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2010.11.11

『一流の思考法』 森本貴義 (ソフトバンク新書)

WBCトレーナーが教える「自分力」の磨き方
79735400 ょうどこの本を読んでいたら、イチロー衝撃発言!「もうカレーは食べてない」なんていうニュース(?)が。
 イチローの「型」を象徴するかのように伝説化していた「朝カレー」。やっぱり伝説だったんですね(笑)。
 しかしまあ、こんなことがニュースになるほど、イチローは「一流」なんでしょうか。
 今までも、イチローについてはけっこう書いてきた記憶があります。彼のまるで武士のようなたたずまい、そして禅の高僧のような発言には、私も一目を置いています(…って、どんだけお前は三流なんだよ…笑)。
 この本は、イチローのトレーナーである森本さんが、イチローの近くにいて感じたこと、そしてそれ以上にご自身の経験から得たある種の智恵を披露した本です。
 私は、イチローは「一流を超えた神」だと思っているので、最初「一流の思考法」でなくて、「イチローの思考法」、あるいは「神の思考法」という本にすべきなんじゃないかと思いつつ読み始めたのです。つまり、非常に特殊で我々凡人にはマネできないシロモノになってしまっているのではないかと。しかし、案外そういう内容ではなく、実際のところは「森本の思考法」という感じでした。これはこれで看板どおりだなとなんだか安心しました。
 そう、つまり、誰が「一流」かって、森本さん本人が「イチリュー」なんですよ。すごいですね。
 私は立派な「サンリュー」だと自負していますが、たしかに、レベルは違えどちょっと似た思考をしているなと感じました。私、けっこうポジティヴですし、悩まないし、前向きです。
 よく言われるんですよ。よくぞこうして淡々と毎日ブログをおんなじ調子で書き続けれられるなと。感情に起伏がないのかと。今日は落ち込んでるとか、やる気がないとか、むかついてるとか、そういうのがあんまり文章に現れてこないと。
 生徒もそういう印象があるのではないでしょうか。今日は機嫌が悪いとか、あんまり言われませんね。いつもおんなじC調…いや音楽的に言うともっとちょっとシャープがついたD調って感じかな(笑)。
 たしかに、私の感情はけっこう平坦です。プラスで平坦なんですね。いろいろ気にしない性格なんです。もちろん、いろいろあるんですよ、面倒なこと。毎日失敗の連続ですし。
 でも、なんと言いますかね、イチローや森本さんの足もとにも及びはしませんけど、失敗や試練をブラスに捉えることは得意かもしれません。
 一般にはマイナスと捉えられる「失敗」「問題」「不快」「不随意」を、変化のチャンスとしてしまうんですよ。だから、何か面倒なことが起こると「やった!チャンスだ!」と思ってしまうんです。
 いつかも書いたとおり、そういう「モノ=不随意」というのは、昨日の自分が想定していない状況としてやってくるんです。だから、昨日と違う自分になるためのチャンスなんです。全て思い通りにゆき、快適な一日というのは、実はなんの進歩もない一日なのです。
 昨日の「能」の話にもつながってきますが、そういう「モノ」をつかまえるのに、実は「コト」が大切なんですよね。「コト」の代表格が「カタ」です。この二つの言葉は日本語学的にも同源なんですよ。
 私の「モノ・コト論」では、自己の外側や自己の管理化にないものを「モノ」と呼び、脳内で処理され、分節され、分析され、コントロールされたものを「コト」と解釈しています。その「コト」の代表選手が「言葉」であり「型」であります。
 この本にもイチローが「型」を決め、それを繰り返すことによって、そこから外れる「モノ」を敏感に捉えていく様子が紹介されています。能楽でもそうですよね。全ては「型」にはめてから、次のステップに行きます。「守・破・離」「序・破・急」ですね。
 これってたしかにとても大切なことです。しっかりした「型」を持っていないと、変化に対応できません。「コト=随意」を基礎、基準点として、「モノ=不随意」に対処していくことが必要です。
 そうそう、この本でも強調されている「型=無意識」について少し「モノ・コト論」的に補足説明しておきましょう。私の言う「コト」は「意識」の領域ですから、なんか、「型=無意識」というのは矛盾しているのではないかと思われそうです。そこはちょっと説明が必要ですよね。
 「型」というのは最初はもちろん「意識」で作るものです。それを繰り返すことによって、意識しなくてもできるようになる、つまり「無意識」の領域に押しやることができます。そうすると、「コト」は「モノ」になっていきます。
 その場合の「モノ=不随意」とは、まさに「不随意筋」の「不随意」ということになります。たしかに自分の一部なのだけれども、意識を通過しないという一面では「他者性」も生じる。これぞ「ものにする」という状態なのです。お分かりになりますか?
 さあてと、三流のワタクシには「型」があるかというと…ん?人からは「型破りな教師」と言われることが多いワタクシですけど、「型」がないのに「型破り」とはいかに?
 まあ、せいぜいこのブログを書き続けていることくらいでしょうかね、日々のルーティンは。いや、案外それが今の自分の基準点、原点になっているかもしれないなあ…。

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コメント

こんばんは。

自分の中で感覚的にしか説明の出来なかった

分野です。すごい納得出来ました。

こちらにお邪魔すると図書館で色々な本を

読んでいる感覚になるんですよね。

ありがとうございます。

投稿: さつき | 2010.11.13 00:01

さつきさん、ありがとうございます。
うまく説明できてるか不安でしたが、納得していただいて、うれしく思います!
図書館みたいな存在になるっていうのは、たしかに理想ですね。
マイペースで頑張って行きます。
型を作れるように。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.11.13 22:03

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