夕方5時のチャイム
まずは今朝の富士山です。少しずつ近づいてみましょう。快晴ですね。これが夜には雪模様になります。
去年の今日、志村正彦くんは天にその才能を返しました。
あの日、彼から学んだことは、今の私を確実に形成してくれています。今のこの充実感は、彼のおかげだと心から思っています。
今日はあらためて、彼の残した名曲中の名曲「若者のすべて」を聴き直してみましょう。
Fujifabric - Wakamono No Subete
アップロード者 EMI_Music. -
この曲について、彼の詩の素晴らしさについては、こちらに書きました。改めて歌詞を読んでみまして、なんというか、「今」を足場として、過去、未来へ確実に行くことができる、その才能に驚きます。ただの思い出や妄想の詩とは明らかに一線を画していますね。それこそ詩人中原中也や小説家太宰治と同じレベルだと思います。
以前紹介した泉谷閑示さんの「普通がいい」という病には、詩人についてこういう記述がありました。中原中也の詩を引用して、「詩人」について語る中での一節です。
「正常」と「異常」の両方を股にかけて、往ったり来たりしながら「異常」の世界の言葉を「正常」の方へ持ってきて伝えようとしているのが詩ではないのかと私は思います…決して生きやすい生き方ではないかもしれないけれども、この境界線上に立って誠実に生きようとしていることが、詩を生む上で欠かせない前提だと考えます…私は、このように境界線上に立って生きる人を「詩人」と呼びたい。
全く同感です。そういう意味で、志村くんはまさに「詩人」だったと思います。私たちにとっては、実は「正常」なのは「今」だけなんですね。「過去」や「未来」は「今」ではないという時点で、実は「異常」なのです。今ここにないんですから。脳内での「コト」なのですから。しかし、その「コト」に普遍性を持たせ、誰にとっても、そこにない、不随意な「モノ」とすることによって、「物語(モノガタリ)」が成立します。それができるのが、つまり「詩人」なのでしょう。
この「若者のすべて」では、志村くんは、「今」という「正常」の世界から、「過去」や「未来」という「異常」なる世界へ、いとも簡単に旅をし、そして確実に原点たる「今(正常)」に帰ってきています。そして「今」しか共有できない私たち聴き手をも、その旅先に連れていってくれます。「今」が「永遠」になる瞬間です。おそるべき才能です。
そして、この詩を詩たらしめるにあたって、最も重要な役割を果たしているものの一つである「夕方5時のチャイム」。今日12月28日の「夕方5時のチャイム」を録音、録画してみました。先日、本当にお尻の部分だけお聴かせしましたが、ぜひ全編をとの要望がたくさんありましたので、今日のこの日に記録してみました。
私たち富士吉田にいる人間にとっては、なんでもない、ある意味チープなチャイムですけれど、こうして彼が「詩」にし、そして「音楽」にしてくれることで、世界中で注目される特別な存在になりました。全く不思議なものです。
この曲、お聴きになって分かるとおり、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界」の第2楽章のテーマですね。日本では「遠き山に日は落ちて」として有名です。では、お聴き下さい。たぶんこれが志村くんの胸に響いたそのチャイムです。
夕方5時のチャイム
富士山は雲に覆われていますでしょう。実はこの雲の中では雪が舞っていたんです。私は6時ごろ帰宅しましたが、彼が天に昇った聖苑や我が家のあたりは雪が積もっていました。
お気づきの方もいらっしゃるかもしれません…いや、私も今気づいたんですけれど、このドヴォルザークのメロディーの出だしのリズムとメロディーの稜線は、「若者のすべて」のBメロ、まさに「夕方5時のチャイムが…」のところの出だしと似ていますね。
もしかすると、志村くん、意識して作ったか、あるいは無意識に刷り込まれていてこうなったか…。いずれにせよ、こういうところが天才詩人たる証拠ですよね。
彼は今、ここ富士吉田の空で毎日このチャイムを聴いています。そして、今も魅力的な「詩」や「音楽」を作り続けています。それは絶対間違いありません。
そして、彼の作品は、富士山から全世界に広がっていっています。この名曲中の名曲「若者のすべて」も、Bank Bandによるカバーや、Perfumeのフェイバリットとして一気に世間に知られるようになりました。もちろん、原曲の「歌力」があるからです。
私なんか、カバー全然オッケー派ですので、誰か欧米の有名ミュージシャンに英語とかでカバーしてもらいたいくらいです。原曲の力がある場合は、どんなカバーのされ方をしても魅力が減じることはありません。志村くんの敬愛したビートルズがそのいい例ですね。
それにしても、こんなふうに富士吉田のチャイムを聴くようになるとは。これ一つとっても、志村くんには感謝しなくてはなりませんね。
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コメント
ご無沙汰しています!
