ブクステフーデのトランス(?)
↓ある意味トランス状態?
昨日の続きです。ただし、現代日本から17世紀ドイツにタイムワープします。
トランスもバロックも、いわゆるクラシックと言われる近代西洋芸術音楽とはまた違う系譜です。簡単に言ってしまえば、近代西洋音楽以前の「民族(民俗)音楽」の系譜ですね。
バロック音楽のとらえ方や定義はいろいろありますが、現代の視点からしますと、この時代の音楽の魅力は、まさに「前近代」と「近代」のバランスの面白さにあります。それが、たとえばジャズやロックや今回のトランス(ユーロビート)などと重なる部分があるわけですね。
もちろん、私の大好きな日本の歌謡曲や、フジファブリックの楽曲の魅力もそういうところにあります。西と東の相克、コトとモノの融合ですね。
そのへんに関しましては去年の今頃紹介した「西洋音楽史」という名著をぜひお読みください。
さあ、それで、ヲタトランスとバロックの共通点を感じてもらうために、今日はドイツ・バロックの巨匠(バッハがいなかったら間違いなくドイツの大作曲家3Bに数えられていたであろう)ブクステフーデの曲を紹介します。
理屈よりも実際に聴いてもらうことにしましょうか。ただ、クラシック音楽では意図的に避けられた循環バス(短いバスのテーマが何度も繰り替えられる…結果コード進行も循環する)、ポリフォニー(これも結果的に短い旋律が繰り返されることになる)に注目してください。
民族音楽ではありえなかった「ドレミファソラシド」という音階に、大作曲家さえもなじんでいなかった、つまり、ドレミによる美しいメロディーの発明に至っていなかったことを体感してください。ブクステフーデの作る音列は、まだメロディーではなくパッセージです。しかし、そのパッセージが絶妙に魅力的なんですよねえ。歌ではなくて会話。
昨日のトランスなんかも、メロディーはペンタトニック(5音階)でほとんど民族音楽のまんま。和声は初歩的な西洋音楽です。そして、トランスに特徴的な「リフ(リフレイン)」は、やはりメロディーではなくパッセージです。
というわけで、ブクステフーデの循環バス系の楽曲を聴いていると、まさに「トランス」状態になるんですよね。ある意味人間の感情を超えたところにある「美しさ」のような「モノ」が感じられます。
では、まずこちらでも紹介した(演奏した)変ロ長調のトリオ(BuxWV273)の1曲目をお聴きください。おっとこの記事ではプログレだって言ってますね(笑)。
これ、ホント大好きです。作品1として出版されたBuxWV255ヴァージョンよりも、こちらの初期稿の方がいいなあ。この演奏もいいですね。美しい。バスのテーマが3小節半という中途半端なところが「前近代的」で「現代的」ですなあ。
続きまして、短調のトランスを(笑)。以前こちらでカッコイイ演奏を紹介しました、オルガンのためのパッサカリアを室内楽に編曲したもの、他の団体のライヴ映像がありましたので、どうぞ。これもなかなかいい演奏ですね。単調なパッセージの連続が「前近代的」かつ「現代的」であります。
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コンサートの練習のあと、帰り道に寄ってみました。いちおう、弁財天さんは音楽や芸能の神様ですからね。成功祈願。
了法寺さんは日蓮宗です。日蓮なんか、私に言わせると最も過激な「コト化」を行なった人物ですね。いわゆる「原理主義」「絶対主義」。これは実はお釈迦様の教えの対極にあるものです。それを「言葉」という「コト化」の道具を使って徹底した。それはそれで、日本の宗教史や思想史において、たしかにすごいことでした。
それにしても、昨年奉納されたという「とろ弁天像」、これはまさに仏像の本来の姿ですね。「仏像萌え」っていう言葉がありますけど、考えてみるとそれは反対でして、「萌え=をかし…現世的御利益信仰」の対象としてのフィギュア、イコン、アイドルが仏像なわけですよ。そこんとこ、勘違いしている日本人が多いと思います。仏像に限らず神社仏閣全体に、本来異様にきらびやかな原色的世界でしたから。わびさびじゃないんですよ、もともと。
先日、「戦後最大の偽書」との称号を戴く
「Yahoo!ニュースのトップに不二草紙が登場!」
写真は昨日の記事で紹介した坂本真綾さんです。「普通に美人」ですよね。
フジファブリックの曲でランキングを作るのは非常に難しい。全曲1位だという言い方もできますが、それぞれ変幻自在、聴くたびに印象が変わるというのも事実です。
まず第1試合からして大盛り上がりでした。日本とメキシコを代表するオカマレスラー対邪道・外道!
