかね、ここで演奏するのは。昭和5年にアメリカ人建築家モーガンによって設計されたこの建物には、アメリカやイギリス、スペイン、イスラム、そして日本と、本当にいろいろな様式が見て取れました。スパニッシュ・スタイルは当時アメリカ西海岸で流行っていたものですが、ここ日本で様々な進化を遂げたとも言えますね。
Gedc0170 ベリックはイギリス人貿易商。当時かなりの財力を誇っていたようですね。特に「和紙」の輸出ではかなりの業績を上げていたとのこと。で、最近分かったんですが、ウチのご先祖様は当時横浜に住み、「和紙」関係の仕事をしていたらしいんです。ということは、ベリック商会とも関係があったかもしれないんですね。不思議な縁を感じました。
 なぜか人のウチの歴史を調べることが多い私ですが(最近も頼まれています)、そろそろ自分のウチについてもちゃんと調べないとなあ。
 そんな調査の第一歩として(?)、練習の合間にちょっとした山手探訪をしてみました。
Gedc0176 まずはお隣のエリスマン邸へ。ワタクシ的にはベリック邸よりも、こっちの方が好きですぞ。なにしろ、設計者はあのレーモンドです。ライトのお弟子さんですね。「ナチュラル」・「シンプル」の中に、和の精神と技術を昇華させたなかなかの作品でした。実は私、レーモンドとも縁があると言えばあるのです。ものすごく間接的ですが。これもまた最近分かったことです。不思議な縁を感じます。
Gedc0186 お散歩の最中、たくさんの猫に出会いました。横浜の猫はなんとなく違いますね。ノラでも品があるというか、余裕があるというか、文化的というか(笑)。猫の美術館の入り口にいたこの猫は大あくびしてましたが、そんな姿にもどこか品格が…ないか。
 いろいろなところに「猫の街」というのがありますが、それぞれ猫の顔つきや動き、たたずまいが違うのは面白いですねえ。まあ、人間といっしょということか。
Img_1670 猫で思い出して四半世紀ぶりに訪れたのが「大佛次郎記念館」。大佛次郎と言えば、無類の猫好きとしても知られる文豪ですね。そうそう私は、大佛次郎本人よりも、お兄さんである野尻抱影の方から入ったんですよね。少年時代の私は、猫よりも星が好きだったので、野尻抱影さんの本は片っ端から読んでいました。
 大佛次郎が実弟だった知ったのは大学生の時ですね。猫と星ということで、私はこのご兄弟に妙な親近感を覚えております。野尻抱影は山梨は甲府の中学の英語の先生やってましたし。あっそうそう、この兄弟、ショコタン(中川翔子)の親戚にあたるんですよ。そんなところにも縁を感じます(笑)。ウチの母親、ショコタンのおばあちゃんと知り合いだし。
Gedc0198_2 今日はちょうど「日日是猫」という企画展をやってまして、いつにもまして大佛次郎の猫馬鹿ぶりを感じることができましたよ。大佛次郎の人生の最終目標は猫になることだったとか。いいですねえ。きっと今頃、兄は星に、弟は猫になっていることでしょう。おみやげに、「猫のいる日々」とコースターを買いました。
Img_1672 と、こんな感じで、個人的にとっても充実した一日を送らせていただきました。演奏会が始まる少し前、外人墓地のあたりを歩いていましたら、夕陽の隣に富士山が見えていました。ああ、今日はあそこから来て、そしてまたあそこに帰るんだな。遠いけれど不思議と近く感じます。ものすごいランドマークだなあ。
 外人墓地に葬られた皆さんも、こうしてずっと富士山を眺めているのでしょうね。皆クリスチャンであったに違いありませんが、しかし、彼らの信じる神とは別に、この富士山に日本の霊性を感じていたのではなないでしょうか。だからこそこうして富士山に対峙してお墓が作られたのでしょう。


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2011.02.12

『大行進~中国“小皇帝”たちの孤独~』 (NHKハイビジョン特集)

Prog_110205_hvsp 週見忘れたこの番組、昼間再放送していたので、家族でじっくり鑑賞。いろいろ考えさせられる内容でした。
 急激すぎる経済発展を遂げる中国。その歪みの犠牲者となっている子どもたち。その苦悩と再生の様子がていねいに取材されていました。
 ものすごく簡単に言ってしまうと、中国版「戸塚ヨットスクール」ということでしょうか。親とのディスコミュニケーションから非行に走った子どもたち(小皇帝)が集う民間の訓練学校です。
 昭和の日本を見るようでもありましたね。私も高度経済成長の東京に育ちましたから、社会全体にそうした歪みを感じていました。子どもや若者が荒れ狂っていた時代でしたからねえ(私はフツーに育ちましたが)。
 その原因のほとんどが、経済成長に伴う、親の子どもへの無関心でした。いや、もちろん関心があるように演じてはいましたよ。「あなたのためにこんなに頑張って働いているのに」と。
 もちろん中国の新富裕層の親たちは、同じことを言っていました。ある意味日本よりも極端な言葉が聞けたかもしれません。「物は全てそろっているのに、なんで言うことを聞かないの」というような…ドラマやマンガじゃありませんよ(苦笑)。
 私も長いこと教師をやっておりまして、本当にいろいろな問題を抱えた生徒と関わってきました。そのほとんど、いや全ての原因が、親とのディスコミュニケーションでした。
 ディスコミュニケーションというのは、単に話をしないとか、一緒にいる時間が少ないとか、親が高圧的だとか、そういう単純なことではありません。たとえば両親がいない子どもでも素直にたくましく育つ場合もありますからね。
 説明するのが難しいのですが…子どもが生まれてからその時々に親に(あるいは他人に)要求することが、いろいろ変るじゃないですか。それも人それぞれ本当に違う。それらにその時々どれだけ答えてあげられたかなんですね。「今」どうのこうのではないのです。
 私も含めて、大人、親というのは、どうしても「今」の自分の基準で子どもに接してしまう。その極端な例が、最近とみに増えた「子どもを自己実現の道具と思う親」です。昔もあったかもしれませんが、ホント最近多くて子どもたちが可哀想ですよ。わかりやすい例で言えば、「(単に)自分が英語が話せないから子どもに英会話を習わせる」という親です。
 反抗期以前には、子どもにとっての「親」は「神」ですからね。神様を絶対的に信じているわけです。そんな「神」が、経済成長の中で「金(カネ)」や「欲」という「悪魔」に惑わされている。それこそ子どもにとっては最悪な状況です。
 子どもは反抗期を迎えて、そこに気づいてしまうわけですね。それで、いろいろな形の表現が始まる。非行はその一つの形にすぎません。
 そうした、反社会的な行動や暴力に対して、はたして教育は何をしえるのか。その一つの解答がこの中国の訓練学校にはあったかと思います。
 「厳しさという愛情」…たしかに、これって効果があるんですが、教育の作業としては、非常に面倒で疲れるんですよねえ(苦笑)。特に、現代日本においては「厳しさ」が「継続」の障害になることが往々にしてあります。その点、まだ中国ではそれが通用しているのかなと思いました。
 クライマックスは、2週間で400キロを歩くという「大行進」。子どもたちに「達成感」と「自信」を与えます。教育ではよくある「困難を乗り越える」というやつです。私は個人的にですが、こういう試練を無理矢理与えるのは、別に学校や教師でなくともできると思っています。それをいい教育だ、先生の手柄だと考えるのは、ちょっと違うかなと。ま、それでもさすが中国はスケールが違う。どうせやるならこのくらいじゃなきゃ。これを年数回やるというのですから、おそるべし中国の教育…いや「訓練」。
 いちおう同業者ですからね、訓練学校の先生方のご苦労、いやというほど分かりました。そうとう給料もいいのでしょう。実際、その学校の学費は日本円で言えば月20万円くらいなのでは。つまり、ここにも経済の原理が働いている。教育格差があるわけですね。
 まあ、それにしても親たちの言動には笑ってしまいましたね。荒れた子どもたちの方がずっと大人っぽく見えました。
 そうそう、現場の声としてどうしても言っておきたいことがあります。
 親とのディスコミュニケーションによって、思春期に苦悩した子どもたちが、うまく育てられた子どもよりも劣っているかというと、決してそんなことはないということです。
 ある意味特殊な経験と試練と葛藤と煩悶を経た人間には、それなりの力がつくということです。多くの芸術家などの偉人が、幼少期に特殊な家庭環境にあったりするのは、よくあることですよね。
 全てを単純化することは間違いだということですね。教育や子育てに「決めつけ」は厳禁なのです。

