四苦八苦
煩悩の数、108超えてるんですが…
昨日の話の続きになりましょうか。
本日はある方の葬儀に参列いたしました。心痛極まりないことでありました。
近世の「寺請制度」以来、葬式仏教と揶揄されることもある仏教界でありますが、最も大きな「苦」の種である「死」に対するのに、たしかに釈迦の教えは非常に有効です。究極の智慧です。
亡くなった方は、「死」をもって全ての執着から放たれて、まさに「成仏」する権利を得るわけですし、周囲の人々は、世が無常であることを悟り、私たちの「生」そのものが夢幻であることを知るきっかけを得るわけですから。
しかし、それはそれ。哀しいものは哀しい。辛いものは辛い。理屈では分かっていてもなかなかその「苦」を乗り越えることはできません。
世の中はまさに四苦八苦。それを超える方法は理解できても、なかなか実践できません。そこにあらたなる「苦」が生じます。
皆さん、御存知と思いますが、今日はその「四苦八苦」について復習してみたいと思います。私なりの解釈ではありますが、そこに見える矛盾についても考えてみましょう。
四苦=生苦・老苦・病苦・死苦
八苦=四苦+愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦
一つ一つの説明に入る前に、「苦」について確認です。私は以前「もののあはれ=苦諦」という記事を書きました。そこにあるように、仏教で言う「苦」とは、単なる「苦しみ」ではありません。それは私の「モノ・コト論」でいうところの「もの」、すなわち「思い通りにならないこと」なわけです。それを知った上で、四苦八苦それぞれについて考えてみることにします。
生苦=生まれる「苦」。「生まれる」という言葉自体が「生む+受身(迷惑)の助動詞」であることから分かるように、私たちは自分の意志で生まれてくるのではありません。ですから、生まれること自体が「もの=苦」なわけです。
老苦=老いる「苦」。アンチエイジングがはやっていることからも分かるとおり、私たちにとって「老い」は普通望ましくない「もの」です。
病苦=人は都合のいい(悪い?)時だけは「仮病」なんてものを使ったりして「病」を仲間にしますが、普通は病気になるのはいやですね。病気になるということは「思い通りにならないこと」です。
死苦=これは究極の「もの」です。これも人間だけが都合のいい(悪い?)時だけ「自殺」なんていう反則技をしたりしますが、基本誰も今死にたいとは思っていません。キリスト教徒の(キリスト教の…ではありません)永遠の命という考え方などは、まさに人間の煩悩を象徴する言葉ですね。
愛別離苦(あいべつりく)=愛する対象と別れ離れる「苦」。愛するのは人だけとは限りません。仏教では究極的には愛することすらも自我の執着、煩悩だと考えます。
怨憎会苦(おんぞうえく)=怨み、憎む対象と出会う「苦」。愛の逆もまた自分への執着であり、煩悩です。
求不得苦(ぐふとくく・ぐふとっく)=求めても得られない「苦」。得られるはずのないものを求める「苦」と言った方が正確かもしれません。これもまた自分の欲望への執着から生まれますね。
五蘊盛苦(ごうんじょうく)=五陰盛苦(ごおんじょうく)とも。欲望が盛んになる「苦」。人間の心身の活動全てが「苦」を活性化してしまうということです。
お釈迦様は、このような「苦」に対する対処法を、ある意味科学的に説いたわけです。しかし、それはたしかに正しいけれども、なかなか実践できるものではありません。理屈では分かっていても、実行できないという、まさに「思い通りにならないこと」が新たに生じるわけですね。
実はそこに仏教の弱みがあると思うのです。お釈迦様の説は全く正しく完璧なのだけれども、その実践のために、ある意味究極の「煩悩」が生まれてしまうのですね。真理への執着です。その真理を理解し、それに憧れるのはあくまで「自分」なわけですから、結局「我執」から逃れられない。
ブッダたりえる人物は別として、私たち凡人はどうしてもその悪循環、輪廻から抜けられなくなってしまいます。
実生活の中で、それぞれの「苦」とつきあっていかねばならない私たちは、なかなかお釈迦様の教えの実践ができません。というか、出家してもなかなかできませんよね(「苦」笑)。
そこで、たとえば凡夫である私はですね、とりあえずの方法をとることにしています。
四苦については、それぞれ「生老病死」を受け入れるしかない。もう生まれたんだから仕方ない。年をとることを楽しもう。病気とも仲良くしちゃえ。死んだあとは楽しいことが待ってるぞ…と(笑)。
あとの四つの苦については、その「苦」の原因の撤去を目論むのではなくて、その「苦」自体を受け入れてしまうのです。
愛する者と別れるのも、嫌なヤツと一緒にいるのも、求めても得られないのも、煩悩のインフレーションも辛いに決まっている。しかし、その「苦」を味わってこそ分かる何かがあるかもしれないし、「抜苦与楽」ではなくて「苦中有楽」、きっと時が経てば「苦」にも新たな意味を見出せるだろうと、そんなふうに考えるのです。
つまり、「苦」をも友達にしてしまうと。「苦」から解放されるのではなく、「苦」を人間の人間たる根源ととらえ、理解し、崇拝し、楽しんでしまう。これはもうブッダを超えてますかね(笑)。
いや、本気で凡夫にはそれしかないんですよ。死んで地獄に行こうと、畜生に生まれかわろうと、それ自体もまた貴重な経験であり、意味のある運命なのではないでしょうか。
ある意味徹底した「無抵抗主義」。実はそれこそが、日本的無常観「もののあはれ」だとも思うのです。智慧を超えた「知恵」。実に人間的であり、プラグマティックであり、しかし芸術的でさえある「知恵」。私はそちらを極めてから、真理を追究したいと思います。「モノ」を窮めて「コト」に至る、と。
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コメント
先生こんにちは。
いつも先生の記事には感服しきりです。
本当に「死」には何度直面しても慣れてしまうことはないです。
「苦」を楽しんでしまうところまではなかなか辿り着けませんが、小学生頃でしょうか。かなり早い段階で どうしてもやらなければならないことには「諦め」てやるようになってましたね。
「嫌だ〜」なんて言葉に出していると更に「嫌」が増しますからね。
逆に「嫌だ」と言いながら学校や仕事に行ける人は凄いと感心します。(うちの主人とか…)
言霊ってすごく強いと思うのです。
主人が歌にあまり興味がないのはこのあたりに影響されにくいのも関係しているのかも…。
投稿: さお | 2011.01.05 15:54