宮澤賢治の命日にちなんで…「は」について
今日は宮澤賢治の命日。彼は昭和8年に37歳で亡くなりました。
先日、研修の中で、ある大学の教授と宮澤賢治について公開の対談をしました。
その冒頭で私は導入として、「文化」と「文明」の違いをこう説明しました。よく高校生にしていた話です。全くの我流ですから、引用などしないように(笑)。
文化=culture(cultivate「耕す」を語源としており、大地・自然を中心とした概念)。地域の自然・風土のアイデンティティーが人間の生活や活動を通じて現れたもの。
文明=civilization(civil「市民」を語源としており、人間を中心とした概念)。人間が自然を支配・コントロールすること。
自然中心の縄文文化は1万年続き、現在でも息づいてるが、人間中心の、たとえば世界の四大文明は滅亡し、砂漠化を引き起こした…こんなふうに分かりやすく単純化して説明しました。あくまで高校生向けの単純化モデルですからね。
まあ、それでも、文化の定義にはちょっと自信があります。衣食住や言語や芸術を考えてみれば、主体の住む、あるいは育った地域の自然・風土の影響がないことは考えられませんからね。
そんなわけで、やっぱり宮澤賢治は東北の、岩手の、花巻の自然・風土抜きには理解、解釈できないはずです。
私も大学の先生も東京育ちですので、どうしても賢治のテキストの方言部分は、外国語的な感覚でとらえなければなりません。
いや、ちょっと話がそれますが、実は賢治のテキストのほとんどを占める「標準語」の部分の解釈にも、対外国語的な視点が必要だと思いますよ。なぜなら、彼らにとって「標準語」とはまさに人工国際語のエスペラントにも似た純粋な「外国語」だからです。
太宰治のテキストもそうですよね。彼の文体の独特のリズムは、私のような「標準語話者」では実現し難い、「訛り」によってできているのです。つまり、「標準語」への「方言(母語)」の干渉ですね。助詞の省略などにそれは顕著に表れています。
私は賢治には詳しくないのですが、それでも、彼の「作る」標準語の、あの独特の幻想的な雰囲気は、やはりある意味でこなれていないフィクション性から生まれるものだと思います。
で、今回はですね、東北弁のエキスパート、3世代前までの秋田弁を完璧に操ると豪語するウチのカミさんに、賢治のある有名作品を読み直してもらったんですよ。そうしたら、実に面白いことを言い出したので、研修の対談でも披露させていただきました。今日はその一部をここに記しておきます。
あまりにも有名な作品であり、教材である「永訣の朝」。皆さん御存知ですよね。愛する妹の、生と死の狭間の哀感と虚無感と叫びとある種の聖性を描いたあの詩です。本文はこちら。
ここに、これもまたある意味最も全国区で知られることになった岩手の言葉、花巻弁が出てきますね。
「あめゆじゆとてちてけんじや」「Ora Orade Shitori egumo」「うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる」です。
これらによって、この詩の評価は高まったとも言えますよね。たしかに非常に効果的です。しかし、実はこの「方言」自体が、「人工方言」ではないかという説もあったりするのです。現在の花巻の老人に聞いても、「こうは言わないなあ」と言う方が多いのだとか。
もちろん、大正時代のことですし、病床にあって弱っていたこともありますから、現代の花巻の大人の言葉とは違って当然とも言えます。
しかし、我々はこれを作品のテキストとして「朗読」し、「解釈」せねばならない、特に国語の授業においてはそうですね。その時これをどう発音するかというのは、実は非常に重要なポイントだと思うのです。おそらく今の時代、全国どこでも「標準語」(あえてこう言います)の部分は均一に正しく発音されるでしょう。
では、方言部分は…。これは実に難しい。現代の花巻の人にとっても不自然なのですから。
ですが、今日は一つだけ、私がとっても驚いたことを一つ書いておきます。これなど、まさにその方言音読問題の本質をついていると思うからです。
先ほど挙げた「永訣の朝」の方言部分の三つ目。「うまれてくるたて こんどは…」の「こんどは」のところです。これはたとえば私のような非東北弁話者ですと、間違いなく「コンドワ」と発音するじゃないですか。絶対に。
しかし、カミさんに言わせると、そんなことは絶対ないと。えっ?どういうこと?
そうなんです、なんと、これは「コンドハ」と発音すべきだと言うのです。東北弁、少なくとも秋田県南部の方言では、いわゆる係助詞の「は」を「ワ」と発音することはないというのです。いや、もちろん「標準語」を読む時は「ワ」と発音しますよ。しかし、純粋な方言で、「言外の何かと対比する」ことを表す「は」はそのまま「ハ」と発音すると。だから、賢治の妹のとし子も絶対「ワ」ではなく「ハ」と発音したはずだと。「コンドワ」というのはなんともヨソユキ風な標準語的な発音だと。いまわの際の彼女が慣れ親しんだ兄にそんな発音するはずないと。なるほど…。
もちろん、秋田と岩手では方言の細部は違いますが、東北地方全体の傾向として、たしかに上のようなことは言えるようです。
「コンドワ」と「コンドハ」では、ずいぶんと言葉の響きが違ってきますね。私にとってはこれは大きな発見でした。研修でもこの話をさせていただきましたが、賢治研究の大家である先生も、あるいは聴衆の先生方にも、この説は初耳だったようです。
やはり、その土地の文化にはその土地の人にしか分からない領域があるのだなと感じましたね。もちろん、そういうことを超えた普遍性があるところこそが、芸術の素晴らしさではあるのですが。
実はこれ以外にもいくつか新説を披露したのですが、今日は「は」だけ紹介させていただきます。
あの世で賢治はこの説をどんなふうに聞いていたのでしょうか。とりあえず「ふっ」と笑っていたことだけはたしかです。
というか、「は」を「ハ」と発音するのが、どう花巻の自然・風土と結びついているのか、全然説明になってませんね。ごめんなさい。うまくまとまりませんでした(苦笑)。
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コメント
文明に高い低いがあっても、文化に高い低いはないはずです。
その土地に住む人々が、何世代にもわたり風土に根付いて培った、唯一無二のものに甲乙などつけられないのですから。
宮沢賢治の文学は、それも教えてくれる気がします。
投稿: バンコクのジャックラッセル | 2010.09.22 14:05
バンコクのジャックラッセルさん、まったく同感です。
志村くんの言葉と音楽にも「文化」が宿っていますね。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.09.23 18:47