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2010.10.05

縦書きエンジン「涅槃」

 っぱり日本語は縦書きでなければ。
 いつも書いていますように、縦書きと横書きとでは文章も違ってきますし、気持ちも違いますね。
 ブログも内容によっては、本当は縦書き表示したかったのです。その時は、もちろん、原稿を書く時も縦書きにしなければいけません。
 今までなかなかいい方法がなかったのですが、時々私も引用させてもらっていた「縦書き文庫」さんが、その基本エンジン「涅槃」(すごい名前だ)を公開してくれましたので、今日試してみました。
 ためしに、おとといの記事を縦書きしてみましょう。

33403577 内田樹というメディアは、いつもながら面白い。彼の言説は常に発見のあるエンターテインメントとなっています。  つまり、なんだかとっても正しいような気がするのですが、だからと言ってそれらがちっとも現実化しないという、いわば夢のような感じがするんですよね。  彼一流の視点と理論と言い回しのおかげで、それこそ我々の知性が劣化するんじゃないでしょうかね。でも、それが気持ちいいので、一種麻薬のような魅力があると。  読後すぐには、まさに目からウロコ、膝を打って興奮していた私も、こうして少し経ってから記事を書こうとすると、なんかちょっと意地悪な気持ちになるんですよね。遊園地で遊んだあとの空しさというか。  ここに書かれているキャリア論、教育論、マスコミ論、テレビ論、新聞論、読書論その他も、実に見事な「楽しさ」を演出してくれています。現実や常識がひっくり返る快感を与えてくれます。  しかし、そうした快感の集合体をもって、はたして本当に世の中がひっくり返るかというと、やはりひっくり返らない。  ヤクザ映画を観たあとしばらく、自分がその道の人になったかのように錯覚して街を闊歩するのと同じような感じでしょうか。だからエンターテインメントだと言うのです。実際売れていますし。  そんな我々は、エセヤクザ、いやいやエセインテリ、エセ知性派、エセ憂国の士なのかもしれませんよ。とっても意地悪な言い方をするとそういうことです。  しかし、そんな内田さんの言葉によるエンターテインメントを私も、彼のブログではもちろん、けっこう書籍も買わせていただいて楽しんでいます。プロレスを観て、現実逃避するのと同じなのかもしれませんね。どこか「これは現実化しない」「フィクションである」という意識があるのも事実です。  センセイという職業上も、彼の言説はコンビニエントなんですよね。ちょっとそれらしいことを生徒に語るには、すなわち教室を遊園地化するには、彼からの受け売りは非常に便利です。この前も私、説明会でしっかり受け売りさせてもらいました。読後すぐだったので(苦笑)。  もちろん、彼の博覧強記と柔軟性と謙虚さは私の憧れでもあります。レベルは違えど私も自分のブログで人と違うこと(現実的でないこと)を書いて悦に入っているとも言えます。今、こうして人と違う「内田樹論」をやらかしているのも、その一つの例かもしれませんね。  そして、彼が著作権というものを放棄しているように、私も権利とともに責任をも放棄して好き勝手をやっています。いや、「私も」なんて書いたら失礼か。彼は権利は捨てても責任は持てと主張しているわけですから。  いずれにせよ、彼の言説にいちいち納得する私たちがいくら増えても、なぜか世の中は大きく変化しないんですよね。ある意味不思議です。いや、ある意味、そのように現実に対して現実的な影響力がないからこそ、彼も私もこうして発言し続けることができるのかもしれませんね。  ちなみに私には私のメディア論があります。ここのところ、某巨大広告代理店の方や、地方の広告会社の方とお話をする機会が多くあります。そこで、現実を動かすべく(動かないでしょうけれど)いくつかのアイデアを提示させていただいています。私は、たとえばこういうブログのような、不特定多数を対象にした媒体ではエンターテインメントに徹していますが、個別の専門家に対しては、案外現実的な提案を(ずうずうしく)するんですよ。  まあ、きっと内田さんもそうなんでしょうね。マスに対しては遊園地であり、麻薬に徹する。つまり、言説は嗜好品なのかもしれませんね。言葉や思想というのは、もともとそういう種類のものなのかもしれません。  人には「知的遊戯」というのも必要です。「知的遊戯」が真の知性の動力になることもあるからです。それが現実離れしているのは、その人間の知性こそが現実世界ではあまり重要視されていないという事実の裏返しなのです。

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 ふむふむ、素晴らしい。ルビや傍点なども振れます。フォントもリンクも自由に扱えます(こちら参照)。シンプルですし、ブラウザの種類にも基本依存しません。これは画期的ですね。こういうのを待っていました。
 先ほどの内田樹論の記事ですが、縦書きにすると全然違って読めますね。やっぱり横書きで原稿を書いたものは「横書き文体」「横書き内容」になってしまうのです。
 これから、縦書きで表示させる時は、ワープロかなにかで縦書きで原稿書きます。
 あと、最近始めた「短歌」なんかも、やっぱり縦書きで表示したいですよね。短歌を作る時は、手書き縦書きしていますが、投稿はメールでするので、そこでは活字で横書きになってしまいます。そうすると、全然イメージが違う。不思議なものです。
 それにしても、「涅槃」…おそるべしです。まさに「涅槃」の境地です。作者に心から感謝いたします。

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コメント

こんにちは。おひさしぶりです。きずなです。
すてきすぎです!(笑)「涅槃」というものがあるのですね。
何年たっても横書きに慣れず、横書きの文章を見るたび「これでしょう。」
とつっこんでいるので、ど真ん中でした。リンクまで縦書き!
世の中の人は横書きが主流なんですかね~?
なんか昔の文庫本の小説が、横書きで再販なんて話もありましたしね。
読むスピード3分の1でしたよ!! どれだけ時間ができるか(笑)
「涅槃」のwikiを読んでいたら、煩悩とかニルヴァーナとか、何かものすごいことが書いてあり
そうで後でゆっくり読もうと思いました。

由紀さおりさんのお話も心拍数が上がりました。
(といっても私は44と低いのだそうで人並みになったくらいです。)

昭和の名曲って知らないだけでもっともっとあるんですよね。
ちあきなおみのアルバムにフジファブリック「夜汽車」が入っていても違和感なさそうですよね(笑)

またなにかすばらしものがあったら教えてください。

先月、富士吉田にお邪魔させていただきました。
まだ猛暑の真っ最中でしたが、みなさんの言うとおり、すばらしいところでした。
ありがとうございました。
たくさんの出会いがあり、罔象女命さまにもお会いできました。(突然だったので驚きました。)

「写すってことは自分と世界との対話」写真家の森山大道さんが言っていましたが、
富士吉田でもそれは不思議なものが取れました。機会があったら先生にも是非見て頂きたいものです。

東京は10月2日金木犀解禁!!でした。

それでは。

投稿: きずな | 2010.10.05 16:22

きずなさん、おはようございます。
縦書き、歌謡曲、富士吉田、フジファブリック…
みんななんとなくつながっている気がしますね。
私たち日本人の血が騒いでいるのでしょう。
富士吉田の金木犀の季節はこれからです。
また、ぜひお越しください。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.10.06 09:21

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