ランペのAIR
しばらく音楽ネタが続きますよ。
昨日の八ヶ岳に続き、今日は東京でバッハなどを演奏。3日のコンサートの最終練習でした。
今回私は、この前生徒も弾いたパッヘルベルのカノン(&ジーグ)と、有名なG線上のアリアの原曲が入っているバッハの管弦楽組曲3番を弾きます。
もちろん古楽器ですから、それなりのそれらしい解釈となっています。両曲とも、いわゆる名曲集のCDに収められているような演奏に比べると、ずいぶんと違う味わいになっていると思います(たとえばテンポが速いとか)。
特に管弦楽組曲は、トランペットとティンパニの入っていない「初期稿」を使って演奏します。ただし、2本のオーボエをトランペットの代わりに入れるというオリジナル(独自)なアレンジも施してありますから、ある意味では世界初演ということになるでしょう。
ランペによる初期型の管弦楽組曲の録音については、以前こちらで紹介しました。なかなか刺激的ないい演奏でした。
ちょうど今回一緒に演奏するヴィオラ・ダ・ガンバ奏者の方が、団体のホームページでより詳しくこのアルバムを紹介していますので、そちらもぜひお読み下さい(こちら)。
そのランペ指揮ノヴァ・ストラヴァガンツァの演奏の中でも、けっこうインパクトが強いのが「AIR」です。そう、G線上のアリアの原曲ですね。
この曲はあまりに有名な曲ですけど、その前半と後半のそれぞれの繰り返しにおいて、ランペはかなり派手で過激な装飾…いや装飾を超えて編曲…いや編曲を超えて作曲を行なっています。
当時の習慣としてそういうことも当然ありだと思いますけれど、ただやたらにやればいいというものでもなく、当然センスが問われるわけですね。バッハにケンカ売るようなものですから(笑)。
あっそうそう、今日ちょうど坂本龍一さんの「schola 音楽の学校」の再放送で、「バッハ〜通奏低音」の回をやってたんですよね。
まさにこのAIRの通奏低音の上に子どもたちが自由にメロディーを作るというワークショップをやっていました。なかなか面白い試みです。ポップス風あり、沖縄風あり、ロック風あり。
それと全く同じ発想で、いや他のパートはそのままだから、ちょっと違うかもしれませんね、でも基本同じように別の「アリア(歌)」を作ってしまったのが、このランペの録音です。
それがですねえ、けっこうセンスいいんですよねえ。私もいろいろ考えたことがありましたけれど、これはしてやられたという感じでした。う〜む、そう来たか。そこまでやったか。
というわけで、今日はそれを聴いていただきましょう。
ピッチもかなり低いのでハ長調に聞こえますね。それこそG線上のアリアのようです(あれはハ長調に編曲されています)。
前半後半とも1回目は楽譜通りの演奏です。繰り返しのあと、1stヴァイオリンはかなり自由に動いていますね。ジャズも顔負けの自由度です。ま、バロック音楽は、いわゆるクラシック音楽よりもジャズに近いのですが。
ちなみに今回の我々の演奏はいたってオーソドックスに、繰り返し後も基本楽譜通り弾きますよ。1stヴァイオリン二人ですし、それぞれが即興やったらさすがに大変なことになるでしょう。
ん?そう言えば、ヴィオラは私一人だな。ということは、本番何やってもいいってことでしょうか?