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2011.02.11

ハンディキャップ猫ミー、雪のお散歩

 が降りました。今年初めての本格的な積雪です。これほど雪が降らない冬は珍しいですね。そのかわりと言ってはなんですが、カミさんの実家のある秋田は大変な大雪。生まれ故郷の積雪は3メートルを超える勢いだそうです。
 カミさんは、こちら太平洋側に嫁に来て、毎日青空という明るい冬を体験しながら、なんとなく申し訳なさを感じているようです。
 今日も、雪とは言ってもせいぜい10センチくらいですからね、これで「大雪」とかニュースで言われたりして、たしかに向こうの方々からすると、おいおいっていう感じでしょうね。
 子どもたちも久々の雪に大喜び。友達と思いっきり外で遊んでいました。私も今日は一日のんびり。
 雪が降って喜ぶのは人間だけではありません。ウチの黒猫軍団も雪が大好きです。特にミーちゃん。ミーちゃんはウチの黒猫3兄弟の末っ子(ミーは血はつながっていませんが)。下半身不随の障害猫です。
 たぶん子猫の時にどこかから落下して脊髄を損傷したのでしょう。下半身はほとんど動きません。しかし、自分にハンディがあるなんて、よく分かっていないのか、あるいは気にしないのか、とにかく元気いっぱいな猫です。
 今日も上の動画のように、元気いっぱいにウチの周りをお散歩。すごいスピードで走り回って(匍匐前進して)いました(笑)。カワイイというか、なんともユーモラスですよね。
 犬は喜び庭駆け回り、猫はコタツで丸くなる…というのは、人間の勝手なイメージでして、実は寒さに弱いのは犬の方です。猫って実は寒さにめっちゃ強いんですよね。
 ここ富士山のノラ猫たちだって、マイナス20度の中、雪の上で平気で寝てたりしますからね。たくましいですよ。
 ま、ウチの黒猫たち、晴れた日の昼間は、陽当たりのいい出窓でこのように固まって寝ておりますが。たしかに寒がりに見えますね。なんか幸せそうですなあ。ぬくぬく。

Gedc0408


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2011.02.10

朗報!高速バス 新宿−河口湖線 22時台新設!

Imgres1 えと、とってもローカルかつ個人的な話なんですが、今日からとってもうれしいもの、長年の夢だったことが実現します。今ごろちょうどスタートだな。
 富士吉田や河口湖、そして都留文大の皆さんには朗報ではないでしょうか。

2/10~ 「富士五湖~新宿線」終電よりも遅い新宿発最終便(22:20便)を新設します!

 富士急GJ!!これで東京での活動に幅が出ますぞ(ま、飲めるということですが…笑)。
 いやあ、ホントこれ助かりますわ。今まで、富士山方面への終バスは20時10分でしたからね。飲むどころか、プロレスやライヴが終わってからだと全然間に合わないことが多かったんです。
 で、結局電車で帰ることに。しかし富士急行線の終電が大月発23時09分なので、結局21時半くらいには新宿を出発しなければなりません。これもまた、各種興行の終了時間を考えるとけっこう微妙だったんですよねえ。余韻にひたるヒマすらない。飲み会も9時で切り上げじゃあねえ。
 実際、先日は歌会後の飲み会を中座するはめに。非常に残念でした。佳境で席を立たねばならない、あのシンデレラの心境はなんとも辛かった。
 遅くまで東京にいたければ、結局自家用車で行くしかないわけで、そうするとお酒は飲めません。富士急行線はあきらめて大月行き終電に乗り、大月までカミさんに車で迎えに来てもらうという方法もないではないのですが、夜中の1時過ぎに出動してもらうのもなんだか申し訳ないですしね。酔いも醒めてしまう(笑)。
 なんでもっと遅い高速バスがないんだよう〜と思っていた方も多かったのではないでしょうか。絶対需要あるよ〜って。
 今回そんな夢が実現したのであります!
 これなら都心のライヴやコンサート、プロレスの終演後でも間に合うし、たとえば教え子たちとの飲み会なんかも、新宿で6時から始めれば4時間たっぷり飲めますからね。どっちにしろ私、夜10時過ぎると急におねむになるし、ちょうどいいや。さっそく今月、アントニオ猪木さんのお誕生日会があるので利用しようかと思っています。
 それにしても、この終バス、知り合いがたくさんいそうな予感が。ただでさえ、夜の8時に新宿の高速バスステーションに行くと、必ず教え子とか近所の人とかに会うんですよね(笑)。隣に座ったりしてね。ちょっと気恥ずかしいというか、なんというか(笑)。
 この22時台の終バスには、様々なお酒の臭いのする知り合いがたくさんいそうですな。どう考えても地元民しか乗りませんからね。ご一行様って感じですね。
 22時20分発で、私の降りるであろう富士急ハイランドには23時54分着ですから、なんとかその日のうちに帰ってこれますしね。なかなか絶妙な時間設定ですな。翌日が平日でもこれならまあ大丈夫です。
 というわけで、ある意味シンデレラの門限が1時間くらい遅くなるだけですけど、この1時間は実に大きいですよ。富士急さん、ホントありがとう。
 富士北麓にお住まいの皆さん、ぜひご利用下さいませ。
 そうそう、その他の皆さまで、こちら富士山方面に遊びにいらっしゃる方、ぜひとも高速バスをご利用ください。安くて早い。新宿−富士吉田なら片道1700円、90分ですからね。その他の都市からも富士急ハイランド行きの高速バスってけっこうありますから、それをうまく利用すると便利ですよ。
 ちなみにこの前、ウチの娘たちは静岡のおじいちゃんおばあちゃんのウチに行くのに、ハイランド発静岡駅行きの高速バスを利用しました。

