不自由が生む自由(その二)
我が中学校には能楽の授業があります。全員必修です。私の教え子でもあるプロの能楽師が指導にあたっています。
今日は彼女が能面を持ってきました。そして、生徒の代表に掛けてやりました。彼ら、おそらくその視界の狭さに驚いたことでしょう。
なんて私も偉そうに書いていますが、実は今日、私も生まれて初めて面(おもて)を掛けたんです。そして、その視界の狭さと息苦しさに驚いたというわけです。
そこではっと気づかされたのは、以前接心の日にも書いた「不自由が生む自由」です。
機能的、合理的に考えればもっと視界の広い面を作るべきでしょう。あるいは外見的にも様々な表情に対応するようなデザイン、あるいは機構を施すべきだと言えるかもしれません。
しかし、能面はこのように発達し、このように完成せられたのです。それはとても面白い事実であり、また、いかにも日本的な、あるいは禅的な産物であるとも言えそうです。
面を掛けた私がシロウトながらに感じたのは、「あっ、これは視覚依存の日常を捨てなければならないな」ということでした。
日常最も頼りにしているものを捨てるということは、逆に言えば、別の何かを覚醒させなければならないということです。これは、禅において「言語」を捨てるのに似ています。言語を捨て、また、日常的な「随意」を捨てて覚醒(悟り)に到達するのが禅の基本姿勢です。
そのように「随意」を捨てることは、たしかに日常の尺度では「不自由」なことです。しかし、もう一つ上の次元では、無限の「自由」を生むのだということを、私たちは知らなければなりません。
ただ、これだけ「不随意」や「不自由」を駆逐し続けてきた現代社会においては、なかなかそういう気づきの機会が得られません。
ですから、本校の、この能や、あるいは接心、茶道、武道といったような授業を、中学生が、訳も分からず(これが重要です)体験するというのは、とても大切だと思うのです。
その時には「面白くない」とか「なんでこんなことやるの」と思っても、必ず、体や心の奥底に大切なものが残ると思っています。それが彼らの未来に絶対にプラスになると信じています。
自分自身、面を掛けてみまして、こんなことも思いました。今書いたことと基本同じことですが、少し違う表現をしてみます。
「おもて」を掛け、あの閉塞した暗闇に押し込められ、ほんの一条の光だけで「表」の世界とつながることになった刹那、私は「裏」になりました。なんというか、今までそれこそ現実界という「表舞台」で好き勝手に振る舞っていた自分に、さらなる「おもて」が掛けられることによって、一気に自分が主役でなくなったというような感じ。
これは、本当の能舞台で言えば、「主役」でなくなることによって「主役」になるというパラドックスとなります。つまり、禅的に言えば、「無我」になって、あるいは「空」になって、自分という枠が取っ払われて、外界全部が自分となって、大きなスケールの「主役」たる自分になるとでも言うのでしょうか。
表舞台で主役だった小さな自分は、あの「おもて」の裏側に幽閉されて、そしてあの「おもて」が、まさに「interface」となって、メディアとなって、本当の自分が無限に拡張される感覚。
パラドックスと言えば、能楽師の解説にも面白いものがありました。
謡曲「弱法師」の「面」は黒目の部分だけでなく、目全体がくりぬかれていて、視界が比較的広いというのです。「弱法師」は盲目の少年。盲目の少年の「面」の「眼」が広く開かれているというのは、実に面白いことですね。
しかし、彼女が言うには、その面の裏側で舞う演者は、「半眼」でいなければならないということです。開かれている目をあえて塞ぐわけです。なら最初から面の眼を小さくくりぬけばいいものを、あえて広く開けて、その中で人間がその視界を狭くする、その矛盾の積み重ねに、盲目のリアリズムが生じるのでしょう。
もちろん、外界から見て、「黒目」が存在しないところに「盲目」を読み取らせるという、デザイン的、記号的な意味もあるとは思いますが、それ以上に内なる裏なる人間の心や体の表現性が立ち上がるという仕組みがあるのでしょう。
と、なんとなく理屈っぽいことを書いてしまいましたが、まあ見てくださいよ。このアヤシイ出で立ち(笑)。普通、紐を耳の上から掛けて、つまり耳をも「裏」にしまいこんでしまうのが面掛けの作法なのですが、今回は簡易型ということで、それをしませんでした。
ただでさえ、私の耳は大きく前に張り出していることで有名な耳です。若女に悪魔の耳がはえたような、とんでもない意匠になってしまいました(笑)。
こんな人に街で出会ったらどうしましょう。こわっ。
写真を見て、自分でも鳥肌が立ち、そして思わず爆笑してしまいました。
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