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2011.01.14

500色の色えんぴつ (フェリシモ)

20110114_70435 日前に、朝の1分間スピーチである生徒がこの色鉛筆を紹介しました。
 私、知らなかったものですから、へえ〜と思ってさっそく調べてみました。なるほど、なかなか面白い。
 たしかに小学生の頃、12色の色鉛筆しか持っていなかった私は、友人の24色、36色なんてのが、うらやましくてしかたありませんでしたね。
 その究極の形がこれでしょう。えぇと、しめて36000円かあ。1本72円ですか。決して高くはないですね。三菱のは240色で定価52500円でしたから。
 しかし、実際ほしいかというと、これはまた微妙であります。フェリシモですから、月々1800円で25本ずつ届くというシステムなんですよね。それも同系色のグラデーションで25本届くとのこと。それじゃあ、絵は描けませんなあ。
 基本、並べて楽しむものなのでしょうか。インテリアとして。いや、雑貨として。そうだとしたら、やたら散らかる雑貨ですね(笑)。結局「ラック」が必要になってくる。
 つまり実用品ではないということですね。
 純粋に絵画の道具として考えても、500色というのは行き過ぎであることは、深く考えずとも解ります。いったい有名な画家の誰が500色の絵の具を使って名画を完成させたでしょうか。
 色彩表現というのは、基本、いろいろな色を混ぜる(あるいは並べる)ことによって無限の可能性を拡げてきました(もちろん、コンピュータ・グラフィックスでは、また違った、ある意味でアナログ的な色調変化をさせているわけですが)。
 こうした色の細分化というのは、実はデジタル的な行為であって、それが芸術のためになるとは限らないものなのです。
 つまり、我々は一瞬、こうした膨大な選択肢を見ると、それが創造的な行為につながるような錯覚に陥るのですが、実際にはその逆であって、案外その牢獄の不自由さに創作意欲をそがれるものなのです。昨日の「国境」の話と同様ですね。
 それはちょうど「言語」による世界の分節という、よくある言語学的な物言いと似ていますね。本来、無限の連続性を持っているアナログ的な「色」の世界を、こうしてデジタル的に分節していくわけで、その分節の行為自体は快感ではあっても、そこから新たなる世界を再創造するのは案外困難なものなのです。
 ま、いつものワタクシ流の言い方ですと、モノをコト化する(自然を脳内で分節する)ことの快感と閉鎖性の矛盾ですな。音楽で言えば、西洋音楽のドレミや拍子や調性なんていうのの功罪がそれです。
20110115_65809 で、もう一つ、この500色の色鉛筆の大きな魅力かつ問題点は、まさに「言語」レベルでのこと。
 このシリーズの一つの売りに、「色名」があります。三菱のヤツは伝統的な呼称を使っていました(和名を含む)。しかし、こちらは、たとえば、それぞれの色に「日本海の漁火」とか「白いテラスのレモネード」とか「夕張メロン」とか「額田王の茜」とか、まあ実に面白い「なるほど!」という名前がつけてあるわけです。たしかに面白い試みですね。
 しかし、これまた、こうして特定のイメージを言語化して固定してしまうことによって、もうある種の牢獄に入れられてしまう可能性があるわけです。
 たとえば「5月の富士山」という色があるんですけど、こういうふうに特定されてしまうと、その「青」を「8月の海」に使うことに抵抗が生まれてしまう。そういうことも容易に想像されるでしょう。
 こういうのが500もあるわけです。フェリシモ的には、そこに「物語」があると言うのですが、私に言わせれば全く逆で、こちら側は常に聞き手、読み手になってしまい、創造的、想像的な「語り手」になることを阻害することになってしまうと思うのです。
 ま、だからと言って、全てにあなた自身が名前をつけてあげましょう、というのも大変ですけどね。
 というわけで、なんだか、結局おススメしてるんだか、してないんだか、よくわからん文になってしまいましたね(笑)。
 インテリア、雑貨としては面白いと思いますよ。並べ方は500の階乗あるわけですから、ほとんど無限でしょうし、それをセンスよく並べるとなると、これはもう「いろは歌」の数億倍難しいことになると思いますので、ほとんど無理です(笑)。結局グラデーションにするしかないのかなあ。それを怠ると、インテリアとしては非常に不快なものになる可能性もあるわけですよね。それもまた500という数の危険性であります。
 あらら、また結局批判的な内容になってしまった(笑)。ごめんなさい、フェリシモさん。

500色の色えんぴつ 公式

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コメント

こんばんは
500色なんてこれまた企画したひとスゴイですね。

ウチの子供は絵を描きますが 画材を買ってあげたこと殆どないです。色鉛筆は私の実家から私と兄弟が使い古したのをもらってきて(これまた母がとっておいてある)
使ってました。

色が揃っていないのでちょっと不憫に思ったのですが
本人は「混ぜて使うからいい」と言っておりました。
混ぜることで好きなように描ける とも。

確かに先生の書かれていること わかります。

500本も色鉛筆がある状態が想像出来ない
あ でもお写真拝見すると キレイですね(笑)

投稿: さつき | 2011.01.16 04:04

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