富士急のバス公式


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2011.02.09

『角力』 辻魔首氏(太宰治)

Imgres 日は高校の一般入試。今年度は作問に全く関わりませんでした。考えてみると去年は、中学で2問、高校で4問も作ったんだよなあ。よくネタがあったな、自分(笑)。
 で、今年の高校の問題に太宰の「角力」が出ていました。これって、その短さからけっこう定番教材になってますよね。
 しかし、これ、太宰治の作品としてはあまり知られていない方だと思います。全集にもないし、青空文庫にもない。それもそのはず、これを書いた時の津島修治はまだ「太宰治」ではなかったからです。
 なんと、この時修治はまだ16歳。旧制青森中学3年の時でしょうか。ペンネームは「辻魔首氏」でした。上の写真はその翌年のものです。最近発見された「16歳の太宰治」ですね。
 読むと、もうしっかりすっかり太宰治しているのに驚きます。独特のリズム感もすでにありますね。
 それにしても、面白いのはその内容。八百長問題花盛りの今、ここにはいろいろなヒントがありそうです。
 太宰は「角力」や「力士」のことをいくつかの作品に書いていますが、それを読むだけでも、力士がほとんど侠客であったことがよくわかります(こちら「富士吉田…古き良き時代」の記事もぜひどうぞ)。
 では、「角力」を縦書きでどうぞ。ただし、現代仮名遣いです。栴檀は双葉より芳し。


 「兄さん、もう一回やってみましょう」「もうごめんだよ。若いものは勝ちに乗じて何回もやりたがるものだなあ」「何でもいいからやりましょう」「それじゃあ、やろう」
 あたりで見ていた誠二の友達はどっちが勝ってもいいような様子をして、二人に声援をしていた。誠二は兄と取り組んでからはほとんど夢中と言ってよいくらいであった。ただ膝頭がガクガク震えているのばかりが彼にはハッキリわかっていた。それでも、「もういいだろう」と言うことが夢中になっている誠二の頭に浮かんできた。誠二はゴロリと横になった。それは自分ながら驚くほど自然にころんだのだ。友達はこの意外な勝負を見てワッとばかり叫んだ。兄は得意そうに微笑んでいた。そしてたおれている誠二の脚を彼の足先で一寸つついた。誠二はだまって立ち上がった。 
 彼の友達はがやがや騒ぎだした。中にはこんな声もまじってあった。「そら見ろい、あの通り誠ちゃんが負けるんだよ。誠ちゃんのお兄さんがわざとさっきは負けてやったんだよ。誠ちゃんが泣くといけないから」「そうだとも。一回で止めとけばよかったに、勝ったもんだから癖にして、またやったらこの始末さ。アハハハ」誠二はだまってこの話し声を聞いていた。誠二の心は、先回とちがって、寂しさを通りこして、取り返しのつかない侮辱を受けて無念でたまらないような気がしてならなかった。兄の方を見た。兄はまだ喜んでいるようだ。誠二は兄のその喜んでいる様子を見てもちっとも嬉しくはならなかった。ますます頼みがいのない兄だというなさけない思いがしてきた。ああ、負けねばよかった。また勝ってやればよかった。誠二は深い後悔の念が堪えられないほどわき出たのであった。
 もう友達はだいぶ彼の家から帰って行った。兄も誠二の部屋から去った。誠二はこうかいの念に満ちた心を持って部屋の窓から空を見上げた。どんより曇った灰色の空は低く大地を包んでいた。風もなかった。誠二には太陽の光もないように思われた。
 誠二の肩をたたくものがある。信ちゃんであった。誠二のたった一人のホントの友達の信ちゃんであった。信ちゃんは快活に、「今の勝負、ありゃあ君がわざと負けたのじゃないか」と言った。誠二はこれを聞いてうれしくってたまらなかった。そして自分をホントに知っててくれる人は信ちゃんであると思った。誠二は急に微笑を浮かべて信ちゃんの手を固くにぎりだまって頭を縦に振ってみせた。信ちゃんは、「そうだろう、なんだかおかしいと思った。あんなにたやすく兄さんに負けはしまいと僕は思っていたんだ。だがなぜ兄さんに勝たせたんだい」と聞いた。それを聞いて、誠二はハッとしたようにしてだんだん暗い顔色になってきた。
 やや沈黙が続いた後、信ちゃんはトンキョウな声を上げて、「ハハアわかった。誠ちゃん、君えらいね。兄さんに赤恥をかかせまいと思って負けたんだね、そうだろう」と叫ぶように言った。誠二はそれに対して「そうだ」と言うことがどうしてもできなかったのは無論である。


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2011.02.08

『方言が明かす日本語の歴史』 小林隆 (岩波書店)

