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2010.08.12

あの日から25年

Pk2010081302100008_size0 航ジャンボ機墜落事故から四半世紀。あの日のあの瞬間のことは、私にとっても忘れられない、忘れることのできないものとなっています。
 このことについては、6年前にも少し書きました。再びここに書くことについては、もちろん憚られる部分もありますが、やはり、一つの事実として記録していくことにそれなりの意味があると考えますので、記事にさせていただきます。
 まず最初に、この事故で亡くなった方々の魂に、心から哀悼の意を表したいと思います。どうぞ安らかにお眠りください。また、遺族の方々、ケガをされた方々にも、あらためてお見舞いの気持ちを伝えたいと思います。
 あの日、私たち都留文科大学天文同好会のメンバーは、恒例のペルセウス座流星群観測のため、富士山に向かっていました。私の記憶では、夕方の5時頃に都留を出たのだと思います。たぶん15名くらいのグループだったのではないでしょうか。数台の車に分乗していました。
 18時30分くらいにスバルラインの5合目に到着し、観測場所を決めることになりました。結果として、たしか4合目の駐車場での観測となったように記憶しています。
 日本航空123便は、18時24分に非常事態が発生、40分くらいに我々のいる富士山の西側を大きく旋回し、北に向かっていました。その時、高度は6000メートルくらいでしたから、一般の飛行機とそれほど変わりません。私たちはその機影には気づきませんでした(都留ではふだんと違う方向に飛ぶ航空機を目撃した友人がいました)。
 18時50分頃、私と友人2、3名は、5合目駐車場の北端から、北の空を眺めていました。そろそろ辺りが暗くなり始め、いくつかの1等星が肉眼で確認できるような夕闇の状況だったと思います。
 当日は素晴らしい快晴であり、5合目からは周囲の山並みを鮮明に見ることができました。私たちはたまたま北方向、つまり奥秩父の山塊の方角を見ていたのです。あまりの天気の良さ、空気の透明度の高さに、我々は興奮ぎみでした。
 18時56分。まさにその時だったのでしょう。私たちは遠い奥秩父の山塊に、小規模な閃光を見ました。たしか2回光ったと思います。私たちはこんな会話をしたと記憶しています。
「今のなんだ?」「雷かな」「いや、雲もないし、雷光ならもっと広い範囲が光るよ」「うん、2回だけっていうのも変だな」
 もちろん私たちは航空機の墜落があったなどとは知る由もありません。当時は知る術もありませんでした。
 結局「?」は「?」のまま、4合目に移動し、いつもどおり流星観測を開始しました。私は記録係だったので克明に覚えています。あの晩、私たちは500を超える流星を確認し、記録しました。
 ここで私は正直に申し上げます。今となっては大変不謹慎な発言ですが、本当のことなので隠したくありません。ただ、自己弁護するのなら、とにかく私たちは事故が起きていることを知る術がなかったのです。事故が起きていたことを誰も知らなかったのです。
 「今日はたくさん人が亡くなったのかなあ…」
 世界には古くから、「流星は死者の魂である」という考え方があります。私はそんなことを思い出して、深い考えなくそんなことを言ってしまったのです。
 私たちは観測の大成功に喜びながら、朝日に照らされた富士山を下りました。都留の下宿に到着したのは朝の6時半頃だったと思います。そして、私たちは、いつもの場所に無造作に置かれた新聞の朝刊のその異様に大きな活字に目を疑いました。
「524人乗せ日航機墜落」
 私はすぐに、さきの言葉を発してしまったことを後悔しました。あまりのショックに新聞を持つ手が震えます。
 私は記事をむさぼるように読みました。18時56分、南相木村の御巣鷹山…地図を見て戦慄が走りました。それは、あの閃光を見た時間、そして方角そのものだったのです…。
 あれから25年経ちましたが、あの衝撃の記憶は決して消えることもなく薄まることもありません。
 もう二度とこのような悲劇は起こってほしくないし、起こしてはならないと思います。あらためてお亡くなりになった方々の魂が、安らかに天に召されることをお祈り申し上げます。
 毎年、この季節になり、ペルセウス座流星群を見るたびに思い出します。今日も自宅の窓から、いくつかの星が流れるのを見ました。あの日以来、私にはそれが天の涙に見えてしかたありません。

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北條勝貴.”鎮魂という人々の営み―死者の主体を語れるか―”.地域学への招待_改訂新版*1.中路正恒編,角川学芸出版,2010,255-275頁. を御恵贈いただきました。感謝いたします。 あの日から25年の今日に紹介するのもまた感慨深いものがあります。 *1: 地域学への招待 ... [続きを読む]

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