『現代霊性論』 内田樹・釈徹宗 (講談社)
「爆問学問」の録画を観ていたら、太田さんがまたおもしろいことを言っていました。
生物言語学の岡ノ谷一夫さんの回だったのですが、言葉で表現できない領域の話になって、向田邦子さんの遺書の「行間」のことや、音楽と「沈黙」のことを彼が熱く語りました。そっちの方が本質ではないかと。
私の「モノ・コト論」から言いますと、「言語」や「音楽」は「コト」世界に属します。一方、「行間」や音楽の背景たる「沈黙」は「モノ」世界になります。メディアの管理化にあるのが「コト」であり、その外部が「モノ」なのです。
そして、この本における「霊性」という言葉は「モノ」そのものという気がしました。実際本書の中で内田先生は「説明できないけれどリアルなもの」という表現を使っています。釈先生も、宗教の特徴として「この世界の外部を設定する」と述べています。
私はこの歳になって、ようやく我々人間の、特に近・現代人の「コト」世界の呪縛から自由になりつつあります。
私も学校というところで散々「コト」を勉強し、また、教員になってからはそれを教え、社会の中で「シゴト」しながら、基本的に「モノ」を幽閉する、あるいは無視する生活を送ってきたわけですね。
しかし、どうもそれだけでは何か落ち着かない。たぶん、自分たちを安心させるための「コト」社会のはずが、逆に自分に不安を与えているということに気づき始めたんですね。
もともと、霊的な世界(生徒が一番喜ぶ「幽霊」の話や、予言の話や、占いの話など)が得意な方でしたが、そういう、いわば準「コト」化された「モノ」世界ではなく、本当に「コトワケ」されていない「モノ」本体の存在を強く感じるようになったのは、実は最近のことです。
もろちん、この本にも数回出て来る、出口王仁三郎の世界に出会ったのも大きなきっかけでありますし、音楽を通じて、理論や知識や言語を超えた感動や共感をたくさん味わってきたのも、その契機となっているでしょう。
太田さんの言うように、五感では認知できない「何か」が本体であるという予感が、たしかに私たちにはあるのです。
現代における霊性のあり方というのは、まさに、そうした「何か」、「モノ」世界とのつきあい方だと思うんですよね。それがとっても難しいわけです。なにしろ、現代は「コト」こそが「真実=マコト」ということになっていますから。
ちょっとアヤシイ話をすると、すぐに科学や論理や法や常識を盾に反論されてしまい、議論はかみ合わなくなります。あるいは白い目で見られておしまい。
実際、私だってこういう話は教室ではやりませんよ。昔は教室を静かにさせるために、よくやりましたが(笑)。さすがに今の立場になってからは、あんまり露骨に話しません。不適格教員のレッテルは貼られてしまうからです。
それでも、まだいいですよね。ウチは仏教(禅宗)系の学校ですから、ある意味それを矛にして語ることはできる。言葉で説明できないというのが禅の基本ですので。しかし、当然限界はあります。
でも、どうなんでしょうか、それこそ、こういう「コト」だけを認めるような逼塞した世の中を作ったのは、近代教育だとも言えないでしょうか。そこに自分は矛盾を抱えて毎日「シゴト」しつつ、ちょっぴり「モノガタリ」しているわけです。
学校というところは、ある意味では生徒に「メディア」を与える場所です。ものすごくたくさんの言葉や記号でもってして、世の中のというか、人間のルールを教えこんでいくところです。
しかし、考えてみれば、本来の「メディア」とは、音楽がそうであるように、我々が、自らの背景にある「モノ」世界とつながるための媒介であるべきです。人間の為す「コト」は内側に向かうのではなく、本来は外部に向かっていくべきなのではないでしょうか。
そうした姿勢や考え方こそが、「現代」における「霊性」のあり方であると、この「現代霊性論」を読んで深く再確認したのでした。そういうきっかけを与えてくれる良書です。一読をおススメします。
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コメント
誰もが長い人生の中で、必ず一度は「あれって、なんだったの?」という、不思議な体験をすると思います。
それがおばけ、幽霊、妖怪の類のものなのか、はたまた「偶然の出会い」のようなものなのか、人それぞれだと思いますが。
「コト」が軸となっている社会に生きる私たちは、そういう「事件」が起きた時、まず否定することから始めます。
「そんなわけない。」
だけど、やっぱり説明がつかない。
