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2010.11.12

『怒濤の男』 野村俊夫(作詞)・古賀政男(作曲)・美空ひばり(唄)

 んとなくいきなりではありますが、今日は古賀政男のちょっと隠れた名曲の一つを紹介いたします。「怒濤の男」とは、ずばり「力道山」のことであります。
 この曲、昭和30年制作の映画「The Rikidozan Story 力道山物語 怒濤の男」の主題歌です。当時絶大な人気を誇り、戦後日本復興の牽引役であり、強い日本の象徴であった力道山自身が主演した映画です。そして美空ひばりについてももう言うまでもありませんね。とにかく、この男女二人は当時の「日本」そのものだったのです。
 この二人を支え、結びつけていたのは、もちろん田岡一雄山口組三代目でした。そのあたりについては、最近ではこちらに書きましたね。
 二人は田岡組長を通じて何度も会っていますが、一緒にした「仕事」はそんなにたくさんないようです。まあ、いろいろ事情もあるのでしょう。実質的に初めてコラボしたのが、この映画とこの歌だったのではないでしょうか。この仕事ののち、二人は「りきさん」「ひばりちゃん」と呼び合う仲になったようです。
 さあ、この曲ですが、聴いていただいければすぐ分かるように、地味にすごいですね。野村俊夫さんの歌詞は、まあ普通と言えば普通ですが、作曲の古賀政男さんとなると、これはもう「うわっ!やるな!」という感じですよね。
 もちろん、驚きの転調、すなわち1番の「おとこの」の所ですね、これは全く意表をつかれた1小節ですよねえ。そこだけ短調になっているわけです。
 西洋音楽でも、こういう転調はないとは言えないわけですが、ちょっと種類が違いますね。目的が違う。純邦楽では案外よくありますよ。歌詞との関係で歌だけ転調することもありますし。だいいち、日本の音楽、というか、ヨーロッパのある時代以降の音楽以外は、「長調」「短調」という厳格な区別はありませんから。いちおう私も昔、邦楽をやっていましたが、当時西洋音楽かぶれだった私は、そういうのにものすごく抵抗を覚えたのを思い出します。馬鹿でしたね(笑)。
 この曲も聴けば聴くほど、その部分が自然で必然に聞こえてきます。そして、それをふまえた、ひばりさんの歌唱もお見事。「男」の強さの陰の部分を見事表現していますね。
 そして、それ以前にサビ付近の高音の連続。これもけっこう珍しいかもしれません。もちろん、ひばりさんだからこそ唄えるパッセージでしょう。普通の人が唄ったら大変でしょう。
 ところで、ウチのすぐ裏は、美空ひばりさんゆかりの場所なんですけど、古賀政男さんもここ富士北麓とは縁の深い方なんですよね。
Pc300076 音楽和也。6年くらい前でしたか、河口湖の北岸に古賀政男の記念碑が建ちました。あの「影を慕いて」の楽譜と歌詞が彫ってあります。その裏側に刻まれた文には驚くべきことが書いてありました。私、全く知らなかったのですが、古賀政男さんは当時の河口村に疎開しており、終戦を当地で迎えたんだそうです。

 昭和の大作曲家として日本歌謡史に燦然と輝く音楽家として、国民栄誉賞を受賞した古賀政男、その生涯で数々の名曲を生み出した古賀が、昭和20年3月から8月まで過ごしたのがここ富士河口湖町、当時の河口村であった。きっかけは陸軍省からの一本の電話だった。作曲の「誰か故郷を思わざる」が前線の兵士に熱狂的に愛唱され、兵士は遠い祖国を思い、故郷を偲び、心を癒されていることへのお礼の言葉に続き、戦況が大変厳しい今、日本の大衆音楽文化を守るために、一日も早く疎開してほしいと、特別な計らいで差し向けてくれた陸軍省のトラックで、当時内弟子であった私の故郷河口村に疎開することとなったのである。古賀が滞在した別荘は富士山を真正面に望む素晴らしい自然の中にあり、村の人々との温かい触れ合いのなかで、心休まるときを過ごした。8月15日、古賀の安否を気遣って駆けつけてきた青年達と共に、終戦の日を迎えた。古賀は青年達一人一人に石鹸を手渡し、これからは新しい時代が来る。間違いなく来る。皆で古い時代の垢を洗い流し、新生日本に向って第一歩を踏み出そうと激をとばし、一斉に河口湖に飛び込んで心身共に清め、霊峰富士に向って新たな誓いをたてたのである。今年は古賀政男生誕百年。この記念すべき年に、古賀の偉大な業績を顕彰し、後世に正しく継承しようという富士河口湖町の人々の古賀に対する熱い思いが結実し、歌碑を設置していただき、多くの方々に古賀の意思と歌の心に触れていただけることとなり、心より深く感謝申し上げる次第である。

 平成16年11月

  財団法人古賀政男音楽文化振興財団理事長山本丈晴

 えっなんで?と思ってよく調べてみましたら、なんと、古賀政男さんのお弟子さんとして有名な、いや、私としてはあの山本富士子さんの旦那様として知っていた山本丈晴さん、河口のご出身だったんですね!知らなかった!
 昭和20年山本さん(本名古屋武治さん)は古賀先生に弟子入りします。のちに古賀家の養子となり、そして山本家に婿入りして山本丈晴さんとなったのでした。実に意外な事実…。
 今まで、あまり積極的に古賀メロディーを聴いてこなかった私。これからは、河口湖に飛び込んで富士に誓いを立てた古賀先生のお気持ちを思い浮かべながら、古賀メロディーをじっくり味わってみたいと思います。ものすごい数ですからね、生きている間に聴き尽くせるか…。

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