聞きなれた富士吉田のチャイムも、特別なものに聞こえますね。ほんとはすべて特別なのかもしれないけれど…。
“詩人とは”か~深いなぁ~。
ところでこの5時のチャイム、夏場は6時に鳴りますよね?花火の歌=夏ならチャイムは6時だけどなぁと思ったりして…。
花火の歌だけど冬に聞きたくなるのは、そんな感覚があるからかもしれません。
投稿: ユキ | 2010.12.29 00:08
何故か今日はChopinとニーチェの言葉を再読し、中一の娘はこちらのチャイムの音に涙を流し、若者におくるニーチェの言葉を読んでいました。
2人で枯葉を集め、バラを植樹しつつ志村君のバラ青いバラ育つようにと祈りを込めました。
今年は庭の金木犀が例年より沢山咲いたのは志村君のパワーかなと思っています。
いつも心温まるブログありがとうございます。
投稿: fabbox | 2010.12.29 00:29
こんばんは。
初めて富士吉田に行った時はこのチャイムを
意識してなかったのですが
2度目に行ったときスピーカー(?)の傍で
聴いた様でかなり「胸に響き」ました
先日子供にお願いしてお昼の校内放送で
「若者のすべて」リクエストしてもらったんです
一部の生徒からは歓声が上がり、担任の先生は
身体が左右に揺れて(笑)いたそうです
子供は1曲通して聴いたのは初めてだった様ですが
「すごく絵を描きたくなる(イメージがわく)」と
言っておりました。
詩人 とても納得です
私は学生時代から詩が好きで 書ける人って天才だと
思っていましたけど
なぜそう思うのか また 先生の講義にて
理解納得出来ました
投稿: さつき | 2010.12.29 03:14
先生こんばんは。
夕方の富士吉田の風景とチャイムがマッチしてました。
地元ではオーソドックスなキンコンカンコーンってやつです。
普段富士吉田市民キドリでうろうろさせていただいていますが、子供たちも帰ってくるので3時には引き上げるのでチャイムは初めて聴きました。
志村くんを知る前からなぜか惹かれるんですよねえ・・・富士吉田。
サーファーキングなんかも、歌詞に意味は無く言葉遊びだと志村くんは言っていましたが、それぞれの曲にそれぞれの世界がありどっぷりはまってしまいます。
カバーも大賛成ですが、売れちゃったりするとちょっと妬んでしまいます。志村くんが歌った方が全然いいのに~!!!って
富士山西麓から見ると富士吉田の方角、かなり下まで白く見えます。
冷え込んでいるんでしょうね~。
みうらうどんのわかめうどんを食べたい~!!!
また風景UPしてくださいね。
投稿: さお | 2010.12.29 20:45
こんばんは。
5時のチャイム、ご宣言通り、最初から最後までありがとうございました!
先日は言葉通り、「チャイム」だったことに驚きましたが、今回は「曲」だったことに驚きました。
本当にきれいな音ですね。
地元では「ウ~~~ン」というサイレンだったので(今もなっているかは分かりません)、外で遊んでる子供たちのために、時間だから帰りましょう、という合図だと思っていました。実際はなんの為のサイレンだったのか、謎です。
富士吉田のチャイムはいいですね。
急いで帰らなきゃというより、ゆっくり夕日でも見ていたくなりそうです。
投稿: かえで | 2010.12.29 23:48
5時のチャイム,全曲アップ,ありがとうございました!
心に響きました。そして,また涙がこぼれてしまいまいした。
我が家の周りは工場が多いので,仕事が終わる合図なのか,かえでさんの地元と同じようにサイレンが鳴ります。それはそれで物寂しい感じもしますが,やはりドボルザークとは趣きが全然違いますね。
私のような凡人が日々,当たり前すぎて見過ごしてしまっている大切なものを,志村くんはすべて,その豊かな感受性で吸収してしまっていたのでしょう。たぶん,目に見えないものまで彼には見えていたのかもしれません。あの深く澄んだ瞳の奥には何が見えていたのかなあ・・・と、時々考えてしまいます。
いつか,新曲,聴こえてくるといいですね。
投稿: 松原恵子 | 2010.12.30 12:01