こんな時、人間の考えの及ばないところにある「モノ」世界の存在を、何モノかが私たちに気づかせてくれようとしているのではないでしょうか。
素直な気持ちを忘れない大人でいたいですね。
投稿: バンコクのジャックラッセル | 2010.09.08 11:36
ご縁、しんくろにしてぃ、お蔭さまで、・・・・モノ世界とつながります。
近代科学の過ちは「見えない世界」を否定したことですね。
投稿: 日田の宮田 | 2010.09.08 19:49
>太田さんがまたおもしろいことを言っていました。
彼はよく「言葉にすると嘘になる。」みたいな発言しますけど、単純すぎませんかね。言葉って「行間」を伝えるための手段だと思うのですが。どうも彼は受け取り方が人それぞれであることが不満のようですが、それ即ち「嘘」って事にはならないと思いますがね。なんだか「俺のこと全部理解しろ!」と言っているようで不遜にさえ思います。
と、また本筋でないところが気になってしまいましたよ。(^^ゞ
投稿: LUKE | 2010.09.10 06:16
バンコクのジャックラッセルさん、こんばんは。
人との出会い一つとっても、全てが予想外ですよね。
それらを説明しようとしないで、素直に受け入れる大人でいたいものです。
日田の宮田さん、お久しぶりです。
まったくそのとおりです。
見えないから存在しないというのは、あまりに傲慢な姿勢だと思います。
私たちには見えない波長の光も無数に飛び交っているのに。
LUKEさん、太田さんはまさにそこをついてるんだと思いますよ。
あまりに行間が多すぎるので、言葉自体を信用していないんですよ、たぶん。
だから、「オレのことも言葉じゃ絶対伝わらない」…だからいつまでたっても寂しいのでしょう。
私にはけっこう健気に見えます。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.09.11 20:13
前略 薀恥庵御亭主 様
御亭主様の「庵室」へ御邪魔
させて頂き もう どれぐらい
経つのでしょうか。
興味深い「テーマ」ばかりです。
有難い「御縁」と感じ・・・
いつも学ばさせて頂いております。
愚僧の「毒談」× 「独断」での
考えでは・・・
「世界の人類の99パーセント」が
「神」や「仏」を信じている
と感じています。
私も「お釈迦様」「イエス様」
「阿弥陀様」「荒神様」「水神様」
すべて有難く信じております。
この「語呂」× この頃・・・
「一番」愚僧が信じれないのが
「政治家達」なのであり
「一番」信じれる御方様は・・・
毎日欠かさず「駅」の掃除をなさる
「おばちゃん」なのであります。
合唱おじさん 拝
投稿: 合唱おじさん | 2010.09.11 21:41
>あまりに行間が多すぎるので、言葉自体を信用していないんですよ、たぶん。
優れた芸術作品ほど行間が多いように思えます。受け取った個人個人に普遍的な何かを感じさせつつも、その一方で個々が豊富にイマジネーションを発揮させる事が出来る。それが名作の条件ではないでしょうか。
私が思うに、そうではなくて、彼が信用していないのは言葉じゃなくて、伝える相手側の方だと思っていますけどね。だから不遜だと思えるのですよ。
>私にはけっこう健気に見えます。
私は子供っぽく思えますね。
庵主様が肯定的であるのに対し、私は否定的ですが、これは彼(太田さん)の言葉が至らないからなのでしょうか? どちらかが誤解しているのでしょうか?
リンゴが一つあったとして、それに対する反応は人それぞれですが、それはリンゴが誤解を与えているからでしょうか?
言葉にせよ音色にせよ色彩にせよ、そういった道具というか手段を使わなければ何も表現(コミュニケート)出来ない。信用しようとしまいと、それを駆使しなければ豊かな行間を醸し出す事もできないでしょう。
彼もそんなことはよく分かっていて、いらだちを言葉の所為にしていますが、実は他人を見下しているだけだと私は解釈しています。
投稿: LUKE | 2010.09.12 00:16
合唱おじさん様、こんばんは。
実に尊い「おばちゃん」ですね。
私も言葉を弄してばかりいないで、行動できる人間になりたいです。
LUKEさん、どうもです。
おっしゃることよく分かります。
ただ、私はどうも彼とよく似ているようなのです。
それで妙なシンパシーを抱くんですよね。
鼻持ちならないのもたしかなんですが(苦笑)。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.09.13 21:47