Photo このところ、リアルとフィクションの話が多いですね。八百長問題もそうですし、偽書や偽史、教科書問題もそうです。
 ワタクシの言い方ですと、モノとコトというやつですね。乱暴に変換すると、自然と人工、他者と自己、神と人間とも言えます。
 そのどちらが優れているかということではありません。人間には、あるいは人間の生活や文化、そして個人の人生には、必ずその両面がありますからね。そのバランスの問題です。
 方言はもちろんリアルに属します。ですから、たとえば東京育ちのワタクシからすると、カミさんの秋田弁は、もうそれだけで「モノガタリ」となります。
 一方、カミさんからすると、ワタクシの「母語」たる標準語には、非常に人工的な無表情さを感じるようです。
 私、本当に生きた「母語」を持っていないんです。方言を全く話せない。両親の生まれである静岡の言葉も、今住んでいる山梨の言葉も話せません。
 だからこそ、というのもあるんですが、方言をまるで外国語のようにとらえるところがあるんですよね。客観的に聞けるし、異文化として興味を持てる。
 そう、ある意味ではネイティヴよりも詳しいわけです。その歴史や文法的な分析においてはもちろんですね。というか、ネイティヴは方言それ自身が方言であることにも気づかないことも多い。だからこそ無意識の領域である「モノ」なんですね。で、それを語られた私は、脳内で処理して「コト」化しているということです。
 そんな「コト」をもとに、昨年、ある研修会で発表をさせてもらいました。「方言を利用した古典文法指導」という内容でした。つまり、方言には古い言葉が残っているという部分に注目した研究でした。
 この本はある意味、それとは逆の発想の本です。もちろん、いわゆる方言周圏論をもとに、中央から離れれば離れるほど古い言語が残っているということを基礎にしていますが、しかし求めるのは、「方言」によって「文献」を補強し「日本語」の歴史を明らかにする、というものです。つまり、源氏物語とか枕草子とか、書き残されている「文献」は「中央の上流階級の言葉」であって、それはある意味人工的な(コト的な)「国語」であるから、本当の(モノ的な)「日本語」の歴史のごく小さい一面でしかないということです。
 当時の都の言葉は、ある意味では当時の「標準語」とも言えるわけですね。で、私はそれが千年経て方言に残っていることに注目し、小林さんは逆に、方言に当時の標準語以外の「日本語」が残っていることに注目したわけです。
 ま、私ももちろん基本小林さんと同じ発想をもって方言に接していますけどね。この前の発表はあくまで教育現場での活用を前提にしたものだったので、ちょっと特殊な発想をしたのです。
 いずれにせよ、「方言」は豊かな情報源です。実際、こうして日本語学の中で重要なポジションを与えられています。これは非常に健全なことですね。
 一方、たとえば歴史学界においては、いわゆる「地方史」があまり重要視されていない、いや、それどころか文献に残っていない伝承であるとか、あるいは偽書とか偽史とか言われてしまう「方言」は、最初から馬鹿にされて相手にされない傾向がある。そこに私は不満を感じているんですよね。
 私たちが習う「歴史」なんか、「日本史」じゃなくて「国史」にすぎないんですけどね。やっぱり歴史の世界は物証と文献に依存しすぎですよ。それはある意味「文化」の軽視だと思うんですが。
 この本で取り上げられているのは、方言全体のごくごく一部にすぎませんが、それでも充分に私たちの「常識」を揺るがす力をもっています。私が学校で教えられてきたこと、あるいは学校で教えていることが、いかに一面的で、ある意味フィクションの世界であるか、よ〜く分かります。
 専門家でなくとも、楽しめる本ですので、皆さんもぜひどうぞ。そして、自らの母語たる方言に、ぜひとも興味をもっていただきたいと思います。

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2011.02.07

追悼 ゲイリー・ムーア

 きました。昨年本当に久しぶりに来日して、相変わらずのプレイを披露していただけに残念でなりません。
 サラリーマンNEOの「セクスィー部長」のクライマックスに必ず流れるこのsexyなギターが、実はゲイリー・ムーアであったことを、皆さん御存知でしたか?
 このライヴもすごいですね、「ため」が。ためすぎでしょう。セクスィー部長を演ずる沢村一樹さんのセリフ回しも当然この「ため」の影響を受けたものです。
 この「パリの散歩道」での「泣き」や「ため」を受け止めているのが、言うまでもなく銘器ギブソン・レスポールです。上の映像は1959年製Standardでしょうか。ギターにはあんまり詳しくないので自信はありませんが。
 レスポールと言えば、フジファブリックの志村くんもレスポールを愛用していました。ロック・ギタリストはみんなそうですが、楽器へのこだわりというのは、ある意味クラシックの演奏家以上のものがありますね。
 私も志村くんのギターに触れる機会がありましたけれど、なんというか、むやみに触ってはいけないというか、触らせないというか、ギター自身からそういうオーラが出ていましたね。特に、私はギタリストではないので、そういう理由もあるのかもしれません。あれってなんなんでしょうね。私も、たとえ安物ヴァイオリンであっても、全く弾けない人にはあまり触ってほしくない。道具というのはなんでもそうか…。
 ところで、レス・ポールさん自身も2009年の8月に亡くなっているので、今頃、三人で、いやもっとたくさんのミュージシャンが集ってギター談義でもしているかもしれませんね。それはそれで楽しそうです。
 それにしても、こういう演奏を聴きますと、エレキギターの発明というものが、音楽史においてピアノの発明以上に大きな意味を持っていることを感じずにはいられません。ピアノは鍵盤という縛りのために、どうしてもデジタル的な表現しかできません。音程一つとっても。その点、エレキギターは、非常に近代的な工業製品でありながら、前近代的な、すなわちクラシック音楽以前の様々な表現の可能性を復権させました。エレクトリック・ギターがなかったら、いったい現代の音楽界はどうなっていたでしょう。
 「泣き」一つとっても、たとえばヴァイオリンなんかより、ずっと表現力があるんです。心に訴えかける何かがある。私は生まれかわったらギターを弾きたい。いつもこう言ってきました。今でもその気持ちは変わりません。なんでヴァイオリンにしちゃったのかなあ…(笑)。
 と、そんな魅力的なエレキギターの、その新たなる可能性を発見、発明したゲイリー・ムーアさんの功績にあらためて敬意を表し、そしてご冥福をお祈りしたいと思います。

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2011.02.06

スポーツかそれ以上か(八百長問題について再び)