さあ、それは本番のお楽しみということで。ぜひご来場ください。
Amazon J.S.Bach The Early Overture
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今日は保護者会がありまして、全体会で文化部の発表が行われました。我が弦楽合奏部も2ヶ月ぶりのステージ。デビューではパッヘルベルのカノン特別版を演奏しましたが、今回は…いや実は今回もカノン特別版でした(笑)。この前は8分音符までをうまく編曲してごまかしましたが、今回は16分音符まではうまいこと編曲して6分くらいの長さにしてみました。
昨日親善音楽会が行なわれた小学校で、今日は地域の教育フォーラムがあり私も参加しました。
この写真は学校での最終練習の様子です。
細江さん、文化功労者に選ばれましたね。おめでとうございます。
その年の土方の誕生日に行われた
帰宅したらちょうど放送していました。
それがこうして「カメラ」様の手を借りなければならなくなってしまった。こんな現代日本は、番組で語られたのとは違う文脈においても、実に憂慮すべき状況にあると言えなくもありません。
我が家のお出かけはたいがい渋いのであります。
昼飯もせっかくですから渋く「カレー専門店クラウンエース」。娘たちも辛い辛い言いながら見事完食。店内にかかる昭和歌謡が食欲を誘ったに違いありません(笑)。
そう、私やカミさんはいろんなスタイルのプロレスをそれなりに楽しめるタイプなんですけど、娘たち、案外内容を選ぶんですよね。最近今一つなのは、一番フツーなプロレスです。メジャー団体のやつですね。やはりパターン化してるんでしょうか。
飛んだり跳ねたりは全くなく、流れるような古典的な技の攻防。しつこいしつこいボディー・シザースでギブアップを迫るなんて、なんとなく新鮮でした。あれってかけられてる方は実際ものすごくきついんですよね。子どもの頃、プロレスごっこでやられて死にそうになったのを思い出しました(笑)。
今日は中学の募集説明会がありました。勉強はもちろん、いかに「生」の体験をする機会が多いかアピールしたつもりです。
時間がないので、今日は軽めに。
もちろん、この上にそのまま寝ても全然快適なんですけどね、さらに究極の安眠のためにもう一枚、トゥルースリーパーの車内版とも言える「X-スリーパー」を敷きます。
ようやく読み終えました。あの日から16ヶ月。この本を買ってから3ヶ月。やっとのことで、三沢さんの死を受け入れることができたのかもしれません。
最後にやっぱり1枚だけ写真を。おととい紹介したデジカメで撮ったものです。
昨日格安(しかし必要十分な)デジカメを紹介しましたが、私の周辺にも「画素数自慢」する方がいらっしゃいましたので(笑)、この本を紹介しておきました。
そうそう、この本、タイトルもストレートですが、1ページ目にも、ある意味露骨な写真が掲載されています。ものすごく画質が悪いけれど(笑)、アマゾンのなか見!検索をキャプチャーした画像を掲載させていただきます。
今年5月に「とにかく安くてしっかり使えるデジカメ」として同じGEの
昨日の「MHK」がちょっと微妙だったので、ある意味興味を持って見たこの番組。特に大きな発見はありませんでしたが、再確認したことは多々あり。
いよいよ中学1年生も本格的な思秋期(岩崎宏美)…ではなくて思春期を迎えはじめまして、まあいろいろな変化が現れてまいりました。
いやあ、良かった良かった。ぐっと来ましたね。今日のSONGS。
980円だったので買ってみました。私にとっては初めてのNCヘッドフォンです。
昨夜は東京にお泊まり。今日は午前中時間があったので、千葉市美術館に行ってみました。今ここでは、チェコとスロヴァキアにちなんだ展覧会が開催されています。
しかし、一方で、社会化されていない、すなわち近代的な意味で「芸術」になっていないこうしたメディアにこ、それこそ「芸術」以前の「芸術」が存在していることも事実です。
オーケストラ・オン・ピリオド・トウキョウ&東京クラシカルシンガーズ第10回記念演奏会にヴィオラで出演いたしました。ご来場くださった皆さま、ありがとうございました。
今日はジョン・レノンの70回目の誕生日。Googleにもジョンのアニメーションロゴが。
昨日、更級日記の「富士川」を紹介しましたら、ある方より、そのすぐ前にある「富士山」の描写も紹介せよとの命が下りました。
変な写真ですみません。富士川のSAで「桜えびラーメン」を食べた「あと」の風景です。
高校に用事があって中学の外に出ましたら、突然金木犀の香りに包まれました。昨日までは全く気づきませんでしたから、今日は富士吉田での開花日だったのでしょう。
