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2010.08.13

またまた不思議なご縁

Sirai 築家白井晟一です。こんなところで彼の息吹に触れることができようとは。またまた不思議なご縁のおかげで、貴重な体験をいたしました。
 私はたしかに人以上に「不思議なご縁」に恵まれている人間だと思います。想定外のご縁にどれだけ助けられ、また、楽しませていただいてることか。
 皆さんにも判断していただきたく、ごく簡単にではありますが、その不思議なつながりを説明したいと思います。
 まず、全ての発端はフジファブリックの志村正彦くんでした。そういう意味でやはりまずは彼に感謝せねばならないでしょう。
 彼が亡くなってからいろいろな方々から連絡をいただきましたが、その中にタイにお住まいの方がいらっしゃいました。その方とは、志村くんのグローバルな才能と魅力についてよく意見をかわしました。実際、その方は彼の曲をタイ語や英語に翻訳してアジアに、そして世界に紹介してくれています(こちら)。私ももともとフジファブリックの音楽は絶対にアジアやヨーロッパで受けると信じていましたので、とてもうれしい出会いでした。
 その方が山梨の甲府出身の方だったこともあり、何度かお会いする機会も得ました。その時は単純にフジファブリックファンどうしとしての話しかしていなかったのです。まあ当然ですよね。
 しかし、ある時驚きのメールをいただきました。そのキーワードが「白井晟一」だったのです。
 昭和を代表する巨人の一人とは言え、まあそれほどその名を知っている人はいないと思います。私もたまたま、本当に多少建築に興味があって、いろいろな大家の一人としてその名前と、それから作品として「芹沢銈介美術館」を知っているくらいでした。私は静岡の出身であり、芹沢銈介は私の高校の大先輩にあたるからです。
 その白井晟一を特別に意識するようになったのは、バッハつながりで知り合ったある建築家の方のおかげです。彼は私と同様にバロック・ヴァイオリンを演奏するアマチュア音楽家でもあります。
 たまたまある演奏会でその方と御一緒する機会があり、そして、その打ち上げでたまたま隣の席に座らせていただいて、「お仕事は?」という話から、建築の話をちらっとさせていただきました。
 その建築家の方が、白井晟一を卒論で扱うほどのマニアだったわけです。それで私も俄然白井に興味を持ち、ちょっと調べてみてまたビックリ!
 なんと東京生まれの白井晟一の作品が、ウチのカミさんの秋田の故郷付近、湯沢や横手や雄勝に大量に残されているというのです。なんでも、白井は疎開で行った秋田をとても気に入ったらしく(おそらくその「縄文性」でしょう)、多くの公的な建物や個人の住宅を残したのでした。
 それまでそんなことは全く知らず訪れていたその地が、特別なものになった瞬間です。さっそく次の来訪の折には、白井作品を尋ねて回りました。その時の記事はこちらです(土方巽との縁も不思議すぎますよねえ)。
 そして、そんな不思議な縁はそこで止まりませんでした。ついに今日、その白井晟一が手にした物を私自身も手にしてしまった!
 さて、話を戻します。フジファブリック関係で知り合ったタイの方からのメールの内容です。なんと、その方のお父様が白井晟一と一緒に仕事をされていたというのです!えっ?そ、そんなことがありうるのか!?
 いろいろな意味でご縁のタイミングがずれていたら、このような出会いはなかったことでしょう。私は本当に不思議で不思議でなりません。
 そして、今日、タイから帰国されているそのフジファブリックファンの方からお誘いを受けまして、甲府の御実家を家族で訪ね、そしてお父様とお話をする機会を得たのです。
 まずその素晴らしいお宅に感動いたしました。ライトの孫弟子(レーモンド設計事務所の方)による設計の建物はもちろん、広大なお庭から、ご家族ご親戚の皆様、そして飼われている猫ちゃんからワンちゃんに至るまで、本当に素晴らしかった。お世辞でなく、なかなか得られないご縁だと思いました。
 その家の主であられるお父様は、建築の内装材、外装材のメーカーの社長さんでして、多くの建築家の方々から信頼を得ている、その道ではたいへん有名な方でした。
 白井晟一のほか、私もよく知っている昭和の建築の巨人たち、丹下健三や内井昭蔵、村野藤吾らとも多くの仕事をなさり、そうした方々ととってもフランクにおつきあいなさっていたとのことです。もう、それだけでも、私からしますと「神」レベルの方です。
 しかし、私のような見ず知らずのシロウトに、とても優しく分かりやすく建築のお話をしてくださいました。ううむ、昭和の巨人もすごいが、その巨人から愛されたこの職人さんもすごい…。なんと言っても、その謙虚さですね。どの道でも超一流の方はみな「謙虚」です。
 ありがたいことに、それぞれの先生自身からもらったという、作品集や書簡などを見せていただきました。もう本当に信じられないことです。あの大家の皆さんが手にしたものを、私も手にしている…。私は幸せ者です。
 白井先生の話で特に印象に残ったのは、「自宅のトイレに電灯をつけ忘れた」という彼らしいエピソードでしょう。ドアを開けてすればいいじゃないかとおっしゃったその先生御本人は、なんでも庭の玉砂利であたかも猫のように用を足していたとかいないとか…。
 お父様だけでなく、お母様との「隠された歴史」の話も私のツボにはまりまして、本当に素晴らしいひとときを過ごさせていただきました。もちろん、おいしいお料理も存分に堪能いたしました。
 それぞれの皆様と再会を約して、私たち家族は白井晟一の「第二のふるさと」秋田へ向かったのでした。本当に不思議なご縁に導かれて。

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