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2010.11.17

『なぜ、脳は神を創ったのか?』 苫米地英人 (フォレスト2545新書)

Pagemain_img_015 いぶん前に買って、ずっと読まなきゃ、読みたいと思っていたこの本。ようやく今日即読しました。熟読ではありません。
 即読できるということは、たいていの場合、知っていること、想定内のこと、期待通りのことが書いてあったということです。よって、あまり感動もしませんでした。だから、感想めいたことは書けません。
 私はどんな本であっても、いや本だけではなく全ての世の事象を、自身の「モノ・コト論」で理解していきます。そういう意味では、ずいぶんとバイアスのかかったものの見方をしている人間だと思います。まあ、人は皆そうなんでしょうが。
 ただ、ちょっと自信があるのが、その認知バイアスの原因が、自己のオリジナルな概念(コト)によるというところでしょうかね。私の「モノ・コト論」は非常に特殊というか、特別なものなので。
 この本は、実はそういう話なのですよ。宗教も神も全て人間の脳内フィクションであると。ただ、その幻想(コト)が、自分のオリジナルなものなのか、それとも人から与えられたものなのか。後者を「洗脳」と呼ぶと苫米地さんは言っています。
 そういう次元での「宗教」「神」、すなわちワタクシ流に言う「コト」次元のそれら(たとえば、「みこと」)は、たしかに「言語(ことのは)」を代表とする脳内メディアによる産物として片付けてしまうことが可能です。
 そして、また、そういう次元で語る(カタる=コト化)のであれば、認知科学や量子論や不確定性原理や証明不能命題などという「騙り」で、その存在を否定することは簡単です。
 だから、そのコト世界(脳内世界=自己の内部)での話であれば、苫米地さんの論理は全く正しいということになります。
 しかし、私たち、少なくとも私には、そういう「正解」や「納得」とは違う次元の「実感」があるのも事実なのです。
 もちろん、それもまた、脳の生み出した幻想にほかならないとしてしまってもいいのですが、そうすると何かまた、それはそれで苫米地さんの言うところの「宗教」や「神」と似た構造に陥ってしまうような気もするんですね。
 つまり、私の「宗教」観や「神仏」観というのは、実は「観」ではなくて、非常に「感」なわけです。こうして言語で表される、たとえば「宗教」とか「神」とか「仏」とか、あるいは「○○教」とか「教典」とか、そういう「言語」や「体系」で表される「コト」の外側に、「何か」を感じるわけです。
 それがすなわち、「モノ」領域なんですね。私の論では、「もの」という言葉は「自己の外部」全てを表すとされています。それが「物体」を表す場合もあるし、「人間」を表す場合もあるし、「不随意」を表すこともあるし、「無意識」を表すこともあるのです。そして、私は「宗教的なモノ」、「神的なモノ」を、そちらに「感じて」いるわけです。
 「神はいない」とか「神は死んだ」とか「全ては幻想だ」とか「洗脳されてる」とか言われても、この実感だけは拭い難い。言葉で表せないのは実に「ものぐるほし」なのですが、だからこその「実在」なのです。自分(コト)が消滅しても、世界(モノ)は残るに違いないという実感。
 うう、なんとも表現し難いなあ。しかし、こうして脳内で産出された「コト」というフィクションでは表現できないリアリズム、つまり、人間というちっぽけな宇宙(コスモス)の補集合として、とんでもない空(カオス)があるという実感自体が、「宗教」や「神」と直結しているような気がするんです。
 苫米地さんは、天台宗の僧籍まで持っている方でして、実際にこの本でも最後は仏教に味方して終わっています。その心境もよく分かりますね。なにしろ、お釈迦様は、私たちのように「コト」でその実感や実在を表現することは、はなっから諦め、また禁じているんですから。だから最強に決まっています。
 「コト」に対する執着を捨てることこそ「悟り」なのです(だから「モノのあはれ」は仏教的な無常観と結びつく)。そういう意味では、お釈迦様は実にカッコイイし、ちょっとずるい。私はそこまでは開き直れないなあ。もっと人間臭くあがいて生きたい気もします。
 そうすると、「コト」をもって「モノ」を表現しつくした、つまり「言霊」でもって「物語」を紡ぎ続けた出口王仁三郎こそが、人間界最強の「人間」ということになるのでしょうか、やっぱり。

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コメント

初めまして。
先日フジマリモに写真と記事が載っていたので
「原健吾さん」でググっていて偶然たどりつきました。
かなりご近所さんみたいですね。

原さんは学生時代に同じゼミの1年先輩でした。
また山梨にいらしてるようで懐かしさでいっぱいです。

お気に入りに登録しました。
また伺わせていただきます・・・

投稿: 星宿 | 2010.11.18 14:38

星宿さん、こんにちは!
そうですか!ご近所ですし、同窓ですね。
ぜひ一度お会いしましょうよ。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.11.21 12:21

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