Photo 相撲春場所が中止…。その前に福祉大相撲も中止、トーナメントも中止、巡業も中止。いったいどうなっているんでしょうか。相撲界、というより、日本。
 八百長問題について「再び」というのは、以前、「今こそ『八百長』の精神を!」という記事を書いているからです。また、その1年後に「さまざまなスポーツ(?)に思う。」という記事も書いています。そこにもあるように、私は、世間一般で使われている「八百長」という「言葉」が嫌いです。そういう「言葉」を持ち出す人間こそが「野暮」であると思います。私たちが求めているもの、そして私たちの存在、世の中の意味というのは、そんな次元で優劣を決めるものではないと信じていますし、そう実感しています。
 それを、まさに市場経済の原理で「結果」としての勝敗のみを問題とし、また、「機会の平等」という美名のもと、他者(相手・敵・観客等)に対する思いやりや尊敬の念なしの「ガチンコ」だけを求めるとしたら、それは究極的に「戦争」になってしまいますよ。
 「八百長」問題はそうした無粋で非文化的な思考と行動の象徴です。世の中がそんなふうになってしまうのは、非常に危険なことです。前の記事にも書いたとおり、慣れ合いの行きすぎはもちろんいけませんが、それを根底からなくしてしまうというのは、もっといけないことです。蓮舫の発言なんか、古事記の時代から始まっている「すまひ」の文化の重みを全く無視した、とんでもない、ほとんど犯罪に近いものです。お前のお父さんは誰のお陰であそこまで富を築けたか忘れたのか!
 八百長問題とは少し違いますが、昨年書いたこちらの記事もご覧ください。柏戸、大鵬、北の富士拳銃密輸事件です(笑)。マスコミも国民もみんな大人だったんですよ。柏鵬や北の富士には、八百長疑惑もずいぶんありました。例の「暗殺」疑惑にもつながっていきます(恐)。
 これもちょっとはずれますけれど、海老蔵事件を発端とする歌舞伎界へのバッシングもそうですね。あの時「かぶき者」という記事を書いています。初代市川團十郎は刺殺されてるんですよ(笑)。
 とにかく、こういう「必要悪」に対して、「偽善者」ぶってバッシングをして恥ずかしさを感じない世の中に、私はとても恥ずかしさを感じます。大人、それも教養ある(?)マスコミがみんなそういう論調。これはもうほとんどファシズムです。魔女狩り、ユダヤ人虐殺に近いですよ。そんな日本でいいのでしょうか。
20110207_115308 今日、我が中学校の女子バスケットボール部が、初出場(今年度開校したので)の県1年生大会で見事優勝しました。日々の努力を見ている私たちとしては、本当にうれしいことですし、何よりひたむきに純粋に頑張り、ある意味ガチンコで勝利をつかんだ彼女たちの姿に感動しました。これこそ「スポーツ」の素晴らしさです。
 しかし、あえて書かせていただきますが、準決勝でのレフェリングは誰がどう見ても不公平なものでした。それでも、それを乗り越えて結果として圧勝したので、全然いいのですが、いわゆる「スポーツ」の世界でも、こうした「人間の意思」が介入して「機会の平等」は実現できないのです。
 生徒たちは、県内敵なしになった高校生たちに教えられていますから、本当の強さが、そうした逆境、逆風を乗り越えなければ得られないものであることをよく知っていますので、我々外野よりもかなり冷静にその事態を消化していました。立派です。
 ここは教育現場ですから、本当はそういうことを疑われるような状況というのは避けねばならないと思います。しかし、これもまた、彼女らにとっては、ある意味「学びの場」であり、「成長の糧」なんですね。つまり、「スポーツ」以上の何かがあるということです。
 今日は、そのバスケの応援から帰って、夜には、昨日行われたIGFプロレスリングGENOME14をテレビで観戦しました。プロレスは、まさに「キング・オブ・スポーツ」。つまり、「王」ですから、国民とは違う世界なのです。「スポーツ」を超えた、それ以上の世界ということです。単なる勝敗を超えた世界。
 お客さんも勝敗よりも内容を重視するのが、プロレスの特徴です。本来、相撲でもそうだったはずです。それが、今回のようなとんでもない事態を「世間」が作り出してしまった。プロレスが十数年前に味わった試練です。
 それにしても、猪木さんがザ・プレデターとキース・ハンソンの試合中に激怒したのにはビックリ。ある意味、「八百長」を許さない、すなわち「心」とか「魂」の面での「いい加減」を許さないということでしょうね。
 もうしばらく(たぶん10年以上)大相撲はダメでしょう。そして、皆さんも御存知のとおり、総合格闘技も大きな興行はもう終わりになりそうです。
 どうせなら相撲界も「SUMO」と称して、柔道同様に完全スポーツ化したらどうですか。そういう方を公益法人にすればいい。ま、お客さん入らないでしょうけど。そして、全日本相撲協会か新日本相撲協会か大日本相撲協会か知りませんが(笑)、別の団体旗揚げしましょうよ。本来の相撲をやる団体を。
 いよいよ、プロレス復興の時が来たのかもしれません。それは本当に素晴らしいことです。人間の「心」や「魂」排除する市場経済原理に対抗できるのは、「プロレス」的世界しかないからです。
 私は今年のプロレス界に期待します。私自身も何かできることはないかと画策しています。人々が、「八百長」なんて言葉を口に出さない、そういう世の中を作るために。

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2011.02.05

『秒速5センチメートル』 新海誠監督作品

 日、SalyuのVALON-1を紹介しましたが、その関係でふと思い出した「秒速5センチメートル」を生徒に見せました。
 上の動画は、5センチのいわゆるMADです。実は私も山崎まさよしさんのあの歌が苦手でして、せっかくの名作のエンディングで、なんとも興ざめしてしまっていたのであります(笑)。
 ふむふむ、たしかにVALON-1だったら良かったのになあ…なんて、みんな自分の好みと思い入れでMADを作っているわけですよね。こうした作品のBGMやテーマ音楽に、既知既存の曲を使う難しさです。
 さて、日本アニメの現時点での地平を示すこの作品の本編は、こちらで観ることができます。
 なぜ今この作品を中一に見せたのか。
 それは、そろそろ彼ら彼女らも「もののあはれ」としての「恋愛」を経験し始めるからです。そして、経験しなくてはならないと思うからです。
 実は私、中一のこの季節に、このアニメの第1話と同じような経験をしました。転校に伴う別れです。そして、高校生活では第2話のようなことも、社会人になってからは第3話のようなこともありました。
 というか、この作品が共感を得るのは、皆が同じような「もののあはれ」すなわち「思い通りにならない恋愛」「勇気がない自分」「逸してしまった時間」を体験しているからでしょうね。
 今の若者はどうなんでしょうね。なんか、そういう意味においてあまり豊かでないように感じますねえ。告白もメールで、付き合うのも別れるのもなんだかいとも簡単だったりしてね。中一生を見ていても、なんかあんまり悶々としていないような気がします。
 私の世代までが特別だったんでしょうかね。ケータイとかメールとかない世代。イエデンにはなかなか電話できなかったもんなあ。親とか出ちゃうし(笑)。
 そういう意味で、この作品は今の若者の共感は得ないかもしれませんね。生徒の反応は半々というところでした。コテコテさに失笑してしまう者もいるし、集中して「切なさ」を共有している者もいる、という感じかなあ。
 それにしても、この作品の特別な美しさはやはりいいですね。映像の美しさだけでなく、言葉の美しさは非常に古典的でさえあります。海外での評価が高いのも納得です。アニメの世界でここまで作り込むのは、まあ日本人だけでしょうなあ。
 なんというか、本当に「源氏物語」などの「もののあはれ」系古典作品の流れを感じますね。どんどん気持ちがすれ違っていく。人は変っていく。自分も変わっていく。その流れは誰にも止められない。しかし、過去への執着も捨てられない。
 貴樹は明里をずっと好きだったのではなくて、あの頃の自分が好きだっただけかもしれません…。