いったいどこから香ってくるのだろうと、鼻をピクピクさせながら路地裏を少し歩くと、そこはまさにフジファブリックの志村正彦くんの生まれ育った場所。
もしこの木が昔からあったのなら、彼もこの香りをかいだに違いありません。なぜなら、その金木犀は彼の部屋のすぐ目の前に立っているからです。
彼は、窓を開けて富士山を眺めながら、この金木犀の香りに何を思ったのでしょうか。
その答えはこの名曲の中にあります。「赤黄色の金木犀」。
内田樹というメディアは、いつもながら面白い。彼の言説は常に発見のあるエンターテインメントとなっています。
つまり、なんだかとっても正しいような気がするのですが、だからと言ってそれらがちっとも現実化しないという、いわば夢のような感じがするんですよね。
彼一流の視点と理論と言い回しのおかげで、それこそ我々の知性が劣化するんじゃないでしょうかね。でも、それが気持ちいいので、一種麻薬のような魅力があると。
読後すぐには、まさに目からウロコ、膝を打って興奮していた私も、こうして少し経ってから記事を書こうとすると、なんかちょっと意地悪な気持ちになるんですよね。遊園地で遊んだあとの空しさというか。
ここに書かれているキャリア論、教育論、マスコミ論、テレビ論、新聞論、読書論その他も、実に見事な「楽しさ」を演出してくれています。現実や常識がひっくり返る快感を与えてくれます。
しかし、そうした快感の集合体をもって、はたして本当に世の中がひっくり返るかというと、やはりひっくり返らない。
ヤクザ映画を観たあとしばらく、自分がその道の人になったかのように錯覚して街を闊歩するのと同じような感じでしょうか。だからエンターテインメントだと言うのです。実際売れていますし。
そんな我々は、エセヤクザ、いやいやエセインテリ、エセ知性派、エセ憂国の士なのかもしれませんよ。とっても意地悪な言い方をするとそういうことです。
しかし、そんな内田さんの言葉によるエンターテインメントを私も、彼のブログではもちろん、けっこう書籍も買わせていただいて楽しんでいます。プロレスを観て、現実逃避するのと同じなのかもしれませんね。どこか「これは現実化しない」「フィクションである」という意識があるのも事実です。
センセイという職業上も、彼の言説はコンビニエントなんですよね。ちょっとそれらしいことを生徒に語るには、すなわち教室を遊園地化するには、彼からの受け売りは非常に便利です。この前も私、説明会でしっかり受け売りさせてもらいました。読後すぐだったので(苦笑)。
もちろん、彼の博覧強記と柔軟性と謙虚さは私の憧れでもあります。レベルは違えど私も自分のブログで人と違うこと(現実的でないこと)を書いて悦に入っているとも言えます。今、こうして人と違う「内田樹論」をやらかしているのも、その一つの例かもしれませんね。
そして、彼が著作権というものを放棄しているように、私も権利とともに責任をも放棄して好き勝手をやっています。いや、「私も」なんて書いたら失礼か。彼は権利は捨てても責任は持てと主張しているわけですから。
いずれにせよ、彼の言説にいちいち納得する私たちがいくら増えても、なぜか世の中は大きく変化しないんですよね。ある意味不思議です。いや、ある意味、そのように現実に対して現実的な影響力がないからこそ、彼も私もこうして発言し続けることができるのかもしれませんね。
ちなみに私には私のメディア論があります。ここのところ、某巨大広告代理店の方や、地方の広告会社の方とお話をする機会が多くあります。そこで、現実を動かすべく(動かないでしょうけれど)いくつかのアイデアを提示させていただいています。私は、たとえばこういうブログのような、不特定多数を対象にした媒体ではエンターテインメントに徹していますが、個別の専門家に対しては、案外現実的な提案を(ずうずうしく)するんですよ。
まあ、きっと内田さんもそうなんでしょうね。マスに対しては遊園地であり、麻薬に徹する。つまり、言説は嗜好品なのかもしれませんね。言葉や思想というのは、もともとそういう種類のものなのかもしれません。
人には「知的遊戯」というのも必要です。「知的遊戯」が真の知性の動力になることもあるからです。それが現実離れしているのは、その人間の知性こそが現実世界ではあまり重要視されていないという事実の裏返しなのです。
7月に買った格安のカーナビ。3ヶ月近く使ってみましたが、なかなかの製品なのでおススメいたします。
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