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2010.11.18

富士変幻

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 った時の富士頼み。
 行事がめじろ押しで、なかなか時間がとれません。こういう時は、富士山の幻想的な美しさにおまかせしましょう。
 今日の富士吉田は寒かった。今にも雪が降りそうな感じ。いよいよ長い冬が来るなあという実感。
 昼間はどんより曇っていて、ほとんど富士山は見えませんでした。しかし、夕刻になり、突如として現れたのが、この富士山。
 すっかり雪をかぶっています。さすがの地元民たちも、皆一様に驚いていました。
 雪衣と雲綿を纏い、夕日に照らされる富士山。こういう、ある瞬間的、奇跡的なお姿を拝めるのは、ここに住んでいるおかげですね。
 世に通っている富士山の写真は、あまりに出来過ぎている感があります。太宰も言っていたように、あまりにおあつらえ向きなんです。モデルとしての富士山。
 でも、これが、ある意味普段着の、日常の、ある種庶民的でありながら、しかし実に高貴な富士山の本当の姿(の一部)なのです。ぜひ皆さんにもご覧いただきたい。
 ほんの数分の時の流れの中で、微妙にその表情を変えていく様子をご覧下さい。

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 最後に「月夜富士」をご覧下さい。太宰も化かされた妖艶なる姿です。冬の月夜、富士山の雪の部分が月光に照らされて闇夜にあやしく浮かぶのです。地元でないとなかなか知らない秘密の富士山です。
 ちなみにこの写真は富士吉田から撮影したものではありません。帰宅途中富士河口湖町にさしかかったあたりで撮ったものです。昨年、志村正彦くんと最後のお別れをした場所です。

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 月夜富士、私もこちらに住むようになって初めて知りました。最初気づいた時の驚きと感動と言ったら…。
 私はその時の感動を言葉にできません。しかし、さすがは太宰治、「富嶽百景」で、その月夜富士をとんでもない名文で表現しています。太宰の数多い名文の中でも、私は格別にこれが好きです。そして、その名文を生んだ現場が、まさにここ、私の学校のある場所なのでした。

 路を歩きながら、ばかな話をして、まちはづれの田辺の知合ひらしい、ひつそり古い宿屋に着いた。  そこで飲んで、その夜の富士がよかつた。夜の十時ごろ、青年たちは、私ひとりを宿に残して、おのおの家へ帰つていつた。私は、眠れず、どてら姿で、外へ出てみた。おそろしく、明るい月夜だつた。富士が、よかつた。月光を受けて、青く透きとほるやうで、私は、狐に化かされてゐるやうな気がした。富士が、したたるやうに青いのだ。燐が燃えてゐるやうな感じだつた。鬼火。狐火。ほたる。すすき。葛の葉。私は、足のないやうな気持で、夜道を、まつすぐに歩いた。下駄の音だけが、自分のものでないやうに、他の生きもののやうに、からんころんからんころん、とても澄んで響く。そつと、振りむくと、富士がある。青く燃えて空に浮んでゐる。私は溜息をつく。維新の志士。鞍馬天狗。私は、自分を、それだと思つた。ちよつと気取つて、ふところ手して歩いた。ずゐぶん自分が、いい男のやうに思はれた。ずゐぶん歩いた。財布を落した。五十銭銀貨が二十枚くらゐはひつてゐたので、重すぎて、それで懐からするつと脱け落ちたのだらう。私は、不思議に平気だつた。金がなかつたら、御坂まで歩いてかへればいい。そのまま歩いた。ふと、いま来た路を、そのとほりに、もういちど歩けば、財布は在る、といふことに気がついた。懐手のまま、ぶらぶら引きかへした。富士。月夜。維新の志士。財布を落した。興あるロマンスだと思つた。財布は路のまんなかに光つてゐた。在るにきまつてゐる。私は、それを拾つて、宿へ帰つて、寝た。  富士に、化かされたのである。私は、あの夜、阿呆であつた。完全に、無意志であつた。あの夜のことを、いま思ひ出しても、へんに、だるい。

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コメント

先生こんにちは(^-^*)/
今朝はほんっとに寒かったですね〜{{(>_<;)}}

昨日 友人をつれてみうらうどんさんと小室浅間神社、もちろん志村くんのところにもご挨拶に。
帰りにヒョウが降ったんですよ!!!

雪が降ったら行けなくなってしまうので 行けるときに。


昨日の夕方の富士山は素早く綺麗でした。

友人は神社仏閣が好きで、小室浅間神社も凄くいいと言ってくれて、ワタシも嬉しかったです。

また下吉田からの富士山見せてくださいねo(^-^)o
お風邪など召しませんように。

投稿: さお | 2010.11.19 14:16

すみません〜!
素晴らしく でした(>_<)

投稿: さお | 2010.11.19 14:18

わー、キレー!
だいぶ雪つもりましたね。

私、富士山は当たり前の存在だったから全然気にとめてなかったけど、父親が富士山好きらしいよ、って妹から聞いてからはなんだか気になっちゃって。

今日の富士山は。。
と、意味なくチラ見してますよ。

老後は吉田に帰ろー、と思いました。
そうなったら、一緒に山菜取りにでも行きましょうね。

投稿: カオル | 2010.11.19 16:52

この間,富士吉田に訪れた時は1日曇りだったので次回は晴れた富士山を拝みたいな-と思っています。
夜の富士山は妖艶ですね!

忠霊塔に続く長い階段前から見た大きな富士山が,まだヒリヒリと頭に残っています。

投稿: なじゅ | 2010.11.19 17:25

こんばんは。

あまりに綺麗で絶句です・・・。
この景色を直接目にする事が出来るなんて
贅沢で羨ましいと思ってしまいますが、

そこで暮らす方々は厳しい寒さなど大変な事にも
向き合わなければなりませんものね。

特権 というか ご褒美 のような
夜の富士・・・いつか直接見てみたいです。
素敵なお写真ありがとうございます。

迷ってたんですけど もう行っちゃおう 年内に(笑)

投稿: さつき | 2010.11.19 19:36

普段着の高貴な富士の写真もさることながら,太宰の名文に感動です!!
月夜富士・・・見たくて仕方なくなりました。
この名文を生んだ場所が先生のお勤め先とは・・・!!
天才ばかりじゃないですか!!

志村君もこんなに神秘的な富士山の霊気に包まれて育ったから,あれほど幻想的で変幻自在な曲を作れたのでしょうね。

中原中也,太宰治,もう一度,しっかり読み直してみます!

投稿: 松原恵子 | 2010.11.20 10:40

みなさん、コメントありがとうございます!
月夜富士、ぜひご覧になりにいらしてください。
冬の満月の夜が狙い目です。
冬は雪が積もっているのももちろん、月の南中高度が高く、富士の北面にもよく月明かりが当たります。
満月の南中時間は午前0時ですから、まあとんでもなく寒いのが難点ですが(苦笑)。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.11.21 12:19

お久しぶりです。さっきまで月夜の絵を描いていて、遅いし寝ようかなと思いつつ、庵主さんのこの記事を開きました。偶然お月さんのお話。月夜富士、なんて美しい。そして太宰の文章。とても共感!ふと思い立って窓を開けてみると、高い場所にお月さんが。きっといまごろ富士山のことも照らしているのだろうなあ…と思い浮かべながら、ようやくいま眠りにつきます。次は泊まりで行きたい、富士吉田。おやすみなさい。

投稿: 毛糸 | 2010.11.24 03:34

毛糸さん、どうもです。
ぜひ一度生月夜富士を!
めっちゃ寒いですけどね。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.11.26 17:23

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