Amazon 秒速5センチメートル

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2011.02.04

ザ☆スター「天童よしみ」 (NHK)

20110205_81328 やはや、すごいわ。たしかに「うまい」。そして「いい」。
 この番組、明日が本放送なんですね。皆さん、ぜひご覧下さい。土曜日夜8時、BS2です。
 「歌」には、いろいろな魅力の側面がありまして、単純にうまければいいかというと、そういうわけでもなく、たとえば志村くんみたいに正直うまくないけれど、妙に心にしみる歌というのもありますね。
 楽器をやる人間としては、これはなかなか興味深いことであります。楽器も最終的には歌を目標とすべきだということに気づいてから、私もさかんに歌を聴くようになりましたし、歌と共演する機会もものすごく増えまして、毎度毎度本当にいい勉強をさせてもらっています。
 で、一番身近な歌の師匠は、ちょっと悔しいけれど(笑)ウチのカミさんです。残念ながら(?)ウチのカミさんは、歌がかなり「うまい」のです。正直、天才だと思います。しかし、自分が楽しければいいというタイプだし、別に訓練とかしているわけではないので、もちろんプロにはなれません。しかし、プロと平気で、あるいは互角にわたりあったりしちゃうずうずうしいところがあって、それはそれで、すげぇなと思います。
 で、ちょうどこの番組を観る前に、カミさんとSalyuの歌について話していたんですよ。ちょっとこれ聴いてみてください。私の大好きなVALON-1のライヴ・ヴァージョンです。

 いいですよねえ。私はけっこう好きです。ぐっと来ます。
 しかし、カミさんに言わせると、この歌は別に「うまい」わけではないとのこと。その証拠に、と言ってはなんですけど、モノマネの天才であるカミさんはすぐに彼女の歌真似を始めました。そして、それがまたよく似ている(笑)。こうしてすぐ真似できる人というのは、実は「うまい」わけではないのだそうです。
 「うまい」とは違う魅力があって、うまく聴こえるのだ…そうで、いきなりSalyuの声で「グリーン・グリーン」を歌い始めました(笑)。ふむ、たしかに魅力的に聴こえる。
 ついでにUAやCHARAでも歌ってましたが、そうですね、楽器で言えば「音色」の魅力というのが先立っていますかね。ふむふむ、たしかに。上のSalyuの歌もテクニック的に聴けば、音程の不確かなところもあるし、言葉の機微の表現という点に関してはあまり深くないような気がします。小林武史の楽曲も含めて、ちょっと人工的な感じもしないでもない。
 で、カミさんはたいがいの歌手の真似ができる(最近では初音ミクの真似がうまい…笑)のですが、ぜったい真似をしない、いや、できない歌手というのが何人かいます。まずはなんと言っても「美空ひばり」です。もうひばりさんは別格。たしかに分かります。とんでもない世界ですから。次元が違うんですよね。それは私もよく分かります。
 それから、基本、演歌歌手や民謡歌手についてはあんまり真似しませんね。真似するとしても、勉強のために真似している感じ。そして、「やっぱうまいわ」と言っています。
 現役の歌手の中では、この天童よしみさんは圧倒的に「うまい」のだそうです。なんとなく分かる気がしますね。
 その「うまさ」や「魅力」の秘密を科学的な分析(?)も含めて検証していくのがこの番組。もちろん、若い頃の苦労や父親による特訓秘話なども紹介されていました。
 やっぱり天性のものと努力なんですね。当たり前の結論ですけれど、そんなことを再確認しました。
 特に、全く違う4ジャンルを続けて歌ったところは圧巻でした。オペラ、民謡、ジャズ、古賀メロディー。それぞれ素晴らしかった。国府弘子さんとのセッションも良かったなあ。
 やっぱり美空ひばりさんの影響が大ですね。あらゆるジャンルを歌おうという姿勢にもそれが表れていました。ひばりさんのジャズなんか、まあとんでもないレベルですから。
 しかし、逆に言えばですね、ひばりさんをフォローするあまり、どうしても本家と比較されてしまう面もあると思います。それこそジャズのリズム感、天童さんももちろん凡人からするとすごい感性をお持ちなんですけど、やっぱりひばりさんには及ばない。あるいは「悲しい酒」なんか、純粋にものすごく「うまい」のですが、ひばりさんの歌唱が頭に残っている私たちとしては、どうしてもその差を感じてしまう。どうしても超えられない壁がそこにあるんですよね。
 そんなことをカミさんと話しながら、それでも充分に感動させられました。天童さんの魅力とともに、ひばりさんの偉大さを再確認したということでしょうかね。
 それにしても、本当に天童さん可愛らしい。お人柄が歌ににじみ出ていますね。天才も最後は人間性ということでしょうか。特に「歌」という分野ではそれが如実に現れるのかもしれません。
 土曜夜、ぜひご覧下さいませ。

ザ☆スター 公式

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2011.02.03

『東京、音楽、ロックンロール 完全版』 志村正彦 (ロッキングオン)

