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2010.12.02

『100年インタビュー ジャズピアニスト 秋吉敏子』 (NHK BShi)

Vlcsnap2010120308h43m06s165 い!軽妙だが重い言葉の数々。ジャズマスター秋吉敏子さんのインタビュー。
 途中演奏されたピアノソロもまた軽妙にして重厚。音楽の年輪の豊かさ、演奏家としての成長、ジャズとは、生きるとは…いろいろ考えさせられた番組でした。もうすぐ81歳ですって!?
 秋吉さんについては、たとえばこちらの記事で、私の勝手な感想などを書きましたけれど、案外それが外れていなかったなと思いました。そして、私の若い頃感じた違和感や虚無感を、彼女も、もちろんスケールとクオリティーは違えど、しっかり味わっていたのだなと確認し、なんとなく安心。
 音楽の年輪ということで言えば、想像されたとおり、次のような言葉が発せられていました。
「若い頃の方がメカニックは優れていた。しかし、音楽的内容は今の方がいい。楽器をこなすことが必ずしも音楽にはならない。音も今の方がいい。たとえばバラードで音自体に一つ一つに意味を持たせることができるようになった」
 なるほど、すごいですね。そして、そうした、ある意味自然体の成長を影には、日頃のたゆまぬ訓練があったと言います。宮本武蔵の「五輪書」を愛読するという秋吉さん、あの境地を理想としているようです。
 また、音楽の本質をつくような言葉としては、こういうものがありました。
 「ジャズはアバウト・ライフ。経験のトータル。日常で考えたことをステージで表現する。政策は変えられないけれど、ジャズ語で記録する。自分の胸をタッチしたものを表したい。共有しているテーマ、自分に忠実であるものが他の人と共通するようなものを生み出せればいい」
 素晴らしいですね。
 そして、人生について考えさせられる言葉たち。
 「理想へは到達できないが、常に前進、それが人生。We can't win. But you can try. 一生懸命やらねば自分の可能性はわからない。それをするのが自分に対する義務であり親切。Be kind to yourself.」
 あと、ちょっと個人的に面白いなと思ったのは、彼女が「日本の音楽は横に流れる。西洋音楽は縦」と言ったことです。ん?と思いました。しかし、のちに「なるほど」と得心しました。
 そう、私は一瞬、武満徹の言葉を思い出したんです。こちらにありますように、彼は「洋楽の音は水平に歩行する。だが尺八の音は垂直に樹のように起る」と表現しました。まるで逆、反対、矛盾するような気がしますよね。しかし、これって、実は同じことを違う角度から言っているんです。東西の音楽にお詳しい方には理解できると思います。
 お二人とも、言葉での表現も大変お上手ですが、やはり、言葉には言葉の限界というものがあります。一瞬でもこうして矛盾してしまうんですからね。お二人ともに、きっと言葉で表現するよりも、音楽で表現される方がお得意だったのでしょう。そちらの方が自然なのでしょうし。
Vlcsnap2010120311h15m21s2 それにしても、秋吉さん、大変お元気で、そして相変わらずバイタリティーがものすごい。言葉と演奏を聴いているだけで、すっかり私も元気になってしまいました。歳をとるというのは、実に素晴らしいことですね。アンチエイジングなんてクソ喰らえですよ(笑)。
 なにしろ、この秋吉さんでさえ、音楽や演奏や人生の本質に気づいたのは、ここ20年のことだと言います。80歳の方のここ20年ですからね。私なんて、本当にまだまだワカゾウですよ。
 そういう意味で、感じたのは、昨日の本にも通じますが、最終的には、いかに自己を捨てつつ自己の土台を築くかということですね。秋吉さんの土台は、日本人としての経験と、ジャズ・ジャイアンツと共演したという経験です(+もちろん、母親としての経験なども含まれます)。
 これらって、考えてみますと、ある意味他力的なんですよね。経験とは環境から得たモノであるとも言える。自分で考えたことよりも、外界との関係の中で生じた「モノ」なんです。ここでも、やはり究極は「コト(自己・内部)よりモノ(他者・外部)」だなと。
 そして、それを実現するには、自己のあがき、日々の思索や研鑽、すなわち「コトを為す」という仕事(シゴト)が必要なのです。だから、「コトを窮めてモノに至る」と。
 彼女が、こうしてジャズ・ジャイアンツと並ぶマスターになれたのには、「モノ」を感じて、それを表現して語る力が優れていたからです。
 その点、実に面白いなと思ったのは、彼女が幼い頃から、「頭がシンプル」だったということです。これもまた、昨日の本の内容にも通じる事実でした。「頭」(ワタクシ流に言うと「コト」の主体)が余計なことをせずに、つまり、環境(モノ)に身をまかせることを妨げずにいてくれたのです。泉谷さん流に言えば、自然とつながった「心=体」という「本当の自分」が主体となって行動してきたということです。なるほど、ですね。
 だからこそ、「ジャズに恩返し」という言葉も出てくるのでしょう。
 このように、いろいろな意味で勉強になり、またまた共鳴できる90分間でした。最後に演奏された「HOPE」…本当に心を打つ「音」でした。タッチのミスとか、そういう次元ではない、意味のある音が紡ぎ出されていました。つまずきながら、どもりながらの言葉でも、その中身が本物なら、心に響くのです。

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コメント

こんにちは。
こっそり毎日読ませて頂いていますが、前回の本の記事も今日のインタビューに関してもグサグサ来るものばかりです。
頭=モノだと思ってました。自己?自我?は実体がないから、得体が知れないって。モノに振り回されてた気になって苦しんでいたのですが、目からウロコでした。コトに苦しんでいたのか!と。
私はACIDMANが好きなのですが彼らの世界観にも通じるなぁと今日の先生のことばを噛み締めています。新しいアルバムも素晴らしくて、彼らの表現する生かされているってことが、今日の先生の言葉でようやく実感出来そうです。そして自分が生き難いと感じてた理由のヒントも貰えました。そして、志村くんはもの凄い人だったんだなあってあらためて感じました。ありがとうございます!
長文になりすみません。これからも先生の素敵なことばをたくさん感じたいです。

投稿: じゅんじゅん | 2010.12.03 15:40

じゅんじゅんさん、コメントありがとうございます。
私も毎日勉強ですよ。
いろいろな出会いが自分を拡張させてくれていることを実感しています。
なるほど、ACIDMANの世界観ですか。
さっそくニューアルバムを聴いてみようと思います。
ありがとうございました。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.12.04 13:06

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