さて、セミファイナル(ダブルメインの一つ)の「ミスティコ対アベルノ」。なんかすごく新鮮だったなあ。3本勝負というのも久しぶりでしたし、独特の「間」というか、リズムというか、「無駄のない無駄な動き」という不思議な世界ですねえ。
そういう意味でメインのIWFPジュニアタッグ選手権は、これまたとんでもない高度な攻防になりました。飯伏幸太、ケニー・オメガ、田口隆祐、プリンス・デヴィット…昨年のベスト・バウト(年間最高試合)を獲ったこの4人の闘い、はっきり言ってどこまで進化するのかという驚きの内容になっていました。もう言葉では表現できませんね。これは完全にスポーツを超えています。
抜群に面白い!
遅くなりました。ようやく書きます。
いつのまにか、てっちゃん、鉄ヲタの時代は終わり、みっちゃんから鉄子、鉄女、そしてそれらも細分化され、子鉄、ママ鉄などなど…なんとも感慨深いですなあ。
その一つの在り処が、「鉄道」であったと。
まだ買ってないけれど、今ほしいものの一つ。
納得いかない(笑)センター試験の日、我が中学校では一般入試が行なわれました。
今日は中学生に「
センター試験国語、小説は加藤幸子さん「海辺暮らし」からの出題でした。
もう毎年恒例になりましたね、ワタクシによる、歯に衣着せぬセンター評。今年も書かせていただきます。さあ、今年も大変なことになってますよ!ww
数日前に、朝の1分間スピーチである生徒がこの色鉛筆を紹介しました。
で、もう一つ、この500色の色鉛筆の大きな魅力かつ問題点は、まさに「言語」レベルでのこと。
うわっ、「不気味の谷」のズンドコ、いやいやドン底じゃないですかぁ。私のツボにはまりまくりました。負のツボ。
たとえば、このアララト山(ノアの箱船がたどりついたというトルコの山)の写真、ものすごく「怖い」んです。だって富士山にすごく似てるじゃないですか。そして、それが二つ並んでいる。もう本気で鳥肌ものです。ものすごく「不気味」に感じます。
ウルトラセブンってちょっとそういう怖さがあったじゃないですか。たとえば、あの実相寺昭雄監督の名作「
偽書の精神を探るということは、すなわち自分の精神を探ることになります。私の場合は。
八百万の神。日本的偶像。神仏習合。和光同塵。
写真は、本殿真裏の恵毘壽社で恵比須顔をするウチの山の神とその娘神たちであります。後に見える神像は、大国主神(だいこくさま)と事代主神(えびすさま)です。「ゑびす」は、実に不思議な神様ですよね。ここでは事代主様になっていますが、ほかにもいろいろ比定される神様がいます。ま、ありがたければなんでも良かったのでしょう(笑)。そういうキャラですし。
北口本宮の真裏、富士山頂を挟んで反対側は、富士宮の富士山本宮浅間大社(大宮浅間)ではありません。私たちは、実は大宮浅間にはほとんど行かないんですよ。そのかわり、村山浅間神社、すなわち冨士根本宮に参拝するんです。
これぞ、現代の「女神」たちですね。
それでいいんです。私はそれでいいと思います。一神教的でない、こういう緩い、しかし一方でマニアックな(オタク的な)、偶像と大衆との関係。平和の鍵だと思います。
ps 今晩から、NHKBS2で、あの神アニメ「かみちゅ!」の放映が始まります。あれこそ、今日のテーマそのものですね。先日ちょうど紹介した大林宣彦監督の「
ごめんなさい、時間がないものでして、今日も思い出しネタです。
え〜!この作品DVD化されてないんだぁ!?
そして、この「この窓は君のもの」です。そっかあ、これ今観れないんだ。私、昔WOWOWでやったのを録画してあったのですが、それもどこかにいってしまいました。だからもう10年以上観ていません。レンタル落ちの中古ビデオ買っといた方がいいのかなあ…。
今日も、教え子のある女子大生と恋バナで盛り上がり(いや、盛り下がり)ました。どうも最近の男は簡単に「こくる(告白する)」が、そのあとが全然ダメだと。女々しいと。依存してくると。なるほど、メールやケータイのおかげで、「言葉」としてフィクションの「愛」は語れるようになったかもしれませんね。しかし、実体的な「恋」となると、これはもう全然ダメ。原始的な振る舞いを知らないのです。
昨日の話の続きになりましょうか。
今日はお墓参りと初詣。
どっぷりと正月気分に浸ったあと、富士山に帰ってきまして、観たテレビがこれ。





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