86052094 日は中学生のスケート教室に帯同。場所は富士急コニファーフォレスト。つまり、昨年7月にフジフジ富士Qが行われたあの場所です。
 あそこが実はスケートリンクだったということ、案外皆さん御存知ないのではないでしょうか。コニファーフォレスト SEIKO-OVAL…橋本聖子さんの偉業を記念して作られた競技用のリンクです。
 富士急でスケートというと、ハイランド内のリンクの方を思い浮かべる方がほとんどでしょう。2009年の12月9日、フジファブリックの皆さんもハイランド内のスケートリンクでスケートを楽しんでいましたね。
 その時のことも、この本の日記に書かれています。クスッと笑ってしまうような内容ですが、いかにも志村くんらしい「自覚の無さ」がステキです(笑)。
Gedc0159 そして、もちろん、志村くんの原点であり、未来の夢の場所であるはずだったコニファーの方でも写真を撮っています。いったい彼はどんな気持ちでこの場に立ったのでしょう。
 その翌日12月10日の日記を最後に、彼の夢は、この現世では叶わなくなってしまいました。
 9日、久しぶりに地元富士吉田に帰ってきたのに、スケジュールの関係か、あるいは他のメンバーへの気づかいもあってか、彼は残念ながら実家には帰りませんでした。ただ、お正月には帰るという連絡はあったようで、そんな話をうかがっていた私は、こちらで彼と会う機会を作ってもらうべく、12月26日に御両親にお願いをしにいく予定でした。新設する中学校の校歌を、ぜひ彼に作ってもらいたかったのです。
 訃報を聞いたのはその前日でした。
 この本の元になった初版を紹介したのは、2009年の7月10日、彼の29歳の誕生日でした。こちらの記事です。あの時は、もちろんこんな日が来るとは思っていませんでしたから、私も無邪気に「20代より40代の方がずっと人生面白いですよ!マジで。自分の未来に期待していいですよ」なんて書いています。いや、あの時は、本気でそう彼に伝えたかったのです。それが、40代どころか30代さえも味わってもらえなくなってしまうなんて…。
Gedc0148 私はこの本の「完全版」という言葉、正直好きではありません。いつまでも「不完全版」であってほしかった。「完全」って「完結」ってことなんでしょうか。この文字を見るたびに胸が苦しくなってしまいます。
 もうすぐ発売される「全詩集」についてもそうですね。私はもっと彼の詩や歌に耳を傾けたかった。
 もちろん、彼自身もあの瞬間まで、そんな「完結」を望んでいたはずもありませんし、逆に一つの転機を迎えて、新たなスタート地点に立っていたと思うのです。だからこそ、彼の無念さは、たとえば私たちファンの苦しみなどとは比較にならないほど苦しいものに違いありません。
 しかし、現実は受け止めなければならない時が来ます。私たちも再スタートしなければなりません。
 昨日の記事に書いたように、彼の魂の遺伝子はしっかり生きていますし、それを生かし成長させる魂の持ち主もちゃんといるわけです。そういう意味では、彼の命はやはり永遠なのだと思います。
 私も頑張らねば。まだ辛いけれども。そして、私ができることを一所懸命やっていこう。
 レミオロメンの藤巻くんは、母校が統合して新設される笛吹高校の校歌を作詞作曲したそうです。県内でも大きなニュースとして報道されていました。
 もし、私の夢が実現していれば、ひと足早く新聞の記事になっていたかもしれません。ちょっと悔しいのも事実です。しかし、また違った方法で、私の夢や彼の遺志を実現していきたいとも思っています。彼の遺した名曲たちを、彼の生まれ育った、まさにその場所で生活している本校の中学生たちに歌い継いでいってもらいたい。既存の曲たちに、すでに私が表現してもらいたかった、地元への愛や、中学時代への思い入れや、人としての生きざまがたっぷり歌い込まれていますから。早く生徒たちが成長して、その日が来ることを心から願っています。

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2011.02.02

レミオロメン 『Your Song』

 「の曲を書く前にね、フジファブリックをすごい聴いていたんですよ」
 レミオロメンの藤巻亮太くんは、そう言ってこの曲にこめられた想い、そしてフジファブリックの志村正彦くんへの想いを、彼らしくていねいに言葉を選びながら語り始めました…。
 このブログのコメント欄に、お二人の方が「ROCKIN'ON JAPANの3月号」のインタビューをぜひ、と書いて下さいまして、そのおかげでこの「想い」を知ることができました。ありがとうございました。
 さっそく読ませていただきました。涙が止まらなくなりました。音楽と言葉による魂の交流、アーティストとしてクリエーターとしての深いレベルでの共振。志村くんの魂の遺伝子が、こうしてまた別の天才の感性と苦悩によって、新たな生命力としてこの世に継承されるという奇跡。
 正直、この1年間の私の抱いていたモヤモヤが、すっかり晴れたような気がします。今思えば、シロウトの勝手なモヤモヤだったんですが…。
 2009年の12月、クリスマスイブに志村くんが天に召され、そして、その1週間後の大晦日、レミオロメンが紅白初出場を果たしました。
 あの時は、いやある意味さっきまでは、「同じ山梨なのに御坂峠をはさんでなんでこうも明暗が分かれるのだろう」と、どこかでずっと思い続けていました。
 晴れているのに、どこか重く暗く冷え込み、美しいけれどもどこか厳しい表情の富士を眺めている私たち郡内。峠を超えると、レミオの快挙を町をあげて喜び、あざやかなピンクの旗をはためかせている国中。あの年末だけでなく、実は毎年毎年そうやって明暗を重ねてきた歴史があるのです。山梨の、それも郡内地方に住む人ならばお分かりになるでしょう。
 そんな、通奏低音のように流れていた複雑な感情が吹き出してしまったからでしょうか、私は、レミオの紅白の晴れ舞台や、その後発表されたニューアルバム「花鳥風月」、5月12月の山梨凱旋ライヴでも、どこかそれまでとは違って、彼らとうまく「想い」のキャッチボールができていない気がしていたのは事実です。記事の内容にもそれが表れていますね。
 レミオはレミオなんだから純粋に応援しよう、と何度思ったことか。しかし、なかなかそれができませんでした。
 志村くんのことについて、レミオロメンのメンバーから具体的に言葉を聞けなかったせいもあったのだと思います。今考えれば、いろいろな事情から、なかなかコメントできなかったのもうなずけます。
 しかしだからこそ、3月に、藤巻くんのiPodでフジファブリックの「タイムマシン」がヘビーローテーションされていることを知った時には、ものすごくうれしい気持ちになり、またどこか救われたような気さえしたものでした。
 そして、今回、こういう形で、藤巻くんの言葉として、他のメンバーも含めた「思い」を語ってくれたことは、本当に私の心を慰め、そして勇気づけてくれました。ありがたいことです。
 藤巻くんが、志村くんの楽曲から感じた「モノ」、それは「自分と向き合う勇気」だったのでしょう。厳しく重い試練ではあるけれども、音楽家として芸術家として表現者として避けて通れない、その本質の本質の部分。
 たしかに、ある種厳しさをもった禁欲的とも自傷的とも言える、志村くんの詩の世界。特に「CHRONICLE」で見せた孤高の寂しさ、自分の弱さと向き合う強さは、藤巻くんの心に強く響いたものと思われます。
 昨日の仏教の話ではありませんが、この世の真理は「自他同然」「不二一如」ですから、他者に共感される、世界の最大公約数は、実は自己の中にあるのだということ、それを、志村くんの魂が藤巻くんの魂に教えてあげたのですね。
 変な言い方かもしれませんけれど、自己の中心に収斂していく最小公倍数が、宇宙の無限の拡がり、すなわち最大公約数になっていくのだと思います。
 そして、さらに藤巻くんが立派だったのは、その結論が単なる追悼やトリビュートの楽曲になるのではなく、しっかり彼の世界の中で表現されたということです。
 たとえば、フジっぽい曲を作るとか、それらしい歌詞にするとか、そういう単純な発想もできないことはなかったはずですが、しっかり自分の世界の中で、その「魂」を表現したことこそが、私にとっては感動的だったのです。
 さすが一流のミュージシャンですね。メロディーは昨年の1月にできていた(おそらく自然に浮かんできた、あるいは降ってきたのでしょう)のに、歌詞の完成は11月だったと言います。それだけ、まじめに、真正面から自分と向き合うという作業、すなわち志村くんからのメッセージをしっかり受け取るということをしたのでしょう。そこに彼の「魂」の高貴さ、強さを感じずにはいられません。
 私は12月の10周年ライヴの時、初めてこの曲に触れたのですが、歌詞まではしっかり聴きませんでした。記事にも音楽的なことしか書いていませんね。今、こうして改めて歌詞を味わってみますと、たしかにそこに志村くんのメッセージが読み取れると思います。
 こういう形で、こういうプロセスを経て、新たな名曲として志村くんの「魂」がよみがえったことに、本当に感激します。そして、もちろん藤巻くんらレミオロメンのメンバーの純粋な真剣な想いにも。
 同じ頃から彼らを応援し、彼らと同じ空気を吸い、同じ磁場を感じ、そしてありがたいことに彼らのご家族を含め関係者の方々ともご縁をいただいている私。私は彼らにはとても及ばない凡人ではありますが、私なりに彼らの「魂」の伝承に努めていきたいと思います。

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2011.02.01

『13歳へ〜よい親も、よい先生も、あなた次第』 アルボムッレ スマナサーラ (サンガ)

13 し前にこちらでも紹介しました、初期仏教の長老であるアルボムッレ・スマナサーラ師が、兵庫県のある私立中学校で行なった講演の内容をもとに編集された本です。
 私が中学生に言いたいことがたくさん書かれています。いや、大人こそが読むべき本ですね。人生全てに応用できます。
 基本はサブタイトルにあるように、子どもが大人を育てなさいということです。そして、育てる方法は、「ほめる」こと、「感謝する」こと、「優しくする」こと、そして究極は「仲良くする」こと。
 これは本当に私たち大人にとっても大切なことですね。特に「育てる」ことを仕事としている教師にとっては、常に意識していたいことです。
 いやいや、それ以上にこの本から気づかされたのは、先生は「育てられる」職業だということです。「育てられる」というのは受身表現ですよ。育ててもらえる。
 そう、13歳と言えば、いわゆる反抗期が始まる頃。自我に目覚め、社会に対して、大人に対して、権力に対して初めて違和感を抱く時期です。簡単に言えば、親や先生がうざったい存在になるということですね。
 そんな時、単なる反抗をしたり、いがみあったりするのではなく、相手を教育してまえと。大人を「いい人」に向けて育ててしまえと。
 なるほど、ということは、私なんかたくさんの子どもたちに日々育ててもらえるわけですよね。ラッキーなことです。
 実際、今までの教師生活を復習してみますと、ほとんど生徒たちのおかげでなんとかやってきたという感じですね。本当にいろいろな生徒たちがいましたけれど、それはすなわち、いろいろな方法で私を育ててくれたということでしょう。ありがたいことです。
 たしかに、相手をほめることは、究極の「方便」ですね。「方便」とは「利他の具体的方法」、すなわち「智慧」の実践方法のことです。そして、この世は「自他同然」「不二一如」ですから、結果としては「利他」は「利己」になる。「情けは人のためならず」ということですね。
 私も、仏教に出会ってから、そう四半世紀くらいになりますけれど、それなりに頑張って、智慧と方便を身につけようとしてきました。もちろん、まだまだですけれど。
 ただ、一つ、ワタクシ流の「方便」として、とても気に入っているのは、「自分にできないことを一つでもできる人は尊敬する」というものです。これを実践すると、結局、人や動物や植物や、物に至るまで全ての「他者」を尊敬することになって、とっても楽しい。
 それがたとえ敵であっても、いや、敵であるということは、自分とはかなり違う思想とか技術とか歴史を持っているわけですからね、敵だからこそ尊敬できるとも言えます。
 敵なんていうとおおげさですかね。たとえば、苦手な人、嫌いな人、腹立たしい人なんかで考えると分かりやすいかもしれません。ちょっと考えてみてください。
 尊敬をすると、たくさんほめる部分があることに気づきます。そして、そんな相手が、実は大切なことを教えてくれたり、あるい敵対することによって私自身を確固たるものにしてくれたりすることに気づいて、感謝の気持ちもわいてきます。
 なんだかんだ、そうしていると、結局「仲良く」なっていくわけですね。仏教が目指すところは、みんな仲良くです。そのための具体的な方法、すなわち「方便」をいろいろ考案してくれたのが、お釈迦様であり、その他の高僧たちです。
 そう、仏教は、いちおう「教」と称されていますが、実際は宗教ではありません。ある意味哲学であり、ある意味科学です。
 実際、この本でも、長老は「人と人との関わりにおいて、宗教はけっしていりません」と断言しています。逆に、「宗教は、人と人を別れさせるためにあるようなものです」と書いています。
 まったくその通りですよね。仏教は戦争の原因になったことは一度もありませんが、他の宗教は…。
 そう考えると、出口王仁三郎の「宗教がなくなる」ことを目指す基本姿勢は、仏教の影響を受けたものとも言えるかもしれませんね。「宗教をなくす」という究極の智慧を実現するために、宗教活動をするという究極の方便を実行したと。毒をもって毒を制す。なるほど。
 話が少々それてしまいましたが、とにかく、私たちは相手の良いところを見て、いやいや、作り出してあげて、そうして尊敬し合い、ほめ合い、感謝し合い、やさしくし合い、仲良くしたいものですね。

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